「仏壇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏壇とは

2021-04-03

あいタイプ仏壇ってなんていうの

実家仏壇がお店で売ってるような置くタイプ?じゃなくて壁がそのまま仏壇みたいなタイプだったんだけど名前がわからない

壁がくぼんでて中に位牌とか置けて、下に引き出しがついてるやつ

「壁 仏壇」で調べても出てこないし、正式名称知ってたら教えてちょ

2021-03-20

anond:20210320000452

親はすごいけど自分はすごくない、そんなもんじゃない?

 

言い訳はいくらでも出てくるしな。

親の時代の稼ぎ方とか言っても、なんだかんだ不況はあったし

現状でも副業だとか小銭稼ぎだとかはしやすくなったけど、なんだかんだ良心咎めるし

 

結局、今が自分ベストと思ってないから見えない闇の中に道を見ようとしちゃうわけで。

今が自分ベストと思ってしまえば、不必要に闇に足を踏み入れなくても済む。

親の標準が増田の標準ではないし、増田の標準も親の標準ではない。

 

から増田が今持ってるもので向かい合うしかないんだよ。これからもな。

親の凄さを感じたなら仏壇でも墓でも行って拝んでくればいいじゃない。

だけど増田はここからが凄いんだから増田は親が進めなかった未来増田の足で生きてるんだから

から今までの増田を作ってきたもの感謝をして、今をしっかりと生きるのよ。

 

シャキッとしなさいよ。

 

2021-03-14

仏壇の下にNintendo64液体窒素で当時のまま冷凍保存されている。

2021-02-26

「あたたかくなってきたので人が死ぬ話をしよう」

記憶が完全に薄れてしまう前に、弟の誕生日なので、時効と嘯いて、書き留めます

その日は、自動車教習の実技最終試験の日でした。

から教習所に向かい、どうにか車を運転し終え、「まあ多分受かっただろ」と思いながら確認したスマホには、親からの「家の鍵持ってる?」「なかったら裏の鍵開いてるから」「昼適当に食べて」といったようなLINEが届いていた記憶があります

「何かあったのかな」と思いつつも、家の鍵は持っていたのでそう返しておきました。

ちなみに実技試験ちゃん合格していました。

合格をその日のうちに伝えられたかはよく覚えていませんが、とにかく昼頃には終わっていたため、家に帰りました。家には誰もおらず、親に電話をすることにしました。

「■■(弟)、死んじゃった」

涙声で伝えられたその情報に、まず出たのは驚きでした。現実において

「え??????????本当????????マジで????????????????????」

ぐらいの勢いで叫んだのは、後にも先にもここぐらいでしょう、というような混乱でした。

弟は、私が寮にいる間に、突然家出をし、自殺未遂をし、保護されたあと病院施設に入り、メンタルケアを受け、進学も家から遠く離れた施設から通える高校に行って、また自殺未遂をしたりしていました。その間弟は、家族を完全にシャットアウトしており、1年半の間誰も会えていませんでした。

自殺未遂をしていたこから、それが成功したんだな、ということは簡単に察することができるはずなのですが、私は「次会ったとき『よう……5年ぶりだな……』って一言目に言お」などと考えていたぐらいには弟の死への願望を非現実的に捉えており、まさか本当に成功させるとは思ってもいませんでした。

なので、正直なところ「マジかよあの野郎ッ やりやがった」ぐらいの気持ちで報告を聞いていました。

親は「帰りはいつになるかわからない」というので、まあそれはそうと思いつつ、電話を切り、家に常備してあるパスタを食べました。パスタはいつも通り美味しかったので、美味しいなぁ、と思いました。

薄情な兄だと思われるでしょうが、1年半前以前から私はほとんど寮におり、弟と会うのは帰省した時の食卓ぐらいでした。弟は部活をしており、土日も練習するため学校に出ていたからです。そのため、「昔よく遊んだが、最近会っていなかった遠い親戚が死んだらしい」程度の質感でした。薄情ですね。

お昼を食べたあとは、前からたかった時をかける少女アニメを見ました。正直なところ特に面白くもなく、内容が記憶にありません。ただし、流石に内心ではそれなりにショックを受けておりまともに見られていなかった可能性もあるかと、内容を調べてみました。しかし、やはりつまらなそうでした。

(今回はつまらなかったわけですが)、美味しいご飯を食べることも、面白作品を摂ることも、生きている人間特権です。

実は死んでもそれらはできるのかもしれませんが、本筋から逸れてしまうのでやめます。ただし、死ぬことで人間活動に付随する空間の縛りがなくなるなら、死んだ方が楽しそうですね。

ともかく、それができなくなるのはもったいない選択だなぁ、と思いながら親の帰りを待っていました。

ゆっくり人生をしていけば違った世界を見られたかもしれないのに、その可能性を排除して不可逆の選択を選んだのは、私には理解できないことでした。得られたかもしれない幸せ放棄しているから。

ただまぁ、私はまだ人生幸せを感じる余地はあると思っているから、なんとなく幸せになれそうな方向を探して生きています。全力で死ぬよりなんとなく生きる方が簡単なので。

から、全力で死ぬ決断を下せた弟は、ある意味ですごいなぁとも思っています

から知ったことですが、弟の財布に入っていたレシートには死ぬ前日のものがあり、そこではたくさんのお菓子が買われていました。弟にとっては、それが世界で一番幸せな時に近づくための手段だったのかもしれません。最期の晩餐がそれであることを私は可哀想とは思いません。もったいないと思います

親が帰って来たのは17時半とかで、まあまあ早かったなと思いました。記憶は朧げですが、遺体は布団に包まれていた気がします。それを車から下ろすときに足を持ったのですが、まだ温かく、しか感触は確かに〝終わっていた〟ので「肉の塊だな」と思いました。死体に触るのはもちろん初めてでした。

仏壇のある部屋に遺体を置き、改めてそれを見ると、首には縄か何かで頸った跡がくっきりと残っており、顎の辺りまでが紫色に染まっていました。服装私服だったか既に死装束だったかいまいち覚えていません。私がファッションに興味がないからでしょう。ましてや死んでから洒落しても何もないです。

親は泣いてるし、同居している祖母ももちろん泣いていました。私は涙も出てこないし、なんなら別に悲しくもなく、「へー死んだんだ」ぐらいの兄としては最悪な所感を以てその場にいました。流石に酷すぎるだろ、とも思いますが、勝手に死んだ弟如きのために感情を曲げて自分に嘘をつくのは嫌でした。

整理してて思ったんですが、マジで弟のことほんとになんとも思ってないですね。ぶっちゃけ弟のことはあんまりきじゃなかったです。ポケモンカードの強カード全部捨てられたり、買った本勝手に読まれしかも折り目つけて返されたり、DSソフト勝手にやられたり、いろいろありました。悪い思い出が。

ただ、一度距離感をとって、年をとって、互いに価値観確立して、その上でゆっくり話せば、あのときの最悪な話も思い出話になると漠然と思っていました。私は、自殺未遂も含めた弟の哲学について知りたかったし、弟が何を考えていたのか知りたかった。

それももったいないな、と思います

遺書はなく、スマホデータは消されており、わずかにカウンセラーさんと弟の友達から漏れでる情報によると、「自分に生きている価値はない」「消えるしかない」などと考えていたらしいです。

それはつまらない考え方だ、と私は思うのですが、それに至るまでの積もる話も、私は何も知りません。

独りで考えて、独りで完結して、そんな生き方自分もするのでしょうがさらに独りで死を実行して独りで死ぬのは、流石にどこかネジが外れていたような感じはしています。私が寮にいる間に、いろいろとあったようです。実は私のことも恨んでいるのかもしれません。私には私のことしかわかりません。

弟は朝を食べたあと、9時ぐらいに首を吊り、そのまま1時間ぐらい発見されなかったようです。春休みだったので無理もないですね、見つけた施設の人はさぞ驚いたと思います事故物件作りやがって……と私は思いました。

しかもどうやら発見時は舌が口から出ていたらしく、なかなかグロみがあったそう。

私が教官監視されながら車を走らせているときに、弟の生命活動が終わっていたのは、後から知るとちょっと面白いなと思いました。何が面白いのかは自分にも説明できませんが、「世界のどこかで人が死んでいる」という実感なのかもしれません。解像度が高くなって、知らない感覚を知れたという。

もう記憶があまりないです。呆然としすぎての方ではなく、興味がない方の記憶の無さだと思います。親の親戚も来て、もう片方の祖父祖母も来て、皆泣いていて、自分は二階でいつも通りインターネットをしていました。それこそが私の正しさでした。

葬儀家族葬で、これは本当に何も覚えていません。

あっという間に出棺の日が来たらしいです。棺には、一つの他愛もないメッセージを書いた紙を入れました。「また会おうぜ」、みたいなやつです。

火葬場に向かう川沿いの道に、満開の桜が並木となって咲き誇っていました。親がずっと覚えておこうと言いました。私もあれは確かに綺麗だと思いました。

いよいよ焼くときになって、最後に何か、というタイミングで、親が膝から崩れ落ちすがり付いて哭いているのを見て、弟に「何やってんだよ」という気持ちが沸きました。

結局私は今まで泣けていません。これからもないかもしれません。

ともかく、人が一人死んだ、そういうお話でした。

2021-02-17

anond:20210217160635

先祖伝来のお仏壇

遺品でくださいっていったら

おぅ新しいのやるって、遺産で買ってくれた。いらないでかい

ようやく捨てられる

2021-02-14

anond:20210214193222

こどものために、仏壇作るなら

ちっせーのにすりゃいいのによ

でかくてずっと邪魔だった

これがなければ

いくら溜まったんだろう

ランク小さい部屋でよかったからな

やっと捨てる理由ができた

2021-02-12

森 喜朗に寄り添ってみる

以下はWikipediaコピペが大半である

森の年表

1937年生まれる。

小学1年生の1944年に、母が亡くなる。

小学2年生の1945年に、第二次世界大戦終結する。

中学1年生の1950年に、北朝鮮韓国朝鮮戦争を起こす。

高校1年生の1953年に、冷蔵庫洗濯機トースターなどがようやく登場する。

高校2年生の1954年に、ゴジラ映画一作目が上映される。

21歳の1958年に、東京タワーが完成する。

27歳の1964年に、東京オリンピックが開催される。

32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙立候補する。

以下はWikipediaから引用である

選挙直前一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。

らしい。時代である

40歳1977年に、内閣官房副長官就任する。

46歳の1983年に、文部大臣となる。

51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。

57歳の1994年に、日本標準的な定年が60歳となる。

58歳の1995年に、テレホーダイが始まる。

61歳の1998年に、Windows98誕生する。

63歳の2000年に、当時の小渕首相脳梗塞で倒れる。その3日後に第一森内閣発足。日本国の長となる。

以下は、Wikipediaから引用である

前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという

64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。

2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。

69歳の2006年に、Twitter誕生する。

73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。

75歳の2012年に、議員引退する。

76歳の2013年に、アルゼンチンブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。

77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長就任する。

82歳の2019年に、#KuTooが誕生する。

84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。

寄り添ってみる

森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である

森が小学2年生のとき第二次世界大戦終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。

そのような教育を通して、森は育ったのだ。

日本インターネット誕生し、私達がWindows98テレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。

森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来性格とみるか?育った時代教育環境も影響しているはずだろう。

私達の感覚では、「時代に合わせて感覚アップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。

特別に森がというより、一般論としての森の世代であるTwitter誕生たころには70手前の世代である

自分母親父親職場上司に「感覚アップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代人間である学生時代戦後経験した世代である

PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代人間は、感覚アップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚アップデートすればいいのかわからないのではないのか。

この世代人達は恐れているのではないか自分の古くさった感覚アップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか

哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である

森内閣時代、私は中学生であった。胡散臭い爺という印象であった。私と同世代で森が好きなやつは少ないのではないか

しかしこうして年表を並べてみたら、お疲れ様でしたとしか言いようがない。

2021-02-11

プロポーズみたいなことをしていた

お前が死んだらうちの仏壇に迎えると伝えた。

相手は友人なんだけど、一応異性。

自然と出てきた言葉だったが、深読みしたらプロポーズみたいで笑える。

ちゃんと突っ込まれた。

でも仏壇にお迎えしたいのは本当。

2021-02-05

anond:20210204170458

近隣の家が火事になった時、森元はその家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来た

北陸仏教信仰が厚かったので、地元ヒーローになり初当選を果たした

2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

2021-01-18

初恋相手を失った震災さよならという言葉

はてな匿名ダイアリーというもの存在自体は割と昔から知っていたが、

時たま読むことはあれど書き手としては縁がないものだと思っていた。

ふと急に、今日一日考え事をしていてどうしてもどこかに書いておきたくなった。誰かに話したいのかも知れない。

文章を書くことは苦手で、ここ特有ルール(そんなものがあるのかすら知らないけど)もわからないので、

色々と不備があるかも知れないけれど、おぼろげな記憶をたどりながら思いのままに書いてみようと思う。

30年前、私は子供だった。

近所に1つ下の幼馴染が住んでいて、その家には正月や盆など毎年数回ずつ兵庫から九州へ親戚が里帰りに来ていた。

母親とその子どもたち3人。長男(以下、A太)と妹2人(B子、C美)という構成だ。

シングルマザーだったのかな。幼かったのでそこの記憶がない。

A太は私よりいくつか年上で、B子は1つ下、C美はさらに2つ下だったと思う。

歳が近いこともあり、こちらへ帰省してくる度によく一緒に遊んでいて、幼馴染も含めて全員とても仲がよかった。

こちらにいる間、その3人は知り合いが私たちしかいないのもあってとにかく同じ時間をともに過ごした。

鬼ごっこをしたり、缶蹴りやドロケイをしたり、おしゃべりをしたり、

とにかく何をしても楽しくて今思い返してみても幸せ時間だった。

数年間、そうやって過ごしていくうちにB子を好きになっていった。

しかしたら年に数回しか会えない環境がそうさせたのかも知れない。

愛だ恋だなんてわかる歳ではなかったが、今振り返ればあれが私の初恋だった。

26年前の正月、いつものように帰省してきた3人と遊んでいるうちに、原因は思い出せないがA太と喧嘩になった。

喧嘩と言っても「お前の母ちゃんでべそ」的な稚拙な言い合いだったが、

A太の味方をしはじめたB子とC美にも矛先を向けた。

よく一緒に遊んでいた公園での出来事だった。

初めは稚拙な言い合いだった喧嘩が段々とエスカレート言葉も荒くなっていった。

何を言ったのかほとんど覚えていないが、別れ際に吐き捨てるように

「○ねばいい」「お前ら○んだらみんな地獄行き」と言ったのだけははっきりと覚えている。

その後会うこともなく数日後、B子たちは兵庫へ帰っていった。

1995年1月17日、その日は私の親類の葬儀で前の日から福岡にいた。

こちらだけの風習なのか知らないけれど、私の親を含む大人たちは交替でロウソクの番をしていたり朝食の準備をしていたらしい。

私はぐっすりと眠っていたが、その大人たちの声で目が覚めた。

ぼんやりしか覚えていないが「揺れた」というワードが聞こえたことは覚えている。そのまままたすぐ眠りに落ちたけれど。

朝になってテレビを見て映し出される光景愕然とした。B子たちが住む街だった。

あの当時、今となっては考えられないことだけど死亡者名前の羅列がテレビで流されていた。

それももしかしたら記憶いかも知れない。(あるいは新聞?誰かによって何らかの方法でもたらされた情報?わからない)

だけどその羅列の中にB子たち3人とその母親名前を見つけて震えた記憶がある。どうやら祖母の名もあったらしいが私は知らない。

要するに世帯全員だめだったということだ。

当時死というものへの認識は既に持っていたが、その時は混乱していたのかうまく理解ができなかった。

何もわからずただただとんでもないことが起きたことだけは、自分の体が震えたことで理解できた。

痛かっただろうな、怖かっただろうな、苦しかっただろうな。まず浮かんできたのはそういうものだった。

「大切な人をなくした」とか「愛するあの子をうしなった」とかそういう感情ではなかったが、

ただもう会えないことと最後に言ったあの言葉けが月日を追うごとに重くなっていった。

最後に会ったとき最後に言った言葉、やり直せない時間に悔いても悔やみきれない。

子供ながらに言ったこととは言え、なんてひどいことを言ったのだろうと。

あんなに仲良く遊んでいたのに、どうしてよりによってあれが最後なのだと怒りすら沸いた。

あの震災で起きた出来事で、トラウマというほどでもないが、人との別れ際がすごく怖くなった。

大切な人ならなおさら、そうでない人相手にも「さよなら」という言葉がどうしても言えない。

どれだけ喧嘩しても必ず別れ際には仲直りをしたい。仲直りができないままには電話も切ることができない。

さよなら」という言葉の代わりに必ず「またね」というようになった。

私が高校生ぐらいになった頃から毎年1月17日に、よく一緒に遊んだあの公園へに花をそえに行っている。

本当はお墓に行くべきなのだけれど、さすがに兵庫まで行くわけにもいかないのと、行ったところであてもないので場所がわからない。

その場所に老人向けのグループホームが立ってからも、施設の人に事情説明してお参りを続けていた。

日流れて数年前の1月、私が生まれる前から散り散りになっていたという私の父のいとこが興信所やら何やらの調査を経て愛知から訪ねてきた。

数十年ぶりの再会とのことだ。長い長い思い出話の後にお墓参りがしたいということで、近くのお寺の納骨堂へ一緒に行くことになった。

納骨堂へ着いて一通りお参りしたあと、何気なしに周りの仏壇に目をやって驚いた。

目の前の仏壇B子たちの名前戒名が書かれた札が下がっていたのだ。

法事が近くなった頃に「もうすぐ法事ですよ」ということでお札を貼られるお寺だった)

その納骨堂へは毎年お盆しか来ていなかったからそれまでの約20年間気づけなかった。(ご先祖さまごめんなさい)

たまたま父のいとこが私たちを探そうとしてくれたから。

たまたま調査がうまくいって私たちを見つけ出してくれたから。

それがたまたま1月だったから。

色んなことが重なり合わさって知ることができた事実だった。

まさか私の先祖と同じフロアに眠っているとは考えつきもしなかった。

こんなに近くにいたとは。毎年目の前を素通りしていたなんて。

それからは毎年1月にその納骨堂へお参りに行っている。(もちろんご先祖さまにも手を合わせている)

今日も花を添えてきた。お参りが済んだ別れ際に言うのはもちろん「またね」

まさかこうやって会うことができるようになるなんて、と今でも不思議に思うし、直接祈りを捧げられることに

誰へかはわからないが、何へかはわからないが、色んなことにとても感謝している。

人との別れ際、トラウマとしてじゃなく、これからもやっぱり大事にしていきたいと思う。

おわり。

長くなってごめんなさい。改行やら体裁の整え方もわからずごめんなさい。

そしてやっぱりどうしても冷静に書けず支離滅裂になってしまう。ごめんなさい。

2021-01-03

遺産相続とき

おじいちゃんがつかってた仏壇っていったら

新しいの買ってくれた

まり なんにも相続できなかった

 

そのひとたちにとっては

値段だけが問題で、実際に使っていたかどうかは 問題じゃないんだろう

だれかがもっていったのならいいけど

売り飛ばしたのかもしれない

2020-12-19

マカロンについて書こうと思う。

マカロンという菓子について書こうと思う。

クソみたいな長文で腐女子お気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレー比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。

マカロン名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。

マカロンプリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店マカロンも食べたが、やはりその認識である

マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である

私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。

さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。

噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタ表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。

そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロン存在していた。

私はすっかり、マカロンが好きになっていた。

あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロン土産にするようにとお願いしたりした。

他にもそんなマカロン存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。

そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。

そして別次元マカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。

それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。

もう二度と、あのマカロンが食べられない。

私は絶望感でいっぱいになった。しか大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。

おぼろげに面影のあるシャトレーゼマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。

……そして、再会は突然にもやってきた。

一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身であるたまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキであることに気がついた。

皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。

なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。

マカロン

ああ、マカロン

ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。

あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。

チョコレートピスタチオフランボワーズ

それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。

皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。

ひとかじり、口にする。

マカロン

マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元マカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。

例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。

マカロン基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。

2020-12-04

さなろうそくが欲しい[追記しました]

反応いただけたので、追記します。ありがとうございます。本文と齟齬がある場合は、こっちが正です。

一番のターゲットは死後の名声を欲しがるような人たちです。「今は批判だらけでも、俺の名前歴史に残る」みたいに思ってる人。

そういう人たちに「適当なことを言うとアレに載せられる」という感覚を持ってもらうのが一番の目的であって、

将来「こいつ過去にこんなことしてたんやで」って自分がニヤニヤするためのものではありません。

  

以下、いただいたコメントへのレスポンスです。ニュアンス近いのはまとめちゃってます。ごめん。

Q:事実認定をだれがするんだ。デマをどうやって防ぐのか。火のないところに煙がたつ。

 A:テレビで本人が言った、統計数字が出ている、裁判で結果が出た、現物がある、等でも十分。疑惑だけなら入れません。

Q:編集合戦になるだろ。一人でやったほうがいいよ。

 A:Wikiと書いてしまってごめんなさい。追記要員はごくごく限定で良いと思うのです。判定基準結構シンプルだし。

Q:削除要請されるよ。訂正追記だけではだめ。履歴すら残せないようにしないと。事実でもあかんのやで。

 A:法的に正しければ対応せざるを得ませんね。なので、その人が死んだ後に復活させるかもしれないという風にしましょうか。

   ほかにも、コピーサイトを大量に作って(ミラーサイトではない)そっちは別とするとかどうでしょう

Q:訴えられるよ。

 A:将来的に海外在住の人にお願いするとかではどうでしょうね。追記なんて誰でもできることだし。

Q:名前候補うんこ.jp増田てる、悪行pedia、実名サーチ、ロー速、閻魔.com

 A:ありがとうございます。いわれてみれば閻魔帳のイメージですね。老人にもわかりやすくていいかも。

Q:仏壇用のろうそくなら小さいよ。ダイソーにあるよ。

 A:ありがとうございます。早速買いに行きます元ネタベニスの商人からですが、あまり深く考えずにタイトルにしてます

  

追記ここまで~

  

はてなーの皆様には言うまでもないが、最近政治家は図々しい。たまに政治家以外も図々しい。

何かあっても強弁してやり過ごせばいいと思っているのだろうし、実際にそれでどうにかなってしまっている事が多い。

これはまずい。思想がどうこうより、もっとずっと根本的な所でおかしい。

そういう人達への、民主的抵抗手段の一つを考えてみたんだけど、現実的かどうかわからないので意見が欲しい。

長くて冗長かもだけど、まじめに考えてるから許して。太字だけ読めば大体おkです。

  

簡単に言えば、ろくでもないニュースだけ集めたWikiを作る。良いことや業績は載せない。

それを数十年単位運営していけるよう、ゆるーく体制を作り、それなりにSEO対策をし続ける。

すると、〇〇太郎検索すると、その名前に紐づけられた悪事がぞろぞろと表示されるサイトが出てくることになる。

時間が経てば経つほど悪事が忘れ去られるのではなく、汚名けが目立っていく可能性を当事者が知れば、圧力として成り立つのではないかと思うだがどうか。

賛成が多ければそのうち作るつもり(出来るとは言っていない)だけど、そんなの俺がやったらあ!って人が居たらどうぞどうぞ

  

以下、仕様?について書いてみた。

異論反論はいっぱいあると思う。

  

サイト名:[募集中] ヨイナマエ タノム

概要:人や会社に関するニュース等を収集し、当人や団体に紐づけるWikiサイト。ただし・悪いニュースのみ載せる・個人意見は載せない。

   解説必要場合記事へのリンク。・悪いねボタン付ける。・コメント欄...は作っていいんだろうか。

目的:上に書いた通り。その他、悪習因習等をやめさせる圧力として。

目標10年後20年後に、その人の名前検索するとTOPに出るサイト企業名は無理だよね...)

掲載対象の人:他人人生コントロールできる立場にいる、日本国内の人や団

   (例)政治家政党上級公務員企業重役、テレビ局、新聞社警察ライター文化人芸能人学校教育委員会宗教団体など。

掲載対象外の人:上記対象に入ってない一般人犯罪者も含む)、日本国外での事象

掲載対象事象一般的マスコミ会社により報道されたことのうち、ろくでもないことほぼ全て(エビデンスのあるもののみ)。その他の掲載ルール合致した場合

掲載対象外の事象:不慮の事故不可抗力不利益を被った人がいない事件私生活関連、推測によるもの個人によるリーク。

ライセンスWikipediaと同じ感じで。(コピーサイト大歓迎)

  

~太字ここまで~

  

その他、掲載対象にしたいもの

法律には触れてないけど系:偏向報道科学的根拠のない製品や薬、画像による謝罪文、謝ってない謝罪文、人の弱みに付け込んだ商売、糞みたいな企業文化 など。

未だに〇〇している系:セクハラパワハラ容認ウナギセールをしてる大型店、ブラック校則記者クラブ、無記名報道水素水売ってる、元記事へのリンクや参照資料記載が無い記事手書き強要転売屋巣窟サービス など。

例外的に業績を載せる系:長年続く悪習因習を既定し、それを表立って真っ先に止めた場合掲載ウナギ売らない宣言とか、報道をすべて完全記名式にするとか。

  

脳内FAQ

Q:お前性格悪いな。

 A:その通りなんですが、掲載されるような人は、もっと悪いと思うんです。

Q:誰が更新するんだよ。

 A:対象範囲が狭ければ自分だけでも余裕す。見出しリンク概要を週一で追加します。賛同者が居てくれるならそれはそれで。

Q:サヨクWikiですか。

 A:犯罪や嘘つきや厚顔無恥は、右左の思想とか関係ないでしょ。

Q:観点によっては良し悪しが逆転するニュースもあるよね。

 A:事実しか載せないので、グレーゾーンは読む人次第でいいと思います

Q:編集合戦にならんかね。

 A:ニュースの内容を転載するだけなんだから基本的に追加しかできないようにしてもいいと思うんだけど、どうでしょ。

Q:消せないの?誤報とかどうするの。

 A:誤報も消さず、目立つ訂正を追記する形で。(エビデンスつけてね)

Q:ソース東スポとか赤旗でもいいの?

 A:内容が事実かどうかで決めましょう。関係者筋の話とかそういうのは全無視

Q:役所とかの不祥事は出してもあまり意味なくない?

 A:上司がまともならこんな事起きない!という場合なら、お偉いさんは晒されてもしょうがない。いじめが無かったと言い張る教育委員会会長とかも。

Q:誰が悪いと言えないこともあるよね

 A:一応「変える力を持っているのにしない奴」も対象にしたい。報道の自由度ランキングが低い→マスコミ各社の社長や、そのとき政権とか。

Q:死んだ人や消えた人も対象

 A:対象にした方が、現役の人への抑止力となるんじゃないかな?

Q:なんで一般犯罪者対象外?

 A:そういう人は元々名声も何もないので、あんまり抑止力にならないだろうし、更生しづらくなるのもどうかと。

Q:訴えられないか

 A:報道済みの周知の事実しか載せないんだけど、駄目ですか? 誰か教えて。

Q:刺されるぞ。

 A:自分死ぬと増えるようにしておきます

Q:その他の掲載対象はてなー的すぎるだろ。

 A:しゃあないやん。

Q:チラ裏なの?妄想なの?さっさと作れば?

 A:そもそもこんなのに賛同者がどれくらいいるかからない程度に、自分感覚に自信がない。致命的欠陥があるかもしれないし。

    「賛同者が多いけど誰も作らない」なら、金貯めて時間を作って自分でやるつもり(さっくり作れるスキルはない)。

   でもこういうのって作ったあとが勝負どこよね。

  

質問意見ツッコミサイト候補、こんなの載せたい...等々、なんでもどうぞ。

出来るだけレスポンスします。でも時間はかかるかも。

2020-11-05

トイレファブリーズリビングにぶちまけた話

トイレファブリーズというのがある。

楕円形の置型で後ろからボタンを押し切れ目を入れると濃厚な液体が厚いろ紙のようなものに徐々に染み渡りトイレ消臭を担う。

我が家でも愛用しており、1ヶ月半~2ヶ月月ごとに取り替える。

「お母さん、ファブリーズ替えとくよ」

小学生の息子はこの後ろのボタンを押すのが好きでよく気づいて取り替えてくれる。

残りが少なくなっても完全に液体がなくなることはなく、効果ほとんどなくても少しフレームの中に液体が残る仕様だ。

「ねえお母さん、この枠とってみていい?」

「んっ?」

いつもこのままポイとしていたが、確かにこれを開けた事はない。

普段なら絶対止めとけ!という所だが、その時は「そういえばこういうのもプラと紙に分別するのかな?」などと疑問が湧いたこともあり息子の行動を見守った。

少し力を入れるとプラスチックの枠はパカッと空き、中には厚いろ紙のようなもので強力に粘着されたパックが出てきた。

へぇ、取り出すとまだ結構匂いがするねぇ」

そのまま息子を見送り台所に向かった。

それから3~4分後だろうか。

我が家リビングが強烈なトイレファブリーズ臭に包まれた。

「な!!??」

まりの事にキョロキョロしてしまう私。

あはは、お母さんこれめっちゃトイレのにおいする」

そこにはさっきのパックにカッターナイフを突き立て、わずかに残った濃厚な液体が手からリビングの床に滴り落ちる小学生男子の姿があった。

私はとにかく冷静になるよう努めた。

うん、仕方がない。

私のせい。私のせい。

小学生男子に「トイレファブリーズ分解していいよ」と半ば許可を与えてしまった私のせい。

とりあえず愚息には即刻風呂シャワーを浴びるよう命じ、リビングブツ処分にかかる。

いや、これ本当に凄いのよ。

トイレファブリーズマジですごい。

「ほんとうにこれもう効果切れてたの?」

ってレベルで超濃厚なトイレファブリーズ臭いが鼻にダイレクトインするの。

しかたらこれもう一回開ければさらにもう1~2ヶ月トイレファブリーズとして使えるんじゃね?ってレベルで。

分解された枠、解体されたパック、そして滴り落ちた濃厚な液体。

とりあえずこれらをコンビニ袋へブチ込みベランダ隔離(今考えるとこの時手袋しなかったのは悪手中の悪手だった)。

お隣さんごめんなさい。

すべてのトイレファブリーズ臭の源であるリビングの床に滴り落ちた濃厚な液体とその床の始末にかかる。

パッケージに書かれた「床や家具匂いうつします。万が一、肌についたら水でよく流してください。」というメッセージを愚直に信じ徹底的な水拭きを行う。

もう全然ダメ

弱まるどころがどんどん強化されていくトイレファブリーズ臭。

CM千鳥ノブさんが仰ってる通り「ファブリーズの成分がトイレの壁や床に染み渡り臭いキャッチするんです!」ってアレ。

やめろ!やめてくれ!

ここはトイレじゃない!

ここは我が家リビングなんだ!!

ファブリーズの成分よ待ってくれ!

守備位置につくのはやめてくれ!!!!!

このままではリビング家具はおろか、仏壇先祖の位牌までもがファブリーズの成分で「よし!臭いバッチコイよ~!」状態になってしまう。

そこで焦った私に一筋の光が指した。

クエン酸!!」

そう。

我が家ではポットや加湿器の清掃用にクエン酸を常備してあるのだ。

これならもしかして・・・と思いぬるま湯で溶かして新しい雑巾でこすると・・・・・・・・・グーーーーーーーッド!!!

完全には消えないが、何をやってもトイレファブリーズ臭に負け続けていた各種成分がクエン酸匂いでやっと抑えられた感じ。

クエン酸リビングを徹底的に拭き掃除し、すべての部屋を網戸にして換気扇全開!

「お母さん、シャワー浴びてもめっちゃ臭い!」

愚息には再度洗い直しを命じ、その後私もシャワー避難

本当に匂い全然消えない。

頭も体も3回位、ゴシゴシと洗ってやっと消えてきたかなぁ~?位。

それから2~3日はふと気づくと息子や自分の手足やリビング家具から「あれ!?まだトイレファブリーズ臭する!」の繰り返し。。。

本当に地獄でした。

全国の小学生男子のお母さま!

私の愚息のようにイケない好奇心に負けないようしっかりお子様を監視してください!

あの日帰宅匂いに関しては特に何も言わなかった夫が夕飯の焼き魚を食べながらボソッと発した「・・・・・・なんかトイレ臭いするな」が頭から離れない私より。

2020-11-02

家族を殺しかたことがある

祖母が憎くて、殺意を持って背を押したことがある。


うちの祖母はおそらく発達障害で、むかしか言動おかしかった。

そのせいで両親が喧嘩して、たびたび家庭の雰囲気が悪くなるのを苦々しく思っていた。

また、私が母の肩を持つので、こいつも敵とみなされて他の孫と明確に扱いに差をつけられたし、近所にあることないこと噂を流されたりもした。

大学生になった頃、体を壊して自宅療養するために実家に戻っていた。

祖母は80歳になろうかと言う頃で、日に日に言動おかしさは増していた。近所にも「うちの孫は精神の病だから社会復帰のためどうかお宅で働かせて貰えないか」と頼み込んだり(ただの消化器障害である)家でも社会復帰を、と諭されたり日に日にストレスが溜まっていった。

とある日、母と祖母が大喧嘩した。私の噂を近所に吹聴していたのがバレたのだ。こっぴどく叱られた祖母は、祖父仏壇に向かってカナ切り声を上げながら「助けてください!」と泣きわめいていた。

その横で怒鳴る母、呆然として胃液がせり上がる私。もう地獄絵図のようだった。

父が帰ってから状況はさら悪化して、もはや自分のせいじゃないかとまで思い込んで、嘔吐した。

翌日、祖母が2階への階段を上がってくる音が聞こえた。2階は両親と私の居住スペースかつ、過去押し入れを漁った前科のため祖母は上がることをキツく禁止されていた。

私を何度も呼ぶ声。「いないのか!おい!」絶対用事などない。私を呼ぶことを理由に2階を漁りにきたのだ。


祖母がいなかったら、きっと我が家はあまり怒鳴り声は聞こえなかっただろうし、私の療養ももう少しスムーズだった。毎日食卓も諍いが必ず起きて心地のいいものとは言え無くなっている。

このくそババアのせいで、腐れババアのせいで。

私は階段へ向かい祖母を怒鳴って追い返した。

まりの私のヒステリックな態度に、さすがの祖母も踵を返した。

そのすぐあと、私は明確な殺意を持って祖母背中を押した。死ね、とはっきり思った。

残念なことに祖母は手すりを持っていたのですぐ尻もちをつき、2段落ちただけで済んでしまった。

怪我しりの青あざだけ。

老人だったので、足元を滑らせたのだと私は言い張った。祖母もそう思い込んでいた。

結局また禁止されていた2階へ侵入しかけたうえ、階段を滑ってあわや大怪我するところだった祖母は、今度こそ2階へは行かないと誓約書を書かされた。


それから10年。祖母はまだ生きている。

いまだに祖母の顔を見ると明確な殺意が沸き起こってくる。もう少し痴呆が進んだら、本当に殺してやろうと思っている。

2020-10-18

匿名からこんなこと言うけど

高校生とき父親死んだのよ急に

ほんとにあの時死んでくれてよかったと思ってる

虐待されてたとかではない

愛されてたんだとは思う

でもひたすら気持ち悪かった生理的に受付けなかった小さい時からなんか一緒にいたくなかった嫌いだった

仏壇目に入るたびにこの人生きてなくてよかった〜って思うわまじで〜

2020-10-05

anond:20201005230456

🐕最終的に、売ってるワン!

それであたらしいおじいちゃんのお仏壇買うワン!

おじいちゃんと、暮らしていた思い出

おじいちゃん仏壇

お父さんが売っちゃったんだ

値段をつけないでほしいよね

高く売れるんだ 教えてくれてありがとう

2020-08-18

転生

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん