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2022-07-20

え…今日夏休み前の最後の登校日だって

みんな知ってた!?

エロ漫画性犯罪助長してた【追記

たわわとか温泉むすめとかでフェミ根拠なく性犯罪助長するとか言ってんなバーカと思ってけど自分に跳ね返ってくるとは思わなかった。

小学生の娘が通学団の男の子性的嫌がらせを受けたと泣いて帰ってきた。

掻い摘むとスカートめくり的なこととか、やらしいこと言われるとか、勝手身体を触られるとか、そういうことだった。

被害者が他にもいたようで学校に話もまわった。

相手の親は割とまともだったので子ども連れて謝罪もあった。

なんでこんなことをしたのか、という話になった。

正直、女の子ちょっかい出したい年齢だしな、と思ってはいたが、

漫画でやってたからやった」と。

男児の兄が持っている漫画タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う)を友達数人で回し読みしていて、その漫画内でのことを仲間の数人でクラスや通学団の女子にやって「遊んでいた」と。ゲーム感覚というか度胸試しみたいな意味合いもあったようだった。

これがいわゆる悪しきホモソーシャルというやつか、と思った。

以前にも一度教室内でクラス女子にやって担任に叱られてはいたらしい。叱られたのでクラスではなく通学団の女子にやることにしたようだ。

本人たちにとっては性犯罪は遊びであったらしい。

からかっただけのつもりだったと。ゲームだったと。

相手の両親が性教育含めちゃんします、娘さんのケアをお願いしますと言う人だったのがまだ幸いだった。

こうした発言ができる比較的マトモと思われる親の子ですら漫画を見て性犯罪を遊びでするのかと思ってくらくらした。

そもそも子ども同士のことだと思って親と学校対処したが、結果あの男児が娘にやったことは性犯罪であり、大人同士であれば強制わいせつかに抵触する内容だった。

まり今回の件は警察にも届け出てないので性犯罪カウントはされないとしばらくして気づいた。こうして内々に処理されなかったことになる性犯罪がたくさんあるんだろう。漫画に影響されてやる性犯罪なんてほとんどが今回みたいなガキのやることだと思う。

そしてうちの娘の受けた性犯罪子どものいたずら、せいぜい「エロ漫画性犯罪助長するケースもまぁなくはないよね、ただしレアケースだから取り上げる価値はない」と、たまたま起きたケースとしてオタクたちには処理され、結果エロ漫画性犯罪助長しないことになるのだろう。

通学団は加害側の男児がとりあえずは別の通学団に入る形で距離を取ることとなった。学年も違うしもう夏休みにもなるのでしばらく娘とその男児とは距離が取れる。

娘はあの男児だけでなく男子と関わるのが嫌だと言う。

隣の席にも来てほしくないという。

すべての男子が悪いわけではないというのは娘にとっては都合の良い詭弁らしい。

親の躾の問題と言っても性犯罪が起きてからではもう遅い。起きたときにはすでに性犯罪被害者という立場からは逃れられない。起きてから加害者を叱っているようでは遅いし叱る親ばかりでもないので親のしつけや教育依存せずそもそも発生しないようにしなくてはいけない。

自分が娘にどうしてあげればいいのか、

これまでの自分の考えが娘を今回のような被害に合わせる手助けをしてしまっていたのではないか

とはいえ簡単表現規制するのが良いとも思わない。

考えては考えては頭がくらくらする



追記

こんなに伸びると思ってなくてびっくりしてます

娘や被害にあった子への嘲笑誹謗中傷があったらと怖くてブコメとかは見れてないですが…

娘は寝付きが悪くなるなど少し不安定状態になった時期もありましたが今は安定しています

夏休み間中に娘が少しでも元気になれたらと思っています被害にあった子の中には定期的にスクールカウンセラー相談している子もいると聞いています

専門家でもないのに言うのも気が引けますが、加害男児たちの話を先生から聞くに、たぶん根底にあるのは男の子自分を誇示したいという欲とか、中にはそこにうっすらとした加害欲も併せ持ってる子もいて、それを発露させる手段として知恵を与えてしまっているのかなぁ、と。

大学新入生を対象としたカルト宗教の勧誘洗脳について - 大阪大学藤田教授

https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1549380484190597120

元首相の襲撃犯の動機として、にわかクローズアップされているカルト宗教団体問題は、大学教員には長年にわたり身近な問題である

彼らの主要なリクルートターゲット大学新入生だからだ。

阪大では、新入生の入学ガイダンスで詳しく説明し、また一年生の授業担当教員は授業の中でも注意を喚起することになっている。

私は昨年まで過去20年以上、 一年生の細胞分子生物学の授業を担当していたので、その中で必ず夏休み前にこの件に関する注意をする習慣になっていた。というのは、夏休みの初期に、 彼らは合宿と称して洗脳の会を開催するからだ。

写真に示すようなスライドを使って注意を喚起するのだが、 ある年、授業が終わって部屋に戻ると受講生の一人から電話がかかってきた。

自分が参加しているサークル活動が、先生が例にあげた活動のものなので心配になった」というのだ。

私の部屋にすぐに来るように指示し、 学生が来るまでの間に、学生相談担当教授電話を入れ、 サークル名を伝えると、 「藤田先生ドンピシャです。 ○○○○が関わると私どものリストに載っている(非公認) サークルです。学生携帯電話を電源オフにし、 先生同伴で学生を私のところへ案内してください。 私に引き渡すまで、 トイレを含めて学生が一人になることがないようにお願いします」 という返事だった。

その後、 サークルから脱会(もちろん、教員が行い、本人がサークルメンバー接触しないようにする)、携帯電話の番号変更、アパート引越しなど様々な対策がとられた。 聞けば、 その学生が私に連絡をしてきた一週間後に、当該サークルによる 「聖書勉強会」と称した数日間泊まり込みの合宿が予定されていたのだった。

一旦、洗脳が成立すると、 彼らは「向こうの世界」へ行ってしまい、元に戻すことが家族や友人をもってしても困難であることは、 オウ○の例を見ても、今回の襲撃犯の母親の例を見ても明らか

であり、本当に危機一髪だった。

20年の間に、こういうことが他にももう一回あった。

そのような年齢のお子さんをお持ちの方はご注意を。

2022-07-18

[]

三連休であったが休み明けのタスクをこなす為に仕事を、というつもりだったが身体が動かない。

逃避行動、モチベーション低下、先延ばし癖、それらが絡み合い仕事の事は絶えず考えているもの身体は動かずタスクは進まず。

そうなると脳がステレスを抱えまくるのか脳が破壊されて頭痛が生じる。

寝不足、浅い睡眠ストレス、これらは三連休初日に終わらせていれば得なかった事柄であるが、それを悔やみつつも身体は動かない。

俺の脳はもうダメみたいだ。

そして、睡眠不足は体調の悪化を招き、室内にずっと居たにも関わらず熱中症となり頭痛嘔吐悪寒で一日過ごした。

そして三連休終わりであるというのにタスク一切合切進んでいない現状に至ったのだった。

頭痛の中こんな日記を書く時間があるならばさっさとタスクを終わらせろという意見は尤もだと思う。俺もそう思う。

でも俺の身体が逃避を求めている。

それは前職での過労で身体拒否をしているせいか。復調するまで1年掛かりその間失業保険申請すら苦痛で動けなかった俺は仕事を行うという行為自体がもうやらなくても良いんじゃねと逃げ腰の体勢を取ってしまう。

以前の俺は夏休みの宿題を初週で終えるような子供だった。

今の俺は夏休みが終わってもその翌月からやり始めようとするぐらいで俺は脳が壊れている。

2022-07-17

ちゃんとしたお店でラザニア食べてみたいな

夏休みになると共働きの親の代わりに自分と妹の昼飯を確保しないといけなくて、親に頼んでレンチンする冷凍食品とか買ってもらったり、パスタソースとか炒飯の素とかレトルトソース類を買ってもらって、その時初めてラザニア食べたからなんとなく夏になると食べたくなる

大人になってから冷凍食品のしか食べたことないからお店で食べたらもっと美味しいんじゃないかと思って期待値上がりすぎてるから案外がっかりするかも…

2022-07-16

何でこれがいい話なんだよ。訳わかんねーよ

中一の息子が牛乳1リットル一気飲みしてお腹壊した理由が可愛すぎる→「青春が眩しくて目が潰れた」「頑張れ息子」

https://togetter.com/li/1916352

夏休み終わるまでに私より背が高くなったらLINE交換してあげる」って言われた中1息子が牛乳1Lイッキ飲みして腹下してる。ときめきメモリアル前途多難.....。

交換条件を出した元の中学生発言って「私の連絡先を知りたいなら、身長を高くしてこい」ってことなんだけど、何でこれが青春だのいい話風に捉えられてるわけ?

付き合うとかではなく、LINEの連絡先交換だけなのに何で、そんな無理なことを要求している?

どこぞのゲーマーの「身長170cm以下には人権がないので」並みの発言なのだが?

これ男女逆にしたらどうなるよ?

夏休み終わるまでに俺より体重を落としたらLINE交換してあげる」って言われた中1娘が無理なダイエットして貧血で倒れた。なんて健気な。お父さん応援してるぞー

ってツイートがあったらこれに「青春だー」「がんばれー」とか付くか?

絶対に「親は止めるべきだろ」「無理しちゃいけない」「ルッキズム中学生にも!」「交換条件を出す男子許せない!」とか吹き上がるだろうに。

anond:20220715090458

母の友達大学でソッチ系に引き込まれて、母のところにも警察が来たらしいので、共産系も派閥の違いはあっても創価統一立正佼成会くらいの違いにしか見えないくらい全部好きじゃない。あと共産党は住宅地街頭演説本当にやめてほしい。

ついでに宗教共産党系も無邪気に他人否定してくるの本当に嫌い。

学生時代キリスト教の友人の家族が亡くなって、とりあえず夏休みだったので新盆の時期に伺ったら一応盆棚っぽいのはあったけど「本当はこんなことしても意味ないのに8月からという理由でたくさん人が来るから仕方なく作った。線香も意味はないし、変な風習押し付けないでほしい」というようなことを言っていた。せっかく挨拶に伺ったのに何だか悲しくなってしまった。

今までキリスト教系や共産党系の人に何人かあってきたけど、少なくない人がそんな感じでいろいろ見下すようなことを言ってきた。全部が全部じゃないんだろうけど、宗教共産党も好きになれない。

2022-07-15

背乗りという言葉がある。

実在する他人身分戸籍を乗っ取って、その人物に成りすます行為を指す警察用語らしい。

私が今の名前生活を始めて5年になる。

錦糸町にある山内牧場という居酒屋のあるビルの5階でその名前保険証をもらった。

免許証マイナンバーカードは偽物しか作れないが、保険証マイナンバー自体は本物を渡せますから

事務所ソファー母親から差し出された25万円を数えながら、ツーブロック筋骨隆々のさわやかな男は私と母親に向かって言うと、

「このマイナンバー免許証をもう取得済みだから免許証が欲しいなら別の名義で作らないとだめです。なのでその際はまた相談してください」

そう言って保険証を金庫から取り出して私に差し出した。保険証の裏には付箋が1枚張られていてそこには12桁の番号が書かれていた。

保険証を見ると1990年まれの生年月日と今まで名乗っていた名前と全く違う名前が書かれていた。

私が生まれたのは1991年の春のことだったらしい。ずっと母親と二人っきりで暮らしてきた。

母親貯金があるからだとかそういう理由で働きに出ている姿を見たことがない。

友人もいなく、たまに趣味山登りに一人で行く以外はずっと家にいる母に読み書きからなんやらは教えてもらった。

母は私に因数分解を教えながら

「これでも故郷では町一番の才女だと言われたのよ」

とよく言っていた。

母は頻繁に引っ越しをした。決まって7月だとか12月だとか学校に通っている子供たちが長期の休みになる時期に。

引っ越した街には夏休み冬休みが終わるまで住むことができた。

私は新学期になったら君たちと同じ学校に通うのだと、学校に通っている子供たちに自己紹介して、

1か月だけ毎日のように同じ年の子供と遊ぶことができた。

そして新学期が始まるころ引っ越して新しい街に向かった。毎回私はそのたびに大泣きした。

新しい名前に代わっても生活は大きく変わってはいない。

生活費は母の貯金からだしてもらっている。

同じ場所ではずっと働けないので日雇いだが、バイトはできるようになった。

初めてもらったバイト代で買ってあげたキーホルダーを、母はずっと大事そうに使ってる。

2022-07-14

第7波が我が家にやってきた!家族4人コロナ

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家族構成
増田・夫・娘(小6)・息子(小3)
まずは結論から
ミクロンそんなに辛くない

7/7(木)

娘が習い事から帰宅後、疲れと喉の痛みを訴える。

7/8(金)娘発症

朝起きると娘が熱い。発熱38.5
欠席連絡すると担任から電話がかかってきた。 クラスに陽性者が居たこと。この日、発熱で多くの人数が欠席していることを知らされる。
コロナ陽性者が出た場合学校メール流れるクラスまでは開示されないためクラスに陽性者がいることを知らなかった)


コロナ覚悟するが、娘は熱以外に症状がなく、食欲もあり、元気。これがなによりの安心
娘のクラス学級閉鎖となり、息子も学校から帰された。

病院受診しようと都のマップを見る。 近所の病院視覚的に見ることができ、さらに小児対応可・小児専用も選べて良かったが、近隣の病院電話をかけまくるも10件近くかけて無理だった。
東京都福祉保健局の診療検査医療機関マップ https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/hatsunetsugairai.html
受診できる病院がないので発熱相談センター相談することに https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/coronasodan.html
感染拡大期にはなかなか受診できないらしく、市販の抗原検査PCR検査キットの購入を勧められる。
コンビニAmazonカードなどが売られているところにありますよーとのこと。
発熱相談の方は若めの男性だったけど、ものすごく親切でこなれててプロ感ありありで、その仕事ぶりに感動した。ありがとうございます

地元コンビニ薬局などを何軒も検査キットを探して回るが、どこにもない。結局、夫に仕事帰り渋谷で買ってきてもらった。
結果、陽性

ちなみにコンビニ選択肢は抗原検査3900円、PCR検査8470円だった。高い。

都内あちこち無料検査があるもの
・無症状であること
・濃厚接触者でないこと
が条件のよう。


でも検査キットのこの高さ、病院になかなか行けない人は無料検査場にかけこむ人も多いんじゃなかろうか。
PCR検査無料化のご案内 https://tokyo-kensasuishin.jp

7/9(土)増田発症

娘の熱、変わらず38.5。頭痛はあるらしいが、相変わらず元気で安心する。
朝一で病院電話したら無事に二軒目で予約を取れた。
連れて行ったら検査は何もしないままの陽性判断だった。えー、そんなのアリなのー(アリらしい)


そして晩ご飯を食べている時、増田の体に異変・・・なんだか体が痛いような気もするが、気のせいにして寝た。
が、寒気で起きる。熱を測ったら37.5。きちゃった・・・

7/10(日)

娘はすっかり元気。


増田、終日39度。体の痛みがあるものの、起き上がれないほど辛いわけでもなく、最低限の家事をして、あとは寝て過ごす。


娘の陽性が保健所登録されたらしく、携帯に案内が届く。
夫が喫煙者なのでパルスオキシメーター貸与に申し込む。
自宅療養サポートセンター(うちさぽ東京https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/uchisapo_tokyo.html

携帯に届いた案内は他にも保存食配送宿泊療養申込窓口などについて書かれていた。
夫を宿泊療養させたいところだが、まだ発症していないため無理だ。夫のみ自宅内隔離を続ける。


濃厚接触者向け抗原検査無料配送されてるらしいので、夫と息子のために申し込む。
濃厚接触者となられた方のための検査キット申込サイト https://tokyo-testkit.jp

7/11(月)

増田、すっかり熱が下がり軽快。体はまだ少し痛いが、元気!
朝一で電話したら病院予約が取れたのでPCR検査を受ける。結果は明日とのこと。

7/12(火)夫発症

病院から電話がきて増田の陽性が確定。検査の前にうっかり飲食してしまったけど陽性でたよ。


そしてついに夫が夕方から体の痛みを訴え始め、夜には37.5。
家庭内隔離では逃れられなかった。

7/13(水)息子発症

最後の砦である息子、朝食を食べながら「腕が痛い」きたか
熱をはかると37.5。きてしまったな。。。
どんどん熱が上がり「頭が固い!」と意味不明なことを言いながら涙目で愚図るのでカロナールを飲ませたら熱が下がる。
夜には39度まで上がる。機嫌が悪く薬を飲んでくれない。
寝る間際には震えが来ていたので、強引に水溶きカロナールを口に流し込む。半分位は体に入ったと思う。


熱性けいれんなど、もしものために対処法を聞いておこうと発熱外来電話をかける。
最初の人とはうってかわって、微妙対応中年女性
いや、夜に電話を受けてくれること自体は有り難いのだが、家族4人の状況を全て聞いた上で「小児が行ける病院はありません」って。。
最初に「今行ける病院はないと思いますが、緊急時のための対処法を聞きたいのでお電話しました」と伝えたのになあ。


担当者曰く、小児の受入は現時点で逼迫しており、不測の事態になった時は救急車電話するしかないが、搬送してもらえる可能性は少ないとのこと。(2回ほど復唱したが、そのような状況らしい)


夫は終日37.5だが偏頭痛持ちのためか頭痛がすごいらしく、カロナール頭痛を抑える。
もともと娘の陽性からリモートワークだったが、今日は休んで1日寝ていた。

7/14(木)

息子、平熱。「頭が元に戻ったー」
息子の発熱外来予約は7/15の予定だが、来週から夏休みに入るのに果たして受診必要なのだろうか。


今日も37.5の夫は朝一で電話したら発熱外来を予約できたので行ってきた。結果は明日


夜にポストを見たら抗原検査キットが届いていた。
都も郵便局もがんばってくれたけど、BA5スピードに追いつかなかったな。もう家族全員治ってしまった。

最後にまとめ的なもの

大変さ
これまで増田以外の家族がまとめてノロにかかったり、インフルにかかったりしたこともあったが、今回が一番楽だった。
増田も含め寝込む時間が圧倒的に少なく、回復も早い。
怖さ
息子が汗を流し震えている様が一番怖く、心身を削られた。家庭に弱者がいると高熱はやはり不安だろう。
からといって、我が家場合ワクチンをこれ以上打とうとは思わない。(夫婦ともに2回接種まで子は未接種)
そろそろインフル並の扱いでいいのではないだろうか?と個人的には思う。
医療行為を期待して病院に行くのではなく、社会的要請から病院に行くことに対する違和感医療者への申し訳なさとでもいうか。
家族一人が陽性になったがために家族全員が一週間も外に出られないほどの病気なのだろうか?
後遺症
今のところ娘に後遺症は見られない。


増田は病後すごく発汗している。
産後ものすごい発汗があり、これで産後痩せるのかと理解したが、それを思い出すくらいに毎日発汗している。
発汗以外に気になるところはないが、後遺症は怖いので、無理せず、過信せず、慎重に日々を送っていきたい所存
どうぞ皆さまもご自愛くださいませ >

おっここらにも蝉でてきた

もう夏休み

創価中学創価高校の思い出

自分典型的学会2世で、2000年代前半に創価中学創価高校(創価学園)に通っていた。

最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。

いかんせん20年近く前のことなので中学高校混同してたり不正確かもしれないけど許して。

受験

地元の5歳ほど上の代に創価中学合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。

そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ

受験

前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry

当日は携帯本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。

お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。

通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。

俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。

入学式

創価学園だからといって必ずしも池ちゃん接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

普段は会館で見る衛星放送映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。

うちもカーチャンテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。

ちなみに俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。

あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。

かっぱえびせん

入学式卒業式ほどじゃない節目イベントときに池ちゃんからメッセージ差し入れが届くことがあった。

終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。

コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。

何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。

かっぱえびせん感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。

唱題部屋

創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。

校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室本尊があった。

体育会系メインストリームなひとたち(サッカー部野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。

かに生徒会とかの意識の高い優等生自発的に空き時間に唱題しに来てた。

ちょっと記憶あいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズド場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。

休み時間サッカー

創価学会とあまり関係ないが印象深い思い出がひとつある。

小学生のころ休み時間サッカーをするのが好きだった。地域サッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。

中学入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。

当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通思春期10代だった。それまで接した創価学会大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこ学校に進んだ意味ないじゃんと思った。

唱歌

創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。

休み中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。

唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。

1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixOriginal Mixみたいな。

いわく5番が一番大事だそうで、5番だけがちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?

これを書きながらググった歌詞見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間記憶すごい。

ちゃんネーム

創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃん子供名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。

ちゃんネーム割合結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。

創価大学への推薦

中学卒業してエスカレーター高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。

確か条件が5段階評価の平均と、欠席・遅刻日数だったかな。

成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったか10回まで、みたいな感じだった。

自分創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。

成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。

体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。

ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者サッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。

総合的な学習と池ちゃんスピーチ

創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日会合で池ちゃんスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。

総合学習みたいな時間にはその聖教新聞クラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんときと同じようにA5の便箋感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry

ちゃんスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)

「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチ定番のやり取りで、勉強しろって説法をするとき引用しか言えないのかこの人、と常に思っていた。

他には「戦争悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめ人間100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法理論言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。

「いついつの会合スピーチめっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。

哲学者の道

創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。

中学ロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかに学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報全然出てこない。

最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道

ちなみに近隣の武蔵野美術大学白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。

白梅学園バス停前後創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議朝鮮大学校に関する記憶がない。

終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学学祭に遊びに行ったのは楽しかった。

VIPスレ立て

悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレググる結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレ元祖だと思う。

校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。

生徒や先生たちの宗教観

基本的には学会二世しかいないので、典型的創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。

一方俺はネットde真実ゴリゴリにこじらせていたので、普段からちゃん創価学会懐疑的スタンス公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。

ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。

なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生いたことが印象的。

一方で先生頑迷な人が多かったように思う。一度英語先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん

現代文のH先生

基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。

やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。

ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。

あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。

スクールカースト

平等平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカースト存在していた。

今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。

ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー雰囲気があった。

不祥事

不祥事っぽい出来事もあった。

世は前略プロフィール全盛期、同級生メジャー勢の女子前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティー写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。

停学になったメジャー女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売世界に入ったり、様々なよう。

疲れたのでこのへんで。またなにか記憶の扉が開いたら書く。

追記

履歴書学歴呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。

転職もしつつ順当にキャリア年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。

anond:20220714075813

なぜか夏休み子どもを集めて行われる謎イベントの中で起こったことは外の人間には知る由もない

2022-07-13

文章書いたかアドバイスをくれ。

人間が夜空を最も美しく感じるのは10歳のときで、それより歳を重ねると霞んでいく一方だという言説をどこかで読んだことがある。ふと思い出していくつかの言葉配列を用いて検索してみたが、原文は見つからない。私の願望なのかもしれなかった。

高校入学して初めての夏休み。昼下がりの会食を済ませたあと、中学時代の友人と共に町を歩いていた。田舎道路は全ての人にとって旅路の通過点に過ぎない。当然私たちにとってもそれは同じだったが、朧げにしか意識しなかったし、その必要さえもなかった。畑に埋め尽くされた景色の中で、過剰に舗装されたアスファルトの黒さが不釣り合いに見えた。

会話の間隙にそれとなく見上げた夕焼けの赤に瞼の裏がぬるく解けて、いやに清々しくなって、言葉を失った。そんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだったから、これが青春かいうやつなのかなとか、半ば冷笑的に黙考した。その場には笑い声だけが響いていた。気づけば私も笑っていた。

ある状況の渦中にあることを認識するためには、そうではない状態を知覚する経験が不可欠だ。だから、ある幸せ存在することに気づくのは、消失へと向かうスペクトラムの萌芽に足を踏み出すのと同義なのである

歳を重ねると空や海に涙が零れるようになることだけは知っていたけれど、あの冷えた幸せ終点があることを想像するには私たちは若過ぎた。

17歳の秋に、初めて翡翠水平線を見た。修学旅行の2日目、沖縄の海だった。バナナボートに乗る同級生を尻目に、アトピー性皮膚炎のある私は象牙色の大粒な砂浜をひとり散策していた。平坦な床を歩くことに慣れた私には、踏み込むたびに不規則に崩れる足場が新鮮でたまらなかった。仄かな潮風が体を包むと、澄んだ笑いが漏れる。聞こえる笑い声はあの日よりもずっと多かったけれど遠く離れていて、波音が容易くそれをかき消した。自由になれたような気がした。今だけは隣で笑う人なんていなくてもいいと思えた。

太陽の眩しさすら爽やかだった。あの頃はそれほど偏頭痛が酷くなかったから、眼窩を抉る痛みを知らずに心を真白に染められた。

ずっと、海を見ていたいと思った。交じり合う碧色のゆらめきと地球の呼吸に身を委ねている時間は、何よりも心地よかったから。その日から私は、沖縄の海を憧憬している。

物体永遠の美しさを持ち得ることがないように、我々の審美眼も恒久ではない。その瞬間の網膜を最も鮮明に彩るものは何なのか、私たちの瞳には何が残されているのか、詮索せねばならないと思う。瞬きを注視しなければ、一縷の光はすぐさま通り去ってしまうのだから

2022-07-12

病んでいた日の日記晒す

7/1

夏になると思い出す。

多分この頃の私はまだ頑張って学校に行こうと必死になっていて、起きた時の良くわからない感覚を引きずったまま制服を着ていたと思う。

授業の内容も友達との会話も何一つ覚えていないけど、その感覚だけ異常に頭にこびりついていて、寝たのに寝ていないような、夜明かしして正常に働かない時の頭でずっと生きていたから、自分自分じゃないような、いつでも陣がどこにいるのか何をしているのか何を話しているのかわからなかった。

夏服を着て身軽になったけど学校の前の横断歩道、あそこに立っていると木の葉の影のはずなのにじめじめと暑くて、ベストを着るのはやめればよかったと毎日思っていた気がする。

入学して3か月ほど、学校に行けることが普通になっていて、私もようやくまともになれたと思っていた。勉強人間関係も何も困っていなかった。行きたくないとも思わなかったのに、夏休みが明けた日から私はまた家を出られなくなった。

今となればあの時の私が何を考えて生きていたのか知りたくなるほどに記憶がなくて、ただ死んだように生きていたことだけがわかる。

すべてが憎しみの対象で、理解を示してくる人間の浅さとわかっていることばかり教えを説いてくる人間の多さに常に気が経っていると同時に、悪意のないそれを素直に受け入れることの出来ない自分にも絶望していた。

終わりが見えず、気づけば朝、お母さんが先生と話す電話の声から逃げるように眠って、気持ちばかりの明日の準備を起き抜けの夜にしていたけど、結局は行きたいのに行けないというポーズのための安易な行動でしかなくて、本当は何の気休めにもならず、制服ほとんど新品のようにきれいなことが私を責めるための存在に見えて、わざとしわをつけたり、リボンパッチン留めを壊したりと、ささやか犯行自我を保つことが精一杯の日々を、結論2年半送ったが、今の私はその時の私と変わった気がしなくて、なぜかというと厳密にいえば多少はましになったけれども、時折あの頃の私が顔を出して、お前の本質こちらだと言い聞かせてくるので、そのたび私は引っ張られて、こんな文を書きなぐる羽目になるのだから救えない。

恋も友情も私にとっては取るに足らないことで、別にそれ自体に何かを左右されたりはしない。ただもっと奥深くの人間としての在り方が根本的に違うことを感じるたびに、絶望するあの瞬間をこれまで何度も繰り返してきて、人と関わることそれはすなわち私にとって絶望だと思わされて、そうなると私は他者存在がすべて私を苦しめるためだけのものに思うから、となると誰の言葉も、声も、姿も、感情も、どれにも触れたくなくて、行きつくところは持って生まれ破壊衝動に従うしかなくなってしまう。

けれどもそんな自分をこんな言葉表現できる時点で私も結局その程度の人間しかなくて、要するに私はずっと自分という人間のくだらなさ、つまらなさに振り回されているだけの生き物で、私以上に面白みのない人間存在しないだろうと思いいたるのが常である

しまないと何も生み出せない私のような凡人は、自分から傷付きにいかなければ何一つとして形に残すことも出来ず、その割に心を削って書く、描くことは自分空っぽにすることと同義であるから、私は何も埋まらない、満たされないまま生きていくだけだとわかりきっていて、底の見えた入れ物に価値はないのに、私自身が一番そうだなんて、どれだけ皮肉は私を好くのだろうかと思う。

私以外の誰かと共有した歌を、絵を、作品を、私に語るな。

私だけで完結する世界を求める無謀さ、無知さ、その点に関してだけは私はいつも人一倍底が知れない。

醜くても、目も当てられなくても、恥でも、形にすれば芸術になることが唯一救いだった。自分に酔っていると言われても、肯定出来た。自分を表す、曝け出すなんて正気では出来ないから、それなら私は自分に酔っているだけの馬鹿者でよかった。

から私は早く私を完成させたくて、こんな言葉ではなく、もっと頭以外に響くものを作りたくて生きてきたのに、私という人間は生きれば生きるほどつまらなくなっていて、思春期特有モラトリアムというような、あの頃が私の人生の、まさしく春だったのだと気付いて、それはまた青春なんて輝かしいものではなくとも、私もそんな時期を過ごしていたのだと、呪いだらけの日々が少しだけいとおしく思える一瞬が、時たま訪れたりする。

学校までの各駅電車、3駅分も乗っていられなくて、泣きながら電車を降りる惨めさ、どうしても「普通」をこなせない焦り、しかし同時にそれがアイデンティティとなっていく歪み、どこにも当てはまらないのに形だけ集めたパズルピースの群れ。

あの時の私も今の私も、ただ気持ちが追い付かず、心だけがずっと学校教室の一番後ろに取り残されたまま、大音量で流したロックギターの音や、行き場のなかった寂しさだけがいまだに私を縛り付けている。

かに理解されたら、私は私の苦しみの価値がなくなると信じて生きてきたから、一人でいい。孤独こそが私の救済だと思っていたのに、今私は人を理解しようとももがいたり、人と向き合うことを選んでいて、それは私の今までの生き方人生否定することになるのではないのかと思う気持ちより、人と触れ合うことのうれしさ、喜び、たとえ傷付いてもそれさえも大切なことだと認識し始めていて、

悔しい。プライドの高さも、見合わない才能も、すべてが。それだけだった。

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7/2

いつも最後に行きつくのは悔しいという感情一つなのに、それに気づくまで時間がかかりすぎるのはいだって自分分析に夢中で主観的なその時抱いた気持ち無視してしまうから自分理解しようとするあまり結果的にいつも遠いところに答えを探そうとしてしまう。

他人のことで悩めるうちはまだ余裕があるけれども、自分の持っている内面的な孤独や自他との境界線曖昧さ、他者に対する意識について考え始めると、私は家族友達恋人すべての関わりを持つ人たちを無視して全くの一人になりたくなる。

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7/3

器用だねと言われることもあれば、不器用だねと言われることもある。

冷静だねと言われることもあれば、落ち着きがないと言われることもある。

堂々としていると言われることもあれば、おどおどしていると言われることもある。

行く先々や関りの人々の中で、自分の印象や性格がことごとく極端に言い表されることの多さに私は悩んでいて、これはつまり、どちらにも属していると同時にどちらにも属していないと言うことが出来、また人と関わるうえで、その人に都合のいい人間を演じているから、こうして私という人間イメージが極端になるのだと思うと、それは私のいじめを受けた過去が大きく影響していると思われて、私は今でもまだあの時期に取り残されているようで、そのたび、本当に心に影が落ちる感覚を味わう。

私の存在一貫性のなさ、本質、どこにでもありそうでどこにもなく、見つけようとすればするほど何かを演じてしまい、結局のところ私はそういう生き方しか出来ない、芯もなく、他者という存在を常に意識しながら、囚われもがくことを背負って生まれてきたような、そんな果てのない人格を求めるだけの生き物に思われて仕方がなく、苦しみ、最後自分を傷付けるのは誰でもなく私自身だと気が付き腹が立ち、また同時にむなしさ、やるせなさ、悲しみが襲ってくる。

誰にでも優しいようで優しくない自分がまとわりついてくる。

救急車サイレンに、道のホームレスに、汚れたペットボトルに、路地裏の殴り書きに、胸を痛められない人間がなぜ博愛主義を気取って生きられるのか。

シャットアウトすることを覚えなければ生きていけないと、その夜の苦しみや怨念を線引きして根拠のない基準で優劣をつけて身を守るそのずるさ、汚さ、私には何一つ許せない。

そしてこれを無駄正義感だと笑う人間へ、私はそれでいい。

私はすべての苦しみに、怨念に敏感でありたく、また鈍っていく感受性をそのたび研いで、心の中に隠し持ち、いつか尖らせてナイフのようになったそれで誰かを刺したい。

意味のないことに、意味を見出そうともがく人生は嫌いではなく、すれ違った学生、隣の席のサラリーマン、もう二度と会うことのない人間たちの生活に思いを馳せて、そこに私という人間が溶け込み交わって生きることの出来る隙間を探して、その繰り返しで私は明日も生きていく。

2022-07-09

就職相談

就職相談

大学時代には居酒屋キャッチ雀荘ガールズバー雇われ店長)などのバイトをしていた。友達は同じ学科の人くらいでバイト、昼寝、ネカフェ友達の助けを借りて期末試験レポートを乗り切る、という生活だった。就活は面倒くさくてやらなかった。大学説明会すら行ってない。

卒業した後はたまたまガールズバーで働いていた女の子(今は会社員)と付き合い始め、ヒモ生活。先月に彼女に愛想を尽かされて追い出された。実家に戻ったが真面目な妹や頑固な両親からの目が痛いため就職したい。どんな職種が良いのか適当提示して欲しい。職種や方向さえ定まれば、勉強するなり就活するなりツテを探すなりしてなんとかなる。コミュ力はあるはず。目標目的さえあれば勉強するのも苦手じゃない。

とりあえず様々な職種提示し、怠惰他力本願な俺が今ベッドから起き上がるためのきっかけを作ってくれ。見知らぬ他人善行を働いて、功徳を積むと思ってさ。

スペック

性別 男

・年齢 25歳

学歴 早稲田大学商学部卒(現役、留年なし)

職歴 なし

資格 普通免許、TOEIC790(学生時代にとったやつで今も有効なのかすらわからない)

NG

介護(入所者さんを殺しかねない)

土木大学時代夏休みバイクを買うために地元同級生実家土建屋で働かせてもらった。あれをずっとやるのは無理)

2022-07-04

夏になると海に浸けられていた

私が子どもの頃には、家にも学校にもクーラーがなかったので毎年酷いあせもになっていた。

子どもなので掻き壊して悪化させてしまうのだけど、我が家には私の大嫌いなそして効果てきめんな治療法があった。

海に浸かるのだ。

ただ、これはめちゃくちゃ痛い。傷口に塩を塗るのだから痛い。

夏休み暑い日、予告なく近所の桟橋から父親に両手を掴まれて服ごと海にザブンと浸けられていた。2メートルほどとはいえ水深のあるところだったので泳げない私は痛さと水への恐怖でこれを非常に恐れていた。だからこそ親も予告しなかったのだろうけれど。

その後シャワーを浴びたかは覚えていないが、その日は入っていないんじゃないだろうか。

その効果は素晴らしく、翌日にはあせもの傷口が乾いて数日で完全に治っていた。嘘のように効果があった。

大人になってあせもにならなくなり、このことはすっかり忘れていたが、海のない街で子供を育てることになってあせもを薬で治すことに驚いた。

海に入ればすぐに治るのに???すぐに「あせも 海」と検索したら民間療法として一部で知られている方法らしい。

アトピーにも効果があるとかないとか。

まり医学的な研究がなされている様子ではなかった。

そりゃ、海のない街はどうするんだろうとは思ってはいたけど…自分が当たり前だと思っていたことが違ってびっくりしてしまった。

夏休み期間の部活は止めるべき

代わりに夏休みエアコンの効いた部屋で授業をするべき

2022-07-03

妻の気持ちが分からない

夏休み家族で海へ行く計画を立てている。

前に妻から、土日は人が多いからこの日の金曜日休めない?と聞かれたので、日をあけていた。

だがそこに学校行事が入り、変更する必要が出てきた。

「じゃあこの日の金曜日はどう?」

と妻に言われて、じゃあそこでもいいかなと思ってたら、

「その日は子供のお友達と会うことになるかも」

と言われる。前から約束していて返事待ちだったらしい。

「だから、この水曜日はどう?私はこの日から仕事休みから

と言われる。

「いや、俺は普通に次の日仕事だし…」

と言ったら、

「じゃあどうすればいいのよ」

と強い口調で言われた。

「この日は?」

「この日は私忙しい」

「じゃあ土日でもいいじゃないか

「平日の方があなたが人混み苦手だから疲れないと思って」

その気遣いはありがたい。

だが妻はすでに怒りモードになっていた。

から気遣いもあるだろうが、単純に人が少ない時に子供を遊ばせたいとか、そういう理由が一番なんだと思う。

そうでないと、水曜日に行くなんて提案はしないはずだ。

その後も妻は強い口調で色々話し始めた。

なぜ水曜日に休めない?と言わんばかりだ。

久しぶりにこの展開だ。こうなると話し合いにならない。

妻も疲れてるんだろうな。

結局「また考える」と言ってひとまず話し合いを終えた。

こんなことばかりでいつか分かり合えるんだろうか。

2022-07-01

子「昔はもっとしかったのに夏休みがあってそれなのに今夏休みが増えないのはおかしいよ」

親「今はエアコンがあるから毎日勉強が出来てうれしいね

子「ハッとした。いい大学に入るためには今がチャンスなんだね」

男同士で相撲して遊ぶとかあるのね

ゴールデンカムイラッコ鍋回ではムラムラした杉本たちが相撲を取ろうと提案して相撲するけど、相撲なんてそんなもの普段やらないものであり、それだけ彼らがムラムラしているという描写かと思ってたんよ

夫と何気なく高校時代のこと話してたら、高校の時に友達と俺の家の布団の上で相撲取ってたとき地震来てあれはビビったなあ〜とか言ってていや相撲するんかい?!って驚いた。夏休みとかは山奥の浅い川とかでも相撲してみんなでずぶ濡れになってたらしい。なんやそのBLは。

ゴールデンカムイのあのシーンの解釈変わったわ。ヨコシマな目で見ていたのを謝りたい

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