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はてなキーワード: 性的マイノリティとは

2022-04-03

同性婚エイプリルフール命題

乃木坂46メンバー、「同性との挙式」をエイプリルフール投稿し物議。「性的マイノリティネタとして消費」と専門家

https://news.yahoo.co.jp/articles/00a1935ffce9837a1749b7ce8423912c4747dca0

この記事の主張について心情的な面は理解できるのですが、立場を置き換えた場合論理的矛盾する主張になるので、舌禍の種になりそうな気がしました。

該当する主張はこちらです。

同性愛エイプリルフールネタとする発想は、同性愛自分にとって『あり得ないもの』と想定していることからまれます

言い換えるとこういうことです。

これが成り立つには、対偶も成立しないといけません。

このため元の主張が通ってしま場合異性愛の方が異性同士の結婚と同じ感覚エイプリルフールに同性との結婚示唆した場合、その方も同性愛否定派とみなされてしまます

2022-03-27

性的マイノリティを認める風潮と少子化対策

性的マイノリティ社会的に受け入れるのならば

異性愛者の家庭は3人子供を産まないと

人口が減るよね

人間性特に問題がないのに結婚しない人が性的マイノリティである確率はどれぐらいか

大企業勤務、仕事ぶりは真面目で、外見も普通、何も問題ない

男女がなぜか結婚していないケースはよく見る

社員全体の1〜2割くらいいるんじゃないか

彼・彼女らは性的マイノリティなのか

大企業勤務で経済的に生涯独身問題ない

のだから独身選択するのか

2022-03-02

ただの人間には興味がありません

この中にレズゲイバイトランスがいたら、あたしのところに来なさい。以上。

性的マイノリティに寛容なハルヒ

性的マイノリティの分類がどんどん増えていく度に思う LGBTってやっぱ面倒でキモいんだなって

「俺は俺。それ以上でもそれ以下でもない! 人それぞれ性的嗜好自由です!」で終わりの方が簡単でええやん なぜより一層世界を複雑にするのか

一括りにできないからこそ機械的基準(具体的には肉体の性別)で分けるべきだろ 全部個別に細かく分類してたらキリがない

その癖ちょっと間違えるだけでポリコレ棒が飛んでくるし…… これじゃあLGBTへのイメージが悪くなる一方だ

2022-02-19

大学で受けたLGBT授業も異常だった

anond:20220218111247

自分大学教育学部で異常なLGBT授業を受けた。

導入はセックスジェンダー性自認性的指向についての解説から。そしてLGBTQは1クラスに1人以上いるので他人事ではないという話。ここまでは良かった。実際そこで初めて明確に性自認性的指向という単語認識した覚えがある。

次に性自認性的指向の様々な組み合わせについて話は移っていった。

レジュメを参照しつつ、講師が以下のように解説を行なった。

性自認女性性的指向男性な人・性自認男性性的指向女性な人:異性愛者・ヘテロセクシャル

性自認男性性的指向男性な人:ゲイ

性自認女性性的指向女性の人:レズビアン

性的指向男性女性両方の人:バイ

割り当てられた性別性自認が異なる人:トランスジェンダー

問題はここからだった。

講師「ではクイズ! 性自認男性性的指向男性な人は何と言うでしょうか?」

異性愛者、ゲイレズビアンバイ選択肢が出され、「ゲイ」で一斉に手を挙げる学生達。当然自分ゲイで手を挙げた。勿論正解はゲイ。そこからレズビアンバイ異性愛者、トランスジェンダーへと問題は進み、見た所学生達の正答率は100%だった。

講師「では次の問題身体的には男性だが、性自認女性で、性的指向女性な人は何と言うでしょうか?」

少しざわつく教室選択肢はいくつかあったが、「異性愛者」を選ぶ学生が最も多かった。

講師は「あちゃ〜」と苦笑いして、こう言った。

「『異性愛者』が一番多かったですが……みなさん不正解! 正解は『レズビアン』です!」

教室中に「???????」の空気が流れたと思うのは自分の気のせいだろうか。

少なくとも自分は全く納得できなかった。頭の中は(まぁ性別適合手術をして性器や胸部が女性のようになった元男性ならレズビアンとも言えなくもないかしかし未手術でただ心で女だと思ってるだけの人までレズビアンと呼べるのか?というかレズビアンの人はこういう人をレズビアンと認めてるの?)と疑問で一杯になった。しか講師は「性自認女性性的指向女性な人は、身体の性に関わらずレズビアンと言うんですよ〜。タメになりましたね!」くらいのあっさりとした説明で次の問題に移ってしまう。

講師「じゃあこれはどうかな〜。身体的には女性だが、性自認男性で、性的指向男性な人は何と言うでしょうか?異性愛者だと思う人?」

学生「…………」

講師「ではゲイだと思う人?」

学生(全員が手を挙げる)

講師「正解〜!いや〜、やっと分かってきたね」

満足げに笑う講師を見て、「これは学問ではない。洗脳だ」と感じた。

要はこのクイズは「講師の顔色窺いクイズ」であり、授業自体が「講師が正しいと思ったことが正しく、正しくないと思ったことは正しくない」という論理に従って構成された、ただの政治演説洗脳装置だったんだと感じた。そして心からガッカリした。教育学部の授業だったので「こんなんだから教師の質が上がんねーんだよ」という悪態も心の中でついてしまった。

その日1日はこの授業への疑問が頭を離れなかった。以来、性的マイノリティについて関心を持ち能動的に記事当事者発言をチェックしているが、今でもあの授業に対しての疑問は消えていない。

トランスジェンダー女性レズビアンと呼んだり、トランスジェンダー男性ゲイと呼んだりする、その主義主張全面的には支持出来ないが、そういう捉え方をする人間もいるということは理解出来る。

しかし、大学で授業をするのに、常識から逸脱したこと根拠も示さず「これが正解だから」だけで真実かのように取り扱い、学生に考え方を強制するのは、異常と言うほかない。

実際その授業を受けて感じたのは「LGBT教育をする人は、一方的に考えを押し付けてくる人なんだな」という偏見だった。

anond:20220218162536

石原慎太郎に対してはいつもいつも上野先生が擦られるけど、上野先生マザコン少年の本が絶版に追い込まれたり、移民に関する発言謝罪に追い込まれたりと、決してキャンセルとは無縁ではないんだけどな。

フェミニズム的言説にポリティカルコレクトネスが力を貸せるのは、あくま弱者である女性を守り、強者である男性に対抗するときだけ。

草津松戸の件でも正直ギリギリだった。

勢い余って障碍者外国人性的マイノリティといった別の弱者言葉の刃を向けた日には、さすがのフェミニズムポリティカルコレクトネスに見放されるんだよ。

石原慎太郎上野先生、たぬかなのなかで唯一最後までキャンセルされずに済んだのは石原慎太郎

まり日本社会がそれだけ男尊女卑ってこと。

まさに東大入学式祝辞で擦られた通りの社会だよね。

2022-02-11

考えすぎ、あんた。めっちゃいわれる。

これはお気持ち表明にしかならないんだろう

 マイノリティーに配慮なのかそれともそれが"流行り"なのか分からないけれど、漫画ドラマでここ数年増えてきたなと思う。

正直言ってまた出てきたよと思ってしまうんだよな。

こんなに理解してもらえてカミングアウトしてその人をみんなが受け入れる、かなりファンタジーだと思ってしまうし若い人がそれをみて鵜呑みにしてカミングアウトして傷つかないといいなと思う。

 まあ「理解しよう、カミングアウトを受け入れよう、多種多様な愛の形を受け止めよう」がその漫画ドラマにある目標なのかもしれないが、年齢が上がれば上がるほどマイノリティに対する嫌悪感はまだ抜けていない。

 上司に「俺は性的マイノリティを認めよう、正直絶対気持ち悪いと思ってるんだよね。別にいてもいいし誰を好きになってもいいけどそれを言われるの気持ち悪くない?こういう俺の考えも権利としてあっていいよな」たしかこんなことを言っていた気がする、隣で話を聞く私がその当事者なんて知らないだろうし、言ってもない。ここで私がそんなこと言ったら傷つきますよ、とか差別的ですよって言えたらなにか変わったんだろうか。

 私は職場自分の身可愛さに否定もできず笑って流すしか出来なかった。

 その会社飲み会とある番組の話になった「視聴者から意見を集めて"一般の人"からマイノリティへの質問や疑問を集めて答えます。」という趣旨番組で、cmで仮の質問として使われてたのが「もしカミングアウトされたら?」という質問、あぁやっぱりカミングアウトされたらどうしようと悩む、質問をしなければならないほど私は"気持ち悪い存在で、まともな人とは違う"のかと毎度そのcmを見るたび思う。

 そんな些細なことと思える人もいるのだろう、ただ私は毎回"人とは違うのを受け止めよう"は辛い。

 またこんなことを書くとだからお前らはめんどくさいんだと言われるのだろうな、ほっといてくれればいいんだ。特に特別扱いせず、漫画ドラマも。

2022-02-10

反出生主義者にとって天国となる現代

1. はじめに

反出生主義は、昨今のインターネットにおいて注目を集めている思想の1つである

この思想はしばしば誤解されがちで、「陰キャ非モテの妬み嫉みからまれルサンチマンの申し子」のごとく扱われる。しかし、大筋としては「現在生きている人が死ぬべきであるという主張」ではなく「産んでしまうこと自体苦痛の押しつけである」という建付けのロジックとなっている。

その具体的な論法はそれなりに複雑で、論理展開自体も多くの批判を浴びてきた。それでも、未だにある種のバズワードとして、「反出生主義」はインターネットに巣食う若者の語彙に侵入している。

ただし、個人的意見だが、思想というものはそれを実行する行動があってはじめて充足されるのだと思う。国会前で手作りプラカードを抱えて珍走する路上高齢者も、大人とつるんで政治的フレーズを口から出力する高校生大学生も、その点においては真摯な態度だ。TwitterJAイラストケチをつける自称フェミニスト諸氏も、自らの思想との向き合いかたとしては評価できる部分もあるのだとは思う。少なくとも、2chTwitter匿名垢で独自理論を垂れ流しながら具体的には何の行動もしないオタクくんよりは遥かに好感を持てる。

では、反出生主義者を自負するインターネット戦士諸君要求される「行動」とは何なのだろうか。

それは、ひとえに「女性の権利擁護」「性的マイノリティ権利擁護」「高齢者権利擁護」の3本柱に集約される。


2. 女性の権利擁護

女性の権利擁護表現すれば、一見するとTwitter-feministを想起させる危ないフレーズうつるしかし、女性の権利擁護特に産まない自由」や「独身謳歌バリバリ働く自由」を擁護することが肝心である

これは、現代価値観においては正しいとされる内容である。このことを口に出したところで、いわれなき批判を受ける機会はないと断言できる。だからこそ、反出生主義者にとっては格好の隠れ蓑かつ武器となる価値観である確信している。

産まない自由謳歌していただくことは、女性にとってもキャリアの中断(産休育休であれ、中断には変わりない)や育児コストを削減するのみならず、固定のパートナーに拘束されないことで気軽な恋愛を楽しめる期間が継続するという確固たるメリット存在する。そして、反出生主義者にとっては言うまでもなく、思想の方向と合致する結末に繋がるルートである。そして、この自由を長く謳歌することは、生物学的束縛によって「産めない状態」へと繋がる。そこで不妊治療等を頑張ったところで、多くの場合は1人程度の子供を持つのであるから頭数としては減らすことができる。仮に、ひたむきな努力の末に2名の子を授かることができたとしても、頭数は決して増加しない。その点でも、女性にそのプライベートキャリアを追求していただくことは、反出生主義者にとって好都合である


3. 性的マイノリティ権利擁護

性的マイノリティ古典的統計としては、全人口の1割程度を占めるとも主張される存在である。そのカテゴリの人々においては(彼らとも彼女とも表現しづらいので、少なくとも合意形成できるだろう点として人という表現採用している:これは、自らを人以外の生物物質であると主張する方々の権利侵害する意図をもって行われている表現ではないということを断らせていただく)、子を為すことが現行のバイオテクノロジーによっては不可能である場合が多い。私は任意の2名が結婚という契約を結べるように社会体制を再構築することが急務であると心底確信している。個人的思想としては、他人カップルがどれだけセックスしようがどうでもいいし、結婚しようがどうでもいいのだ。興味がない。だからこそ、勝手にしてくれればいい(それによって私は一切困らない)。

ただ、これを反出生主義のポジションから眺めると、所謂クィア思想が普及し、子を為さなパートナーシップがますます増加していくことは、積極的に歓迎すべき事態であるといえる。社会的にこれらの思想擁護することは、従来であれば「社会義務的に」子を為すことを強いられていた人々が、その苦痛を受けることなく、過ごすことができる。望まれて産まれてきたわけでもない子供の数を減らせるなど、喜ばしいことでしかない。虹のふもとには黄金つぼなど存在しない。


4. 高齢者権利擁護

高齢者とは、日本社会における最多数派であり、常に最大派閥世代として生き永らえてきた階層である。彼らの医療福祉に多額の金が流れ込んでいることは明らかであり、一方で次世代教育への国家投資がないがしろにされてきたという指摘は昔からよく為されていた。

労働者から徴収される諸々の金額総計は近年著しく増大している。消費税増税でガタガタ騒ぐ世間は、この部分についてはあまり取り上げないという印象が強い。また、既存の控除等が廃止することも注目されず、こうして現役世代からの集金システムは年々強化されてきている。

サラリーマンの平均年収が400万円前後である一方で、都市部なら家賃含む生活費地方部なら車の維持コストなどがベースとして重くのしかかる。子供を作れば一層の負担が追加される。出生に対し、経済的に大きなアドバンテージを与えられることもない。

若者子供を持たない理由として一番挙げられているのは、経済的不安である。これは統計事実として存在しており、逆にいえばこの不安が解消されることがある程度出生率改善寄与するだろうことは推察されうるわけだが、そうした抜本的な変革は未だ行われない。それは社会全体として出生をサポートする気がないし、高齢者延命生活環境の方が大事であるという強烈なメッセージ以外の何物でもない。

この事実は、出生をしたくてたまらないが大して金のない若者にとっては悲惨現実であるしかし、反出生主義者にとっては、自らの望む結末を実現する上でこの上ない支援である国家自分たち思想からまれる結末)をバックアップしてくれるなんて、滅多にありえないことである

まだ産まれてきていない人のことより、もう産まれた人の権利を優先するというのはある程度理解できる。また、すでに産まれしまったのポジショントークとしても、自分が老人になったときに優先されるのだ(実際はどうなるか全くわからないが)から比較的取りやすポジションだと思われる。別に子供など産まなければいいのだから......

そうして、出生数は減少し、反出生主義者の望む結末が得られる。


5. おわりに

反出生主義者は、そのことを表明するたびに、様々な誹謗中傷を受け取ることとなる。

ときには単なる逆張りとして、ときには嫉妬表現として、嘲笑の下に処理されることも多い。

しかし、時代の流れとしては、反出生主義者の望む結末へと漸近しつつある。

そんな中で、反出生主義者らが取るべき行動とは、この方向性を後押しすることである女性の権利擁護につとめ、性的マイノリティの人々の自由を願い、高齢者の方々が充実された余生を過ごせるよう陰ながら見守ることが求められている。その先に、必ずや人口の致命的な減少という結末が訪れると信じて、日々の無味乾燥とした生き地獄を生き抜いてほしい。(別に生きることを推奨しているわけではないので、自由にすればいいが)

2022-01-17

LGBTはんこ」がデザイン賞をとってしまLGBT後進国日本

★この記事はいわゆる「"LGBT"教育」についてそのへんの素人が管を巻いている話です★

前段は省くが、高校生対象としたデザインコンテスト毎日・DAS学生デザイン賞 第36回高校生デザイン賞)の結果一覧を見た。

その中の「プロダクト部門」で部門賞を受賞している作品が(より正確に言うなら、この作品部門賞を受賞していることが)むちゃくちゃショックだったのでここに書いておく。

最初に言っておくと、私は受賞者を非難したいわけではない。

審査員非難したい気持ちはなくはないが、問題日本全体のLGBT理解の鈍さだと思うので、運営毎日新聞社と(一社総合デザイナー協会)だけを責めるのも違うと思う。

「これが日本の現状なんだよなあ」みたいな諦め感と「それにしてもひどいな!?」という憤りを書き散らしているだけなので、関係者の方々はどうか適当に読み飛ばしてほしい。

早速本題に入るが、本大会プロダクト部門賞受賞作は、『Say hancall』という作品であるこちら作品紹介のスライドを見れば分かる通り、「性別」を表す記号を組み合わせた図柄の「はんこ」が4つ並んでいる。

以下、スライドに書かれた文章引用する。

みなさんは「LGBT」について考えたことはありますか?
日本異性愛者が一般的だという考えが多いと思いますが、少なから同性愛者・両性愛者・心と体の性が一致していない人がいます。今もなお、そのような人たちへの差別意識がある人は多いのではないかと思います。ですが、人生は一度きりだし自分らしく生きるのが一番だと思いませんか?
そこで私はSay hancallを提案します。男女の記入欄にぽんっと押すだけで自分の性を理解してもらえます。世の中のイメージ無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。


デザイン意図としては、いわゆるシスヘテロ(「心身の性」が一致する異性愛者)が「一般的」な日本社会で、LGBT当事者差別に負けずに「自分の性を理解してもら」い「自分の性をオープンに楽し」むことを応援する、「LGBT理解」を目的にしているのだろう。

しかし、私はこの作品がその目的を達成できているとは到底思わない。むしろ逆効果なのでは?とすら感じてしまう。

以下にその理由を思いつくまま列挙する。

・「男女の記入欄」に何で性指向を記入しなければいけないのだろう? 性指向に関わるLGBと性自認に関わるTを同列に扱うこと自体に無理があるというのはもう散々言われていることだが、現在日常的な質問で「性別は?」と聞かれて「異性愛者です」と答える機会はまずないだろう。にもかかわらず作品企画としてそれが通ってしまうのは、日本LGBT教育いかに「性的マイノリティー」の解像度を上げないままお題目だけ唱えているか証左ではないか

・「自分の性を理解してもら」うことをカジュアルに考えすぎではないか。性指向性自認に限らず、人種家族構成など自分が持つ「マイノリティとしての属性」を誰かに打ち明ける、理解してもらうということは、本来すごく負荷がかかる行為だ。嫌われるかもしれない、わかってもらえないかもしれない(そして現実としてそれが杞憂で終わらないことは少なくない)……当事者たちは、そんな不安を抱えながら、カミングアウトする/しないを決めている。間違っても、マジョリティ側が「自分らしく生きるのが一番! 言っちゃおうよ!」と強引に背中を押すことがあってはならないはずだ。

徹頭徹尾「"LGBT"問題」を他人事として扱っている雰囲気がある。LGBT当事者が「自分らしく生きるのが一番」だと思っていないとでも言うのだろうか。そうしたくても社会や周囲の人々、内面化された自分自身の偏見から、「自分らしく生きる」ことを抑圧されているケースが多数ではないのか。「世の中のイメージ無視して自分の性をオープンに楽しんで欲しいです。」などというのは、本来マジョリティ側が負うべき、現在差別的な社会是正する努力放棄した上で、マイノリティが「自分の性をオープンに楽しむ」ことを強要し、それをもって「LGBT差別の根絶」を図る、極めて傲慢とも捉えうる発言だ。

以上のような理由から、私個人はこの作品を受け入れ難かったし、もしこれが「LGBT理解を促進する素晴らしいデザイン」だと称賛されるのなら、それはとんでもない話だな、と思わざるを得ない。

2022-01-14

女装が受け入れられなかった

気になってる人が、ストレートトランス願望がある人だった。要は、恋愛対象は異性だけど、女装も好きで、女の子みたいになりたい。

 

最初普通に話していたが、ある時スイッチが入ったらしく、だんだん幼稚園児のような声を出して甘えたような我儘風に話しかけてくるようになった。

会話内容駄々っ子のようになって、小さなお姫様扱いや貢物を求められるようになった。

私はスパダリを求められる男性ってこんな気持ちなんだろうな、と思いながら保育士のように対応したが(別に赤ちゃんごっこはしていない。ただ4〜5歳くらいの幼女にするのと同じ対応をした)、そのようにしながらこの人と付き合うのは絶対にないなとすっかり冷静になった自分もいた。

 

彼をLGBTQsに含めて良いのかわからないし、これが性的マイノリティの話なのかもわからないのだが、自分はLGBTQsに対しては比較好意的だと思うし、むしろ自分がなんでもいけるPセクシャルだと思っていた。実際に女性とも交際経験がある。

でも、実際にこうして目の当たりにすると、自分はどう考えても筋骨隆々で白シャツジーンズみたいな人の男性の方が圧倒的に好きだと気付いてしまった。

可哀想だけど、大きな体で幼い女の子のように振る舞うその人に、「彼氏になりたい」「他の人でなく自分を選んで欲しい」と言われたけれども、とてもじゃないが男性としては見れなかった。

人生を預ける半身にもしたいとは思えなかった。

 

これは差別なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

彼にとっての可愛いものは、幼い女の子イメージだったんだろう。だから一生懸命可愛さのアピールを私にしていたんだと思う。

かに可愛いけど、私は王子様やママになりたいわけではなかった。そういう風に振る舞いたい人とは、彼は合っていたと思う。

残念だけどお断りしたきり連絡は取っていない。いつかマッチする人に出会って欲しいと思う。

2021-12-29

面接

自分性同一性障害から異性のトイレに入らせて欲しい」←ええで

性的マイノリティの人もいるんだから履歴書に男女に丸をつけさせるのは人権侵害では?項目を削除してください」←なんだぁ?おめぇ

2021-12-22

anond:20211222000149

差別不快は重なる局面は当然あるんだけど、そこはきっちり分けて議論しないと、あらゆる不快の表明は差別なので規制すべきだという話になってしまう。

逆に、差別への批判不快感情の表明でしかないと貶める議論も多い。フェニストの一部の人が「萌え絵女性差別的」と批判しているのは、黒人性的マイノリティステレオタイプデフォルメ化した表現差別に当たることと同じと認識しているからで(もちろんこの認識批判するのは構わない)、それが不快からではない。

2021-12-14

なぜ校則は変わらないのか。その一考察

https://anond.hatelabo.jp/20211213182433

上の記事を読んだので、書いてみることにした。

身バレしても困るし(しないだろうけど)、当方アメリカ日本それぞれの教育機関でそれなりの経験ありとする。

現在日本とある高校先生

こういうことを書くと出羽守みたいになるから普段はできるだけしないようにしているけど、はてな村の皆様の意見をもう少し聞いてみたいと純粋に思ったので書くことにしました。

以下前提として、アメリカ学校の様子しか知らないので、全てアメリカとだけの比較で語っています

日本学校校則も含めて、アメリカと比べると軍隊みたいだし、北朝鮮であると私も思います。もちろんアメリカ学校も様々ですが。

じゃあ私が今日本の学校先生側にいて、校則をどんどんなくそうと声を上げているかというと、上げていません。

なぜかというと、アメリカ学校のことを思い出すからです。

私がいた、あるいは見聞きしたアメリカ学校には校則はだいたいありませんでした。私学だと制服があるところもありますが、ごく少数派ではないでしょうか。

高校などでは、ドラッグや銃、刃物といった犯罪のものはもちろん禁止で、あとはギャングにまつわるものギャング連想させるようなファッション等は禁止といった程度でした。

服はもちろん自由だし、髪をそめてもよく、ピアスも舌ピや鼻ピも全然オッケーで、タトゥー全然ありました。というか、例えばオセアニア地域ルーツを持つ生徒だと、タトゥーを入れるのが文化であるので、普通に入れていますディズニーモアナ登場人物を思い浮かべてもらえればだいたいあの感じです。

多様さを尊重するのがポリティカリーコレクトですから、そのような生徒のタトゥー指導するなんて言語道断です。文化尊重するのが当然です。

髪をレインボーに染めている生徒もいます。これはLGBTQ+を背景とした場合も多いので、当然尊重します。

これらの生徒の容姿指導するなんてことは、許されるでしょうか?

許されないでしょう。

日本にこうした生徒がいても、尊重されるべきだと思います

しかし、ここからです。

こうした生徒は、日本社会において果たしてどれくらい許容されるでしょうか。

駅や、公園や、ファミレスや、分かりませんがそのへんのいろんなところに、タトゥーを入れた生徒や髪をいろんな色に染めた生徒や、ピアスをした生徒やいろんなファッションをした生徒が中高生として歩いているときに、どれくらい日本の今の社会はそれに耐えられるでしょうか。

私はかなり疑問です。

もちろん、上記のような生徒のバックグラウンドがわかる場合には、ちゃんと許容できる人も多いと思います。たとえば、ああ、この生徒はオセアニアバックグラウンドがあるからあのタトゥーをいれているんだな、ちゃんとしたルーツに基づいたものなんだな、とか、この子はおそらく性的マイノリティからこういうスタイルなんだ、とちゃんとわかれば、許容できる人も多いでしょう。

しかし、生徒は本当に多様です。そのように、「ちゃんと」わかるような子だけではありません。また、ぱっとみで「ちゃんと」しているように見える子だけではありません。どこまでが、たとえば「ちゃんと」オセアニアバックグラウンドを持っていると判断できるのか、どこまでが、たとえば「ちゃんと」性的マイノリティ当事者であるといえるのか、そんなクリアな線引きは存在しません。

君のバックグラウンドは「ちゃんと」したものから、君にはそのスタイルを認めよう、しかし君のバックグラウンドはそれ「ちゃんと」したものじゃないよそれ、自称だろそれ、そんな物言いが許されるでしょうか? 許されるわけがありません。

いや、そんな0か100かの子供じみた極論ではなくて、ケースバイケースで丁寧にやっていけばいいんだという意見もあるかもしれません。しかしそれこそが理想論です。

なぜなら、こっちの生徒は「正統な」理由を持っているのでかくかくしかじかの身なりを認めて、こっちの生徒の理由は「正統」ではないのでその身なりは認めない、こんなことを1から100まで全部やっていられるはずがないのです。そんなことは理路をきちんと通そうと思えば無理です。

いや、実際校則がなくうまくいっている学校日本にあるじゃないか、という意見もあるかもしれません。しかしよく見てください。全てとは言いません。しかしその多くは、本当に多くは、いわゆる賢い学校なのです。地域でも、あの学校進学校で難しくてすごい子が集まっている、と認識されている学校ほとんどです。だからほとんどの場合、そうした学校の生徒は一線を踏み外すことはありません。地域の人たちから眉をひそめられて、学校を十把一絡げにあの高校は厄介でひどいやつらだと後ろ指さされるほど集団で間違ったことはしません。たとえびっくりするようなファッションをしていても、でもあの子は賢いんだよねと地域の人も思うし、実際その期待を大きくは裏切らない行動の範囲にとどまるものなのです。

校則がなくてうまくいっている学校というのは、校則がなくても「ちゃんと」した行動ができる生徒たちがいる学校なのです。

私も日本先生をしていますから、なぜこれがだめなんですかと生徒から聞かれることがあります。あるいは直接そういうふうに聞かれなくても、なぜなのかとお互い思いながら生徒指導をしているなと感じる場面はあります。はっきりとブラック校則とまではいえなくても、これはまあ理詰めで生徒から聞かれたら最終的にはなぜダメなのか答えるのは苦しいよなぁと思うことは多々あります

しかし、じゃあこれをやめましょう、これをやめましょう、というふうに話をもっていくかというと、私はしないです。

なぜか。

そんなことを言い出したら、学校が「このスタイルはだめ」などと言える理由は、理詰めでいけば無いからです。実際、アメリカ上記のような学校ではそんなルールはありません。無理が出るからです。

日本学校に今ある校則を一つずつ撤廃していった場合、どこかで、ここまでは撤廃だけどここからは残すわ、となります。じゃあ、なぜここまでは撤廃してここから撤廃しないんですか、ここの線引きには根拠があるんですかと聞かれたら、最終的にはそんな絶対的根拠はないでしょう。法律違反でもしていない限り。しかもその、ここまではオッケーでここからはだめでしょという線引きは、人によって違うのです。先生によっても違う、保護者によっても違う、地域大人によっても十人十色です。万人が合意できる、ここ、というライン存在しないのです。

ですから校則撤廃していくというのは、非常に難しく、また不毛作業なのです。不毛というのは、議論したところで簡単結論が出ないのです。

職員会議で話し合うとしても、先生によっても全員そのライン感覚は違うし、地域大人日本社会に生きる大人たちの感覚想像しそれを折り込みながら議論すれば、それこそ千差万別すぎてラインはそう簡単に設定できないのです。結論がでません。そういう意味でその議論不毛なのです。

結果、どうなるか。

校則を変えようという議論は、非常に保守的で、非常に遅々としたものになります

まり、これはもう誰がどう見ても、誰がどう考えても時代遅れおかしくて、撤廃するのが当然だという結論が明らかだろう、地域社会の誰がみてもまあ撤廃で納得できるだろう、という、一番おかしものから、やっと撤廃されていくのです。それより先は、上記のような不毛結論のないところにのみこまれていくことが目に見えているので、先生たちも誰も積極的にどんどん変えていこうとならないのです。そんなことに日常の限られた時間を際限なく費やしていくわけにはいかないのです。

ですからブラック校則ということが声高に世間で言われ始めたのはとてもよいことだと思います

それでなければ、校則にまつわる物事は進まないのです。

しかし、私はいつもブラック校則という言葉を聞くたびにおもうのです。

それをいうなら、なぜタトゥーはだめなんでしょうか? もちろん、日本には刺青という西洋とは異なる文脈を持った文化があることは承知していますしかしでは、オセアニアバックグラウンドにもってルーツに誇りをもって文化としてタトゥーを入れている生徒がでてきたとしたら、それも禁止したり指導したりするんでしょうか?私は当然認めたいと思います。じゃあ、オセアニアにバックグランドがあるんだと主張してタトゥーを入れた生徒がいたとして、それが疑わしい場合ルーツ証明するようなことを迫るのでしょうか。そんなことは人権的に許されない。オセアニア以外にも様々な理由で、おそらく私たちが思ってもみなかった理由タトゥーをいれたり、タトゥー以外にもいろんなスタイルを求める人が現れるでしょう。そのどれを認めて、どれをおかしいとするのか。そんなことを最終的に誰が決められるのか。

そんなことを考え出すと、旧態依然とした、すでにある校則でそのままいきつつ、絶対おかしいとなったことについて対応していく、ということしか、なかなかできなくなってしまうのです。

現場からは以上です。

追記

書き忘れましたが、日本でも定時制高校では制服などはありません。校則基本的にないところも多いです。これは、働いている生徒も多いし、そもそも制服だのなんだの校則を作ったところで運用が難しいという背景もあります

しかし、これは非常に問題のある発言になることを承知でいいますが、そうした学校の多くは、地域のある一定の人たちからは、後ろ指さされていたり白眼視されていたりすることが少なくないでしょう。私もそうした高校で勤務していたことがあります日常的に苦情の電話が入って、現場にいって謝ったり対応したりしていました。一生懸命やっている生徒たちに対して、心無い言葉を投げられたことも何度もありました。生徒たちの容姿のことを言われたこともあります。確かに例えば女生徒ものすごいミニスカートを履いていたりもします。しかし、それが何だというのでしょうか? でもそれは、そのこのことをよく知っている教員から思うことであって、見知らぬ人からすれば違う見方をしてしまうのも無理のないことだと思います

そうしたトラブルは、多少しんどい学校であっても校則制服も含めきっちりおさえてかためているところでは、少ないのも事実なのです。

2021-12-10

「なんで同性婚推進派って嘘ばっかつくの?」の増田の嘘

「なんで同性婚推進派って嘘ばっかつくの?」という増田エントリ https://anond.hatelabo.jp/20211208080728 に、そこそこブックマークがついている。この元増田は、同性婚推進派が配偶者控除や第3号被保険による社会的コスト増の可能性を想定していないことを「嘘吐き」「都合の悪いファクトを隠す」と激しく非難している。ハンロンの剃刀(愚かさで十分説明されることに悪意を見出すな)という格言真逆という感じがするが、この増田の言ってること自体、よく読むと全くファクトに基づいていないのだ。いささか鼻についたんで長々書いてやる。

「兆円単位の財源が必要」って、一体どこから試算?

まず、元増田が何度も強調して論の中心に据えている「MAXで兆円単位の「新規財源が毎年」必要」「兆円単位新規財源は当然納税者税金から賄われる」について。増田仮定として、日本国内LGBTQ+が1000万人を超えるほどいるとし、さらに「この人数に同性婚を認めて将来的に2~3割が同性と結婚すると100万人以上の配偶者控除と3号保険が発生しうる」と言う。

おそらく、1000万人 × 2.5割 = 250万人=125万カップル で、その同性婚カップルの全てでパートナーの片方が専業主婦/主夫を選び、103万円(配偶者控除)〜150万円(配偶者特別控除)の壁に収まるようにパートなどで働く(or働かない)という計算での「MAXなのだろう。そもそも同性婚」の制度が何らかの形で立法化されたとして、そこで配偶者控除や第3号被保険者制度適用されるような建て付けになるかどうかは現時点では全くわからないのだが、まあそこはよしとしよう。

配偶者控除の「MAX」は820億円

というわけで、まず同性婚カップル125万人分の配偶者控除配偶者特別控除を概算する。2020年配偶者控除対象となったのは970万人、配偶者特別控除対象となったのは122万人で、この2つは重複できないので、合計1092万人いたことになる。この配偶者控除配偶者特別控除によって控除される税の総額は、以下の2016年試算によれば約7200億円。もう少し前のざっくりしたデータでは「約1兆円」としているものもあるが、概ねそんなところである

配偶者控除配偶者特別控除を含む。以下、同様)を廃止すると、所得税は年間で 7200 億円の増収となる。

WEB Journal『年金研究』No. 05 配偶者控除見直しに関するマイクロシミュレーション(Ⅰ)

現に1100万人いる配偶者控除配偶者特別控除対象者が控除されている税の総額が7200億円。ということは、LGBTQ+同性婚カップル配偶者控除配偶者特別控除が125万人増えたとしたら、それによる税控除の増分は820億円になる。あれ、「兆円単位」とは桁が2つ違うぞ? これは一体?

第3号被保険者扶養者側負担の「MAX」は1250億円

次に第3号被保険者だ。厚労省統計によると、2019年国民年金第3号被保険者数は820万人。国民年金保険料は現在は月額16610円、年額199320円。第3号被保険者場合、この金額相方である第2号被保険者が加入している厚生年金負担することで、第3号被保険者自身国民保険料を支払わなくてよいことになっている。

パートナーである第2号被保険者が加入する厚生年金負担した分の原資である厚生年金保険料は、厚生年金に加入する企業とその企業で働く従業員折半で払っている。言い換えると、マクロ観点では、その厚生年金に加入している働き手のパートナーの分を、加入者全員と企業負担している。まり、「新規財源は当然納税者税金から賄われる」という元増田発言は、第3号被保険者については完全にウソなのだ

ここは大負けに負けて、広い意味での国民負担とみなして以下計算を続けてやろう。LGBTQ+同性婚カップルの第3号被保険者が125万人増えたとしたら、それによって負担義務免除される国民年金保険料(厚生年金負担負担増)は約2500億円。うち半分は企業持ちで、残り半分を第2号被保険者負担するので、直接の負担増は約1250億円。これまた「兆円単位」とは随分開きがある。あれあれ?

元増田仮定通りに「MAX」を計算しても、配偶者控除で820億円、第3号被保険者で1250億円、合計2000億円の増分にしかならない。国民1人あたり2000円の負担だ。「推進派は都合の悪いファクトを隠す」と息巻いていた増田、これは一体どうしたことなんだい?

MAXで兆円単位の「新規財源が毎年」必要ですね。これを「どーでもいい規模」とは世界一金持ちイーロン・マスクでも言えない。誤解とかそういうレベルじゃない。意図的なら詐術無自覚なら恥ずべき無知しか言えない。


全くだ。誤解とかそういうレベルじゃない。意図的なら詐術無自覚なら恥ずべき無知しか言えない。猛省してほしい。

そもそも同性カップルには分業戦略フィットしない

…とまあ、ここまでは元増田の主張に乗っかりつつ、その主張通りに「MAXで」計算しても、彼の主張する財政コスト増のせいぜい1/10程度にしかならないことを示した。「金額問題じゃない、負担が増えることを認識していない(あるいは隠している)のが問題だ」という言い分もあるんだろうが、「兆円単位新規財源は当然納税者税金から賄われる。無自覚なのか、嘘吐きなのか」と「兆円単位」を振りかざして他人を罵ってた元増田が今更それを言い出すとしたら、随分みっともないね

さて、実はここからが本題だ。そもそも元増田は、男性でも女性でもいいけど、「同性同士が同性婚して、片方が専業主夫/主婦をやる(片方が103万円〜150万円の壁以内で働き、配偶者控除を受け取る)カップル」が現実にどれぐらいいると思っているのだろうか。そもそも元増田は、異性愛カップルでは片方が専業主夫/主婦(たいていは主婦)をやる家庭が多い理由ちゃん理解できているのだろうか

その理由ひとつは、図らずも増田自身エントリ冒頭で書いている。異性愛カップルが家庭を築き、片方が仕事をせずに専業主婦になるとき、その理由の大半は〈子育て〉だ。女性退職理由に関する調査では、出生あり既婚女性では「出産育児のため」という理由86.7%を占めている。そして増田は、同性婚が認められれば同性カップル子供を生まないと言う(確かに、将来的には日本でも同性カップル精子提供代理母で子を持つケースが増えるかもしれないが、今はほぼゼロに等しい)。つまり同性カップルにとっては、異性婚カップルの片方が仕事を辞めて家庭に入る最大の動機が、ほぼ存在していない

もうひとつは、異性婚カップルでは「片方がフルタイムワークで働き、片方が家庭に入って配偶者控除や第3号被保険者対象になる」という分業戦略有効からだ。男女の間に「働ける職場範囲待遇」に構造格差があるから異性愛カップルでは「夫が正規雇用、妻が非正規雇用103万円の壁・151万円の壁の範囲内で働く(あるいは働かない)」というオプションが取れる。しかし、同性カップルではこの戦略はあまり機能しない。なぜなら:

男性同性カップルは、両方とも正規雇用の安定・高収入職種就業している可能性が高い

女性同性カップルは、両方とも非正規雇用不安定・低収入職に就業している可能性が高い

からだ。つまりゲイ男性カップルの多くはそもそも上のような分業戦略を使う必要がない一方で、ビアン女性カップルの多くは分業戦略を取ったら生活が詰んでしま可能性があるのだ。現実にも、ゲイ男性同士のカップルにはダブルインカムパワーカップルが珍しくない一方で、レズビアン女性同士のカップル収入面が不安定になりやすいという傾向がはっきりある

性的マイノリティという視点では「LGBT界隈」などとひとくくりにされてしまうが、GとLの住む世界は、所得面で見れば全くかけ離れている新宿二丁目にはゲイバーは無数にあるが、ビアンバーは数えるほどしかない。これは両者の人口差ではなく、所得の差によるところが大きいと昔から言われている。ビアンは総じてゲイより可処分所得が少なく、ゲイほど頻繁に飲みに行けず、お金を落とせないので、地代の高い場所で店の経営が成り立たない。「貧乏レズ」なんて言葉もある。「性的マイノリティ」の問題生活軸で考えていくと、最後には結局「ジェンダー格差」の問題帰着するのだ。

改めての試算

異性婚世帯では、全体(1722万世帯)のうち女性フルタイム労働しているのが483万世帯、パートタイム労働(週35時間未満)しているのが668万世帯、完全無業なのが571万世帯という構成だ(2020年統計 https://www.gender.go.jp/kaigi/kento/Marriage-Family/2nd/pdf/1.pdf)。「パートタイム」と「無業」を足すと先の配偶者特別控除対象者1100万人より多いが、これは配偶者控除を受けるには週20時間程度に労働抑制する必要があり、そこからはみ出した人達パートタイムに分類されているからだ。ともあれ、異性婚世帯配偶者控除特別控除を受けているのは1100万/1722万=全体の65%程度ということになる。

仮に125万組のLGBTQ+が同性婚したとして、そのうち片側が配偶者控除や第3号被保険者などの対象になるカップル比率は、上記理由から異性婚世帯より多くなることはまずないだろう。「MAX」でも65%=80万組程度、自分推定では恐らく30万組以下だ。この推定が正しければ、税収減+年金負担増は500億円/年。国民1人あたり500円以下。元増田が言い切ってた「新規財源が当然納税者税金から賄われる」配偶者控除特別控除増による税収減は、200億円/年。国民1人あたり200円以下。

もちろん、それが0円でないのなら「『どーでもいい規模』ではない! 負担が一切ないなんてウソだ!」と言い張ることもできなくはないが、ではその前に、「推進派がウソを1つ吐く度に同性婚が嫌いになるわ」と言った元増田自身が、同性婚による経済的インパクトを膨らませるために、ここまでいくつのウソや不誠実な論述をしたのか、胸に手を当てて考えてみてほしい。

そもそも記事同性婚の話ではなく、元増田同性婚言及してないブコメを「嘘吐き」呼ばわりしている

そもそも彼が「嘘吐きだらけ」と批判するブコメがついてた記事は、同性婚配偶者控除保険制度には関係のない、東京都独自の同性パートナー制度に関する記事 https://nordot.app/840911614727651328 である。みなさん、この記事を改めて読んでほしい。ここに同性婚のことが書いてあるだろうか。東京都配偶者控除保険制度について何か独自施策をすると言っているだろうか。どこにもない。そしてそこに、(当然ながら)同性婚について何ら言及がないブコメ…たとえば:

shinobue679fbea 誤解を恐れずに言えばどーでもいい規模の話なんだから認めてやりゃいいんだよね。拒否理由は何もない。嫌いな人はこれまでもこれからも避けて通ればいい

u_eichi LGBTへの理解の深さがどうあれ、だーれも損というか不利益を被ることはないんだから、さっさとやっちまうべき。

がついている。

元増田はこれらの、同性婚については何も言及していないブコメを取り上げて、さも同性婚について言及しているかのように引用し、我田引水に控除や保険料の話(しか金額も財源もウソまみれ)を開陳し、あげくに彼らを「嘘吐き」と批判しているのである

これって、他人に対して異様に高い倫理的基準要求してる人間の態度としてどうなんだ? 事実かどうかはどうでもよくて、ただ増田の中でオーディエンスを騙せればそれでいいと思ってるのか? 元増田言葉を借りれば、「これって非常に不誠実な態度ですよ。正義や公正とは程遠い態度だと思いますね」。

元増田は「推進派がウソを1つ吐く度に同性婚が嫌いになるわ」とうそぶくけど、ここまで同性婚という問題認識するレンズが歪みまくり、語りにごく自然に大量のウソが混入してるのを見る限り、実は元増田こそが同性婚が嫌いだから推進派の言うことが何でもウソに見えるし、そうだと自ら思い込む(あるいは他人に思い込ませる)ために、今度は自らウソをつきはじめている」んじゃないか。わかるか? お前、冷笑を気取って闇堕ちしてるんだよ。

冷笑ファクトフルネス派」は党派性思考ファクト無視しがち

この元増田みたいな言論賛同する人達は、個人的には冷笑ファクトフルネス派と呼んでいる。彼らは「ファクト」を振りかざして色々なこと(特に福祉とか、公正とか、反差別とか、人の善意社会変革への希望とか)に冷や水を浴びせるのが大好きで、それをサポートしてくれそうな言説には「そうだそうだ」と相乗りする。しかしその「ファクト」をよく調べてみると、内容はまるっきりデタラメというケースも結構ある。この元増田もそうだろう。字面の勢いで「ファクトっぽさ」「冷笑っぽさ」を出すのがうまいだけで、中身はスカスカなのである

結局彼らが反応し賛同しているのは(たとえばリベラル嘲笑できる)「冷笑っぽい雰囲気」であって、自分自身の頭でそれがファクトかどうかを考えて腹落ちしてるわけではない。自分先入観裏付けてくれる、何だかもっともらしい意見から、無批判に受け入れているだけなのだ他人党派性冷笑したがる人間自身が、いつのまにか党派思考の虜になっている。何とも皮肉だ。

このエントリは昨日の夜中にアップしたものだが、時間時間だったか全然コメントがつかないので、補筆して新たに上げ直させてもらう。なんとかして元増田には読ませて反論させたいのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20211208080728


追記

期待通りに元増田反論追記されていたが、ずいぶん主張のトーンが弱気になってるのは笑えるとして、内容自体が「そのレベル認識で、あんなイキった文章書いてたの?」という内容で、逆に驚いてしまった。

新たな反論は、実質的には「「配偶者控除」は相続税にも存在する事をご存知でしょうか?」のくだりだけなのだけど…(省略されました。続きを読むにはワッフルワッフルと言いながらここをクリックしてください

2021-12-04

anond:20211204174250

性的マイノリティー、身体障害者精神障害者外国籍とかあらゆるカテゴリー全て合わせたら大量ってことでしょう

キャラクターの一人を「鈴木」にしたり、AB型左利きにするなら、同じ程度にはいるんだしそこのカテゴリーだけあえて外してんの変だねってこととか。

2021-11-26

実のところ女性ってかなり生きやすくなったと思っている。

社会には生きやすさの奪い合いみたいなところがあって、これまで威張り散らしてきたおじさんの生きやすさを奪って今の女性の生きやすさが成立してきた。

オタクも少し前までは生きにくかったけど、ステレオタイプオタクに生きにくさを押し付けて、オタク的な属性を持っていても問題ない空気を醸成、むしろ若者の多くがオタク公言するようになった。

割を食ったのはステレオタイプオタクっぽいおじさん。実際にオタクかどうかは関係なく、見た目がオタクっぽいおじさん。

生きやすさの奪い合いに敗れたおじさん達を誰かが救ってくれるかと言えば、今のところ誰も救ってくれない。

おじさんは可哀想には見えないからだ。

おじさんという属性によって強者に分類され、オタクっぽい見た目のせいでステレオタイプオタクの生きにくさを背負っている。

そして大抵の場合、金の無さ故にオタクっぽい見た目になっており、改善が難しい。

性的マイノリティほどではないかもしれないが、少なくとも一般的女性よりは生きづらいように思う。

存在自体が許されないような、肩身の狭い感覚があるのだ。

おじさん以外が生きやすくなり、強いおじさんは今の立場を譲らず、弱いおじさんが生きにくくなっていく。

加齢によって自分が弱いおじさんに近付いていくこと、おじさんという存在立場を追われていくこと、両方がじわじわと進行していく。

10年後が怖い。

2021-11-07

anond:20211107160901

そんなことはないよ。

手足が不自由な人、目や耳が不自由な人、日本語に不慣れな外国人女性子ども、お年寄り性的マイノリティといった、社会的に弱い立場にある人々には優しく接するようにしているよ。

2021-11-04

anond:20211104102714

友達より好きだからといって非黒人性的マイノリティでもなく重度の身体障害も持ってない成人男性とは限らないだろ。

anond:20211101152038

黒人性的マイノリティでもなく重度の身体障害も持ってない成人男性は皆等しく特権階級であり、女性の敵だぞ

2021-11-01

多様性尊重するなら、ありのまま亀井静香氏を認めるべき?

昨日のアベマプライム選挙特番を見ただろうか?

私は途中から見始めたのだが、その時は選択夫婦別姓亀井静香氏に認めさせるべく、現場コメンテーターあの手この手亀井静香氏の説得を試みていた。

結局亀井氏はひろゆきYES NOクエスチョンにも、YESか NOかで全く答えず、議論全然成り立っていなかった。

亀井氏が退席したのち、番組最後では亀井氏を「老害」と評するコメンテーターもおり、「やっぱりこんな年寄り政治を任せちゃダメだよね」みたいな雰囲気が場を包んでいた。

ただ私には1つ疑問が残る。

多様性尊重夫婦で別の姓を選びたい人や、性的マイノリティといった多様性を認めよと言うのであれば、“古い”考えで凝り固まったありのまま亀井氏の意見存在も、肯定せねばならないのではないだろうか?

亀井氏の意見を変えようとするのは、同性愛者に異性を愛するように説得することや、夫婦別姓希望する人に同性にするように説得するのと、構造的に何が違うのだろうか?

ちなみに、私は選択夫婦別姓にもセクシャルマイノリティに諸々の権利を認めるのも賛成なので悪しからず。別に認めたことろで私は困らないしね。

ただ、多様性尊重を謳いながら、結局正しい価値観というのは1つなんだろうなと思ったのだ。

多様性を認めるという1つの価値観が、多様性を認めないという価値観駆逐し、結局正しさというのは1つしかないのだ。

なので、多様性尊重多文化共生などというのは、それ自体多様性尊重しない自己矛盾を抱える概念なのではないかと思った今日この頃である

立憲民主党政権交代可能野党になる為に必要なこと

刑法175条撤廃青少年健全育成条例有害図書制限廃止を掲げる

共産党と縁を切る

安倍聖帝に関する疑惑モリカケサクラ)の追及を諦める

旧民主党の顔だった政治家枝野辻本蓮舫等)を裏方に下げる、可能ならパージする

否定よりも提案を優先する国民民主姿勢改革を強調する維新姿勢パクる

性的マイノリティジェンダー平等動物愛護環境問題モリカケサクラよりも経済外交国防について重点的に情報を発信する

財政緊縮路線から脱却、積極財政への転換

少子化対策用として単身者婚活政策を掲げる

女系天皇反対を掲げる

これで勝つる

2021-10-30

anond:20211028202215

ええと、まずべつに性同一性(性自認)と性的指向けが性的マイノリティ基準になるわけじゃないよ。LGBTはそれらに関するマイノリティですよってだけ。Tは広義には性別表現に関するマイノリティも含まれたりするが。

異性愛/同性愛というのは、自身の性同一性に対して好きになる性別(性的指向)が異性か同性かという話で、この「好きになる性別」というのはべつに身体性別限定されてはいない。

実際のところ相手身体性別重要である者は多いだろうが、しかし性同一性性別表現性別重要である者も少なくないし、身体性別に関わらず性同一性性別表現性別で好きになる者もいたりする。まあ色んな人がいるのでざっくりと「好きになる“性別”」とだけしておくのが包括的だろう。

いや、トランスジェンダー同性愛コミュニティから排除したいが為に自身相手の性同一性性別表現関係なく身体性別定義したがる者もいるけどね。カテゴライズは多様な性に対して後から便宜的に行われるものであり、絶対的定義があるわけではないけれども。

相手トランスジェンダーである場合に限らず、相手にとって不本意であろうとも、相手の性同一性と異なる“性別”を感じ取って、相手を好きになったり好きになることができなかったりすることはまあある。それは仕方ないことだし、感じ取って好みを刺激している“性別”が性的指向基準になると思う。それによって無闇に相手アイデンティティ毀損するのはよくないけどね。

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