はてなキーワード: いかがわしいとは
最近、フェイスブック等を使って「ソーシャルランチ斡旋サイト」とか
「飲み会斡旋サイト」「コーヒーミーティング斡旋サイト」が流行っている。
いわゆる「ソーシャルマッチングサービス」だが、これをうまく「男女の出会い」に生かして、
「出会いサービス」というと、「結婚まで至らない、お遊び・いかがわしい不純交際」的響きがあるが、
恐らくフェイスブック系マッチングサービスでも、「真剣男女交際系」なサービスはあるとは思うが、
フェイスブック自体が、偽名でも登録可能なザルサービスであり、あまり期待できない。
※フェイスブックに某有名「男子校」出身の「女性」登録があって、思わず吹いた。
ところで、航空会社は搭乗する際に、乗客の氏名・年齢・性別情報を要求する。
国内線の場合は、身分証明を要求していないので、偽名での搭乗を100%阻止できないが、
比較的、「本当の氏名年齢性別」を乗客の皆さんは記入しているようである。
そして、クレジットカード決済搭乗の場合は、実名・実年齢・実性別確率はほぼ100%となる。
しかし、航空会社は、せっかくの個人情報を、航空保安以外の面では、あまり「活用」していない。
そして、伝統的航空会社(レガシーキャリア)は、格安航空会社(LCC)に価格で押され、
サービス面でなかなか対抗策を打ち出せない。
ということで、レガシーキャリアの活性化と、少子化対策の一石二鳥策。
「マッチングシートを希望する、(20歳~34歳)女性には、マッチングシート窓側を指定させ」
「マッチングシートを希望する、(20歳~34歳)男性には、マッチングシート窓側の隣の席を指定させる」
これによって、「マッチングシートを希望する女性」と「マッチングシートを希望する男性」は、見事「隣同士」に着席することになる。
隣に座っている人は、「多少は出会いを期待している異性」なんだろうから、勇気を持って声掛けしやすい。
マッチングシートを希望する場合はクレジットカード利用に限定することにより、
性別・年齢の虚偽申告をほぼ0%にすることができる。
つまり、「マッチングシートを希望すれば、かなりの確度で、20~35歳の異性が座ってくれる」ことになる。
※もっとも、残念ながらマッチングを希望する異性が現れない可能性も、あるにはある。
その際は「マッチング不成立でした」と伝えることになる。
フィーリングが合えば、お互いにメアドやケータイ番号を交換すればいい。
或いは、「お互い一緒に北海道旅行」なんて発展系も、あるかもしれない。
※そもそも、同じ方面の航空機に搭乗している、ということは、「趣味が一致する」可能性が高い訳であり、
フィーリングが合わなければ、そのまま別れればいい。
時間として「たったの2時間弱」なのだから、「合ってる時間が勿体無い」なんてことはない。
※そもそも、何もしなければ「退屈な機内のムダ時間」でしかない。
「ムダ時間の有効活用」と考えれば、得することはあっても、損することはあまりない。
「関係を深める」のにも2時間弱は適切な長さだし、「別れても後腐れない」と言う点でも、2時間弱は絶妙な長さである。
「北海道に行くのに、LCCじゃなく、レガシーキャリアを利用するだけの経済力の持ち主」なんだから、
いかがわしい出会い系サイトの場合、参加のハードルが低いが為に、「真剣じゃない」参加者が質を下げている。
レガシーキャリアの航空券代を要求することで、「マッチングシート参加者の選別」が図れる。
そして、このサービスは「レガシーキャリアならではのサービス」であり、LCCとの差別化が図れる点でも、ポイントが高い。
なぜなら、LCCの場合、座席指定が効かないケースが多いからである。
シートマッチングサービス参加希望者からしても、これは「そんなに気恥ずかしくない」サービスである。
どうしても「結婚相談所」とか「お見合いサービス」というと、「気恥ずかしい」「気後れしてしまう」キライがあるが、
このサービスの場合は、「レガシーキャリアの航空券購入時に、サービス付帯を申告するだけ」なので、気が楽である。
あと、細かい配慮として、「どの席がマッチングシートなのか?」は、他の乗客には「バレないよう」にする。
マッチングシートを固定してしまうと、「ああ、あの席に座っている男女、マッチングシートに座ってやがる」と好奇の目で見られてしまう。
「10時のフライトでは、マッチングシートを7組設定」とフレキシブルにするのがいいだろう。
このようなマッチングシートフライトサービスが成立するには、一定以上のフライト時間が前提となろだろう。
やはり、羽田~北海道、羽田~九州・沖縄、中部・伊丹・関西~北海道程度のフライト時間は必要になってくると思う。
国際線でも設定してもいいが、日本~アメリカ、欧州のような長時間フライトだと、
経緯書いておこう
なかなかうまく行かない婚活を繰り返していい加減疲れてしまった昨年夏のちょうど今頃
(実際には6月頃)
新興の結婚相談所の開設キャンペーンという触れ込みで女性の写真付きプロフィールと携帯番号が
書かれた紙が入っていました。
無料キャンペーンなので直接やり取りをしてもらって良いという内容で、流石に胡散臭いとは思ったのですが
金を取られない限りは行けるところまで騙されてもネタで面白いかな?とおもったので少し乗っかってみることにした。
2年縛りが切れたら解約しようと思っていた捨て番号の携帯でその女性と思われる番号に連絡。
すぐ返信があり、その女性は直接会う前にあなたの写真を見たいといい、直メールのやりとりはいたずらされたことが
あるので怖いから知り合いに写真を撮ってもらってそれを確認したいと言ってきました。
そしてその知り合いはSkypeからの連絡になるので、受け取れるようにしてくださいと言われました。
程なくSkypeと思われる番号から連絡があり待ち合わせの場所と日付を決めました。
そして待ち合わせの日、某地方都市の指定場所に現れた女性はDMのプロフィールの女性の知人ではなく
DMの結婚相談所のスタッフKだと名乗りました。(知人という話がもう嘘なので胡散臭い事この上ない)
7月で暑かったし挨拶もそこそこに近くのカラオケボックスに予約してあるからということで連れて行かれ
ボックス内でドコモのアンドロイドタブレットで私の写真を撮り、どこかへ送信をしていました。
直後DMの女性から私のステ携帯に電話があり思っていた感じと違うので会うのは止めにしようとと言われました。
まぁこのあたりまでなら被害はここまでの交通費位だし痛くも痒くもないわけですが、スタッフKがせっかくだからもう一人
紹介したい女性が居ると言い出し、社長令嬢だというNの写真を見せられました。
そして更に今ここに向かっているので良かったらNとあってみないか?
と言われました。
暑い中有給を取って(前日、自身が転職したばかりなので前職での送別会、現職での歓迎会のはしご酒だったので元々有給をとるつもりでしたが)
何も面白いネタが無いまま帰るのもなーとおもった私はNと会うことを了承しました。
30分程待たされた後、Nがカラオケボックスに到着。
スタッフKは10分ほど席を外してくれてNと私の二人で通り一遍の会話をしました。
せっかくだからまた会うことにしましょうということを決めると、Nは退場し入れ替わってスタッフKが戻ってきました。
今後Nとお付き合いをするのであれば身上書を作らないといけないといわれたので住所その他年収や結婚費用としていくら出せるか?
その日はこれで終わり。
その約束の日にはNと昼に少し話をした後でまたスタッフKと会う約束をしました。
2回めにNと会う日は私はNとメール電話でやりとりをして某地方都市の駅前で待ち合わせをしてNと会いました。
Nは駐車場に止めてある自分の会社の車だというワゴン車の後部座席に私を連れて行きました。
後部座席はシートを全て倒して布団が敷いてあり、寝られるようになっていました。
Nは仕事の移動の際、運転は社員にまかせ自分は後ろで寝ているのだと言いました。
8月の猛暑日の昼下がり、エンジンを掛けて冷房の効いた車内はとても快適で、後部座席に敷かれた布団の上で
二人で並んで話をしていました。
とても積極的にボディタッチをしてくるNに興奮した私はその場の勢いでNを押し倒してしまいました。
Nもスイッチが入ったのか裸になり、私の上にまたがりまるでAV女優の様に騎乗位で腰を振って本気なら中で出して等と
とても興奮することを言ってきましたが、ガバガバのゆるマンで私のアレは全然勃ちませんでした。
もう少し時間があればイケそうかな?と思っていた頃にNの携帯にスタッフKから連絡があり、その後私に電話を代わりました。
発射できないモヤモヤを抱えたままNと会った後にスタッフKと会う約束になっていたので指定の場所(前回と同じカラオケボックス)に
部屋に入って少し話しているとスタッフKの電話がなり、Kは電話を受けて笑いました。
曰く、Nから最後まで関係を持てたのでありがとうございましたという連絡だと言っていました。
こうなるとやることやってしまったし責任とって結婚しようという気持ちにもなっていましたが
スタッフKは社長令嬢のNと結婚するのだからそれなりに高価な品を用意しないと相手の両親も納得しないからダイヤモンドを買えと
言ってきました。恋愛結婚の場合は付き合いの期間が長いのでお互い納得できる値段のもので良いが見合いの場合はそれなりに高価なものを
買わないとダメだと言い、知り合いの業者を紹介すると言ってきました。
私は御徒町などの専門店で自分で選んで買いたいと言ったのですが、それでは高価なものだという証明ができないのでダメだと言われ
宝石商のAと名乗る男性がカラオケボックスに到着、スタッフKは退場して男二人で契約をすることになりました。
AはiPadでプライスリストを見せてきたのでほぼ中央のランクである0.7カラット350万円のダイヤを購入することに決めてサインをしました。
書面にはクーリングオフができるということが赤字で書いてあったので、私はAにクーリングオフはできるのか?と聞いたところ
できますが、市場価格より良い物をお安く提供するのでクーリングオフはしないでくださいと言ってきました。
金はネットバンクに預けていたので五十万ずつ約1週刊かけてATMから下ろし、Aに指定された契約場所に向かいました。
(そういえばこれもカラオケボックスでした、違う街ですが)
領収書はもらいましたが収入印紙を貼らないのでおかしいと思い聞いてみると、Aは最近は貼らなくても良くなったということを言っていました。
高い買い物だけど晴れてNとやってしまった責任をとって結婚できると思ってその時は一寸嬉しかった様な気がします。
その後2ヶ月くらいはNとメール電話のやりとりはありましたが、直接会うことは無く
更に4ヶ月後に携帯電話が解約されたとのメッセージが流れるようになりいよいよ騙されたとわかるようになりました(遅すぎ・・・)
また同じ頃、車の運転中にカーラジオで聞いたラジオショッピングで1カラット10万円のダイヤというのがあり
ダイヤってそんな値段なのか、と完全に騙されたと理解してかなり凹みました。
赤裸々に語ることになるので(同胞もそれが嫌なのでしょうが)一寸恥ずかしたかったのですが昨年12月地元の警察署に被害届を
出しに行きました。
上で書いた経緯(詳細な日付付き)を対応してくれたN署H刑事に話し、持参した携帯電話やダイヤや領収書などの写真を撮ってもらいました。
警察は事件性がある場合、携帯番号からキャリアに問い合わせをして契約者情報を知ることが出来るので、Nの携帯番号は本当にNのものかどうか
だけ教えてほしいと伝えて結果を待ちました。(この時はまだ少し信じていた)
2週間後に問い合わせをしたところ携帯電話は全然別の人物の物だということだけを教えてもらいました。
H刑事曰く、この事件は広く捜査をする必要があるので他の警察署にも情報を公開しても良いか?と言われたのでお願いすることにしました。
ここまでが去年の暮までの話。
そして今年に入りGWを抜けた頃、末尾0100の知らない番号から私の携帯に電話がありました。
リターンしてみると同じ県のH警察署からでした。H都市の名前は知っているけど行ったことはない場所なので何事かと思いました。
H署A刑事という方が電話をかけてきた方で、曰くH署で同様の事件を調べているので是非協力してほしいという内容でした。
縁もゆかりもない都市の同様の事件ということだったので、自分はともかく同じ目にあった同胞が報われるならと思い協力することにしました。
で、そこでもいろいろありまして先週8月12日宝石商A、N(偽名)スタッフK(偽名)が揃って逮捕ということになりました。
(詳しい部分はまだ捜査中?なので書かないほうがよいかも?という個人的な判断です)
H署H刑事(A刑事の上司)に検察庁の担当のK検事を教えてもらい、K検事にはAの私選弁護人を教えてもらって
弁護士に連絡。
Aと弁護士としては示談にしたいがどのくらい慰謝料を払えるかをまず相談しないといけないから1週間待ってほしいといわれたのが先週。
だまし取った分は当然全額返金として慰謝料をいくら載せてくるかだよね。
最低でも倍は貰わないと示談なんてしないし刑事罰きっちり食らって、民事でも損害賠償請求してやる。
まだ3人とも拘留期間中なので、冷房のない留置所で暑い中苦しむがいいさ。
ということで長くて読みにくいですが、日記その他詳細資料をH署に証拠品として提出済みなので、今後の民事訴訟の準備資料として経緯を書いてみました。
捜査協力中に聞いたのですが、私よりも高額をだまし取られた方も居るとのことだったし、捜査協力をしない人が多いとも刑事さんたちに聞いたので
仕事休んだり、赤裸々に語らなければいけなかったりなど大変で嫌な部分もありますが、もし読んでくれた人の中に似たような境遇の同胞がいたら
異なる思想の非モテ同士の軋轢と対立が激化してきましたね。
本日18:00をまたいで、あからさまに「いかがわしい」オフトピを
乱立させるという自爆テロが発生していました。
トピ自体は運営によって、すぐさま鎮圧されましたが。
犯行声明はありませんでしたが、首謀者のプロフィールから察するに
いっこうに削除されないことに腹を立て、別アカを仕立てて
運営への抗議の一環として自爆テロを敢行した模様です。
今回の犯人は明白に「不本意諦念派」のようです。
しかし、これは非モテSNSにとって起こるべくして起こった事件なのです。
「卒業派」になりたくてもなれない「不本意諦念派」は
取り残されてしまったように感じていてストレスは日々高まっています。
非モテのカリスマ、ヌルオタ師が主催あるいはサポートするオフ会は
訴訟沙汰を危惧する運営サイドも好ましからずと思っているでしょうが
強制的に排除することは得策ではありません。
一方で「諦念派」の中でも「出会い系化」しつつある非モテSNSに
懸念を表明する声も日増しにあがってきています。
女王のように周りからチヤホヤされることを望んでいる者が多いのです。
かつてオフの少なかった時期においては女性は写真を晒さない限り
ほぼ同列に扱われてきましたが、ここにきてオフが頻発すると
憂慮しているのかもしれません。
これから混乱期に突入、そして変革期へと向かってゆくことになります。
奇しくも今回の自爆テロ犯のハンドルネームが「悲鳴」であったように
増田で30を過ぎたら性欲なんて減退して、風俗に行っても女の子といちゃいちゃするほうが楽しいと聞いた。
だが俺にはその気持ちがわからない。
俺は30にまだなったばかりだし、独身というのもあるが、正直、射精したい欲求がなくなるという感覚がわからない。
俺はセックスもオナニーもセックスが好きだ。セックスは中で精子をたっぷり出すのが好きだ。
安心して中出しできるのは高級ソープ嬢くらいだから、よく行く。
仕事も趣味も人並みに充実しているので、金も余っているほうだと思う。
こういう道楽者なので、もし大変な性病にかかって死んでもまあそれはそれでしかたないかなくらいに思ってる。
しかし不思議なもので、病気は運がいいのか今まで一度もなったことがない。
今までの風俗で印象深い体験をつらつらと書いていく。
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初めて風俗に行ったのは20代前半だった。飲み会の後男友達と冷やかす感覚で繁華街にあるいかがわしい店に入ったのだ。
いかにも偽物らしいきらびやかな内装。照明をたっぷりあててフォトショップで加工したであろう写真と、そこに写る嬢達。
なんとなく薄い感じの顔をした好みの子を選んで、待った。迎えてくれたのはけっこう好みな自分と同い年くらいの女の子。
スラっとしててわりとかわいい。彼女と別れてだいぶ経っていたから女の身体に触るのも久しぶりだ。
よく言えばフレンドリーというか、サバサバしている子で、風俗とか初めてなんすよーって言ったらへーと軽く返していた。
あの時は抱き合ってフェラとかして速攻で手抜きで射精してしまった。
しかし、そんなのは置いといても金を払えば女と好きにエロいことができるというのが、俺にとってはかなり素晴らしく感じられた。
というのも中途半端に人間関係がある女とセックスをしてもロクなことがないというのが俺の信念だったからだ。
だから、俺は金を稼ごうと思った。金さえあれば、より好みして女とエロいことができる。
学生の頃もちょくちょく行ってたが仕事をするようになってからより頻繁に行くようになった。
風俗と言っても下はピンサロから上は高級ソープまで様々に種類があって、様々な階層の人々の様々な需要によって成立している。
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下に行くほど、値段も行為の内容も上昇していくわけだ。
俺はキャバに行かないからわからないが、容姿は風俗嬢よりキャバ嬢のほうがいいと聞く。
だが、高級ソープともなればキャバ嬢ランクの容姿の風俗嬢がたくさん居る。
例外で、関西の飛田新地などは全体的に容姿が良い若い子しか居ない通りもある。
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これほどネットが身近になり、共有だクラウドだとさかんに騒がれている世の中だが、風俗情報はそうはいかない。
そもそも性行為、本番自体がやってはいけないという体で営業をしているあぶないビジネスなのだ。
それでも水商売がなくならないのは、それがあまりにも普通に多くの男に求められているからだろう。
2ちゃんのヘルス板やソープ板でそれぞれの店舗や地域スレでどの嬢が地雷がとかあたりだとかは書かれている。
風俗関係のスレは皆が疑心暗鬼になり、叩き、罵倒しあう殺伐とした空間だ。
馬鹿正直に信じてはいけないがまったく参考にならないわけではない。
どの嬢がその店で一番かわいくてヤりがいがあるのか、というのはなかなかわからない。
ある程度あたりを付けて挑めばそうそうひどい目に合うことはない。
積極的に広告を出しているような店舗を中心に探していけば漫画で描かれるようなぼったくり店にあたることはまずない。
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だが、一度だけひどいはずれにあたったことがある。
いかがわしい雰囲気の店や呼び込みで釣れられて、ムラムラしていたのもあって5000円と称されたピンサロに入ってしまった。
狭くくらい店舗内で、壁とも言えぬような布で仕切られた空間に入れられ、文字通り全裸になって待機する。
入ってきたのは「(あ、不細工だ!)」とひと目で思ってしまうような女。
細面でタバコをたくさん吸ってそうな不健康そうな肌。40手前か?謎のソバージュ。まったくかわいげがない。
その上最初に5000円を払ったのに胸を触るのにもう5000円、フェラをするのに一万円とのたまう。
俺は激怒した…と言いたいところだがロクに下調べもせずにホイホイ知らん店に入った俺も悪い。
だまって手だけで射精をさせた。もちろん目をずっとつぶっていた。
あと山手線のある駅付近のデリヘルもひどかった。隣のに住んでる若いおばさんみたいな嬢だった。
まあサービスは丁寧だったけど、きつかった。
はずれと言えるのはこの2つくらいか。
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店舗型のヘルスやソープが初めてだったので箱物しかない先入観があった。
ホテル代を払わなきゃいかんのが厳しいが、怪しい雑居ビルで手続きをして、ホテルで逢引して事を致すのはなかなか趣がある。
基本はフェラや素股でフィニッシュだが、嬢との相性が良くてノリがいい時などは本番をやらせてもらえる。
どうせなら本番がしたい。じゃあソープに行けよという話だが、俺は当初はソープの存在も知らなかった。
あとデリヘルでの本番は本当は、やってはいけないのにお互い合意でやってしまう感覚がいいのだ。
とはいえ世の中には嬢に本番をさせてあとで強姦だと訴えるという悪徳な業者もいる。
相手がどんなつもりで本番をさせるのか、しっかりと見極めないといけない。
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デリヘルで素晴らしかった本番をさせてくれた嬢は、早稲田付近のデリヘルだ。
所要をすませたあと、用もなく駅前をふらふらしてて、近くに風俗がないか検索してそれなりに変な処ではないのをチェックした上で電話。
待ち合わせて出てきた子は街中で見たら「おっ」と思うような美人だった。
蛯原友里のレベルをワンランク落として気弱にしたような顔だった。
内気な子で照れ照れしながら会話する。ホテルに入ってもいちいち服を脱ぐ動作も遅い。
演技かどうかはまったく問題でない。魅力があった。丁寧に脱がせて愛撫してやると嬉しそうにする。
盛り上がってきたら当然のように「…入れちゃおっか?」という流れに。心の中でガッツポーズ。
中もとても良かった。可愛い子とできるとやっぱり気分がいい。
やったあと、なんか会えてよかった、とお互いに話す。デリヘルだと忘れるほどいい子だった。
何度も指名しようと思ったが、店から消えてしまった。本当に残念だった。
・
もう一人はスザンヌをワンランク下げたような顔のノリのいい子で、エロかった。
車が予定の時間より一時間も遅れて、本当に申し訳なさそうにたくさんサービスしてくれた。
すごくいちゃいちゃ系で、あそこの近くでちんこをこすりつけ続けたらむこうから入れたそうにしてきた。
「ゴムしてないよ…いいの?」と意地悪に聞いたら「駄目だけど入れたい…」と気持ちよさそうにエロそうに言う。
結局生で入れてガンガン突いた。流石に外に出したけど、この子はすごく気に入って、何度も指名した。
慣れてきたらシャワーでいちゃついてるときにふざけてうしろから挿入しても嬉しそうにする子だった。当然生。
今はもう居ないけど、デリヘルの値段でいちゃいちゃで生挿入ができて最高だった。
・
ソープを調べて初めて行ったのはやはり有名なあそこだった。
最初行ったのは八枚の所。
しかし流石高いだけあってサービスはめちゃくちゃ丁寧だった。尻の穴まで舐められた。
で、生挿入なんだよね当然。生で入れてしかもそのまま射精していいの。
腰動かしながら「いいの?中で出しちゃうよ?」って言うと「そのまま出して!中にいっぱい精子欲しいの!」って言ってくれるの。
デブだけどかわいげある嬢だったし、こんなこと言われたら流石に勢いマックスで射精しちゃうね。びゅっ びゅーですわ。
エロ漫画や二次元の世界でしか言われないようなセリフ言わせてしかも生で中で精子出し放題。
これはもうね、はっきり言って男として生まれた以上快楽の最上位として位置づけざるを得ない快楽ですよ。
これで可愛い子にあたったらどうなっちゃうのかと思って次はもっと細い子で!とボーイに相談する。
高級ソープは嬢だけじゃなくてボーイの対応からトイレから内装から、何から何まで凝っている。
昔からあるんだろうなーって建物を頑張ってきらびやかに改造しました!
という内装なんだけど。
・
ボーイも懇切丁寧にお勧めの嬢を選んでくれるわけよ。
顔がどうなのか、性格がどうなのか。体はどうなのか。中出しOKなのか。
高級ソープでもゴム付きの子も居たりする。そういう子はたいていクオリティ高かったりするんだけど。
ゴム無しソープはだいたい嬢がピルをちゃんと医者の処方に従って飲んでいる。
ボーイは客の要望をすっごい腰低くして聞いて、答えてくれる。
高級ソープの場合は最初の一回を犠牲にしてもいいから、まずボーイと話して良い嬢の情報を手に入れることから始めたい。
三枚以下のソープだとボーイの対応とかも適当になってきちゃうかも。
・
歳がちょっと行ってるけどすっごく体つきが良くてエロエロな嬢とか、今時の軽いギャルっぽい嬢とか、ソープにも色んな嬢が居る。
すっごく喋る嬢が居て、その子自体はまあ中の下くらいの良さだったんだけど、その子から色々な情報を聞けた。
で、その子が良いって言ってた店の嬢に行ってみたらこれが最高だった。
・
ちょっと肉付きがよくて、ふとももがエロい、藤原紀香を若くしてアホにしたような子だった。
しかもパイパン。毛が無い嬢は初めてだったが、興奮したね。69で俺が下になって舐めまくった。
セックスがとにかく大好きで、エロくて勃起したちんこを見せたら心から喜んでくれる。
その子に行くときはいつも三回ヤッてる。もちろん全部生で中で出す。
締りもちょうどいい具合にきつくて、3日以上精子溜めたギンギンのちんこがギッチリ入るんだよね。
喘ぎ声もいいし、甘甘で挿入までがいつも楽しみで仕方ない。
・
飛田新地に行った時は一度だけある。
その一日で二回行ったんだけど、最初の子がめちゃくちゃキレイでかわいい子だった。
あそこは道を歩きながらずらりと並んだ嬢の顔を見ながら選べるので、顔でハズレることはまずない。
照明がうまく当てられてるから、実物よりかはよく見えるんだけど、写真に比べたら段違いの確実さがある。
若い子ばかり居る通りはみんな綺麗でかわいいから迷っちゃうんだけど、俺は最初の5分くらいで良いと思った子を即決した。
ああいう感じで、めちゃくちゃキレイで可愛い子だった。テレビに出てそうな。
茶髪ロングでキツい感じの顔。スレンダーな体に浴衣だけ着てて色っぽい。
抜くことに特化していて、それが目的の俺には素晴らしい場所だった。
でもその子はかなりあたりで、キスやクンニ、ハグは頼んだらさせてくれた。する前に
「3日以上精子溜めてるからめっちゃ濃いの出るかも」って下品なこと言ったら「じゃあ期待しちゃっていいのかな~?」
と笑顔で話してくれた。最高。
新地の二人目の子は巨乳で制服で眼鏡と素敵な格好だったが、対応が悪かった。
挿入の時ちょっと手があそこに触れただけでバシッと手をのけて「あ、そこ触るのはやめてください。」と冷静コメント。
胸も、触るのはいいけど舐めたりは駄目。一人目の子と随分対応に差があった。
まあここではこっちのほうがスタンダードな対応なのかもしれない。どうなのだろう。教えてエロい人。
・
とまあひと通り印象的な風俗体験を語った。
俺はこれからも通い続けるだろうが、いつかスナックに愛情を求めていくようになるのだろうか。
性欲が減退すれば今の情熱も冷めてしまうのだろうが、今のところその気配はない。
風俗に行かなくなればだいぶ金が余るが、それはそれで他の趣味に全部使えるから楽しみである。
よく知らないんでそういうのじゃないのもあるのかもしれないが
「アニオタ」って言葉の意味もよく考えずに「アニオタ」批判してたの? ふーん。
変人だな。好きになる味付けを自由意志で選択する人間なんて稀だと思うが……。何をおいしいと感じるかなんて普通は自分で選ばないし、選べない。
何を楽しいと感じるか自体を自由意志で選択するというのもかなり珍奇な存在かと。楽しいと感じるいくつかの中からどれを取るか選択することはあってもね。
性的指向は生まれついでだし、変えられない。
んで、生まれついてで変えられないことがなんでそんな重大なの? 生まれついてで変わらなかろうが、つまるところ何に魅力を感じるかというだけのことだろ。味の好みや娯楽の好みと大して変わらない。
性的指向はうまれついてで変えられないとか、そんなのはこの話に何も関係がない。
結局、単なる特定の性質を持つ人の呼称に、その性質以上の意味をステレオタイプから付与して全体論を語るから反発されるんだよ。
「同性愛者」は「同性に性的魅力を感じる人」以上の意味はないし、「アニオタ」は「アニメに深く熱中・没頭してる人」以上の意味はない。
ちょっと提供側の思惑と自分の理想が違うぐらいで発狂して炎上させるのを批判したいならその連中、その行為だけを批判して、
公共の場をいかがわしい目的で占拠する集団が居るならその連中、その行為を非難すりゃいいんじゃないか。
「アニメに深く熱中・没頭してる人」や「同性に性的関心を抱く人」全体を巻き込む必要がない。
組織団体法人かなにかじゃないんだからさ、赤の他人の一個人がした、自分が関わってもいない行為について「責任」とか「反省」とか求められても困るでしょー。
「ホモの中に問題行動をする奴がいる→ホモは反省せよ」とか「アニメに熱中する奴の中に非常識な奴らがいる→アニメに熱中する奴は反省せよ」とか「男に痴漢行為をはたらく奴がいる→男は反省せよ」とか、頓珍漢もいいとこ。
ゲイコミュニティに生まれついて所属してる奴なんかいないよ。知ってた? どの同性愛者も普通に生まれてきて、普通に育てられて、普通に教育を受けて、普通に生活してる、ある時同性に魅力を感じることに気づいただけの、異性愛者と変わらないどこにでもいるごくごく普通の人間だよ。俺個人の話じゃないない。
刹那主義に流される人は過去の反省から減ってるんだろうけど、もとから"そういう考え"を持つ同性愛者なんていくらでもいたんだよ。当たり前でしょー、性的指向をなんだと思ってるか知らんけど、普通に日本に生まれてきて普通に日本の教育を受けてきてるんだからさあ、そんなに違うわけないじゃん。
それに、ああいう快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか?
すごい偏見だよね、"反省"とやらがないと"そういう考え"のゲイは存在し得ないと言ってるんだから。
同性愛者は皆刹那主義・快楽主義で、反面教師によってようやくそれから脱却するものであり、この反面教師なくして刹那主義・快楽主義に陥らない同性愛者はいない、ってか。
あ、そうそう、どうでもいいことだけど 生まれつい て な。生まれつい で じゃなくて。
ISPの中の人やってんだけど、ニコ動からも「荒らしが出たから何とかしてくれ」ってメールが来るわけよ。
で、中に「当社の対応」とか「問題行為の内容」とか書いてあるんだけど
「生 独 り 相 撲」 とか書いてあんの。
何言ってるのかわからんよ。
で、「問題行為」だって生放送の内容にリンクしてコメントするんだろ、みんな。
単にち@こま@こ言ってるっていうログだけ見せられても、それが問題行為かどうかは
こっちでは容易には判断できないわけだ。
一応規約では「禁止」になってるらしいけど、いかがわしいニコ生があるって話は聞くからな。
わいせつなワードがけしからん、って言うなら最初から禁止ワードリスト作っとけばいいだろ。
「薬やってそう」「治安悪化させてそう」「いかがわしい」という市民の声を後ろ盾に、警察が取締りやら空振りの尿検査やら、事実上の粛清をやっているんだけどな。
それってパブリックエネミーと見なされているってことじゃないのかな。
名乗りが大きいとしか。
少数の声のでっかい人が騒ぐだけでもそれと当局のタイミングさえ合致すれば取締りや自粛はおきるんですよね(最近だとわかばっちとか)。
「クラブに興味が無い人・何のことかわからない人」の方がよっぽど多いと思います。
かつてのオタクはパブリックエネミーに近い地位を獲得しましたが
わかりやすくおぞましい大事件、「宮崎勤」というスーパースター、マスコミの連日の好奇の報道
「皆さんはご存じないかもしれませんがわれわれはこういう活動をしてきた者です。」
「実はこのたび警察当局に連日の厳しい取締りを受けていますが、事実関係はこうです。」
「我々は法を犯していませんし、寄せられた不安や苦情には話し合いで解決する用意があります。」
という
いきなりマニアックな文化論や内輪の対立の話とか自分の感情の吐露から入る人が多すぎます。
「薬やってそう」「治安悪化させてそう」「いかがわしい」という市民の声を後ろ盾に、警察が取締りやら空振りの尿検査やら、事実上の粛清をやっているんだけどな。
それってパブリックエネミーと見なされているってことじゃないのかな。
「そこまで悪くない」と反論したら自意識過剰と返されるのか。辛いな。
それに本当に社会が「知らない」「興味がない」「関係ない」と受け止めているのなら、逆に言えば善良な秩序に影響なく取締も不要じゃないかな。
でも確かに内向き過ぎというのは耳が痛い指摘。
中にいると全く自覚ないから。
非実在青少年問題の時、アニヲタ側はどういう戦略で世論に訴えたんだろうか。
クラブ好きとはノリが違ったんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120531114646
今回の騒動を周回遅れでざっと目で追ってきて、何よりも驚いたのは
クラブの存在自体が非クラブ愛好者から見たら「パブリックエネミー」そのものだったという事実。
自分は数ヶ月に一度、友人のイベントに行く程度の愛好者だけど、外から社会悪と思われているとは露程も知らなかった。
当たり前だけどのりぴーの元旦那みたいな薬キメに来るようなアホはもちろん見たことない(ものすごく迷惑しているので本当にやめてほしい)。
確かに暗いし退廃的なイメージはあるけど、それはネタとして消費されているにすぎず、
ほとんどの人は友人とテーマ縛りのカラオケに行くような感覚だと思う。
小箱の営業が法律上認められないとこれだけ話題になってもなお知らない人も多いんじゃないか。
健全とはいえないまでも、キャバレーやゲーセン以上の社会悪とまで言われる程とは思わなかった。
渋谷系以降のDJや客は今や30代以上で、昼間は普通に働いている社会人が殆どだろうし。
だから「夜暗い所で踊るだけで十分『いかがわしい』」という意見を見た時は目から鱗だった。
(余談。「リア充ざまあwww」との声も目にしたがDJや客は基本ヲタなので、レコード買うために生活費や交際費を切り詰め質素な生活をしており
今回の騒動で「クラブは治安悪化させ『そう』」「薬やって『そう』」といろいろ言われてはじめて
「キモイ」「性犯罪助長」と云われなき中傷を受けるアニヲタ各位の気持ちが自分達の痛みとして理解できた。
(もちろん自分はヲタまでいかないがアニメや初音ミク好きだし、アニヲタをキモイなどと思ったことはない。
むしろ同じヲタ属性として共感を覚える。最近はアニソンかけるDJも増えているし、概ね自分の周りのDJはアニメ好き。念の為)
「法律変えたきゃクラブは犯罪の温床でないと証明をしろ」という悪魔の証明のようなものを迫る言論を目にした時に
(赤の他人であるどこかのクラブ愛好者が犯罪起こさないなどとどうして保障できる?)
非実在青少年規制問題に直面したアニヲタさん達の厳しい状況を自分達の状況として理解できた。
サブカルの宿命かもしれないけど、元々少数派であり敵意に晒される中で民主的解決(法改正)なんて絶対無理だろ。
迷惑かけなくても目障りだから、社会的に有用じゃないからイラネと言われる殺伐とした世界に生きる厳しさをこれほど感じたことはない。
オーガナイザーやハコのオーナーが何故声を上げない?という意見もあったけど
その意味では現状適法の非実在青少年問題より解決困難かも知れない。
みんなもう若くないし社会と闘ったり説得する元気もないし
諦めて踊ることにこだわらず純粋なDJ Barでまったりやるしかないのかも知れない。
善良な風俗怖い。
オウムの信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウムの出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己の解脱に専念することでした。
出家者は教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞、テレビ、ラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。
入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。
自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家の意志は皆無でした。
ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウムが出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。
「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末に核戦争が起こる。(本文二十一頁)」
―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒に布教活動をさせたり、さらに、出家の必要性を訴え、多くの信徒を出家させたりしました。
このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。
私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三年晩秋か初冬に私が話した内容です。
町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。
当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。
また、一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。
他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。
これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱・悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。
この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供が出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。
こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末の人類の破滅というタイム・リミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。
このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束をしました。そして、平成元年三月末に出家しました。
私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています。
その初めての説法において、麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです。
ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。
ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より)
前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教的経験を根拠として、この教えを説いていました。
さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います。
このような説法が展開されていたとき、私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。
解脱・悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。
以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱・悟りに導くことの実体験になりました。
平成二年四月、麻原は古参幹部と理系の出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。
麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。
「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」
そして、麻原が指示したのは、猛毒のボツリヌストキシンを大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートルの水槽四基―の責任者でした。
作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います。
私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。
それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教的経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。
一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビ・コマーシャルを視聴したところ、その音楽のイメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。
一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱・悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。
ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分の意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器、レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。
このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践は日常的なことでした。
そして、平成七年三月、私たちは地下鉄にサリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。
地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウムの宗教的経験に没入している状態でした。
[ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為そのものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマの法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]
以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教的経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。
他方、「禅」も宗教的経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います。
宗教的経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。
また、私は宗教的経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間の感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実と認識してしまうこともあるのです。
神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ)
幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実は検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。
【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。
あるいは「SNSを使うと高収入になれる」というデマが流れるまで。
世の中は事実と異なる煽り記事があふれている。実際には嘘であることをそれとなくまかりとおすことは風説の流布になる。フィクションであるなら構わないが、それならば断っておく必要があるだろう。そのような煽り記事に対する傾向として、最近の記事を事例として「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか 」を例に情報の歪みをまとめておきたい。
ソーシャルネットワークで職場の人とつながっている? | DODA ホンネの転職白書
を見てほしい。これから言えるのは
最初の歪みはサンプルの質である。DODAであればそもそも「転職を考えている人間」であろうことが明示されていない。転職を考えているのなら少なくとも、性質上、縁故採用を期待するのは当たり前である。ならば転職者のSNSの利用が高くてもおかしくない。
一部引用すると、
順位 職種別 SNSの利用率
2 IT/通信 64.7%
3 金融 56.9%
順位 職種別 SNSの利用率
1 企画/マーケティング 82.1%
2 クリエイティブ 80.5%
とあるが、これも転職者が前提であれば、あるいは、DODAの顧客が前提であれば、SNSの利用率以前に流動性の高い職種が上位にくることは自
明である。したがって、転職者ほどSNS利用率が高いということではないだろうか。
一部引用すると、
SNS上で仕事関係者と交流するビジネスパーソンは、身近な同僚と会社内のコミュニケーションだけに留まらず、プライベートでも積極的にコミュニケーションをとっていることがうかがえます。一方で上司や部下、取引先については、SNS上では多少距離を置きたいと考えているようです。
このことは転職検討者ならば当然(上司や部下に内緒にしたいため)のことであり、サンプルの質により曲解ではないか。これらはサンプルの質を述べないために起きることである。
1 900万円台 68.4%
2 800万円台 66.7%
3 1000万円以上 60.0%
4 700万円台 57.4%
5 400万円台 56.5%
だそうだが、そもそも900万円台が何人いるのかどうかが述べられていない。相対的には少ないはずというのは予想できるが、傾向その1のとおり、上記職種の年収が比較的高いがゆえに利用率が高いだけではないだろうか。900万円台の人数と職種の比率を述べずして
と結論づけるのは、ないものをあるように見せているだけのようである。それならば、なぜ1000万円以上がなぜ下がっているのか?同じく500~600万円台で下がるのか?その理由も述べられていない。そうではなく「企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアのSNS利用率は比較的高い」というのなら理解できる。実際、この情報からはそれだけしか読み取ることができない。年収が高いビジネスパーソン=SNSを積極利用というのは論理の飛躍ではないか。裏を返せば1000万以上職種は企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアではないということをまず述べるべきであり、DODAの顧客=転職者としては母数が多くない職種ではないと推測できる。おそらく流動性の低い職種であろう。つまり高収入の公務員や医者と考えられる。これらはサンプルの量(と、それに対する比率)を述べないために起きることである。
一部引用すると、
DODAに登録いただいた転職者約5000名の、TOEIC®テストの点数別に平均年収を見てみると、TOEIC®テストの平均点に近い550~599点の平均年収が405万円に対し、900点台は528万円と、123万円も高いことがわかっています(DODA調べ)。これらの調査結果をあわせみると、Facebookなど海外ユーザーとコミュニケーションをとる機会が多いSNSの普及と、語学力が高いユーザーの参加が増えたことが、年収別の利用率に関係していると考えられます。
実際には別の調査であり、まったく関係がない。にもかかわらず、同じ記事で関係されている。なぜなら「550~599点の平均年収が405万円に対し、900点台は528万円と、123万円も高い」ことは年収900万円が利用率の高い説明にはならないからである。TOEIC900点台が528万円であることならば、500万円台は54.3%でしかない。さらに「SNS利用率の高いユーザが英語できること」の調査結果はどこにもない。
※蛇足だが「TOEICの点数と年収の相関」の調査はあるようだ。
http://www.english-resume.net/indiv/ent-41-10.php
しかしDODAのこれらの調査記事は「転職検討者に限ったデータです」あるいは「企画/マーケティング、クリエイティブ、ITエンジニアに限り」などのバイアスに対する前置きさえあれば、特にいかがわしいものではない。間違った推論は余計だとしても、それが転職検討者のデータであるならば、理解できる部分が増える。そして、もっとも問題になのは事実を捻じ曲げたタイトルをつけてしまった次の記事である。
このタイトルはつまるところ「年収高くしたければSNSを利用せよ」という錯覚を引き起こす煽りである。実際にはその相関も因果も何も説明
されていない情報の二次コピーでしかない。少し譲って「「年収900万円台」の利用率は68.4%!」は、DODAの調査からそうであったとしよう。しかし上記で説明したとおり、「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか」というタイトルは嘘である。実に巧妙に、この記事にはタイトルに嘘が50%含まれている。たぶんこのような誘導に慣れているのだろう。文章中に「なぜ高収入の人ほどSNSを使っているのか」という説明はどこにもない。diamondの記事ならば、せっかくなのでば600万円台、500万円台の利用率がなぜ400万円台より低いのかを分析したらどうだろうか。忙しい500万円~600万円の人はSNSの利用率が低い。とでも書いたらどうか。
これらを真に受けないように対策も述べておく。
http://www.j-cast.com/2009/05/29042167.html
主な利用目的がSNSであるのが36%と世界5か国中最も低い結果ということであり、直接上記の問題と関係はない。だが、どうやら思ったより熱
狂的ではないことは感じ取れる。震災後にSNSの利用ユーザー増えたという時期的なデータもある。
と
http://nensyu-labo.com/2nd_syokugyou.htm
を比べればわかるが、DODAのデータはやはり局所的であり、上記で推測したとおりの前提付きであろう。「流動性の高い職種ではSNS利用率が高い」あるいは「ITに関係する職種ほどSNS利用率が高い」という当たり前のタイトルがふさわしいのではないだろうか。それ以上ではない。
上記のとおり、年収とSNS利用率の相関も因果も確認されていると言いがたい。これを別角度から説明した良記事がある。
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/08/24105238.html
このような疑問や批判精神から記事が作られることは、メディアの失われつつある機能であり、稀にしか書かれることはないが、もし存在するのならばそちらの記事を合わせて読むことが重要である。
ということであり、傾向その2は証明されたようだ。これでは確率的なブレの域を出ない。つまり次の調査では異なった結果が出る可能性が高い。
900万円台の人が占める割合は、わずか1.4%。1000万円以上も1.7%に過ぎない。30.8%を占める300万円台の20分の1。高収入者はもともと、SNSの利用率で一喜一憂する必要もないほど少数派だ。「自分はSNSをこんなに使っているのに、なぜ収入が低いのか」と自信を喪失しないようにしたい。
まったくそのとおりである。自信を喪失する必要などまったくない。少数をあたかも全体のように説明してはいけない。
なぜかマスメディアはなぜかSNSの利用を煽る傾向がある。自らの利用率が高いものは良いと当然、適用しようと思うのかもしれないが、私はSNSに熱狂したり血道を上げている人間に立派な人を見かけたことがない。正しいかどうかはわからないが(と、あらかじめことわった上で)現状のSNSの利用率に関する私の感覚を言うのならば、
・SNSの利用率が高い人ほど消費性向が高い
・SNSの利用率が高い人ほど飽きっぽい
賃貸住宅を選ぶときには、それなりのテクニックがあって、たとえば独身で費用に余裕があるからといって安易に2部屋・3部屋の物件を選んではいけない、という実体験をしました。うるさい子供やその他に悩まされないために。
入居前に、バルコニーを一通り見てみる。晴れた日に布団が複数干してある場合は要注意。家賃が安いのも要注意。建物のつくりが、たとえば木造で階上の音がガタガタ聞こえてくるようなヤワな建物も要注意。子供のチャリを発見したら要注意。
要するに安泰な生活を送りたければ、それなりの家賃で間違っても生活がキツキツな家族が居ないような物件を選ぶべし。しかし自分がすでに所帯持ちで、しかも持ちマンション等のケースは、管理会社は助けてくれないというか管理会社自体がない。売りマンションの場合は住民同士でクレームを当事者間で言い合うことになるケースが多い。したがって解決方法がない。
母子家庭は子供に手をかける時間が少ないので、子供にストレスがたまりやすく、周辺住戸に迷惑をかけやすい。母子家庭に限らず、虐待ではなくとも、絶叫系の子供は明らかに遊び不足、甘え不足、子供的な発散不足。しつけがどうのこうの言う前に、子供という動物を管理できていない。犬でも散歩が必要なように、子供はしかるべきエネルギー発散が必要だけれど、そうなっていない子供は案外多い。
自分のおばさんは70代独身で、60歳のときに念願の売りマンションを購入したけど、なにせんカネがないために中古物件で都心のひなびた場所になりました。しかしそこは新宿区のはずれ。中古マンションとなるといかがわしい人々が住んでいたりする。ざっくばらんに言うとヤクザ屋さんがいた。こういうリスクは手に負えない。自分が買った時にいなくても、あとから来るリスクは避けようがない。
契約の時に業者が気をつけるべきだという意見はあろうが、こういう問題がある場所では、又貸し等で責任の所在があいまいだったりする。やられたもん負けになり、いやなら自分がマンションを半値で売って出ていくしかない。
そういうわけで、人生の大半をフィックスしてしまう住宅購入は怖くてできないという自分の気分もあわせて考えてみました。私事で疲れきっているときは、よその子供の状態をおもんばかる余裕もないし。
俺よりも少し年下、20代半ばのイケメンの知り合いがいる。かなりのイケメンで、高卒の俺からは眩しい学歴があってリア充で、ブサメンで人望がない俺なんかにはもったいない友人なんだが、割と慕ってくれているので有難い。
付き合ったり話をしているうちに、実はかなり頭が悪いことが分かってきたという話。
ある晩の酒の席でサイドビジネスや不労所得の話になったとき、彼から実は株を始めていることを聞かされた。詳しく聞いてみると、株を教えてくれる教室に通っていて、株をやるためのソフトウェアを購入したのだという。教室の先生は株式売買のエキスパートで、その先生が用意したソフトウェアを用いて臨めば、高確率でうまくいくのだと。
株式売買もFXもぜんぜん分からないし、あまり興味をもてない俺には想像がつかない世界だが、周囲の人間から株をやるための準備金として80万円も使ったという話は聞いたことがなかった。
「騙されている」
そこまでは思わなかったが、それはちょっとおかしいような気がした。こいつ騙されやすいかもしれないなと思った。
ちなみに今日時点で、彼は株から足を洗っている。収益はだせず、教室代とソフトウェアのローンを支払っている最中である。
ある晩、電話があった。
「XXXさん(俺のこと)、アンチエイジングをご存知ですか?」
そう切り出され、健康食品や化粧品を取り扱うマルチ商法的なビジネスに関心があるのだという話を聞かされた。知ってるよ。ねずみ講ではなく、ネットワークビジネスというやつだよね。
「よく知っていますね。俺も最初に聞かされたときには怪しんでいました。でもその人の話を聞いたり、ネットで調べるうちに、これは信用できる。21世紀のビジネスはアンチエイジングだと思っています。XXXさんも今度ぜひセミナーに参加しましょう」
調べてみるよ、また連絡すると結んで電話をおいたあと、彼が始めたというネットワークビジネスを調べてみた。苦情の坩堝だった。特にその最初に参加するセミナーは「マインドコントロールセミナー」と呼ばれるらしい。ネットで調べて信用できると思えたというのは、何を指していたんだろう。
電話から2週間くらい経ってから、メシの誘いがあった。彼以外のマルチ商法関係者が来ていたらイヤだったが、そんなことはなかった。
例のビジネスの話題になり、意見を聞かれたので、「ぶっちゃけ、まったく信用できないと思った」と正直に言った。すると、意外な返事が返ってきた。
「俺もそう思い始めています」
信用できないと思えてきたらしい。彼はそのビジネスをやってみたいと母親に伝えたところ、やめておけと反対されたのだという。まあ、そうだろうな。君のお母さんがそれなりの常識を備えていれば反対すると思うよ。
「占い師というわけではないんですが、説明できる言葉が無いので便宜上それでいいです。このエピソードをなぜ披露したかというと」
要するに、母親はただ反対したわけではない。その占い師さんの意見を仰いだ上で反対しているのだから、彼自身も考え方を改めたのだそうだ。俺には「なるほど」としか言えなかった。
アフィリエイトの話は俺から切り出したということもあるんだけど、彼自身も元々興味があったようだ。俺自身はWebアプリ用のフレームワークをいじったりするのが楽しいので、適当なWebサービスをリリースして、あわよくばアフィで収入を得られればという程度の考えなんだけど、どうやら彼は違ったアプローチをとっている。
「XXXさん、アフィやるにあたって、情報商材は何を買いましたか?」
アフィリエイトを始めるために情報商材を買わないといけないものなのか?そもそも情報商材って。大胆なうたい文句をズラズラ並べた縦長のページで売っているやつですか。
「そうです。怪しいですよね。おれも詐欺に気をつけながらよくよく吟味しましたよ。で、PPC広告でアフィリエイトサイトへ誘導して収入を得るための情報商材を購入しました。3万円で3ヶ月間コンサルタントしてくれるのです。評判を見た限りでは、これでうまくいかなければ何をやってもダメなのだと思っています」
そう意気込んで話してくれた。情報商材でボロ儲けって、いかがわしいダイエット広告やトルマリンパワーくらい現実味がないと思っていた。件の商材のURLを送ってもらい見てみたが、その考えは変えられなかった。
騙されやすいのか、好奇心旺盛なのか、人を疑うことを知らないのか、どう表現すればいいのか分からないが。
彼は生まれ育った環境のおかげでそういう性格になったのだろう。占い師のエピソードでそう思った。実際にこういう人がいるんだなとも思った。
俺が二次災害的に騙されることが心配なので、距離を置いて付き合っていこうとは思う。
これはすごく個人的な意見。あくまで俺がそう思うってだけ。専門的な知識も学もない。
宗教は、救済面ばかり強調されてるせいで、何かのための手段や目的というイメージを強く持ってる人が多い。ある程度歴史のある宗教の場合、救済面というのは、宗教を戦争や政治に利用する過程で学の無い人たちに無理やり布教するために二次的に作られた側面じゃないかな。
教育や知識の必要性は、知識がなければその必要性を疑う事も無い。残酷だけど。どん底にいる人たちは、上があるという認識自体がないから、現状に対する疑問も視点も持ってない。”かもしれない”って思えないんだ。甘いという味を知らない人が、甘いものを食べたいとは思わないだろう。そういう人たちに、宗教という高次的な概念を教えるためには、できるだけ彼らのわかる情報だけで組み立てなければならなかっただろう。こうすれば、もっとパンがたべられるとか、死んだあとおなかがすく思いをしなくていい、とかね。
でもそんなのは布教のための方便だったんじゃないかなって思う。
俺の勝手な考えでは、宗教って人間の考え方をまとめたものなんじゃないかって思ってる。
例えば、オタク同士がこだわりのあるジャンルの素晴らしさを論議する時に、専門用語でやりとりすれば難しい情報を簡単に伝えられる。「ツンデレがよい」とかね。そういう、複雑であいまいな概念を抽象化して、人間同士で簡単に伝え合えるようにするための言葉というのはどこにでもある。
もっと難しい、複雑であいまいな概念を抽象化することを考える。
人の心の動き、価値観の違いを客観的に見て判断する知恵のことを何というのか、とか。
無駄な争いを無くすためのライフハック的な考えかたを何ていえばいいのか、とか。
気持ちが怒りに染まった時にすぐ落ち着くにはどうしたらいいのか、とか。
この世界の仕組み、存在ってなんだろう、時間って、因果性って・・・
そういうのを抽象化して、いくつかまとめたのが宗教じゃないかな。
子供の時、昨日はなんで昨日なんだろう、時間って何で繋がってるんだろう、存在ってなんなんだろうって、えらく漠然としてなにか恐怖心に満ちた疑問を抱いたことがあると思う。それを人に伝えようとした時、とてももどかしくて言葉に出来ない、でもなにかつかみかけてるようなそんな感じ。そういうのをすんなり言葉にできるようにしたのが宗教の一つの側面じゃないかな。
特に仏教はそういう側面が強くて、宗教のいかがわしさやご都合主義的な面とは全く違った、かっこよさがある。
キリスト教はあまり触れる機会がないから、いかがわしい印象ばかり多いけど、こまこました事でストレスをためない考え方や、怒りや落ち込みをポジティブに生かす考え方には優れてると思う。
いきなりテレビで自作が叩かれたので気が動転したのかもしれないが、自作が公の場で非難されたからといって「許可をとってない」と泣くのは愚かすぎる。いかに酷く誤読されようが理不尽な言いがかりをつけられようが、公刊して天下に問うたものに対する批評を制限する権能など作者にありはしない。この漫画家が「猪瀬直樹は誤読している」と猪瀬の許可なしにブログに書くことのできる自由と同じ自由がそこにあるというだけのこと。
エロ漫画家が自作の「誤読」をヒステリックに訴える、というのは喜劇的ですらあるが、人生かけて描いている作品が昼間のテレビで有名人に槍玉にあげられたというのは、そんなに過敏に自己弁護すべき状況でもないように思う。いかがわしい表現を意識的にやっているならむしろ誇ってみせてもよいはずだ。自分のブログで生活とか家族がどう、とかそういうところに同情を求めているところからみると、そんなに鷹揚に対応する度胸も生活力もないのかも知れないが。
そしてこの発言について思ったのは、「無断リンク禁止」とか「検索よけ」的な陽の下で一般人に言及されるのを嫌う態度と相通じるような気がする、ということ。狭い自分のサークルの圏外からの「勘違い」な言及を過剰に嫌悪する、というのは二次元界隈の皆さんには共有された感覚なんだろうか。
今回の件は話題が話題だけに「叩かれてナンボだろ」というつもりはないが、「表現者」が擁護するに足らない存在だと思わせてしまう対応は間違いなく逆効果。2ch にもブックマークにも「許可はとれよ」というコメントがけっこうあるが、引用にも紹介にも批評にも非難にも誤読にも不買運動にもファシズムにも「許可」は要らんですよ。もちろんこの漫画家がヒステリックに殉難者を気取ることも自由なわけだが、いかなる表現であれそこには常に文脈に依存した政治性が付随するということは批評も表現も同断なわけで、名のあがった、すなわち猪瀬と同じ言語空間で発言できる可能性のある今こそうまく振る舞うべき。
駅前の交差点で信号待ちをしていた時に、スーツ姿の男の人に丁寧に話しかけられ、高校生かと確かめられた。
「芸能界に興味はありませんか?」
と言った。
当時私はちょいピザで、化粧もしていなかったし服にも興味がなかった。
その時も、多分ジーンズにTシャツというお洒落もへったくれもない格好だったと思う。
加えて、ドラマもアイドルも興味がなく、そもそもテレビもろくに見ていなかったので、名刺を見もせず、むべもなく断った。
その人は丁寧に引き留めた侘びをし、引き下がった。
あれから八年。
相変わらずドラマにもアイドルにも興味はないけれど、少しはテレビを見るようになった。
別に今の生活に何の不満もないけれど、それでもごく稀に、「高校生の時、渋谷でスカウトされて」芸能界に入ったという女性タレントを目にすると、あの出来事を思い出す。
もしかしたら、いかがわしいもののスカウトだったかもしれない。
仮にちゃんとしたところのものであっても、もちろん成功したとは限らない。
けれど、もしあの時、ほんの少しの興味を抱いて話だけでも聞いていたなら、人生が全く違ったのかもしれない。
これから先、もう一生、風俗業界を除いてスカウトなどされることはないだろう。
もしも自分の人生で、ほんの少しだけ芸能界などというものに通じる可能性があったとしたら、多分あの一つのやりとりだけだった。
後悔しているわけでは決してないけれど、違う世界を覗く可能性のあった穴はあれだったのか、覗いていたらどうなっていただろうとぼんやりと思う。
覗かなかった現実では、私は平凡な仕事に就きつつちょいピザからピザへと進化した。
覗いていたら、もしかすると身長-120のゲーノウ人的体重で、有吉あたりにとにかく精神性がキツいなどと罵ってもらえていたのだろうか。
結局なにも変わらなかった気もするのだけど。
飲食店などで出されるおしぼり、夏場は冷たく、冬場は暖かくて、手を拭くとほっとしますね。
男性は暖かいおしぼりで顔を拭くのが好きという人も多いでしょう。
かくいう自分も、好きでした。
でも残念ながら過去形です。
ピンサロでのおしぼりの使われ方を目の当たりにして以来、おしぼりを使うことは生涯ないでしょう。
普通の女性には想像もつかないことだと思いますが、ピンサロでおしぼりは男性器を拭く行為に使われます。
人間が口にふくむために掃除するわけなんで、それはもう執拗なまでに丁寧に男性器を拭くわけです。
恐ろしいことに、そんなおしぼりが何度も何度も再利用されて世の中に出回りまくっているわけです。
特に、いかがわしい店が多くある繁華街にある飲食店で出されるおしぼりには要注意です。
おしぼり業者など、同じ地域にそう何軒もあるものではないでしょう。