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はてなキーワード: 養老孟司とは

2024-04-13

  今日土曜日学校がないか特に佐藤美男養老孟司が何も詐欺指令を出していない。土曜日児童生徒が家にいるからどうでもいい老人が散歩したり運動したりして

  少しでも

     時間角度が変わると不審な目で見ている。 警察の方も、自分の都合に触れるようなかたちをとられると命にかかわるから戦々恐々の構えでいる。

   まあ平成20年11月30日に大量に死んだからざまあと言う他ないがね。 養老の死因は、そもそも、当時の女子供に、首から下を切断されたわけだし。

2024-04-08

    被告人   園田晃也 石村智 養老孟司 吉崎佳弥 任介辰哉 森脇進一 長谷川順一 早川ハルミ 早川修二 橋原佳祐

  主文   被告人らをいずれも死刑に処するとした原審判断に対する即時抗告に対する特別抗告棄却する。

    罰条  刑法199条

  理由   裁判官自称しているが、幼稚で文化性は何も残っておらず、極刑回避できない。

     令和6年4月8日

           最高裁第3小法廷

                                    裁判官   今崎幸彦

2024-04-07

   延岡平原ブックオフになんか行政職員の頭部が、左斜めから上の方に包丁カットされて脳みそがはみだしているという描出の表現マンガがあってそれが平成26年発売のまんがですが

   なんていうんですか

               死役所

   っていう書籍だったと思います。それでですね、 私の経験だと、延岡警察官にせよ、延岡消防署職員にせよ、私が現認したものは依然としてただの犯罪者なので上記のまんがの表現は、

  その作成者判断として相当であったと思います。これとは別にインターネット上では、養老孟司は、身体が老化していて、首から上を、田舎女子供にチョンパされているという表現画像

  ありましたが、養老孟司行政職員凶悪犯罪であるから、これらの画像マンガ製作者の製作判断と実行は、その結論において相当である

2024-03-30

  UNO-aiとか、 HANAかに、もうなんか出る、ということは分かってるんですが、養老孟司と、高野伸という極めて醜悪ジジイが居て、私が入ってるときは3年前とかは

  色々な人が空気を読んで出ないようにしてたんでまだその当時は安心してたんですが、令和5年からもう出て当たり前の状況なんで事情が変わったんだよ

2024-03-28

  午前2時に暗やみに出現し、自転車を蹴り倒し、毎晩せわしーとじゃ、とがなり立てる男が出現。カサブランカ99の右辺りに住んでいるというが、具体的な建物は分からない。

   鍵などは返すと、霊界宮脇に言わせて自分からは言わない。カサブランカ99は3階建ての建物だったが反応はない。午前2時50分、若い巨悪を、宮脇などのような老人が

  保護する通信指令が出ている感じで、言っていることを1つも聞いていない。

 そういう人は佐藤がいつでも技術的に作り直して出すと言っていた。この佐藤とか言うクズの、結局は養老孟司だが、このクズのやり口がばれてきているのが最近

   会社の裏側に高性能テクノロジーを隠し通し、それを用いて色々なことをしている悪人であるのが明るみになった。

   安倍が殺される令和4年7月8日以前は、晴生が巨悪だったが、巨悪の中身が変わっただけ。

2024-03-18

   子供がいないから、ハイパーマートが閉店して喜んでいるネット上の書き込みは大量に散見されるが、ハイパーマートOPEN当時の熱気に関してはインターネットのどこにも記載がない

   確かに、清崎葉子が、クソガキが、だから言ったじゃん、っていっているが、養老孟司のように、子供いであることで、 Gスポットがあるような日本人も珍しかろう

     確かに開成高校卒、生まれときからねっからの子供嫌いの大魔王存在するし、そういう側面もないわけではない・・・

   高速計算機を大量に並列させ、昔あったことを見せているだけらしいので

2024-03-17

   デリヘルそもそも警察管轄下にあって、警察の話において、ブサイク(生きている)とろくなことはなく、イケメン(死んでいて醜悪世界に移行している例えば門川の40歳のヘケ)

   のようになっているとき

           おまえがヤフーかにたむろしている、清崎葉子などを使ってテクノロジーを全開にして様々な現象を講じるが、上記意味で、生きているブサイクに対しては

   何らの対策も講じない

             生きている者に対する嫉妬怨恨の塊に満ちたクズであることは理解できた。   養老孟司

    どんだけ性格悪いんだお前

2024-03-13

  養老孟司悪人なのがばれて平成19年10月頃に当時の子から首ちょんぱされて首から上をスパコンで維持してるだけで首から下が死んでいる。

   評論家養老孟司さんが、3月15日に、新しい書籍を発売することが決まりました。書籍名は、『大もぐら界の様相』。養老さんは、令和4年頃から、『生き方、死に方』

   などの書籍を発売していました。

2024-03-12

 もうなんの人気もないし早く死ねばいいのに養老孟司日本人に勝とうとして必死になっているから。 平成17年までは、涼しい脳みそなどのエッセイで人気ある状態だったが

    確か平成18年に死んだはず。 ラジオでかなり後ろの方からはいはい、と言うといった状態

   昔のエッセイでは、  政治人為ルールで、くだらない、私が、一億円をもらったら、風を食らって、オセアニアに行って虫と暮らす、などの表現で人気のある状態だったが

    近年、ライフ本屋に糞見たいな本が置いてあるだけの状態で、中世女性の死にざまの5段階を書いて、九相図という。最後には、犬と鳥さんが来て食べてなくなる、

  要するに、今実行中、ごらんあれ、というしかないといった状態  何の人気もないのにまだファンがいると思っている。

2024-03-06

路地、旅の本懐

そんなん好きにしたらええがな(終)

 いや、終わらない。

 かれこれ前のこと、航空機座席に備え付けてある冊子で、養老孟司が「脳に旅をさせよう」のようなタイトルで2〜3ページ書いているのを読んだ。

 機内誌への寄稿なので、「移動」して脳を刺激を与えることがいか必要かが書いてあったんだろう。氏なりに脳が移動することの意味を巧みに解説してあった気もする。特定班でもいるなら調べてほしい。

 人はなぜ旅をするのか。やんなきゃ心が死ぬからかな。人によれば、一心不乱に専門領域知的探究に埋没し、象牙の塔で生涯を終えてなんの過不足もない、ということもあるだろう。けれどもなんてことのない日常で、思惑の合間に、何か必要物資を買いに行く馴れた道すがら、普段見かけない渡り鳥河川に見るかも知れないし、季節の草木を見て心に揺らぎを感じるのかも知れない。それで停止していた何かが始動したり、爆ぜていた衝動を和らげたりするなど、回復やら安定やら向上の時を得てしまうことだってあるだろう。むしろそれが、意識すらされないほど日常には繁多にあって、捉えようによっては旅とも言い得るが、あまりにも当然のことで忘れ去られるために意識にも刻まることもない、流れる風景の瞬きのような。そんな旅ならざる旅もあるだろうさね。

 令和、旅すらも他者自己宣伝するためのバエ文化手段なので、とりあえずその場所に行って、所定の写真撮影し、あのインフルエンサー投稿していたレストランのあのメニューもバエて、無事帰国/帰宅することに尽きる。土産話は、多数の嫉妬心を催すために聞かれるまでは答えるべからセンシティブ事項なのか、主要なトピック以外の、壁の亀裂や石畳の隙間の土に生える雑草のようなディテールを知らせてくれる人は稀有USSR。ウルティメットスパースペシアルレア

 作業用にね、よく喋る演者YouTubeの旅動画を流すんだけど、調べの不足や誇張、思い込み、「世間イメージと違う」も違うだろ問題などなど、「こ、これが再生回数の力か…!?」となる。勿体ない。そんなものを見ている自分時間が勿体ない。

 そもそもの、それなりに時間を要する旅をすると、常に快適にとはならない。汚れた下着をすぐに替えて換気の良い浴室の脱衣カゴに投げ込めない。ポリ袋やチャック袋に密封して一緒に旅するんやんな。糠床を携えて明るい未来へと突き進むんや。エアコンがない、シャワーも出ない。Wifiない。くさい。我くさい。我くさい、故に他人視線が気になる。

 洗面台とは別のメイク用の鏡の前に化粧品領域展開して精巧意匠造作しちゃえるようなラグジュアリな旅行なら出来るかもよね…

2023-12-05

anond:20231205225713

ピュアチンピラ

自分お金貯めていつかでっかいことするッス!!

とか言ってるアホと何の話するの?

もしホストクラブ養老孟司とか平坂寛とかいたら行くよ

話は絶対面白いだろうしね

2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-16

養老孟司「放っておいたら育つ」存在社会は許容できない

忙しい人間ゴミ拾わせようとゴミバラまく薄汚い干渉主義者頭痛の種だ

2023-06-13

生理の話をしてくる女の子

生理の話をわざわざしてくる女の子が苦手だった

生理休暇が恥ずかしすぎて取れなかった ネーミングなんでそのまんまなんだろう 夢精遅刻とか言わないじゃんね

職場で「女性意見も聞いておきたいんですが、この件どう思われますか?」って聞かれるたびに「そこのマンコがついてるあなた、どう思いますか?」に勝手脳内変換されて恥ずかしくてしょうがなかった

小学生とき一人称迷子だった

コロコロコミックの読みすぎで オイラまでいった

女の子と話すときだけ、自分の声が低くなるし

女の子といるときだけ、自分がいい彼氏にならなきゃいけないような気がして疲れる

別れる帰り際は「気をつけてね」って言わなきゃいけない気がする

身体を触ってくる女子校育ちの女の子が苦手だった

たぶん女の子は私にとって恋愛対象じゃない異性だから

恋愛対象じゃない異性ってただ単に怖くて好きにもなれない、異種なんだよな

宇多田ヒカルカミングアウトしたときに、ああだよねだって同性な気がしてたもん、と勝手に納得していた

私は自分のことを男でも女でもないと思っていて

好きになるひとは、セックスができるように男の人がよく、けれど男の人を感じさせない男の人がよく、本質的にいえば同性愛だとおもう

養老孟司さんがいつかのインタビュー

生理出産によって身体の不調が露呈しやすい、そういう女性身体から女性差別というものが始まったのでは、というようなことを話していたけどほんとそれで

彼氏セックス子どもも好きだけど

自分が股から子どもを産むのは耐えられない

というか妊婦そもそも怖い

妊娠って心理的密室ですよね

逃げられないまま、大きくなってくお腹

怖い以外の気持ちが持てるんだろうか

2023-01-26

anond:20230126141201

野坂昭如養老孟司「は?あるが?」

養老孟司「…ついでに解剖直後にふって涌いた御遺体の遺族に激昂されて殴られたが?(泣)」

野坂昭如「…作品とは違って妹だけ死んで俺は実父に再会できたんだが?」

2023-01-03

anond:20230103131747

日本はつめこみ教育で信じられないくら努力してしょーもない問題を山ほど覚えないといけないから、そういう疑問が出るのもしゃーないな。

しかにこういうつめこみ教育は親ガチャ貧富の格差が広がったり、勉強しかできない(=生まれつきIQが高いだけの)マスパセみたいな社会ゼロマンが生まれる要因かもしれない。

養老孟司が「高偏差値は高血圧のようなものであって手放しに賞賛できるものではない」って言ってたのが真理だなあと思う。

欧米みたいに大学入ってからが本番の社会にした方が本人の努力が反映されて柔軟な人材が育ちそうだけど、日本は前に倣えだから変われんだろうな

2022-09-05



    30日前からの経過を見ているが支離滅裂

       基本的犯罪をやる体制から拡声器正論を言っているときは聞いているふりをして電気を消している。

     20年前の歌を歌っているときは聞いているのか聞いていないのか分からない。

        平成20年11月29日にお前は東京大学法学部卒に驚異的なやり方でテクニカルかつトリッキーに殺された。

      だからそういう体で犯罪をやろうとしているのだが、30日前からの経過を見ていると延岡市民は犯罪をしようとしていてできなさそうな生活を送っているが

   いざ正体を現すと犯罪者。

      やはり犯罪者だな。  ということで、東京大学法学部卒によりお前は死刑であり、養老孟司の『死んでいる』という本を読めばいい。

2022-08-30

anond:20220830131752

養老孟司センセ『唯脳論』ご出版数十年記念オメデトウゴザイマス

2022-07-01

宮崎駿監督養老孟司先生ってヘビースモーカーな印象だけど長生きしてる感ある

やっぱ好きなことやり続けてる人たちは長生きするのかな

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