はてなキーワード: 同好会とは
!時代から流星隊を追っかけ続けているただのPです。篝火とスーパーノヴァが好きです。流星隊の先輩ふたりが好きで、そんな先輩たちにあたたかく育てられたかわいい後輩たちが大好きです。
さて、コメットショウ・サブマリンと地獄を見せつけられている日々ですがどうお過ごしでしょうか?毎日つらいです。!時代の推しのカードを眺めてます。好きですねやっぱり。
本題に入ります。流星隊が迎えられるハッピーエンドって何?もう公式から今までの流星隊に関するストは矛盾だらけなので一旦消します!!!とでも言ってくれたらいいなと思います。不適切な単語修正するんだから矛盾だらけの不適切なストごと消せ。
個人的にはですが、返礼祭でいってた、鉄虎がレッドになって流星隊を引っ張り、後輩たちが卒業してから後に5人集まって新しいユニットがいちばん平和だと思っちゃいます。まあそうすると!!時空で5人でうたうなんてことがなくなるので都合悪くなるのは承知ですが。あんなクソストーリーになるくらいならいいです。先輩2人のデュエットとか見てみたいじゃん。後輩3人が先輩2人におくる歌とかもいいね。特例でいいだろ。そもそも流星隊はESでもスタプロのものでもなんでもなく夢ノ咲学院最古のユニットやぞ。夢ノ咲学院の流星隊を終わらせるのが他でもない守沢千秋なのふざけてる。ふざけんな。レッドは鉄虎に継承されるはずだった、千秋も鉄虎もそれをのぞんだ。レッドに相応しくなるためにって鉄虎がしてきた努力は?絶えようとした流星隊を必死で守ってきた千秋は?それを隣で見ていた奏汰忍翠は?
!!の構想が出るより先に流星隊の継承は決まってた、鉄虎がレッドになるはずだった。なんも考えてなかったならMとかNでお茶濁さずになにも進展ないほうがマシだった。はじめての後輩たちに戸惑いながらも先輩をしていく3人が見たかった。アドバイスくれるくらいの立ち位置で、なんだか懐かしいなあって顔をする2人が見たかった。千秋から隊長を、大将から部長を、大切な2人から大切なものを受け継ぐ鉄虎が見たかった。夢を叶える千秋が見たかった。月曜日の朝に守沢先輩見たよって会話してくれたらな、流星隊の後輩たちに前隊長だって自慢げに話す3人がいるかもな、アクアリウムみたいに、鉄虎率いる流星隊が奏汰の水族館でライブするかもって、あんなゲリラライブは見たくなかった。
夢物語でした。夢ノ咲学院では夢を見せてくれたのに。夢の先に連れていってくれたはずなのに。
サブマリンみてびっくりしました。守沢千秋ってみんなを引っ張っていく隊長ではあったけど、なにも自分本位で突っ走ってはいなかった。後輩の意見を聞いて、取り入れて…それができた先輩だったよね?後輩ができたら~って篝火でもいってたね。たくさん褒めて、支えてやって、でも甘やかすだけじゃだめだって、ちゃんと分かってた。返礼祭でも英智が言ってたじゃん。遅咲きになったけどそれは後輩を大事にしてたからだって。あんな風にどうせ聞いてくれないし、なんて言うはずないのに。
奏汰は千秋のおかげで人間になった。お家のことをしっかりけじめつけるって言ってた。千秋は待つぞって、またふたりで歌うっていったのに。結局かみさまなの?人間じゃないの?変身したんじゃん。
最初は流星隊に入る気はなかったけど、ちゃんと最後にはレッドを受け継ぐ覚悟を決めた鉄虎はめちゃくちゃかっこいいです。2年生で隊長って、千秋と同じだね。先輩のことを思い出しつつ、自分らしく、2人と協力して流星隊を引っ張っていく鉄虎が見たかった。3年になるころには鉄虎を憧れだっていってくれるような存在がいるんだろうなあ。
千秋が好きを貫いていいよって言ったから忍は忍者同好会を一人でもやり抜きました。えらいね。生徒会のお仕事もしちゃってる。すごいよ。人見知りだって言ってたのに。ちゃんと流星隊で成長した。なんででしょうね。気持ち悪い変態がいます。最悪です。モブ部員が増えた!でよかった。気持ち悪いです。ほんとに。不快です。
翠だって自分のことを鬱々と考えるんじゃなくて周りが見れるようになった。慈愛のグリーンだもんね。返礼祭でしてたあの決意は?あんなこと言わないはずでした。赤にこだわった千秋と鉄虎を否定するようなことは言わないはずでした。
レッドの継承をのぞんだのは他ならぬ千秋でした。なにがあっても流星隊に居続けたのは千秋だけでした。千秋だけが3年間流星隊でした。そんな千秋がまだ赤でいたいだなんて言うかな。なんでだろう。わからない。どうしてですか。
全部消えました。!の守沢千秋は消えました。!の流星隊は消えました。!の流星隊はどこにいったのでしょうか。つらいです。この先どんないい展開になってもコメットショウは、サブマリンは消えません。
絵描きも女性絵描きは男キャラも女キャラも満遍なく描いてる人が多いが、男絵描きはおっぱいやお尻を強調したワンパターンな女キャラばっかり描いている。
女性と男性では性的に興奮する範囲に差がある、って説を聞いたことがある。女性はカタツムリ🐌の性交にも興奮する人が多いんだとか。
男性向きの絵が女性から見てワンパターンに見えがちなのは、狭い範囲に多様性が広がっているから。
一般男性は… 男性選手とか好きだし、その理由はゲイだからではなく関心の方向が似ていて共感できるからなど友情に近い感情で好んでる。
男性オタク同士でも尊敬の念をお互いに持つし、コメント欄などで即時的な同好会が結成されるみたいなことはよくある。男性 Vtuber や男性のゲーム配信者は、男性オタクによく見られている。これは男体に興味のない男性オタクでも人格には尊敬の念を抱いたり、共感したりするからだ。一般男性の振る舞いとなんら変わりない。
この仮説が正しいなら勝者男性は逆に必ず敗北者を蔑むはずだが実際はそうではないね?
男女逆転させても成り立つはずだが、ウマ娘などを愛好する女性も多いからそれもおかしい。
友情や尊敬の感情を持つ人は男性グループの中で勝利してきたことになるが、勝利経験がなぜ尊敬につながるのか。自己愛ではなく。敗者が勝者を尊敬する構図の方が自然に思える。
なぜか男性グループでの競争が、性的興奮および芸術の愛好対象を決めるほど重く見られているが、その根拠は省略されている。女性に敗北してきた男性は女体を忌避するはずだが、勿論そうはならない。
勝ってきた男ほど敵視をしないと考えるのはなぜだろう。私は麻雀を嗜むが、強いプレイヤーほど敵の挙動の機微に敏感だ。このシビアなゲームでは微妙な攻勢を察知できる奴だけが勝負に勝てるからだ。あなたの描いたナイーブな構図、敗北が敵視を生む、が正しいなら、敵への意識が少ないのはむしろ敗北経験の少ない「逃げた男」。男性オタクは「挑戦し続けた男」。そういうことになるだろう。
感情の内訳までわかるのは、あなたが男性オタクだからだろうけれど、しかし自分の例を敷衍して全体を決めつけるのは説得力を欠く。私は、多くの男性オタクは女体を敬愛していると考えている。侮蔑の感情は親近感を生まないからだ。ズーフィリアでない男は豚🐷のメスでは性的に興奮しないだろう。
ナチュラルに下の名前で呼んだり、お盆休み明けに「なあなあ、俺のお土産は?笑」とか半笑いで突然ボケたりして、自分から嫌われにいってる中年オッサン。
ああいう人って距離感ぶっ壊れてるモンスターとしてネットなんかで散々な言われようだけど、あいつら大体は若い時はイケメンだったり、カースト最上位格だったりでかなりモテてたってパターンだぞ。
モテてた当時はそういうコミュニケーションで無問題どころかむしろ女ウケ良好だったから、その時の調子で未だに女の子にちょっかい出しちゃうんだよ。
既婚に加えて高身長だったら若い時モテてたパターンがかなり信ぴょう性を帯びてくる。なおかつ、テニスとかバスケとかサッカーとか会社のスポーツ系同好会に入ってたらまず間違いない。
全く想像もつかない、信じられないという人は「学校へ行こう マサーシー 現在」でググってみて欲しい。
20歳前後と40歳前後の容姿変化とはここまでも強烈だと分かるだろうし、しかもその強烈な変化はごくごく当たり前なのだ。
ちなみにこれは勘違いだと思う
他に書いてる人もいるけど、せっかく演劇同好会という設定があるのに
それを生かした同期全員コラボを全然しないってところが大きいな。
個別に印象だけ書き連ねると、
おめー経験あるならリーダーとして引っ張って行けって思うのが青の子。
でも同期率いて企画やるよりゲームやってる個人ムーブのほうがうまかったタイプだったのねって感じ
面白いけど好き勝手やりすぎて好き勝手が容認されちゃったなーってのが緑の子。
未成年(緑の子は中学生設定)として言えないことを大人アバター用意して色々やっているのはなんか違うんじゃない?ってなる
パリピ側に振っていてVTuber関連がわからず同期から一歩出遅れているのが赤の子。
最初はYoutubeじゃないとこでコンテストやるために配信したりしていたけど、最近はメイク関連とか独自に動画作り始めたりとかでめっちゃ頑張ってる印象
気質は配信者向きだから行けると思うんやけどな……色々挑戦してほしい
だが正当性があろうとなかろうと怒りの感情を燃やしてそれをぶちまける権利くらいあろう。
まず前提として俺はFPS、というか一人称視点のゲームがあまり好きではない。自機が被弾する、死亡する時のストレスが三人称視点のゲームのそれより高いからだ。そしてPvPもそんなに得意ではない。対人戦を本気でやりこんだ覚えのあるゲームは、ポケモンとエスコンくらいだ。そしてFPSのメインコンテンツは基本的に対人戦である以上、どうしても自分には合わないと感じる。正確なエイム、毎秒変化する敵味方の位置の把握、それに応じた適切な動きなど、FPSが要求する能力が高いのだ。発達障害が入っている俺には正直このようなスピードと精度を要求されるタスクはこなせない。なので、FPSを楽しんでる人間を見ると、体育の授業で自分だけ上手くできなかったことを思い出してしまう。ジャンル問わず様々なフォロワーがAPEXとかいうFPSを楽しんでるの、普通に理解ができない。なんであんな高度なタスクがこなせるんだ。あれか、お前らは健常者ってやつか。
次にAPEXLegendsというタイトルについてである。このゲームを開発したEAはタイタンフォールというロボゲーを作っていると聞いている。俺はロボゲーが好きで、特にアーマードコアに関してはPS3で出来るタイトルだけだがそれなり以上にやりこんだと思っているし、未プレイの分際で軽率に闘争コピペを使うやつの家を燃やしたいと思っている。ただし対人戦に関してはそんなにやっていない。何よりハマるのが結構遅かったので、オンラインに残ってるのは酔狂な強者しかいない状態だった。そんな状況で対人戦に乗り込むなんざ嫌すぎる。対人戦もやってないのにAC好きを名乗るんかなどと宣うやつがいれば殺す。話がそれたが、そんなACシリーズは2013年から捨て置かれ、フロムはダクソだのブラボだのばかり作っている。そしてそういうやつのが売れてるらしい。これまで作っていたロボゲーが捨て置かれ、一般受けしそうな新タイトルが世間で持て囃され、捨て置かれたゲームは忘れ去られるという状況はタイタンフォールとACで似た者を感じる。俺はタイタンフォール2を馬鹿みたいに安くなってる時に買うだけ買って積んでおり、このゲームの内容についてはキャンペーンの評価が高いことあまり知らないが、世間からは「APEXに似てる」「タイタンいらなくね」などと言われてるらしい。大変腹が立つ。「○○はカゲプロのパクリ」とか言ってた連中と似たようなもんだろう。くたばって欲しい。もしタイタンフォールをプレイしてこのゲームに愛着があれば、恐らくもっと腹が立つのであろう。
また、最近のVtuber界隈がAPEX同好会と化してるのも要因の一つとしてある。自分が好きなライバーの配信があると思ったらAPEXだった時は落胆するし、新しくチャンネル登録する際にはアーカイブがAPEXだらけになってないか確認する。俺がAPEX嫌いという以前に、折角素敵な電子肉体を手に入れたのに、ひたすら流行りのFPSをやるだけってのはあまりにつまらなくないか。それが好きでそれを極めたいならいいが、それならもっと別の道もあっただろう。お前がそのガワ被ってやりたいことは他にないのか。
とこのように様々な観点からAPEXが嫌いという話をしていたが、初めに述べたように、単なる逆恨みでしかない。APEXユーザーにも、EAにも、Vtuberにも罪はない。それでも、自分が好きではないものが遍く楽しまれているインターネットが居心地が悪すぎる。義務教育の体育と違ってこれが出来ない、やらないからといって何か不利益を被らないだけまだ救いがあったし、こういった負の感情を投げる場があるだけありがたい話である。どうにかしてこの粘つく悪感情と向き合っていくしかないのだろう。
面白くも何ともない話だが、原作否定の多さに辟易する気持ちを吐き出したかった。
なるべく冷静に、客観的に、何なら評論のように書いたつもりだ。
サブカルチャーが発達してどれくらいの年数が経っただろう。
一番に脚光を浴びたのはやはり秋葉原かもしれない。オタク、メイド喫茶、コスプレ、これまで日陰にひっそり存在した物がメディアで大きく取り上げられ、日本のアニメや漫画文化は世界にまで広く知れ渡った。もはやサブカルの枠に留まらない娯楽とも言える。
今日私が主題にしたい同人、引いては二次創作に関しても同じだ。コミックマーケットなどは今やメジャーな催し物。夏コミ、冬コミ、詳しくない人でも単語は聞いたことがあるだろうし朧げながら様子も浮かぶはず。テレビで報道されるからだ。SNSで見る人もいるかもしれないし、ゆりかもめの混雑具合で知るかもしれない。
今、かつてサブカルと呼ばれた物たちはメジャーになりつつある。
胸に手を当てて考えてみてほしい。芸能人がアニメキャラや漫画キャラのコスプレ写真を上げるようになってはいないか。やたらとボーイズラブを題材にした作品が増えてはいないか。腐女子が主人公のドラマが普通に放映されていないか。どこでも手に入るコスプレ衣装、書店に我が物顔で並んだボーイズラブ本、有名俳優や人気アイドルが演じる男同士の絡み、一つくらいは心当たりがあるだろう。
したがって、これまで息を潜めていたカテゴリーが脚光を浴びる時代で、大手を振って楽しめる環境が整ったというわけだ。
私は何もそれらを否定したいわけではない。ボーイズラブ、いいじゃないか。腐女子、いいじゃないか。母数が増えれば増えるほど、良作に出会う確率も跳ね上がるのだし。
かく言う私も腐女子歴は長く、同人活動歴もそこそこの、いわゆるオタクである。ちなみに独身だ。
前置きが長くなったが、私が言いたいのは腐女子や同人作品の数が増えるにつれて蔑ろにされる物が見えてきた、ということである。タイトルに戻った。
ここで言う同人作品というのは、漫画やアニメなど原作ありきの作品に対する二次創作のみに限らせていただく。コミックマーケットなどで毎年スペースを獲得できるような大手同人サークル様やオリジナルで精力的に活動されている方々には何ら物申したいことはないのであしからず。
2007年、と聞いて同人関係で何があったか思い出せる人はいるだろうか。
今でこそ当たり前に存在し、二次創作と切っても切り離せないpixivがサービスを開始したのだ。初めこそ作品数は少なく、今のように漫画を上げる人は稀で一枚絵ばかりの謂わば地味なSNSだったが、2010年くらいからだろうか、個人サイトから移行する人が増えてpixiv隆盛期に入った。今なお衰えない勢いで、新しいサービスも続々と導入されており、私もずっとお世話になっているツールだ。投稿も閲覧も簡単で、二次創作には不可欠だろう。
私はpixivが作られる前から腐女子だった。個人でホームページを持ち、自分の絵や文章をひっそりと投稿していく時代だ。今でも古の腐女子として度々話題に上っているのを目にするかと思う。
若い子は知らないだろうが、一つお気に入りのホームページを見つけるだけでも苦労し、そこから△△受け同好会、愛され□□ランキングといった名前のリンクを辿って、自分の好みを探すといった困難さだ。当然、こうこうこういった地雷が含まれます、などといった注意書きはなく、リンクがカップリングじゃない場合も多かったので左右完全固定の方への配慮などもない。読み始めて無理だったらブラウザバック。これが個人サイトの鉄則である。タグ一つで好きな物が見られる今とは雲泥の差。
話が少し逸れたが、要は今これだけ楽に取捨選択できる環境に置かれているくせに、二次創作に携わる者の文句が多いということだ。慣れとはげに恐ろしきかなと感じるばかり。
時代が違うことは理解している。懐古厨、オバサンは黙っておけと言われたなら黙るしかないだろう。否、私はまだ世間的にオバサンと呼ばれる年齢ではないのだが、念のため具体的な数字は伏せておく。
地雷だなんだ、苦手だなんだ。それはまだ良い。二次創作界隈のクレームとしてはひよっこみたいなものだ。苦手はあって然るべき。必要以上に貶めなければ誰も何も言わないだろう。
私が最も言いたいのは、原作に対する二次創作視点からのクレームの多さ。
ようやく本題に入ったと思った人もいただろう。私も思いました。申し訳ない。
近頃サブカルがサブカルでなくなり、腐女子や同人などの秘めるべきものが大きく取り上げられ、比例して携わる人口も増えている。
だからだろうか、まるで二次創作が本筋だと言わんばかりの勢いで物を言うではないか。そこ退けそこ退け我が推しカプのお通りじゃい!と目を血走らせて叫びそうである。
ここは動物園かと見まごうほどの凄まじさだ。騒がしいことこの上ない。
二次創作は幻覚だ。妄想だ。だから何をやっても良い。当然だ。私もそうして活動してきた。原作にない部分だからこそ二次創作で補完したり、原作ではくっつかないと分かっているからこそカップリングにしてチュッチュさせたりして皆で楽しむわけである。同人誌の発行も萌えの共有。これいいよね、最高だよね、そんなふうに言い合えるときの尊さといったらない。
しかし、近頃はどうも原作ありきということを忘れているように思う。己の見たいものが原作で見られなかったからと言って、平気でアンチのような発言をするのはいかがなものか。
幻覚や妄想を形にするのは自由にやって良いのだ。それこそを楽しむための活動なのだから。
そうして逃げ道が与えられているというのに、何故いちいち文句を言う? 有り得ない、そんなことしない、解釈違い! 全員黙っとれ、である。
原作様にあやかって作品作りをしておいて、よくもまあ言えたものだ。解釈違いと言うのなら、二次創作を目にした原作者こそが言いたいものだろう。
そして、さらに問題なのは、SNSでそういった否定意見が広く拡散される傾向にあることだ。
二次創作はグレーゾーンだ。完全にアウトではないが皆目を瞑っているだけ。盛り上がるのは良いが、検索除けもせずに投稿すれば人目に触れる数は格段に上がる。
原作者様に駄目だと言われたなら、鶴の一声ですべて葬らねばならない危うい趣味なのだと忘れてはいないか? 己らが覇権を握っているのだと勘違いしていないか?
原作はこうだけどこっちのほうが良いと思うのなら、黙って作品に昇華すれば良いだけの話。皆それを待っている。共有したがっている。二次創作の本質とは本来そういうものだろう。
こういったことが頻繁に起きるので、公式様が何かを出す度にこちらはひやひやものだ。また荒れるのではないか。また否定意見に溢れるのではないか。また見たくないものを見なければいけないのではないか。
私はそこそこフォロワーの多い二次創作者だが、フォローはほとんどしていない。見たくないものを避けるためだ。それでも否定意見が氾濫し、流れてくるためにしょっちゅう目につく。推しカプは好きだが、界隈が嫌いでどうにかなりそうだ。
サブカルが市民権を得たこと、人口が増えたこと、容易に投稿閲覧できる便利ツールがあること、SNSの普及や情報社会、様々な要因があるのだろうな。
初めからネットが存在し、SNSの波に乗って生きてきた若者にとってはそれが普通のことだから仕方がないのかもしれない。
それにしても、心が弱すぎだと感じてしまう。同調しないとやっていけないのか。否定で盛り上がってからでないと作品作りができないのか。個人サイトに叩き上げられた歴戦の猛者を見てみろ。面構えが違う。
否定意見に対してさらなる反論をすると界隈が荒れてしまうのは言うまでもないことだ。推しカプのイメージは地の底に落ちる。
歴戦の猛者たちはその心得でぐっと口を噤んでいるだけで、何も思っていないわけではない。
けっして君たちが主流じゃない。原作否定が許されているわけでもない。もう少しだけで良いから視野を広く持ってくれ。
ここまで読んでくれてありがとう。
こんなふうに軽く書いているが、結構つらい。好きな界隈で活動が狭められることの苦しさ。原作が好きだと言ってはならない雰囲気。どう考えてもおかしいだろう。原作が好きだからこそ二次創作の世界に足を踏み入れたのではないのか。
今必死に唇を噛んで黙っている人がいるのなら、貴方は一人ではないよと勇気付けたい。
これを結びの言葉とする。
大手というかライバー大杉で、自分的に全くついていけないにじさんじでも、今年デビューのライバーなら追える。
そんなわけで、ここ数ヶ月注目してきたライバー5人組が世怜音女学院演劇同好会という子たち。
気がつけばデビューから4ヶ月経ち、それぞれやりたいことも見えてきて、地道に頑張っているように見える。
しかしながら、ファンの間ではだいぶ扱いというか評価が分かれてしまったらしい。
「行動力のある天然」という形容がぴったり来る、その名もチグちゃん。
5人の中で真っ先に登録者数10万を達成し、その意味ではファンも多いのだがそれ以上にアンチも増えたライバー。
いわゆる転生組らしい数字へのこだわりを見せつつ、KYで裏表がなさすぎる故の誤解が積み重なった結果、前述のこだわりも、ノリの良さも、全て悪意に取られ評価を落とす展開に。
すなわち
まあ、行動力のある天然って女らしさから最も遠いし、男でもウザがられる上に間違いなく女にモテないんだから、こうなるのはある意味必然なのかな。
そんなヒスピが、ギザ歯の多趣味有能枠でデビューしたのも過去の話。
確かに多趣味で色んなことに造詣があって並々ならぬ好奇心を持っているのだが、それ以上に一匹狼的な性格が反転アンチを増やしているというか。
男っぽい、いささか粗野にも見える硬い人当たりと、自称サバサバ系の地雷感が、これまた特に女性ファンからの嫌われ要素かも。
宝塚や四季を彷彿とさせる神がかった歌唱も、悪評の前には霞んでしまっている感がある。
セレ女の最強はお前だ。
声劇枠での上手さと熱心さはもちろん、雑談やスパチャ読みでも徹底したロールプレイはお見事。
だからリスナーは自分に合うか合わないかだけ気にしていればいいのだ。
明るくてよく笑い、気さくでノリの良い性格だけどお嬢様という、上品な陽キャとして、独特の清楚感を確立したコハック。
今やセレ女の中では一番の良心の塊と言われ、しかもそれが自分のことのように嬉しくなる奇跡。
残念ながら、好きの反対は嫌いじゃなく無関心というのを、現状体現してしまっているあーこ。
というのも
歌はかなり上手いものの、それだけだったらインスタかTikTokで顔出し歌動画上げてるほうが人気出たんじゃね?と思えてしまう。
11/22、22時頃追記:こんなにも少女歌劇レヴュースタァライトに真剣な記事なのにタイトルだけ表記ブレてました。ゆるして
この文章はアニヶ咲8話と少女歌劇レヴュースタァライト全編へのネタバレを含みます。
こういうのって鮮度が命ですよね。
こんばんは、皆さんアニヶ咲見てますか?毎週女と女が感情を絡め合っていて面白いですよね。先日放送された8話もその例に漏れず、中須かすみの出どころ不明の莫大な感情によって桜坂しずくが自己肯定への一歩を踏み出す、概ね私好みの話でした。今回のお話のメインキャラクターである桜坂しずくは演劇部にも籍をおいており、アニヶ咲8話では、「荒野の雨」という桜坂しずくが主演する舞台のワンシーンが、桜坂しずくの内的心理描写として各所に挿入され、現実のシーンと劇中劇が並行して進んでいく、という構成がなされていました。 つまりアニヶ咲8話は「スタァライト」だったということですね。終わり。
お待たせしました、それでは続いて、虹ヶ咲スクールアイドル同好会8話「しずく、モノクローム」についてお話していきます。
ここまでは本編視聴中にぼんやり考えていたことを言語化したに過ぎないのですが、なんと本編終了後にツイッターにてこの説を有力に支持する新たな根拠が見つかってしまいました。それがこちらです。
『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』
第8話、演劇部部長で
出演させて頂きました!
しずくちゃんの
笑顔が大好きです☺️☺️#lovelive #虹ヶ咲 https://t.co/xkvaVXdiKC
— 小山 百代(DVD発売中) (@koyamamomoyo) 2020年11月21日
https://twitter.com/koyamamomoyo/status/1330156445292224512
劇中劇が物語を示唆していてかつその劇のことを登場人物が知っているという構成、こういう解釈でもしないと劇中劇通りに話が進むことや劇中劇と同じ帰結に自らが辿り着くことになにか疑問や違和感を感じないのか……?という気持ちになりませんか?
・はじめに
スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。
クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語を客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。
自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます。題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想を否定する気は毛頭ありません。
あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。
後、誤字脱字も多いと思いますが許して。
・ 鍾嵐珠(ランジュ)について
19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。
最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女の役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会の自由を奪い、主人公を蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。
しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データも存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。
現在、彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。
同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである。彼女も個人的な感情で同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会のメンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなたや同窓会のメンバーと交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。
対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。
一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女はプロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。
だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める。
・果林の選択について
20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉に一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分の推しがシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会のメンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。
特に果林は同好会ノメンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロの技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。
元々、彼女は読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位を確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生から話しかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である。
そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲にスキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会のメンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。
彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやすい人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷な選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやすい彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。
・エマの怒りについて
果林がある種、大人の選択をしたこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさからは想像できない、怒気を孕んだ言葉で対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころはボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。
だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身のステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人のキャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいるものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性を否定するということである。自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。
20章はとにかく重たい話だった。残った同好会のメンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。
反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ、何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターがかすみであったことが大きい。
かすみというキャラは自身を全肯定している。それは「自分はかわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女がアピールするのはあくまで自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグのオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。
だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。
だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女はライブをやり遂げる。
そのかすみの姿に、しずくは可能性を見出す。演出も技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみのライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。
その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会のメンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。
果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要なポジションだと思う。
ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンにライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。
だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドル”なのだ。
残った同好会ノメンバーやプレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。
μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqoursは時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。
ならばニジガクは?
ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女の姿勢はスクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。
20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみのライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。
正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である。
何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかないかな……。
プログラミングは好きだった
大学のプログラミングの授業がくだらなくて単位落としたりもしたけど、2年留年したけど卒業した。
さすがに2年留年やべーと思って大学院行って、修士をとった。さらに勉強して博士をとった。
プログラミングは大好きだけど、研究は死ぬほどつまらなかった。
血尿でたり吐いたり食ったり体重の変動も10kg増えたり減ったりしたけど博士をとった。
研究したり、研究から逃亡したりしながら、副業で月30万は稼いでいた。
でも博士をとった。プログラミングと全く関係ない研究だったけど、データ解析のプログラムや、実験機の制御プログラムを書くのは好きだったけど、研究は死ぬほどつまらなかった。でも博士になろうと思った。
自分は、プログラムだけの知識だけで飯を食うことに、空虚な不安があったのだ。インターネットすげぇ プログラムすげぇ おれ無敵じゃんって イキってたんだけど、その不安を隠すために余計にイキってたのだと思う
このぽっかり空いた穴は、博士になることで少し小さくなったと感じることが出来た。
私はそこそこにアニメなイラストを描くオタクだが、中高ともにそういった部活(同好会)がなく、大学の漫研というものに憧れを抱いていた。
そしてようやく地元の大学に入学。目をつけていた漫研に脇目も振らず飛び込んだ。ここで趣味の合う人と楽しい日々を送るんだ! って
結果としてすぐ辞めた。漫研に夢を見すぎてたみたいだ。内輪なオタクグループという世間から隔絶された世界の住人になれるのは重度のオタクだけみたいで、特に絵が上手くもないのにイラストレーターになるとか言ってる4年生や、謎に絵を教えようとしてくる人などなど、とても私には合わない世界だった。
それでも慣れれば楽しいかもって思って、念の為兼サーをしつつ続けてみたけどダメでした。
てか、コミケで2〜3冊しか売れない部誌の原稿を書く行為の何が楽しいんだ...?ネットで誰でも作品を公開できる時代に漫研に寄稿するって楽しさを理解するのは難しかったよ。
結局夢に描いたような大学生活は夢でしかなく、今は何の変哲もない飲みサーで量産型大学生やってます☆ オタク活動は個人でやるのが1番でした!オチはないです