はてなキーワード: 因果性とは
海外のソースを参照して、運動方程式における因果性について調査しました。以下にその結果をまとめます:
以上の情報から、運動方程式における因果性は、その理論や文脈によって異なる解釈が存在することがわかります。したがって、具体的な状況や問いによって、適切な理論や解釈が変わる可能性があります。¹²³
(1) Causality in gravitational theories with second order equations .... https://arxiv.org/abs/2101.11623.
(2) Causality in gravitational theories with second order equations .... https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevD.103.084027.
(3) [quant-ph/9508009] Nonlocality as an axiom for quantum .... https://arxiv.org/abs/quant-ph/9508009.
(4) www.repository.cam.ac.uk. https://www.repository.cam.ac.uk/bitstream/handle/1810/319156/causality.pdf?sequence=1.
(5) undefined. https://doi.org/10.48550/arXiv.2101.11623.
(6) undefined. https://doi.org/10.1103/PhysRevD.103.084027.
→ 哲学とかそういう話ではなくて、自由意志が存在しない、身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無なのは、"単なる科学的常識" なので、賢い振りをしたいのならお気持ちや宗教を前面に出さずに、真摯に現実に向き合ってどうぞ
→ ただし、量子力学の世界観においては、それまで物理学の基本的な前提と考えられてきた、実在性・局所性・因果性という概念が破綻する可能性があるので、コンウェイの自由意志の証明の方面から自由意志を語りたいならご自由にどうぞ
→ ついでに言語を持たずともなんなら脳すら持たずとも粘菌類もそのほかの生き物も高度な処理演算ができる。さらに言えば生命と非生命(無機物等)に違いはなく本質的には同じものだし、死すら現代科学は定義出来ていない(臨床上の死は設けられているがそれすら近年覆されている)。分子のレベルから生物という現象を見つめるのは楽しいかもしれない。ちなみに過去の増田と現在の増田は物理的に連続していない別人だがお気持ちで同一人物と称している
↑ 上記の文章を理解するのにどこか専門的な知識が必要となる箇所はありましたか?
古典物理学視点というか現在の科学レベルでは 『自由意志は気のせい』が誠実な答えなのは疑念をはさむ余地がないと思うのですが、
たったこれだけの日本語も理解できないのだから文章力どうたら地頭がどうたら以前の問題だと思いますよ
anond:20211207104426 anond:20211014160107 anond:20211016172711
◇実行行為性のところのメモ書きに「長すぎる」「ムダ」って書いてあるんだけど、出題趣旨に①甲車の高さ、②速度、③走行距離、④走行態様、⑤路面状況、⑥結果を丁寧に拾えと書いてあるので、これぐらい書いていいと思う。上位答案もここは丁寧に拾っていた。
◇平成20年判例は時間的・場所的接着性も考慮してるのでこれも規範に挙げるといいと思う。俺は時間なくてあてはめしなかったけど。
◇侵害の均衡要件については、他に①ナイフの刃体が10cm、②頭部や顔面に向けている、、③「やくざ者なめんな」「降りてこい」等の脅迫的言辞、を挙げると良いらしい。
◇急迫性の認定は丁寧でいいと思う。俺は時間なくて適当に否定してしまった。
◇行為の一連一体性⇒過剰防衛について、最決平20.6.25と最決平21.2.24が似たような事案なのに結論が分かれた。んでどうも結論を分けたのが反撃の可能性の有無らしい。なので本件だと「甲が全速力で走って逃げだした」という事情が重要らしい。
◇たぶん時間切れだと思うが、①反撃時の共謀が追撃行為に因果性を有するかと規範定立して、②共謀の内容が「防衛しよう」というものであることを認定、③なのにやったことは犯罪行為なので因果性なし、④新たな共謀の有無を認定の順で。
夢とは睡眠時に生じる現象である。また、夢についてのその他の定義としては以下の要素が挙げられる。
・特異な現象が生じる(人が生身で空を飛ぶなど)。
・ある種の強烈な慣性力がはたらいており、思考が通常通りにはたらかない(人が生身で空を飛んでいたとしてもそれを不自然と捉えられない場合がある)。
大まかに言えば以上の二つが夢を構成する最も根本的な要素である。
ここにおいて、以下の実際的事実に関して述べた言説によって、現実が夢でないという結論を導くことができる。
・現実においては特異な現象が生じない(反証可能性を満たす事象が起こっていない)。
現実が夢でないことについての論述は基本的にはこれで終えることができる。しかし、一部の例外に基づく反論が存在しないというわけではない。よって、以下にそのような反論を記す。
・統合失調症患者などの事例においては睡眠下ではない現実においても特異な現象が生じる。
これについて、統合失調症患者の定義は以下のものとする。〈自〉を〈他〉と誤謬することがあり、〈他〉を〈自〉と誤謬することがある。つまり、自他の区別が時に曖昧になる人間のことである。このような患者においては、自己の〈想像〉の内部においてのみ起こり得る事象を――つまりは特異な事象を――自身の外部から感じ取ることができる場合がある。これが主な反論の一つである。
この反論については以下の形で論駁する。統合失調症は非可逆的性質を持った病であり、ある段階を過ぎると一定以上の回復が見込めなくなる病ではあるものの、薬剤によって一定のコントロールが可能である。先述できていなかったが、これはいわゆる夢における非因果性(因果性:ある入力に対し条件さえ一定であれば一定の出力が返る、といった性質)に矛盾している。よって、統合失調症の例を出したところで現実が夢であるという結論を導くことはできない。
しかし、以上の反論以外にも別種の反論が存在する。それは以下のようなものである。
・現実において、ある種の慣性力から我々が自由であるということを証明できない
夢の中においては我々の思考は慣性力にさらされており、正常な論理的思考への推進力を得ることが難しいのは自明であるが、かといって現実における我々が正常な論理的思考能力への推進力を常に獲得できているかと言えばそこには単純に肯定できない事情がある。これが第二の反論である。
この第二の反論については以下の形で論駁し得る。因果性(ある条件下の入力においては一定の出力が返るという法則)に基づく反論である。
現実においては、ある条件下の一定の入力に対して一定の反応がある場合が多い。換言すれば、ある種の理性的事柄が十分に理性的に示されるならば、その反応も理性的になり得るということである。
例えば完全に理性的な(どんな人間でも納得し得る程に理性的)かつ可読性に富んだ「現実が夢でないことの証明」の論文を読んだ場合に、通常の人間ならばこの証明について納得し得るし、実際のところ納得する。しかし、夢の中においてはこのような納得が生じない場合がある。慣性力の影響である。
しかし、現実においては極度に理性的で極度に可読性に富んだ文章を読みさえすれば、万人に完全で理性的な情報を伝達することが可能である。これによって、「現実において、ある種の慣性力から我々が自由であるということを証明できない」という反論は、反駁され得る。
これはすごく個人的な意見。あくまで俺がそう思うってだけ。専門的な知識も学もない。
宗教は、救済面ばかり強調されてるせいで、何かのための手段や目的というイメージを強く持ってる人が多い。ある程度歴史のある宗教の場合、救済面というのは、宗教を戦争や政治に利用する過程で学の無い人たちに無理やり布教するために二次的に作られた側面じゃないかな。
教育や知識の必要性は、知識がなければその必要性を疑う事も無い。残酷だけど。どん底にいる人たちは、上があるという認識自体がないから、現状に対する疑問も視点も持ってない。”かもしれない”って思えないんだ。甘いという味を知らない人が、甘いものを食べたいとは思わないだろう。そういう人たちに、宗教という高次的な概念を教えるためには、できるだけ彼らのわかる情報だけで組み立てなければならなかっただろう。こうすれば、もっとパンがたべられるとか、死んだあとおなかがすく思いをしなくていい、とかね。
でもそんなのは布教のための方便だったんじゃないかなって思う。
俺の勝手な考えでは、宗教って人間の考え方をまとめたものなんじゃないかって思ってる。
例えば、オタク同士がこだわりのあるジャンルの素晴らしさを論議する時に、専門用語でやりとりすれば難しい情報を簡単に伝えられる。「ツンデレがよい」とかね。そういう、複雑であいまいな概念を抽象化して、人間同士で簡単に伝え合えるようにするための言葉というのはどこにでもある。
もっと難しい、複雑であいまいな概念を抽象化することを考える。
人の心の動き、価値観の違いを客観的に見て判断する知恵のことを何というのか、とか。
無駄な争いを無くすためのライフハック的な考えかたを何ていえばいいのか、とか。
気持ちが怒りに染まった時にすぐ落ち着くにはどうしたらいいのか、とか。
この世界の仕組み、存在ってなんだろう、時間って、因果性って・・・
そういうのを抽象化して、いくつかまとめたのが宗教じゃないかな。
子供の時、昨日はなんで昨日なんだろう、時間って何で繋がってるんだろう、存在ってなんなんだろうって、えらく漠然としてなにか恐怖心に満ちた疑問を抱いたことがあると思う。それを人に伝えようとした時、とてももどかしくて言葉に出来ない、でもなにかつかみかけてるようなそんな感じ。そういうのをすんなり言葉にできるようにしたのが宗教の一つの側面じゃないかな。
特に仏教はそういう側面が強くて、宗教のいかがわしさやご都合主義的な面とは全く違った、かっこよさがある。
キリスト教はあまり触れる機会がないから、いかがわしい印象ばかり多いけど、こまこました事でストレスをためない考え方や、怒りや落ち込みをポジティブに生かす考え方には優れてると思う。
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児童虐待が脳に残す傷 M. H. タイチャー:日経サイエンス
私たちマサチューセッツ州ベルモントにあるマクリーン病院とハーバード大学の共同研究グループは,
虐待の影響を研究して,これとは少し違う結果を得た。子どもの脳は身体的な経験を通して発達していく。
被虐待児は、他人の不幸を喜ぶ冷酷な世界でも生き抜くように適応
極端なストレスは、さまざまな反社会的行動を起こすように脳を変えていく。
ホルモンの量が変化し、子どもの脳の配線を永久に変えてしまう。
他人の不幸を喜ぶような冷酷な世界でも生き抜けるように適応しうるのだ。
適切な世話をし、激しいストレスを与えないことが子どもの脳に大切だと私たちは考えている。
はてなブックマーク - 心が傷つけば脳にも傷がつく-中日新聞-
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「体罰は教育だ」戸塚校長が刑務所から出所--人民網日文版--2006.04.29
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普通、自然科学における「因果性」というのは、AであればBということですね。
フロイトが考えている原因というのは、Bという結果があったときにのみAという原因が見出されるということです。
これはAはBを規定しない。L・アルチュセールはこれを「構造論的因果性」と呼びました。