はてなキーワード: Nintendo64とは
欧米では大ウケしそうだと思うんだけど
三船美佳両親64って略すとNintendo64のゲームみたい
1983年発売 ファミリーコンピューター 累計販売台数:6,191万台
1990年発売 スーパーファミコン 累計販売台数:4,910万台(対先代機21%減)
1996年発売 NINTENDO64 累計販売台数:3,293万台(対先代機33%減)
2001年発売 ニンテンドーゲームキューブ 累計販売台数:2,174万台(対先代機34%減)
新型機出すたびに旧型機よりも2~3割ずつ販売台数が減っていく一方。
こんな感じが続いていたらきっと潰れていた。
ちなみにこの後は
2006年発売 Wii 累計販売台数:1億163万台(対先代機367%増)
2017年発売 ニンテンドースイッチ 累計販売台数:1億3,246万台(対先代機30%増。継続中)
で一気に息を吹き返す(U?なにそれ??)。
スーパーファミコンが4000円安くなるクーポンに釣られてスーパーファミコンを買ったんだけど、もう少し待てばNintendo64が買えたし、任天堂はそれを分かってたはずだし、どうしてそういうことするかなぁ。でも今の自分にとっての1年とあの頃の1年は違うから、一年後にNintendo64が出るからと言ってゲーム機を買うのを我慢できたかと言えば、やはり出来なかったんじゃ無いかと思う。それにNintendo64が発売したのは1996年だけど、スマブラやどうぶつの森などソフトが出そろうのは2000年ごろからで、そう考えると1995年時点でのチョイスとしてはスーパーファミコンは悪くなかったかもしれない。
Nintendo64のメモリー拡張パックって最初から付けられなかったのだろうか。確かにメモリーは容量に応じてコストが変わるから、最初から大容量メモリーを載せるのは難しいかもしれない。でもメモリーを取り替え可能にするための機構とかそういうのを考えたらトータルのコストはそんなに変わらないんじゃないだろうか。任天堂のホームページ(最近はホームページという表現もあまり使われなくなったが、少なくともメモリー拡張パックのページのレトロ感からするとそんなに違和感のある表現ともいえない)には定価2,800円とある。これは原価ではないし、メモリー拡張パックを保護するための部品のコストも含まれるだろう。実際の製造原価はそこまで高いとも思えない。ゼルダの伝説ムジュラの仮面のメモリー拡張パック同梱版の値段は7,800円で、同梱していないバージョンの価格は5,800円。差額は2,000円。それなら最初から付けてくれてもいいのではないだろうか。ほかに考えられる要因としては、Nintendo64のロンチ時には大容量のメモリを確保することができなかったという可能性。ドリームキャストの生産が追いつかずハード戦争においてPS2に致命的に出遅れたのも記憶に新しい。そっちの線なら割とありそうな気がする。ちなみにNintendo64のメモリーはNEC製で、ドリームキャストの生産の遅れにつながったPowerVRもNEC製。この頃のゲーム機は日本企業の部品が多く使われていた。やはり任天堂は数を揃えるためにメモリー拡張パックを別売りにしたのだろうか。
子供のころ近所に電気屋がオープンし開店セールとしてUFOの掴み取りをやっていた。UFOはUnidentified Flying Objectの略で日本語では未確認飛行物体と言うのだけど、平成の初期だった当時ではかなり珍しい存在で、UFO目当てでと見られる県外ナンバーの車もチラホラと見かけたほどだった。しかし当時の自分はUFOの価値が分からなかったので、UFOよりNintendo64の方が圧倒的に憧れの存在だった。そこで自分は行列に何度も並んでUFOを複数入手し、県外ナンバーの人に渡す代わりにスタンプを押してもらい、それを繰り返してスタンプ50個貯めてNintendo64と交換した。当時の任天堂製品の物流は初心会という問屋を通すのが普通で、その電気屋も2次なのか3次なのかは知らないが間接的には初心会経由でNintendo64を仕入れていた。UFOとNintendo64は本来まったく関係ないものだが、自分がUFO→スタンプ→Nintendo64と交換したことで結びついてしまい、Nintendo64に技術協力した米シリコングラフィックス社がめちゃくちゃブチギレたらしい。
自分が初めて遊んだゲームはスーファミだから、灰色のスーファミ本体には現代っぽさを感じたし、64の流線形やPS2のモノリスっぽさはまさに未来的だった。Wiiで一転ホワイトになったのも、Apple製品のような洗練さを感じた。
新しいハードが出るたびにその本体デザインに新鮮味を感じ、時が経つとレトロ感を抱くようになるサイクルの繰り返し。でも出た当時の未来感は心の中に残っている。
では自分より上の世代、ファミコンからゲームに入った人はあの白と茶色のカラーリングに未来を感じたのだろうか。
演繹法で考えれば当然答えはYESに違いない。でもどうもそれが想像できない。あれは出た当初からレトロだったんじゃないかと思えて仕方ない。ウルトラマンやスターウォーズや2001年宇宙の旅などの過去のSFをみても、茶色のコンピュータなんて出てこない。ファミコンはレトロフューチャーではなく、レトロそのものだ。
Nintendo64って過去のファミゲーに「3D」が付いただけのクソゲー沢山あったよね
仏壇の下にNintendo64が液体窒素で当時のまま冷凍保存されている。
第2次スニーカーブームの人間なのでちょっとジェネレーションギャップあるかも知れないけど手がソワソワして書かずにいられなかった。
増田がどういう意図で書いたのかわからないから、とりあえずスニーカーに詳しくない人向けにオススメすると
お金があるなら、ニューバランスの1000番台買っちゃってもいいと思う。
1300が有名だけど、個人的には1400を推す。まあニューバランスは自分のファッション感覚的に合わないから、そこまで詳しく言及できるものではないんだが
ニューバランスは公式でソールの修理などを行っているから、高いのを買ってずっと履くのに向いているんだ。
修理については下記のスニーカーが対象。まあフラッグシップモデルは手厚くサポートされてるから、マジで生活のための正当な投資としては、ニューバランスが一番いいよ。
https://shop.newbalance.jp/user_data/packages/support/repair_list.pdf
じゃあそんなお金がない人はどうすりゃいいの?って話なんだが
ナイキの安物ランシューを履いてりゃいいよ。スニーカーの魅力は、安い投資でそれなりの性能が得られる部分でもあるんだ。
やっぱタンジュンが一番安いな、3000円台ならこれがいい。アディダスならファルコンランかな、ナイキの方が軽くて汎用性高いらしいけど。
個人的にはアウトレット行って、サイズのあうそれなりのランシューがオススメ。
アウトレットで何を買えばいいのか?だが、プーマならスエード、アディダスなら都市名の名前のやつは最高、VANSはハーフキャブが大好き。ultra cushはマジで最高。
ナイキはなんだろう。。個人的にオレンジの箱以外ならなんでもいいかも。
たまに海外から日本へ商品が入ってきていたりしてるからアウトレットは面白い。
ちょっと前ならair max97のnintendo64カラーがアウトレットで売ってたね。
ちなみによく話題に上がるzoom alphafly next %なんかは勝負靴で、普段使いには向かないし、耐久性はかなり低い。なのでオススメしない。
主語をデカくして言うが、人間なんてNIKEのタンジュン履いて、GUの服着て、iPhoneSE持ってりゃ見かけ上は全員平等なんだ、そこに貧富の差はないんだ。
ファッションの素晴らしいところはそう言うところである。バーバラクルーガーはこれを見てなんて言うだろう。
大体言いたいことは終わり。
増田が「靴が欲しいんじゃなくて、知識が欲しい」とかそう言う感じだったらこっちの方が気に入りそう。
とは言っても、かなり偏見あるからここら辺からボロが出始めると思う。
ナイキは商売がうまい。スニーカーは正直、高くても値段相応ってわけじゃないんだけど、売るのがうまいから高くても売れちゃう。
カルチャーを促進することを重要視している。これはスタバとかもカルチャー意識から自社に還元しようみたいな働きがある感じに
ナイキも顧客に対してそう言う意識を持ってもらおうとしているんじゃないかな。ブランドは「思想」を買って着飾るのだ。
今はSB Dunkが流行っているが、スケートカルチャーとしてのナイキはカスで、カスすぎてスケートブランドのconsolidatedがdrunk hiって靴を出してた。
まあ、そんなナイキだが生まれもasicsのコルセアをパクってコルテッツとして売るっていう不義理なところから始まったブランドなので、カスみたいなことばっかりしてるのは平常運転かも知れない。
アディダスやプーマみたいな靴から生まれた会社じゃなくて、経営学の学生から生まれた会社だからどちらかというと、靴自体よりもその他周辺の物に魅力があると思う。
ナイキはスニーカーを少量生産して、希少性を持たせるというブランディング手法をとっているため、ほぼダメージがない。
みんなにスニーカーを持ち上げさせて、生産数絞って稼ぐって感じ。なので、コルテッツなどの有名スニーカーに関しても、数年単位で生産されてないこともしばしば。
結局この希少性による2次流通で余計に格差が広がるんだけどね。
じゃあ何が一番ダメなのかというと、ブランディングを崩壊させることだからフェイク品を履くことが一番ダメージがでかい。
全員が希少な靴を履けば価値の比較ができなくなって平等になるので。ちなみに偽物を履こうが履かまいが、少量生産なのでナイキの収益に違いはない。転売屋が泣くだけ。(在庫があるなら他社ブランド購入や不買の方が効果的だけど)
国内で偽物を買うとすれば、ラクマが偽物をめちゃくちゃ売ってるから、結局ナイキにお金を払うのか楽天にお金を払うのか、みたいな地獄の2択になってしまう。
偽物と言えば、マフィアにお金が回るとか児童労働が…みたいな話もあるが、ナイキも暴動の発端になるようなヤバい組織だし、児童労働もさせてたし変わらないかも知れない。
インスタで出回ってた工場のシーンでは、途上国の家族営業みたいな感じでフェイクスニーカーを作っているのは見かけたけど、子供はいなかった気がする。
ストリートカルチャーとフェイクは切っても切れない関係で、ダッパー・ダンの話などが見ていて面白いかも知れない。
第二次のスニーカーブームをざっくり語るとこんな感じだと思う。世間とネットの自論だし、メディアの説とは乖離してるかも。
1.スキニーブームで足元が目立つ この辺りでK-POPとかではスニーカーのブームがやや来ていた感じがする。
2.2016年にモアテンがアジア圏で発売される。 この靴は視認性を第一に作られたから、ここから火がついたと思う。
3.ダッドスニーカーが来る。 ここら辺から靴が強調される服装が多くなって来た気がする。
4.StockXが開始。 価格順でトップにDunk SB Low Parisが表示される。
5.リセーラーが中古で安くなったDunk lowを買い占める
なんか、それまでに2013年辺りとかは、「外し」として、きこりファッションと共にニューバランスやサッカニーとか地味目なのが履かれていた記憶があるけど、曖昧だからうまく言えない。個人的に世のアラサーはここら辺のまま地味目な靴を一生履いてるんじゃないかと思ってる。
2011年にも2014年にも2017年にも、何かスニーカーで暴動起きてるけど知らない。リベンジストームとかもう忘れた。オールドスクールが定番になって終わった。
そういえば2.の時点で視認性のあるスニーカーとオタクが相性良すぎて、ハイテクスニーカーのイラストがめっちゃ出たな。
(スプラトゥーンのおかげもあるかもしれないけど。)よふかしのうた とかが一番顕著でわかりやすいかも。
ここら辺でかなり広まったんじゃないかなとも思う。第一次の時はどうだったんだろう?遊戯王や格ゲーはスニーカー出てたよね。
第二次ではノームコアの流行りと共に「わかりやすさ」がより強調されてsupremeのボックスロゴとかが流行ってきて
オタクはとりあえずOFFWHITEだとかsupremeだとかを着てるイメージがある。
あとなんか謎にHUFとripndipを知っている。スケーターでもないのに…ジェルミクラインは知らない。
スニーカーの出る作品としては、ドロヘドロが一番世界観とマッチしてて好き。
これはマジで伝えたい。スニーカー好きがどんな考えなのかは知らないけど、個人的に好きな魅力が1つある。
スニーカーが貧富の差を逆転させて、ファッション史に名を刻んだこと。
ゴプニクだって金持ちに憧れて始まってるadidasジャージのファッションだし。ハイヒールだってそうじゃん。
ファッションショーはなんであんな奇抜な服作るんだ?着られねえよ、動きづらい。
とか思ったんだが、それが”狙い”らしくて、「動く必要もない」という部分に意味を持たせてるらしい。
ルブタンが赤い靴底なのも、絨毯以外で履かないみたいな理由だし。
でも、ラッパーなどが成功してセレブの仲間入りになった結果、ファッション史としては異例の事態が起きた。
あの、動きやすい、スニーカーを、なんならバッシュを。(ヴィトンはAVIAのパクリみたいなやつを作ってた)
貧民層のカルチャー(黒人文化の成功の証がスニーカーだったんだけど)が反映されたのが
個人的に、第一次と比べ、スニーカーの文化は随分オープンになった。
正直なところ、コレクションはあんまり意味をなさなくなった。(とはいえ気がつくと勝手に30足ぐらい溜まってたりするが)
と言うのも、ネットショップが発達していて「お金があればいつでもレアなスニーカーが買える」と言う状態になっている。
昔みたいにカタログを見て、毎日スニーカーショップに通って…なんてことはあまりないんじゃないかな。
唯一スケートショップでスケシューを買うときはある気がするけど。
だから、これ持ってます!ってアピールするやつはスベってて痛い。中身がない。
それこそ、適当に通ぶりたいならスニーカー売買サイトで値段の高い順で買えばいいんじゃないかって思う。
基本的にスニーカーもカードゲームなどと同じく、投資商品成り下がっているので
自分が好きだ!って思うデザインの靴を買ってみるといい。ポリシーを貫ける人の方がかっこいいと思う。
自分の持ってるものを、定価じゃなくて転売価格で語り始めるといよいよ"終わり"になる。
「AJ1だから」「つま先が黒だから」とか謎に正解を求め出す奴が多いけど、好きな物は理由なしにもっと胸張っていいと思う。
個人的に気に入ってるのは、セカストで手に入れたallstar w-punk xx-hiの30cmのやつ。
メンズでallstarのバカ長い靴は手に入らないから、vansのスノーブーツやasicsのボクサーブーツを買いかけた。
高いので言えばsupremeコラボのfoamposite oneやAF1 highの黒。最近のならStrangeLoveのDunkLowとか。
現代っ子って、コピーに対して寛容になっている。反動で現物に価値を見出したりするけど、そう言うのは逆張りでクールと見なされているだけで主流じゃない。
そんな感じのがスニーカーにも来ていて、インスタでちょっとした議論になったけど
フェイクを着るのは悪くないって考えの子が多くなったんじゃないかなと思う。
これに関しては序盤に話した希少性による格差に対するカウンターカルチャーかも知れないけど(カウンターカルチャーで食ってたナイキが食われるのは面白いね)
ラクマでは「dude9系」って言葉で質の悪い靴が売られてるから、見つけ次第通報した方がいい。
Dior x AJ1のフェイクも出るぐらいなんだから、セレブも大変だろうと個人的には思ったのだが
つまり、話題になったOFF WHITEのAJ1であっても数ヶ月経てば無価値とされてしまう(日常的に履いたりはあるかもだけど)
両方に言えることだが、スニーカー自体にそこまで価値はなくて、「セレブには物凄い人脈がある」ということをアピールしている。
回り回って言うと、オタクがモアテンみたいなわかりやすいスニーカーを好んで、絵に潜ませたり、自称スニーカーマニアがつま黒のAJ1 highにこだわるのも
言語として、相手とコミュニケーションを取るためであって、周囲あってこそのスニーカーになっている。
貧富の差があり、悩んだ末の行動がフェイクの着用かも知れないので、真っ向から否定はしないが。。
でも競争ばっかりしてないで、芯をもった上でルールに則った中での楽しみもあって良いと思う。
個人的にオススメするのは、日本限定の伊藤忠版ALL STARを履き潰すこと。
これは安く手に入るし、自分の個性が全面に出るし、他人には絶対に真似されない希少性のある靴ばかりだから、簡単に楽しめる。(履き心地はあんまりだけど)
当然ながら、靴は履く物であって、肩に乗せたり家に飾ったりする物ではない。
(そう言えば佐藤隆太も防水スプレーかけないし、スニーカーをスニーカーとして履いて楽しむタイプだった気がする。)
スニーカーマニアはCT70をやたら高尚な物だとするが、ナイキ傘下のコンバースは日本においてフェイクであり、フェイク批判してる奴がアレを履くのはダブスタじみてて個人的にあまり好きにはなれない。。
結構こういうマイナー叩きみたいなのは割とあって、ABC Mart製スタンスミスはクソだ直営を買え!みたいなのも国内だけでもあるんだけど、実際のところ直営版はシュータンが薄くてスネにぶっ刺さるとかあるから、あんまりライフスタイルを無視してイキる奴の話は当てにしない方がいい。
(abcmart製スタンスミスはシュータンにクッションがあって履きやすい)
ちなみに日本製のALLSTARも今やそんなクッション性に大差ないし、どちらも履けばすぐへたる。
ちなみにABC Martなどにある日本版ALLSTARは、品番すら書いてない物も多くアーカイブがしづらい。
内側がフェルト地のコンバースとか、アッパーが二重になったコンバースなどは今見つけることはできるのだろうか。。
関西に観光する場合は、柿本商店に足を運ぶといいかも知れない。
もっとマイナーで、とにかくスニーカーに関するアーカイブ知識だけを欲するならば
超マイナーモデル、カスタムモデル、PEモデル、チャリティーモデルの収集をおすすめする。
これらは球数が少なすぎて、フェイクすら作れないものも多い。(逆にネットに出回るコンセプト写真だけで再現したフェイクもあるが)
例えば最近ではNike Dunk Low Cactus Jack x PlayStation、製法上フェイクが作られにくいfoamposite one ParaNorman
Nike x MSCHF x INRI Air Max 97 Jesus Sneaker、WWWESH STUDIO™ x HEIGHTENED SENSE TN(c): NIKE® + CONVERSE®
日本人が当選してたUNHeardof × SABOTAGE × NIKE SB DUNK LOWやair32 x Nike Dunk SB Low "Stay Home"
世の中に存在するのか怪しい、triple S x AJ1 offwhite
PEシリーズの入門編としてのオレゴンダックスシリーズ、できるのならばF&Fモデル
アンダーグラウンドに手を染めて、没になってしまったコンセプトモデルの収集なども面白い。
NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん[注 1])は、任天堂が開発して1996年に発売した家庭用ゲーム機。
親戚が置いていったのを借りて遊んだ。キノピオが扱いやすくて好きだった。
SFCの楽しさを知ったのでブックオフで買ってもらった。当時は確かスペシャルコースで挫折したが、後にリメイク版(GBA)で裏世界到達を果たして満足し、カートリッジをステージ中央に置いて引退。
「ロクヨン」というやつが面白いと聞いてクリスマスに買ってもらう。(トイザらス限定の金色)
当時小学校の近くに住んでおり、「スマブラ」があると聞きつけた同級生たちが連日押し掛け、人生の絶頂期を迎える。
同年、ゲームボーイカラーとポケモン金に出会い、ビデオゲーム好きを決定づけられる。相棒オーダイルの背中に乗って旅する夢を見る。
その後、銀・クリスタル・赤・ピカチュウとプレイして金のポケモン図鑑をコンプリート。
ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ
ファンタジーの高揚感と旅の寂寥感を知る。ロンダルキアの雪原でアークデーモンと対峙する夢を見る。
あまりにもハマりすぎたためある日親がブチ切れ、ビデオゲームの類はすべて鍵付きトランクに収監、プレイも土日のみに制限され、スマブラ目当ての同級生たちも遠ざかり、人生の絶頂期が早くも終焉。
念願の「スマブラDX」を買ってもらうも、既に非社交性を存分に発揮していたため64時代の栄光を取り戻すことかなわず。
加えて、ある日帰宅するとビデオゲームが全てブックオフに売却されており、その夜焼肉に連れて行かれた。母は「ゲームを売ったお金よ」と言ったが、あれが事実なのか質の悪いジョークなのかは未だに分からない。泣きながら口に押し込んだタン塩はどこか塩辛く、しかし胃袋は正直であった。
(追記)
上記の事件は私が「ゲームは土日のみ」という約束を破り、トランクの鍵をハックしてこっそり遊んでたことが発覚したせいなので、普通に私が100%、いや99%悪いです。あと親子仲は普通に良いです。
このブックオフ焼肉事変の影響で「時のオカリナ」「ムジュラの仮面」「マリオ64」「バテン・カイトス」など任天堂据え置き機の名作をプレイする機会を失ったのが個人的にコンプレックスになっている。Switchにバーチャルコンソールはよ(今ややる時間がない)
2003~2008年
中高時代、懲りずにお小遣いを貯めてこっそりゲームボーイアドバンスSP(名機)を購入。買い漁った中古ソフトを、バックライトの恩恵にあずかって布団に隠れてプレイし、ド近眼になる。ファミコンミニシリーズでレトロゲームにも触れる(初代ゼルダ、スーパーマリオブラザーズetc)。
大学受験日程を全て消化した瞬間、ニンテンドーDS Liteとポケモンプラチナを購入し欲望のままに徹夜プレイ。DS版クロノトリガーに大感激してゲーム音楽に目覚め、光田康典繋がりでソーマブリンガーをプレイし、DS版ドラクエ5でデボラ派に鞍替えする。
初めてのソニー機・PSPとMHP2Gを購入。大剣太刀片手剣を1000時間振り回し無事留年。
この頃ニコニコ動画でThe Elder Scrolls 4: Oblivionの存在を知る。PC洋ゲーとのほぼファーストコンタクト。初めての日本語化・初めてのmod導入(受験英語でもそこそこちゃんと勉強していた過去の自分に感謝)、初めてのオープンワールドRPG。RAM4GBオンボード最低画質でも20FPS前後だったのにようやってたなほんとに。
Fallout3もプレイし、Bethesda神とHavok神への信仰心を獲得する。
ゲーミングPCへの憧れを抱く。
ゼノブレイドの評判を聞きつけてWiiを購入。ダンバンのあまりのかっこよさにJRPG熱が再燃する。
この頃から心身を病みビデオゲームから離れたため、Wii UやPS3の流行に乗れず、第2のコンプレックスを抱える。
精神に凪が訪れ、Newニンテンドー3DSLLを購入しポケモンやモンハンを一通りプレイするも、さすがにもう限度を弁えていたため事なきを得る。
なんやかんやあって卒業・就職し初任給を全額はたいてBTOゲーミングPCを買うも、なぜか初任給がなくなってしまったのでPCを抱いたまま餓死しかける。
最高画質modマシマシでTES4やFallout3を遊び直したり、
帰宅後の限られた時間でも遊べるインディーゲームを買い集める。
Nintendo Switch購入。ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドにドハマりし、続けてスプラトゥーン2にドハマりする。プライムデュアル時々スシコラ洗濯機。
Steam、Origin、Uplay、Nintendo Switch、PS4 Proその他諸々に囲まれてあへあへ積みゲーオタクなう
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いつからだろう。思い返せばすでに高校生くらいの頃からだったかもしれない。
幼稚園の頃からNINTENDO64、ゲームボーイとPlayStationで遊び、ゲームキューブ、PlayStation2、ゲームボーイアドバンス、DS、PSP、Wiiと、家庭用、携帯用問わず遊んだ。
高校生に入ったあたりで、オンラインゲームが増え、洋ゲーが増えた。
二番煎じ三番煎じが当たり前のようになり、わくわく感が薄れていった。
ゲーム人口の多くがスマホゲーに移り、更に私はゲームから遠のいた。
コントローラーの代わりにキーボードで文字を打ち込むことしかなくなった。
楽しくない。
FINAL FANTASYやドラゴンクエストのソーシャルゲームが登場するたび、いつの日か夢中で遊んだあの頃の記憶を呼び覚まそうとするが、ちょっと触って飽きて、1日経たずにアンインストール。
ついていけない私が悪いのか。
どうしたらまたゲームにハマることができるだろう。
自分の性的嗜好のルーツについて覚えている限りで書き出していこうと思う。
それは小学校5年生のころ、1つ上の近所の友達の家に遊びに行ったときのことだった。
確か冬の頃だったと思う。
友達の家でテレビゲーム(Nintendo64)をしていた、友達の親は仕事で不在のため自分達2人だけが家の中にいた。
その友達がゲームをしている間、(1人用のゲームだったので)自分は隣で時たま言葉をはさみながら友達のプレイを眺めていた。
お互いに言葉数が少なくなってきたときに、ゲーム中の友達が急に隣にいる自分の方へちょっかいを出してきた。
ちょっかいを出されたことが嫌だったので、自分も左手で同じようにやり返した。
その繰り返しでお互いの股間の弄り合いをしているうちになんか変なテンションになったせいか、
当然自分は最初は嫌がったが、その時家に自分たち2人以外誰もいなかったため
まぁいいかな…という気持ちになり渋々それに従った。
2人してズボンを脱ぐと、お互いに下半身パンツ姿になった(その時2人とも白ブリーフを穿いていた)。
それからまた同じことを再開した。
今度は「先にパンツを脱がされたほうが負け」というルールを付けて再びお互いの股間を弄り合った。
白ブリーフ越しに触れる友達の性器は硬くなっていて、自分のものも硬く充血しているのを自覚していたため
お互いに興奮し合っているのがわかった。
お互いにパンツを脱がせようとするも埒が明かず、ついに友達がこう言った。
「じゃあ、パンツも脱ごう」
それからほぼ同時に自分も友達もパンツを脱ぎ捨てた(今思えば、その言葉を待っていたのかもしれない)。
そして外気に晒される性器が2つ、自分は小5にしてすでに陰毛が生えていたが
1つ上の友達は身体の成長が遅いせいかまだ陰毛は生えていなかった。
そのときすでに2人とも勃起していたが、性器の大きさは自分のほうが少し大きかった。
友達のものは第二次性徴を迎えてからは勃起をすると包皮が完全に剥けて、
陰嚢の睾丸の大きさは不揃いで右側が大きく左側が小さかった。
それからまた2人とも床に横たわり、お互いのまだ皮も剥けていない幼い陰茎を手で直接弄りあった。
包皮を剥こうとする度に、互いに激痛による呻きが漏れ出た。
その時ははっきりと性的なことをしているという自覚はなかったが、
「人に話してはいけないし、知られてはいけないことをしている」ということは自覚し、
背徳感そして秘密の共有をしているという事実に陶酔しながら行為を続けていた。
今思えばそれが「目覚め」だったのかもしれない。
しばらく時間が経過して、お互いに疲れを覚えたところでパンツを履き直してズボンも履き終えた。
この時はお互いにまだ射精を覚えていなかったため、勃起した状態のままパンツとズボンを着直したのだと思う。
このことは2人だけの「秘密の遊び」として、どちらかの家に自分と友達以外誰もいないときに
誰にも知られることもなく密かに続けられた。
お互いに第二次性徴を迎えていなかった、あるいは自覚していなかった頃のある日に
この「秘密の遊び」をした際に初めて友達の性器を口に含んで上下に動かしたとき、
友達が我慢できずに自分の口の中に尿を漏らしたことを覚えている。
確か、「ごめん…」と呟いたのと同時に口に含んだ友達のものから温かい液体が迸ってきたのだった。
何の予告もなくいきなりそのような行動を取られたことに恐怖を覚えたのかもしれない。
この「秘密の遊び」は小学校から中学・高校まで不定期に続けられた。
その回数は100を超えていたと思う。
友達の性器にいつ頃から陰毛が生え始めたのかを自分は目で見て覚えているし、
友達が下着をいつ頃からブリーフからトランクスに変えたのかも覚えている。
第二次性徴をお互いに迎えてからはお互いの性器を弄り合って、どちらが早く
相手を射精させられるか、あるいはどちらがより絶頂へと至らしめられるかへと
遊びの趣旨が移っていった。
お互いにより長く秘密の共有を味わいたいと思ったためかすぐに遊びが終わることはなく、
友達はあまり自分からそういうことをすることはなかったが、自分は友達の充血した性器を
口に含むことだけでなく、上半身を脱がせて乳首を舐めながら友達のものを扱いたり、
それだけに飽き足らずに肛門までも舐めながらものを扱いてやることもあった。
友達の陰嚢や肛門のどの位置に黒子があるかまで目で見て覚えている。
また、自分と違って発毛の薄い彼は陰嚢まで毛が生えておらず
「秘密の遊び」の上での自分と友達はあくまでオーラルな関係だけであり、
さらにその先の…アナルセックスをしたり接吻をしたりということは全くしなかった。
「そこまではしてはいけないという」一線が、お互いに不文律として存在していたのだと思う。
ただ、自分は時折友達の無防備な肛門に指を無理矢理入れて苦痛にもがくところを楽しむことがあったが。
高校卒業からしばらく音信不通となり、自分が大学生のときに友達がちょうど大学を卒業した頃に
地元で久しぶりに再会した時に自分の家に友達を招いて積もる話をしばらくした後に、
あの時のことを思い出して数年ぶりに「秘密の遊び」に及んだ。
それから会う機会は格段に減ったものの、部屋に2人だけのときにはお互いに秘密の時間を共有し、
お互いに快楽の高みへと導いていった。
そして現在、友達にもう会う意思はないという連絡を受けて音信不通となってしまったが、
今でもその頃のことを思い出しながら自慰に耽ることがある。
ちなみに、自分は異性に対してもきちんと性欲を覚えられるので
あれはまだわたしがおぼこだった頃。おざなりな愛撫も、ちんぽの味も知らなかった頃。
あの年頃の女の子には必ずひとり以上は好きな人がいた。それは話をしたこともないひとつ上の学年の綺麗な顔立ちをした少年だったり、汗ひとつかかないようないやみったらしい数学教師の青年だったり。対象はなんだってよかった。好きな人がいることが大切だった。
わたしだって例外ではなかった。わたしにも好きな人がいた。彼は同じクラスのコンピューター部の男の子だった。彼はわたしにとっては好きな人の条件をしっかりと満たしていた。
他の女の子たちは口を揃えて、ありえないだの、根暗男だの、乳臭い男だの、とにかく彼のことを罵った。「あなたに彼は不釣り合いだから。」って。わたしはあの不細工なじゃがいも達より容姿に優れていたから、到底彼女達の手には届かないような、学年イチ顔が整っているサッカー部のあつしクンだとか、インターハイで2位になった水泳部のたつやクンだとか、そういう人を好きになって欲しかったんだと思う。本当に勝手。わたしはじゃがいものために描き下ろされた少女漫画ではないのに。
根暗で乳臭い彼は好きな人に最適だった。彼は人に興味を示さなかった。顔は整っているし、気さくに話をするのに自ら人に踏み込むような会話をしているところを聞いたことがなかった。わたしはそこが好きになった。都合が良かった。話を避ける手間が省けた。おせっかいなブスがくっつけようとしても彼には取り付くシマがなかった。私にとってこんなに素晴らしい好きな人はいなかった。
あの年頃の子どもたちは男女間で関わりを持たない。男と女の真似事をし始めてついには本当の男と女になる。お互いを強く意識して排他的になる。体が変わると考えも変わるのだろうか。
わたしはその排他的な空気にだんだんと耐えられなくなって行った。彼もまた排他的な空気に閉塞感を感じる一人だった。
彼は射精を知らなそうな透き通った肌をしていた。ソプラノの声は永遠に失われないのではないかとさえ思えた。彼は周りの第二次性徴よりも遅れていたように見えた。彼は性に置いてけぼりを食らっていたはずだった。
閉塞感に耐えられなくなっていたわたし達が歩み寄っていったのはごく自然な成り行きだった。これといったきっかけも無かった。
ある日、わたしは彼の家で遊んだ。大乱闘スマッシュブラザーズをしていた。Nintendo64のいびつな形のコントローラーを握りしめて、ジョイスティックを壊れんばかりに倒して遊んだ。わたしはその日に初めてちんぽの味を知った。どうということはなかった。何の知識もない彼はコンドームも付けずに挿入した。わたしもわたしで何の知識もないものだから、それを拒むことをしなかった。ただ、彼が精通を迎えていたらしいと、今になって気がついた。
だっさ。NINTENDO64ってクールにかかないからやられるんだ