はてなキーワード: 接続詞とは
Noだよ
日本語で「お金がない」って言ったらさ、まず「お金」を思い浮かべるじゃん?諭吉さん
そして「ない」を考える。諭吉さんを消す。お金なくなったじゃん。
でも英語で「No money」って言ったらさ、
まず「No」を思い浮かべるじゃん?
…
……?
無を思い浮かべるって?
日本語みたいに対象を指定してから消すならわかるんだよ。でもさ何も指定してないのに先に無を思い浮かべろとか意味不明じゃん?禅かよ。あいつらファッキンZen monksかよ。
無を思い浮かべれたとしてもMoney思い浮かべたら存在する感じにならない?なるよね?諭吉思い浮かべちゃうよ?こっちとしちゃ最初から無だったのにNoとか言われて無ってなんだよって思ってる中で諭吉だよ?諭吉いるよ?いまおれの頭に諭吉いるよ?
ここで消すのか?諭吉を消すのか?でもそれならmoney noじゃない?なんで先にnoとか言ったの?
I couldn't help but admire fucking zen monks.
って感じ。
俺がムカつくのはさ否定を先に言う文化が名詞の前だけじゃないことね。monkどもは動詞の前にも否定しちゃうのね。
この文章もさ "could not help but 動詞の原形"=「〜せざるを得ない」だったなとかいう、せこいアンチョコを使わないで、ゆっくり最初から読んでみてよ
Iね。私。毎回主語を言えとかいうルールもムカつくけどまぁ慣れたわ。
not。notってなんだよ!!!!!
ここまでゆっくり一個ずつ読んでいってこの段階で何を思い浮かべればいいのかわかんねーのよ。今オレ一人だよ。オレが一人ポツンと立ってる絵しか思い浮かばないわ。
続けるわ。helpな。こいつも「助ける」と「避ける」が一緒に同居してて大分意味不明な動詞だわ。この段階ではどっちの意味かわかんねーじゃんか。それともZen monk達は"help"と聞くと両方の意味に波及するコアイメージを思い浮かべてるの?どんなイメージなんだよ。
まあいいや。問題はnotからの動詞の流れな。Zen monk達は何を思い浮かべてるの?notからhelpの間に何が起こってるの?否定された後にhelpという動きを思い浮かべるの?helpしちゃわない?頭の中でhelpしちゃわない?
次のbutも相当に意味不明なんだよな。さすがのZen monksも使わなくなってきたらしいけどnot that的な接続詞として捉えろってさ。またnotかよ。はぁーーーーーーー。もうやめやめやめ。無理だわ。おれにはもう無理だわ。一つの文章も読めねーや。意味不明に意味不明に意味不明が重なって逆にスッキリだわ。admire zen monksって気持ちだよ。まじリスペクト。終わり
単語や文法に触れる前に、本物の英語を知る必要がある。教科書に書かれているI have a penのような文ではなく、実際に使われている英語から、その意味を体感させる。単語や文法による分解は、まず英語を知った後でいい。
子供の気を引くためには、やはりアニメだ。シンプソンズのような良質のアニメを国家予算で買ってきて、編集して教材にする。アメリカらしい、ナマの英語を感じてもらう。
しかしまず発音が難しすぎて聞き取れないので、ゆっくりはっきり喋るように音声を再録してもらう。語彙レベルもギリギリまで下げる。英語では(日本語でもそうだが)、難しい語彙も基本語の組み合わせでほとんどは表現できる。
小学校で学ぶべきは、give, take, get, go, makeのような横綱級に使い倒すことになる基本動詞達や、on,off,in,out,with,withoutといっ前置詞、副詞達、do, have, can, could, will, would, should, must, have to, be going toといった頻出助動詞、where,whenのような5W1H、this, that, it, a, the,といった基本語達を感覚で捉えられるようにする。これらは理屈では難しく、幾つもの実例に当たって感覚を磨かなければわからない。さらに、句動詞としての意味の変化や、頻出イディオムなど、理屈を覚えると逆になんでそうなるのかわからないものも、フレーズ単位で丸暗記させ、アニメのシーンとフレーズを関連付けて覚えさせることで感覚的に理解させる。
You can say that again(もう一度それを言っていい→全くその通り) 大人になってから真面目に英語の勉強を始めてすぐ、このフレーズに触れたのだが、その時の衝撃は計り知れなかった。なんでこれが「全くその通り」になるのか、あまりに納得いかなくて寝込みそうになった。
しかし英語の勉強を続けるにつれ、そっちのほうが英語の本質なのだと思うようになった。英語は字面にそんなに意味がないので、とくに口語では、なんでそうなってるのかさっぱりわからないイディオムが大量に出てくる。単語や文法にこだわるより前に、まず英語のいい加減さを受け入れなければならない。
I'm onto you(お前の企みを知っている)、He is up to something(彼は何か企んでいる)、You can't get away with it(その罪からは逃がれられないぞ)、You bet(まかせろ/どういたしまして)、I mean it(俺は本気だ)、頻出慣用表現は小学校時代に全部見せて覚えてもらう。
そして、小学校時代に鍛えておくべきは発音だろう。まず発音記号を覚えさせる。教えられる先生がいないかもしれないが、真面目に教材を見ながらきちんと正しい口の形を練習すればすぐできるようになるはずだ
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この本のDVDは役に立つ。Rの発音はこのやり方ではダメだが、そこはYouTubeとかでやり方を探してちょっと練習すればあっという間に発音は良くなるはずだ。
まずアニメを、英語字幕つきで見せる。意味が分かるということはないだろうが、長い単語も一瞬で捉えて認識する力が速読には不可欠だ。英語字幕を追っていれば、その能力は否応なく鍛えられる。
英語字幕は名詞と冠詞を緑、助動詞をピンク、動詞を赤、前置詞をオレンジ、副詞を青、形容詞は黄色、接続詞、関係詞は白、強く発音する単語は大きな文字、弱いところは小さな文字、修飾節はメインより一段小さい文字にする、イディオムは斜体にする、といった工夫をこらす。最初は意味がわからないだろうが、いずれ実際に英文を読むようになった時に、品詞ごとに色がついて見えてくるだろう。
まずは一周、楽しんで見終わる。5分ぐらいの長さを想定している。どういうストーリーだったか児童たちに推測で話をさせ、答えは言わない。
このためには、英語がわからなくても映像だけで楽しめるようなアニメでなければならない。シンプソンズのそういうエピソードを使う。
そして二周目に入る。今度は発音記号を字幕にする。色分けや大小などは英語字幕に準じる。キャラクターが喋るごとに一時停止していくモードにする(この教育法には 高度なシステムが必要である。教室の前方にはみんなに見える大画面があり、さらに児童1人ごとにタブレットを配り、作り込んだ英語学習アニメアプリを使うことを想定している)
大画面でアニメを再生し、キャラクターが一文を話し終わるごとに、発音記号の字幕を見ながら、みんなでアニメの声優の真似をして発音する。日本人の英語の先生では本当の英語の発音を教えるのは無理なので、ネイティブの声優を真似る。
発音が終わったら、さて、ここでなんと言ってるでしょう?と児童の一人に聞く。適当な推測で構わない。推測が感覚を磨く。
さあ、答えは何でしょうか、といいながら次に進むと、日本語の答えが表示される。それと同時に、英語字幕のルビ部分に単語やイディオムの意味が日本語で表示される。一画面に日本語と英語とルビの日本語が出てくることになる。
それで最後まで進んだら、三週目である。発音記号の字幕とともに、キャラクターが一言喋るごとに発音するところは同じ(さすがに退屈するかもしれないので、3週目は発音練習は飛ばしたほうがいいかもしれない)。その次は英語字幕と、ルビ部分に単語やイディオムの意味が日本語で出てくる。
さて、このシーンはどういう意味だったでしょうか。児童全体に問いかける。単語やイディオムの意味の日本語を見て、児童の1人が先程見た正解を類推で思い出して大きな声で言うはずだ。その後、日本語の正解が出てくるので、みんなで正解を言っていく。一体感の中で、英語ができているような気分がするだろう。この過程で日本人の英語コンプレックスは溶け去るはずだ。
次は個人学習にうつる。児童一人一人のタブレットで、アニメを見させる。先程のように、英語字幕一場面ごとに再生が止まる。
単語やイディオムをタップすると、4択で意味を答えるクイズ画面になる。答えを思い出して選んでいく。間違っていたら即×がつくので、4択の他の選択肢をタップして正解を探す。正解だと単語やイディオムのルビに正解の日本語が表示される。全単語の意味を正解したら、文全体の意味も4択から選ぶ。アニメ全部を正しくタップして日本語で意味を取れたら、ご褒美として日本語字幕でアニメを見られるモードがアンロックする。これでおそらく、授業時間中に終わらなくても、家に帰って自らアンロックのためのタップ作業をし、ご褒美の英語音声日本語字幕も家で見るようになるはずだ。
ルビから単語やイディオムの訳語を覚え、訳語の羅列から文全体の意味を推測する。この作業を繰り返していけば、確実な英語力の向上が見込める。
それとともに、英語音声を発音記号レベルでしっかり認識し、強く発音する所弱く発音する所を字幕からビジュアルに知って真似することで、音声的な部分も強化できる。リスニング力もかなり強化されるはずだ。
学年が進むに連れて、内容を高度にし、発音も現実のものに近づけていく。本物の役者を使ったドラマも入れていく(これはセリフを録り直して編集しても口がシンクしないので、新しく作らなければならないだろう)。
小学校卒業時には基礎的な語彙と、感覚的な英文読解法が身につき、TOEIC400点ぐらいには至っているはずだ。ここまでで読書のための基礎が身についたことになる。
結論:場合による
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)
「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから。
たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語も容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。
文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフの研究では、英語版とロシア語版を照らし合わせて登場人物の名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。
それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。
現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは、
という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手の二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。
しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法を研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかね。ふつうそういう研究なら、「○○新聞のデータベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivのデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリングを情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……
「pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。
一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。
しかし、ここで問題になってくるのは
ということだ。
それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivのアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。
※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトにアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者(創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します。
たとえそれが個人的な談話であっても、社会学や文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学や文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。
だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学や文化人類学の研究なら普通は発言者をボカす。社会運動の指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。
仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会は激おこだった)。
これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞の投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄に実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。
ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。
インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者を特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象が著名人であるとかなら別だけど(twitterで右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。
それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者が特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。
=何が言いたいかというと、確かにあの論文は研究倫理に反するけど、それは同人小説を研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。
何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表のプロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会の判断とかで弾こうぜ。
あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。
社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。
http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758
マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?
いちおう言っておくと、
ってこれ全部別の話だからね。
正直、腐女子が研究者や研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子を面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。
研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。
文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。
これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。
いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会の研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。
こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。
ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。
お医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。
こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。
でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスをポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。
医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん。
カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。
会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?
少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!
(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌に掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)
研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。
二次創作が研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。
前例はあります。
今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象を研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道の聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究はもっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬の分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。
まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。
あとこれ言うと揚げ足取りになっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします。明治文学研究とかルール違反の百貨店や~。
これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。
どうでもいいのに粘着www|そこの論点と全体の論点をすりかえる負け犬www|~など的外れをとちゃんと引用しなかったのはおまえだろwww「~など的外れを」が主語じゃないとか国語の授業受けてこいよ笑|俺の書き込みじゃなくて別ツリーの話だよね^^|ジョジョの引用としての使用?ちょっとなに言ってるかもはや意味不明^^| A=B=Cであると書いてないと認めるんだね^^|おまえの発言に論理性がないという話に答えてないぞ^^|文脈の話だぞ忘れたのかマヌケ^^|その文を指してるだけと何度言っても理解できない腐れ脳みそ^^http://anond.hatelabo.jp/20160410114004
お返事が無くなったから消したら発狂したバカがあれは勝ってた!とか言い出したので笑った
以下、ここまでの流れ
比喩は紛れも無く芸の一種だよ。わざの一種なわけだし。そういう自酔が透けて見える比喩ってキモがられるよ^^覚えとこうね^^
俺から言わせれば粘着しているお前こそがキモいよ
そもそもお前は俺が言った芸がない、頭が硬い、「粘着」キモいといったことに何も返さず、こっちの芸のことばかりぐちゃぐちゃ言ってる。残念ながら横なんだ^^
ネタの一種をマジとしか受け止められない硬直脳みそ俺のユーモアはいついかなるときも受け入れてもらえるに違いないという硬直脳みそマンがなにを言ってるんだ^^
じとうってなに? 自己陶酔のことかな。ちょっとこくご大丈夫なのかなこの人。自分に酔ってるの略だよ笑 おまえの比喩とおなじひとりよがりのレベルに合わせて使ってみたんだ笑
自己陶酔と一般認識を履き違えるとかほんとちょっと気持ち悪いです。一般認識がそうだという話と使ってるおまえが自分に酔ってるのが透けて見えてキモいレベルが低い比喩だって話が別だって分かってなにより^^
それと俺の言っているユーモアがだれにでも受け入れられるとか別に思ってないし、そう要求してもいないけど。じゃあキモがられても発狂せずに受け入れようか^^
ユーモアと思わしきものをストレートにしか解釈できない哀れな人なんだなあ、とは思ったよね。オナニーユーモアはキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑 ちなみにこれより下のトラバはすべて別人の煽りだから笑 それともバカにありがちな自演トラバかな笑
「じすい」であれ「じとう」であれ、他の人は分かっていたというのはちょっとおかしいじゃないだろうか。だって俺意訳してるし。あ、もしかして他の人って俺も含んでる?読み方の話なんて誰もしてないよ^^おまえにトラバつけてる別人もわかってるよね^^
ちょっと何言ってるかわかんないです。日本語というか文法というか不自由な方なんですかね。おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?→比喩は芸だ!!!!→一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ
分かるところだけ拾うと、自分に酔ってる文言は元増田に一切含ませていないし、含んでると思わしき箇所もないのだけど。>自分に酔ってる文言は元増田に一切含ませていないし
キモい比喩を使ったあとにキモいと指摘されたら比喩は芸!とか言い逃れようとするバカは自覚できないって話??笑
芸云々の箇所を指してるとしたら芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじゃ……?脳に雑菌が湧いてるからそう判断するんだよね芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじ
ちょっとなに言ってるのかわかんないおそらく自分のキモいと指摘された部分を自覚できてないんじゃないかな
発狂してないし終始冷静に受け答えしてるけど?むしろ草生やして決め付けを多発させているお前のほうが発狂してるし。バカなトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞いをしておいて発狂してない!!とかもうね。草生やしてると発狂してるの論理性のなさにレッテル貼りとかもうね。
Tウィルスに感染してんのかなあ、って思っちゃうくらい。あーこれも比喩っすかwwwレベルたけぇwwwこれが芸www
ストレートに受け取れないなんて……? 俺そんなこと言ったっけ。ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかなあ。あとお前が別人だとか、どうだっていいよ。雑菌がたくさん湧いてるんだなあ、と思ってるだけで。こくごの授業受けてればその二文字は省略だと理解できると思うよ^^ それとも神様の義務教育受けてないとそうなるのかな^^ 同一人物ではないという想像すらできないほど発狂してるバカがいるなぁと実感しただけだよ^^
それよりもお前が出した単語について
うん? 俺も読み方の話を主軸にしてないけど。意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。やっぱ日本語が不自由なんだなあ。可哀想に。
「じすい」であれ「じとう」であれ、
主軸でもないならこの文は必要なかったね^^こくごの授業で論点がボケる文は書かないようにと学ばなかったんだねわかるわかる^^
>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。
うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ry
すごく丁寧に解説すると、一般論として比喩は芸の一種か、と考えた場合、芸とは「人前で演じる特別のわざ」とあるわけだからまあ、芸の一種と考えられるわけ。俺「おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?」→おまえ「比喩は芸だ!!!!」→おれ「一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ、おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」→おまえ「比喩は芸だ!!」
主張の繰り返しとかもう白旗?つまんなーい頭が悪すぎてキチガイ煽りマンを演じるにも格が低すぎだよ~^^
自分に酔ってることとキモいという第三者の指摘、比喩が芸であるというこちらの言い分がごっちゃになっていて、Tウィルスの威力を実感できる内容だね。自分に酔っていることにしたいお前、ってことならまあそうだろうけど、それでどうしたのだろう。ごっちゃにしてるのはおまえじゃん。流れの説明を理解できない脳みそってすごいな~^^
ほらまたやってる。キモイと思った主観と一般認識である比喩の区別がついていない。自分と他人の区別がつかない病気ってあったよね。比喩が芸ではないとは俺は一度も言ってないからな^^主観と一般認識の区別がついてないマヌケで発達障害だという自己紹介乙でーす。神様の義務教育受けてきてないのかな?^^
トラバに延々と返事をしているお前も発狂してるという範疇に入ってしまうけどいいのか?>バカなトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞い
都合よくバカの部分を抜かしてるけどおまえがバカだということでいいのか?^^
草生やしてることを論拠としていないことは自明なんだけど、どうしてそこで論理性という言葉が出てくるのだろう。過不足のない文章を書くを学ばない証明乙でーす^^
国語の授業を受けていれば必要な接続詞を省くことはちょっと考えられないんだけど。お前のいった意味だと「ストレートに自分の言っていることを元増田が受け入れない」
しかの場合の話をしてると分かってるだろ 文脈という概念を学ばなかったのかマヌケ^^
こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、俺は応えてないんだが。証拠は?^^脳内空想で補完でもしてるのか?^^
主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。分かってる云々の主軸の方へは反論してない自己紹介かな^^?
そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。なぜ過不足が問題かというと誤解を招いたりするからね^^
「お前のキモい比喩」を一つの文言と捉えた場合、それを一般化するなという理由ならわからんでもないが、そもそも俺は最初から俺のルールを押し付けないことを宣言してるし、俺の比喩を一般化してお前に押し付けたいとはつゆとも思っていないわけだが。じゃあキモがられても発狂すんなマヌケ^^
その上で俺はそもそも「比喩」とは「芸」の一種であるとみなされる、と述べているのに、お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。
「おまえのキモい比喩はレベルが低すぎて芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」という反論が成立するのはおまえの比喩が芸であるときでしかないぞ^^
おまえの比喩が芸ではないなら「おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」というのはまさに個別例と一般認識を取り違えたただの的外れだ^^
馬鹿に理屈を説明しても馬鹿は意味を理解せずに馬鹿にする。無知であることは恐ろしい。「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」と言ったら「AとBとCをごっちゃにするな!」と叫ぶバカの正当化はすごいな~^^
自分の馬鹿を自覚できない醜さについて考えこんでしまった。そうか、バカも大変なんだな。
比喩が芸ではないと言っていない、ということは、即ち比喩は芸かもしれないという多少の可能性は考慮するわけだよね。いや?比喩は芸だと思ってるよ?^^日本語能力がないとよくわかるな^^
じゃあ逆にそれをメタ的に返すけど、お前は自分の定義するところの馬鹿のままでいいの?別ツリーでさんざんやってる馬鹿がなにを言ってるんだ?^^あんなに長く続いてないぞ^^
なんだこりゃ……。「過不足ない文章を書く技術を学ばなかったという証明が、今ここでなされた」ではないの。やば。この人本物かもしれない。先に出た主題を主語化しただけでしょ^^まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。
文脈……? ここに至って文脈化するほど筋書きが通った話の流れなんてあったか?先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分の文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^
すまん、俺はお前を雑菌脳だといったが、むしろ最近良く見る不出来なTwitterのAI、それもボットレベルに思えてきたわ。「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだが、これなんか問題でもあんのか?いつどこで「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだ??^^
主軸については先だって俺が「ちゃんと意訳してる」部分に対して言ってることだったはずで、それ以前のお前のツッコミは「造語」に対する誤字指摘だったはず。
>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ryと両方指摘し続ける俺に対して
こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。先に答えなくなったのはおまえだよ^^
そもそもまで立ち返れば、お前の指摘は「(増田の破綻した造語を)他の人はわかってたぞ」という事実無根の話でしかない。他のツリーでも理解してる人がいたし他のツリーでもおまえは推測可能だったなと指摘されたものを事実無根笑やはり痴呆だな笑
実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人に勘違いされるから消したらどうだろう。ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^
最初から発狂せずに淡々と受け答えしてるじゃありませんか。割と面白がりながら。それと「マヌケ」ってジョジョの台詞からかな。もうちょっと自分で考えたほうがいいような。キモいって指摘されて発狂しながら比喩は芸だ!とか的外れを繰り返すけど発狂してないのかじゃあ相当脳みそが腐ってらっしゃるんですね^^
すぐ漫画が思いつくとかよほど現実世界から離れてるんだろうな^^
俺のキモい比喩、という話はお前から見た場合そのように受け止められる、程度の話で一般化はできないかな。あと芸でも何でもない、という話に関して言えば、「芸」を調べると以下のように記されている。学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につけた特別の技能・技術。技芸。「―は一生」人前で演じる特別のわざ。演芸・曲芸など。とあり範疇としては2番に該当する。したがって俺が用いる比喩は一応芸の一種として考えられることになる。
比喩が芸だと俺は言い続けているんだが^^おまえの初潮だのTウィルスだのキモい比喩は芸にも当たらないと言ってるだけだぞ^^
ごめん日本語で。Aを起点としてBが派生し、それを承けてCという行動を取ると(意訳)。つまりお前の言いたいことはA=CであるからBもCであると言うのは暴論であると言いたいのだろうか。いや、普通にABCは分離して考えないと駄目でしょ。
A=Cってどういうこと?^^BもCってどういうこと?^^ABCが流れなのに分離していないと考えちゃう理由は?^^
そうだね、たいへんそうだね。
別ツリーって知ってる?^^に対して
それじゃお前も別ツリーの話題を持ち出しちゃ駄目でしょ。
それじゃの論理性がないぞやりなおし^^
過不足ない文章を書くことがこれらの引用の主題でしょ。じゃあ「文章を『書くを』学ばない」って完全に過不足を感じる文章に対して指摘するのは何ら問題がない、という話になるけど。こちらとしては首を傾げるばかり。
ちゃんと伝達は成功してるとおり文脈を理解しているヤツには理解出来てるからな^^
先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分の文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^
ストレートにしか解釈できないほどお前の脳みそが雑菌に侵されている、という話でしょ。「しか」の解釈ならそうだけど。
だけどお前の言っていることはこうだよ。
オナニーユーモアはキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑
ストレートに受け取れないなんて哀れだ……? 何いってんのこいつ気持ち悪い。勝手に台詞創作して文句いってきてるし。
実際問題として皮肉を皮肉で返すという技がないんだから、そりゃストレートすぎて脳筋馬鹿だと言われてもしょうがないじゃん。
ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかなあ
おまえがしかをつけた文章を指すために省略して指摘しただけだろ。 それをスルーするために、しかがついてないから元通りじゃない、些末な嘲笑の言葉が違うからセリフを改ざんされた!!かよwww
えっ……お前ホントやばいわ。「俺が」「誤字った単語(しかもてめえの造語)に」「お前の指摘が入って」「わざわざ指摘してくれてどうも」つっただけで何も問題ないじゃんか。むしろお前の有利に働くことだぞ。まして変な造語を作ったことに俺は寛大だっただろ。
質問に答えろよ^^いつどこで”「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」”んだ??^^
主軸の話とは→造語の話→造語に対して誤字ってしまうこちら側&こちら側が造語意訳→そちらの、「単語に対する意訳が相手に伝わらないよ」、という頓珍漢な答え→先に答えなくなったのはお前(こちら)だよ、という意味の分からないトラバレス。
2つ論点があって主軸の方を先に答えなくなったのはおまえって話だよ^^ おまえの流れの説明意味不明すぎるからツリー見返して来い^^
ちょっと悪いんだけど、どこの誰こと?それと後半意味わからないんだけど。俺が推測可能だったって何?なんじゃそりゃ。おれは意訳したんだからそりゃ推測はできてたよね。だいぶ頭がおかしい。というかこいつが馬鹿すぎて俺の頭も混乱しそう。
他のツリーって言葉を理解できないのかな^^推測できてたなら俺の言うとおりじゃん^^
ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^
に対して
いやこれ論理じゃなくて事実。お前の顔文字気持ち悪いって単発で書き込まれてたし。すぐ消えたけど。
って説明にもなってないぞ。↓やり直し。
実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人に勘違いされるから消したらどうだろう。
「的外れを繰り返すけど」なにこれ。ほらまた破綻文章で馬鹿を晒してるし。「的はずれな言動を繰り返しているけど」でしょ。また相手が馬鹿だから意訳・翻訳しちゃったよ。
それとジョジョは一般的な作品として周知されつつあるから、指摘としては別に間違ってないと思うよ。
認知度は関係ないから^^すぐ漫画が浮かぶ現実世界と乖離したキモオタ臭がひどい。
お前にオリジナリティがないことだけは確かだし。
うんそう。比喩は芸。キモい表現かどうかはお前の勝手に決めたこと。
ダジャレwww これでわたしには文芸があると主張してるの?www
スベりまくってるのに「俺はクラスのムードメーカー!」と勘違いしてるイタい同級生思い出すわwww 周りから失笑されてるのに本人は芸があると思ってたのかなwww
流れってなんですか。ABCって流れの事だったんですかw 何のために記号解説したんですかw
「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」とと書いてあるのに流れじゃないと思ってたんだ^^煽るだけのゴミでも知性がバレるぞ^^
今日1日を素敵な思いで過ごしたい人は、もっと後になってから読んでください。
お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。
この投稿は、(余計なお世話かもしれませんが)特に 石野 純也 さんと 星川 哲視 さん、あたりに読んで欲しくて書いています。
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
【3.自己肯定力】
私は、何気に彼との付き合いが古いです。
私がアメリカの学生で、彼がバイトで編集の仕事を始めたあたりから知っています。
その後は、海外の取材先で同じ部屋に泊まることもありました。部屋に戻ると、彼が半裸で鼻をほじりながらずっと2ちゃんねるを見ているおぞましい光景を何度か見てきました。消し去りたい私の心の傷の1つです。
そんな私が見るに彼の最大の特徴は:
異常なくらいまでに「自己肯定力が強い」ことです。
彼は、まるで「ポジティブ」であることが悪いことであるかのように、人のことを「ポジティブ野郎」などと呼んでいるようです。
ただ、自分のことをポジティブに分析する能力では、私は彼の足下にも及びません(いつも、自分がダメだと思って苦しんでいる側なので)。
彼のツイートを昔から見ていると、彼の周りではやたらと物が壊れるんです。
しょっちゅう再フォーマットや再インストールをしている印象です。
あきらかに異常な頻度で物が壊れます。
(彼にとっては)もちろん、壊れるものが悪いわけです。
自分の記事が読まれないのは読者が悪いし、
他の人の記事が読まれるのも読者が悪い、そんな記事を読む読者は地獄におちろ、みたいなノリで罵ります。
自分の媒体力とか自分の記事がどれだけ求められているか、といった部分に関係なく、イベントに呼ばれないと招待しない人を罵ります
昔からやっているから俺を呼べ、みたいな考え方です
自分以外の考え方は一切、認めません。
私が何を取材するか、どう書くか、どう考えるかまでいちいち批判してきます。
ITジャーナリストたるもの、スペックシートを接続詞でつなげたような、無味無臭な記事でないと客観性が足りなくてダメみたいな古い自分だけの考えを振りかざして、それに従わない人間を批判します。
ちょっとだけ自分の考えを言うと「私は客観的な記事は存在しない」、実は存在していると思っている人ほど実は危ないという考えの持ち主です。
実はどのニュースをピックアップするかでも主観は入ってくるし、
「褒め 大さじ 3杯/悪いところを見つけ出して批判/スペック 小さじ2杯/個人的感想 一振り」みたいなレシピを客観性と考えるのも間違いだと思っているし、長年、レビュー記事にはシリアスだったMACPOWERで「そのレビューは本当に正しいのか」という自己批判企画をずっとやろうとしていた私的に言うと
作る側は世の中にどんなベンチマークテストがあるかを知っているから、そこに向けて性能などをoptimizeしているのは、日本語入力プログラムだけでないことはみなさんもご存知でしょう
でも、日本では「報道は客観的でないと」という考えがあまりにも広く根付いている。
だから、「あえて最初から主観」を強く出すのが私のスタイルです。
この話をすると長くなるので(すでに長いですが)、私は文字によるコミュニケーションを信じていません。
そういう人もいれば、無味無臭な書き方をする人もいる、そういうバランスがあり、どの記事からどの記事へも1クリックでいけるのが現代人のバランス感覚だと思います。
それをITジャーナリズムかくあるべきの同じレシピでJIS規格された矢作色の世の中になったら、記事は1本読んだら他は読む必要がなくなってしまいます。
ここでちょっと脱線。
みなさんの中で言葉の仕事をしている人は、自分がこう書けば相手に伝わる、と思っている人もまだいるかもしれませんが、25年、執筆の仕事をしていて強く思うのは、読者は自分の知識の範囲やその時の感情のフィルターで、自分で読みものを想像し創造しています。
いいことを書いたつもりの記事でも、それを批判と捉える人もいるし、私の記事とか感想の振れ幅がめちゃくちゃ大きくてすごく面白いです(ただポエムとか言ってる中身も読んでいない、バカの壁[養老孟司読んでください]の人は別としてちゃんと読んでいる人の感想です)
脱線しちゃいましたが、彼は自己固定が強いあまり
業界で起きている時流の変化にも順応しようとしなければ(変わる時流が間違っている)
自分の記事がどんなに読まれなくても、それは読まない読者が悪いので書き方に工夫をする必要もないのです
ある意味、脳内では幸せな人ではあるけれど、脳の中と外とのギャップが、いよいよ、大きくなりすぎて破綻し始めたのが今起きていることです
ここで、誰も見ていないツイッターとはいえ、2ちゃんねらーがRTし始めて、私とかに絡む人も出てきて、
それでも相手にしちゃうと、調子にのるから、表では静観を続けている私ですが、あまりにもな言われ放題みたいなので、いくつか自己肯定をさせてください。
というか、神尾さんも被害にあっているので、彼のことから擁護すると
私は神尾さんのこともよく知っているので、ここで断言しますが、
彼は神尾さんがSさんと交際があるような書き方をしていますが、
よく知っている人間として断言しますが、神尾さんが好きな人やら何やらについて深いコメントは避けますが(いや、いいお父さんです wink絵文字 )
Sさんとの交際だけはないことはよく知っています。
証拠を示せと言われると難しいのですが、
1つは神尾さんは交際相手に関して、好みのタイプがかなりしっかりしていて(というか狭い!)、Sさんは良くも悪くもそこから外れるからです。
2つめは、証拠というよりは、矢作のデタラメな主張を崩す内容ですが、彼はジャーナリストを唱いながらもろくな事実確認も無しに神尾さんがアップルスペシャルイベントに愛人(Sさんのことらしい)を連れてきたと書いていますが、実はこれ、神尾さんにとっても私にとってもとSさんは初対面でした。
音楽の男女デュオが実は別々に結婚相手がいても「実はつきあっているんじゃないか」と噂が立つのと同じで、交際とかの経験が少ない人ってやたらとそういうの勘ぐって噂たてたがりますよね。
まさにソレです。
神尾さんがSさんが近しいのは、今、神尾さんがやっている未発表の?プロジェクトに関係あります。
彼は、いつも「IT業界の中にいる人」や「ガジェットが好きな人」からは真実は見えてこない、とスマートフォンやサービスがもっと一般の人目線で評価させることの重要性を主張していました。
で、若い女の子とつきあわないまでも、おしゃべりするのは好きなので、よく女子高生や女子大生のヒアリングをして探るのが神尾さんのスタイルです(もともと、ドコモの時からそういう仕事をしていましたみたいで、奥様との出会いも...)
実は幅広い年齢層の女性にヒアリングをしていますが、Sさんもそうしたサンプルの中だったのが、色々、話をするうちに本気でライターになりたいという思いを知ったみたく、面倒見よく、いろいろな人に紹介しては、「あの人からは〜〜を学べ」と教育しているようです。私もSさんにデザインについての講義を請われました。
ウェアラブルを筆頭に、今やデジタル製品はどんどん生活領域に入ってきているのに、ファッション誌ではデジタルに詳しい人がまだ少ない。
そんな中、生活者目線で記事がかけるライターを増やす必要がある、というのは神尾さんの強い信念で、近々、発表あると思いますが(って書いちゃっていいのかな?)実は神尾さんは最近、そっち方面での活動に本腰を入れています。
一緒に仕事しているし、(うらやましいことに仕事を振っているので)一緒にいる時間も長いかもしれないけれど、彼とSさんの噂がたつのをみていると
「ん〜、(彼のツボは)そこじゃない」(笑)と心の中でツッコミを入れたくなってしまいます。
まあ、仮に神尾さんは打たれ強いし、いいとしたとしましょう。
それにしても本当に根も葉も無いのに、変な噂を立てられて、好奇の目でみられているSさんの立場はどうなるのでしょう?
彼は精神を病んでいるから、ここは狂犬に噛まれたと思って我慢しろ、というのでしょうか?
九州にいて、なんとかライター業でやっていきたいと思っていた彼女のやる気を見て、神尾さんがライターの顔ぶれの若返り(平均年齢下げることも考えて)東京で仕事できる環境作って、呼び寄せたところで、わめけばいいと思っている見苦しい老害(病害)のために若い才能の1人を犠牲にするのは本当に正しいことでしょうか?
神尾さんが元ドコモでコンサルの仕事をして、という批判もしているようですが、だからこそ、矢作なんかには書けない、会社の裏事情などの視点が書けるのだと思うし、それを是とするか非とするかは読者次第だと思います。
もしかしたら、NDAなどがないものは、disclosureとして記事で関係性を明らかにしたら良いかもしれません。
私もコンサルをしている、ということで彼の批判を受けていますが、一時期、そうでないことがあったのは私の失敗でした(1年半くらい)。でも、そこでも自分なりに中で線引きはしてきたつもりです。
また、それ以後は、実はコンサルティング契約を結ぶときに、コンサルティングをすることになったからには、ソーシャルメディアでは応援するけれど、マスメディアなどでの記事ではとりあげない、ということを約束していますし、そもそも自分が記事を頼まれる業界とは別の業界のコンサルティングが多いです。
どうしても、コンサルティング先のことを記事で書く必要が生じたときは、去年のfashionsnapの記事や毎日新聞か日経産業がそうでしたがdisclosureとして、株を持っているかいないかに関係なく、関係性に関する注意文を示してきました。ここら辺はもしかしたらメディア側でガイドラインを作ってくれた方が良いかもしれませんね。別に神尾さんもそこは否定しないと思います。
ちなみに書いている記事が製品のレビューなどが中心だと、少ないかもしれませんが、トレンドの分析などを記事にする人は、その洞察に価値を感じた相手から講演などの依頼を受けるのは、かなり自然で海外でもよくあることだと思います。私自身は書きたいが、心底のモチベーションではなく「世の中を変えたい」がモチベーションなので、企業の中に入って現状をよくするために手を動かす機会の方が圧倒的に増えています。全部明かせないのが残念ですが、一部は今月26日に発表になります。
【5.私の自己肯定】
つづいて私の方の自己肯定。
彼は自分が正しいと信じていないとやっていけない人間です。
なので、ツイッターの喧嘩でも、やたらと関係のない人にいきなりメンションを送って巻き込んで、その人たちが自分の味方であるかのように見せる演出をします。
私は彼にとっての仮想敵なので、批判される側だけれど、彼がそうやって私の周囲の人間にメンションし始めるのは正直迷惑でした。
ある日、携帯おサイフ系の発表会の実況をしていた時に、たまたま彼の病気が強めに出ていた(私がソフトバンクワールドで講演したことへのジェラシーかもしれません)のだと思いますが、こちらはツイッター実況で言葉もらさないように忙しいのに、彼がやたらとつっかかってきて「お財布いらない?レシートはどうする?」とか言ってきたので、そこで喧嘩になりました。
(ちなみにレシートは、皆さんがアップルストアで日々そうしているようにメールで送ってもらえばいい話ですよね?そういうところ、相手を批判するためなら事実を都合よく忘れるところが多いのも彼の特徴です)
今と同じようにツイッターで暴れ出して、そこを周りの人がなだめて、ほめて、彼が「やった見てくれている人がいる、これは甘えなきゃ」と「自殺してやる」と叫びだして(本当に絶望した人は、言わずにひっそりやっていると思います。彼は構って欲しいだけなんです。かまう方法によってプラスなこともあるけれど、同じ壺の中でいくら上に持ち上げても落ちる距離が長くなるだけ、別の壺に移し替えて気分転換されることが大事)、警察に保護されて、その後は親が迎えに来ておさまったようです。
そこで、私も「もう付き合ってられないや」と思い。
でも、彼のフォローをやめて、そのことに彼が気がついたら大騒ぎするだろうと、わざわざ彼の行動をツイッターでチェックして、彼が海外に行っていてメールとかも増えて気がつかないだろうというタイミングを見計らって(嫌いな奴のために、俺、なんでこんなに気を使ってやっているんだろう。と自分を責めながら)Twitter、Facebook、Instagramなどすべてのソーシャルネットワークで彼をブロックしました。
自分を不快にするものが視界に入らない方が、彼も健全に生きられるだろうという配慮だったのですが、私も誰かをブロックするのは初めての経験でわからなかったのですが、私が彼をブロックしていても、彼がフォローしている誰かが私のツイートをRTすると彼に見えてしまうようです。
もちろん、自己肯定感が強い彼は、私のツイートがRTされてくると、その人をアンフォローして自分の方から改善の道を選ぶのではなく、RTする人たちを「そんなのRTするな」と批判し始めます。
私がティム・クックに遭遇したのが、やらせとか言っているようですが、実はそうではないと証明できるつづきの写真がいくつかあります(あれは実はWWDCの一般開発者のランチ場所で撮影しました。私が話していたら、すぐに開発者たちがよってきて、大騒ぎになったのでその写真があります)。
彼が書いている批判の多くは、彼が勝手に思い込みで書いているだけの事実無根が多く、証拠がそろっているものもいくつかありますが、相手にするのもバカバカしいので、無視しているだけ。
良識のあるみなさんの中にもつきあい長い人多いので、真に受けていない人多いだろうけれど、つきあい新しい方は要注意です。
そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)今年、地上波テレビでも取れない取材枠を得られなかったことで、「世界一詳しい俺が呼ばれない」と大騒ぎしたようですが、実際のところは既に終わっていた自分の仕事の失敗をアップルになすりつけるためだけの見苦しい行為。
まあ、それも病気ゆえ(実際に通院して薬で治療しているようです)なのでしょうが、病気だからといって周りがどこまで好き勝手に批判されるのを耐えなければならないのか、非常に強く疑問に思ったのが今回の事件であり、無責任な同情コメントが彼を増長させているという事実を知ってもらい、そういうことを同意していただけるならやめて欲しいと思って、この長い記事を書きました。
私は、最近はかなりちゃんとした方々とのお付き合いが多いので、
IT/モバイル業界のあまりにも見苦しい醜態話、およそFacebookでパブリックには投稿できませんでしたが、隠す内容ではないのでコピペしてアングラ掲示板で広めてもらったりする分には構いません(というか私は読まないので、感知しようがない)。
また、彼に親しいインプレスの編集の方や、あまり存じ上げないのですが、 山口 健太さん 中山 智さん といった彼と親しい面々は私自身があまりお付き合いがないので、タグ付けしてみたけれど、この投稿がシェアできていない可能性があるので、どなたかが回してもらえればと思います(もっとも近しい方なら、彼がどういう精神状態で、どう対処したら良いかもよくご存知かもしれませんね)。
近しい方々は、どこかでは彼の問題や、接し方も詳しいと思うので、その辺りの情報共有やアソバイスもいただければ嬉しいです。
また、 narumiさんは、週刊誌的なノリでこの話題をとりあげないか心配で、あえてシェア対象から外しています。
正直、時期がきたら本人にも読んでもらいたいですが、今はまだ暴れだしたら困るのでやめておきましょう。
なお、矢作さんと、それでもお付き合いを続ける方のために、いくつかどう接したらいいかの参考になりそうなサイトを見つけてきたので、以下にまとめておきます(自己肯定力のネガティブな影響については一番最初の記事が詳しいです):
http://www.utsubyou.co/entry/2015/10/20/#more3
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2130663.html
http://mojostyle.net/sigoto-16/
tag: 海老原 昭、 法林 岳之
この記事は、私がつくった「IT系」(何人追加したのかの確認する方法がわかりません)というリストの人にシェアしています。Facebookでつながっていないのでリストに入れられなかった人は、タグ付けしてみました。ウォールに表示されてしまった人は、投稿右上のメニューから「タイムラインに表示しない」を選べばタイムラインへの表示を消せます。もし、タグ付けされている人も読めるようならシェアされていない人は、あとでタグ付けします。
自分は普段、こういう押し付けはしないほうだと思いますが、この投稿が見れている人たちにとって「矢作問題」はそろそろ一段落をつける頃だろうと思い、あえて押し付けてしましました。
散々書き散らしてきた痕跡を見れば、私が自分の半生に何ら充実感を認めていないことが理解出来るだろう。思春期後半のドロップアウトが人生逆転する(この表現は嫌いだが)方策と言ったら、やはり一般に想起されるのは大学入試だ。しかし、例えば高三まで部活に邁進していた人間が受験勉強で爆発的な成長を見せるのは、部活をしていたから成績が上がらなかったという理由付け、何かに熱中し没頭していたという自負、そして何かを成し遂げるという成功体験、こうした要素が揃っているから彼らは猛進する事が出来る。恵まれているのだ。
つまり、「勉強はしていなかった『けれど』」という接続詞を以て自分の歴史を語る事が出来るならばどうにでもなる。こうした論理展開は自分への諦めを認めなければならないので避けたかったが致し方ない事だ、私にはかの品詞を引っ張り出してまで語り得る体験が何もない。全く屈辱的だ。私の掌からは理由付けも自負も成功体験も、何もかもが溢れおち、今や纏わり付くような劣等感が私を腐らせ続けているのみである。本物になりたい。自分の熱意を疑う余地なく没頭出来るような物が欲しい。そう思う程に私は紛い物しか寄せ付ける事が出来なくなっていく。打算めいてくるからだ。目に見える成果や名声への期待、こういった事を考える度、感情には手垢が付き、そこからドンドン錆付いていくのだ。
そんな錆すら撥ね除けられる程の情熱が必要なのだろうか?こう思う度、私はドンドン苦しくなっていく。「本物」の情熱と「偽物」の情熱が選り分けられていく。幼少の頃から嵌っている程、脇見も振らず熱中出来る程、本物に近付く事が出来る。私はもっと気楽になって良い筈だし、なるべきだ。それが出来ない理由は、とめどない自己否定に他ならない。こうして、私はいつまでも自分が「本物」と命名した物に近付く事が出来ない。劣等感による負の自己生産を繰り返し、慣れっこになってしまった自己沈滞を諦念ぎみに眺める。
実際には沈滞などしていない事に、私はまず気付かなければいけないのだ。つまり、「沈滞している」事ではなく、浮上への期待をまず捨てるべきなのだ。上を目指そうとする事自体が悪で、本当は上も下もないのだという事を発見しなければならない。そうすれば、この耐えざるルサンチマンにも決着を付ける事が出来るだろうか?
そういえば接続詞を使えってことは学生時代に小論文の授業で解説されていたのを思い出しました。
接続詞については素直に気を遣ってみようと思います。(と思って簡単にできるものでもないのでしょうが)
でも、話題を沢山持ちこむのは悪手という方については、一考しつつ保留にしておきます。
というのは、このトラバツリーの何回か前で「どこまでも話が広がっていきそうだし要素が沢山ある話を何とかまとめようとしてるので、色んな部分にちょいちょい触れたりほのめかすだけになってる自覚はあって、そこが散漫だなあとは思わなくもないんですが。」と書いたように、言及する要素を多くしたり、その言及も末尾でなく本文にそのままの流れで記述するスタイルは自分でもわかっている部分なのですけれど、それはある種のポリシーがあってやっていることなので。
doksenseiとかいうアカウントのブコメがすごかったから公開されてるウェブサイト見てみたらこれである。
http://d.hatena.ne.jp/doksensei/20150507
宗教どうこうではなくて、純粋に論理性というものが一切皆無なのがすごい。
その割に「ですから」とか、論理的な展開を意図してるっぽい接続詞を使っているので本人は論理展開だと思って書いてるっぽいのがすごい。
「俺はこう思う。あびゃばばばばばばこう思う。sdrftyぐひじょkplこう思う。」と字面通りに置き換えても文章の論理が全く変わらない。
一体どのように生きると40を過ぎてこういう文章を素で書くようになるのだろう。
宗教やってる人のマジョリティはこんなものなんだろうか。多くの宗教自体は、なるべく少数の超自然的な前提を置くことで後は論理的に教義を導出するようにできていると思うんだけど。
どうもかおなしの一人です。
ぼくがはてなで遊んでいる理由は一つ、日本語が好きだからということに尽きますよ。
はてなには頭の良い人が沢山集まっていて、ブコメのたった100文字で見事なコメントを残すでしょ?
みんな日本語が上手だし好きなんだなぁって思うんです。
twitterみたく文字制限あっても連投できるわけじゃないから、本当に一番書きたいことにしぼられるよね。
みんなの言葉の操り方を眺めているだけで面白くて、日本語と一緒にそれを愛している自分まで愛されてるような気がしてくるっていうのがはてなで一番楽しい瞬間かな。
そんな中で、増田というサービスは皆の目線にさらされるに実に適したサービスなんです。作者が誰か限定されないということは、そこに書く文章だけで人となりを想像させることが出来るのですから。
常々、わたくしは文章とは声を持っているものと思っております。
まるで指紋と同じように、わかりやすいところで言えば一人称や書き手の視点、細かいところで言えば句読点の用い方や、主に選ばれる単語、接続詞のタイミング、構成の順番、文章の持つリズムなど、しっかりと勉強をしたわけではありませんので詳しいことはよくわかりませんが、そうしたものを感じ取るうちに文字から声が聞こえてくるようになります。はじめのうちは雑音の様に色々な声が交じり合って聞こえますが、読んでいるうちに一つの声に絞りこまれていき、中にはうっとりするような美しい声で紡がれる文章などがあり、そうした出会いがやめられずにはてなにあつまる皆さんの文字を追いかけてしまうのです。
そんなわたくしが文章を描くときは頭のなかの声に従って文字を紡ぎます。そうすれば不思議とその声にふさわしい文章が紡ぎだされていくからです。そう、例えば変態紳士のような声などで。
はてな村奇譚の作者さんが顔を描かなかったのは偶然か、それでもさすがだなとひとりほくそ笑んでしまいました。
これが作者有りきのブログとかだとしたら、同じ人がそんな色々な内容書いてたら全部フィクションって思われちゃうじゃないですか
そんなに毎回うんこもらすわけにもいかないし
それでもどうしたって増田でうけるためにはある程度内容と文体を限定しなくちゃいけないんですけどね
はてなの面白いところは、嘘かホントかより書いてあることにどうやって反応したかってことですよね
そんなこともわからないで脊髄反射的に釣り釣りさわぐユーザーとか、誰もそんな紙一重な自己防衛の予防線踏み越えないから安心しろよとかおもうわけですよ
あきらかな炎上狙いっぽい記事に対してもスター採れるって思ったらまっしぐらに釣られにいってるわけじゃないですか
それこそがブックマカーの鏡でしょ
そっこうでトラバくれるのはいいんだけど、「はい。釣り。」じゃなくて、そこは釣られてから釣り返すところでしょ
トラバで元増田のブコメ数食ってやろうっていう気持ちで書いたらどうですかね
元増田が記事を削除して逃亡する瞬間がセックスの何百倍も気持ちいいっていうのをみんなしらないんだろうなぁ
あと、句点は嫌いじゃないですよ。何も考えずに使われる句点をみると可愛そうだなって思いますけど
さておき、他の増田作家さんが何を考えてるのかわかりませんが、概ねこうやってみんなの賛否渦巻く中心に紛れ込んではほくそ笑んでるんじゃないかな