はてなキーワード: 社会科とは
社会科の授業の一環で株式会社はてなの会社見学に訪れたぼくたちの班が連れて行かれたのは、予想していたような明るいオフィスフロアではなく、じめじめとした暗い地下室だった。案内のお姉さんに従って戸惑いながら階段を下ると、そこでは部屋いっぱいのウェルシュ・コーギー・ペンブロークが、不恰好に長い胴に備えつけられた金具で太い柱につながれ、はあはあと舌を垂らしながらその柱を重たそうにゆっくりと回していた。その様子を背に、私たちはこうして電力を作り出しているのです、とお姉さんは得意気に語った。犬の回転で発電する仕組みが図解されたパネルが不気味に灯った。
コーギーさんたち、あんなふうに口を開けて、笑っているみたいだね、と班の誰かが言ったけれど、柱を回す犬たちの目を見ていたぼくには、その表情はむしろ虚ろに感じられた。犬たちは目の前の犬のお尻を見つめながら、短い脚で床を蹴り、一歩一歩、円周に沿って同じ道を歩く。
最近では原発が……と慣れた様子で流暢に語るお姉さんの声をBGMに、コーギーたちは笑わない目で舌を垂らし、柱の周りをぐるぐると周る。犬がぐるぐると周り、班の誰かがお姉さんに質問をし、犬がぐるぐると周り、お姉さんがそれに答える。それを繰り返すうちに、お姉さんが何気なく時計に目をやり、そうして、与えられた見学の時間が終わった。
最後に質問は、と言うお姉さんにぼくは手を上げて、あのコーギーたちの中にいるんですか、会長は、しなもんはいるんですか、と尋ねると、お姉さんは少しの間だけ怪訝そうな顔をして、それから、その日いちばんの満面の笑みで言った。「あそこにいる犬みんながしなもんで、会長なんですよ」その言葉にみんなが拍手をして、見学は終わった。
みんなの最後尾について地下室を去ろうと階段に足をかけたとき、後ろでブザーが鳴った。その音にぼくが振り返ると、天井からぱらぱらとドッグフードが落ちてくるところで、コーギーたちが床に落ちた餌を舌ですくっていた。そのうちの一匹と目が合った。彼は一瞬、虚ろな目で笑ってみせて、ふたたび柱を回す作業に戻った。
「社会の構造や世界情勢」なんてわかっても99.9999%の仕事で何の役にも立たないでしょ。
会社選びのためなら、社会科の内容を全部削除して、その時間でリクナビの使い方とか「週休二日」と「完全週休二日」の違いとかを義務教育で教えるようにした方が良いね。
営業トークのためなら、体育なんかやらないことにして、その時間で街を歩いているサラリーマンと名刺を交換する練習をした方が良いね。
投票や社会参画なんてしても仕事の役に立たないでしょ。投票なんて日本人の二人に一人はしていないし、「社会参画」って一体なんだ?増田の周りにはそんなに「社会参画」している人がいるのか?「私は社会参画してます」なんて言ってる人間、俺は見たことないが。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000030-asahi-spo
勉強目的でない留学生についてヤフコメでも批判的な意見が強いように見えるので、もうちょっと冷静に見ようねというスタンスで書いてみる。
まず部活動について、学校の宣伝活動になっているとの批判があるが、
学校において部活動以外のどんな活動もすべて宣伝になりうる活動だ。
進学実績は?修学旅行先は?
「最低限」を超えたサービスはすべてそうだ。
この学校では交換留学生をやってるよ、というのも宣伝材料の1つだろう。
日本から海外に留学していく学生だって、本当に向こうの高校で数学を修得したのか?
南北戦争について十分に学んで帰ってきたのか?
次に生徒や保護者について、勉学を目的として高校に来る生徒がどれだけいるというのか。
「本気で部活をやりたいから」も勉強を主目的とする人と同程度いるはずだ。
「大学進学のため」だって部活の反対側に位置しているだけで、本来は怪しい立ち位置だ。
部活動の改革が叫ばれ始めて久しいが、結局のところ部活動は大きなニーズであることは変えられない事実だ。
部活動が感動を呼ぶ側面は否定できないし、今テレビをつけたら「スポーツ王」だってやっている。皆スポーツが好きなんだ。
大成しなくとも、部活動に打ち込んだ高校生活を子どもに送らせたい保護者はたくさんいる。
それならば公的な予算を減らして、代わりに大会の入場料を取ることを認めるなどして半営利化をすることで、
どうせ金のかかる部活はこれまで通り部費が多くかかるし、多くの並の選手からは多く金をとって
実力のある選手には部費免除、学費免除、謝礼金給付などで還元するだけだ。
各自治体や学校法人の財政状況は少し好転するし、クラブチームとして戦う気の無い学校は「楽しくスポーツ」に移行していくだろう。
生徒や保護者の利益にも繋がるし、部活にしか興味のない体育教師や社会科教師は初めからクラブチームの指導者に職を求め、
教科指導を純粋に追及する教師が増えて学習体制は充実していく。
学校と切り離してクラブチーム化、という意見はよく見るんだけど、
学校に所属したまま営利活動としてクラブチームを運営していくというスタンスはあまり見ないので
結構いい案を考え付いたと自負しているのだけど、どうだろうか。
・増田
はてな匿名ダイアリーのサイト名略称、またはそこに一度でも書き込んだ者の総称。
・元増田
スレッドの元になった書き込みをした増田。特定は困難。元増田と呼んで反応したやつがたぶんそれ。
元増田と会話しているつもりになっている増田。たまに元増田の自演。
会話に首をつっこむ第三者。「なお横」と身元をバラすことがある。面倒になったおまえ増田がなお横といって逃げてみることもあるらしい。
ツリーの場所で特定しようとしたらしいがぶら下げミスでやると致命的
・縦増田
「増田(呼応)、おまえ」が自称することがたまーーーにある。俺横じゃないし~くらいの意味らしい。
・憎田
フェミとか女とか社会とかへの憎悪が隠せない増田。紙新聞をとったことがないため現状認識が過去の一時点で固定されたまま歪んできている。社会科家庭教師を求めに増田に来ているのかも。なお憎田が主張の根拠に使うようなサイトはしばらくたつと凍結とか閉鎖されてしまうので過去主張を掘り返しても意味がわからない。鮮度が命のネタ屋という意味では勤勉。もっとほかでがんばればいいのに
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憎田向け頻出フレーズ
・また○○か
・○○叩きの朝は早い
・わい、やで←訛らないでください
僕はQUEENのファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所や理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望も目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生の目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校を中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識と目標とは裏腹に自堕落な受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミの社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部にしか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分の学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。
早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値の呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値の呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達の好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義をいくら受けても、言葉と言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族に迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれば路地や公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔で写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家へ架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功だけが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味で理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論が必須ではない法学部だからこそだったと思う。しかし就職活動は完全に捨ててバイトもサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生の方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験と大学の勉強だけしか知らず、その他は中学生で時間が止まっているのでやりたいこと、人生の目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会や面接で行った会社のインターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロの面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生の軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験を受験した。これがトントン拍子に進んでしまい採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接の相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律の素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生は妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的に人生をスライドさせていくことも、ひとつの人生としてはありなのではないかと思った。
小5~中1まで親の海外赴任でインターナショナルスクールに通っていた。
海外に行くまでは地元の公立校で勉強も運動もそつなくこなし、中学受験を見据えて塾に通っていた。
それがある日突然異国の環境に放り込まれ、何もかもに不自由し、学校を休みがちになった。
それでも英検2級に受かるくらい英語力は上達したがネイティブレベルには到達しなかった。
問題は帰国してからで、英語以外は学力は明らかに落ちていて、もともと勉強ができた自分にとっては屈辱的だった。
環境の変化、劣等感、反抗期など複数の要因が重なり中学不登校になってしまい、何とか高校には進学できたが2年目に中退し引きこもりになった。
そこから数年間引きこもりを続けいよいよ人生の危機を感じ、一念発起して実質2浪目の年から大学受験勉強を始めた。
もっと早く知っておけばよかったのだが、MARCHの文系ならセンター英語で190点近く取れるレベルなら国社が出来なくても受かる学部があることを知った。
結局2浪目の年にはメンタルの不調でセンター試験以外受けられず、センター利用で受かった大学はあったが、この精神状態では通える気もしなかったため3浪目に入った。
3浪目になってしまい受サロに毒されていたので早稲田を第一志望にする。
ほぼゼロから社会科を勉強する必要から効率重視で政治経済を選択したため、慶応上智は自動的に選択肢から消えた。
ただ早稲田の一般入試は英語配点がMARCHほど偏ってないため英国社まんべんなく得点する必要がある。
古文漢文が出題されるのも苦しかったし、正直英語だってほぼリーディングしかないのだから、海外で養ったリスニング・スピーキングは何の意味もない。
それでも必死に勉強して補欠で合格したが、普通に日本の教育を受けて受験していたらこんなに苦労しなかったのではないかと思う。
高校まで海外で生活して帰国枠で入ってきた国際教養学部の連中にはどうせ英語ができるだけだろと僻んでしまう。
たまたま数学だけが、誰が使っても同じ答えが出せるように設計されているのであって、
国語教育とは、おおむねの人が理解でき共有できること を目指しているのだから、比較対象にするのはナンセンスである。
美術や音楽、書道に点数がつけられるのか?は、つけられる。ある技術の習得度合いは、十分な技量を持った教員なら判断ができるからである。(例えば対戦ゲームが上手い人は相手がどのくらい上手いかは、自分の経験と照らし合わせて相対的に量れるだろう。体育は数値化が可能だったから数学と同じ扱いなのであって、数字が出るものが上、なのではない)
国語教科のルールの中でどれだけ点数が取れるかはルールを理解して適切に処理しているかどうか、だけで決まり、
なんとそれは女性の脳の方が言語処理に優位で、一般的に男子は成績が取りにくい。
ゆえに、自分が成績を取りにくいから劣った教科、劣ったシステムと見なされやすいのである。
(弁護士は男の方が多い~云々は、女性は難しそうだから勉強すること自体を諦めがちになり、社会的にも男性の肉体をしていた方が信頼されやすいためで、フラットに勝負したら全員女性の脳を持つ者が有利に就くだろうし、そもそも将来的にはAIに取って代わられる)
国語教育は感情を扱っているから下、なのではない。感情を言語化する技術は大変高度であり、さらにそれを大勢が共有し理解させる形で出力できるのは、為政者に必須の技巧である。(だから巫女が王だったんだね)
お金は感情を数値化したものだ、という直観はあったが、作品への評価=値段、という考え方を嫌うのは浅薄だ。しかし、それも感情である。
感情への感情の支払い方として最も適切なのは、作品に対しては作品を返すことである。
ところが日本の教育は、国語、美術、音楽といった表現行為を、下に置いてきた。あるいはダンス、スポーツ、数学、歴史、社会科、心理、宗教、民俗、すべて下に見る価値観が育まれてきた。
英語に対抗できる言語はプログラミングだけだ。それも母語の音声で記述できることが望ましい。
(というかそれをやってるのが赤ちゃんと母親の歌や絵本なんだけど、それを男のプライドとやらで殊更下に見る。性的な自立に必要だという名目だが、果たしてそれは有効に機能しているのだろうか?)
何が言いたいかというと、教育現場はもっと感情の発露、身体の自由を重視せよ、ということである。
軍隊式は、失敗したのだ。
悲しいことに俺の青春と人生は、オウム真理教の影響を大きく受けている。
杉並区の高校に通っていたことも、俺の精神をオウムで埋めることに拍車をかける要因になっていただろう。
彼らの一部は愉快な教祖のはりぼてを被り、ある者は象の着ぐるみに身を包み、あるいは象の帽子を頭に乗せている。
特殊なコスチュームを持たない信者らは、サマナ服と呼ばれる修行用の衣服をまとい、風船やら麻原彰晃のマンガを配ったりしていた。
もちろんBGMは例のマーチやらアストラル音楽という、キャッチーでありまた環境音楽のような不思議なものである。
俺は国語を筆頭に社会科、政治、そう言ったいわゆる「文系」科目は苦手ではあったものの、そんな俺でも「選挙権を持たない子どもをメインターゲットとしている活動」が、少々不自然であると感じていた。
そりゃそうだ。
風船はただの風船ではなく、教祖の似顔絵がプリントされているのだ。
高校生に配られる小冊子には、確か空中浮遊できるまでの修行の様子が描かれたマンガなどが掲載されていたが、しょせん高校生などアホの集団であり面白がってそれを貰うのだ。そして教室の後ろのロッカーの上には放置されたそのチラシが散乱していた。
男の子は好きなんだよ。
秘密基地のようなものや、仲間をコードネーム(ホーリーネーム)で呼び会う秘密結社感が、想像力をかきたてるのだ。
ではその秘密結社に入りたくなったのか?と言えば、残念ながらそれは無い。
「なぜこんな怪しげな組織に入りたくなるのか?」と、信者の心理や精神構造が気になって仕方なかった。
ずっとだよ、ずっと。
彼らが大きな事件を起こし、事態が収束していくまで、いや、それ以降もか。。
「そこに何かの救いがあったのだろう。」と漠然と思っていたが、なぜソレなのか?ソレでなければいけなかったのか?
彼らは事件を起こした。
自宅最寄り駅の野方駅近くには、呉服屋の上にオウム真理教病院があったが、そこもまた事件の舞台となってしまった。
震撼した。
にも拘らず、日々テレビで報道されるオウム真理教の情報は、心を揺さぶったのだ。
サティアンと呼ばれる施設には秘密化学工場があり、ヴァジラヤーナ号とかいうクルーザーを所有していたり、次々と明かされる関係者のホーリーネーム、挙げ句の果てに報道陣が居る目の前での暗殺まで……
笑えない、笑ってはいけない。
笑えるわけがないのだ。
……にも拘らず、興味が絶えないのだ。
事態が収束し報道される情報の減少に、軽い寂しさすら覚えたのだ。
終わりが近づくことは良いことであるはずなのに、だ。
心を返して欲しい。
俺の心も脳細胞も、そんなことを考えるためにあるわけじゃあない。
そんなことを覚えるためにあるわけじゃあない。
心と脳細胞を返して欲しいのだ。
教祖は死んだ。
これで本当に、人々の興味も、記憶も、薄れていくのだろうか?
それとも、まだあの教団から派生したいくつかの組織が存続している以上、しぶとく人々の記憶に巣食い続けるのだろうか?
人々の……というより、俺の、だ。
こんなに、こんなに興味を注ぎ続けてきたのに、一度たりとも「入りたい」と思ったことは無いのだ。