はてなキーワード: あいちとは
仮に、猥褻物に当たらないエロ漫画の作成や頒布を禁止する法律が出来たり、萌え絵の広告を禁止する法律ができたりすれば指摘は当たるだろうが、そんな主張があるかというのが問題で、現実的な争点とずれている。
①公共機関による広告や公共機関の開催するイベントで、ジェンダーステレオタイプを助長する表現を行わないことはどうか?
→宇崎ちゃんや戸定梨香。そもそも、これらは公的な団体側が主体として発信する際に「外注」したもので、主体である団体側として一定のコントロールができる(するべき)場面になる。この点で例えば先日の広河氏の写真展とは大きな違いがあることに留意するべきだろう。この場合に内容規制や広範な方法規制の様な厳格な審査が必要だとするのは非現実的となる。なお、例示した個別事例についてフェミニスト側の批判を正当と考えるかは別で、個人的にはどちらも限界事例に近く、そうであればなるべく緩く表現を許容すべきとは思う。
→たわわやCEROを想定して考える。ある私的な報道機関が自社製品への広告掲載にガイドラインを設けることは一般的にはその報道機関の自由の範疇にあるだろう。また、特定の業界団体の自主的規制も原則的には同様だろう。これらの「自主」ルールには法的な権力が伴わず、あくまで当事者間の合意による調整と見られるためである。但し、これはかなり難しい問題を孕む。例に挙げたCEROで言えば、現実的には同機関の審査を通さないと一般流通は極めて困難になるため、内容規制に近い効力を持ってしまうが、これを法的に救うことも困難であり、解決手段がない危険な状況にある。いずれにしても、根拠がないと規制は出来ないと甘いことを言っている状況ではないだろう。
→これについては大阪市営地下鉄が参考になるがこれも市の不作為が違法でないとしたのみで、市側が制約することが違法かどうかについては別の考慮が必要だろう。この点でも広告ではなく表現の本体そのものを制約した広河氏の写真展の事例や、大阪における表現の不自由展の事例などは示唆に富む。またあいちトリエンナーレの帰趨にも注目すべきだろう(論外という意味で)。
こうして見ると、近時のネット炎上で言えば問題になりそうなのは温泉むすめくらいだろうか。これも、夜這い等の設定についての苦言というところが大きく、「萌え絵規制」とは遠い様に感じる。
もちろん、個別の苦情内容で、安易に「性犯罪の助長」という様な話を出していることには別途の問題はあるだろうが、噛み合わせるべきところを噛み合わせないと、法以外の形による実質的規制は進んでいくだろう。なお、この点で、あらゆる表現の自由は法によってのみ「規制」すべきというかの様な意見を一部で見るが、業界団体の自主規制を法制化して混乱したAVの事例を見て本当にそれだけで良いのかはよくよく考えるべきかと思われる。
昨今の表現規制問題で、「表自はあいちトリエンナーレにはダンマリだった」というコメントを見かけた。
確かにどちらも政治による圧力によるものではなく、「民間の声」によるものである。(津田氏は政治家の圧力が中止の原因ではないと言っていた。)
個人的には萌え絵だろうがあいちトリエンナーレであろうが、法に触れるものでなければ自由に表現されるべきであると思っているが、
萌え絵に賛成⇒あいちトリエンナーレにも賛成しなければならない、という主張には首をかしげざるをえない。
これまでの色んな人の意見を見る限り、この2者に対する態度としては自分が思いつく範囲では以下の3パターンが考えられると思う。
私と同じ考え方。
法に触れるものでないなら自由であるべきだし、仮に法に触れるというならその指摘をしたうえで、表現者が従わないなら法的措置で対応するべきだろう。
個人的には同意できないけど、「見たくないものを見ない権利」とやらを大前提にするならこういう考え方もあるだろう。
そう考える人がいるということは理解できる。個人的には同意できないけど。
基本的に表現の自由は重視されるべきだけど、実在人物の肖像権をはじめとした人権も重視しようという考え方だと思う。
たとえばもし萌え絵ポスターが、本人の許可を得ることなく、「なぜか極端な巨乳になった上野千鶴子」が使われていたら、彼女にシンパシーを抱いている人は怒りを覚えるだろう。
このように特定個人を侮辱していると取られかねない表現はNGだと考える人もいるだろう。
あいちトリエンナーレは言うまでも本人の許可は得ずに写真を燃やしたうえで踏みつけるという表現だ。
しかし自分の知っている範囲で炎上した萌え絵はすべてオリジナル作品だ。だから彼らはこのルールに従って萌え絵は擁護する。
さてこのように2者に対する態度3パターンを見てきたけど、では萌え絵はNGであいちトリエンナーレはOKであるという理路はあるだろうか。
宇崎ちゃんの頃には公金が投入されているかどうかという観点もあったが、あいちトリエンナーレにも公金が投入されていた。
次に公共空間という観点があるが、あいちトリエンナーレの会場は公共施設だ。
あいちトリエンナーレは入場料があるからゾーニングされた空間で問題がないという人がいるかもしれないが、中学生以下は無料だったし、
たわわでは、日経の広告には表現上全く問題がなかったため、わざわざ原作を見に行ってうえで作品を叩く人が現れた。
(無料公開部分以外に言及していた人もいたから、わざわざお金を払ってみたことになる。さもなくば海賊版でも見たというのだろうか。)
巨乳女性を描くのは差別だけど、実在する他人の写真を燃やして踏みつけるのはOK?ちょっとそれは理解できない
とまぁこのように自分には(法律に反していない)萌え絵はNGであいちトリエンナーレはOKというロジックは思いつかない。
もうあとは全力で主観で判断します!しかないだろう。萌え絵はアウト【要出典】であいちトリエンナーレはセーフ【要出典】。
ただそれが認められるというなら主観で萌え絵を擁護してあいちトリエンナーレを批判することも許されるべきであろう。
というわけで、萌え絵に賛成⇒あいちトリエンナーレにも賛成しなければならないという主張は理解ができなくて、
どちらかといえばあいちトリエンナーレに賛成⇒萌え絵にも賛成しなければならないのほうが妥当な主張に見える。
では萌え絵に反対している人はあいちトリエンナーレも全力で否定しているのだろうか?
「いや私は見たくない人に配慮してあいちトリエンナーレも批判していますよ!」というひとや、
「私ならあいちトリエンナーレはOKで萌え絵はNGであると主観抜きで主張できますよ!」という人がいるなら、ぜひ教えてほしい。
国際的なコミュニケーションサイトで英語でコミュニケーションとってたら、日本人はわりあいちやほやされるわけよ。ああいうところって国力が如実に出るから、需要と供給がそのまま出る。日本人は日本語世界に引きこもりっぱなしだし、供給を満たしていないのね、基本。で、一般に名前も知らない国の人は残酷にも相手にされない。でもそういうところにいる人って、それぞれの国ではわりあいエリートなのよ。最低、英語が出来て、日本語もまあまあ出来ます、ってなったらね。超階級社会だから「私はバラモンです」の態度でぐいぐいくる。悲しいかな、自意識と処遇が一致してないのよ。
で、「日本と韓国、どっちが住みよい?」みたいな「おまえが選ぶのかよ!?」みたいな質問をしがち。専業主婦みたいなものでね、「奥様」の立場にいる限りは選ぶ立場でいられるから。
スリランカもね、西側と中国、手玉に取ってる俺ってすげー的な陶酔があったんじゃねーの?弱小国エリートにありがちな発想だけどね。結果、消費者金融に食い物にされる主婦みたいになってしまう。
表現規制の話を見ていると、「私たちは規制を求めていない」「不快であると言っているだけ」「批判をしているのは広告であって作品ではない」「加害行為を誘発する作品は批判されて当たり前」などなど見かけるわけだけど、
そんな人に、ぜひ「昭和天皇コラージュ事件」を知って、考えてほしい。
富山県立近代美術館の企画展で招待された富山出身の芸術家である大浦信行氏の作品にまつわる事件である。
この作品は「遠近を抱えて」というタイトルで昭和天皇の写真と女性のヌード写真などを合成した作品であり、企画展終了後に美術館に所蔵・図録掲載することになった。
ところが、一部県議が不快感を表明し、街宣右翼も抗議活動をした。反対派のある人物は県知事への暴行未遂事件を起こした。
事態を重く見た美術館は肖像権への懸念などを理由に作品を個人に売却、図録は焼却処分することになった。
これに対して大浦信行氏は表現の自由に対して、市民が知る権利を侵害されたとして訴訟を起こした。
原告側は、「作品が他人の権利を侵害したわけではないのだから、部外者の行動を理由に作品の展示を不許可とするのは不当である。」と訴えた。
被告である県・美術館は大浦氏に作品を作るなとも、作品を公開するな、とも言っていない。そして作品を「廃棄」したわけでもない。(図録は処分したが)よって問題ないと主張した。
第一審では原告の主張が一部認められたが、原告被告双方ともに控訴した第二審では「公開すると管理上の問題が発生する可能性があるから」という理由で被告・美術館側の全面勝訴、上告も棄却された。
法曹界では、「表現の自由」の意義を軽視した不当な判決内容である、という評価が一般的である。
この大浦信行氏、あいちトリエンナーレでも作品を発表している。その名も「遠近を抱えて PartII」
そう、あの昭和天皇の肖像を燃やした灰を足で踏む映像作品である。まさにあの写真こそ「遠近を抱えて」である。
大浦信行氏によれば、昭和天皇の肖像を燃やしたのは自分ではなくて美術館だ、ということだ。(繰り返すが作品は燃やされておらず、焼却処分されたのは図録だが)
クリエイターから見れば、作品が燃やされたわけでもなくても、作品の魅力を伝える手段たる図録から排除されることもまた、作品を燃やされることと同等だという事であろう。
売れたら電子だろうが紙本だろうが、
原作者からの訴状よりまっ先に税務署がきて、所得税納税して!なんなら消費税も!嫌ならインボイス守って!っていってくるからがんばってね。
あとFOLIOっつうサービスあるやで、お前にはブタに真珠な知識だろうけど。
なお当然ながら俺のいるジャンルのことを教えてやる気はない
(東方なんてまだやってたんかw もともと原作も同人出身なのにそんなにキツめに言ってるってことは界隈でそうとうやらかしが出たな。
電子で元ゲームのクローンごと配布しようとするとか。そりゃまあいちいち確認できねえし電子一括でやめろ、くらいいわせてやれよ)が、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ325FQWQ32PTIL026.html
大阪市内で昨年7月に開かれた「表現の不自由展かんさい」について、「サリンをまく」とSNSに投稿したとして、大阪府警は2日、兵庫県姫路市飾磨区の無職の男(28)を威力業務妨害容疑で書類送検し、発表した。
男は容疑を認め、「開催されることに不満を持った。(サリンと書けば)恐ろしいことになると思わせることができる」などと述べているという。
同展かんさいは、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で一時中止となった企画展「表現の不自由展・その後」の出展作品を集め、府の施設「エル・おおさか」(大阪市中央区)で昨年7月16~18日に開催。
警備総務課によると、男は同16日午後、「表現の不自由展かんさいへ明日一般閲覧者に紛れてサリンまきます」とSNSに投稿し、会場で警備を担う一般財団法人「大阪労働協会」の業務を妨害した疑いがある。
この書き込みで、来場者全員の手荷物検査を実施することになったという。
男は「女性の人権侵害を許さない市民の会より」と投稿したが、「架空」と説明。
「表現の不自由展かんさい」をめぐっては昨年7月、脅迫文やペーパーナイフなどが郵送される事件が4件あり、府警が脅迫などの容疑で捜査している。
な?
原則として動物は利己的で、人間は動物で、だから人間も利己的な存在だ。
人間は利己的な存在である、この前提で制度は設計されるのが理想だと考える。
利己的な動物である人間に対して、ルールを守らせるには、守った方が得をする設計を用意することだ。
欲望をコントロールしようと思うなら、動物を鞭で打つのではなくて仕組みの方を見直さないとならない。
正直結構ムカついてまして、ここから垂れ流す駄文には言葉が乱れてる部分もあろうかと思いますんで、以上のことに少しでも思いを馳せていただけましたらば、ここで読むのを辞めていただいても結構です。
※
現像すると、10年以上前も、私がまだ高校生だった頃、友達とキャンプした時の写真だった。
思いがけず掘り起こされた若かりし自分たちの写真から、仲間内では大層盛り上がり、思い出話に花が咲いた。
そのうちの一つは、道中での出来事だ。
キャンプの最寄り駅は、今現存してたら秘境スポットとして話題になりそうなほどにオンボロの無人駅だった。
今みたいな簡易改札機もなく、木造りの台が設置されているだけ。そこにめいめいが、切符や、差額がある場合は不足分を置いていくというシステムだ。
細部は覚えてないけど、とりあえず適当に切符を買って、着いた先で精算するつもりだったんだと思う。
地元から目的地まで、乗り越し精算で2000円ほどの差額だろう。今なら乗り換え案内アプリで瞬時に計算できるけどそんな時代でもなく、駅員もいない。たしか両替機も置かれてなかった。
最初からそんなつもりだったわけじゃない。誰も目的地が無人駅だなんて知らなかった。でも、ほとんどタダ同然で遠くまで来れちゃった。ラッキー。
ということで、私たちは無賃で駅を降りた。ただ一人、律儀にお金を置いていった人間がいる。そいつは、今では警察官として働いている。
曲がったことが本当に嫌いで、空気を読まずに正しい行いができるそいつ以上に、警察になるのに相応しい人物を私は知らないし、仲間や知り合いで、警察になったのは後にも先にもそいつだけだ。
逆を言えば、警察になるくらい正義感の強い人物でもない限り、分別のつかないガキが自ら進んで真っ当な行いをするなんてのは珍しい。
私たちは、とりたてて優等生でもなければ、かといって犯罪上等!喧嘩上等!卍!みたいなヤンキーというわけでもなかった。
日本の高校生としての分布図で言えば、年相応に頭が悪く分別がつかないという点も含めて、ごくごく平均的なクソガキだったに過ぎない。
自分の行いを正当化する気は一切ない。遠方まで運んでもらった見返りとして払われるべき対価を払わない。クソだなと思う。今なら私も、絶対に支払う。
けど、一方でこうも思う。果たして、誰にも咎められずに自分が得する機会が舞い込んできた時、わざわざ身銭を切れる人間はどれだけいるだろう、と。
誰しも自分が一番大事で、余裕があれば善行もするけど、自分の目先の欲望よりも他人を思い遣るのは難しい。
私は、漫画の海賊版サイトが流行した時にも同じことを主張した。何かを抑止しようとする時、利用者側に良識ある行動を呼びかけたところで効力がない、と。
本気で人の行動を抑制するには、良識に頼むのではなく仕組みで解決するしかない。
感染対策意識がザルで、開催地だった愛知県知事や常滑市長、および国民の皆様を激怒させた「NAMIMONOGATARI」がいまだに話題ですね。
大変申し訳ありませんでした。本当なら私も参加してました。
たまたまその時の私には“良識”が働いて参加を見送っただけで、出演していたラッパーのほとんどを好きなので、気分次第では実際に参加してたでしょう。ですので、重ねてお詫びいたします。
続きを話す前に、私が“良識ある大人”に成長したことをアピールするため、「あいち医療応援基金」に、ささやかではありますが反省の意を込めてチケ代に相当する額を募金したことをあらかじめここにご報告しておきます。
以下からふるさと納税の返礼品を希望しない形で募金し、額と支払い情報を確定させると、使い道を指定する画面が出てきます。ご興味のある方は是非。
そしてこの基金の存在を知るきっかけをくれた、Awich、CIMBA、CREAMに感謝👍
https://www.satofull.jp/static/oenkifu/corona_virus_pref-aichi.php
さて、「NAMIMONOGATARI」ね。書きづらいからもう波物語でいいよね。西尾維新の作品みたいに見えちゃうけどね。これこそ風評被害だね。
このご時世に、イベントに参加して、お酒を飲んで、大騒ぎして。全くケシカランですよね。
再三の呼びかけを無視して開催を強行。現場をコントロールできず、判明しているだけで数十人に上るクラスターを出してしまったのは波物語主催者の責任でしょう。
聞きましたか? 蓋を開けてみれば、当日の参加者は緊急事態宣言下の人数制限5,000人を大きく上回って8,000人ですってよ。あり得ないっすねー。
何より、行政に補助金を申請してたのにガイドラインを守ってなかったのがヤバすぎ。
ガイドラインを守る見返りに補助金がもらえるわけで、それは取引として成り立ってない不正行為でしょ。まるで高校生の私みたいですね(笑)。
その愚行は、慎重に開催してる他のイベント事業者の足を引っ張ることになるでしょう。大きな禍根を残したと言えます。
そして、ノーマスクで浮かれて、ゴミの始末もしない参加者。ヒートアップして観客を煽ってシンガロングさせる演者。
杜撰な体制の責を負うべきは主催だけど、それぞれも、心当たりがあれば自分の行いを省みる必要があるのではないでしょうか(ルールを守った参加者、ルールを守るよう呼びかけた演者もいます)。
ただ、それは各々がやればいいし、波物語単体が問題だったわけなのであとはもう発生したクラスターの対応などを粛々とするしかない。
しかし、波物語は今もなお、なぜか“日本のヒップホップを代表”して延々と叩かれてる。
いわく、ヒップホップフェスだから。いわく、ヒップホップファンは民度が低いから云々。
この件については、とにかく主語がデカい。みんな、普段はこういうレッテル貼りは良くないと呼びかけるくせに、なんでヒップホップだけはこんなに雑に叩いて良いと思ってんだ?
これについては、擁護派のせいもある。「これがヒップホップだ」みたいな頭の悪い反論がむしろきみたちが守りたいお仲間を後ろから刺してるのに気付いてねーのかYO。後ろ見とけ後ろ。
それでさ、みんな、どういう理屈で、他人に我慢を呼びかけてんの?
医療が崩壊してる。それはそうだ。未曾有のパンデミックに対応できるように設計されてないし、日本の医療にかける予算は世界的にも決して少ないわけではないけど、それでもこの異常事態に耐えられるだけの人出も病床数もなかった。
新たに深刻な感染症が生まれた以上、そのしわ寄せはいろんな形で発生する。それはとても悲しく不幸なことだと私は心から思うけど、これからも人は死に続ける。それは私かもしれないし私の大切な人かもしれない。けどもうそん時はそん時、天命と諦めてコロナと付き合うしかない。
定期的に交通事故で人は死ぬけど、誰も「車に乗るのをやめよう」とはならない。多くは良識的な振る舞いを守ってるけど、交通違反をする人間が定期的に現れるから、人類から車社会をぶっ潰そう、とはならない。それを望ましくないと思う人間が、黙って車に乗らないだけだ。
車は生きるために必要不可欠だから?じゃあ、イベントがその人にとって必要不可欠じゃないって誰が言える?何が不要不急か、他人のてめえが決めんなよ。
ワクチン派は、ワクチンを打たない人間を自分本位で身勝手な人間だと蔑む。
反ワクチン派は、陰謀論と結託してワクチン接種しないように呼びかける。陰謀論者は頭おかしいと思うけど、他人の行動を縛ろうとする点ではどっちも変わらなくないか?
法律の問題で、日本では欧米のようなロックダウンはできないと。だから、政府は国民に“お願い”をする。
この2年で、何度「正念場」という言葉を聞いてきたか。何度「国民の皆様へのお願い」を耳にしてきたか。
しかし、政治家は会合も会食も辞められない。政府の広報である報道機関、新聞社もテレビ局も、全国津々浦々を飛び回り、取材に出向き、毎日集まり続ける。
リモートワークができない職種もあるが、IT企業でさえも当たり前のように出勤させ続けてるところがある。理由は簡単で、その方が会社の利益になると考えてるからだ。
守っても“利益”がなければ、お願いは守られない。飯を食っていくために、リスクと天秤にかけて仕事をする。みんな一緒だね。
我慢するメリットを提供できない以上、要請を無視して営業を続ける飲食店もある。開催を強行するイベントもある。それで飯を食ってるから。
波物語は補助金を申請してたけど、補助金なんて要らないから開催するよ、というスタンスのイベントはこれまでもあったしこれからもあるだろう。これはどの業界でも起こってることだ。我慢するよりしない方が利益になるなら、そっちに傾くのは容易に想定できることだった。
五輪はやる。無観客とは言え、世界205カ国から選手だけで1万人以上が参加し、関係者は海外から数万人が来日した(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58133532)。
五輪を開催した7月の訪日外国人数は51,100人。五輪開催前の6月の訪日外国人数9,300人から、6倍に膨れ上がった(https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/210818_monthly.pdf)。
緊急事態宣言下、無観客開催なのに五輪閉会式に集まったのは9,350人(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000224902.html)。あれ? 波物語よりも多くね?
政府および委員会いわく「安心・安全な開催ができた」五輪だけど、みんなオリパラ関連の陽性者の数、知ってる? 最新の発表、878人だよ(https://mainichi.jp/articles/20210909/ddm/035/040/036000c)。でも「五輪はコロナを抑え込んで成功した」ってさ。
そしたらさ、あんたらはどのツラ下げて波物語を糾弾すんのよ。大村知事、あんたは立派だけど、五輪開催については反対してなかったくね?
パラ観戦にも、結局多くのガキが駆り出された。にも関わらず、遠足も運動会も修学旅行も禁止って。わけがわからないYO。
人は原則、損得勘定で動く。そこから外れる領域は、社会からの要請にどれだけ自分を擦り合わせられるかっていう善意や良識の話だ。
人によってこの良識の振れ幅がデカすぎるもんだから、いろんなところで分断が起きる。
国家がビジョンを示せず、政治家が範を垂れない。制度の見直しは経済崩壊のスピードに追いつかない。こんな国にしてしまったのは、私たちの選択の積み重ねでもあるのだけど、国民への“お願い”は、誰もが望んでなかった監視社会をついに令和のこの時代に爆誕させてしまった。
みんなそれでもお願いを受け取って、自分のできる範囲で、自分なりに我慢をしてる。
ジジイはジジイなりに、ババアはババアなりに、ガキはガキなりに、ラッパーはラッパーなりに、政治家は政治家なりに、みんな我慢してるんだろ。人によって我慢の閾値が違いすぎるってだけの話で。
いつまでヒップホップがどうとか言ってんだ。
波物語のあの場では、演者も観客も、あの振る舞いが精一杯の我慢だったんだろ。
だから、あの場所をつくり出した主催者が悪いし、ルール度外視で支援金を掠めとろうとしたツケは払わないといけない。
そんで、繰り返しになるけど、そもそもそんなザルな申請を通した制度の方を批判するべきだ。どう考えても、強行できるようになってるシステムに問題があるだろ。
みんながこぞって口にする「自分は我慢してるのになんで?」っていう発想がそもそもおかしくて、我慢の対価を用意できない制度の方に問題がある。
特別措置法なんてものをこしらえても、罰金科されてでも要請を突っぱねた方が得するならそりゃもう制度として破綻してる。それは制度の脆弱性であって、その脆弱性に目を瞑って人の善意に頼むのは無茶だ。
善意や良識がこれほど強く求められる空気が蔓延した時代を、私は知らない。
何度でも繰り返すぞ。人間の行動を善意(や理性や良識)で制限することはできない。それを守ることで得をする、というインセンティブでしか欲望は制御できない。
良識ある人間が馬鹿を見る状況を是正したいと本気で思うなら、(真面目な人間から見れば)良識のない人間に矛先を向けるのではなく、煮え切らない対策と方針で国民同士を監視・牽制させる状況にさせてる制度を批判するべきだ。
こんなことまじで言いたかないんだけど、この2年、政府や自治体は、何をしてくれた? 提供されたのは、ごく限定的な補償と、わずかばかりの給付金とみすぼらしいマスク。それと引き換えに政府から“お願い”されてるのは、自分たちの生活すべてを犠牲にすることだ。
人と会うのを控えてほしい、外食を控えてほしい、旅行を控えてほしい、対面授業を控えてほしい、修学旅行を控えてほしい、映画鑑賞を控えてほしい、ライブを控えてほしい云々。
それももう当たり前ながらとっくに我慢の限界だ。このままじゃ死ぬってなったら好き勝手にやるしかない。
食えなきゃ死ぬんだが? 品行方正な店や会社は今もガンガン潰れてるんだが?
自分と同じように苦しんでる人間に石投げて、足引っ張りあって何のつもりなん?
他人様に迷惑かけるくらいなら指くわえて死んどけなんてさ、俺も俺のことが一番大切だから、とてもじゃないけど口が裂けても言えねーわ。あんたら悪魔かよ。
いがみ合ってる国民ほど、国家にとって管理が用意な大衆もいないですね。このままじゃまじでディストピア一直線だぞ。
奴隷は自分の鎖の大きさを自慢するっての、ありゃガチだったんすね。
いや、奴隷たちのチキンレースって言った方がいいか。主催は自分たち自身でもある。
世間が言うように、ラッパーはもしかしたら、コロナへの警戒心が薄い(ように見える)人が多いのかもしれない。
回答くださった皆様、ご協力ありがとうございました。
id | 1戦士 | 2無修正 | 3名誉毀損 | 4ヘイスピ法理念 | 5ヘイスピ罰則 | 6宇崎ちゃん | 7JA | 8あいトレ | 9本 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
b:id:allezvous | ○ | ✕ | ○ | ○ | ✕ | ✕ | ✕ | ○ | ○ |
b:id:RRD | ✕ | ○ | ○ | ○ | ○ | ✕ | ✕ | ○ | ○ |
b:id:HanPanna | ✕ | ✕ | ○ | ○ | ○ | ✕ | ✕ | ○ | ○ |
b:id:yas-mal | ✕ | ✕ | ○ | ○ | ○ | ✕ | ✕ | ○ | ○ |
b:id:greenT | ○ | ✕ | 保留 | ○ | ✕ | ✕ | ✕ | ○ | ✕ |
b:id:tvxqqqq | ✕ | ✕ | ○ | ○ | ○ | ✕ | ✕ | ○ | ○ |
b:id:frothmouth | ✕ | △ | ○ | ✕ | ✕ | ✕ | ○ | ○ |
概ね意見が一致してるのは、
名誉毀損規制(3)・ヘイトスピーチ解消法の基本理念(4)・あいちトリエンナーレ補助金(8)は○、
宇崎ちゃんポスター掲出禁止(6)・ラブライブ!パネル設置禁止(7)は✕、
というところ。
意見が割れているのは、無修正AV(わいせつ物)規制(2)、ヘイトスピーチへの罰則(5)です。
概ね予想通りでしたが、無修正AV(わいせつ物)規制について✕が多かったのは意外でした。
9の○が多いのも意外です(✕の人が答えにくくなってしまっているのかもしれませんが)。
6、7はどちらかというと、アンチ表現の自由戦士向けの質問です。
法規制の当否とは別に、日本赤十字社(JAなんすん)の行為が適切だったと思うか、という質問も初めは入れていたのですが、分かりにくかったので削除しました。
その質問を残していたらもう少し回答に違いが出たかもしれません。
また、地方自治体の広告ガイドラインと同程度の広告規制法制化、フェイクニュース規制や反ワクチン本規制も質問の候補として考えていましたが、それらももう少し回答がバラけたかもしれません。
1. 表現の自由戦士の自認
例えば百田尚樹氏の一橋大講演中止騒動などに興味は持てなかったし、一般の「表現の自由」にはあまり興味がありません。
表現の自由に明るい人々の話を聞くと、ヘイト本などは「買えば売り上げに貢献して癪なので、図書館が所蔵することで十分に批判されるべき」という意見が多数派のようですが、私個人は「目に入れたくない」「子供の目に触れさせたくない」という感想しか持てないのは、私自身の未熟によるところだと思っています。
刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)により、いわゆる無修正のアダルトビデオの販売は基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?
(現状の規制は適切だが、その上で、より広く規制すべきである、という考えの場合も、ここでは「適切だと思う」に含まれるものとします。)
適切だと思いません。
「わいせつ物」などよりも、性行為を禁止する方がよほど有意義だと思います。
3. 名誉毀損
適切だと思います。
いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定や罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?
(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定や罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれるものとして回答してください。)
難しい質問ですが、どちらかと言えば適切だとは思いません。
現時点では実効力に乏しく、一方で実効力を持たせるよう強めてしまうと萎縮効果も無視できなくなり、「現行法の限界」を解消できたとは思えません。
(性質上、名誉棄損などとは違い親告罪にはできませんので、例えば友人同士の悪態などに萎縮効果を生むと、弊害を受けるのは当事者たちだと思います。)
とは言え代案もありませんので、現状ではbetterと言わざるを得ないかもしれません。
行政裁量権の範囲内で対応できなかったのかな、とは少し疑問に思っています。
(例えば、在日外国人の団体などの法人格に対する侮辱・名誉棄損として訴訟を起こすとか、それを行政として支援するなどがあってもよかったかもしれません。)
ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?
適切だとは思いません。
日本赤十字社は、2019年、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボをしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
「このようなポスター」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、宇崎ちゃんのポスターが不適切だったとは思いません。
「このようなポスター」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトルに位置する人々に対する悪質な差別・虐待であると言わざるを得ません。
JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
「このようなパネル」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、ラブライブ!のパネルが不適切だったとは思いません。
「このようなパネル」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトルに位置する人々に対する悪質な差別・虐待であると言わざるを得ません。
8. あいトレ
あいちトリエンナーレ2019(「表現の不自由展・その後」を含む。)には補助金が交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?
適切だと思います。
違法・暴力的手段で合法的な展覧会を妨害するような、犯罪者・反社会的集団に迎合する態度はありえないと思います。
通読したことはありませんが、 『リアル憲法学』法律文化社 を一冊持っています。
まず、「見たくない」からゾーニングを求めているのか、あるいは「悪影響がある」からゾーニングを求めているのか、それらの論点を都合よく使い分ける人を良く見かけますが、大変卑怯な態度であると言わざるを得ません。
「見たくない」人のために一歩下がるのは時に必要なマナーだと思いますし、それ自体の不利益はそれほどないので、受け入れることは難しくないと思います。
一方で、「悪影響がある」と認めるということは、(「悪影響」の種類にもよりますが、)「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」という(差別的)構造を追認することにほかなりません。
議論の土台が、「この世に存在してもいい」ということを前提にしていない限り、その「議論」に巻き込まれることそれ自体を拒否する必要が生まれてしまうのです。
これは「議論を拒否したい」ということではなく、むしろ建設的な議論をしたいのですが、それが難しいということです。
(「見たくない」という感情に「悪影響」という理屈を付けるな、という意見もありますが、私としてはむしろ、「悪影響」という偏見を「見たくない」という同情の盾で守っているようにも見えます。)
また、「見たくない」人のためのゾーニングばかりが議論されますが、主題はむしろ「見られたくない」人々のためのゾーニングにこそあると思います。(前者ももちろん大切です。)
プライバシー権というのは、古典的には「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」とも言われましたが、これは自己決定権などとも関係の深い権利です。
例えば、「着たい服を着る権利」は、「公共空間に着て来るのだから、個人の自由では済まない」のでしょうか?
もう少し議論の分かれるところを言えば、「タトゥーを隠さない権利」についてはどうでしょうか?
安易な「ゾーニング」に反発する人々が求めている権利というのは、そういう意味で「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」ではないでしょうか。
「エロ」という多義的な言葉で議論されることが多いですが、「性的活動に必要なポルノ」ばかりではなく、「文化的活動に必要なファッション、アート、ジェンダー・エクスプレッション」であることも少なくないと思います。(宇崎ちゃんのポスターや、ラブライブ!のパネルは、後者であると思います。)
その意味では、ゾーニングそれ自体はむしろ我々の権利を守る大切な壁であると思っています。
しかし、「ゾーニング」という言葉がそのように使われる場面がほとんどないのは、腑に落ちないところです。
さらに、表面的には「性的活動に必要なポルノ」であっても、それが政治的文脈を伴い、「政治的表現」として表出される場面もあります。最も扱いの難しいものとして、そのような「政治的表現」が、ファッションやアートに転ずるという現象もあります。
これは最初の議論に戻りますが、「性的活動に必要なポルノ」について、「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」ものではない、という声を上げる必要も時にはあります。
長くてブコメでは書ききれないので返信 id:greenTです
1. 表現の自由戦士の自認
→はい
刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)により、いわゆる無修正のアダルトビデオの販売は基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?
→いいえ。公権力が社会風紀のような文化的なものを検閲して管理するのはふさわしくないと思います
理想は性的表現を不快と思った人間と快と思った人間が民事で個別に調整を行なう状況です。
3. 名誉毀損
名誉毀損行為は犯罪とされています。このような規制は適切だと思いますか?
→保留。あまりきちんと調べてない。民事が保護する名誉感情だけでなく刑事で社会的な名誉を守る必要があるようです
どういった場合に民事でカバーできない問題があるのかまだ調べきれてません。
いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定や罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?
(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定や罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれるものとして回答してください。)
→括弧内の条件を考慮して、適切。
ヘイトクライムに発展しないよう、予防的に言論を制限する状況はありうると思います
ただその対象が本邦外出身者に限定されるべき根拠が明らかでないため、対象範囲は書き替える必要があると認識します
また、言論の制限は強力な力の行使なので、みだりにこれを根拠に行動しないようバランスを取る宣言も付随させる必要があると考えます
→要は教育勅語と同じ扱い。個別にいい事は言っているものの、現実に運用すると様々な害が生まれる懸念があります
ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?
→いいえ。4.の回答の通り強力な力の行使なので公権力には使わせたくありません
日本赤十字社は、2019年、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボをしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
→いいえ。献血にふさわしくないと思うのならそう思う人が別のポスターを提案し両方とも街中に提示すればよいと思います
JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
→いいえ。6.の回答と同様に選択肢を増やすことは賛成しますが、減らすことは反対します
8. あいトレ
あいちトリエンナーレ2019(「表現の不自由展・その後」を含む。)には補助金が交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?
→はい。公権力は美術の振興という目的にふさわしいかだけを判断材料に交付金の有無を判断すべきで、思想の内容に立ち入るべきではないです
展示内容がヘイトスピーチにあたるかどうかについては言論の自由市場で解決すべきです
以下はおまけの質問です。回答はここまでだけでもかまいません。
→いいえ。体系的に学んだことはありません
(「ゾーニング」と言っても色々なケースが考えられるので、どのような「ゾーニング」を想定しているかも記載してください。)
→各個人が快適な空間で生活できるようにゾーンを作ることは賛成ですが、
理想は
・アツギタイツや宇崎ちゃんポスターに不快を感じるもの/快を感じるもの
などなどそれぞれ同じコストを負担して自分のゾーンを構築すべきですが
人によっては性的ポスターは何の意識もなく生活しても目には入らず慰安婦像は普段から目にするようにしてほしい・反対の理念の人はゾーンで生活するのに高度な検索などのコストをかけるべき、などの非対称的な要求をします
はてなにいる表現の自由戦士一覧表(https://fubar.hatenablog.com/entry/2021/09/05/045823)が興味深かったので、表現の自由に関する各自のスタンスが分かりやすくなるよう質問を考えてみました。
「 1 Y 2 N 3 ? 4 Y …」みたいな形でブコメで回答しても良いですし、増田やブログで理由も含めて回答しても良いです。
自称・他称「表現の自由戦士」にも自称・他称「アンチ表現の自由戦士」にも答えてもらえると嬉しいです。
刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)により、いわゆる無修正のアダルトビデオの販売は基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?
(現状の規制は適切だが、その上で、より広く規制すべきである、という考えの場合も、ここでは「適切だと思う」に含まれるものとします。)
名誉毀損行為は犯罪とされています。このような規制は適切だと思いますか?
いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定や罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?
(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定や罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれるものとして回答してください。)
ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?
日本赤十字社は、2019年、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボをしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
あいちトリエンナーレ2019(「表現の不自由展・その後」を含む。)には補助金が交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?
以下はおまけの質問です。回答はここまでだけでもかまいません。
(法学部以外の学部における教養科目用の教科書や芦部信喜「憲法」などのいわゆる基本書も含みます。)
(「ゾーニング」と言っても色々なケースが考えられるので、どのような「ゾーニング」を想定しているかも記載してください。)
※なお、私は表現の自由戦士一覧表に載ってるものではありません。
※回答が難しいというコメントがあったので質問を少し変更しました(9/6 19:40頃)
これでも難しいという場合、どこが難しいか教えていただけるとありがたいです。
※「相当である」が分かりにくそうだったので「適切である」に変更しました(9/6 20:14)
※憲法の本につき、念のためかっこがきの注記を加えました(9/7 9時頃)
(注1)
本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律
(注2)
同法2条において、「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するものに対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」と定義されている。
https://www.moj.go.jp/content/001349430.pdf
(注3)
イラストについては以下を参照(リンク先画像はクリアファイルですが、イラストは同様です。)。
https://www.asahi.com/sp/articles/photo/AS20191029003200.html
(注4)
パネルの内容は以下を参照。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yoneharausako/status/1433044285113307137
↑のブコメ群なんだけどさ、「被害が生じてるから性的なものを表に出すな」と言ってる人って、
あいちトリエンナーレ(表現の不自由展)を中止させた河村市長と全く同じこと言ってるて自覚あるのかな。
性的嫌がらせをしてくる迷惑な人=政治的嫌がらせをしてくる迷惑な人
と置き換えれば、
政治的な展示物があるせいで政治的に厄介な人たちを刺激して会場周辺の安寧が保てなくなるから、展示会を中止します。
と、つまり
となって、今回のブコメ群と河村市長の言ってる事が全く同じになってしまうんだが。
あのとき「悪いのは政治的嫌がらせしてくる連中なのだから、展示会は表現の自由のためにそのまま続けて、嫌がらせをする連中を取り締ればいいんだ」
て主張が支持されてなかったっけ?
今回だって「悪いのは性的嫌がらせしてくるヤツなのだから、店は経済活動の自由のためにそのまま続けて、嫌がらせするヤツを取り締まればいいんだ」
てなるべきやん。
そうならないのって、結局は「性的なものは嫌いだし見えると不快だから表に出てくるな!」ていう個人的な好み、偏見、お気持ちによる差別的言動そのものだよね,
ふだん「表現の自由戦士w」と他者を揶揄してた連中が、今や揶揄してたのと同じ自己矛盾に陥ってるやん。
ほんと、醜いね
一部ブコメ
「あるモノがそこに有ることで厄介な人を刺激して行動させてしまう」を理由にして、法的に問題のないモノを撤去させる事は妥当か?
「表にあるから」「チケット入場制だから」「ゾーニングされてるから」とか関係ねーだろ
ゾーニングて言うならエロ表現だってゾーニングされてて、公的に子供に見せちゃダメと認定された18禁表現は表に出されてないだろうが。