これはすごく個人的な意見。あくまで俺がそう思うってだけ。専門的な知識も学もない。
宗教は、救済面ばかり強調されてるせいで、何かのための手段や目的というイメージを強く持ってる人が多い。ある程度歴史のある宗教の場合、救済面というのは、宗教を戦争や政治に利用する過程で学の無い人たちに無理やり布教するために二次的に作られた側面じゃないかな。
教育や知識の必要性は、知識がなければその必要性を疑う事も無い。残酷だけど。どん底にいる人たちは、上があるという認識自体がないから、現状に対する疑問も視点も持ってない。”かもしれない”って思えないんだ。甘いという味を知らない人が、甘いものを食べたいとは思わないだろう。そういう人たちに、宗教という高次的な概念を教えるためには、できるだけ彼らのわかる情報だけで組み立てなければならなかっただろう。こうすれば、もっとパンがたべられるとか、死んだあとおなかがすく思いをしなくていい、とかね。
でもそんなのは布教のための方便だったんじゃないかなって思う。
俺の勝手な考えでは、宗教って人間の考え方をまとめたものなんじゃないかって思ってる。
例えば、オタク同士がこだわりのあるジャンルの素晴らしさを論議する時に、専門用語でやりとりすれば難しい情報を簡単に伝えられる。「ツンデレがよい」とかね。そういう、複雑であいまいな概念を抽象化して、人間同士で簡単に伝え合えるようにするための言葉というのはどこにでもある。
もっと難しい、複雑であいまいな概念を抽象化することを考える。
人の心の動き、価値観の違いを客観的に見て判断する知恵のことを何というのか、とか。
無駄な争いを無くすためのライフハック的な考えかたを何ていえばいいのか、とか。
気持ちが怒りに染まった時にすぐ落ち着くにはどうしたらいいのか、とか。
この世界の仕組み、存在ってなんだろう、時間って、因果性って・・・
そういうのを抽象化して、いくつかまとめたのが宗教じゃないかな。
子供の時、昨日はなんで昨日なんだろう、時間って何で繋がってるんだろう、存在ってなんなんだろうって、えらく漠然としてなにか恐怖心に満ちた疑問を抱いたことがあると思う。それを人に伝えようとした時、とてももどかしくて言葉に出来ない、でもなにかつかみかけてるようなそんな感じ。そういうのをすんなり言葉にできるようにしたのが宗教の一つの側面じゃないかな。
特に仏教はそういう側面が強くて、宗教のいかがわしさやご都合主義的な面とは全く違った、かっこよさがある。
キリスト教はあまり触れる機会がないから、いかがわしい印象ばかり多いけど、こまこました事でストレスをためない考え方や、怒りや落ち込みをポジティブに生かす考え方には優れてると思う。
宗教は古代のライフハックだろ 「悪人こそ救われるから過去にとらわれてくよくよしないで!」 「思考停止して仏法僧を敬えば気分が楽になる!」 「精液をすてるなんてとんでもな...