はてなキーワード: うつとは
少し暖かくなってきたこともあって昼にマックシェイクを飲んだ。
飲んでいて、子供の頃を思い出した。
貰った直後は中身が固くて吸い込めず、ストローの先にくっついたシェイクを食べていた。
次第に溶けてきて飲めるようになるが、それまでストローで掬って食べるのがたまらなく楽しくて美味しかった。
しかし今では商品が改良されたのか、吸う力が成長したのか、最初からストローで飲むことができる。
だが何より、蓋を開けてストローを舐めているのを見られるのが恥ずかしいというつまらない感性を身につけてしまっていたのが大きい。
ポーランドなど東欧3カ国首脳、ウクライナ首都を訪問 | ロイター
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-3-idJPKCN2LC23Z
昨日のニュースだ、東欧三か国の首脳が直々にキエフ(キーフ)に赴きゼレンスキーウクライナ大統領と会談を持った。
このニュースを見て、戦地に赴く三か国の首席は度胸がある、と感じた人も多いだろう。
だが、この席で、そしてこの席の裏で何が話し合われただろうか?
ここに、現在のウクライナにおける戦争、ロシアによる侵攻を止めるターニングポイントがあったのでは? と増田は思うのだ。
突拍子もない絵空事としてひとつ考えてみてほしい。
次に打つべき手は、
という感じだ。
NATO/EUの加盟条件などは良く知らないので差しさわりがあるかもしれない。スカンジナビア諸国を含めるかは駆け引きの材料になるだろう。
当然、ロシアはプチ切れして新加盟国への直接攻撃や核カードを振りかざしたり、戦術核を使ってきたりもするかもしれない。
もし、そのように急激なエスカレートが行われれば、今度はNATOの出番になるだろう。
ようするに、ロシアと西欧諸国との間に緩衝同盟を立ち上げるわけだ。そして、停戦交渉への駆け引きに段階を設けることができる。
ロシアから見れば、実質的にはNATOの株組織ではないか、ということになるが、名目上、ロシアに侵攻する意図が低い緩衝地帯ができた、と国内にアピールすることはできる。このままこじれて、この戦争にNATOが介入したり、引っ込みがつかなくなって核戦争に突入したりはしたくないはずだ。
スラブ民族からは遠いが、かつての子分たちが嫌だっていうなら、しょうがねーな、で軍を引く建前ができる。ウクライナにNATO軍も駐留しない。
旧東欧諸国にとっても、このままウクライナがロシアの属国もしくはロシア領となれば、次に矢面に立たされるのは自分達だ、モルドバなどはもう国を出るか迷っているという国民の声を伝えるニュースが流れている状態だ。
もちろん、新加盟国の国民は、ロシアが侵攻を拡大し自国が危機に陥るリスクが少なからずあり腹をくくる必要はある。しかし、現実的にロシアにはもうそんな国力は残っていないのではないか?
個々の加盟国の軍事力ではとてもロシアに太刀打ちすることはできないが、現在の膠着したウクライナ国内へ参戦すれば、おそらく戦局を逆転しうる力にはなる。
ポーランドやハンガリーは既に一部近代的な西側装備の導入も進んでいるため、参戦とあらばアメリカや西欧諸国がウクライナ戦線にさらなる近代装備を注入する可能性も飛躍的に広がるだろう。
ロシアがクリミアでゴネるようなら、「なんならカリーニングラードの独立にも御助力するが?」と匂わすこともできるだろう。ベラルーシに至っては、ロシアについたばっかりに周りを囲まれガクブルだ。
この戦争で、ロシアは依然強大な力を持つ大国ではあるが、平気で嘘をつき国際法を守らず、何をしでかすかわからない無法者であり、軍隊も統率がとれておらず通常戦力は恐れていたほど怖くはない。という化けの皮が剥がれてしまった状態だ。
ただし依然として長距離ミサイルや核は持っている。何をするかわかったものではない、という意味では引き続き油断はできない。しかし、食料・資源・エネルギーの供給国でもあり、平和に仲良くやっていけるなら良き隣人でありたい相手のはずだ。
起きてしまった戦争は元には戻せない、覆水は盆に返らず、ウクライナ人達のロシアに対する感情はもう絶望的だ。ロシアがウクライナを属国にしたところで、手に入るものは少ない。
このまま戦争を続ければロシア軍はゴリゴリと戦力を削られ、アメリカの思うつぼだろう。
今は、ふるってしまった鉾をいかにおさめ、被害を最小限におさめて撤退するための口実が必要なはずだ。
旧東欧諸国による新・ワルシャワ条約機構(ロシア抜き)は、そのための呼び水になるのではないか?
まぁ、それでプーチン大統領が納得するかというと、それが一番の問題なわけだが。
子供のときにキッズステーションで最終回だけを観たんだけど、どうしてもタイトルが思い出せない。
・弟と、人の言葉をしゃべるタヌキ
・死ななくていい代わりに今住んでる町の友達すべての記憶を消す
・昨日まで友達だった同級生たちが一様に「どなたですか?」となり、やがて寂しそうに主人公は町を去る
若干時期はズレるが概ね同時期に読んでいた「うしおととら」に同じ展開があったときに
このアニメのラストを思い出して激しく憂うつな気持ちになった。
ただ、タイトルだけが思い出せない。あのときキッズステーションでは
魔法少女特集みたいなのをやっていて、古い古いアニメを繰り返しやっており
序盤で脱落した。
とにかくストーリーがつまらない。先行きに何の期待も持てない。
自由にロールプレイすることができない。開発陣が敷いたレールに沿って走らされている感じがする。
そして致命的に操作性が悪い。歴史上最悪のゲームUIだと思う。
グラフィックだけは良い。
中盤で止まっている。
他のオープンワールドゲームの要素を寄せ集めて平均点を狙いましたって感じ。
原始時代みたいな町並みに安っぽいSF設定。もっさりしたアクションに自由度の低いゲーム性。
この美しいフィールドを自由に駆け回れたらよかったが、段差も壁も登れず、騎乗できる機械獣も限られていては…。
中盤で止まっている。
小島秀夫という人はめちゃくちゃレトロスタイルのゲームクリエイターなんだろうな、と思った。
デスストは、極めてシンプルなルールを真ん中にぶち立てて、そこに肉付けしたような作りになっている。
美麗なグラフィックや物理演算で飾り立てているだけで、やっていること自体はファミコン時代と変わっていない。
それはフィールドという巨大な器を物量で埋め尽くす他のオープンワールドゲームとは正反対の思想だ。
デスストのそうしたゲーム性も面白いとは思うのだが、中盤までいくと「もう十分に味わったかな」という感じになってしまった。
中世日本の時代考証、美麗なグラフィックとアートワーク、軽快なバトルシステムは素晴らしい。
しかし壁のぼりやロープアクションが決まったところでしか出来ないという自由度の低さは大きなマイナス。
またストーリー面での自由度も低く、ほとんど分岐がない上に、主人公の行動にも納得ができない。
叔父上の言うとおりに正々堂々と戦っていたら強制イベントで暗殺を強いてくるし。
叔父上に従うつもりで選択肢を選んでいたらいきなり主人公がブチキレて喧嘩別れするし。
ゲームとしては面白いが「オープンワールド」としてはいまいちだったという評価だ。
小型ロボットを遠隔操作し、監視カメラやドローンのハッキングを駆使して敵拠点に潜入する、というゲーム性は特異で面白い。
ひとつのミッションをクリアするのに無数のやり方があり、オープンワールドらしい自由度の高さを味わうことができる。
街中のNPCを仲間にできるというのが売りだが、各キャラの性能にはそれほど差異がなく、あまり面白さにはつながらなかった。
ただ、ゲーム中で売られている服が豊富で、キャラごとに着せ替えを楽しめたのは良い点だった。
ストーリーも及第点だが、決まった主人公がいないのはやはり短所だと思う。
行動と選択肢による分岐。スキルを選んで作り上げるキャラメイク。街中を飛び回り壁を駆け上がる自由度。
もちろん都市を舞台にしたヒーローアクションとしてみれば「スパイダーマン」には劣るのだが、
2014年発売のゲームだと考えると、むしろこの完成度は驚異的だと言える。
残念だったのは、善ルート・悪ルートどちらかを最初に選んだら実質的に一本道である点と、
せっかくスパイダーマンでは実現しえない「複数の超能力」だったのに、自由に使えずいちいち切り替えないといけない点だ。
とにかくどこにでも登れる、どこまでも行けるアクションの自由度の高さはピカイチ。
アサクリシリーズらしい時代考証のしっかりしたストーリーも素晴らしく、もちろん選択肢と分岐もあって没入感がある。
また取得したスキルの効果を実感しやすく、レベルアップに従って新しいアクションが解放されていく点も良い。
武器・防具の少なさと、それに伴う鬱陶しい課金要素はご愛嬌…というには大きすぎる瑕疵か。
とはいえ、これぞオープンワールドのスタンダードだと言える完成度である。
今後オープンワールドRPGを作るならこのアサクリを最低ラインとしてほしい。
オープンワールドの最大の弱点は「通常移動しかないと面倒くさい」「ファストトラベルばかりだと味気ない」というジレンマにあるが、
スパイダーマンシリーズはそれを「通常移動が超高速で爽快感バツグン」というだけで克服してしまった。
本作にはいちおうファストトラベルもあるのだが本当に一度も使わなかった。
天井に潜んでひとりひとり敵を吊り上げていくステルスプレイの楽しさもスパイダーマンらしく題材を上手く活かしている。
しかしスパイダーマンという固定されたキャラクターを使っているために、
装備やスキルを取得してもプレイの幅はそれほど変わらないのが残念と言えば残念。
先述した「オープンワールドの最大の弱点」を克服するために取ったFF15のアプローチは革命的だった。
そして他のゲームであれば車は「速い通常移動」でしかないが、FF15における車は「遅いファストトラベル」として設計されているのだ。
自動運転で目的地の近くまで行き、最後の数百mだけ徒歩で移動する。「えー、こっから歩くのー?」という仲間のボヤきに共感。
移動中も絶え間なく喋り続けるパーティメンバー。割り込んでくるミニクエスト。
写真撮影。夜間行動の禁止により生まれる冒険と宿泊のサイクル。そして食事。
最高の雰囲気だ。他の何物にも代えがたい。
ただし――FF15は後半に入ってこの長所の全てを投げ捨てる。
車は壊れる。パーティはギスギスして無言。クエストは一本道。オープンワールドですらない。
最悪の雰囲気だ。もうやめようかと思った。
それでもラストは感動的だった。途中でやめなくてよかった。
もしFF15に無限の予算があり、開発人員がいて、最後までオープンワールドとして開発できていたら。
もっとクエストに密度があって、ついでにパーティメンバーも変更できて、戦闘システムももう少し改良できていたら。
本当にオープンワールド史を塗り変える神ゲーになっていたと思う。つくづく惜しい。
FF15のエッセンスを継いだ新作ゲームが出ることを願う(Forspoken期待してるぜ)。
まさに神ゲー。
質の高い膨大なシナリオ。行動と選択肢に応じたストーリーの分岐。
義体の改造とスキルの取得によるキャラメイク。次第にできることが増えていく快感。
段差の端に手が届きさえするなら、どこでも登れるようになっている。
アサクリやスパイダーマンほどでは無いにしても、少なくともここに「透明な壁」は存在しない。
オープンワールドに求めるもの全てが圧倒的なクオリティで詰まっている。
「私も諦めた時に出会いがあって結婚できましたから大丈夫ですよ」
がつらつらと続いてて、はぁ、と思った。
どんだけ残酷な事してくれてんのよ!
いいとこだけを繋ぎ合わせたら魅力的に見えるよね。
本心では一人で生きていきたい人っていう。
令和の時代にクリスマスケーキの例えが出てくると思わなかったわ。
いい男はみんな結婚している、って当たり前だよー。
そんな素敵な男性を黙ってても捕まえられると思ったのかな。
ええ、これを書いてる私も結婚できないんですけども。
ただね、婚活は一通りやりました。
だから胸張って言えるの。
やりきったと。
でも、ダメだったと。
清々しいわよ。
責めずに済む。
やるだけのことはやったのだから。
世論とか周りのプレッシャーに負けて、しなきゃいけない気がして
頑張った。
多分本気で結婚したくて頑張ってる人の半分も努力してないかもしれないけど
でも行動にはうつしたよ。
動いたから迷いは消えたの。
本当はした方がいいことはわかってたのに、プライドやら意気地なさ
周りの無責任な「大丈夫だよ」の言葉に縋って、でも心は正直だよね。
何やってんの?!と。
具体的なアドバイスもあったけど、それに対する返信はしょっぱめで
気持ちはわかるけど、どっちが本人のためかってはたから見た一目瞭然。
悩む前に個人年金積立た方がいいよ…って。
派遣社員なら尚更さ。。
怖い。
今年度、畑違いの部門の管理職になって、上司はパワハラ気質なのもあり、
仕事は早々に行き詰まりを感じ、さらに上司が感情的に怒るの繰り返し。
半年くらいは耐えていたが、だんだん辛くなってきて、不眠に加えて、
精神的な落ち込みがひどくなり、休みたい、会社辞めたい、なにもしたくない
とうつ状態が強くなってきたので、このままだと本当に動けなくなると感じて、
自宅からさほど遠くなくていける範囲のクリニックを探して電話をしたのが土曜日。
予約が2週間先とかがざらっていわれてたり新患受付してないとかあるとかも
ネットで調べてた時に目にしたけど、運良く日曜日を挟んで今日受診することができた。
電話では体調や精神状態がどんな感じかとか今どんなことに困ってるかとかを
すごい親身に話を聞いてくれた。
■受診当日
クリニックの入り口に消火設備がどうのとか非常口がどうのとか貼り紙がしてあって、
そういう追い詰められた人が来るところでもあるんだなとも感じた。
診察では、先日の予約電話で話したことの他に、今の生活の状況とか症状、
心理テストみたいなのもやって、中等度のうつ状態っていうことで、
なんとなく実感とあってる感じだった。
で、そのあとはカウンセリングとは違うんだろうけど、
仕事の話とか仕事でどんなことがしんどいかとかをじっくり話を聞いてくれた。
途中で長いなぁとも思った(学歴とかキャリアのことって関係あるのって気がして)けど、
自分のつらい症状とか困ってることを親身に聞いてくれたことはとてもありがたかった。
ひとまずは生活を整えること、とりわけ睡眠をちゃんととるように(とれるように)とのことで、
うつの薬の処方はなく、睡眠のお薬を1週間分処方してもらった。
1週間薬を飲んで、薬が合うかどうかとまたお話を聞かせてくださいとのことで、
お薬が無くなる前の日程で週末に次回の予約をした。
今日から睡眠の薬を飲んでみるけど、劇的な変化があるとは思えないけど、
そして、来年度は異動願いをきちんとしたためよう。
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方の無いことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題となり、政争や武力闘争の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代は三百年近くの長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえつけて作り上げた仮初めの平和だ。
そうした時代においては、食料生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは歴史の必然であったことだろう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化をはぐくんできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝が耐えることはない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
しかし、今では大豆は安価で大量に海外から輸入できるのだ。製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで
なんで米を発酵して作った味噌を汁にして、米の飯を食わにゃあかんのや。
米と米で相性最悪やろ。
何のために・・・
基本的には、勝つため(有利に負けるため)だろう
そのための効果を最大に発揮するべき。
ロシア人の店への嫌がらせが頻発しているとのニュースをよく見かける。
また、FBやインスタがロシア人への暴行を容認するような規約変更をする方針とのニュースがあった。
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-meta-platforms-idJPKCN2L72MR
現状、実際に嫌がらせをしているのは少数の人間なんだろうなーとは思うけど、
プーチン含むロシア指導部の行為が容認できないのは言うまでもない。
という誤ったメッセージとして受け取っている人たちがいるように思う。
ロシア経済を絞り上げてクレムリンへの国民の不満をぶつけて、内部から紛争を止まらせることが目的だよね。
(それが仮にプーチン支持者だったとしても)
正義のつもりなのか、叩いても咎められない相手に憂さ晴らししてるだけなの分からないけどさ、
「ほら、国外ではロシア人はこんなに弾圧されているよ、やっぱり俺らについてきたほうがいいだろ?」
それはプーチンに利するであろうことを考えると、
在外ロシア人への攻撃行為は、間接的にロシア指導部に協力しているとすら言えるんじゃないだろうか。
ただ、「敵はロシア指導部である、ロシア人全体ではない、在外ロシア人への攻撃はやめろ」くらいを各国偉い人が言ってほしいなぁ。
(知らんところで呼びかけていたなら申し訳ないけど)
ロシア国民にしてもさ、引き返してもどうせ嫌われているし経済制裁で地獄ならもう突き進むしかねーだろ、という負のインセンティブになりかねないじゃん。
第一次世界大戦後にドイツに対してとんでもない額の賠償金を請求して、追い詰めた結果ナチスを生み出すことになった。
ロシア国民に対しては「不本意ながら経済制裁してるけど、翻意してプーチンを表舞台から引きずり下ろせば、経済制裁もやめるし外資も戻ってきてお得ですよー」という雰囲気を醸成するような、アメ的なメッセージも伝えるべきじゃないかな。
ウクライナ人がロシア人を憎むのは、もうこれはどうしようもない。
家族や友人を殺され日常を蹂躙された人たちに、相手の国民へのヘイトをやめろ、なんて言えるわけがない。
だけど、直接的な被害を被っていない第三国の人間は冷静になって、
在外ロシア人へのヘイトが何を生み出すのか考えたほうがいいと思うな。
今回の侵攻がどう終わったにしても、ロシア人が消えていなくなるわけではなく、今後も引き続きお付き合いすることになるわけだし。
※プーチンを選挙で選んだのだから仕方ないという意見もあるが、
実態を見るとまともに民意を反映した選挙が行われていないよね。
もう暗いニュースばかり上がってきて本当に疲れる。。
しばらくニュース見るのやめようかな。
■金曜
その日は朝から喉が痛かった。いつもこの時期、つまり花粉の時期、こういう風邪みたいな感じになる。「コロナかとも思うけど、毎年恒例のあれかな」と思っていた。
しかし、夕方、職場で「消毒します。みなさん手伝ってください。」とのアナウンス。詳細は教えてくれないけど、どうやらコロナ陽性者が出たのはわかった。
となるとおれのこれもがぜんコロナの疑いがおきる。
夜、ますます喉がヒリヒリする。うちに帰って寝室に隔離する。妻と子ども2人はリビングで寝てもらう。
まだまだ子育ての大変な時期、妻の大変そうな声が聞こえてくる…。
■土曜
発熱センターに電話したら病院を紹介してもらって、行った。PCRの検体を取った。てっきり鼻に痛いのつっこむのかと思ったら、唾液をたっぷり取るやつだった。
今PCR検査は混んでて、結果は月曜か火曜とのこと。マジか~。時間かかるんだな。
梅が咲いてる神社を散歩して帰ると妻から怒りのメール。早く帰れと。いるだけで違うからと。
■日曜
のどはまだ少し痛いだけで、熱もない。どちらにしろ、重症にならなくてよかった。
妻からは怒りだけでねぎらいとかはあまり感じない。逆の立場だったときは「上げ膳据え膳いいな~、しばらくこうしていたい」とか言ってたのに。
■月曜
朝、病院から電話「やはり陽性でした」マジか~~~…。会社と連絡。妻はむしろ腹が座って怒りは少しおさまった。
症状は相変わらずのどの痛みだけ。
コロナ経験者の友だちに「ハナノアで鼻うがいするといい」と聞いた。調べてみると鼻腔でウイルスが増殖してそれがのどや肺に下がってくるらしい。ならたしかに鼻うがい効きそう。早速買ってきてもらって試した。
…死ぬかと思った…。ツーンとはしない。でもなんか苦しい。鼻からのどに液が流れてくるとオエってなるのと、息を止めてるせいだった(慣れたころに振り返ってみてわかった)。
隔離されてるとむしろ自由を感じる。絶賛子育て中だから子ども第一の生活だった。だからほんとに久々に一人になった気分。子どもたちが「パパ、パパ~」とこっちの部屋に入って隔離がグダグダになるかと思ってたけど、ちゃんと言うこと聞いてくれてる。妻の負担はすごいけど。
■火曜
前にリモートワークしてたときのデスクをリビングから持ってくる。仕事をはじめる。AnyDeskっていうので会社のPCにアクセスするんだけど、すごい!全然遅延を感じない。こっちはノートPCでしかもwifiなのに。どうやってLANケーブルを寝室に引こうかと考えてたけど必要なさそう。ただモニタが1台になって解像度も落ちたから作業がしにくい。
妻が相変わらずねぎらってくれなくて少し落ち込む。それを伝えたら優しくなった。やっと少しうれしい気分。
夜になって例のアレ、匂いが消えた!コロナ特有のこれ、ほんとに起きるんだ…。生ゴミをしばって捨てたけど全然匂いがしない。
■水曜
天気がよくて寒さがやわらいだ。よかった。
別のコロナ経験者友だちに匂いのことを言ったら、「一ヶ月したら戻るよ、あと髪抜けるよ、あと勃起が弱くなるよ」と怖い話をされた…!ひ~~~~!
■木曜
頭がかゆい。ナイツツッチーのコロナ療養記を聞いたとき「家族にうつしたくないから風呂は我慢した」って言ってたから、おれもそうしてる。最初からこの家での隔離は無理があると思ってるけど、逆にできることはみんなやらなきゃと思う。だからお風呂はなおってからでいいや、あと少しだし。と思ってるんだけど、頭だけはかゆくなってきた。
匂いが少し戻ってきた!
■金曜
おれもあと少しだ~!仕事はこのまましばらくリモートにしてもらおう。ちょうどいい距離で散歩気分で通勤してたけど、まあ様子を見ながら。
「ウクライナにも反省すべきところがある!ウクライナ国民の人命重視なら政府はロシアに譲れ!降伏したりNATO入りを諦めますと謝罪したりしろ!」いう人を見かけて「プーチンが核を使っても"ロシアにも理がある"と言い続けるのか」(=さすがに核をうつような指導者を擁護はするまい・手のひらをかえすのだろうか?)と疑問を抱いていましたが、私なりの結論が出ました。わかっちゃいました。
↑こういう人はもしそうなったら「ゼレンスキーが判断を誤ったからプーチンが核を使った。ウクライナが被爆したのはゼレンスキーのせい」って言うんだ。
要約
小説を読むのは好きだ。私は小説を読む時、主人公に感情移入して読んでいる。そして、本を読み終わった後も本の中の主人公の思考から抜け出せない。そのため読了後、本の中の憧れの世界と、自分のどうしようもない生活との落差に驚かされて憂鬱になってしまう。皆さんはこの落差と、思うようにならないことも多い現実に、どう向き合っているのだろう?
要約終わり
小説を読むのが、苦手というか、嫌いになった。
小学生の頃は、学校図書館にある本とか地域の図書館の本をかなり読んだ。
中学生の頃は、学校図書館の本だけでは飽き足らず、友達からラノベを中心に本を借りて読んだ。
高校の頃は、「国語の勉強」と言い訳して読書と受験勉強を1対1ぐらいでしていた。
登場人物の気持ちに思いっきり感情移入して話を読み進めるのにはワクワクする。
とっても綺麗な情景描写を見つけたときは、まるで自分が本当に綺麗な景色を見てるみたいでとっても感動する。
悲しい話だったら心が締め付けられるし、いい話だったら心がぽかぽかする。
ハッピーエンドで本が終わった時には、感動して涙が出そうになる。
でも、小説を読み終わった後が嫌いだ。
頭の中は小説の世界でいっぱいで、私は主人公になったみたいに心が揺れ動いている。
でも現実はそうじゃない。
友達と遊ぼうにも、あまりにも突然すぎて誰も乗ってくれないと思う。
頭がぐらぐらする。
本の中と現実が違いすぎて、その落差に頭がついていけない。
本の中では、楽しいことと、辛いことがバランスよく混ぜ合わされて出てくる。
主人公の行動が、周りに影響を及ぼしている。
高校生が主人公の小説なら、雨の日の通学が面倒な様子とか、あんまり書かれていない。
友達と何を話していいか分からずに悶々とする様子とか、あんまり書かれていない。
自分のいないところで友達が楽しそうに遊んでる様子とか、あんまり書かれていない。
現実はそうじゃない。
楽しいことも辛いこともある。
でもそれと同じぐらい、面倒なこともあるし、どうしようもないこともある。
本と違って現実は決して都合のいいところで終わらない。
いつまでも終わりが見えない道が続いてく。
本を読み終えると、まず現実との以外に驚く。
そして、もっとこうしていたらと自分の今までの生活を責めてしまう。
後悔というよりは、諦めだ。
どうしようもない。分かってる。
でも現実は本の中と違って退屈だし、私は本の中の主人公と違い、空虚な人間だ。
小学生の男女の幼馴染が、お互いの家庭環境の悩みを共有しつつ成長していく話だ。
男の子は近所に引っ越してきたみなしごとの関わり方に悩み、女の子はお母さんの再婚相手とそのことどう関わっていけばよいか悩んでいる。
物語が進むにつれだんだんとお互いに秘密を共有しだし、仲が深まってきた中で、突然に女の子の引っ越しが決まり、卒業式を迎える。
「きれいな景色を見ていると、いろんなこと、もう、どうでも良くなっちゃうね。」
本当にそうだと思う。きれいな景色を見たり、きれいな本を読んでいると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。
「そうだといい。でも、きっとそうではない。どうにもならないことって、ある。けっこうたくさんある。」
この本を読みながら、私は小学校の頃を思い出した。
でも、私は幼馴染になるほど人と関わる努力をしていなかった。
本の中と違って、現実はどうにもならない。
どう受け入れていけばいいのだろう。どう向き合っていけばいいのだろう。
私は本の中から、その答えを読み取れなかった。
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。