はてなキーワード: マイナス思考とは
http://anond.hatelabo.jp/20170124075815
誰がお前の話題出しながら仕事なんてするか。どんだけプライド高いんだ。
高学歴でプライド高いくせにうじうじとマイナス思考で、自分の気持ちを他人に伝えないとか、そりゃ周りも面倒だと思うし感情も悪くなる。
まずは自分の気持ちを他人に伝えろ。エスパーじゃないんだから。どうせ言っても無駄だしとか言う前に言え。
それで雰囲気最悪になったら転職でもしろ。妻に言って喧嘩になったら離婚しろ。でもお前が想像するような最悪の結果には絶対ならないぞ。
あとアドラー心理学の本でも読んでみろ。お前みたいな完璧主義の心配性にはちょうど良いぞ。
やめるときの離脱症状がひどいことで有名なパキシルを断薬して3週間がたった。
はじめ1週間は、ひどい吐き気やめまい、船酔いのような感じが強かったが、もう収まった。
眠りも浅くて3時間おきに目覚める。
かと思えば仕事中に強烈な眠気が来て、帰宅後早々に布団にもぐり込む→悪夢で目が覚める。
体は疲れていて眠りたいのにぐっすり眠れない、というような。
仕事は、半日と、1日半欠勤してしまったが、何とか踏みとどまって通っている。
精神症状のほうもきつい。
私には特によく効いて、中~重度のうつから救ってくれ、はつらつとした明るさをもたらし、人間関係での病みも減らしてくれた。
うつが治って服薬しながら社会復帰した頃は、人に会いたい、話したい、笑いたい、そんな欲求がこれまでの自分じゃない別の所から沸いてきて、
「パワーがあるね」「めっちゃ明るいね」と周りからは思われていたと思う。
そんな自分が割と好きで、薬のおかげでうつも寛解し就職もできたと思っていた。
いま、脱力感、無気力、マイナス思考のループ、泣きたくなるような衝動、死にたいような気持ち
に襲われている。
薬との付き合いはもう7年になる。20代の半分以上を服薬しながら過ごしてきた。
以前の自分がどういう性格だったのか、本来の自分というものがあまり思い出せない。
もともと人付き合いは苦手で内向的、悩みやすく神経質、真面目で不器用なうつ親和的な性格だったように思う。
治療のためだっとはいえ、パキシルで、うつっぽかった性格が底上げされたような気がする。
離脱症状はいつまで続くのだろうか。引きこもりたい、誰にも会いたくない、眠っていたい
こんな症状はいつか終わって、またハッピーな性格になれるのだろうか。
薬なしで?
離脱症状で不安、ネガティブ思考が強まっているせいもあるのだろう。
それが終わったあと、薬なしの自分はあの頃の自分なのだろうか。
それとも、もう少し元気で強い私に成長しているのか?
ソースは http://i2.wp.com/mera.red/wp/wp-content/uploads/2016/07/1469509643379.jpg
黒塗りは [黒塗り] と表記
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし, 保護者の疲れきった表情, 施設で働いている職員の正気の欠けた瞳, 日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化, 本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
障害者は人間としてではなく, 動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し, 保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活, 及び社会的活動が極めて困難な場合, 保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
フリーメイソンからなる [黒塗り] が作られた [黒塗り] を勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく, 多くの憎しみを生みますが, 障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。今こそ革命を行い, 全人類の為に必要不可決である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非, 安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
衆議院議長大島理森様, どうか愛する日本国, 全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
文責: 植松 聖
――改ページ――
私は大量殺人をしたいという狂気[?]に満ちた発想で今回の作戦と[?]提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを*[?]に出し, 実行する決意を持って行動しました。
今までの人生設計では, 大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし, 特別支援学校の教員を目指していました。それまでは, 運送業で働きながら [黒塗り] が叔父である立派な先生の元で3年間修行させて頂きました。
9月車で事故に遭い目に後遺障害が残り, 300万円程頂ける予定です。そのお金で [黒塗り] の株を購入する予定でした。 [黒塗り] はフリーメイソンだと考え( [黒塗り] にも記載)今後も更なる発展を信[?]んじております。
外見はとても大切なことに気づき, 容姿に自信が無い為, 美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳, 小さい顔, 宇宙人が代表するイメージそ[?]れらを[?]実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。
本当は後2つお願いがございます。今回の話とは別件ですが, 耳を傾けて頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。
精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり, 人生に絶望しております。心を壊す*[?]に頼らずに, 地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可決だと考えます。何卒宜しくお願い致します。私は信頼できる仲間と過すことを目的として書いています。
日本には既に多くの賭事が存在しています。パチンコは人生を蝕みます。
街を歩けば違法な賭事も数多くあります。裏の事情が有り, 脅されているのかも知れません。それらは皆様の熱意で決行[?]することができます。
恐い人達には国が新しいシノギの模索, 提供することで協調できればと考えました。日本軍の設立。刺*[?]を認め, 簡単な筆記試験にする。
出過ぎた発言をしてしまい, 本当に申し訳ありません。今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。
――改ページ――
作戦内容
重複障害者が多く在籍している2つの園(津久井やまゆり, [黒塗り] を標的とします。
見守り職員は結束バンドで見動き, 外部との連絡をとれなくします。
逮捕後の監[?]*[? 毎日新聞では「禁」] は最長で2年までとし, その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前 [黒塗り 毎日新聞では「伊黒崇」] )本籍, 運転免許証等の生活に必要な書類。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが, 安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松(うえまつ) 聖(さとし)
[黒塗り]
数年前に精神科にかかってたけど薬をやめたほうがいいみたいな本を読んでやめよう!と思ってその本を書いた医師の病院に行ったら薬飲んでるかだけ聞かれて「薬飲んでるの?じゃあもう二度と薬やめられないよ」って言われて帰された。
薬を処方されるわけでも何かアドバイスされるわけでもなくそれだけだった。
悔しくて悲しくてマイナス思考しか働かない時期だったから二度と薬をやめられないんだと思って会計を待ってる間の待合室で泣いた。
のをずっとずっと何年も覚えてて別の病院で断薬できたけどその病院のことが忘れられないから口コミを書いたんだけど、もし名誉棄損とかなんかそういうので訴えられたりいやがらせされたらいやだなと思って口コミを消した。
匿名ダイアリーとはどんな時に使うものなのかは知らなかったけど、さきほど湯船に浸かっている時に、
またいつもの「どうしようもなく誰かに言いたい、でも身内には聞かれたくない考え」がこみ上げてきて、
多くの人はSNSとかに書くのだろうが、学校の友人やアルバイト先の知り合いなどが見ている前で生々しい文章は書きたくない。
22際の僕は、記憶力が低い。というか、日々著しく低下している。
数年前は1周間もあれば般若心経を空で言えるほどに暗記したりできたが、今や4日前に話した内容も覚えていない程である。
日が経つにつれ記憶のキャパシティが減ってきて、また一つ、何かを忘れている。
きっと精神的な病気か、後天性の障害なのだろうけど、他にも躁うつ病やら統合失調症やら強迫性障害といった病気の症状も自覚があるし、
怖くて病院に行けなくてハッキリしたことはわかっていない。
友人や家族、遠距離恋愛中の彼女などに、「それ、この間も聞いた」とか「前に話したじゃん」とか言われると、
「そうだっけか、ごめんごめん」とか言いつつ軽く笑いながらその場しのぎをするが、実は同時に胸がとても苦しくなる。
「あー、また忘れてたのか。」心の中ではいつもそう言っている。
会話の記憶を亡くすだけでなく、書類の提出期限を忘れたり、取ってあるアポをすっぽかしてしまったりすることもあって、
来年本当に就職出来るのだろうか、就職しても仕事をこなすことが出来るのだろうかと心配になっている。
「つらい」アピールをしたいのではなくて、少しでも前向きな気持になれないか、と思うからだ。
「大丈夫だよ」と言ってくれるだけでとても救われるし、「自分がここにいていいんだ」という安心感が得られる。
でも本当に辛い時は誰にも言えないし、何も言えずに涙だけが出てきて言葉が出てこない。
こういうマイナス思考の僕は、いくら存在を肯定してくれる人の前でも、自分が関わっている事が申し訳なくなってしまう。
いつも迷惑かけてごめんね。
そういう事をたまに書いていこうか、と考えている。
ショックな出来事があった。
しかし、前々からその可能性があると聞いてから確定するまでそれなりに時間が経過して、いざその時になったときは意外と冷静だった。
淡々と物事が進みその出来事が終了し、思っていたほど酷いショックじゃないのかもと思っていた。
でも全然大丈夫じゃなかった。突然涙がボロボロ出たり、どうにもならないほどマイナス思考になったり、眠れないのに布団から起き上がることも辛くなった。
頭では仕方がないことだとわかっていても、体が勝手に反応する。
どうにもならないので、自分を甘やかすことにした。ひたすら感情の赴くままに任せた。
泣いて、泣いて、泣き叫んだ。家の中だしいいかと、涙がとまるまでずっとずっと泣いた。
涙がボロボロ出てくるのと、泣くのは違う。前者は自分の意志と関係ないが、後者は自分から泣こうと思って泣いている。
泣いている間ずっとその場にいた家族に抱きしめてもらっていた。今から泣くから、でも泣くだけなので、何も言わず背中をさすりながら抱きしめてくれとお願いして。
その宣言に多少困惑した様子だったが、途中から家族ももらい泣きしていた。事情を知っていたからかもしれない。
泣き終わって、とてもすっきりした。心と体の剥離がなくなった気がした。
飲んだのはエチラーム0.5mm。有名なデパスのジェネリック製品。
買ったのはオオサカ堂。
1日1錠。今は2日ほど飲んでない。
肩を回せば周りに聞こえるほどゴリゴリなっていたのが少し軽くなった。
今は飲んでいないので肩こりが復活している。
今回一番伝えたいところ。
この薬はステータス異常を回復し安定させてくれるが、HP及びMPを回復させてくれるわけじゃない。
そこの回復は他の手段で取るしかない。エリクサーは現実にはない。
就活は失敗して70社近く面接を受けたが内定は1社のみだった。
今年配転になって、今までの部から離れた。
それがストレスだったようで不眠、無気力、自殺願望などの症状が発露。
心療内科に行くのは高いため薬を買ったという経緯。
SNSで知らない人が何か面白そうなイベントをやると告知したら、すぐに参加したりしていた。
それで悟ったことがある。
人生を本当に楽しめているのは、一部の人間だけだということに。
もちろん大多数の人もそれなりには人生を楽しめるのだが、
ある種の人の楽しみ方は、それ以外の人とは全く次元が違う。
彼らをオプティミスト(楽観主義者)と言えば、イメージに近いが、
それとも少し違う気がする。
「気まずいなぁ」とか「どう思われてるだろう」とか「何を話せば良いんだろう」などと気をもんだりしない。
普通の人は気まずい場などに居ると偽物の笑顔の下で冷や汗タラタラ胃はキリキリという事が結構あるが、
オプティミストは、どんな現場でもあまり気まずさや居たたまれなさを感じない。
普通の人は何か楽しそうな事を思いついても、関係者がどう思うかを心配して、実行しなかったりする。
すぐに不動産屋に電話して、賃料などを確認し、立地などからできそうな事を想像し、
その場でスマートフォンで関係するキーワードでSNSを検索して、初対面の人に連絡を取り、
などという事が、何の心理的抵抗もなく行える。「自分は素人だから。。。」などというマイナス思考は一切ない。
別に本気で起業しようと思ってるのではなく、単に面白いから、という理由だけで実行できてしまう。
だから街をダラダラ歩くだけでも、誰か知らない人と話をするだけでもワクワクしっぱなしなのだ。
普通の人では上記のことは、よほどアイデアに自信があったり、何か逼迫した事情がないと実行できないだろう。
見ず知らずなのに、いきなり「飲みませんか?」などと誘ってくる人に乗っかる人はたいてい
オプティミストのケがあるので、そういう人で集まって飲むと、すぐに具体的な話がどんどん進んで行く。
その過程で、情報収集の為に一緒に旅行に行ったり、イベントに参加したりする中でフィルタリングされ、
なぜなら「最初のアイデアにたまたますごく興味があって参加した普通の人」は、
話し合いの中で出てくる、ほとんど本筋と関係ないようなイベントには参加しないからだ。
オプティミストは目的が違う。成功することが目的ではなく、その過程を楽しむことが目的なのだ。
だからわざとそういう人だけが残るように最初の呼びかけと関係ないイベントを発案して実行したりしていた。
単なる好奇心でそうしていた。
私はその途中で躁状態が解除され、普通の人に戻ってしまったので、
(彼らには思考や文体からすぐにバレるだろう。突然連絡取れなくなった奴が私です。当時は失礼しました)
私だけが何もできない泥沼のような中を無為にダラダラと過ごしている。
当時の連絡先を使えば、容易に成功が手に入ることはわかっているが、
恐ろしくて実行できない。
当時の知り合いから連絡が来ることもあるが、
すぐに色んなことに誘われて面倒だからだ。
今では、ただただ、ひっそりと無難に生きて行きたい。
でもたまに当時のことを思い出して、みんなが羨ましくなる。
あ、素人童貞だった自分がやっとの事でゲットしたモデルの彼女には、すぐに振られました。
8/9 1:50 追記
ホッテントリ入りしてるのに気が付いたので、多勢に変に誤解されないように追記。
「リバウンドで躁病になった」というのは確かにおかしいかも。医者にも「躁転してますね」って言われたんだった。
当時は「これは躁じゃないよ。本来の自分だよ」と思って気にもしてなかった。病院にもすぐに行かなくなったので、ちゃんとした病名は不明。
躁鬱の人がこんな文章を書けないってのは、どういう意味かよくわからないけど、今はうつ病ではないです。普通の状態です。
即行動でウェーイの人が孤独ってのは、意味がよくわからない。私の知人は、心の中まではわからないけど、心底人生を楽しんでいるようにしか見えない。
あと私自身がウェーイ系の人と相性が良くないので、あまりウェーイな人とつるんでる認識は無い。ウェーイの人の事はよくわからない。
ハイテンションというのも、ちょっと違う。大声を出したり騒いだりは、みんなしなかった。「カンパーイ!!!」とかほとんど無かった。
ただ「これどうですかね?」「へー、面白いね。やってみよう」みたいな方向でノリノリではあったけど。
一部シェアハウスに出入りしてた時期に「あー、これがウェーイ系かー」と感じたことはある。そういう人は確かに空虚な感じがした。話もあまり面白くなかった。うるさいだけ。
急に性格変わったって人はひとりだけ知ってる。大学生のころに何かを悟ったらしいけど、その後も彼女はその性格を10年以上維持してるので躁病では無さそう。謎。
でも、そんな人はひとりしか知らない。たぶん1000人以上に会ってるし、けっこう深い話(好きなんです、そういうのが)をしたが、自己啓発みたいなので性格が変わったって人はひとりも会った事ない。無理してるなーって人には結構会ったけど。
失敗してる人も多そうって言うけど、オプティミストから深刻な失敗の話は聞いた記憶がない。借金して大変って話は噂も聞いた事がない。軽い失敗は、楽しいからぜんぜん問題なしって感じだし。そういう小さい失敗なら、成功の数十倍はある感じ。
逆に普通の性格だけど、頭が良かったり、少し意識が高くて行動力がある程度の人は、深刻な失敗をしてる人が多かった印象。
あと、オプティミストの人に共通するのが、すごく自然体なこと。変にテンションを上げたり緊張したり力が入ったり、他人を攻撃したりする人はほとんど居なかった。
例えば堀江さんとかひろゆきさんがテレビとかで他人を攻撃してるのを見るとわかるけど、あまり怒ってないんだよね。
不快感は示すけど、根に持たないし、すごく付き合いやすい。躁状態の自分はけっこう失礼なことを言ったりやったりするけど、
25才
中卒
37才の妻あり
妻はバリキャリではなく、俺のためと老後のために働いてくれてる感じ
子どもは嫌いなのでいらないらしいし俺も欲しくない
同居開始以降、毎日45分間のマッサージと家事全部を俺が担当してきた
まあ子無し専業主夫ってことですかな
んで今、捨てられかけている
というのも俺はもともととある精神病を患ってるんだけど、それが悪化してきて家庭内のムードが悪悪な感じに……
つらいと妻に当たってしまうし(肉体的暴力ではない)、四六時中マイナス思考全開のことを言って妻を疲れさせてしまう
ということでまた通院をはじめた
あと妻はいつかは二馬力、もしくは俺の一馬力にして選手交代したいと思ってる
ところが俺が働ける気配がないので、かなり不安になっている様子
そこで、だ
今後将来のことを考えて、資格なり進学なりを考えてるんだけど
どれがいいかなあ
妻は好きなことをしろとややもうどうでもよいという態度で言ってくれるけど、
あるとしたら妻をハッピーにしたいということくらい
どれがいいんだろうか
薬で頭が働かず、まとまった文章がかけない
すまん
ここまで変な奴が次から次へと押し寄せてくるのは、本人のせいでもあるんだろうけれど、それ以上に「こいつは適当に扱っても良い」という変なコンセンサスが出来上がり始めてる兆候だとしか思えない。
自衛のためにも青二才は、自分が臨まぬ話題を降ってくる奴に対しては会話せずにブロックしていく、で良いと思うぞ。
現在と未来の青二才こと三沢文也さんへ - 私は流行、あなたは世間
こうやってちょっと見知った程度で知ったような口調で自分語りを初めて、その経験を相手に押し付けようとするのって何なの。善意のつもりなの?余計なお世話。ちょっと検索すれば青二才が散々ネットの振る舞いのおかしさから自己愛性人格障害だの境界性人格障害だのなんだのと言われて苦しんで、そのあとナースの手引で専門医の診断を受けて発達障害および躁うつ病だという診断をうけたことくらいわかる。長々とした記事を書く暇があったらまずちゃんと調べろ。
そういう手間を惜しんでる時点で、誠意が感じられないんだよ。
@filmstar75 専門知識もなく人格障害呼ばわりする人は僕が躁うつ病という診断結果をもらう以前からいっぱいいましたが、それはあたってません。差別的にそういった見解を振りかざされることに大変迷惑しています。— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 ああ、有難うございます。エントリ読まれたのですね。非常に失礼な質問をしますので、お気に障ったならブロックして下さい。「あたってません」と断言される根拠はどこにおありですか? あと確かに「人格障害」という言葉は「差別的」な響きがするので、私自身実は使いたくないのです— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
これだけ不愉快な思いを率直に伝えてるのに迷惑だったらブロックしてくださいねと言いながらも話しかける図々しさがまず理解できない。
@tm2501 そうなんですね。私も実は境界性人格障害ではないかという疑いを抱いていて、医師や知人からは「いや発達障碍であってそのケはないよ」と言われたのですよ。ですが、自分は境界性人格障害だと考えた方が生きやすいのです。ひとつの尺度として、そんな視点も取り入れた方がいいかと……— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@tm2501 有難うございます。まあ、三沢さんがそれで生きていけるというのであればいいのですが(定型発達者であっても心の何処かは病んでいる、という極論も成り立ちますし)、私からしてみれば今の三沢さんはかなり苦しい立場に追い込まれているように思われたので、お節介を焼いたという……— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@filmstar75 多くフォロワーを抱え、人気のブログを運営するということはこうした窮地はつきものだと思ってます。もちろん、私自身の最近のマイナス思考・卑屈さが彼らに付け入る隙を与えたのは認めますが、基本的には「ネットにいれば、抱えうるトラブル」と言う認識です。— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
あまり言いたくないけど、僕が失言をしたというよりも、僕が書いたことに対して、自分と言うバイアスを掛けていいの悪いのと騒いでるだけの人が多すぎる。もしくは連綿と書き連ねたはずのものから1ツイートだけを抜き出して叩く流れがね— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 本物川氏は悪く無いといった口ぶりなら私はもう話すことはありません。いかがでしょうか?— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 では、今の私が聞けぬのは私が未熟ゆえと…そう仰りたいのでしょうか— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 @filmstar75 10;横から失礼します10;本人にも周囲にも多大な被害を与える典型的なBPDは少数派で、むしろ、診断上微妙なラインでマイルドなBPD的要素を持っている、というタイプの方が多いそうです10;いずれにしても、自覚出来るかが一番の予後改善因子だと思いますよ— Hilenn@充電期間 (@Hilenn) 2015, 6月 21
@Hilenn @filmstar75 傾向ぐらいならまだ認めないでもないですが、今回の場合、いきなり朝っぱらからネットで言及したのなんのと書いてきたと思ったら、ヤれお前は人格障害だ、ヤれ今の君にはわからない、ヤれ未来の君に語ってるですからね…怒らせる気でしてるとしか思えません— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@filmstar75 痛みなど客観視こともできないので、言い張るだけ無意味でしょうが自分の人生があきらめと敗戦処理だと感じるほどの相当な痛い目に遭ってますけどね…。それで「君は痛い目を見てないからわからない。未熟だ」とおっしゃるわけですから人に物を話す態度ではないでしょう— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
正しいか間違ってるかの問題じゃないと僕に説教がましく炎上してるさいに行ってきたのに、炎上した後にやってきた人がこれが正しいのだ。言い方はどうでもいいんだと言う態度でやってくることにいつもいつも「あ、この人僕と同じかそれ以上に自分が見えてないんだ」と感じる次第— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
私に言わせれば、資質も論理も言い回しも全部「お前が気に食わない」というためだけにやってる人をいっぱいみかける。だから、そういったものに対する信用がないし、そういったものに騙されて私の旗色次第で「アイツは抜けたやつだった」と後出しジャンケンしたりする人がいて信用ならない(実際いた— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 いや「痛い目を『全く』見てない」とは言いませんよ。三沢さんの生きづらさに関しては、私も繰り返しますが発達障碍者なので共感するところも大です。応援したいとも思ってますよ。ただ、今の三沢さんの生きづらさを客観視しラクになる中に「人格障害」という目指しを組み入れては、と— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@Hilenn @tm2501 ああ、有難うございます。そういうものなんですね。リプライが後手に回ってしまって申し訳ありません。私の場合マイルドなのかなあ……(あくまで「私の場合」)。ネットで本当に炎上を繰り返して来た痛い過去があるので、この年齢になってもその自覚は消えないですね— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
@filmstar75 私の母はあなたのためと言いながら、発達障害の人間が最も嫌がることを25年間繰り返し、高校時代にはもうすでに抑うつ傾向にあって精神が壊れそうだった体験をし、そこから5年、地面を這うように生きてきましたが再び病みました。それが私の答えです— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
@tm2501 私は三十三歳という、人生をやり直すには遅過ぎる年齢で「発達障碍」だと自覚しました。今でも底辺を這いずり回っています。事情通なら三沢さんに向けて申し上げていることは全て「お前が言うな」で片づけられることなんだろうと思うんです。ですのでアドヴァンテージは全然ありません— Filmstar(めぼし影星) (@filmstar75) 2015, 6月 21
医者がそういった記事を書いてる事をリンクを張った事について読まなかったのか…。この人にかぎらず、こういった書き込みが多いから「あんたら、本当にこっちが書いたものを読んでるのか?」感。 https://t.co/cNqfPA1Vx3— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
君みたいな反応をする奴がいるからこの記事は書いてから公開しようか1ヶ月ぐらい保留にしてたんだわ…。で、保留にしてた時に「1ヶ月のうちに治すだろ」と思って予約投稿設定にしてたら出たわけでして…あ、返事とかいらないからミュートにするわ https://t.co/8VzWIjjFzA— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
君のような人に悪口を書くことしかできぬような人格的なクズがネットの居心地を悪くしてるのに、クズに怯えろとクズの存在を正当化しないでいただきたい。まぁ、クズであることを貫いている点いかにもそれらしい発言だが https://t.co/6qOsIrhUwY— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
「凡人から優しさを取ったら何が残る」と述べたmebaeさんは優しい人だ。だって、僕と違って優しさが人から取り除けるプラスの何かだと考えてる。根本的にズレてる人が優しさだ、あなたのためだということの迷惑さにmebaeさんは触れてないからね。優しさなんて性質でしかないと思う人と違って— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
私は今回の体験でもっと積極的に人払いしないといけないと思ったから、ガンガン人払いしていく。話の取っ掛かりからして「これは駄目だ」と思えば、話すだけ話すけど聞かないし、私につきまとうしかない人についてはブロックかミュートにしていく。必要なことだ— 三沢文也@2級世捨て人男子 (@tm2501) 2015, 6月 21
もしも男性陣の中に
できれば草食系の男性に慣れていない女子と付き合いたい(できれば処女がいいなど)の
希望を持っている方がいれば、参考にしていただければと思う。
まずは見分け方として、どのような特徴を持っている子が多いのかを
箇条書きでまとめてみよう。すべてが当てはまるとは言わないが、判断材料に使ってみてほしい。
1、女友達は多い
5、恥ずかしがり
7、真面目
8、男子に対するボディータッチは”失礼なこと”だと思っている
9、人見知り
11、ほんとは恋愛に対して夢見がち
12、同じものを長く使うのが好き
13、自分に自信がない
14、どちらかといえばマイナス思考の受け身型
15、それかマイペース
16、やたらと周りに気を遣う
17、気を遣いすぎて笑いを取りに走るタイプ
18、笑いをとるために自虐を多用
19、誰にでも平等に接する
20、人に弱みを見せるのが苦手、口癖は”大丈夫”
類は友を呼ぶということで、私の周りには似たようなタイプの友達ばかりだったが
8のボディタッチに対する認識は、肉食女子と草食女子の違いが最も浮き彫りになる点だと思う。
草食=ボディタッチは、馴れ馴れしくて失礼なこと
と考え方がとにかく根本的に違う。
12の同じものを長く使うのが好きというのは偏見かもしれないが
とにかく財布やら鞄やら色違いのものをたくさん持つというタイプではなく
ちなみにファッションや顔の良し悪しスタイルなどは、全く基準にはならない。
中にはすごく地味な服装や顔立ちなのに
良くも悪くも男性に不慣れな女性は、真面目で不器用な女性が多いともいえる。
あっという間に一線を越えてしまったというパターンを辿っていた。
ガードが堅そうな割には案外、押しに弱くて落としやすいというのも
この点、出会いの有無というのはやはり大きい。
彼女たちは、恋愛したいよね~とか言いつつも、のほほんとマイペースに歳を取っていく。
その生息地は主に女子大だろうが
遊び目的ではなく
大切にできる彼女がほしいと望むのを前提に
好みの河合子を見つけたら即座に
授業の進度を聞くやらして
仲良くなる
という展開もありかもしれない。
めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。
30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。
今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。
ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。
誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。
私は非常に他人の目が怖いです。
高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。
まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストンと理解できたので、高校・大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。
多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。
現在実家を出て一人暮らしの社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏とかいたらな~ってぼんやり思うことはあります。
しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。
だからいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります。
好きってところまで行かない。
普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。
お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがあります。お見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。
あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人と生活するなんて耐えられる気がしない。
自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗の性格わるいやつだ。
で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。
(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科のカウンセラーさんに言われたからでした)
そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。
私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。
太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。
あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。
いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動も基本的にはいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。
小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います。
因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。
母は泳げないので。
下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。
小学校に入り、中学、高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。
確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。
その時にはもう物心つくかつかないかのころから「どんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと
「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、
実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」
と言ったことです。
もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。
今でもこれを定期的に思い出します。
そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。
で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。
夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。
あ、結果はただの皮膚炎でした。
「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?
デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。
「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。
多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。
短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry
弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。
別に母と違って地黒じゃないので極普通の肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちageの材料でしかありませんでしたかこれ。
あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。
性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。
中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通のデブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます。
父は職場は近かったものの仕事で帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝しています(アクション映画好き)
大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さない言葉を吐かれた事がありました。
何を言われたのか、内容はもう忘れています。人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。
ただ『許さない一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います。
あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。
就職も新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)
ただここでも、中学、高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。
なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。
親にとっては友人達に対するちょっと毒舌な冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。
そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。
仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います。
別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。
大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。
良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子どもが奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子どもの人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。
小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもだから仕方ないけど)
(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だから、お姉ちゃんだから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話で
「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」
とかって言ってたことです。
恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます。
昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います。
因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。
なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。
そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。
特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。
言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。
成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。
返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。
おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。
寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。
ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。
友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族に馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。
服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。
「デブスが何してもムダムダwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。
普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。
実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。
甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。
みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。
友達に子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。
義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。
基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。
ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとはダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。
三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw
そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります。
そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。
でもあの人はきっと子どもが自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかしい子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます。根暗ですが。
メールも電話も、受けたら9割愚痴のため、母親のサンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。
父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。
ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。
たまに両親からは地元で就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿
私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。
でもある程度成長してから、特に就職して実家を出てからこの性格を改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。
しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。
そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考は根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます。積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。
素でぽっくりいくのは地味に難しそう。
楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画も小説も漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。
あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……
健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。
そうだなあ、出来れば親より先に死にたい。
親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。
でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。
でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。
大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。
こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的に悪者になって終わるオチも見えるので
ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。
こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通の幸せ家族を未だに厨二病でナナメに見てるだけなのかな。
でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。
でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。
でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。
こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、
「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー。
そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦の愚痴でした。なんで自分の性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。
そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。
ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。
お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)
++追記
すみません、長いですよね。でもありがとうございます。
一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw
そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました。自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります。
あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw
ご結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!
考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます。
本も読んでみますね。
元増田です。
堅実な目標すら掲げてない。
「完璧主義者」で「マイナス思考」だから僕にとっての「堅実な目標」はそのラインになるのです。
僕は完璧主義者です。
完璧主義者には「何かに挑戦するときは高い目標を掲げ、結果と目標の差を埋めようとするタイプ」と
「何かに挑戦するときは堅実な目標を掲げ、それを100%クリアすることを望むタイプ」がいます。
両者は似て非なるもので、前者が高い目標をとことん目指すのに対し、
後者は低い目標を完璧にクリアはしますが、それだけで満足してしまうのです。
ちなみに、僕は後者です。
それだけでも十分ダメだしクズだなと思うのですが、さらに僕はマイナス思考の持ち主でもあります。
これは最悪の組み合わせです。
失敗のイメージしか思い浮かばず、できない理由はあふれるように出てくるのに
結果として目標を限りなく低く設定するか、最悪の場合何もしないで終わるのです。
だいぶいい年になりましたが、自分の人生を振り返って、何かに挑戦してきたか?と考えると、何もありません。
苦手なことからはすべて逃げてきたのです。
できることしかやってきませんでした。
きっとこれからもそうなのでしょう。
また、これらと関連して、僕は嘘をつくのが苦手です。
できると思っていないことをできると言い切れません。
僕「成功するかは保証しかねますが、上司さんが責任を取るとおっしゃるならがんばります」
僕「君を幸せにできるかはわからないけど、そうなるように努力するから結婚してほしい」
(当時の)彼女「はぁ?」
というようなことは何度もありました。
ダメな「完璧主義者」の僕は、目標を限りなく低く設定することでストレスを軽くしようとしているのだと思います。
結果は100点ではなかったけど、当初の目標はクリアしたからOKだよね、的な。
できると言い切れよと言われるでしょうし、実際何度も注意されてきましたが、どうしても断言できないのです。
僕ごときが何かを成し遂げることなんてあるだろうかと思いますし、
できないと思っていることを「できる」などといった日には、
内なる自分が「お前になどできるはずがない」と毎日毎時間毎秒言われ続けるんですから。
誰しもが何らかのストレスを抱えているのかもしれません。
でも僕には、その負荷は耐えきれないのです。
思考矯正しようと、何度もポジティブシンキングに努めました。
ふと気が付くと、いつものようにマイナスの考えしか浮かんでこない自分がいるのです。
「完璧主義者」の僕は、そのたびに目標を達成できなかった敗北感や劣等感、虚無感など
今では、挑戦しようとすらしなくなりました。
それでも、今からでは遅いのかもしれませんが、できることなら変わってみたいです。
僕に何ができるのでしょう。
僕は何をしたらいいのでしょう。
苦手なことはたくさんありますが、生きることが一番苦手なんだと思っています。
余談。
「自分が自分を好きにならなきゃ、誰も君のことを好きになってくれない」
「自分で自分を好きになれないやつは、誰からも好かれない」と言っているわけで、
マイナス思考の人を崖から突き落とすような、プラス思考の人から見た一方的な意見だなと思います。
「マイナス思考なところはあるけど、私は君のここが好きだ」と言ってほしいわけで。
酷い妬みやマイナス思考が渦巻いていて何もヤラない奴ってムカつくよね
世の中ではマイナス思考は駄目!プラス思考にならなきゃ!ネガティブだめ絶対!ポジティブに生きればいい事がある!って言われてるけれど
実際にはプラス思考で生きるよりもマイナス思考で生きた方が成功しやすいし心の満足感も得られやすいと思うんだよな
絶対に上手く行く筈!と思って行動して駄目だったら落ち込むけれど
絶対に失敗する!と思って行動すれば、失敗しても大してショックを受けないし成功したら喜びが倍増する
どうせ失敗すると思ってやれば、新しいことにもチャレンジしやすい
それに失敗を見越して準備しておくとあらゆるトラブルに対応でき、結果的には成功しやすい
…とは言ってもやっぱり色んな統計や実験をした結果としてプラス思考を進めてるんだろうし、マイナス思考だとよくないのは事実なのかな
http://anond.hatelabo.jp/20140119135908
http://anond.hatelabo.jp/20110308212302
「深読み思考」と「極度の反省思考」は認知行動療法に通じるものがある。認知行動療法をいい加減に紹介しよう。適当な説明なのでちゃんとした理解はちゃんとしたところでよろしく。
認知のゆがみとは、ささいな失敗で「自分はもう終わりだ」と思ってしまうようなのを直す。
よく考えれば、そんなに悲観することはないんだけど、思考がそこまで進まない、もしくはとても時間がかかる。
その「よく考えれば」のところまで、なるべく早く行き着くようにしようというのが認知行動療法。
なにかのできごとに接したとき、頭の中に浮かぶ考えをなるべく正確にとらえる。「自動思考をとらえる」という。
元記事の「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった」→「もしかしたら嫌われたのかも……」は認知のゆがみの典型例だ。
嫌われたのかもしれないと思って気分が落ち込んでしまうと、ますますマイナス思考へ陥ってしまう。
ふり返ってよく考えれば、そんなことはないと思えるだろう。そのことに気づく訓練をする。
「もしかしたら嫌われたのかも……」→「たまたま声を出しづらい状況だったのだろう」「集中していることがあって、人と話したくなかったのかもしれない」など。
そういう結論にたどりつくようにする。
しばらく続けていれば、「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった。」→「もしかしたら嫌われたのかも……」→「いやいやそんなことはないだろう」の流れがすぐに出てくるようになるだろう。
認知行動療法ってそんな感じです。
本もいろいろ出ているので、興味のある方はぜひ。
http://www.wikihouse.com/cognitive/index.php?%BB%B2%B9%CD%BF%DE%BD%F1
(1)全か無か思考(完全主義)
完全な成功でないと満足できない。少しでもミスがあると「すべて失敗」と思い込み全否定する。
自分の欠点や失敗を過大にとらえる一方で、自分の長所や成功をいつも「取るに足らないこと」と思ってしまう。
(4)結論の飛躍(恣意的推論)
「きっと〜にちがいない。」と根拠に基づかず悲観的な結論を出す。
(5)過度の一般化
一つの失敗や嫌な出来事だけを根拠に「何をやっても同じだ」と結論づけたり、この先もずっとそのことが起きると考えてしまう。
(6)自分自身への関連づけ(個人化)
問題が起きた時、様々な理由があるにもかかわらず「すべて自分のせいでこうなってしまった」と考えてしまう。
(7)○○すべき思考
何かする時に「○○すべきだ」「○○しなくてはならない」と必要以上に自分にプレッシャーをかけてしまう。
(8)レッテルはり
ミスをした時に冷静に理由を考えず「ダメ人間」「怠け者」など否定的なレッテルをはってしまう。
(9)感情的な決め付け
技術で世界をかえる?それって自己満足になってない?【鈴木まなみ】 | TheWave
「技術が目的化しちゃいけない」なんてこと、趣味でも何でも、何かに打ち込んだことがある人だったら、そんなこと言わないはずなんだよ。
技術が目的化する状態っていうのは、研究、特に基礎研究なんかがそうだと思う。
技術とか真理の探究が目的であるものは、短期的には金銭にならない。
目的があって、それを達成する、っていうのは、逆に考えれば非常に会社的、資本主義的で、短絡な発想だ。
それに至る困難や、複雑さを考えない人がよくそう言う傾向がある。
その目的に至るまでのパスを考え、問題点を洗い出したり、困難な問題を突きつけると、途端に不可能とかマイナス思考なことを言うな、みたいに言い出す人が多い。
技術が目的化するのは、頭が良すぎる人たちだけじゃないはずだ。
自動車の運転だって、スポーツだって、楽器だって、それで試合やレースに勝つとか、人前で評価される前に、そのもの自体が目的化している時間があるはずなんだ。
吉本隆明が、何事にもそういう時間が必要だ、と本に書いているのを読んで、本全体には納得がいかなかったが、その文章だけは同意せざるを得ない。
それを他人のために使うかどうか、はまた別の局面であって、その二つが両輪になって初めて素晴らしい何かが成立するのであって。
考えなしに、何かを達成しよう、と考えたところで、そこまでのルートを洗い出せば、自分の能力を超えていること、人的資金的パワーが足りないことにぶちあたって、破綻するだけ。
何も目的がなくても、毎日ナイフを研いだり、試合だとか明確な目的がなくてもランニングするんじゃないかな、スポーツ選手だって。
これはどういう仕組みなんだろう、どうしてこうなっているんだろう、ということをひたすら突き詰めていく。