はてなキーワード: キャッシュフローとは
毎日事務所を片付けて帰ってるんだが、あまりにも事務所が毎回汚いままなので
「予算出してくれたらホームセンターなり百均なりできちんとした収納を買ってくるが」と申し立てたところ
「収納なりなんなりなどという話をする前に、まず事務所を綺麗に使えるようになってからだ!」と憤りを食らった。
その憤ってる本人が毎回事務所を荒らしている張本人で、机の上は汚いし、棚を見れば帳票やら支払いやら資料やらがひっちゃかめっちゃかにおいてあるわけだが。
支払い関係の督促電話がひっきりなしに事務所にかかってくるから「支払い関係はリース会社通せばだいぶキャッシュフローが落ち着くはずですし、大口の顧客抱えたらそうしませんか?」と提案したが
どういうわけかすんげー怒られた。
「君は素直じゃありません。気も利かないし空気も読めない、礼儀も言葉遣いもなってない。君を顧客に合わせるわけにはいかない」
「はぁ、なるほど」
ご回答ありがとうございます。それでは一つ一つ見ていきましょう。
Q1 あなたの隣に、あなたと同程度にキモくて金のないオバハン、がいて、どうも付き合いたそうにこっちを見ている場合
→ 知らん。ただ、そのオバハンが妊娠可能な年齢なら結婚して子供を産ませる仕組みをくるべきだと思う。
■この質問では、コンプレックスの所在について知りたくてお聞きしました。
ご自身のことではなく、少子化に絡めてた一般論にすり替えようとして失敗している様子を見る限り
非モテであることに過大すぎるコンプレックスを抱いていること、更に言えばそれを自覚しようというつもりがないことが分かります。
そして「知らん」というお答えについて、自ら状況を打開しようという意思がないことも見えてきますね。
Q2 機会の不平等と結果の不平等、この二つに違いがあると思いますか?
また、結果の不平等に関してまで、社会や政治が保障すべきだと思いますか?
→ 個人間の不平等が全体の経済効率を下げるのならば、結果の不平等は是正されるべき。
■この質問は、コンプレックスを昇華できているかどうかを知りたくてお聞きしました。
残念ながら、地球上ほとんどの国の人間や、それ以外の生き物もすべて、生きている限り必ず結果の不平等に晒されます。
誰かに負けているという悔しさを抱かずに生きている人は、誰一人としていません。どんなイケメンだろうが金持ちだろうが。
そして、多くの人は、そのような他者に対するコンプレックスを、ばねにして成功したり失敗したりしながら、折り合いを付けていくものです。
折り合いを付けるというと曖昧ですが、あまり良くない言葉で言いかえると「諦めるところは諦めていく」という作業はです。これは、多くの人が大人になる過程において経験するものです。
回答を拝見すると、ここでも、「全体の経済効率」という、自らに引き当てるのを避けた回答をされていますので、
相当コンプレックスを自覚したくないのではないか、 または、プライドとコンプレックスと活動とのバランスが酷く偏っている状態なのでは。
ちなみに、ご心配されていた「全体の経済効率」についてですが、生活保護等の生活困窮者への支援以上の保障程度では経済情勢が良化することは、考えにくいと思われます。
なぜなら、どんな人間でも必ず一定の生活コストがかかるからです。国内消費などの改善を期待するのであれば、余剰消費の縮小の方が、むしろ懸念材料になるでしょう。
一定レベルの所得の再配分による社会の安定継続性が大切なのは大前提ですが、結果として努力している人の成果が搾取されることから、社会から活気を奪う結果にもつながります。
また、生活保護を代表とする相互扶助システムについての話であれば「経済効率を下げる」という言葉づかいは間違っています。
Q2で、結果の不平等にも保障が必要だと思う方だけお答えください。
その場合、男性女性の双方に保障があるべきだと思いますか、それとも、男性により手厚い保償があるべきだと思いますか?
それぞれについて理由も併せてお聞かせください
→ カネを持っていない人間にカネを渡すほうが経済をまわす上では都合が良いので、性別は関係ない。
■この質問は、男女差別に対する認識を知りたくてお聞きしました。
ここまで分かりやすい男女差別を容認する人は、現在日本においては病院行きレベルだと思いますが。
所得の再配分については、上の答えと同様です。お金は、キャッシュフローに余裕がある人が使わないと、実体経済への好影響はもたらしにくいです。残念ですが。
簡単に言えば、貧乏な人がスーパー玉出で山ほど買い物をしても、余剰の利益はほとんど残りません。デフレ脳ですね。
Q3 自分と同程度にキモい男で、自分よりも良い人生を送っている人を思いつけますか?
思いつけた場合、その人たちと自分との違いは何だと思いますか?
→ 運
→ 運
■この二つの質問は、自分のコンプレックスを客観化できているかどうかを知りたくてお伺いしました。
が、全く客観化できていませんね。
あなたが、自分よりたまたま運が良いだけで、と思っている人は全て、あなたの知らないところで努力をしています。他人をよく観察してみましょう。見えていないだけです。
たとえばの話ですが、キモくても彼女(彼氏)がいる人は、Q1のようなシチュエーションの時に、声をかけるなりのアプローチをしているわけです。これが努力の差です。例えばですが笑
少なくとも、他人を見くびる姿勢、自分に瑕疵がないと思う不遜さは、確実に非モテ要素です。彼女どころか、友達も少ないのではありませんか?
あなたが運だけだと思っているのは間違いです。あなたは、自分が「こいつとは同程度だろう」と思っている人よりも、確実に劣っているところがあります。
もちろん、その人よりもあなたの方が勝っているところもあるはずです。それが人間です。100%の価値だけ、100%の瑕疵だけでできているわけではないのです。
Q5 自分が、自分の本来持っている能力に比して、思うような報酬を得られていないと思いますか?
→ 報酬は能力に与えられるのではなく、立場に与えられるので、問い自体が無意味。
■この質問も上と同様です。
自分より報酬を多く貰える立場にいる人が、その立場にいるために行った努力が見えていない。とても残念なことだし、他人を見くびっています。
Q6 「女はいざとなったら売春すればいい」と思っていますか?
また、もしも、あなたを「買ってやる」という男(もしくはキモい女)が現れた場合、合意しますか?
→ 女の性は商品として価値があるので、より多く流通させることが望ましい。
これについても、なるべく客観的に答えようとして、やはり失敗しています。そして男性の商品性への回答はありません。
ご自身が使役される立場には決して立ちたくない、そして「女を買う・飼う立場」でいたい(が、お金がないなどの理由で実現していない)ということが、見えてしまっています。
下衆ですね。
この前仕事関連の知り合い4人と自分の合計5人で飲んでたんだ。
会計すると約5万円。
一人1万円か、ちょっと飲みすぎたな、なんて思ってたのよ。
俺→1万円札出す
A→上に同じ
B→上に同じ
C→上に同じ
とここまでは良かった。
問題はそのあとDがとった行動。
D「じゃあ俺がカードでまとめて払うわ」
ということで俺とABCの全員がDに1万円ずつ合計4万円渡す。
その時。
他の奴らはぐでんぐでんに酔っぱらってたけど俺は聞き逃さなかった。
Dがさらっと店員さんに一言。「領収書ください。宛名は空欄で」
おいおい、お前。
これさ、つまりさ、
Dは後日会社で経費精算するんだよね?
5万円分の領収書もらってるから自分の分の1万円だけ申請するとか考えられないわけで
きちんと5万円分の申請をやるはずだよね?
ただ家計簿をつけたいだけの人ならレシートでいいわけで、宛名無しの領収書を頼まないよね。
いや、俺もこういう時にまとめてカードで払って他の人間から現金を徴収するという
短期的なキャッシュフローの改善を考慮した自分本位な支払い方法をやることはあるよ。
Dはさ、会社の経費で落とす気満々なのに他の分も徴収するって、普通に二重で金が入ることになるよね?
今回の場合4万円をゲットした上で更に後日5万円が帰ってくるよね。
友達といえるほど親しいわけでもない知り合いなのでなんかモヤモヤしながらもスルーしたけど
後から考えるだけどDのセコさに泣けてくる。
2014/1/1 全文が正しく表示されていないことに気づいたため修正した。遅ればせながら指摘に感謝したい。
才能のあるワナビは己の思うがまま書き連ねればそれで問題ない。一次落ちなど経験することも無く、一発で新人賞を取ったり、取れなくても編集者が連絡してきたりして遅かれ早かれデビューに至り、そしてワナビに向けたラノベ創作論を書いたりする。私はこうやってプロとして本を書いてます、どうぞ参考にしてください。
これが意味するところは、才能のあるワナビは他人の書いた創作技術本を読んで必死にトレースしたりなどしなかった、という非情な現実である。ノウハウ本を欲するのはいつだって才能のないワナビで、そして才能の無いワナビは今日も選考落ちの通知を見て顔を覆うのである。○○先生の本に書いてある通りにやったのにどうしてダメなんだろうか。何がダメなんだろうか。
スティーブン・キングがプロットなど不要だと言う一方でディーン・クーンツはプロットの無い作品など糞だと断じる。大塚がまずキャラから作れと言う一方で冲方は世界から作らないようでは話にならないと言う。
ラノベに限らず小説創作技術本はそれぞれの主張がまるでバラバラであり、まとまりがない。もっともこの手の本は意識の高いサラリーマンがこよなく愛する成功体験本と同じカテゴリである。ゆえに真面目に考える必要は無いとするのも一理あるだろう。
実のところ彼らは単に表現が違うだけで、最終的に同じことを述べてるのではないだろうか。
手順が違うだけで、結局同じことをしているのではないだろうか。
もしそうだとすれば重要なのは手順ではなく最終的にどういう状態であるかにあり、その状態がいずれの作家も共通しているのであれば、それこそが欠かすべきではない要素ではないのか。
大沢は「技術は教えられるが、才能は教えられない」という。だがヒックスは「モノを書くことでの才能の問題は、相当に過大評価されて」いるとして、「それはやっていくことで獲得」できるものだと言う。
Hard work beats talent when talent doesn't work hard.
Tim Notke
本稿は個別の手順というより、最終的にどういった状態を目指しているのか、という観点でラノベ創作技術本の各説を整理し、俯瞰する。筆者はワナビではなく、単なる興味本位でこの整理を行ったに過ぎない。しかし才能が無いことを自覚し、それでもなお努力によってこれを覆そうというワナビにとって、本稿がより効率的な努力を実現する上での一助となれば幸いである。
本稿ではラノベを「ラノベの主要レーベルの新人賞に向けてワナビが執筆する、新人賞を取りうる内容の小説」と定義し、本質的なラノベの定義へは踏み込まない。このことからカテゴリエラーをめぐる問題はこのラノベの本質的定義の限界を探ることと同義であり、本稿では割愛する。
本稿執筆にあたり参考とした文献を下記に記載する。
まだ参照すべき文献は多くあるが、ひとまず本稿執筆にあたっては上記で一区切りとした。
ラノベ作家は商業主義であらねばならない、と五代/榊は明言し、飯田はキャッシュフローを生む作品こそが素晴らしい作品なのだという。実際、ラノベ新人賞は商業的に売れるラノベの発掘を目的としているのであって、ワナビの承認欲求を満たすためにあるわけではない。
新城はラノベの読者の多くは男子中高生であり、すなわち「毎月のお小遣いが限られている学生」であるとする。飯田はさらにラノベの読者はアニメや漫画、ニコニコ動画を好むオタクであるとする。そしてラノベは彼らの限られた小遣いの使い道として選択される商品でなければならない。榎本も西谷も水島も、いずれも同様に読者が誰かを意識しろと主張する。
ところでワナビが書いた新人賞用のラノベの読者は、中高生ではない。
新人賞の下読みの多くは大学生のバイトであり(あるいは主婦や新人編集者)、選考するのはプロの作家であり、プロの編集者である。いずれにせよ選考過程に中高生は存在しない。
読者が誰かを考えるべき、という指摘はもっともだが、プロの作家とワナビでは立場が違う。ワナビはラノベレーベルで勤めるサラリーマン編集者が想像する『中高生』にウケるラノベを書かなければならない。榎本は現実の中高生とふれあい彼らの考え方を理解しろと言うが、本当にそんなことをすれば事案待ったなしのワナビは少なからずいるだろうし、現実の中高生には圧倒的にウケるが20代30代の編集者には全く理解できないものがあったとすれば、それは間違いなく一次落ちである。
行頭は一段空けましょう、といった小説執筆上のお作法ができていなかったからといって間違いなく多くの中高生は気にしない。しかしプロは気にする。そうした基礎的作法の欠如は中高生云々の前にまず彼らに不快感を生じさせる、という点を理解しておく必要があるだろう(応募に際してはあらすじを付すようにという指示に対して小説の煽り文や序文を付けるといった無理解なども根は同じだろう)。
最終的なラノベに至るまでの執筆上の段階や要素は論者の数だけ存在する。例えばキングによるアイディア、原稿の2段階、クーンツを始めとするアイディア、プロット、原稿の3段階、冲方による能書き、種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの6段階などがある。
本稿では「アイディア」「プロット」「原稿」の3段階を用いて各説を俯瞰する。この各段階は「アイディア」が最初であるという点を除けば、随時行き来することがいずれの説においても許容される。一度「プロット」に移行したら「アイディア」へ戻ってはならないなどと主張されることはないし、「原稿」の完成に至ってから再度「アイディア」の段階に戻る作家も存在する。
一方で、これらの「段階」はそれぞれ独立しているわけではないことに注意する必要がある。いずれもその前段階の上に構築されている。つまり、あるワナビが「プロット」に問題があると認識したとしても、その前段階に問題がある可能性は否定できない。これは感想や選評においても言えることであり、問題点の指摘がまったく的外れでなかったとしても、その問題を引き起こしているそもそもの原因は何なのか、という点を突き詰めなければ、根本的な問題はいつまでたっても解消されないままだと言えよう。
以下、それぞれの段階についての各論に入る。
「アイディア」とは筒井がいうところの「妄想」であり、単語、キーワード、フレーズ、断片的な会話や場面など様々なものであり、その創作で用いるかもしれないし、用いないかもしれないネタである。
冲方は「アイディア」を3段階に分けており、まず主題を考え(これを能書きと称する)、次にそこから様々な雑多なアイディアを連想し(種書き)、今回はこのあたりのアイディアを使おう、と決めて整理する(骨書き)という。
しかし実際には冲方自身、これらを行きつ戻りつして執筆を進めていくとしており、「骨書き」の段階からは後戻りしないと固定しているわけでもないことから、本稿では参考として紹介するに留める。
この「アイディア」の種類についてもいくつかの主張があり、例えば冲方は主題、世界、人物、物語、文体の5種であるとするし、榎本はキャラクター、世界設定、ストーリーの3種としている。分類それ自体が意味を持つものではないが、それぞれが独自の用語を用いて自説を主張している状態では整理のしようもないため、本稿では「主題」「世界」「登場人物」の3種に分けて整理する。
本稿では主題とテーマは同一の概念とみなすが、主題とは、そのラノベ創作において根幹となるアイディアのことである。冲方や大塚はこの主題を根として木構造状に各アイディアが繋がっていることを主張する。
主題を確定するタイミングについて冲方は真っ先に考えるとするし、大塚は作成した主人公像の要素を深化させそこから主題を抽出するとしている。榎本はプロット作成の段階で必須としていることからそれ以前に考えておかねばならない。西谷は執筆段階で突如として「物語の核」を意識する、と述べるが、この「物語の核」が主題とみなせるのであれば、プロット後に主題を決めてもいいということになるだろう。
このように主題をいつ考えるかは説によって大きな差があるが、結果としてラノベ創作において「主題」が必要不可欠だと多くの作家が述べていることに変わりはない。
繰り返しになるが、全てのアイディアの共通の祖先として「主題」は位置付けられる。従って本稿の分類で言うならば「世界」や「登場人物」は必ずこの主題と関係する要素を持たねばならない。言い方を変えれば、「主題」はアイディアとアイディアの共通要素として機能するため、ワナビ本人は主題として位置づけたが、それが「世界」や「登場人物」に関係していないのであればそれは「主題」ではない。
この「主題」があることの意義について、「読者は「設定資料集」を読みたいのではなく、「物語」を求めている」という榎本の指摘、また「「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです」という大塚の指摘を踏まえるなら、読者が「物語」と捉えるか「設定資料集」と捉えるかは「主題」の有無次第だ、ということになるだろう。
設定資料集が好きな人が存在することは事実であるが、彼らは設定資料集ならなんでも好きなわけではなく、特定の物語を好んだことで、その物語のより詳細な背景情報を知ることを好んでいるに過ぎない。興味のない物語の設定資料集など誰も目を通してくれはしない。
このように「主題」は重要な要素であると考えるが、その表現方法に関して榎本は主題を台詞や地の文で語ると胡散臭く、説得力が無くなるとしているし、クーンツは主題で読者を説教してはならないと注意を促している。台詞や地の文での表現を避けるとなれば、多くの場合登場人物の行動、またそれによって引き起こされた出来事によって表現されることになると考えられる。
本稿では会話文の主体になりうるものを形作る上で用いられる情報(名前、性格や容姿、口調など)の総体を「登場人物」と定義する。「キャラ」「キャラクター」とこれを区別するものもあるが、特筆の無い限り本稿ではまとめて「登場人物」とみなす。
一方で、登場人物以外の全ての設定を本稿では「世界」と定義する。具体的には魔法の有無などの自然法則、身分制のような社会構造、もしくは携帯電話の無い世界といった現代社会との差分もまた「世界」である。
いずれを先に考えるかについては諸説ある。例えば冲方や水島は世界が先だとするし、大塚や西谷は登場人物からだとする。榎本のように特に順序には言及しないものもある。
しかしながら冲方と大塚の「世界」と「登場人物」が揃った状態についての言及は非常に似通っている。
冲方は「人物たちの性格や言動や行動の全般は、結局のところ、大半が、世界と時代に左右されたもの」と言い、このような世界だからこそ、そこに登場するこの人物はこのような設定になるのだ、という必然性を要求する。
大塚もまた登場人物の個性については「キャラクターが所属する「世界」の物の見方の価値観に由来するもの」があるとしており、その人物の設定は彼の存在する世界の設定から必然的に生じたこのような価値観に由来するのだ、という必然性を要求する。どちらの側から見るかの違いだけで、冲方も大塚も目指している状態は同じだと言っていいだろう。
ワナビの「世界」について「リアリティが自分の身の回り3mくらいしかない」「おまえの世界には学校とコンビニと自宅しか存在していないのか」と五代/榊は批判し、リアリティには細部の設定が必要不可欠だ、という立場をとっている。一方で「登場人物」の細部情報への批判としては「異能力の内容だけやたら細かい」にもかかわらず「話に全然関係ない」としており、両者をまとめると「主題」の宿る細部こそが必要不可欠であり、それ以外の細部の設定は不要だとする大塚説とほぼ同一と言っていいだろう。
冲方は「そのテーマが内在する世界を、しっかり構築することができるようにならなきゃ話にならない」と世界における主題を重く位置づけた上で「実際にその世界について書かなくても、少なくとも自分は知っていたいし知らないと駄目」と細部の設定の充実に言及する。
その一方で登場人物については、冲方はそれが主題に関係しないのであれば「性別や年齢をあとから決める」とする。水島も登場人物はプロット上の必要性が出てから作れと述べ、最初に長大なキャラ表を作るというワナビにありがちな行為を繰り返し否定する。ヒックスは事前定義表に基づいて穴埋めで作られた登場人物を「組み立てられた登場人物」と表し、そして「最良の脚本には、組み立てられた登場人物は存在していない」と断じる。
だがこれらは登場人物に細部の設定が必要ない、という意味にはなりえない。例えばクーンツはプロットをまず作ることを前提とした上で、リアリティを持った人物描写のためには、登場人物に関しても細部設定が必要だとして、身長、体重、体型、年齢といった肉体的特徴、声や話し方、動作や仕草など多岐に渡る項目の設定を列挙している。
「登場人物」であれ「世界」であれ、リアリティは細かな設定によって得られるものだ、という点はいずれの主張とも矛盾しない。その細部の設定が「主題」と関係する場合は最初に考えるべきとする見解はあるが、関係しない場合、それがとりわけ「登場人物」の細部設定の場合、これを最初に考えることは多くの見解で明示的に否定されている、ということになる。
これとは相反する主張として、西谷はまず人物設定から始めるべきだとする。「積極性」「肉体的な強さ(美しさ)」「いざというときのリーダーシップ」「やさしさ」「辛抱強さ」「頭の良さ」で点数をつけてチャートを作成するのが良いとして、さらには性格、趣味、髪の色からメイクの仕方、ブラジャーの形状までを設定例として挙げており、そこには「主題」との関係性への言及はない。
ところが西谷は実際の作例において仮置きの主人公を用意するに留めており、チャートについては一切触れず、細かな設定も一切用意しない。まず最初に「世界」と「主題」に取り掛かり、「企画を練り上げる段階で、主人公を変えてしまう」「主人公を引き立てる脇役は、書いている途中で思いつく」とすら述べる。
最終的なこの作例が実際の西谷の手順なのだとすればその手法はむしろ冲方寄りである。 Permalink | 記事への反応(5) | 20:41
「独身貴族より、共働きのほうが稼げると思うんですよ。いろいろ節約できるし」
知人がこんなことを言ってた。
ツッコミどころしかなくて、ツッコミを入れる気にもなれなかった。元々童貞くさい奴だと思ってたけど、こりゃ童貞どころか恋愛経験すらないと確信した。
確かに共稼ぎは収入が倍になるし、家賃やら光熱費やらの出費は単純に倍にはならないので、結果的にキャッシュフローが得になる見込みはある。
でもそれは嫁や恋人と言うより、単なる経済共同体だよね。デート費みたいな嫁や恋人だからこそかかる金を想定してないし、セックスすれば子供ができる可能性もあって、キャッシュフローだけで見れば確実に悪くなるリスクを抱えてる。
何より独身貴族のメリットは時間や行動面での自由にあるはずなのに、それを無視して金銭的な損得を語れるメンタルに驚いた。
旦那をATMとしか思ってない嫁はよく揶揄されるけど、逆の男もいるんだと感心しちゃったよ。ちょっと女の子と付き合ってみれば簡単に悟れそうな事実なのに。
結婚や恋愛を金銭的な損得でしか考えられない人が、童貞をこじらせるのかな。
彼がそんな安易な理想と現実のギャップに気がつく日は来るのかな。来ない気がするけど。いい歳してそれに気づいてないから、童貞くささが出ちゃうんだろ。
以下有名なコピペ
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」 と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、 女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、 子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、 ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
俺は何で社長になったのか。
そして本心はどこにあるのか。
社長になったのは、強く望んだからじゃない、親父の経営する会社の借金を親父が返せなくなって
代わりに俺が返すことになって、それで親父から独立して社長になった。
社長だった親父の背中を見て育ったわけで、いずれ社長になるとは思っていたけど、まさか、こんな形で社長になるとは思ってなかった。
今考えれば、運転資金も無しによくここまでこれたと思う。
新参の会社だから、当然買い掛けさせてくれる資材屋さんは無く、最初の半年くらいは殆ど現金支払いだった。
支払いサイトの関係で、支払いが滞ることも何度もあったけど、その都度誠心誠意お願いして待ってもらった。
でも、大手さんは厳しいね、1度でも支払いが滞ると取引停止になってしまう。
2年目からはキャッシュフローも順調に増えて行き、支払いが滞ることは無くなり、買い掛け出来る取引先も増えていった。
売上も年30%以上の伸びで増えて行き、今期は6億を計上する予定だ。
ただ、今の業態と年商って目標を設定して成し得たわけじゃなくて、気がついたら、こんなんなってましたって感じなのだ。
だから、すごいだの言われても実感もなければ感慨に耽るような事も無い。
正直な所、また売上上がりましたねすごいですねって言われても
「うわ毎月数千万も支払いあんのかよ・・・。一歩間違えたら破産するしかねぇ」としか思ってない。
年収すごいですねって言われても
「どうせ俺の金なんて個人保証してる限りは、あって無いようなもんだ」としか思えない、時計もカシオのまんま。
車は何故高級車にしなかったのかと周りから言われたが、
「高級車なんて買った所で、どうせ何かあったら銀行に取られるんだから、高級車なんて乗ってたら恥ずかしい」としか思えない。
これが、経営者になりたい!って強烈な意識の目標で成し得たなら、高級車に高級時計にってなるんだろうけど、俺にはそれが無い。
じゃぁ、今俺が望んでいることは何だろう。
何がしたくて社長業を続けているのか。
やっぱり、親父の借金を返済しなきゃってのもあるけど、家族が毎日笑顔でいられるような生活を提供したいってのが強くある。
俺が作った家族だ。
娘2人が可愛くて可愛くて仕方がない。
月に一度会いに行くくらい。
あれ?だったら何も地元で働いてたほうがよくね?
遠く離れた地で、孤独に精神を病みながら頑張った結果成果は出たけど、それって俺が本当に心から望んだ事なのか?
現在は旦那さんの稼ぎで生活しながら、きままなディストリビューターとして生活しているらしい。
始めたばかりで収入はほとんどなく、定年までに(あと30年ほどあるが)
20万円定期的に入ってくるようになればいいなあ~とのこと。
つまり「欲に目がくらんだ」状態や、「金銭的に追い詰められている」状態ではないのに勧誘してきている。
この、がつがつ感のなさがめんどくさい。こちらが断ると引き下がる。でも微妙にあきらめない。
一度は就業規則を理由に、ディストリビューターにはなれないということで納得してもらったのだが。
今回は
「年金に加入するより某社製品を購入した方が将来のキャッシュフローが潤沢になり、リスクが低い」
と真顔で言われた。老後が心配じゃないの?と。
こうなると法律的なことやロジカルに儲からない理由を説明しても無駄だということがよくわかる。
ちなみに私は田舎の中高一貫女子高を卒業したが、この学校を経由していない友人からマルチに誘われたことはない。
さらに私の母も同じ学校の出身で、同級生から何度か各種マルチに誘われている。
中高女子一貫高×田舎=純粋培養≒騙されやすい人が多く輩出されるものなのだろうか。
最近のマルチはお金が楽して儲かるという方向ではなく、これをすることで自分だけでなく、広く人の役に立つという営業トークを教えているのだなあ。
勉強になりました。
そういう茶番に巻き込まれるのが嫌なら、一本釣りされるような実力を身につけよう。
・埋もれる中小企業
ただの冷やかしフィルタだろ。
・TOEIC主義
社畜にならなきゃいいじゃん。
なんでそんな会社受けるの?
就活()で初めて財務用語憶えたような奴がキャッシュフローなんか見ても意味ねえよ。
遺伝子の善し悪しと見た目が相関してたり、優秀な奴は優秀な親を持ってることが多く、優秀な人間は不細工な配偶者を選びにくい、という関係があったりするんだろうな。
お前みたいなのが好みそうな安定大企業はかなり似通った人間だらけ。
偽装したくないなら、全て自分の責任でリスクをとって生きるしかないぞ。
それが嫌なら大人しく求められた型にはまっとけ。
話がとびとびすぎます。
上記の話は置いておきます。
中間業者が良いという側面は、リスクヘッジ(企業全体のリスクから個人の出世も含めて)、情報集約の手間を省く。
悪いのは、コストがかかる事、情報伝達が上手くいかないことがあること、キャッシュフローなど。
他にも複数かけるが、ここまで。
真面目に与信通す社員の方が割を食うってふざけんな、って話だろ。
会社全体(社員全体、関連企業全体)の為の仕組な上に、完全な仕組ではないので、誰かが割を食うのでしょう。
困っているなら完璧な与信の仕組を作ればよいではないのかな?
その仕組を通した瞬間、最高に信用できるし、データの信頼度も高く全ての人が納得、反論の余地なし、みたいな。
いや、その通り。
中間業者を省くにはどうするか?
を考える方が建設的だと思うよ。
この記事のブクマがすごいのでこれを生業にしてる知人Aと業界の話を書く。
Aは知り合いから教えてもらって始めたらしい。海外Amazonで買って日本Amazonで売る。
生業にしているので商品の購入金額は100万/月を超えるみたい。クレジットカード決済がメインだっけな?
法人化してて数百万の融資も受けてそれを元手にしているようです。
商品の選別とかは元増田に書いてあった通り。メジャーなものは扱わない。
売上は月間100万を超えるらしい。仕入もあるので特別儲かっているわけではないが
生活に困らない程度には利益が出るそう。キャッシュフローをうまくやれば自由にできるお金も増える。
この業界にはいま続々と参加者が増えていて数千人ぐらいのコミュニティができあがってる。
トップの人達はもうすでに自分ではやってなくてコンサルとか講師で稼いでる。
セミナー打つと1000人ぐらいは集まるらしい。
他の情報商材とは違って商品を輸入して売ってるので、先入観をとっぱらえば以外とまともな商売な気もするし
やってる本人達も「物販」なのでネオヒルズ族とかとは違うという意識を持ってやってる。
商品の選び方はツールを駆使した方法が主流。ランサーズ、クラウドワークス、SOHOビレッジに掲載されている
Amazon価格調査系の案件はたぶんほとんどこれ。AmazonAPIだけじゃ情報が足りないので
ロジックを聞いたら結構面白くて「多くの出品者が扱ってる商品で、直近で販売されて在庫数が減ってるモノ」を
スクレイピングで取得して、それを購入して出品するらしい。要は自分で商品を選ぶんじゃなくて
「他の人が扱っててかつ最近売れた商品」を機械的に販売してくらしい。そりゃ確かに売れるわな。
そんで最近はこの逆パターンをやってる人もいるらしくて、日本のAmazonで買って売るらしい。
こっちは販売数は少ないが単価/利益率が高いらしい。日本っぽいものが好きな人は海外に多いからね。
話聞いてて思ったのは無職で時間があるプログラマだったら販売管理してくれる人と組んでサラリーマンの給料ぐらいは稼げるなってこと。
そんでさらに仕組み化すれば別の人に販売できるのでチャリンチャリンビジネスにもなる。
同じ事考えてる人は多いみたいで、検索すると価格調査ツールとか出品管理とかそれ系のツールが見つかる。数は少ない。
有りといえば有りなんだが、出る杭は打たれるという以前に
APIサービスやRSSというのは、競合他社がそれを利用していることを明示しないで、競合サービスをするときに使っていいのか?
というのは、倫理問題としてあるのでは?
NTTとしてはAndroidに対してGoogleが締め付けてくる。という見解を出したけど、言い方を変えれば
Googleの収益部分は全部NTTがやります。 AndroidでGoogleは儲けないで下さい。ってNTTは言うわけだろ?
お互い言い分はあるにしろ、常識的に考えて、Androidが無料なら、広告や課金はGoogleがやる。ってのは、常識的範疇だろ。じゃなければ、Androidの原資はどこから出てくるんだ。
という話とまったくおなじで、はてなブにしろ、TwitterにしろFacebookにしろ そのサービスと競合するサービスを、そのサービスAPIとして使うのは倫理的に問題が有る。
ということを、事前に考えず、公開されているし、規約にも書いてないんだから、何をやってもいい。という話にはならんだろ。社会常識的に。
黒とはいわんが、事前協議ではてブと連携するならともかく、倫理問題考えずにヤッた挙句、成功すればいいんだ、若気の至りとばかりに、はてなが買収って
なんか、なっとくいかないし。
原発の問題も含めて、東大の倫理価値観はどうなってるんだ?と思うことが 昨今多すぎる。
頭いいんだから、倫理問題が有ることは事前にわかるし、キャッシュフローも事前にわかるんだからAPI公開してるサービスのキャッシュフローに反するサービスを作るなら考えなきゃいけないってことは 事前にわかるだろ。頭いいんだから。
t時点のキャッシュフローがΔc_0(t) (給与収入)、Δc_1(t) (運用益)、-Δc_2(t) (返済)だとして、資産額をU(t)、負債をD(t)とすると、
Δc_1(t) = r*U(t-1)、Δc_2(t) = c (= const.)で、U(t+1) = U(t) + Δc_0(t) + Δc_1(t) - Δc_2(t)、D(t+1) = (1+s)*D(t) - cであるから、r,sをgivenだとしたときに、
cを色々に変えてみるとどういうUの時間発展が得られるか
与えられた条件を代入し式を整理すると
U(t+1) = U(t) + Δc_0(t) + r*U(t-1) - c
D(t+1) = (1+s)*D(t) - c
ここで2つの式の差を取ると、
U(t+1)-D(t+1) = U(t) + Δc_0(t) + r*U(t-1) - (1+s) * D(t)
資産額と負債額との差は正である、すなわち左辺>0であることから、
Δc_0(t) + U(t) + r*U(t-1) - (1+s)*D(t) > 0
である。
なんでcが関係あるんですかね?
そりゃさすがに逐一説明していくほど余裕は無いからね…。
まぁ簡単に言えばt時点のキャッシュフローがΔc_0(t) (給与収入)、Δc_1(t) (運用益)、-Δc_2(t) (返済)だとして、資産額をU(t)、負債をD(t)とすると、
Δc_1(t) = r*U(t-1)、Δc_2(t) = c (= const.)で、U(t+1) = U(t) + Δc_0(t) + Δc_1(t) - Δc_2(t)、D(t+1) = (1+s)*D(t) - cであるから、r,sをgivenだとしたときに、
cを色々に変えてみるとどういうUの時間発展が得られるか考えればいいんだよ。分かりやすく噛み砕いて説明するのってコストかかるんだよ。
社会インフラの必要分はすでに整備されつくし、生活に必要な物資も遍く普及し、しかもきわめて安価になってきた。そして労働者人口が減少傾向にある。こういった社会では、需給ギャップはどうしても起きてしまうため、デフレとなり、そしてそれが世界に先駆けていれば比較論的に通貨価値が上がっていくため、通貨高を招く。これは必然のように思う。
このとき、そこそこのキャッシュフローのある家庭では実のところ、より快適な生活が可能になる。だが将来、もっとデフレそして不況が長引いていくと予想もするので、おいそれとは貯金を使えない。幸いデフレで商品価格は安いので、ちびちび使っていくことになる。
しかし、このとき弱者はどうなるか。ありついた職は労働時間が長いわりに給料はむちゃくちゃ低い。働く先があるならまだいい。働く先を見つけられない家庭は生活保護に走る。かくして生活保護申請が急増し、財政負担はますます重くなる。赤字国債発行高が急増していく。もう持たないとすれば、間接税を増税し、欧州並みの25%以上を目指すしかない。しかしそれをやると消費が細り、さらに不況がひどくなるだろう・・・。生活保護世帯がまた急増してくだろう。
昨年までの自民党から民主党政権まで、こんな感じの推移と予想だったのではないだろうか。
これを解決するにはどうしたらよいのか。
いまの安倍政権で実験しているのは、次のような目途であろう。まず金融緩和を大規模増とし、財政支出を進め、デフレをむりやりインフレに持っていく。それが土地や株の資産インフレをまず起こす。企業や家庭の資産価値(担保価値)が上昇し、消費・投資がしやすくなる。インフレ期待が上がれば先んじて借金やモノへの転換が有利となる。不況から脱することで、雇用が上昇し、働ける弱者への金回りが良くなる。生活保護から脱却する。社会保障費が減少していき、財政負担圧力が低下するため、思いきった間接税増税を実施する必要性が薄まっていく。
これはあくまで実験だ。こんな風にうまく行くかどうかは分からない。というのも、十分行きわたった商品はやはり不要だし、労働者人口が減少していることも現実だ(団塊世代が既に引退しはじめている)。いまだ無いが今後誰もが欲しがるであろう商品やサービスが生まれてくるまでは、政府支出で引っ張る。子育て支援体制を整備することで、出生率を下げることなく、女性労働人口を増加させる。引退した団塊世代の働き口を整備する。そういった取組みで乗り切ろうとするだろうが、はたしてうまく行くかどうか。移民拡充による労働者人口増は、話にも上っていない。
またうまく行きすぎたときも問題となる。1986年~92年に起きたような、調子乗りがまた湧いてくるかもしれない。あのときも急激な円高に対応するために、急速に金融緩和を進めたため、土地をころがせばころがすほど儲かる仕組みが出来上がってしまった。社会批判に負け、総量規制、金融引き締めをまた急速にやったため、ハードクラッシュをお越し、企業のみならず、人もたくさん死んだ。
海外に出て行く気もないし、海外に人脈がない、そもそも英語が出来ない金持ち。
他の国だと、年収や資産と、その人の語学力や海外人脈は概ね比例する。
しかし日本では、年収だと割と比例関係を描くが、資産で見ると、相関度がいささか低い。
要は、「たまたま都内の土地持ちの息子に生まれた」ようなケースだと、
別に本人の能力に関係なく「資産持ち」になるので、相関しなくなる。
「金持ちの子弟をスイスとかの欧米に留学させ、各国エグゼクティブと人脈形成させますよ」という
コンサルタント営業をしようと日本進出するが、あまり上手く行かない。
それは「資産保有高と、海外進出意欲が、正相関を描かない」という日本社会の特殊性を、
理解していないからでは?
「欧米だと、高所得層、エグゼクティブ層も積極的に国際結婚するが、
日本のエグゼクティブの国際結婚比率は相当低い」という数字が、あるんじゃないか、と思う。
例えば、年収10万ドル以上とか、総金融資産100万ドル以上のアッパー層の
「国際結婚比率」を可視化させたら、OECD加盟国内で、日本は最下位なんじゃないか?
「日本の最高税率を上げれば、日本を脱出する金持ちが増える、だから日本は最高税率を上げてはいけない」
という議論を目にするが、キャッシュフローが多い、年収が多い金持ちだと、確かにそうだろう。
しかし、キャッシュフローは少ないがストックが多い、つまり資産持ちの場合は、
メールで言われた○○支部に行くと西船支部で早速やってほしいと言われた
しかも、おまけに車で送ってくれるとまで言ってくれた
車内の中で二人っきりというのもあれなのでそこそこに気になっていることについて聞いてみた
支部のある人が言うには共産はこういう感じのスタンスで動いているらしい
その後、西船支部につき、ビラ配りをやった
共産党の本部は結構豪華の建物だと言われているが、西船支部はなんとアパートの一室だった
さぞ台所事情が苦しいだろうなと思っていたら、ビラ配りの途中で政党助成金を受け取っていないのでCMも出せないし、
ちなみになぜか知らないが二つの支部ともじじばばが結構な比率でいて若い人は結構少なかった
老人が喜びそうな政策ばかり出しているのもそのせいかもしれない
いや、正直、普通の人なんだから普通に恋愛するか。商売女にしとけよ。という意味。
年収が高いならともかく、貯蓄があるだけなら、そうそう無茶はできないよ。
キャバクラみたいに、年収の高い奴とホストがライバルみたいなところへ行ってもしかたがないだろ。
普通に結婚相談所に登録したら?スペックは普通の中では高いから選べるだろ。
だいいち30なら、もう楽しむべきことは楽しんだろ。普通に平凡な女性と結婚して子供の養育にステージをうつせよ。
恋愛を金で楽しむのは、年収があってキャッシュフローが高い奴がやることだ。
親の遺産があるだけの普通のやつなんだから、普通にしとけ。その方が 自分も変な女に捕まって精神をやまなくてすむ。
平和に平凡にしとけよ。
元増田です。
能動的ニヒリズムというニーチェの概念をググりました。多分、ニーチェは大いに不満を抱くと思うが、これまでの俺の理解だと、今回の積極的人間不信の考えはある程度能動的ニヒリズムに近い考えだなって思った。
それで、弱者が生きる方法に関する積極的人間不信に基づいた俺の意見を書きます。
現時点の環境に順応して生きていける能力の度合いが、強さの話と仮定する。
現代社会は、資本主義ゆえ、腕力でなく金の有無が生きていく能力だと考えてる。
この場合のお金は、キャッシュのストックとフローの両方を含めている。
基本的にはお金がなくては、食べ物が取れなくて死ぬから、その能力の低い人を弱者として定義。
ただし、そこには永久的にお金を手に入れられないか、一時的に稼げないかである程度は違いが出る。
永久的とは、お金がない状態がなくなる目処が全くつかず、かつその可能性も低い状態。
人間の行動規準として、苦しみからは逃げるように出来ている。だから、死ぬというある程度高いレベルの苦しみから逃れるため、まずは永久的に金を稼げない状態から逃がれようとする。
しかし、それがいよいよ不可能になると、死ぬこと以上に苦しくなるから、命を絶つか、命を懸けるか、死ぬまで待つという行動を取る。
ただし、ここで一つ問題がある。
食うだけの金を得るための、人間としての基礎的な学習能力があるにも関わらず、何らかの理由で一時的に稼げない人間も死んでも良いかというと、それは違う。
人間は「誰でも」突発的に一時的に稼げなくなる事もあり、そこからは自分の身を守る行動を取る。
そこで仲間という補完し合う関係が生まれる。一時的に何も出来ない状態でも、死から自分を遠ざける手段。
現代社会においては、国や会社が仲間と言える。結局の所、これはわかりやすい積極的人間不信で、それを金とルールで契約を交わすことで、国民や従業員をある程度信頼足る存在にする。
さて、そうした時に一番問題になるのが、一時的と永久的の線引きが人によって曖昧だということ。
職業を例にすると、足がなくなった鳶職の人は金を稼ぐすべを最低でも一時的に失う。人によっては、そこで新しいキャッシュフローを永久に産み出せない。
しかし、プロのデイトレーダーはそれでも一般的に羨む額の金額を稼ぎ続ける。
そうなると、何を持って一時的とするか、永久的とするかの線引きが個人で変わってしまう。
そのため、その線引きは相当低いラインに下げて、基本的には永久的に弱者に近い仲間も補完せざるをえない状況になる。
そこで国家は社会権を組み入れ、弱者を保護する仕組みを作らざるを得ない。
そして、弱者は生き続ける社会の方向に現代社会は進まざるを得ないと考えます。
ここから先の理想の話は、社会学、経営論、国家論から始まって民族学まで発展するもので、
収拾がつかないと思うので、一旦終わりにしたいと思います。
ただ、弱者は果たして遺伝子的に最後には淘汰されないのだろうか?
というと、その可能性は強者と比べるとある程度相関関係はあるだろうと思います。
そのため、数世代という流れでは、結局社会が変わって行かない限りは死滅すると考えています。
積極的人間不信の考えにおいては、とりあえず自分を否定する行動はやめましょう、ということで、
まずは苦しまないように強くなる、程度に生きるようにして、
その後は自分で決めていく(強くなるのも、自由になるのも)のが生きて行く事だろうって思う。
34:では・・少し考えよう・・「国債を市中銀行が買ってマネーサプライ=お金の総量が増えると思いますか?」実際増えません・・市中銀行は貸す事でしかお金を創る事が出来ないからです・・・
お金の総量が増えはしないが、国債で借り受けた資金は、政府の政策(判断・選択)によって市中の企業などへ流れるだろ。政府や立法機関がダメダメなら当然害だけど。金が余って使わないやつが国債を買うんだから、キャッシュフローは良くなるって、素人の私は考えるけど。マネーサプライってのが多かろうが少なかろうが、実質一部の人間がせしめて使えない(流れない)なら「絵に描いた餅」ってやつじゃないの?