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2023-07-31

東京に住んでるだけの人って、どうやって文化享受してるんだろう。

西日本のよくある地方都市に生まれて。

大学だけ関西マンモス私大に通っていた。(院は京都)

関西は、文化的趣味(美術音楽、古伝を基礎にした先端の感性に触れる)機会があって、けっこう楽しかった。

大阪京都神戸。どこも自分の住んでいた古い町よりも深くて大きくて驚いた。驚くことで調べて地元の深さ広さ高さ長さも知った。「大阪」や「東京」という一語にくくれない。どんな都市文化だってそうだ。自分の街も関西についても0.4%だって知らなかったなってイキり散らした間抜け自分ダメージ

最先端のものを追いかけて、日本上陸サムシングに群がる有象無象クルクルパームーブって虚しいなと思った。彼/彼女らは、たいてい東京に3店舗くらい来て3年待たず撤退する不良債権みたいな事業ばかりを追いかけてる。殺虫灯に走っていく夏の夜の虫みたい。

もちろん、東京しかないものもあるだろう。人口が多いから成立する商売だ。たしかに5%くらいは東京のものかもしれない。でも5%なら、その他の市町村にも固有性はあるんじゃないだろうか。語彙「文化」は、まさに、そういった普遍性固有性を汲み上げるための教養であり、それを支え、そこに参与していく主体性と不可分ではないだろうか。

から東京に住んでいることだけで、自分たちを文化の中心にいると勘違いしてる人を見ると哀れだなと、としみじみ思った。

それで、社会人になってからだ。

出張に行くことも増えてきた。

そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市の豊かさに心打たれるようになった。

ここには、東京でやった展覧会巡回展も来てくれない。海外アーティストライブだってやらない。でも国会図書館にはアクセスできる。

こういう場所暮らしている人々もまた、それぞれに趣味を楽しみ文化をつくっている。自分のいる場所が中心じゃない。

大人になると誰でも、この程度は判る話だ。

辛くならないんだろうか。東京に住んでるだけ、海外文化消費者第一人者自称することで、文化つくってる気になるなんて。

まあ、地方だって展覧会には行列ができる。でも東京で数時間ならんで観るくらいなら、その時間で、もっと文化的で豊かなことできそうだけど。

寂れた東京痴呆民の戯言だけどね。

なんか、悲しくなってきた。

追記

地方文化なんて単なる消費じゃないか!みたいな意見が大きな釣り針で垂らされていて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

海外から東京地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは深く長く高く広い伝統文化と、そこから湧出する人類普遍文化的性質との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが人間醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

文化」は東京に住んでるだけでつくれるモノじゃ、ないんです。

海外で生まれ文化を、周回遅れで東京享受する。

そんな受け身体験は、消費であって文化ではない。

または、京都奈良のような古都について。

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかける人々にも出会えない程度の人脈と教養しかなかった君のどこが文化的なの?

まあ東京4世代から住んでいて、かつての東京の深みのようなものを、ある程度まで理解してるなら別だけど、住んでるだけなら、もはや首都神話観光業界が生み出したファンタジーだってかると思うけど。

東京サロン文化だなんて言うけど、どこでももサロン文化あるからね。明治維新の頃に、日本近代化したの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

東京の雑踏に住んでいたら新しいもの出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの。そして人類の多くが集まって暮らしてる。

あと、蛇足だけどガルシアマルケス翻訳をみたの?原文を読んだの?

2023-07-30

やはり地方の人は東京文化というもの理解できていないのでは?

都心3区出身の本人だけど。

東京文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは海外から異文化との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが都市生活醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

美術美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかやすく書いただけだよ)

東京"で"生まれ文化を、周回遅れで地方享受する。

そんな受け身体験こそ、消費であって文化ではない。

もしくは、京都奈良のような古都

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?

まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。

京都サロン文化だなんて言うけど、東京サロン文化からね。明治維新の頃に、華族は皆東京に移り住んだの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

田舎の畦道を歩いたら蛙に出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの

あと、蛇足だけどガルシアマルケス短編集読むと過大評価だってわかるよ。

2023-07-27

東京に住んでない人って、どうやって文化享受してるんだろう。

都心3区に生まれて。

大学だけ京都の某大学に通っていた。(院はやはり東京)

関西でも、文化的趣味(美術音楽最先端海外文化など)って、けっこうキツかった。

大阪京都神戸を合わせて、東京の4割くらいのイメージ

最先端のものはほぼないし、日本上陸サムシングも、たいていは東京に3店舗くらい出来てから関西に来る。

もちろん、趣味の95%はカバーできるんだと思うけど、上澄みの5%は東京しかない。

言ってみれば、京都首都だった頃の一級品は京都しかないのと同じだ。

から東京に戻ってきたときは、ああこんなに恵まれてるんだな、としみじみ思った。

安くて美味しいご飯は多いんだけどね、関西は。

それで、社会人になってからだ。

地方出張に行くことも増えてきた。

そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市に行くわけだ。

ここには、東京でやった展覧会巡回展も来てくれない。海外アーティストライブだってやらない。国会図書館だってない。

そういう場所暮らしている人って、どうやって趣味を楽しんでいるんだろうか。

大人になると誰しも、尖った趣味の一つや二つはあるだろうに。

辛くならないんだろうか。

まあ、東京だって印象派展が大行列

寂れた世界地方都市だけどね。

なんか、悲しくなってきた。


追記

東京文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは海外から異文化との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが都市生活醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

美術美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかやすく書いただけだよ)

東京"で"生まれ文化を、周回遅れで地方享受する。

そんな受け身体験こそ、消費であって文化ではない。

もしくは、京都奈良のような古都

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?

まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。

京都サロン文化だなんて言うけど、東京サロン文化からね。明治維新の頃に、華族は皆東京に移り住んだの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

田舎の畦道を歩いたら蛙に出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの

あと、蛇足だけどガルシアマルケス短編集読むと過大評価だってわかるよ。

2022-01-06

anond:20220106113422

いやどうかなあ。

言わんとしたいことはわからんでもないが。

でも、拒否している側に歴史文化的背景があるばあいもあって、そういうのを「文化側が一般人に立ってない」とか呼ぶのが正しいのか?

 

萌え絵派っていうのが、「ガルシアマルケスも踏まえてない、ラノベはクソ」と言っている奴ら、かもしれん。

 

というか俺の認識はそうなんだが。

文化が洗練されると一般人から理解されなくなる現象

能とかが顕著

洗練され過ぎた伝統芸能は、普通の人はよくわからないし、気軽に能見に行く人は現在は少ない

歌舞伎なんかはもうちょっと大衆に浸透しているけど、それでもやっぱり格式が高くて難しいイメージがある

文学もそう

大衆小説やラノベなら読めても、ガルシアマルケス読むのは苦痛だった

円城塔はいくら読んでもわからない

現代アートなんかもそう

部屋中にスプーンが散乱してる様を見せられても頭抱えるし、ホールマラソンランナーが走り抜ける、とかを展示と言われても反応すらできない

これらの現象が生じる理由は、芸術表現技術継承習得過程で、それなりの作法や慣習、お約束事を学ぶ必要がまずあるから

その結果、技術歴史的背景への理解が深まり一般人の知り得ない見え方感じ方の習得も行われている

そして、芸術作品というのは過去にあった作品の発展形や、過去芸術家に対する解釈さらに新たな作品として世に出すこともある

まり作品時代の流れの中にあり、単品では完結し得ない

そのため、目の前のものだけでは理解必要材料が揃っておらず、理解には前提となる膨大な知識要求するようになっているのだ


ポップアート、いわゆる美少女イラストなんかも当然そうなっている

親しみやすく感じ取りやすいがため、一般人ポップアート理解できている気がしているから、批判も起きやす

が、本当は能がわからないのと同様、ポップアート全然わかっていない

歴史的には春画からまり戦前はノラクロ三等兵、そしてひみつのあっこちゃんにキューティーハニー、そしてミンキーモモあんみつ姫を経て、スレイヤーズなどの時代から萌え絵という概念誕生する

そしてスレーヤーズ的な絵柄からハルヒ的な絵柄へと変遷があり、さらに今はラブライブ的な絵柄がイラストアニメに携わるイラストレーター、アニメーターたちの、”お作法”となっている

これはまさに時代の中の芸術の変遷であり、我々がラブライブイラストを街で普通に見るのは、いわゆる同時代性と呼ぶべきものであろう

イラストレーターの技術継承や絵柄の流行り廃りがあるからこそ、岸田メルやさいとうなおきなどのような、現代の優れたイラストレーターがこの時代に優れたイラストを描ける

から彼らのイラストは今の世でお金の動きを生む

しかし、それらを「不快萌え絵」と呼び嫌悪する方が存在する、というのはつまり、他の芸術と同様、ポップアートに対する背景を共有できない者が存在する、ということだろう

イラストに関連する現代文化のものが、洗練されすぎ、先鋭化していっているがために、イラスト文化アニメ文化を共有できない者の理解が追い付かなくなっているのだ

この現象を軽く考え、反萌え絵派をただ批判するというのは、「ガルシアマルケスすらわからないやつがラノベ面白い、とか言ってて笑う」とか「高師直も塩冶判官も知らないやつが忠臣蔵ドラマ見てて笑う」みたいな態度と言えるだろう

まり一般人はどちらか?を認識する必要がある

歴史的文化的背景の継承者のみしか理解できない芸術は必ず尻すぼみになる

絵や文字は、わかっていると勘違いやすものであるため、この認識を持ちづらいのも問題であろう

一般の場に出す実用作品に、背景を要求するものは相応しくない」というのも、萌え絵に関する議論で考えるべきひとつの側面だろう

 
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