はてなキーワード: マイナス思考とは
「自分なんか死ねばいい」とか「仕事が出来ないなら趣味もするな」とか
自分で自分を抑制する事で、仕事がうまく出来なかった自分を罰したつもりになって安心したいだけ。
と増田は言いたいのだよな?
じゃあ死んだらどうなる?
次の日から突然働き手を失った会社は、満足に仕事ができなかった昨日より効率的に回るのか?
じゃあ趣味を禁止したらどうなる?
気分転換が出来ずに精神状態を落ち込ませたまま出社してする仕事が、
真面目系クズの考え方に圧倒的に足りないのは、自分以外の第三者の存在の思考だ。
会社の同僚は、お前が元気でいてくれる事を望んでいる。
それがたとえ仕事上の理由だけだとしてもだ。
罪悪感で自分を追い込む事は、仕事で失敗する以上の裏切りなんだ。
前向きになれとか無根拠でいてもいいとかそんな事はどうでもいい。
趣味に没頭する気分でないのなら、満足に仕事をするにはどうしたらいいのかネットでぐぐってろ。
その方が百倍ましだ。
自己分析してたら、タイトルの考えが頭から離れなくなってしまった。
指導教官は尊敬しているし好きだ、この人の下でもっと学びたくて修士に進んだ。
でもM1になってから急にやることが難しくなって、B4と違って講義もあるし、アタフタしてたら就活始まるし。
ただでさえてんやわんやなのに、他大学の教授との共同研究が始まって、研究室の学生のうち関係しそうな専攻テーマなのが私だけで、
気付いたらB4の頃とは全然違う方向に研究が進んでて、ついていけない。
実際には「ついていけない」なんて言えない、研究者面してたいから。
研究ガリガリやって学会にもバンバン参加してドヤ顔したいから。
ただの出たがりの見栄王。
理解してない事を隠すのは無理があって、結果、論文が書けない。
内容が陳腐だ、何も伝わってこないと言われる。
自分で望んでついて行ってる指導教官でなく、共同研究の教授に言われるからなおさら傷つく。共著者怖い。
時間のない中添削して頂いているのだから、ありがたく頂戴して泣きながら論文を修正して、またチェック沢山頂いて、徹夜で修正して。
なんとか査読通ったけど、カメラレディ提出前もフルボッコされて、今は発表スライドをフルボッコされてる。
この分野に明るくない人でも何となくわかった気になれる、そういう発表にしたかったんだけど、それじゃ共著者はお気に召さないらしい。
多分この共著者と私は、もともと人間としての反りが合わないんだろう。
「反りが合わない」と思ってるから余計こじれるのもわかってるけど、どうしたって怖い。打ち合わせの日が憂鬱。行きたくない。
きっと頭悪いと思われてるんだろうな。
共著者へのただの愚痴になってしまったけど、厳しい添削も素直に受け取れないようじゃ研究者としてやってけないと思う。
学会発表へのモチベーションが下がって、それに伴って研究へのモチベーションも下がって。
こんなことでモチベ下げるぐらいだから、きっとそこまで研究好きな人間ではなかったんだ、私は。
そう考えたら就活も不安になってきた。今の希望職種って本当に私に合ってるのか?思い込んでるだけじゃないのか?
もうなんか色々めんどくさい。やりたくないのにやらなきゃいけない事ばかりだ。
それでもタスクをこなすのが社会人なんだろう。投げ出してしまったら私は研究者にも社会人にもなれない気がする。
だから早くスライド修正しなきゃいけないんだけど、「しなきゃいけない」と思うと息が詰まる。
研究からしばらく離れて、就活に専念したほうが精神的にもいいんだろうけど、何故か次の学会の予定も入れてしまった。
見た目や表層的な態度が陰鬱な人のまわりにわざわざ絡みに行ったり集まりにいったりする人はいないだろう。
しかし健全な精神の人の大多数は、いくつかのグループの間に一人ぼっちの人がいたら気にかけて自分のグループに入るよう声をかけようかなと思っている。
ではなぜ陰鬱な人が誰からも声をかけられず一人ぼっちなのかというと、
それは「あの人暗そうだし、面白くなさそうだから別に近づきたくない」というドライ&残酷な心理が働いているからという訳ではない。
「あの人はマイナス思考そうだから、うっかり自分のグループでなにかあったらすぐ被害者面してまわりに責任追及をそうだから、わざわざ腫れ物に触りたくない」という自衛の心理が働いている。
現に、ただ単に内気で弱そうなだけで陰鬱さがない人は一人ぼっちでいてもグループへ誘われる。
陰鬱な人間は、(人が皆自分を客観視できないように)自身の陰鬱さを客観的に認められないし、数少ない身内は他の家族同様訳隔てなく接してくれるので自分が他人の目に「陰鬱」と映っていることが分からない。
上に書いたようなただ単に内気で弱そうなだけで陰鬱さがない人と、自分の違いがどこにあるのか分からない。
それで、なぜ自分だけが孤立しているのか分からず被害妄想に陥って、周りが想像しているとおり「なにかあったらすぐ被害者面してまわりに責任追及をする人間」を現実のものにしていくのだろう。
この話は、後輩へ向けて書く。
できるだけ正直なところを書こうと思う。
メンヘラーもいけるじゃん!みたいに思ってほしい。
実際、メンヘラーの強みってあるとおもう。
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私は田舎で生まれた。
大学生になって初めて自覚したが、地元では結構名家だったようだった。
両親は高卒であったし、そんな自覚はないまま育った。
自分自身で勉強をする習慣はなかったし、勉強も全く好きではなかったため、二回目のテストのときには、学内偏差値40くらいになった。
高校では、目立ちたがりだったこともあり、私のことを嫌う人もいた。
掲示板で名指しでディスられたりしていた。
そのほかにも、強いプレッシャーを感じたとき、なにかのどにものがつまるような感覚を覚え始めた。
ちょっと病んでいる人だった。
一ヶ月くらい、よく一緒にいた。
でも、その人は、突然自分と距離を置き始めた。
恋愛を知らない私は、非常に混乱した。
追いかけた。
すごく強烈な執着だった。
そして私がその人を追いかけていることについて、その人は、それが疎ましいのだと
当時つきあっていた人がいた。
その人もまた、少し病んでいた。
病んでいる人スパイラルの中で、まぁいろいろあって、自分は自殺しようとしていた。
首つり。
何十回も試行し、何回目かに、逝きそうになった。
でも、結局逝けなかった。
それが、大学二年生の秋くらい。
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②回復するまで
読み進めくうち、久々に、こころのどこかがわくわくしていることにきづいた。
私は、その本の著者にあいたいと思った。
そして、実際に著者に会った。
たくさんの話をした。
そして、社会問題についていろいろ考えるようになっていた。
賞をとったりすることもあった。
夏のインターンに積極的に参加した。
就活は、かなり楽だった。
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③メンヘラのいいところ
以上はどうでもいいし、ありふれた話であるし、「お前はメンヘラじゃない」みたいな突っ込みがたくさん飛んできそうな内容である。
ここからが本題。ロジカルなことは言うつもりはないし、全部感覚で書くけど、自分が思ったことを書く。
■メンヘラのいいところ
それは、空気が読めすぎるし、人の気持ちがわかりすぎるところ
もうこれにつきる、てかこれしかない。いやそう思わなくちゃメンヘラとしてやってられない。
でもこれは真実だ。
自意識過剰とは、自分の内面について、無駄に多く思考しているということである。
すると何がおこるかというと、
いいのもわるいのも、自分自身のいろんな感情パターンに触れることになる。
相手の行動の意図について考えを巡らせることを、自然に行ってしまうのだ。膨大な相手の心理の仮説をたて洗い出しているのだ。
そして、多分本能的に、自分にとってマイナスな仮説を重視するようになる。
だから順番としては
自意識過剰(これは生まれつきでどうしようもない)→邪推・疑心暗鬼・マイナス思考→メンヘラ
という訳である。
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それがどう就活に結びつくのか?
1ウェブテ
2ES
3GDとか
4面接
2面接でロジカルに話せること
3自己分析を土台とした、明確な将来像を持つこと
メンヘラの強みは、上にもある通り「空気が読めすぎるし、人の気持ちがわかりすぎるところ」だ
そんで、結論を出すことを忘れないようにしながら、空気を読むタイプのリーダーを演じろ。
これは、他の人にも話を聞いてみて思ったが、メンヘラ経験のあるやつが圧倒的に強みを発揮できるポジションだ。
■空気を読める力はあるが、それを表明して、リードする力が不足しているやつ
難しいことじゃない、何か自分でゴール設定をして、それを達成しろ。
なんでもいい、映像とるとか、ちょっとした勉強会開くとか、友達とカブトムシとってきてそれを駅前で売るとか
リーダーシップ(頭の中にあるものを、必要があれば他人を巻き込んで実現する能力)は、そういう風に体を動かさなければ絶対に身に付かない。
大事なことを繰り返す。
メンヘラーには、人の気持ちがわかるという貴重な能力を身につけている可能性が高い。
その能力を存分に発揮できるように、何かリーダーシップ経験を積め。
精神を病んだこともなく、大学でウェ〜イしている人たちにはない能力が、やんでいるお前にはある。
いますぐ、自分の病んだ心を、すこしでも反らしてくれるものを見つけろ、見つけろてか、すでにあるかもしれないから、気付け。
なければ、しつこく探せ。アタック回数が多ければ、それに出会う可能性もあがる。
それができたときにはもう、就活は、自己実現の手段でしかなくなっている。
以上。
実際はもうちょっと修羅なエピソードもあるが、適当にぼかしてある。
強調したいのは、自分がまじで精神がもうちょっと振れていたら死んでたかもしれないくらいどうしようもないメンヘラだったってことだ。
ちなみに今でもたまにぐじぐじしたりする。
30すぎて子供中学生くらいで、それからもう一回高校の勉強やり直して大学うけるの?できるの? アラサーの人たち、ちょっと考えてみて欲しい。高卒で十年間生きてきていまから受験勉強する気になりますか、と。自分だったら絶対無理だ。いや出来る人もいると思うけど、多分それは少数派だと思う
キャリアつけたい人は、勉強大変だ~とは思うかもしれないけど勉強するでしょ。今の高校生だって勉強したくないけど仕方なく大学受験する人は多いと思うよ。キャリアとかにこだわりが無かったり、勉強が嫌いな人は今の中卒や高卒の人と同じように、それなりの職を探して働くだけ。
そうするとどうなるか。高等教育を受けないでできる仕事に就くことになるよね。男性のサポート役。もちろん正規雇用じゃない。パートとか。男性のための仕事(高給)と女性のための仕事(低給)が分かれることになる。
この文はあたかもほとんどの女が低給になるみたいに書いてあるけどそれは勉強嫌いな人の話で、キャリア志向の人はきちっと勉強してやりたい職に進む。
男が全く損をしないで、生き方を変えもしないで少子化問題を解決しようとするとこうなるわけだ。早く子供を産め、子育てはお前がしろ、あと家事もしろ、学費は自分で稼げ、十年くらいのブランク?努力でなんとかしろ、あと70まで働け、と。これだけ女に負担かけて、男がするのはせいぜい「大学に行っている間の生活費は負担しますよ」と。ふざけんな、ってなりますよね、普通。
マイナス思考なのかな?新しい提案はまるで女ばかりが損をするみたいな書き方。今の女性の方がよっぽど損な生き方しているじゃないか。子どもができれば職業をあきらめなければならず、子育て後の復帰は容易ではない。復帰できてもブランクが長すぎて簡単なことしかできないただのオバさんになっている。また、かろうじて働き続けることができたとしても1歳にも満たない赤ん坊を泣く泣く他人に預けなければならず、母親として一番大切なかげがえのない時間を仕事と家事に奪われてしまう。子どもにとっても、1歳、2歳なのに23時まで起きているのが当たり前という異常な世界。
新しい提案は、10歳になるまでじっくり大事に愛情をそそいであげることができる。子育て後、30手前から勉強を始めて30半ばまで高等/専門教育を受けてその後キャリアをスタートさせるから、自分もキャリアが途切れることはないし、雇用側も計画的に採用ができる。
元増田のモデルで言うなら、男は30くらいに結婚するんだよね。だったらそれまでに結婚資金を貯める。で第二段階で、妻が高等教育をうけるのを支援する。(学費も生活費も保育費もね)もちろん、家事育児も分担して行う。
こういう提案はいいね。話が前に進む。所得の再分配の話だよね。ここはどういう割合でどのようにするのかがベストなのかは議論するべきところだろう。
http://mechayaba.kondoyuko.com/
座右の銘:「俺はまだ本気出してないだけ」「俺は海賊王になる!」
2005年:岡山県立岡山城東高等学校卒業する夢を見る
2011年:東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の人とTwitterで会話する
増田太郎は一つの性質では掴みきれない。オタク的であるどころかオタク、右脳と左脳の違いはそもそも分からない、外見は老けているが中身は幼稚。それは増田太郎にはアイドルの絶対領域に興味があり、その空間をチラ見しただけで興奮する力があるからだ。
おちこんだりもしたけれど、増田太郎は現金が好きです。就活する気がなくてこんな記事をつくるぐらいだから・・・
増田太郎のフットワークのなさは尋常じゃない。興味を持ったことには(親のお金と俺の時間の許す限り)その機会を逃さない貪欲さがある。自宅管理でもいろんなところにフィールドワーク(台所やトイレなど)に行くし、脳内旅行も大好きだ。現実と非現実をよく往復しており、ゲームの世界へはなんとボタン1つで行くことができる。親におやつと漫画の手配を頼むこともしばしばで、その様は「太郎は自分からはなかなか動かない食い倒れ人形」と例えられるほどだ。
増田太郎は芸術に深い造詣がある。美術や音楽、演劇を問わず色々とネットで見に行く。最近印象に残ったのは某AV女優があえぐ様で、若い女性の体がまるで花火のように花開いてとても感銘を受けた。
増田太郎はお風呂に入っているアイドルが大好きだ。疲れた時にはよくアイドルのイメージDVDを見る。去年の誕生日でアイドル風呂めぐりを企画した際には吉原(ネット上のアイドルがお風呂に入っているシーンに興奮する愛好家の隠語)というお風呂屋さん密集地域をフィールドワークしたほどだ。
増田太郎は歌が好きだ。個人練習も余念が無い。裏声がキモイ。振付は完コピ。
リクナビに登録しようとするも、空白期間の説明に頭を悩ませて挫折する。
合同説明会@ビックサイトに行った人のブログをリサーチ。思ったとおり就職活動は嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。リクルートスーツを買いにいくのも恥ずかしい。ネットの採用情報見たら「成長できる環境があります!」と拳をつきあげている写真があったので、「この人たちとは根本的なところで合わなそう」と悟る。
失敗を乗り越えた経験というのがどうしても思いつかない。本質的でない細かいことを誇張して書くのはいやだし。諦めと反動の歴史でしか無いな。いや、まておっかけしていたアイドルが急に結婚したときは涙してその場に崩れ落ちた俺だが、その後、別の子に鞍替えしたじゃないか。これは失敗を乗り越えた経験と言えるのではないだろうか、いや、言えるであろう。
某企業の採用広報イベントに参加しようになるが、今は未だその時期じゃないと思い直して直前に断念する。
……。
親が死んだ。もう生きていけない。さようなら。
ADHDにしろ、アスペにしろ、鬱にしろ、ネットの自己診断で大抵ボーダーor疑いが強いになるんだよね。
なんかこういうのって、甘えとか言い訳みたいでどうもなぁ。
「単に自分の努力不足だよね」と、「もうどうしようもないじゃんこんなに周りの人間と違うんだし」
という思いが葛藤している。
なんか考え方が悪いんじゃね?生活習慣とかでなんとかなるんじゃね?
みたいなのずーっと思っていて本とかネットの情報とか集めてる。
心理、脳系の情報読んでみてると、あぁ確かにオレ心理的、脳科学的に悪いことしてるわ。
唯一、脳にいいといわれていることで、読書はしてるかもしれないが、
脳によくないっていってるネットが多すぎだよな。
あぁ、こうやって減点法でマイナス思考で考える時点でダメなんだろうな。
情報仕入れすぎると理想の状態つくられて、それに対して現状がダメ杉という
病気のせいにして逃げず頑張るために、情報収集してたはずなのに
最終的にやる気なくして、ADHDだのアスペだの鬱だの病気のせいにして逃げたくなる。
どーせいちゅうねん。誰か楽にしてくれ。
>6割超に交際相手なし=20、30歳代の未婚男女
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201105110144.html
結婚しない理由(同)では、「適当な相手にめぐり合わないから」が56%と最も多く、「結婚後の生活資金が足りない」「自由や気楽さを失いたくない」との答えが続いた。
適当な相手にめぐり合わない
=自分にはもっと合った人が現れるんじゃないか?という根拠のない期待があるせいで目の前の人と結婚に踏み切れない、
もしくは、自分に合った人には巡り合えないんじゃないか?本当にいるのかというマイナス思考のせいで出会いを諦めて結婚出来ない。
=恋愛結婚が主流の世の中が結婚を減らしている。見合い結婚が主流の頃にはこんな事を考えなくても済んだはず。「適当な相手」というのを根拠を持って周りの大人が決めていたのだから。
と言えるのではないか。
その彼氏とは趣味も性格も合いませんが,一緒に居ると楽しいし二人とも寂しがり屋なのでここまできました。
夜の方は彼がもとから積極的ではないせいか,二,三か月に一度,長い時は半年以上何もないこともあります。
大学時代は私から誘うこともあったのですが,彼があまりにもそっちのけがないので,最近は誘われた時しかしません。
私は少し,というか大分ネガティブ思考なので,彼が私の誘いや約束をしていても,それを無視して夜早々と寝てしまうのは自分のせいだと半分くらい思い込んでいます。
それを言うと,いつも「○○は悪くないよ」と否定してくれるので残りの半分は違う者が原因だと思うようにしています。
でも,かなりショックです。やっぱり私が悪いのかな…
彼氏は体格がよく,体重も0.1t近くあり肥満しています。私との身長差はあまりありません。
身体を動かすのが億劫のようで,少し運動をするとすぐに根を上げます。
これはつい先ほどの話です。もう我慢ならないので書いてしまいます。
今日は二人ともお休みの日だったので,飲みに行こうと言う話がありました。
その話を昼間していた時,彼は夜の事も視野に入れて楽しそうにしていました。
私も,久々だし彼から誘ってくるのは珍しいことなのでOKしていました。
彼とのSEXは嫌いじゃないし(むしろ好きだし…)毎回いわれる度に楽しみなんですよ。
たとえ,頭のどこかでまた裏切られるんだろうなと冷めていたとしても,楽しみなんです…
そして,お酒を飲んでいざ帰ってきました。
でも,私はコスプレなんか元々興味ないし,大学時代は面白そうだから何となく着ていましたが…
(制服は彼が選んで折半で買いました。友達に言ったら彼が全額負担してしかるべきだと言っていました…皆さんはどう思いますか…)
もうそんな恰好したいとも思わないし,彼は私より制服の方がいいのかな…なんてよからぬ考えが思い浮かんでしまうので,今日は着ないよ…と何となく伝えました。
彼は私に「先にシャワー浴びて(終わったら呼んで)」と言いテレビをつけました。
もうこの時点で嫌な予感しかしませんでしたが,それでも信じてしまう私は馬鹿ですよね。
きれいに身体を洗いました。彼に嫌な思いをさせないために,沁みるけれどボディソープを使ってきちんと汚れを落とします。
身体をふいて,彼に「あがったよ」と一言声をかけ,薄着で布団の中に潜りました。
まだテレビの音は消えません。NHKのドキュメント番組を見ていたようです。
やがてその番組もおわりました。
まだ彼は動きません。
…もうだめだ…
また裏切られました。いつもの傾向で,もう駄目だと悟りました。何度同じことを繰り返したことか…
駅から徒歩で20分以上かかるところに住んでいるので,歩き疲れたと言っていますが,それならなぜ帰って来た時にそれを言わないのでしょうか。
嫌な制服を着て待っていた時も,彼の大好きな短い丈のスカートをはいた時も,結局私を放置して自分は寝るかテレビを見るかになることが多いです。
「しよう」
と言って,約束して,何度同じことを繰り返してきたことか。
私のスペックですが,トップは85-D,身長162センチメートル,BMI23で標準体型。
これじゃダメなんでしょうか。もっと旨が大きくないと男の人は大切に思ってくれないのでしょうか。
彼の事をこんなに好きなのに,何がいけないんでしょうか…
待っているだけでは,何ていわれそうですが,誘う勇気ももうありません(裏切られるのが怖い…)
そして彼に何がいけなかったのか問います。
今回は…その面倒な問いに答えたくないから,家に帰っても私を泳がせておいたらしいです。
遂にそのせいで疲れたと言えなかったから,全部私が悪いとまで言われてしまいました。
悪いのか…悪いのか…
いじめに遭っていました,小中と,いじめに遭ってきましたので心が大分マイナス思考なんです。
だから私だけ悪いように思うのかもしれませんが,悪いのはお前だと言われてしまったのでもう立ち直れません。
どうしたらいいかわかりません。
死んだ方がましかもしれません,一生こんなことで…こんなことで裏切られ続けるならば…そのたびに頭が混乱してしまうなら…
私が言うことを聞かないと,彼は私を叩きます。
正直怖いです。
そのせいで別れ話が出たこともあります。
今も彼は私を叩いたり,押さえつけたりします。
内向的な性格の人なので,私をストレス発散の道具にしているとしか思えません。
先ほども,「もうやだ」と言ったら押さえつけられました。
それでも少しは悪いと思っていたのか,電子レンジで熱した牛乳を持ってきてくれましたが,
とても飲む気になれない…でも無理やり飲まされました。
いや,凄い目でにらんでくるので…飲まないと顔に熱い牛乳をかけられそうなので,無理やり飲みました。
猫舌の私には熱すぎる牛乳なのですが,飲まないと殺されそうなので飲みました。
でも彼とは別れたくありません。
叩かれたり裏切られたりして喜ぶ趣味はありませんが,それ以外の彼は一緒に居て楽しいし本当に大好きなので結婚もしたいです。
でも,そのためにどうしたらいいかわかりません…
性生活や日常の事(特に男性が女性を叩く心理が理解できない…),どう対処したらいいかわかりません
まとまりのない文章で申し訳ありませんが,だれかアドバイスください…
追記(11/9早朝)
アドバイスをくださった方へ
とても参考になる意見を本当にありがとうございました。
一応相談できる人はいるのですが,内容が内容だけになかなか言い出しにくいので…ほっとした気分です。
ここでいただいたアドバイスのおかげで自分の考えをまとめることが出来てきました。
ガキの時から親の言いなり。高校進学、大学進学、就職までも、親の思った通りのところに進んでる。
今まで本気で反抗したことなど一度もない。反抗したとしても、保険を掛けた卑怯な方法を選択してきた。
まあ、経済的な生活としては可もなく不可もなく暮らしてる。でも、精神的にはかなり参ってしまってるんだ。
今まで、大きな決断を全くと言っていいほどして来なかった。だから、決断が出来ない。
毎回、親の顔色を伺ってしまう。親に対してこんな選択して悪いな。罪悪感でいっぱいになってしまう。
決断したい自分と、親の言いなりなって決断することができない自分。
これがかなりの葛藤になって俺を苦しめてる。ただもがくだけ。行動にも言葉にもできない。
もしかしたら、今後も親の言いなりになってしまうのか・・・・。俺って何なんだ・・・・・。
だから、親が最大限に望むことをかなえないことにきめたんだよ。
それは、『結婚しない。そして、家を継がない。俺の代で終わらせる。家も売ってしまう。』ってね。
こんなマイナス思考しか反抗することが出来ない。これでも、かなり緩くなった方。
一時は、親が一番悲しむこと・・・・自殺まで考えたぐらいだから・・・・・。今は、これは踏みとどまってる。
なぜクソ親のために俺が死なないといけないのかって思うようになったから。
でもね、でもね、最近思うことがある。上記な様なこと考えている俺って幸せになれるのかな・・・・・・。
絶対なれない気がしてならない・・・・・・。こんな人間と誰が付き合いたいと思うんだ??
だから、問題の根本になってる親をなんとかしないとって思ったんだよ。
俺の心の大半を占めてる親を。そいつを精神的に殺さないと。そうしないと俺は解放されない。
かなりつらい作業になると思う。耐えられるかどうか自信がない。俺が精神的に自殺してしまうかも・・・・・。
でも、これをしないと、本当物理的に死んでしまうような気がしてならない。
好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する
…いやごめん、それは憶測かもしれん。
でも高確率で人は好きなものを自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。
わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、
苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。
(自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。
ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。
不幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分が幸せになりたくて必死だというのが現状だ。
金がほしいし、
恋人がほしいし、
仕事したくないし、
気ぃ遣うの疲れたし、
時間がほしいし、
休みたいし、
あのボケナスの脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、
あー遠いなー 幸せって。
だからまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。
ストレスばっかりたまっていく。
もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、
要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。
(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。
ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分が幸せだと周りも幸せになるということを知っている。
その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。
更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。
糾弾されるのはネクラでネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。
(ベテランのネクラになると自分をネガティブな気持ちに落としこむことですら快感になったりする。
それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。
仕事場や学校でたまるストレスを愚痴として発散するのと似ている。
みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。
「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。
あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?
友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?
そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。
ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。
できればwin-winの関係がいい。
もうちょい考えを深めてみよう。
論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。
ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。
しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。
ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。
実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、
ちょっと笑える話を聞いたり、
お酒を飲んだり、
気の置けない友だちと話したり、
引越ししたり、
仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。
環境の改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、
(世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、
もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。
ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。
世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって
と教えてあげることである。
これがやはり根本的な解決となる。
できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。
言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。
人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、
たぶんね。
しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情を封殺してしまいたくはない。
人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?
そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。
人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。
ニューギニアの島では弔いの儀式として食人の文化があった気がする。
今はない?
かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?
それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである。
アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、
またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。
前者の場合は夫の子であり、後者の場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。
この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。
日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、
ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。
「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」
ある事象に価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合、
特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見でしかないのかも。
あれ?ちょっとまてよ…。
ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情は封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?
んで、
今その理由を書いたよねえ。世界にはいろんな価値観を持った人がいて、
それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。
「みんなちがってみんないい」論法。
でもちょっとまって。
ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。
バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」
そうなのだ。
ネガティブな発言というのはポジティブな感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである。
ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。
これはなんともバカバカしい話だ。
自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから。
ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、
その前提が成り立つことを許してもらえるなら、
「自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」
ってことになる。
そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。
ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。
このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。
わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!
○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!
というわけで
これでみんなハッピー?かな?
間違ってるかなあこれ?
2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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追記
現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います。
どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです。
お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの
ぼくはたぶんネガティブなんだと思います。ポジティブそうに見える書き方になっていますが、
ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです。
せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。
そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。
殺したくないんです。
ごめんなさい。生きててすいません。
生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています。
ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。
よかったらぼくのブログを読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/
新人の頃、意識的なマイナス思考が仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方
建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。
未来という不確定性を検証するための思考はプラス・マイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。
ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考も封殺したくない。
あとでよむ
お願いします。
そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。
誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。
これに関して自分は結論がまだない
ぼくもたくさんの意見をいただいて、
これで終わりにすべきではないと思いました。
そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います。
問題は、双方にその余裕があるのかということです。
個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います。
もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。
結論は俺も同じ考え。
現状が少しでもラクになればいいんです。
死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。
ぼくはどうせなら後者のほうがいい。
わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)
ぼくはそれを咎めません。咎められません。
でも彼らを嫌いになれないのです。
ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、
その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて
【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。
どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて
バーローww
ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。
でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。
注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい
カウンターできません。
ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです。
ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では
バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。
ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、
ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから。
ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。
「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。
暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率/キャラってやつなのかしら
そうだと思います。
ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、
それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います。
ネガティブな発言をしている人間はネガティブ志向と解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生を面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。
これはたしかにそうだと思います。ネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディに昇華する人はいると思います
(その喩えが適切かどうかはわかりません)。
読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。
人間失格にある
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。
ぼくはそれをどうにかしたい。
何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。
甘えたいです。ごめんなさい。
ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。
自分にウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。
皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。
例えば、学校でデブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、
ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。
乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。
メンタルの弱い人に救済を。
あなたは素晴らしい人だと思います。あなたのような人が救いになるんじゃないかと思います。
出家するべき
今も思っています。
「ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね。
誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまいます。
長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。
それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。
何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。
前にポジティブシンキングだかの企業が倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。
解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。
そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。
しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、
ぼくはこのケンカをやめさせたい。
ぼくもそう思います。
もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、
根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。
だから、やっぱり「それでいい」ということにしたい。
ぼくはもっともっと慎重になりたい。
間違ったことをしたくない。だから、
「深読み思考」と「極度の反省思考」は認知行動療法に通じるものがある。認知行動療法をいい加減に紹介しよう。適当な説明なのでちゃんとした理解はちゃんとしたところでよろしく。
認知のゆがみとは、ささいな失敗で「自分はもう終わりだ」と思ってしまうようなのを直す。
よく考えれば、そんなに悲観することはないんだけど、思考がそこまで進まない、もしくはとても時間がかかる。
その「よく考えれば」のところまで、なるべく早く行き着くようにしようというのが認知行動療法。
なにかのできごとに接したとき、頭の中に浮かぶ考えをなるべく正確にとらえる。「自動思考をとらえる」という。
元記事の「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった」→「もしかしたら嫌われたのかも……」は認知のゆがみの典型例だ。
嫌われたのかもしれないと思って気分が落ち込んでしまうと、ますますマイナス思考へ陥ってしまう。
ふり返ってよく考えれば、そんなことはないと思えるだろう。そのことに気づく訓練をする。
「もしかしたら嫌われたのかも……」→「たまたま声を出しづらい状況だったのだろう」「集中していることがあって、人と話したくなかったのかもしれない」など。
そういう結論にたどりつくようにする。
しばらく続けていれば、「いつもは言葉をかけてくれるのに今日は頷くだけであった。」→「もしかしたら嫌われたのかも……」→「いやいやそんなことはないだろう」の流れがすぐに出てくるようになるだろう。
本もいろいろ出ているので、興味のある方はぜひ。
http://www.wikihouse.com/cognitive/index.php?%BB%B2%B9%CD%BF%DE%BD%F1
の4つである。
尚、ここで挙げる4つの思考は殆どがマイナス思考の一部と思ってもらっていい。
1つずつ説明していこう。
これはあらゆることを必要以上に深読みしてしまう思考のことである。
「相手がこのように言ってきた。率直に意味を汲み取るとAという解釈が出来るがもしかしたらBということを伝えたかったのかもしれない。」
これがプラス的なことだったらいいかもしれないが、マイナス的に深読みしてしまった場合、精神的に来てしまう。
極端な例を挙げる。
これが深読み思考である。以前の私はこの傾向が顕著であった。
これは精神病の原因にもなりかねないので出来るだけ早く修正するべきである。
修正方法としては「そんなことはない」「気にしすぎだ」と割り切ることである。
ある程度の反省思考は自分の行動を矯正し、より良い人生を送ることができるが、ここで挙げる極度の反省思考はそうはいかない。
Aに仕事を頼まれた。「はい」と言って受け取ったがあそこは「分かった~」とフランクに返した方が良かった。
これはそこまで害は無いにしても直した方がいい。
「過ぎてしまったことはしょうがない」と割り切ろう。
普通の人ならすぐに実行してしまうが、この思考は何かをしようとしたときに色々思いを巡らせて、開始が遅れたり、最悪の場合中止してしまったりする。
Aに仕事を頼もうかな。でも無理すれば自分で出来るけど、時間的に厳しいな……どうしよう……頼むのは止めよう
上が例である。
良く言えば「じっくりと考える」と言えよう。
判断基準を設けたりして、フィルタリングして決定していこう。
これが出来る様になったら普通の人と同様にすぐ実行できるよう努めよう。
能動的でなく、誰かにアクションを起こしてもらうのを望む思考である。
この仕事一人じゃできないなぁ。でも頼みづらいし……忙しそうにして向こうから手伝ってくれるよう仕向けよう。
上が例である。この思考は非常によくない。
まず貴方の印象が悪くなるし活動の開始が遅れる。
この思考は優先的に直すべきである。
解決方法は能動的になる、だけである。
昨年末からとある女性と付き合い始めた。自分から告白するまでは思っていた以上にトントン拍子だったけど、告白後初めてのデートで、自分の私服がダサかったり店選びで結構頼りないところが露呈してしまって、彼女の顔が曇ってしまった。
その後、メールをしてもあんまり感触のよい返事が返って来なくなった(ような気がする)。彼女の心の中は、本人に聞かない限りわからないはずなのに、変に勘ぐってしまい、マイナス思考になる。嫌いになったからもう会いたくないのだろうか・・・嫌われようって思ってるのかなって(気がする)。
最近は、大手小町とかOKWaveの恋愛相談を眺めたりして、余計ドツボにハマってしまっている自分に気づき、なんども軌道修正を繰り返してる毎日。三度の飯も、なかなか喉を通らなくなるこの気持ち。なんで友達に相談できないのかな俺って。
人の考え方や価値観はそれぞれ違うのが当たり前。これからどれだけお互い気持よく歩み寄れるかが勝負だ。自分が認めたひとだ。彼女のことは信頼している。彼女のことを信じて毅然としていたい。何回か恥ずかしくなるような恋愛を経験し、この歳になってようやくそう思えるようになった。