はてなキーワード: 普遍とは
というわけで、両替等のお金○十万をまず作ったら、残りの現金が売上金のはずなのだが、残金がどう見てもデータ上の売上額よりも少なかった。けれども、両替機に入れとくお金の金額は不変なので、そういう結果になったら仕方ないので、本部に報告の上、集計表の備考欄に不足金が発生した旨を書き、△不足金を含めて計算して、それも記入する。そして残金のみを送金とする手順だった。
ところが、癖つよ先輩は全く納得してくれないのだ。
「それは絶対おかしいよ! だいたい、両替機に何でそんなにお札いっぱい入れとくわけ? どう考えても無駄でしょ。コインランドリーで100円を千円に両替するなんてあり得ないの、わかるよね!?」
あまりにも堂々と大声で言ってくるので、こっちが間違えたことをしたような気がしてきてしまう。だがここで大人しく言い負かされたら絶対に悪い結果になることだけはわかる。なので、
「すみません、マニュアルを確認します。そしてちょっと考えさせてください」
と私は言って、マニュアルを熟読した。だがやっぱり、どう考えても両替等用のお金は○十万円と不変であり、両替目的でもない限り触っちゃいけないのは確かなのだ。自分の認識のどこが間違っているかというより、癖つよ先輩にどう説明責任したら理解してくれるのかと考える時間がだった。
「やっぱり、売上が足りないから両替金で補填するのはダメだと思います」
「いや、絶対おかしい! それは絶対におかしいよ!! 本部に送るお金を減らせっていうの!? 売上はちゃんときちんと合わせて送金しなくちゃでしょ!!」
そういう訳で本部に電話して、事情を説明して指示を仰いだのだが、やはり私の認識は間違っておらず、両替金等○十万円を作って両替機に入れたら残金をそのまま売上金とし、本部に送金するということだった。
本部の社員さんと話しているうちに私もうっかり喪いかけていた正気を取り戻した。電話を切り、
「やはり○十万は絶対不変で、残金が売上金額に足らなくても○十万円のなかから補填するのは誤りです。残金をこのまま送金とします」
堂々と言い切ると、
「ごめんね。間違えてたのまた私だったね」
癖つよ先輩はさっきまでの剣幕が嘘のようにあっさり折れた。
このやり取りでわかったのは、癖つよ先輩は集計表に本当の現金額を書いていなかったことと、両替金等○十万円を確保するより先に送金用のお金を集計データ通りに作っていたということだった。
そうすると、何らかの原因で違算が発生するたびに両替機の中の現金が減っていく。常に○十万円で普遍のはずの両替金が、集計ごとに徐々に減っていくのだ。そうして何ヵ月も集計をし続けているうちに違算額が膨れあがっていった。それが、私が入社したのを機会に本部の経理担当者が当店にやってきて正しく集計業務を行ったために発覚したのだった。
というわけで、今回も結局消えたお金はどこへ行ったのか不明であるものの、両替等○十万円は死守というルールを守れば今後莫大な違算が発生することはないはず……毎回ちょっとお金が謎に消えるかもしれないけど……ということで、今回もこれでリセットということで、次回こそ間違わないように、と本部の社員から念を押された。
その後、本部の経理担当者から個別の聞き取り調査があり、私は癖つよ先輩とのやり取りから、癖つよ先輩がどこをどう間違いがちなのかを話した。つまり癖つよ先輩は、
・店内全部のお金から両替機の中にあるべきお金を引いて残ったのが売上金だということを理解していない。
・データ上の売上金のことを、何が何でも絶対に送金しなければならない金額だと思い込んでいる(不足がある場合そのぶん減るということを理解していない)。
・集計表の一番最後に記入するマスは「データ上の売上金」ではなく「送金額」であることを理解してない。
・経費で申請すべきことを使った額ではなく残金だと思い込んでいる。
・両替機の中にある売上金ではない「いっぱいのお札」を要らないものだと思っている。
経理担当者は、癖つよ先輩はわざと横領をしている訳ではないのかもしれないが、もう信じられないといい、来月からは癖つよ先輩を集計業務を始めお金に触る作業全てから外すと言った。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』を読んだ。ナチスの行った行為についての<事実>や<解釈>については自分が誤解していたこともいくつかあり、とても面白く読めた。一方で、著者らの<意見>は、タイトルの問いに対する十分な回答ではないというのが正直な感想である。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』というタイトルを読んで私がまず考えたことは、著者らは「良いこと」をどう定義しているのだろうかということである。
②Xは善い(価値判断)
①については著者らの言う通りナチスが実施した行為について歴史学の方法で事実とその解釈を検討することは重要であろうし、素人の考えが誤っていることは多々あるだろうこともよく理解できる。素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ない。
一方で、②については、"「~である」から「~べき」は導かれない"というヒュームの法則が端的に表すように、事実・解釈とは独立した善悪についての価値判断である。①についてお互い同意していたとしても、②が異なれば善悪の意見が真逆になることは十分あり得る。
もちろん、何を善いとするかは自由に決められるわけではない。「ナチスは良いこともした。なぜなら ②ナチスのしたことは善い からである。」という主張は(そう言うのは自由だが)多くの人を説得できないだろう。
そこで普遍化可能性という基準が出てくる。普遍とは簡単に言えば、固有名詞を含まない、という意味合いである。例えば、「金を返さないのは悪いことだ」という価値判断を採用するのであれば、誰であろうと金を返さない人は悪人であると判断しなければならない。
「あなたが私に金を返さないことは悪いことだ」とするならば、「私があなたに金を返さないこともまた悪いことである」としなければならない。ナチスの行為を何らかの理由で善い/悪いこととするならば、他の〇〇国がした同じようなことについても、別扱いをする普遍的な理由を挙げなければ、同様に善い/悪いこととしなければならない。
ナチスの政策Aが良くないことならば、同様(に見える)〇〇国の政策Bも良くないことですよね?という問いはWhataboutism論法ではなく、価値判断の普遍化可能性についての確認である。同様に良くないことだと言うならそれでいいし、違うならその理由を説明すればいい。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか』は歴史学の本であり倫理学の本ではないから、ナチスの政策についての事実・解釈の説明がメインなのは当然である。しかしながら、「良いこと」もしたのかというタイトルにするならば、著者らの価値判断が普遍化可能であるのかについてもある程度の紙幅を割くべきだったろう。
さて、本では素人が考えがちなXとして、A:オリジナルな政策、B:目的が善い政策、C:結果が良い政策 の3つを挙げ、「素人考えでは政策AはXに見えるが歴史学の手法で解釈するとAはXではない。よってナチスは良いことをしていない。」とする方式で説明が進む。
まず、著者らがオリジナルの定義をかなり狭いものとしているのが気になる。まったくのゼロから何かを考え出すこと以外にもオリジナルさを見出すことは特段おかしな考えではないはずだ。
私はメーカー勤務の研究者である。ニーズ先行の商品開発は、(i)市場調査部が計画を立て、(ii)R&Dがラボ試験をして、(iii)工場が大量生産化するという流れで進む。ここで、市場調査が計画をしたことをただ実験して、ただ大量生産しただけなので、研究者も工場技術者もオリジナルなことはしていないと言われたら、ちょっと待てよとなる。
また、実はコピー製品も安定的に製造するのはかなり難しい。同じ会社の別工場で品質がぜんぜん違うことは珍しくないし、他社製品をコピーするのに数年以上かかることも珍しくない。
私は政策を計画・実行したことはないが、計画を実際の法案として成立させることや他国の制度を法律も文化も経済も違う自国で同じように実施することには何らかのオリジナリティが必要であろうことは想像できる。
これについては、著者らも書いている通り、オリジナルであることと良いことは何も関係がない(もちろん、オリジナルでないからといって良くないとも言えない)ことを説明するのが適切だったのではないか。
「確かに狭い意味ではオリジナルでないことは同意する。しかし広い意味ではオリジナルであったし、A:オリジナルは善い という価値判断の元、ナチスは良いこともしたという意見は変わらない」と言われるだけのように思う。
著者らはナチスの政策の真の目的は戦争のための「民族共同体」の構築であるとして、それは良くない目的であると価値判断をする。これは(i)戦争のためという目的は良くない、(ii)「民族共同体の構築」という目的は良くない という2つに分解できる。
(i)戦争のためという目的が良くないとすると、例えば福祉政策が戦争のために発達したことは多くの指摘があるが、福祉政策は良くないことと言えるのかという疑問がでてくる。またインターネットやロケットなど戦争のために生まれ発展した技術は良くないことと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、これらを良くないとするなら(同意を得られるかは別として)普遍化可能性についてはクリアしている。しかし、これらを良いとするならば説明が必要だろう。
また(ii)「民族共同体」の構築が良くないとすると、例えば「国家共同体」の構築のために移民(特に既存の国民にとって良くない影響を及ぼす可能性が高い移民)を排除することは良くないことなのかという疑問がでてくる。
私はリバタリアンとして個人の自由を尊重する立場から国家が移民を制限することは良くないことだと考えるが、日本はもちろんヨーロッパやアメリカの現状を見るに、世界全体で受け入れる人は少ないと思われる。
「民族共同体」の構築という目的は問題ないが、その方法としての搾取・断種・敵対者の排除が問題であるという主張も考えられる。私もそれらの方法について全く支持しない。
しかし、目的は問題ないとするならば、②目的が善い政策は善い の反論としては不適である。
また、占領地・植民地からの搾取や障害者の断種、反政府思想の弾圧などは同時期の他の国でもあったことであり、それらと比べてナチスの政策はと同程度に悪いのか、それともより悪いと言えるのかという疑問もでてくる。
先に書いた通り、①事実・解釈について素人の私が専門家の整理に対してとやかく言うつもりは(あんまり)ないが、気になる点をいくつか挙げる。
(i)失業者600万人に対して雇用創出政策では50万人程度であるから効果は限定的というのは乗数効果を全く考慮にしていない。私個人としては政府の雇用創出政策の効果に懐疑的ではあるが、ケインジアンはこの<解釈>に文句があるだろう。
(ii)「膨張する国家支出と巨額の負債は国家財政を圧迫し、やがて財政破綻の危機とインフレ圧力に直面することになった」について、例えば日本の社会保障政策も同様という論者は多いが、良くない政策だと言えるか?(なお、私は良くない政策だと考える)
(iii)「「軍備の奇跡」なるものも結局のところ戦争の集結を引き延ばし、多数の人命を犠牲にするだけに終わった」は枢軸国側が負けることを知っている前提の意見ではないか。(現在はともかく)露宇戦争開始当初はウクライナが人命の犠牲を避けて早く降伏すべきという意見はそれなりの数あり、またそれに対する批判も多くあった。
(iv)例えば医療分野の発展はその大部分を動物の搾取を前提としているが、動物愛護思想の人が「医療は"何も"良いことをしていない」と主張することを認めるか?もし動物愛護思想を認めた上で医療分野は「良いこと」もしたと言うならその理由はなにか。
(v)タバコについて、一方では「最終的には自己責任であった」と強制がなかったことを問題としているが、もう一方では特に女性について「家父長的干渉主義」という強制があったことを問題としている。これはダブルスタンダードではないか。
ナチスの政策・行為の"総和"として大きくマイナスであることは多くの人が認めるだろう。
しかし、"個々が全て"マイナスであったというのはかなり強い主張になる。
「ナチスは「私たちはこうあってはならない」という「絶対悪」であり、そのことを相互に確認し合うことが社会の「歯止め」として機能している」ことが正しいとしても、それは"総和"で達成できるのではないだろうか。
と思わせる奴多すぎ。
まずここからわかっていない奴が多いよね。
自分や同じ価値観を持つ人が嫌いなものだからといって、別の人は好きだったりするし、それだけを根拠にしてたら価値観の押し付け合いにしかならんのよ。
あと好悪と美醜すら別もの。醜いものがさほど気にならない人や好きな人すらいる。
価値観の多様性をもう少し実感すべき。主張はもっと普遍的にバランスをとってすべき。
不正解例1「水着のグラビアや絵って(目にするのがなんか嫌なのに)なんで街中にあふれているの。なくすべき」
正解例1「水着自体がダメという社会的合意はないけど、過剰な性表現が街中にあふれると心地よく感じない人は増えると思うので、場所と程度について互いに配慮するのが望ましいと思う。具体的には~というのはどうだろうか」
不正解例2「いかにもモテない童貞みたいな見た目をしてた奴がこれを言ってて、色々察したわ」
正解例2「この意見の○○という部分は、実際の女性の価値観とはあまり一致していないように思われ、少なからず的外れではないか」
生殖行為って性欲が前提でしょ。性欲が無くて性交渉すべてが嫌いな人が多数派だったら、とっくに人類滅びているよ。
そうである以上、そもそも「性自体が悪」なんていう社会合意はないのよ。
あるのは、「性的な要素は(強い力を持つので)TPOをわきまえて」というもの。
「みんなが迷惑」ではなくて「自分のような少数派にも配慮を」という文脈でないと、「いや、俺たちは迷惑していないが?」にしかならんよ。
あと、何にエロを感じるかは人次第で、性的な要素は人体のどの要素にでも見出しうる。
たとえば一部の女性は男性の指に性的興奮を覚えるわけだけど、じゃあ、「男性は全員手袋しているべき」となるか?
そんなことやっていられないでしょ?別に厳格なイスラム圏の女性が強いられている状況がいいとも思わないでしょ?
不正解例1「未成年には性的なものは一切触れさせるべきでない」
正解例1「映画等ではR18という線引きがあるように、それ以外の分野でも、未成年が意図せず直接的な性表現に触れかねない形での表現を避ける手法を開発すると良いのではないか」
【補足】多くの中学生男子は性的なものがかなり好きなので(むしろ一番そういう時期じゃない?)、「社会の建前としては禁止」「本人が自ら探す分には黙認」くらいの温度感が良いと思う。
不正解例2「エロ絵を垂れ流しているツイッター垢しね。凍結されろ」
正解例2「子どもの頃痴漢被害を受けたことのある身としては、幼児性愛的な表現を目にするとかなり動揺するので、センシティブ設定をするとかサムネを穏当にするとかしてくれないとつらい」
これはもう散々言われていること。
アズレンの社長とか、佃煮のりおとか、クリムゾンとか、いちいち具体例を挙げるまでもなく、もはや常識。
この辺は下の「4.アニメ(絵)の普遍化」とも関係しているのだろう。
ともかく、「男性不信・嫌悪」由来の「性嫌悪」が根底にあるのか、そういった女性の存在を無視して「(名誉)男性の問題」としていわゆる「男叩き」をする人がいるけど、頓珍漢。
あと、女性が男性のことを性的に表現・消費することだって、全然禁止されていないでしょ?
不正解例「こんな男性の欲望を垂れ流しした表現なんて見るも不快。なんでこんなのが許されているんだろう」
正解例「架空とはいえ女性が多数から性的目線に晒されている表現は、少し自分ごとのようにとらえられて苦手。自分のような人間がこういった表現を目にしなくてすむよう、うまく棲み分ける方法とかないのかな」
これも既に結構あちこちで言われているし説明不要の真実だと思うんだけど、未だに実感として理解していない人が散見される。
今のカラオケランキングとか見てみたことある?普通にアニメ主題歌が入っているでしょ。
あと、声優とか普通にテレビに出てるでしょ。MXに限らずアニメを流すチャンネルめっちゃ増えているよね?
ニコ動出身のクリエーターが出てきたり、2ch用語(ンゴなど)が時を経て女子高生の流行語になっているよね。
アニメ・ネット文化が広く大衆に受け入れられるようになっているからだと思わない?
ツイッターとかで、自分より若い世代もちゃんとフォローした方がいいよ。
そうしないと、本当に「昔のイメージで今を語るズレた老害」になるよ。
不正解例「アイドルにストーカーとか、どうせまたキモイアニオタが勘違いして犯罪行為に走ったんだろ」
正解例「会いにいけるアイドル路線が増えているとはいえ、やっぱりガチ恋勢であってもわきまえないといけない一線ってあるよね」
【補足】そもそも「オタク」はポジティブに使われ出しているので、こういう文脈で「オタ」という言葉を使うこと自体が頓珍漢。
そもそも、単なる憂さ晴らし・ストレス解消・ネガティブな感情の吐露をしたければ、もっと閉じられた場(友人・家族との会話、飲み会、鍵垢など)でするべきなのよ。
そういったことを動機にした発言ってかなり攻撃性を帯びるし、場合によっては的外れだったり、論理的にも倫理的にも正しくなかったりする。
そういったものをソーシャルな場で発すると、広くいろんな人を傷つけるし、反発も生むってことをもう少し自覚したらどうなのか。
まあ、たとえば、増田はギリギリ個人的な日記ということであるのかもしれないけど、ブコメでそういうことするのは本当にどうかと思うよ。
議論を成立させるために大事なのは、多数が賛成できる前提や事実として間違いないことから議論を始めること、可能なかぎり普遍的に共感できる内容とすることだよ。「ここまでならわかりあえそうだ」というところを探るの。
あるいは、普遍的な内容に変換するだけの表現力がないだけなのかもしれないけど、残念ながら、みんな見ず知らずの他人の発言を「善解」するほど暇じゃないから、表現力が低い人の発言の価値はどうしたって低いよ。
「ネガティブな感情の吐露等について、ブコメはダメで増田はいいというのがわからない」については、
はてなブックマークは「ソーシャルブックマークサービス」であり、意見を共有したり、参照したりすることが予定されているものだと思うよ。
一方、増田は、まあ、一応、「日記」だし、広がらずに埋もれている独り言のようなものが大多数だから、大抵の場合はギリセーフなんじゃない?バスっちゃたら、そうも言っていられないが。
なぜクローズな場でするべきか、という点は既に書いたから反復しない。
「社会に物申したいなら」という前提での話をしているので、「社会に物申すつもりはない」場合はまた別の議論になる、
ともあれ、「まあ、それもそうか」と思う批判も結構あって、勉強になりました。
アンチフェミニスト(←この呼称本当はあんまり好きじゃない。なんか別のいい言葉はないものかね)向け版はないのか、って声があったので、誰か作ってくれるのかなと思ったけど、今のところないな。
僕は結構気力を使って疲れたし、他にやることもあるので、誰かがやってくれることを祈っている。
役に立つかはしらんが、参考までに僕が考えた項目立てを以下に列挙する。
1.女性は男性よりずっと(性)被害を受けやすいし、受けている人も多い。
2.過酷な被害を受けた人は、別の種類の苦しみまでは考え・実感が及んでいない場合がある。
3.性知識含め、全く違う世界観でものを見ている人もいるので、ある程度、「前提の共有」から始めないといけないことがある。
(これくらいわかるだろう、というのは、相手によっては通じない)
4.(性)被害を受けた人に向けた言葉となる可能性が充分あるということを意識し、表現・内容に注意する。
5.男性の多くは、「女性を虐めるのが楽しい」という本能があるので、その欲求の充足のために個人や集団を攻撃してないか、自戒しないと危険。
たしかにバッテリー残量が20%の状態で充電ステーションに行くことになったら、急速充電でも30分くらいかかるだろう
だからEVは面倒だし使えないなんてことを言われる。だけど、一般人に限ればそういう状況になることはほぼない
というのも残量20%みたいな状態になることが、日常生活ではないからだ
今の都市デザインは、ガソリンを使う前提なので爆発を想定して以下のような形になっている
目的地(家、お店、病院、職場)---------------ガソリンスタンド---------------目的地(家、お店、病院、職場)
そしてそののまま充電ステーションを設置したので以下のようなアホなものになった
目的地(家、お店、病院、職場)---------------充電ステーション---------------目的地(家、お店、病院、職場)
ガソリン車時代の生活スタイルで想像し、EVもそうだと思い込んで
「EVって充電が長いんでしょ?」「もっと高速な充電設備ができてから買うわ」なんて話になる
最近はこうなりつつある
目的地(充電付きの家、充電付きのお店、充電付きの病院、充電付きの職場)--------------------------目的地(充電付きの家、充電付きのお店、充電付きの病院、充電付きの職場)
職場で働きながら充電し、お店で買い物しながら充電し、病院で治療を受けながら充電し、帰宅して飯食って寝てるあいだに充電する
これなら実質待ち時間はゼロで、バッテリー残量も60%~90%あたりで推移していくので、バッテリー切れの心配をする必要がなくなる
もちろん、旅行や帰省なんかで一日に200kmとか300km走る日もあるから、サービスエリアには急速充電が必要ではあるけど
「追記」
9割の意見に「1個4億円かかる水素ステーションよりはましですよね」で反論できてしまう
たしかにEVにはいろんな諸問題があるけど、「でも水素よりまし」で終わり
マンションだから充電がないというのも補助金出るようになったからこれから充電できるようになるよ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC208TB0Q3A320C2000000/
あー、もしかして水素うんぬんじゃなくてガソリン主義な人かな?
さすがにはてブが馬鹿の集まりだと言ってもそのレベルの馬鹿はいないと思いたいね
思い出話になるんだけど、俺は大学が情報系出身で仕事もIT系なんだけどさ
学生だった頃はその当時のIT業界の未熟さをあげつらって馬鹿にしてくる連中が多くて、そのことを教授に愚痴ったことがある
教授は「馬鹿は時間軸がない。今を理由に否定してくる。彼らは未来が予想できない」って言うんだよね
はてブはIT業界に昔からいるおっさん技術者が多いから共感してくれると思うんだけど
昔ITをたたいてた連中ってその時点でのITで判断してるイメージない?10年後が想像できてない連中だよね。
今だったらAIなんかがそうだよね。
いまのAIがそうだよ。ちょっとへんな部分を取り上げて、人間がかいたほうがいいとか言いたがる人多いよね
5年後、10年後どうなってるか想像できない。今の状態で腐してくる。
EVになるとはてブの連中があの頃IT批判していた老害そっくりになるの面白いよね。
テレホーダイ時代に、将来ネットでワールドカップ見るようになるよって言う人をバカにしてるタイプだよなお前らって
教授の教えから、俺は技術的問題を比較するときは、時間軸で考えるようにしている
だから水素でも時間軸で考えてみたんだけど、結局田舎で水素は無理だって結論になる
水素は電線みたいに運べない、電波で飛ばせない、水素は水素トラックで運ばなければいけない
なんだったら未来は人口が減って田舎はもっと過疎化進んで余計に水素の問題が大きくなるよね
実際今、建設更新に7000万円と言われるガソリンスタンドも払えなくて廃止が進んでる
これで4億円の水素ステーションできると思ってる人いるのかねw
俺が前に書いた増田になるけどさ
https://anond.hatelabo.jp/20230208193131
都会の人って田舎のこと考えないよね
田舎でも使えるインフラが世界でも使えるインフラなんだってことがわかってない
はてブの連中って技術大好きな理系で、上位層の大学で所得も多くて都会に住んでるのだろう
だから予想が外れる
そういう技術強者連中の未来予測が外れるのって、こういう弱者に寄り添った思考ができないからだよね
弱者に寄り添ったテクノロジーはどっちだろうって発想ができない
4億円もかかる水素ステーションをアジアアフリカ南米に輸出するんですか?彼らは買えるんですか?
例の過剰性能ってやつですよね。suicaすごーいとか言って、世界じゃ広まらないやつ
QRコードを馬鹿にしてsuicaがあるからいいじゃーんとかいってたはてブの馬鹿は
日本の地方でそもそも交通系ICカードが普及してないことを知らない
こんな連中が技術語ってるんだよな
EVでも同じことが言える
EVは家庭用コンセントがあればOKだし、考え方によってはもうすでにEVのインフラは世界中で整っていると言えなくもない
水素?論外でしょw先進国でもかなり厳しい安全基準でやっとなのにw
関西は、文化的な趣味(美術や音楽、古伝を基礎にした先端の感性に触れる)機会があって、けっこう楽しかった。
大阪、京都、神戸。どこも自分の住んでいた古い町よりも深くて大きくて驚いた。驚くことで調べて地元の深さ広さ高さ長さも知った。「大阪」や「東京」という一語にくくれない。どんな都市の文化だってそうだ。自分の街も関西についても0.4%だって知らなかったなってイキり散らした間抜けな自分にダメージ。
最先端のものを追いかけて、日本初上陸のサムシングに群がる有象無象のクルクルパー・ムーブって虚しいなと思った。彼/彼女らは、たいてい東京に3店舗くらい来て3年待たず撤退する不良債権みたいな事業ばかりを追いかけてる。殺虫灯に走っていく夏の夜の虫みたい。
もちろん、東京にしかないものもあるだろう。人口が多いから成立する商売だ。たしかに5%くらいは東京のものかもしれない。でも5%なら、その他の市町村にも固有性はあるんじゃないだろうか。語彙「文化」は、まさに、そういった普遍性と固有性を汲み上げるための教養であり、それを支え、そこに参与していく主体性と不可分ではないだろうか。
だから、東京に住んでいることだけで、自分たちを文化の中心にいると勘違いしてる人を見ると哀れだなと、としみじみ思った。
出張に行くことも増えてきた。
そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市の豊かさに心打たれるようになった。
ここには、東京でやった展覧会の巡回展も来てくれない。海外アーティストのライブだってやらない。でも国会図書館にはアクセスできる。
こういう場所に暮らしている人々もまた、それぞれに趣味を楽しみ文化をつくっている。自分のいる場所が中心じゃない。
大人になると誰でも、この程度は判る話だ。
辛くならないんだろうか。東京に住んでるだけ、海外文化の消費者の第一人者を自称することで、文化つくってる気になるなんて。
まあ、地方だって展覧会には行列ができる。でも東京で数時間ならんで観るくらいなら、その時間で、もっと文化的で豊かなことできそうだけど。
なんか、悲しくなってきた。
【追記】
地方の文化なんて単なる消費じゃないか!みたいな意見が大きな釣り針で垂らされていて、すこし驚いている。
聞いてみたいんだけど。
いい?
「海外から東京地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」
まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から、未来にコンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。
自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。
もしくは深く長く高く広い伝統文化と、そこから湧出する人類普遍の文化的性質との邂逅。
そのスリリングさ。
そんな文化の創出を支えていくのが人間の醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?
「文化」は東京に住んでるだけでつくれるモノじゃ、ないんです。
評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかける人々にも出会えない程度の人脈と教養しかなかった君のどこが文化的なの?
まあ東京に4世代前から住んでいて、かつての東京の深みのようなものを、ある程度まで理解してるなら別だけど、住んでるだけなら、もはや首都神話や観光業界が生み出したファンタジーだって分かると思うけど。
東京はサロン文化だなんて言うけど、どこでももサロン文化あるからね。明治維新の頃に、日本が近代化したの知ってるかな。
スマホの充電が切れたので、駅に向かう間に他の奴らがどんなTシャツ着てんのか眺めてみた。
そしたらTシャツ着てんの、
・オタク男
オタクは真実オタクなのか分からんけど、TシャツGパン(体型のせいか総じて太めボトム)はオタクにしか見えなくて、ダサさ=オタク(悪口)に集約されるんだと思った。
まぁスタイルいいイケメンがTシャツ着て別の感想が出るんだろうけど、駅前歩いてる人じゃな。
という訳でお前らは脱オタファッション第一歩として襟付きのシャツを着ろ。通報か職質の頻度下がるんじゃないか、知らんけど。
ダサカワ女子はTシャツなんだけどツナギ(サロペット?)を合わせてて、メイクばっちり鞄は小さめ靴も可愛い、とちゃんとトータルコーデしてた。
そもそも女性はTシャツ着用率が圧倒的に低い。おばちゃんやおばあちゃんであってもTシャツ着て駅来てるのはいなかった。
というかアレな、女性は基本的にTシャツみたいな首の詰まった丸襟を着ない。首元は大体広く取ってあって鎖骨(デコルテ?)が見える。もしくは袖がかわいい。
いや確かに自分Tシャツ似合わねーなー、と思ってたけど、男女関係なく似合わねーってことを実感した。似合わねーっつーか、あれが普遍の極地でつまりダサさの極地なんだ。
増田の書き込みを考察してみた。同じ売り場で宝くじを買うとすると、その「当たる確率は過去の情報に左右されるか?」というテーマで考えてみよう。
① スクラッチみたいな始めからアタリが出る量が決まっているタイプのくじがプールされている場合は、当たりが出たらそれ以降の期待値は低下する。
② 年末ジャンボみたいなタイプは、翌年度以降の当選するか否かは独立しているので、期待値は左右されないはず。
③ では、当たりが出た店舗から翌年に当たりが出る傾向に「ない」と言い切れるかというと、それは違う。なぜなら、当たると評判になった店舗は人気になって数が出るので、その店舗の当たる確率は上がる。ただし、くじ一枚の期待値と当たる確率は普遍。
まとめると、前年度に当たりが出ると「その店舗の売上はアップする」けど、それで購入者の当たる確率や期待値は変化しないと思う。俺だったら、不人気の店舗で並ばずにくじを買うし、そもそもくじのようなゼロサムゲームに投資しない。
真のスコットランド人論法(しんのスコットランドじんろんぽう、英語: No true Scotsman)、または純粋さに訴える論証(英語: appeal to purity)は、 非形式的誤謬のひとつである。普遍汎化に対する反例を提出されたとき、トートロジーを用いて反例を除外することで主張を防衛しようとする行為をさす[1] [2] [3]。普遍汎化を放棄したり反例を否定する証拠を提供したりせず、客観的な基準の代わりにレトリックを用いて汎化を修正し定義上その特定の反例を含まないようにする[4]。このレトリックは「真の、純粋な、正真正銘の、真正の、本物の」など感情に訴えかけるだけで本質的な意味のない純粋さの形容という形をとる[5]
例
哲学教授のブラッドリー・ダウデン(英語版)は、反駁された汎化の試みに対する「アドホックな救助」としてこの誤謬を説明している[1]。以下はこの誤謬の簡略化された一例である[6]。
B: 「私の叔父はスコットランド人だけど、粥に砂糖を入れていたよ。」
A: 「でも、真のスコットランド人は粥に砂糖を入れないんだよ。(But no true Scotsman puts sugar on his porridge.)」
なんかわかんねーけどよぉ
俺は永遠について考えちまうわけだ。俺は、俺なんかは。
ま、でもそりゃあ珍しいことでもなんでもなくって、
文章書くやつなんてみんなそうだろって思ってたわけよ。
生まれたからにはどんな形でもいいから普遍とか永遠に触れてみてぇ、
まずここにいる俺のためにこの文章はあって、
ほとんど俺とコンテキストを共有できてないような、下手したらほとんど言葉も通じねぇような奴、
そいつに何かが伝わるなんてことを夢想したりするもんなんじゃねぇの。
でも今はもう
今通じることを
ってのが主流なんですかね?
いや共感されてぇってのはわかるよ、俺だってある、今ここで分かられてぇ時もある。
でもね、
昨日はOKだったけど今日はダメ、でも明日んなったらまたOKになるかもしれねぇ代物だろ。
虚空に向かって放つつぶやきだぜ?
どうせ俺らは時代精神ってのにどっぷり浸されちまっていて、
表現の自由、とか大上段に立った話じゃなくてもよ、
俺は書く時くらいは何にも囚われないでいてぇって思うよ。
つーか、何にも囚われない感覚を得るために書くってこともあんじゃねぇか?
【再追記】
ホットエントリに入ってびっくり!
救われます。
フェイク入れてはおるけど…
追記の段階で危惧してたけど、やっぱり少し争点になんてたんで、再追記。
出会いはSNSで、離婚成立するまでチャットだけの関係だった。
それに加え前夫が前夫なんで、彼女は夫が怖くて家をあけられなくて、そもそも不貞行為する余地はなかった。
まぁ、気移りした時点で不倫だと言うなら、不倫なのかもしれんけど。
パートナーの拳を固くしてしまう人か。俺もそう思ってしまったことが、実はなくはないから、ドキッとした。
でも俺は前夫のようにはならない。
なりたくなんかない。
だからってモヤモヤを飲み込むばかりじゃよくないのもわかるけど、難しいね…
とにかく、リアルの友人にはなかなか言えないことが多い関係性だから、愚痴もモヤモヤも抱えて済ますことが多いんだけど、増田に書いたらこんなに反応もらえて、うれしい。厳しい意見も優しい意見も、うれしい。ようやく客観視や普遍化ができて、めちゃ助かるな。
垢貫通が怖くてスターつけられないモヤモヤ!専用アカウント作ってはてブで書けば良かったとまで思う。
同情してくれた人、ありがとう。少し心が軽くなったよ。
そう、彼女がすごく悪いわけではないんだ。
ただ、今までなら気にしてくれていたこと、当たり前だったことがどんどん希薄になっていってると感じて、俺は焦ってたんだろうな。
●結婚願望について
これは俺も彼女もお互いにない。
俺だけないわけでも彼女だけないわけでもない。
一緒にいたいから一緒にいる。
ただ、毎晩どちらかが待つ家にただいまを言って、他愛ない話をして、どちらかが作った食事をとって、ときどきは酒なんか飲んで、きつく抱き合って眠って、毎朝一番におはようを言って、一緒に花瓶の水を替え、コーヒーを飲みグルテンフリートーストを食べ、いってらっしゃいを言う。そんな暮らしが愛しいだけ。
●年齢について
彼女は34だけど俺は27です。
●駅のゴミ箱について
身バレこわいけど俺が使ってる駅にはあるよ。
●サプライズなのか?
俺はサプライズのつもりはなかった。だって本人に何食べたいか聞いてるのだから。
日頃の晩飯は当番制なんだけど、自分が当番の前日に「明日何か食べたいもんある?」って聞くのと同じ感覚だった。
それで「カツ丼がいい」といわれたとして、俺はわざわざ「明日はどこのスーパーでトンカツと卵を買ってカツ丼にするからね必ず一緒に食べようね!」とは言わないで当日カツ丼を出す。これをサプライズとは思わない。
誕生日もそんなつもりだった。今までリクエストされれば必ず答えてきた俺が、今回も当然寿司を用意していると、想像してくれなかったかな…と思って悲しかった。
●彼女の人となりについて
実は彼女はバツイチだ。前の夫はモラハラやDVが激しく離婚をした。
離婚前、彼女が夫との関係に悩んでいた頃に俺はよく相談に乗っていた。
そんな中で彼女は俺に恋をした。それによってDVモラの前夫に対する依存心から開放されたらしい。
彼女自身の身を守るためにも、俺と一緒になるためにも、離婚が必要だった。
離婚調停は半年ほどで和解という形で終わり、彼女と俺は新たな人生を踏み出そうとしたのもつかの間、
前夫の親族は彼女をたくさん責めたようだ。あの頃の彼女の憔悴ぶりを思うと辛い。
それ以来彼女は気を病み、俺と一緒になりたいという思いは無くなったらしい。
彼女自身の親族に対しても、前夫の自●という点で気まずいものがあるらしく、彼氏がいるとバレるのはイヤなんだと思う。
前夫を自●まで追い詰めておいて、自分だけ幸せになるわけにはいかないと言っていたことがある。
(トピック外だが、前夫との婚姻関係中にもこんな風に誕生日当日に実家帰ったりしてたの?してねえんじゃねえの?とか思ってしまってモヤモヤすることもある。本人に言えんけど)
●それに対してどう思うのか
あんな前夫でも彼女なりの葛藤や思いがあるだろうから、(俺も思うところがないわけじゃないけど)基本的に見守ることに徹している。
本文に書いた通りなんだけど、俺自身結婚したいとか子供が欲しいとか思わないタイプ。ただ一緒に居たいから一緒にいる。それだけの関係。
(彼女が「結婚してくれないなら別れる」とか言い始めたら流石にすると思うけど、上記の通り彼女も結婚願望はない。)
でも、だからって優先度を下げられたり、存在しないものとして扱われるのは傷つく。
基本的に彼女には幸せであってほしいし、幸せになる権利はあると思っている。
前夫のことを気に病むあまり幸せを拒絶する、その一環で俺に対して好き避けのようになっているなら、閉じた手のひらを開いて上げたいと思うし、
彼女の幸せのために俺が力になれないのなら、身を引かないといけないとも思う。
でも全部思うだけ。俺に彼女の苦しみや葛藤を肩代わりしてやることはできないから。
彼女が願いを口にできる時まで、ただ寄り添っていたいと思っている。
だから俺は思ったこととか言えんことが多くモヤモヤしてるんだろうけど。
●他の男はいるのか
こればかりは絶対ないとは言い切れないよね。
でもまあ、毎日定時で帰ってくるし、土日も毎週一緒だし、家ではスマホ触ってないし、飲み会に行けばメンバーの写真を送ってくるし、セックスやキスを拒まれたりもしないから、多分無いと思うんだがな。
それに、上記の通り、彼女は新しい恋ができる精神状態でもないとも、思う。
男だったら、よそでしてたら弾数的な問題でバレそうな気がするけど、女性はどうなんかね。外でしてきてからでも、できるんかな。
【追記ここまで】
俺はその数日前に「誕生日何食べたい?」って聞いてた。彼女は寿司と言った。
俺は彼女の誕生日に寿司を予約して、ケーキも予約して、仕事は早退の準備をしていた。
同棲しているから基本的に毎晩一緒に飯を食う。そのルーチンの中に自然と寿司とケーキが組み込まれるだけだ。
わざわざ彼女の予定を抑えるようなことはしていなかったけど、誕生日に何を食べたいか確認し、彼女もそれに回答したことで、当日は予定開けといてくれるだろうと思ってしまった。
それが間違いだった。
なんと誕生日の当日の朝になって、急に彼女は「今日は実家で食事してくるから」と。
は?と思った。
寿司食いたいって言ったじゃん。俺、そのために寿司予約したんですけど。仕事は時間有給もとったんですけど。
しかし、確かに、何が食べたいか聞いただけで、その後のこと、たとえば寿司予約しただとかテイクアウトだから家で食べようだとかは言っていなかった。だから、聞かれただけだと思ったんだろうか?
今まで俺はこういったことはすべて無言実行してきたし、彼女はそれを見てきたはずなのに。
次に、34にもなって、恋人と同棲していて、実家で誕生日パーティって何だよ。と思った。
マザコン?ファザコン?誕生日当日じゃなくてもよくない?後日とか前日でもよくない?
だいたい誕生日の3日前に父親と二人で飲み行ってただろ。そのときでよかっただろ。
彼女は何かと理由をつけて結婚したがらない。ご両親にも俺を紹介してくれない。
多分俺の存在を隠している。彼氏がいるということを隠している。
恋人がいないというアリバイ作りのために、わざわざ誕生日に実家に顔を出しているような気すらする。
結婚願望がない俺だから、普段は別にいいかと思って過ごしてるけど、こうして存在を押し隠されたり軽んじられたりするのは違うんじゃないかって思う。
突如、当然のように放たれた「今日は実家で食事してくるから」という言葉を前に、とっさに俺は何も言えなかった。
「あそう」と返して終わった。
寿司は一人食おうと思って受け取りに行った。
ケーキは、もう取りに行くのやめようかとも思ったけど、ケーキ屋は悪くないし、金は払っとかなきゃなと思って、一応受け取った。一口も食べずに駅で捨てた。
一人で寿司を食いながら上のようなことを考えてイライラした。なんでとっさに何も言えなかったんだろう。
「寿司予約したのに」と言ったところで実家を優先されるだろうことがわかっていたからだ。傷つくのが怖くて何も言えなかった。
食べきれなかった寿司は捨てた。
帰宅した彼女は何の悪びれもなくただいまといって俺の隣りに座った。明らかにゴミ袋の中の寿司に気づいた様子だったが何も言われなかった。
彼女は、悪意を持ってというか、俺の好意を踏みにじる覚悟はあったのかな。それとも本当に天然なのか。
俺も察してちゃんすぎたかなとも反省する。朝、「寿司食いたいって言ったじゃん」って怒ったら違ってたかな。夜、「寿司取ってたんだよ」って言ったら、謝ってくれたんかな。
そもそも謝られたいのか?俺は。
でも、彼女の中で、俺の存在感って、どのくらいなんだろ。と思った。
あんなに俺のことが大好きで、何をするにも俺と一緒がいいと言って俺のあとを付いてまわっていた彼女は、もういないのか。
モヤモヤする。
私は哲学徒としてかなり落ちこぼれだったが、学んできた中で印象的だった哲学者が何人かいて、そのうちの一人がデカルトである。
デカルトの最大の功績は、「世界の共通理解を作った」事にあるんだよと私は習った。つまりそれは、cogit ergo sum,我思う前に我ありにあたるわけだが、この「世界の共通理解」とは何か?
それは、どのような考え方を持っていたとしても、どのようなバックグラウンドであるとしても、人類皆んなが普遍して持てる考え、である。デカルトの場合は、16世紀当時、「神は本当にいるのか? いないのか?」みたいな事を真剣に話している知識人たちの中で、こうした考えを打ち立てた(どんな考えであろうとも、共通して持てる考えとして)。
これは現代でも、特に人とコミュニケーションをとる時に私がおりに触れて思い返す概念だ。
人とコミュニケーションをとる時に、「相手との共通理解は何処まで出来ているのか」と考えてみる。そうし始めてから、格段に仕事がやりやすくなった。
こうする事で、行き違いが格段に減る。こっちはこうだと思ってたのに、とか、あっちは違うことを想定していた、とかがグッと減る。この共通理解を埋める、双方で同じ土台を作るためには、相応のコミュニケーション的手間が生じる。そういう手間を惜しまないようにする事が、自分にとっては大事な事だった。
現実世界を生きていると、この「共通理解」の概念がすっぽり抜けている人に沢山会う(というかほぼ全員)。つまり、自分にとっての常識が他の人にとってもそうだ、というのを全く疑ってかからない人たちだ。ネットにも沢山いる。
そりゃあ、そんな人たちで話し合ったりしたら、トラブルも起きますし精神も疲弊しますよね、と思う。
確証バイアスという言葉があり、それは、人は自分の見たい情報だけ見てしまって、自分にとって都合が悪かったり、或いは興味を持っていなかった情報に関しては、見たい情報のそばにあって、見ているのにも関わらず、そもそも「見ていない」と認知の歪みが発生してしまう、という概念だ。
共通理解を怠らない、という事は根本的であり、ある意味、他者を理解するとは何か、という壮大なテーマに関しても、重要な示唆を与えてくれる。