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はてなキーワード: 鬱屈とは

2021-07-24

anond:20210724112533

おまえへの反論

(1)北尾氏は当時インタビュー現場にいた人間

よって、何も知らない第3者のお前が語る主張の方が偏りよろしく主観的である

北尾氏は自業自得といってるし、「小山田圭吾村上清は悪くない」とは結論づけてないだろ笑)

(2)26年前の過去記憶を辿って推測するしかないのは当然であり、

良い解釈もなにも拡散される内容と自己記憶イメージ乖離があるから本音を語ってるだけ。

「M氏」と表現するのは、炎上攻撃が続く中で芸能人でもない名前公表することは控えておこうという

プライバシーへの最低限のマナーとか配慮かもね。(悪意持って都合よく切り取り攻撃される恐れもあるからね)

デビルマン」については、理性と冷静さを失ったお前らのような身勝手独りよがり怨念が、

あのデーモン達のように小山田に集中砲火を浴びせているこの惨劇を例えているんだろ。

迫害されてる?は?デビルマン読めよ。

(3)お前は当時のライターじゃないだろ?そしてその界隈にすらいないだろ?北尾氏以上に村上氏の何が語れるの?

あと、拡散されている「孤立無援のブログ」については、確かに切り取りと巧妙な順番の入れ替えによって

悪意ある印象のミスリードが行われているのは明らか。北尾氏を批判する前にまずそこ認めろよ。

(どうせお前もあのブログに乗せられて被害妄想膨らませて叩いてたんだろ?)

(4)「既成事実化」って単語ばっか使ってうるさいけど、適切じゃないから使うのやめろ。

北尾氏の内容は、状況を見てあの記事が書かれた経緯を「推測」しているだけ。

事実化しようとしてねーよ。(どっちが印象操作してんだよ)

美化してるというよりも、書き手にそういう意図があったのだろうとプロ視点解釈してるだけだろ。

実際に北尾氏のブログが出る前から、原文読んだ勢からもそういう意見あったし、自分も同じように捉えていた。

(5)はぁ、、しょうもな。村上はいじめられていた側だよね?

この「いじめ紀行」ってのは、いじめられていた側の視点からまれ企画なんだよ。

当時もいじめはアウトだし、「いじめ自慢」なんか小山田サイドからしたら断られるはずなのに(現に最初は渋っていた)

許可した背景には、村上氏なりの強いコンセプトがあった。それを小山田も受け取ったからあの記事ができた。

いじめ紀行」の冒頭でも、世間はいじめは悪と言いつつ綺麗事ばかりで、

世の中からいじめが無くなることはないというようなことが書いてるだろ。

から村上氏なりの視点いじめ問題を紐解くきっかけを模索していたんだろ?

いじめっ子といじめられっ子の対談」という手法は見る角度によっては悪趣味で間違っていたし、

いじめエンターテイメントだと自虐的表現しながらも、決していじめ肯定しているような企画ではないんだよ。

当時の鬱屈した社会の中で、未熟なライターデビュー記事であの小山田圭吾過激だけどかつて誰もやっていなかったことを企画して実現しようとしていた。

その熱い思いに小山田も動かされた。結果的に考えが甘く、いじめられっ子との対談企画も失敗したわけだが、

2人がやろうとしていた実験的試みは、露悪的だけどほんの少しだけ社会に風穴を開けるきっかけになったのかもしれない

(今は違う形で穴をあけてるが、、)

そういったものライター目線で振り返れば宝石と例えてるだけ。お前のサブカル偏見単純化するな。

(6)当時を知る北尾氏の証言と推測が出てきてくれたおかげで、一部だけど冷静な意見もでてはきていて、

少しは全国民が共有してしまった「鬼畜いじめ妄想」を止めるような方向へ進んだようにも見える。

が、同時にいまだお前のように被害者を傷つけたーとか妄想を繰り広げ、拡散助長するようなバッシングを続けるやつもいて、

逆に独りよがりお気持ち正義マンあぶり出してくれたのかもしれない。悪態ついているブコメとか見るとよくわかるよ。

北尾氏には感謝しか言いようがない。ある意味北尾から村上氏へバトン

このアンフェア建設的じゃない状況から早く脱して前に進めということ。

おまえはどうしても小山田鬼畜にしたくてしょうが無いんだろうけどね。

ヒステリック自分お気持ちぶつけて、こういうの垂れ流してる方が二次被害です。

2021-07-23

消されたかな?

小林賢太郎氏の解任と、わたし責任

8,674

岸田 奈美

2021/07/22 15:29

※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。

21:26追記

過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたし説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません

ラーメンズが好きだ。

小林賢太郎氏が好きだ。

父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める

父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うときわたし孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。

孤独から出会えた笑いで、孤独からつながれた笑いだった。

その小林賢太氏郎が、東京オリンピックパラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したときわたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。

こう、なんか、ものすんごく無責任オタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたし芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである

わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。

その小林賢太郎氏が、今日をもって当該職を解任された。

実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。

情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。

京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。

解任の理由1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。

その決定に、わたしは反対しない。

五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実侮辱されてはならない。

なのでこの文章は、オタクわたしわたしに宛てた、ただの戒めである

小林賢太郎氏は、責任をとるために、当職を解任された。

というかもう、ここ最近責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。

内田樹氏は自著「困難な成熟」で述べた。

責任を取るということは、不可能です。以上、おしまい

シンプルすぎる。

シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、

要は

「ごめん、で済む話はない」

ということだ。

人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。

体だけじゃない、心だって死ぬのだ。

あってはならないことだけど、学校いじめにあった子ども自殺して「一億円の損害賠償請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。

責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。

ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。

まさに今。

そんな世界で心穏やかに過ごすには、どうすればいいのか。

ここから内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。

「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか

勘違いしてはいけない。

これは、わたしは知らん、わたし関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。

それは「わたし責任を持つよ」と、言うことだ。

なんかまずいことが起こったとき責任他人なすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。

「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。

責任は、誰もとれない。

誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間幸福に、豊かに安全に生き延びることができる。

だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかから

さて。

長くなったので、わたしオタク語りに戻ろう。

小林賢太郎氏が過去発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。

映像に映っている観客と同じく、わたしは笑った。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組MC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。

小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。

今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったかわたしはわかる。

それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである

道徳観は、自然に身につくものではない。

教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。

道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。

小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコント演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイック創作であるストイックすぎて芸能界引退したようなもんだとわたしは思う。

年々、彼の思考作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。

世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉パントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。

そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンわたしたちは話さなければならなかった。

ユダヤ人大量惨殺ごっこで笑うのは、アカンかったね」と。

彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。

今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。

20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ

そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。

しろ批判されているコントできるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。

時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。

からこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。

そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。

つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかし揶揄されるのがつらい。

しかし、それもまた、気色悪いわたし責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。

推しは、推せるときに、推せ。

誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。

行き過ぎた悲しみに気づいたときわたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。

「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」

推し世界に魅了され、推し世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。

それもまた、推すという行為なのだと、信じて。

そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。

最後に、蛇足だけど、これだけは。

10年、企業広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念普通に存在する。

完ぺきを畏れる社会で、人は、簡単に謝れない。

しか小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメント自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言かば余地はないが、なかなかできることではない。

ついていくぞ、どこまでも。

(当初ここに、オリンピックパラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)

2021-07-21

小山田くんの記事リアルタイムで読んでいた

小山田くんの記事掲載された時にリアルタイムで読んでいた。

その当時の小山田くんとか小沢くんの発言雰囲気は、時々突拍子もないことを言ってインタビュアーを煙に巻いておいて、「クスクス、僕の言ったこと本気にしている?本当だよ?、クスクス。。。」みたいな感じ。言っていることが本当なのか?嘘なのか?は、正直どうでも良くて、インタビュアーというか大人バカにしているような、していないような、わざと掴みどころ無い話をする、みたいなところがあったと思う。そういうところをカッコいいと感じるファンも多かったと思う。

そんな当時の雰囲気の中で自分がその記事を読んだときに思ったのは、この出来事は本当でも嘘でもなくて、ただただ学生時代にそういった鬱屈とした衝動的な暴力的な色々な思いを抱え込んでいて、それが今の小山田くんの表現の一部になっているのかな、みたいなことだ。フリッパーズ・ギターの頃からインタビュアーバカにするような言動も多々あったので、まあその延長線上なのかとも思った。本当にひどいことをして、それを雑誌インタビューで話す、なんてことはありえないだろ?という前提で読むのかなと思っていた。

今になってその記事を掘り返して、今の基準(?)で叩くのは、気持ちの良いものではない。

その記事はその当時の雰囲気があって成立していると思うのだ。

2021-07-18

どうしようもない希死念慮から逃れる方法

ここ数週間死にたくて死にたくて、死ななくては!!という強迫観念で頭が支配されていた。

このたびなんとか死にたみ地獄から帰還したので、記念に書く。

死にたくてどうしようもない。

こういう時はまず専門家相談すべきである

しかし、通っている精神科医師相談したら、まったく取り合ってもらえなかった。私が話を聴いて欲しいのに、なぜか医師講釈を傾聴していた。諦めた。

次に、唯一の親友相談した。

頭のいい人なので、私の話を黙って聴いたうえで、いい意味で当たり障りないアドバイスをくれた。

私が「死にたい人の気持ちがわかるか」と問うと、親友は「全くわからない」と率直に答えた。加えて、死ぬくらいなら状況が変わるように努力するか、心機一転どこか知らない場所に行って人生やり直す、という。

前にも後ろにも進めない私の立場では、そのアドバイスは乾いた言葉しか聞こえなかった。困った。

どうにもならなくなった。このままだと私は4連休最初の日に山で首を吊るコースを確実に歩む。

回らない頭でウンウン考え、私はとりあえず死ぬ以外でこの苦しみや焦燥感から逃れる代替手段を見つけようとした。そこでひらめいたのが「ごっこである。わかりやすくいえば、現実的には行動すると取り返しがつかない行動について、実際にやらないまでもそれに近い何らかの行動をして一時的に今の衝動性を逃すという方略である

私は3つやった。

1つ目は自殺企図ごっこ。近くのホームセンターロープを購入し、インターネットで解けにくい紐の結び方を習得した。自殺する場所を下見し、自殺する予定の時間(朝方)に実際に現地に行き下見する。これで少しスッキリした。(しかしこの方法自殺するリスクをより高めるのでお勧めできない。マジで最終手段として捉えて欲しい)

2つ目は失踪ごっこ土曜日に早朝から思いつくままに電車にのり、とりあえず行ける範囲で知らない場所へ行った。自分の知っている人がいないところに逃げると少し楽になる。腰が痛くなるまで電車に乗り続けて帰ってきた。

また、死にたい時って死にたい意識ばかりに囚われて頭と身体乖離している状態だとおもうから、余裕があれば出先で身体感覚を取り戻す経験をしてくるといい。私は砂浜を歩いたり川の中をじゃぶじゃぶ歩いたりして身体感覚意識を向けたら、頭の中の絡まった糸が少し解けるような感覚がした。

3つ目は転職ごっこ。今も進行中。明後日ハローワークにいって、とりあえず求人情報みてくる。

こうやって、鬱屈した気持ちを外に逃すチャンネルを一個でも見つけてみると、希死念慮が少しずつ縮んでいくと思う。

このご時世、死にたい人は日本にたくさんいるいるはず。

死にたくなるほどの問題なんて早々解決策は出ないもの。ならばとにかく今の辛さから逃げることを優先すればいい。

意見として参考にしていただけると嬉しい。

2021-07-17

わーお!とうとう10年に満たない結婚生活終わりそーだ!

なんかぐちぐちいわれるのがやなんだってー。

結婚生活終わりそうな発端は、ところてんについてる小袋の件。

ウケるんだけど、ところてんタレ出した小袋を2枚のティッシュで包みやがったので、わーティッシュもったいないからそのまま捨てればいいでしょといったら、ブチ切れられた。

ぐちぐちいう、家庭内でも家庭外でも、だと。

小袋の件はそんなに包みたきゃ包めばいいんだけど、その後捨てないのが気に食わないだけで、まじどうでもいい。

ティッシュもったいないでしょって言っちゃうけど、まじどうでもいい。

その辺にぶん投げてあっても、どうでもいい。

ぶん投げて踏めば?って感じ。

小袋の件はおいといて、相手にされると同じ対応を別の件でもやり通してたら、それが癪に触ってたらしい、ここ3週間って言ってたわ。

えーそういう対応ってあたりまえのやつで、私が使ったらあかんの?と素朴に思った。

まあそれも私は言ったが。これが、ぐちぐちってやつなのかね。

かにわたしはいろいろずーーっと当初から根に持ってることあるから、それを言った。

なんか鬱屈したもんがあって、小袋とか色々な時に態度に滲み出る可能性もあると言ったら、その原因を言えと言われ、しばらく4年くらい言わないようにしてた件を言ってみた。

相手にだけわかるように。

出ていけばいいでしょだとさ。

あんたが出て行きたいと言っているのだから、出ていけばいいでしょと言われたので、いや、解消するなら、合意、二人とも合意すべきだといったら、寝てしまったわ。

相手のこと、なんて言ったらいいかわかんなくて、保管しながら読んでください。

今は特に憎らしく、ヤツとか何だと買っても言いたくない気分。

でも結構、怒りも諦めも、その他の激しい感情はもう正直あんまりない。

そういうのも、ちょっと寂しいね、そういう感情って年齢も関係するのかな。

ほんと、どうでもいい。

分かり合えないってことを分かり合いたい。

2021-07-16

竜とそばかすの姫

2021-06-30

好きなはてな村人を紹介していくの2

前回→https://anond.hatelabo.jp/20210627211716

はてなブロガー

図書館って好きなんだよなあ……中でも大学図書館はいまの自分立場だと行こうと思ってもなかなか行けない場所なのでなおさら恋慕が募る。そんな気持ちの乾きを、その時宜にかなう大学図書館関連トピックの紹介で癒やしてくれるブログで、海外大学ライブラリーツアー動画が紹介されたときなんかは、こんなものがあったのか!とうれしがってそれからしばらくはそんな動画ばっかり眺めていた。

むっちゃ美麗なイラストとともに映画ドラマレビューが読めるブログ。私はホラーグロダメな質だけれど、それでも楽しく読めるし、自分が見た映画についてのエントリが上がったときのうれしさは、ちょっと他の追随を許さないくらい(?)。最近母が中国ドラマを見始めたので、アドレスを紹介していっしょに楽しませてもらってます

国産ワイン好き!なので紹介されているお写真を眺めているだけでも楽しい食べ物写真にそれほど気合が入っていないのもよい。生活圏の関係長野の話が多いぶん、たまに山梨の話が出るとうれしくなる。ワイン軽井沢白馬、とチャラいキーワードが揃っちゃってるけど、ワインに罪はないしワインだけはチャラくないはずなので。

はてなブックマーカー

鬱屈を持ったブックマーカーってめずらしくないけれど、この方の場合は失礼ながらその鬱屈をうまくコントロールして表に出している感があってとっつきやすく、長文でもさらっと読める。こういう方がハイクの話をしていると、あの場に馴染みたかった気持ちが今更ながら湧き上がる。あと、サブカル周辺の方でプロレスの話をしない方ってけっこう貴重。

伝わるかどうかわからないけど、自分の中で「毒が少ないニュージーランド増田さん」とお呼びしている(実際はカナダ在住)。はてなブクマカ/ブロガー海外住みの方は、みなさん当然意識が高いので、のんびりしているわりに政治的立場を明らかにしているこの方のブコメが際立つ。しかし未だにいまのかわいいアイコンに慣れない……。

指名いただいた(?)ので書く。故意過激ブコメを書かれているかと思うのだけれど、自分ビビリなので、「檻に入れておけという話だよ」構文を読むと気が滅入ってしまってあんまり精神衛生上よくないかなーと思いお気に入りはいれていない。故意に書かれているとはわかるけれど、その「故意」の中身、つまり、なぜそのような茶化しをするのかがわからないのも怖い。

anond:20210630135107

透明な人達は何者かになりたいという悩みを抱えているよ

まれながらに何物かを持っている人間がうらやましくて仕方ない

その鬱屈がイジリにつながる

オリパラ終わったら日本主導のスポーツ世界大会を創設しよう

ここ数年の鬱屈した雰囲気スポーツ選手に思い切り発散していただく

ワクチン接種の勢いを落とさないための大義名分必要

2021-06-24

anond:20210624154108

これは、家事を手伝う程度じゃだめだな。

無自覚家事を増やしてるんだよ。

実際に家事をしないか自分挙動いかに非合理か分かってない、嫌がらせじみたムーブを悪気ナシに毎日繰り返していて、毎日何十ポイント同居人にその尻拭いをさせているんだろう。賽の河原の気分になるから、そうやって鬱屈して精神病質に成り果てる。

2021-06-21

anond:20210621091800

「都会に出ていけばすごい超技術情報やパワーや武器に関する情報を得られて自分地方の与太者に成り代わって金や女を得られると思っては都会に出て行き場をなくしてしま若者が多い」

増田単語を聞くだけで発狂して怒り狂う中国でも偉い学者先生がこうやって指摘してる

要は増田自分マイルドヤンキーにとって変わりたいからその武力や何かを都会に行けば覚えられると思って行くけどそんなこともないのに酸っぱい葡萄鬱屈してるだけ

2021-06-19

anond:20210618113446

扶養パートが一番鬱屈した感じになるのかもな...

収入的に多いわけでないか家族の助けになるために稼がないといけないし、かといって夫から共働きとしても見てもらえないみたいな。

完全な専業主婦だと気持ちの上ではその辺の割り切りはまだできるかもしれない。

2021-06-13

anond:20210613124242

知的障害からって外見は悪くないってこと。親が美形で子どもに寄り添っていればな

直リンクは避けるがGoogleで重度知的障害と入れて動画の上の方に来るよ

 

逆に健常者でも、

親が美形でなければそれなりだし

顔の造形は整っててもすべてを台無しにするレベルのクソ毒親だったり、

本人が精神を患ってピリついてたり鬱屈してたり不安感じてたりだと

誰も近づかない感じになる

ゴスごっこするには良いかもだがな

2021-06-02

「全ルールデマエX」に到達した私が、ガチマッチを止めた理由

(この話は、X底辺ぐらいまでの人を対象に書いている)

 

先日、ようやくスプラトゥーン2で「全ルールデマエX」に到達した。

ホコ・ヤグラ・エリアがXになっても、アサリはS+前半でもがき苦しむことが多かったのだが、

ついに上振れの機会を掴んでXになれたことは、感慨もひとしおである

 

さて、皆さんはスプラトゥーンをやっていて、こう思ったことはないだろうか?

「せっかく上がったウデマエを落としたくない!」

 

これに対し、(実際のウデマエがどうかは別として)アドバイスをしたがる人たちは否定的である

曰く、「そこで止めたら実力が停滞する」「実力通りなら一旦落ちてもまた上がれる」...。

大前提として、それは事実であろう。

しかしながら、彼らの考えは現実を見ていないようにも感じる。

もちろんその「アドバイス」に従うか否かは自分判断であり、その結果悪影響を被っても責任自分にある。

そこでここでは、自分が考える「ウデマエを下げたくないかガチマッチに潜らない」ことの理由を述べていく。

私がX底辺層なので、ターゲットガチパワー2000前後の方を主としているが、

それ以下の方にも共感してもらえる部分はあるかもしれない(逆に2300以上安定みたいな方にはまったくそぐわないだろう)。

 

1. ウデマエランクの価値

「ウデマエランクは飾り」という人がいるが、ウデマエランクは最もわかりやすい実力の指標である

少なくとも、S+以下では個人ガチパワーが示されない以上ウデマエランクを指標とするほか無く、

広いプレイヤー層の中で実力の基準をつけるのであればやはり指標はウデマエランクとなる。

 

「どちらのプレイヤーがより上手か」あるいは「このプレイヤーはどの程度のレベルか」を推測する際、理想は各プレイヤープレイ比較することだが、

それは現実的でないし、特に異なるブキにおけるプレイングの優劣を評価することは非常に難しく、何らかのシステム的な指標に頼らざるをえない。

となれば、やはりウデマエランクは「重要かつ理解されやす指標」であり、その最上級たる「ウデマエX」は特別もの、と認識されるのである

 

2. 毎月リセットがX底辺層に与える問題

デマエXでは、ガチパワーとほぼ同義の「Xパワー」が付与される。

これは月替りの際にリセットされ、その際にXパワーが2000を下回った場合はS+9に降格となる。

また、月替り前でもXパワーが1900を下回ると即座にS+9に降格される。

 

私が考えるに、Xパワー最大の問題は「こつこつ積み上げられない(長期的に合算できない)」点である

これはルールトップを目指すような超上級からすれば、「いけそうな月だけ頑張る」ということができるし、

2300以上を安定して出せる層にも「下振れを引きずらない」というメリットがある。

 

しかしX底辺からすると、この毎月リセットは恐怖の対象となる。

というのも、上振れによる「より高いXパワーを出せる」チャンスと、下振れによる「S+9に落ちる」というリスク価値釣り合っていないのである

それは前述の通りウデマエXが特別であるという点に加え、「ゲージ制のシステムに初期ゲージ0で戻される」という不利な状況も関係してくる。

例え1975で落ちたとしても、2連勝すればだいたい戻れる...ということにはならないし、ちょっと連敗が続くと連続降格、なんてこともある。

仮にリセットがなければ、下振れと上振れは長期的に相殺されるので「実力通りならそれに見合った場所に戻れる」のは正しいが、

S+以下のゲージ制は単純な勝ち負けによる変動とはまた話が違うので、「自分の適性位置に戻れる」とは限らない。

(これに加え、「計測中は自分ガチパワーが見えないのでリスク回避しにくい」というのも問題になる)

 

3. 責任転嫁しやす構造と「損失回避法則

私はマルチプレイ経験に乏しいので詳しくは言えないが、スプラトゥーンは非常に「負けの理由他者に求めやすい」ゲームだと考える。

プレイヤーが4人ずつのチームであること(自分以外の味方の存在

純粋にキル数の多寡を競うルールではないこと(単に「自分が対面上手ければいい」ではない)

・キルカメラがないこと(自分プレイ客観視する機会がない)

チャット等の連絡手段がないこと(視野外の戦況把握が難しい)

などなどの理由により、実際は自分プレイにも責任の一端があるにも関わらず、

あいつがあそこで死んだから負けた」「あいつがこう動かなかったから負けた」と思いやすい。

すると「自分は悪くないのにレートを失っている」と思い込みフラストレーションを溜め込むことになる。

 

また人間には「『得すること』より『損すること』を過大に評価しがちである」という、「損失回避法則」と呼ばれるものがあり、

これも余計にイライラを増加させる。

前述の通り、リスクとチャンスが釣り合っていないのであれば、損失への恐怖や後悔はなおさらである

すなわち、X底辺層にとって「ガチマッチに負ける」ということは、精神衛生からいえば大きな負担になるのである

 

4. リスクを冒すだけの価値はあるのか?

もしあなたが、「世界でも有数のプレイヤーになりたい」「プロゲーマーになりたい」と思っているのであれば、

前述の壁にぶち当たっても、それを乗り越える必要があるだろう。

あるいは前述の諸問題を前にしてもなお、ガチマッチ有意義と思えるのであれば、潜り続ければ良い。

ガチマッチ自体は非常に楽しいものである

 

ただ、私はそうやって度々リスクを冒した結果、失敗して一日を鬱屈した気分で過ごすということが何度もあった。

そういう方はおそらく他にもいらっしゃるだろう。

 

ガチマッチを失ったとしても、我々にはナワバリサーモンランもある。

知り合いが多い方はリーグマッチをしても良いだろう。

そもそもスプラトゥーン以外にも楽しいことは沢山ある。

 

現状のシステムにおいて、それら代替的な手立てがあるにも関わらず、

大きなリスクを抱えてガチマッチに潜るということは、果たして有意義と言えるのだろうか?

 

 

 

以上、「私が全ルールデマエXになってガチマッチを止めた理由である

今の環境およびシステムにおいて、X底辺層は他のプレイヤータイプ以上に失敗の恐怖に晒されている。

そんな彼らに対し、「S+落ちを恐れずガチマッチをやれ」というのは、現実およびプレイヤー感情無視した考え方ではないだろうか。

 

追記スプラトゥーン3では、「ガチマッチルールは楽しみたいがリスクは抑えたい」という声に応えたシステムができることを望む。

   具体的には以下の手法が考えられる。

    ・ルールガチマッチと同じだが、ガチパワーが変動しないモード(同モードを選んだプレイヤー同士での対戦)

    ・ウデマエランクをガチパワーと連動させる

    ・毎月リセットされるXパワーと、実力の指標となるガチパワーの分離

   ガチマッチルール自体は非常にプレイ甲斐のあるもの難解なアサリですら色々なプレイングがあり楽しい)なので、

   開発スタッフが上手く工夫してくれることを願っている。

2021-06-01

anond:20210601103625

っつーかさあ

はてなーバカにするようなムラの下らねえ集まり祭り、ああいうのが本当に必要な奴というのもいたんだと思うよ

そういう低次元のところで所属欲求を満たしていた方がよかった人というのもいるし、むしろそっちのが多かったんじゃないだろうか

そいつらがムラに嫌気差して都会に出てきたところで、みんながみんなキラキラホワイトカラー自己実現なんてできるわけねえんだから

田舎鬱屈とするか都会で鬱屈とするかの違いしかない

個人主義というのは一種悪魔なんだよ

2021-05-30

実績で評価されている人の話をありがたがるのはどうかと思う。

正直イチローの話しとか首をひねること多い?

ものすごい偉大な選手ではあるけれど話していることがあんまりよくない。

でもまああれだけの人の言ってることだからとありがたがるわけだけど。

ひろゆきとか最近良く見かけるのは話が面白いと感じる人が多いからだと思う。

2chをつくった人だからと実績を評価されているわけではないだろう。

それでも2chをつくったという実績がなければそもそもメディアには出れなかっただろうけれど。

ホリエモンなんかをありがたがるわけは話の内容聞いて、受け手が言ってもらいたがってることをいってるからなのだと思う。

普段、なんでだよ?鬱屈とした気持ちを抱えている人がこんなのは〇〇でいいんだよ、ってやや攻撃的な言葉を言ってもらってストレスを解消するのだと思う。

これも内容なのかもしれないがそれでもものすごくお金を稼いだ人という実績がなければありがたがらないかもしれない。

お金配りの人は評価されないのは行動がよくわからないということもあるけれど実績が大したこといからだと思う。

ものすごくお金は稼いだけれど、ブルーオーシャンに飛び込めた運の要素が強いからだと思う。

ああでもやっぱり話しが面白くないのかな。

実績は大事だけれど話の内容でその人の面白さは決まるか。

話が面白くもなくて納得もできないときは、その人の実績に縛られてるだけだから、その人の言ってることをありがたがるのはよくないと思う。

2021-05-24

コロナから憂鬱だった

2020/1/19(コロナ前)

自分人生、詰み気味なんじゃないかって最近よく感じる。

去年結婚した。結婚に伴い、新卒より働いていた会社をやめ、福岡に越してきた。Web系に再就職したが、給料が安い。自分で選んだとはいえ、みじめだ。仕事はキツくないが、常に追われている感じはずっと続いている。根底には常に焦燥感がある。これならば、前職と変わらないではないか。むしろ、前職の方が良かったかもしれない。

福岡に来て、友達と遊ぶ機会がなくなった。代わりに夫と過ごす時間が増えたが、既にマンネリ気味だ。

他者との交流代替なのか、kポップのペン同士で交流にのめり込んできた。はじめは、EXOが好きだった。今も好きだけど、どちらかというと、フォローしている人とやり取りするのが楽しくなってきているのかもしれない。一度もあったことがないのに、ツイートを見て、リプライして、現実の友人よりプライオリティが高くなっている。情けない話だ。

プライドが高いせいで、フォローしている人と自分を見比べ、渡韓できないのが悔しくなってしまっている。〇〇がしたい!と思っても、夫の目が気になったり、実際に止められれて、出来ないことが増えた。一人暮らしをしていた時より、不自由なことが増えて、ひとりの時間もなくなり、「結婚とはなんだったのか?」と考えるようになった。

結婚すれば、必ずしも幸せになると盲目的に信じてたわけではないのに、今直面している現実を受け入れられない。不幸なことに、私は金銭的な理由で、離婚なんて決断はできず、おそらくずっとこのままだ。

この状況が好転することはあるのだろうか。薄々気付いているのは、どんな状況でも不平・不満は必ずあると知っていること。それを承知の上で、この先もずっと、この不幸は続いていくのだ。

来年こそはイギリスに行こうと思ったとき、私に来年があるのかと思った。自殺はしないだろうから来年はあるのだけれど、自由に出来る身体なのか、自由決断できる環境なんだろうか。

2018年12月で私の人生は終わった。

あの時はこんなことを考えるようになるなんて、思いも寄らなかった。新しい人生の始まりに胸がわくわくしてた。まさに、一寸先は闇。

「終わった」人生は、とても味気なく、何のためにこの先も生きていかないといけないのかと考える。いや、考えないようにしてるが、もはや私の人生を生きていた時の気力はなくなった。

顕著なのは、外見がそこまで気にならなくなったこと。そこで、カンフル剤のように私の人生に、喝を入れているのが、EXOから、これはもう宗教なのかもしれない。

中高での毎日礼拝は何も響かなかったが、今なら懸命に祈るかもしれない。どこに向かって、人生を進めているかからない者にとって、キリストの教えは羅針盤のように道を照らしてくれる。古くから人々が宗教にすがってきた理由がよく分かる。

この先もずっと続くであろう鬱々とした私の人生の霧が晴れることはあるのだろうか。それとも、「諦めが肝心」と自分を納得させるしかないのだろうか。おそらく後者であるが、現状を打破する方法が皆目検討つかない。いや、わかってはいるが、怠惰自分がそれを選んでこなかっただけだ。

いつから、私の人生は終わっていたのだろうか。絶頂期をすぎ、暗く長い坂をゆっくりと転げ落ちている。行き着く先は地獄だが、あまりにゆっくりとしたスピードなので、到着地が地獄なんて気付かなかった。まあ、人生なんてそんなものなのかもしれない。

結局死に向かって突き進むほかないのだから

この日常に耐えきれなくなったら、その時、また人生について考えようと思う。


2020/5/24(コロナ後)

2020/1/19の私の日記は、私にしてはよく書けていて思わず感嘆してしまった。

いまの私は五月病なのか、暗い日々を過ごしている。2020/1/19に比べ世界は大きく変わった。大袈裟ではなく、あのコロナウイルスによって生活様式が一変した。「世界が変わった」と言っても差し支えないはずだ。

私自身の環境も大きく変わった。生活を良くするために仕事を変えた。元鞘に戻ったというのだろうか。住むところも変わった。

2020年自身生活を良くするために行動した。

なのに、この憂鬱な結果はなんだろうか。

ずっと纏わりつく閉塞感、無気力感。当時感じていた強い絶望感はないけど、じわじわと私の気力を奪っていく。何をしても楽しくない。何も食べたくない。もはや人生目標なんて考えない。目の前の時間問題なく過ごすことで、いっぱいいっぱいだ。

八方塞がりに近く、ただ日々の時間が過ぎるのを待つ人生。これが、これからも続くのだ。ぞっとする。

コロナ罹患したくない。

コロナ死ぬ遺体となっても、家族と対面出来ないまま灰となる。それは、あまりに酷だ。私は魂の救済や輪廻は信じていないが、遺された家族があまり不憫可哀想だ。今までは無かった死に方は、遺された者に多かれ少なかれ影響を与える。なるべくなら、そういう最期は避けたい。

だが反面、不可抗力にも近い形で人生を終わらせることが出来るコロナは、今の私にはとっては福音でもある。恥ずかしい話だが。

まりしまずこの生を終わらせたい。出来れば、交通事故のような突然死ではなく、徐々に時間をかけて自分死ぬ事実を、家族理解できるスピードで終わらせたい。

流行りの病で亡くなった事実は、あまりにやるせないが、死に対して一定説明責任を果たす。本人の精神状態を問わず、運悪く流行りの病に罹患して命を落とした事実けが残る。精神鬱屈していたかどうかは関係ないのだ。無視される。好都合だ。


この世界を変えた感染症収束した時、私の気分は少しでも晴れているといるだろうか。おそらくだが、そこまで明るくなく薄暗いじめめした中をナメクジのように這いずり生きているだろう。最悪だ。

2021-05-22

anond:20210522130458

底辺に押し込めて臭いキモイ言われたら鬱屈するのが当然なのに

「より一層頑張りまあす!」

って言って欲しいんだよね

2021-05-19

オレオレ詐欺って若者にとっての希望なのかね

鬱屈とした人生ドロップキックする元気もなくなった人たちに

あなたは悪くない。社会が悪いんだ。あなた高齢者という強者搾取された被害者なんだよ。」

とか言ってんのかな。

前向きな世直し気分でオレオレ詐欺に参加してる人が多いって言うよね。

なんかフェミと似てるなって思ってしまうのは俺がこどおじKKO36歳だからなのかな?

2021-05-14

anond:20210514125851

エウレカ原作無しで話数の多いタイプアニメからみんなもうちょっと優しく評価してあげてほしいと思うわ

1週1話で見た人と一気にまとめて見た人で評価違いそう

ダリフラは「これはロボットアニメだ!」と構えて見るとちょっとなという感じ

もっとこう気取った中学生が見る鬱屈とした人間関係アニメ(これは建前で中学生本人はエロ目的)だと思って見た方がいい

2021-05-12

異世界生物よりパーティー解雇物の方が読者を承認してくれる

異世界転生ものってあるでしょ。あれは、現実世界ではうだつが上がらない平凡なあるいは平凡以下の人間が、異世界では圧倒的な能力を発揮して無双できるというのが基本構造。「いまの自分能力無双できる」パターンも「転生時に新たな能力を獲得して無双できる」パターンもあるけど、これって所詮別世界の話なんだよね。日々の生活で、周囲の人達から自分が期待するような承認が得られないことに不満を感じたり鬱屈してる読者からすれば、無敵になった主人公活躍を通して一定カタルシスは得られるけど、どこかに虚しさも伴う。なんせ異世界に行っちゃった時点で最初から圧倒的にすごい人なので、『見返す』とか『ざまあ』みたいなスカッと感が演出できない。すごい人がすごいことをしてみせて、知らない人達に感心されたりビビられたりしたって、それは予定調和でしょ。

その点、パーティー解雇物っていうのはいいよ。なんせ、解雇される前もされた後も、主人公は同じ世界にいるでしょ。パーティーから「役立たず」「無能」と嘲笑され侮蔑されてた自分が、実際に放逐されてみると、そのパーティーではあらゆる物事がうまくいかなくなる。一方で、主人公は、同じ能力を持ったまま、それを認めてくれる新たな仲間たちと協力してどんどん成功する。この流れの中で、前のパーティーの仲間たちに「実はあいつは縁の下の力持ちだったんだ、今まで貢献を正当に評価しなくてすまんかった…」と悔やませシークエンス描写できる。追いすがってきて「もう一度パーティーに戻ってくれ」と懇願する彼らに、主人公は「もう遅い」と言い放つ。この流れには『いま自分が実際に担っている仕事の真価をわからずに自分を侮ったり虐げたり嗤ったりしてるやつらを、見返したり、痛い目に遭わせたり、反省させたりする』という、異世界生物にはない強烈なスカッと感がある。侮蔑と屈服の落差がでかい。もうシャーデンフロイデが出まくりよ。

しかもこっちは、現実生活での憂さも多少なりとも晴らしてくれるじゃん。ただファンタジー世界無双するんじゃなくて、自分が日々やっている、他人にはなかなか顧みられない仕事活動が、実はすごく価値があって、自分がその気になったらお前らは大変なことになるんだぞ、という密やかな夢想快楽に浸らせてくれる。しかパーティー解雇物だと、新たな仲間たちの方は主人公の真の能力に圧倒されて「主人公さんすごい…抱いて…」ってなっちゃうわけで、ここで異世界生物カタルシスもきっちり提供してくれる。だから異世界生物よりもパーティー解雇物のほうが、読者をより深く承認し、より強い『スカッと感』を与えてくれる、上位互換版の物語類型なんだと思うよ。「読む麻薬」としての作用さらに激烈になっただけだとも言えるけど、まあいいじゃないの、近代小説というのはもともとそういう性質があって、だから登場当時から保守派批判されてきたんだもん。

anond:20210512100850

2021-05-10

なるべく迷惑かけないで楽しみたい

かなり鬱屈してきた。

ゴールデンウィークも徒歩10分のスーパーまで行ったのが一番の遠出だわ。

去年から模範的都民として頑張ってきたけど、そろそろ心が折れそう。

なるべく自分他人安全な形で非日常を感じたいんだけど、どうするのがいいのだろう。

本当はね、ウラジオストクとか行きたいんだけどね…


①隣駅のビジネスホテルに泊まる(お菓子持参で豪遊)

デパ地下でクソ高いケーキ惣菜を買ってきて家で豪遊

③引っ越す(金銭的にちょっときつい)

2021-05-03

anond:20210503094513

これ、日本すごいポルノと同じような女性すごいポルノなんだよな。

言葉にできない鬱屈した劣等感をズバッとひっくり返す単純化しすぎたわかりやす物語

ある属性を別の属性よりも劣ったものとみなす無知ゆえの差別発言。そう思ってもセンシティブ発言をするには相当裏をとらなくちゃ。

世代の言うことが正しいなら男尊女卑も家父長制も正しいよね。選挙権もいらないよね。

ジェンダー意識時代に逆行してダウングレードしていこうという主張なら、賛同者は少ないと思うけどせいぜい頑張れとしか言えない。

2021-05-01

[]BS1スペシャル「さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~」

プロフェッショナルよりは面白かった

ナレーションなしでうまく本人とかまわりの人間言葉でつないでてよかった

ただ、やっぱり毎日完全密着というわけでもなかったのと、

特に後半コロナになってからはかなり時間が飛び飛びになったのが残念だった

前半の鬱屈とした行き詰まりをどこで打破して制作が動き出したのかが結局よくわからなかった

プロフェッショナルとの違いでとくによかったのは、故郷山口取材シーンが追加されてたこ

同級生と話したり、中学美術先生と話したVTRが追加されてた

宿題で絵をかけっていったらマンガでもいいですかってきいたうえでヤマトの絵をかいてきたってこと

もうおじいちゃん先生になってたけどいまだにおぼえてるほど印象深かったんだなって

コンテも電線電柱カットをやたら入れたりしてた

でもうざかったのはBGM

エヴァへのオマージュクラシックを冒頭に入れる程度ならいいけど本編でもちょいちょい入ってくるのがすごいうざかった

入れるのはいいけどもっとボリューム落としてほしかった

BGMのせいでインタビューのボソボソ声が聞き取りづらくなっててかなりイライラした

bgm自体もそこまで盛り上げたりとか効果とかあんまなかったし

終始BGMなしでよかったのに

イントロクラシックed残酷な天使のテーゼだけでよかった

あとはこれはプロフェッショナルときからあったけど、エヴァ終わったら即次ってのがまじですごいと思った

ぶっちゃけカネだけ考えるならもう何もしなくていいくらいなのにそれでもやるってのがほんとすごい

クズみてえに消費するだけの俺みたいなオタクとはそこがケッテ的に違う

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