2018-09-19

友人の話

今年の12月に手術を控える友人がいる。まだ20代で仕事現在も続けているが、病気により徐々に握力が低下するなど身体への影響も大きくなりつつある。

その上、転勤族の彼は今年4月に海沿いの町に異動した。配属先や周囲には同年代の人もなかなかおらず、気を紛らわせることが難しいという。

そのため非常にナーバスになっているようだ、というのが月に何度かの長電話から伝わってくる。

病名はわからないが、中学生とき高校生ときも手術を行い、今回も全身麻酔での手術になるそうだ。思春期にそうした体験をしたために、多くのことに対して消極的な冷めたもの見方をするようになった、と彼は話す。おそらく、そうすることで自分精神を守っていたのだろうと思う。

電話口で彼は「楽しいこと何かない?」と聞く。あれこれ提案し続けているが、何一つ彼の興味を引くようなことを私は言うことができず、仕方がないので楽しそうな振りをして笑って日常を語る。ごまかしに過ぎないことはきっと伝わっているだろう。

「終わるのを待っているようでなにもする気が起きない」と言いながら、自分身体機能の低下を冗談交じりに嘆き、私が何の解決ももたらせないと知りながら「何か楽しいことは」とくり返す。延々と冗談めかした雑談を続けることくらいしか、私にできることはない。

電話を終えて、ふと自分がもしも1か月後に死ぬとしたら、と考えた。

もしそれが避けられないとしたら、きっとどこか遠くへ旅に出るだろう。旅先が知らない場所であればあるほど、まるで夢のように思える。死ぬなら夢の中がいいなと思う。

もし家族がいる人なら、大切な人のために残り時間を使うことを考えるのだろうか。

叶えたい夢がある人は、そこに一歩でも近づいて終わることを選ぶのだろうか。

私にも親や大切な友人はいるけれど、死ぬときは彼らのいない遠くにいたい。できれば死んだことも知られたくない。

友人には死んでほしくないし、手術の成否や身体の不調がどうであれ、できるだけ悩まず(無理だけど)、できるだけ苦しまず(あり得ないけど)、できるだけ楽しく(どうか)人生を過ごしてほしい。もしも自分がそのために何かできるならいいなと思う。

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