はてなキーワード: 習い事とは
もう何度も出尽くされた話だけど、数年作る側として同人誌を頒布してみて価格について自分なりに考えたことをまとめようと思ったので。
価格のことはイヤでもついて回ったのであくまで一個人の考え方としてアウトプットしてみる。
そもそも弱小サークルなので印刷費+スペース代がとんとんって感じだったけど、それでも最終的に大きな赤字にはならなかった。
これは本自体を少しだけ多めに刷って半年以上(本によっては一年とか)+通販で在庫を捌けさすスタイルだったことももちろんあると思うんだけど、私のようなへっぽこが趣味として同人をしていくうえで赤字が少なくすんだのはジャンルとカップリングと毎回新刊を手に取ってくださった方々に感謝するばかりです。
私はこれを「多少は儲けたっていいじゃん」と思っている人だけど、黒字がでた分に関してはできれば他の人の同人誌買ったり、お世話になってる印刷会社さんにお金を落としたりしてくれれば嬉しいなぁとは思う。
私のカプでも【多少は黒字でたっていいじゃん派】と【同人で黒字なんてもってのほか派】と両方いた。
んで私の周りの【同人で黒字なんて~派】はとにかく儲けている人への攻撃がすごかった。
あくまで私の周りだけだから特殊な人が集まっただけだと思うけれども、黒字をだしてそうなサークルでノベルティ等で還元してなさそうな人はもうなんか思い出したくも無いレベルで罵っていらっしゃった。闇を聞いてしまったと思う。
これはすごく勝手な分析だけれどもその人たちはおそらく「ジャンルに対して真摯な自分」であり「ジャンルで儲けようとしてる人間」を許せなかったんだと思うし、「自分たちがやってないことを平気な顔してやってる人」に腹がたって仕方が無かったのかな、とも思った。
これは、同人に対しては半分正しくて半分間違ってることだなと思った。
例えば普通の趣味で、何か習い事をしたりするってなったときに先生との相性、立地を含む通いやすさとかを見ると思うんだけど富豪でもない限り必ずそれに伴う料金を考えると思う。
少なくとも私は見る。めっちゃ考える。続けていくうえでどこまで趣味に投資できるのか。お金を使えるのか。自分の月収から趣味に対してどこまでの金額を使えるのかっていうのは結構重要なことだと思っている。
普通の趣味もしくは習い事(例えば語学教室とか料理教室とか)って同人と違って金銭のリターンがあるほうが珍しいんだよね。
だから趣味は赤字が当たり前で、その赤字(というか自己投資なんだけども)を財布と相談したうえで現実的な値にするかというのも本人に決定権がある。
同人は誰かに強制されるわけじゃないから多くの人にとって趣味だけど、当人と印刷会社だけ額を決められないんだよなぁっていうのに同人誌を作りはじめてちょっとたった頃に気付いた。
私の月収、生活環境から一ヶ月の趣味にあてられる金額は2,3万円ぐらいが自分の中での目安だっだ。
参加する即売会イベントは基本的に2,3ヶ月に一回、ぐらいなので一回のイベントに対して掛かる金額は4万~6,7万ぐらいになる。
ここから私は【交通費】【スペース代】【印刷費】【当日買いたい同人誌】を全部まかなっていた。冒頭でも書いたけども弱小サークルなので基本的にこれだけの額があれば上記はクリアできたし、頒布側の人はわかると思うけれどもこれがいっきににドカンとくるわけではないのであくまで目安としてほしい。
一例としてあげると
一月:スペース申し込み代金4千円~6千円
二月:印刷費(私の場合)約3万~5万(部数とページ数によっての変動や印刷会社による価格の違い)
三月(イベント当日):交通費(東京の場合往復で5千円程度)、同人誌の購入費平均2万ぐらい
こんな感じで多少の変動はあれどまったりとやっていた。
ところがどっこい。私ももちろんサークル参加するとあるイベントで嬉しい誤算が起こった。
再録、アンソロ、分厚い個人誌のオンパレード。同人誌は一期一会買わなければ絶対に後悔する。
馬鹿だと思ってくれていいんだけどそれはもう欲望のままに買った。戦争は大勝利だった。財布はもちろん瀕死だった。
冒頭にも書いたけれど私は本自体を少し多めに刷って、半年ぐらいは持つように在庫を持っていた。
新刊の内容や装丁、参加者の入りに左右はされるけれども基本的に一度のイベントで印刷費が回収できることはない。そういうサークルでした。
このイベントで私の本が売れたかっていうとまぁ、まぁいつもと同じでした。
つまり私は予算オーバーをし(これは自己責任であり本が摂取できてるので心は安らかだった)、イベント以降も自分にとって大きな額の赤字引きずったままだった。
続けていくためには黒字にできなくても現実的な赤字に戻さなければ生活は圧迫されたままだ。
結論を言うと印刷費を削った。ページ数は無理だったし装丁はオプションのせてなかったので部数を削りました。
毎回イベントでは余ってるし、半年~一年持たせなくてもとりあえず落ち着くまではイベント一回分と通販あればいいかなって。
本を作るのは好きだし、手に取ってもらえると嬉しい。でも私の場合は人が作った本も欲しかった。次のイベントもおそらくこのフィーバーは続く。アニメ化して人気だったし!!!次イベは丁度推しのパートだし!!
買いたい本に割く金額が増えるのだから、使える金額の上限が決まっている以上どこか切らなければならない。
いつもより人が増えた今回のイベントで新刊の頒布数は変動していないのだから減らしてもいいだろう。そう思ったのだ。
そして次のイベントではありがたいやら部数読み間違えて悲しいやら新刊はまさかの完売だった。
受け入れてもらいやすい内容だったのも影響したのかもしれない。その本はイベント開始から1時間もったかどうかも怪しい。
サークル活動を続けて私はここで初めて複数名から「再版ありますか?」と声を掛けられた。
刷れば刷っただけ一冊単価が下がるのが同人誌だけれども、部数を減らした私は完売しても印刷費分がやっと回収できるレベルだった。
金銭面を総合するとここでやっと普通の生活に戻れるラインにはなっているが、正直再版は厳しい。だって既刊はまだ残ってる。これ以上部数を落とせば原価割れで売れても売れても赤字になるわけで、残っている既刊が全部はければ再版分の赤字を補えるがそんな奇跡に期待するのは厳しい。果たしてその赤字は私の中の現実的な赤字に納まるのか?その赤字を抱えたまま次の印刷費は捻出できるのか?と思うと再版はできない。
ごめんなさい、と言うしかなかった。(今でも読みたいと言ってくれた方がいたのに再版する財力が無かったことを悔やんでる)
それまでが長めに頒布するスタイルだっただけに、いつも手に取ってくださってた方々も「あのサークル(私のサークル)は長めに頒布してくれるから後回しにしても大丈夫だろう」と思ったのだと思う。私も買う側なら私のサークルをそう判断する。
結果として手にはいらなくてももちろん自分の判断を悔やむしかない。けれどこの時ふと思った。
「あれ?これって私はこの程度で済んでるけどシャッターや壁なんてこのレベルじゃ無理だよな?っていうか文句つける人でてくるだろ」と。
有名になればその分だけいい人も悪い人もついてくると思う。
そして有名な人がみんな財力をもっているわけじゃない。
私の印刷費はかかっても過去最高で5万円ぐらいだったけど(それでもこの額を振り込むときは勇気がいった)、大手サークルはなんかもう「私の生活費からだせる印刷費はここまでの額で刷れるぶんだけ!」って決められるレベルじゃない人ばっかなんじゃないだろうか…
みんなが富豪なら問題ないけど、きっと人気のあるサークルさん(壁やシャッターだけでなく)の中には学生さんもいたりするんじゃないか。そしてその人たちの財布の状況とは別に需要が発生してしまうんじゃないか。
私は自分の頒布数と印刷費が自分で決めれるけれど、そうじゃない人もいて、そして需要を作っている人間に間違いなく本を買った私も含まれているのでは?
そう思ったら【同人誌で黒字なんてもってのほか派】が途端に恐ろしくなった。
いやいや、だって、本が買えなかったら悲しいじゃん…本欲しいよ……買わせてくれよ……印刷するための多少の黒字は確保しててほしいよ……
次の印刷費にあてるだけの黒字は持っててくれるほうが安心するよ……再版で毎回赤字のリスク抱えるのやめてくれよ……額でかすぎたら心臓キュってなるじゃん
次の印刷費の満額だすような黒字じゃなくてもさ、せめて半分だけでも黒字分を確保してくれてたら安心だよ…
女性向け界隈では人を叩くのに使われる「完売はわわ」「再版はわわ」というのがある
最初はツイッターとかで「完売しちゃってごめんなさい><はわわ」ってする人のことだと思ってたんだけど、毎回毎回再版してる人のことをサークル側が「いい加減学べば?馬鹿じゃないの?」と言ってたりもする…女が集まってるんだからこんなのはたぶんどのジャンルやカップリングでも多かれ少なかれでもあるのかな、と思う。
私の場合は買う本を減らせば印刷費に当てられたけど、たとえば最初からどうしても我慢が出来ない分しか本を買ってない人にそこを我慢して印刷費にあてろというのは酷だし、そもそも既にそこを削っている人もいるかもしれない。
私は欲望を抑えられなかっただけなんだけど、今は不景気だし減給とかあとフリーランスの人は収入自体が左右されたりするんじゃないかな、と思うとやっぱり赤字を現実的な額に抑える努力は必要だし、赤字抑えた結果の本が手にはいらなくなるぐらいなら黒字だしていいから刷ってくれ!頼む!って感じがする。
こういうのを誰かと話す機会もなくなってしまったのでどこかに頭の整理として書きたかった。
作品は自分の子供なんです!とか、本が売れないと創作意欲が萎えるからとか、神のアフター代まで賄うべきとか、印刷費以外の経費のことを考えろ!とか私はそういうことを言う気はさらさらないです。
ただ「欲しいと思った本」が「その時に欲しいと思っている人に届けられる冊数」が成り立てば最高だなって思ったら、黒字は金銭的にはもちろんメンタル的にもすごく大事なことなんじゃないかな、と思いました。
http://anond.hatelabo.jp/20160930010427
私の父は厳格な人だった
ゲームやテレビは子供の教育に悪いと信じ込んでいて兄である私と弟はただの一度もゲームを買って貰ったことはなかったしテレビも1日の視聴時間が決められていた
お小遣いは定額制ではなく使用用途を伝えその都度貰っていたが、基本的に本や文房具以外のものが認められることはなかった
高校に入学した頃には私以外の全員がケータイを持っていたが、私にそれが与えられることは遂に最後までなかった
しかしそんな厳しい父を尻目に小学校高学年までの私はとにかくよく遊んでいた
2つの習い事に加え塾にも通っていたが、休日はもちろん塾が終わった後の短い時間でさえ無駄にすることはない徹底ぶりだった
それが出来たのは、ひとえに母のおかげだった
母は父に内緒でよく私に少額ではあったがお小遣いくれ、時には習い事を休ませたりしてくれた
ゲームも漫画もうちにはなく、テレビも自由には見れなかったが、私はその分友人の家に入り浸って幼いころの自由な時間を満喫していた
私は一切それを守らずそれまで通り遊び倒した
父はなぜ言いつけを守れないんだと怒り、私は玄関に立たされた
ふてくされて突っ立っている私をもういいよと中に入れてくれるのは母の役目だった
流石の私も少し堪えたが、頻度は減らしたものの眠ったり仕事をしている父の目を盗んでは遊びに行くのを辞めなかった
父はまた言いつけを守れと怒り、私は玄関に立たされた
母は何も言わずに私を見ていた
私は休日に遊べなくなった分、平日夕方めいいっぱいまで遊び家族の食卓に遅れた
父は私の夕飯はないと言い、母も反省しなさいと言った
私は遊ぶのを辞めなかった、決して非行に走ったり学校や塾を休んだりする事はなかったが、遊ぶことは辞めなかった
ある日、母は私に言った、父さんの言うことを聞きなさい、と
それからしばらく経った頃、父は急におかしなことを言うようになった、更に少し経った頃、父は急性アルコール中毒で病院に運ばれた
私は怖くなり、父の言いつけを守るようになった、遊ぶことをやめ家で読書をする時間が増えた
それから少しして父は夜中、急に外に出ていくようになった
私はそれを阻止するため玄関に布団を敷いて寝た
父はよく分からない薬を大量に買ってくるようになった
私は父が寝ている間にそれを没収しては机の引き出しに隠すのが日課になった
父は朝早く起きると財布の中身を確認しては金が足りないと言うようになった
私は誰も盗っていない事を証明するため日に1度写真を撮り、父よりも早く起きるようにした
私が父の言いつけを守った時間が増え、習い事の段が上がり、学校の成績が上がる度、父は昔の父へ戻っていき、我が家は平穏を取り戻していった
私以外の家族3人に笑顔が戻るに連れ、私の中には私だけが犠牲になっているという思いが募っていった
私は自分の憎しみをコントロールすることが出来なかった、心の底から父と母を憎んだし、休日、自由に遊ぶ弟を卑怯だと心の中で罵った
愚かな私は他人の気持ちを考える事が出来なかった、自分の気持ちを正当化するために家族を悪者に仕立て上げた
父と母は十分に私を愛してくれていたのにそれを理解できなかった
私には望むだけの本が与えられたし、望んでも通うことが出来ない人間もいる塾や習い事へ行かせてもらったのに、ただ一面だけを取り上げ、事実を見ることが出来なかった
父の症状が殆ど寛解したある日、私は友人と1泊2日の旅行に行きたいと言った、お金のない私のために友人が当ててくれた懸賞だった
父の症状はみるみるうちに悪化していった
私はそれを無視した、頼むから行かないでくれと泣いて頼む母を無視した、兄ちゃん行かないと父さんに約束してと言う弟を無視した
私は母と弟に言った、父の症状が悪化しても毎日寒い玄関で寝て夜中の2時に一度起きてまた朝5時に起きるのは私なのだから、お前らは毎日ぐっすり眠っているのだから良いだろうと
それは事実とは違った、まずそれらは毎日のことではなかったし、母がそれを出来ないのは父の分まで忙しく働いているからだった、弟にも弟の事情があった
なのに私は全てを無視して、他人の気持ちを考えず、家族を口汚く罵って、ただ自分が楽しみたいという理由のためだけに旅行へ行った
その日父は死んだ
私が高校2年生の春だった
父は書き置きを残した
私への言葉だった、お前にはもう何も期待しない、自分の好きな場所で自分のしたいことだけして暮らせと、そう書いてあった
父は休養しながらも仕事を続けていたので式は母の想いに反して大きなものになった
私は笑顔で父の生前の思い出を語った、嘘の思い出を、思ってもいないことを、父をなくした不幸な長男面して喋った
私には明確に父を殺したという意識がある
ふとした時、誰かと話している時、急に思う、なぜ親を殺した人間がこんな笑顔で、こんなニコニコと話しているんだろうと
同時に思う、自分はそんな可哀想な自分に酔っているのだと、罪の意識など微塵もないのだと、自分が悪いなどとは考えていないのだろうと
しかし、また同時にそんな考えに至る自分に驚く、なぜ一丁前に自死遺族面しているんだと、もしかしたら誰かに受け入れて貰えると思っているのかと
そしてそんな時どうしようもなく自分を殺したくなる、罪があるのなら死ねば良いし、親を殺してなんとも思わないような人間は死ねば良い、どちらにしても自分が死ねば良いとそう思う
自分が死ななかったのは、その無神経さもあるだろうが
ひとえに母と弟のお陰だと思う
私は父が居なくなった後すぐに家を出た、父の最後の言葉からどうしても父の家を自分が居て良い場所だとは思えなかったから
高校に行きながらバイトをして、大学へ入学後もバイトを続け、最初に母から借りた引っ越し代や入学時に借りた入学金は全て返済した
お金の返済は、どうしても振込は嫌だと母が言うので現金で実家まで持っていった
それ以外にも何かと母は私に実家へ来るよう約束を取り付けた、大学入学後買ったケータイには毎日朝昼晩メールが来た
母は私が死なないように心配していたのだと思う
私は外ではそう出来るように、母に対しても明るく振る舞えば良かったのだが、母と弟に対してはどうしても昔のような態度で接することが出来なかった
父がいなくなった後、私が母と話すときの態度を傍から見ていれば、私が次の日死んでしまっても不思議ではないと思うだろうがから、母には悪いことをしていると思う
でもどうしても、母と弟の顔を正面から見ることは出来なかった
時が経つにつれ私は父への想いよりも生きている母と弟への思いが強くなっているように感じる
おそらくどちらかが、私に父を殺した責任を取れと言えば私はその場で命を断つと思う
そして、こんな事を考えながらも実際の所、私は二人の気持ちを確認するのが途方もなく怖い、そう怖いから二人から距離を取ったのかもしれない
今週、そんな私も20幾度目かの誕生日を迎え、母が祝ってくれると言うので、昨日は実家にいた
用意してくれたケーキを食べ母と少し会話した後3人でテレビを見ていると、母がコンビニに行くと言うので、私も帰ろうとした所、引き止められた
弟と二人きりになるのは久しぶりだったし、会話するのはもっと久しぶりだった
弟は誕生日おめでとうと言い、私は驚きながらありがとうと返した
続けて、その…兄ちゃんに俺……と言い出した所で弟は泣き出した
どうやら、ずっとごめんって、と言おうとしているようだった、でもそんな簡単な言葉も聞き取るのが難しいくらいに弟は泣いていた
泣きながら、ごめんごめんと言っていた
ごめん兄ちゃんずっとごめん、と泣きながら言っていた
兄ちゃんが家を出て行く時ホントは止めたかった、でも止められなかった、兄ちゃんが俺の変わりに父さんを助けてくれてた、でもありがとうも言えなかった
ホントはもっと俺が頑張るべきだったのに、兄ちゃんが変わりに頑張ってくれた、ごめん、ずっとごめんって言いたかった、ずっとありがとうって言いたかった
でも言ったら兄ちゃんが死んじゃうような気がして言えなかった、ずっと言いたかった、兄ちゃんごめん、あの時、ホントは言いたかった、兄ちゃんありがとう
弟が目を手で伏せ泣きながら喋っている間、私は弟以上に泣きじゃくっていた、本当に信じられないくらい泣いていた
本当は弟より先に私が言うべきだった、弟にごめんと、また弟の気持ちを無視していた、自分のことだけを考えていた
私はなんとなく何をあげたらいいのか分からないので昔兄弟が好きだったアーティストのアルバムをくれたのだくらいに思っていた
http://anond.hatelabo.jp/20160930010427
このエントリーを読んで初めて「花束を君に」という歌のことを知った
もしかしたら弟はこのプレゼントを話題のきっかけにしようとしてたのかも知れないし、単純に私のためにこれを選んでくれたのかも知れないが
とにかく、知ることが出来てよかった
衝動的に書いたので読み辛いだろうけど
笑われるでしょうが、朝起きてお昼を過ぎるまで、このページを開こうと思う度、激しい震えと動悸に襲われ開く事が出来ませんでした
父の事を誰かに話すのは、どんな形であれ初めてだったので、何と言われるのか本当に心底怖かったからです
意を決してこのページを開き、はてなブックマークのコメントを読んで、また10分程泣いてしまいました
おそらく他の方には何気ないコメントだと思いますが、私にとってはそのやさしい言葉の一つ一つがどうしようもなく嬉しいものでした
結局の所、私はあなたは悪くないと、あなたは生きていても良いんだよと、そう誰かに言ってもらいたかっただけなのかも知れません
もちろん当人にとってはそんなつもりは一切ないのかもしれませし、自分の気持ちを本当にこんな簡単な言葉で表す事ができるかは分からないのですが
今はただ、弟と宇多田ヒカルさんとコメントをくれた方、皆さんから勝手にそんなメッセージを貰ったつもりになってとてもうれしい気持ちでいます
そして優しいコメントをくれた皆さんへも
子無専業、この夏フルタイムの仕事を退職したが、平日夫が仕事の間ほぼ一人で家で過ごしている。
夫はほぼ終電近くに帰宅し、平日はぐったりしているので話し相手がいない。
専業の仕事も午前中には終わるので、出不精な私はほぼ1日中オンラインゲームをしている
私が遊んでいるオンラインゲームは学生が多く、30の私とは歳が離れているのでノリに着いて行けず一緒に遊んでもつまらない。
その人達も日中仕事をしているので、私のように毎日頻繁にログインしていない。
オンラインゲームで同世代の同じ環境の同性と日中ゲームで一緒に遊ぶ(仲良くなたらリアルでも遊びたい)友人を作れたら、
今より毎日が楽しくなるのにな、と思う。
Twitterでも数回呼びかけたが、反応は無かった。そもそもフォロワーが2桁だし。
オンラインゲームじゃなくてもいい、同年代の同性と触れ合いたい。
異性の友人や、お金が掛かるような趣味を見つけるための習い事も日頃汗水流して働いている旦那に申し訳ないのであまりやりたくない。
出勤を認証し、息を弾ませて自分のデスクにたどり着いた本條たま子は祈っていた。
10分前、最寄り駅で満員の電車を降りる際に確認していた携帯電話、それをバッグから滑るように取り出し再度確認する。まだ着信がない。
つまり、少なくとも、職場につくまでは無事だったということだ。
「おはようございます!」
他の職員はすでに出勤していた。
小さなついたてで仕切られた右隣の20代半ばの女性は、ゆるく巻いた長い髪から爪の先までつやつやしく、コンビニで買ってきた野菜ジュースをちゅうっと吸いながら業務メールのチェックにいそしんでいた。
10歳下の若い子に比べ、あまりに余裕のない自分の笑顔がこわばっているのを自覚して、たま子はぎこちなさを自覚しながら椅子を引き、パソコンの電源を入れる。
胸にずしりとした重いものを抱えたまま、急いで一日の予定を確認した。今朝の会議資料は仕上がっている。午後に総務のAに渡す書類もできている。明日必要なものもあらかためどがついていたが、明後日期限でまだ半ばのものがある。数時間かかるルーティンワークを最悪誰にお願いできるか……。
ルーティンワークで、なるべく入力できるものを入力する作業に取り掛かり始めたとき、バッグの中でヴヴ、ヴヴ、とバイブレーションが継続的にうなった。
たま子の心臓が跳ね上がった。着信だ。
室でたま子の他に子持ちには佐藤がいたが、子供の所用で有休をとっている。たま子はそのことをよく知っていた。
たま子は携帯には出ずに、保育園から電話が内線にかかってくるに任せた。
1分ほど間があった。自分で出るつもりだったが、電話に一番近い女性の反応が早かった。
部屋に声が響いた。ぎくり、と室長の工藤の肩が動いたのが見えた。ベテランの佐藤は不在で、他部署から移って半年とはいえ、かなりの作業量を受け持つたま子が抜けると、派遣と若い子だけでは今日の業務は回らない。
社内監査の日程が近く、室にはピリピリした雰囲気が漂っていた。
室長の工藤の広い額には朝からもう脂汗が光っていた。工藤だけでなく室の全員に申し訳ない気持ちを抱えながら、たま子は手を動かしながら答えた。
「今、外していると言ってもらってもいいですか。かけ直すと伝えてください」
子供は昨日の夜までは元気だったが、今朝体温は6度9分か7度ちょうどで、ぐずってもいた。解熱用座薬の使用も頭をよぎったが、発熱していない2歳にもならない子には使えなかった。
電話に出なかったのは、園の看護師に、8度以上熱があればすぐ帰れと言われるからだ。室長と事後策を話し合ってからにしたい気持ちが働いていた。
朝ぐずって足にまとわりつく子供を無理に引きはがして保育士に手渡し教室に置いてきた。その面影に胸をふさがれる思いだった。
「室長、子供が具合悪い可能性が高いです。あと20分あれば、ここまでは目途がつきますので、それから保育園に状況を確認したいのですが、いいですか」
「そうですか、すぐに電話しなくていいの?」
「こんな言い方はよくないのですが、ひどい緊急事態だったらまたかかってくると思われます」
大急ぎでできる作業を進めていると、隣の綺麗な巻き毛の佐々木が、不安そうにちらちらたま子を見、小さい声で言った。
「私、今日、ピラティス入ってるんですよね‥。月謝、自分で払ってて、すごく高くて‥」
「ごめんね‥、まだ具合悪いって確定してないから‥」
たま子は身を縮めて謝るよりほかない。
あまり引き延ばすわけにもいかず、たま子は工藤室長に断って携帯で保育園に電話を掛けた。熱発で7度後半、機嫌もやや悪く、朝に園で出された牛乳は吐いてしまったらしい。本来すぐ迎えに行かねばならないが、無理を言って昼ごろ受け取りに行くことにした。
保育園の看護師は困るを連発した。また吐いたり8度に上がったら預かれないから電話すると言っていったん話は終わった。
たま子に最低限午前中の猶予ができたことで、室の仕事は何とか救われた。
昼休みに食い込んだが、残っている室長と、隣の若い佐々木に引継ぎした。
「どうしようもなかったら仕方ないけど、明日は出勤してほしいな‥。今日も帰られるのは痛いねえ」
室長は汗を拭きながら言った。本当に顔が青ざめていた。
「うーん、何時に出れば間に合いますか?」
「‥18時半に出れば間に合います」
「残業つけてください、30分頼みます。優先順位を確認しましょう。今日やらなくていい案件は、本條さんに復帰してから振ってください。あとは僕が頑張ります」
胃薬を栄養ドリンクで飲む室長に罪悪感でいっぱいになりながら、佐々木の不満げな視線に頭を下げながら、たま子は部屋を辞し、駅まで走って電車に飛び乗った。
高校に入ったら半数くらいの人がピアノを弾けて、大学に至っては女の子の殆どがピアノ経験者だった。習い事を5つ習っていた私は変わった家の子から普通の人になった。
中高生の頃は、誰かの役に立ててるのかな、と思える場面がそれなりにあった。しかしそれだって高校生の頃には中学時代には感じなかったしんどさみたいなものを感じるようになってきていて、自分のキャパシティでは、大学に受かったとしてもきっと色んなことがうまくいかない、漠然とそんな気がしていた。
そして予感は的中し、ついに大学では無能な役立たずの落ちこぼれになってしまった。
リーダーシップってなんだろう。大人になった今の自分より、中学生の自分の方がよほどいいリーダーだった気がする。環境が変わっても同じ自分で居続けることがこんなに大変だったなんて。
件のブコメでは「30代後半の男は20代前半の女より収入が高くあるべきであり、奢るべきであり、そうしないのは恥ずべき行動であり、同情されるべき境遇だ」と言ってはばからない人達が意外と多かったですね。こいつは叩いて良いと思ったらぼろくそに叩くのは2chに限らず人間の普遍的な言動なのかもしれない。
元増田は多分リアルで話したら結構面倒くさかったりする奴なんだろうなーとは思ったけど、それはそれとして「15歳年下の彼女はおごるべきなのか」というのは別の問題ではないでしょうか。
「女性が総合職として働いて、専業主夫を養って、産休育休時短勤務で子育てするという選択も可能である」というのがいわゆるダイバーシティ(のひとつ)で、それについて企業・政府による制度面での充実化と同じくらい日本の世間様が「そういう選択肢」に対する理解を深める必要があると思います。そういう観点からするとダイバーシティへの道は険しい。
僕が言いたいことは、ちょっと長くなりますが、以下のようなことです。
まず、僕自身はシングルインカムでひいひい言いながら働いていて(でも最近仕事が落ち着いてきて増田に投稿する余裕がある。ばんざい)、子供を幼稚園に通わせていて、という昭和のようなライフスタイルなんです。
で、妻経由で幼稚園の話を聞いていると、子供を幼稚園に通わせている家庭の専業主婦の奥様方の大半は、明らかに共働きで子供を保育園に通わせる家庭を見下している感じなんですね。(うちの子供が通っている幼稚園が特に金持ちが多いところだってのもあると思うんですけどね)
価値観はいろいろあって、「自分の子供は絶対私立の幼稚園に通わせて、塾や習い事もがっつりやって、良い学校、良い会社に入れたい!」というのもひとつの価値観だしそれが可能な環境(高所得)であるならそれを選べばいいと思います。
ただ、他人に対して、「そうできないのは哀れで、不幸せで、かわいそうな人生だ」と言う(あるいは見なす)のは間違っていると思うわけです。自分の望んだような生き方しか許容できないとなると、自分で設定したハードルから落ちたら不幸になっちゃうわけで、子供が通うのが幼稚園でも保育園でも、そもそも子供なしでも未婚でも幸せには成りうるんだし、それを想像できないのはある意味では貧しいと言えるかもしれない。
で、同じように「年下に奢れない奴は哀れな人間だ」っていうのもおかしいんじゃないかなと僕は思うわけです。
「女とか年下とかには奢るのが男の誇りであり、そういう風に振舞いたい!」という人はそれはそれでいいんですけど「そうできない増田は貧しくて惨めだな~」というのは、構造的には「おくさんを働かせるなんてかわいそう、低所得者って哀れ」って言ってる専業主婦と同じことですよ。
そいつはつまり偏見であるとか差別であるとかって類のものですよ。
つまりですね。そういうのは、改めた方が良い振る舞いだということが僕は言いたいわけです。
今60台後半の祖母。
サザエさんだけは新聞連載だったからという理由だけで好んでる。
当然キャラクターグッズも目の敵。小さい子どもが持ってるカバンに
キティちゃんが書いてあるだけで眉をひそめる。
電化製品も悪。パソコンはもちろん、電子レンジすら電磁波が体に悪い
エアコンとテレビとトースターは祖父が祖母と喧嘩してでも買ってたけど。
なぜそんなに頑なになるのか分からない。
ピアノやバレエなどの習い事も害悪。祖母曰く学校で習わないことはやっても意味がないらしい。
ちなみに化粧や染髪も害悪と言って本人もしないし、孫がしてるのを見てもキレる。
今はもういないけど曽祖母はむしろ新しい物が好きなミーハーだったのに。
しかも祖母は貧乏だった訳でもない、大学も出てるし学がない訳でもない。
なのになんでこんなに何もかも否定するのか。
いじめの自殺のニュースを見るたびに、自殺しなくても済む選択肢は数え切れないほどあるのに、自殺を選んでしまう子が痛ましくてなりません。自分の子が自殺してしまわないために、私は親としてどうしたらいいのでしょうか。
パッと思いつくのがこんな感じなのですが…
・どんなことがあっても子供を受け入れることをアピールしておく
・いざとなったら県外でも国外でも一緒に行こうと言っておく
・いじめられるのは恥ずかしいことではないと伝えておく
私自身クラスの一部からいじめられていた経験はあるのですが、死ぬなんて考えたことがないし(登校拒否は数日したような気がします)、習い事先や自宅周辺には遊び友達が別にいたので、いじめに理不尽さは感じるもののそれほど苦ではなかったのです。また一匹狼でも別に構わなかったという性格もあります。なので自殺を考えてしまう思考プロセスを知り、対策に活かしたいです。
昔からそうだった。
俺がやりたいと思って親に相談しても、母親がそれを理解できなかったら絶対に拒絶するしそれを「俺のため」として押し通す。
父親が味方になってくれて何とかできたこともあるが、大体は母親が大声を上げて感情を露わにして自分を貫き通してくる。
これで母親が本当に博識で、考えをまかせて良い方面に転がるんであれば俺だって別に文句はない。
だが50少し過ぎた年齢だからなのかネット事情には疎く、俺がネットビジネスのために必要な書類を送ってくれて言っても無視される。なので父親に内緒で送ってもらっている(ネットビジネスは月数十万円の利益が出ているし、何年も勉強してきて成果を出している)
つまり俺の母親は自分が絶対に正しいと思ってるくせに馬鹿だから大嫌いなのだ。(絶対に正しいと思ってる理由は一度たりとも謝らない点から)
謝罪という行為が一番嫌いなのか俺と3つ上の姉に悪いことをしたと自覚しても一度も謝ったことはない。必ず「でも昔は私の判断が正しかった」と言って時代の偏差のせいにする。
良いところがあるとすれば進路など大きな選択をするときは自分で考えろと俺に丸投げしてきたことだろうか。
おかげで自分の進みたいように進んでこれた。まあ俺が「小学校の頃習い事していればよかった」と言った時「あんたがやりたくないと言ったからやらなかった、だからあんたのせい」と返すのはどうかと思うが。小学生が必ず自分の将来を考えて選択ができるかと言われたらそんなことないんだから。
父親からの学生時代の仕送りをたてに田舎へ帰ってくることを強制されているので現在帰らざる終えない状況だ。
確かに恩はあるのでそうしないと筋が通らない、しかし現在密かに行っているネットビジネスが上手く言ったら距離を置こうと思っている。
母親さえ一々感情的になってストレスを俺や父親にぶつけてこなければ何とも思わないし、仲良くやっていきたいとも思えるんだけどね。
母親の良かったと思うところ
・夕食だけだが料理をしてくれた(弁当は冷凍食品オンリーだったが作ってくれた父親と交代で)
・仕送りのために副業を始めてくれた(ストレスか母親から乳が言葉の暴力を受けることが増えたので半年で辞めさせた)
それは僕です。
ネットを検索してみると、「自分が自己中心的な考えをしているかどうか」のチェックリストがありました。
以下のようなものです。(http://www.career-rise.info/blog/selfishness/ より)
みなさまも良かったら、チェックをしてみてください。
・誰かに指図されることが嫌い
・他人が困っていても気にならない
・失敗した時は他人のせいにする
・人の話を聞くのは苦手
・気分がコロコロ変わりがち
・目立ちたがり屋である
皆さんはどうでしたか。
僕は
・失敗した時は他人のせいにする
以外のすべての項目が自分の性格に良く当てはまっていると自覚しています。
自分が自己中心的だと思ってはいたのですが、こうやってハッキリと明文化されたリストに従って
チェックをしてみると、とてもショッキングな結果でした。
思えば、幼少期の家族・友達関係がルーツのような気がします。(ちっぽけな話です。)
姉はとても甘え上手な性格で、長女ということもありわがままを言っても両親は、聞き入れていました。(モノが欲しい・習い事をしたい等々)
弟は末っ子とということで、両親にとても可愛がられていました。
僕は両親からの愛は受けていたのだと思いますが、姉弟と比較してしまい、ほとんど幼少期愛されたという実感がないのです。
また、僕が小学生になる時、引っ越しすることになり、隣町の学校に行くことになりました。
両親は、3兄妹を養うために共働きをしており、僕は1人慣れない土地でいつも1人でいました。(姉と弟は人懐っこいので友達がすぐ出来ました。)
どんどん、1人の世界や考え方を構築していくようになり、小学校高学年ぐらいの頃には、完全にひねくれ、大体こんな感じの考え方・行動習慣が染み付きました。
・初対面の人、目上の人には真面目に接し、ある程度評価されるが、面白みがないと思われる。
・同年代や知り合いとは他愛もない話はできるが、自分の話をどうしたらいいのかわからない。
・自分の話が苦手で別に伝えなくてもいいかな、と思ってしまう分、他人の話も染みこんでこない。(あまり覚えられない。)
・自分自身の力でなんとかなる、と考えているくせに肝心な部分を人に頼る。
・他人に何一つ与えることができない。(自分が損しないのが肝心)
まあ、本当にクズなんですよね笑
「知り合い」は居ますが、心から「友達」と呼べる人は全くいません。
こんな薄っぺらいやつ、僕だったら付き合わないでしょうね・・・。
駄文垂れ流して、勝手な自己分析を続けてきましたが、もちろんこのような性格を直したいと思うのです。
まず、他人に優しくする、自分から与えるという行動を取りたいのですが
何を持ってその行動が自分のためになるか、上手くいったかという尺度がわからないのです。
もし、同じように自己中心的な考えや習慣を改善した方がいらっしゃったら、教えて下さい。
・どのような行動を起こしたか
・どのような考えを軸にしたのか
親としては冗談だったかもしれない。深い意味なんかなかったのかもしれない。
「ああ、家にはお金がないんだな」って素直に捉えたんだよ。
自分にはきょうだいが2人いて、自分は3人きょうだいの真ん中だったのだけど、
2人のきょうだいが好きなことをやるのを羨ましいと思いながらも、
家にはお金がないって言われていたし、趣味はなるべくお金がかからないものにした。
塾や習い事も別に必要なかったし、何かを強請ることもなかった。
本当は中学を卒業したら働いてお金を貯めて家を出るか、家にお金を入れようと思っていたのだけど、
高校は出たほうがいいと、当時親しくしていた人に言われたので就職に有利そうな公立の工業高校に行った。
高校に入ったらアルバイトをして良かったから、自分の小遣いは自分で稼いでた。
それでも高校の学費は親が出してくれていたし、実家に住んでいたから親の負担であることに変わりはないのだけど、
自分がいることで増えたであろう親の負担を少しでも減らせればいいなって思ってた。
今考えりゃ、もっと家事を手伝ったほうがよっぽど負担を減らせられたんだろうけどね。家事は小学校中学校の頃からできるしね。
高校を卒業して社会人になり、実家にいる間は家にお金を入れながら、別でお金を貯めて家を出た。
めちゃくちゃに止められた。なんで一人暮らしをするんだって言われたから「親の負担になるから」と言った。
実家に帰ると親に気とお金を使わせてしまうから最低限しか帰らない。
上のきょうだいは結婚したが親所有の家に住んでいるから近所に住んでいる状態だし、下のきょうだいも学生だから実家暮らし。
自分は東京の会社に就職したから東京で一人で暮らしている。寂しくはないし、自分一人が生きるには少しばかり余裕のあるくらいの給料をもらっているし、
父方の祖父が亡くなった時に、父が自分に「お前は親不孝だ」「お前には何もしてやれなかった」と言ったんだけど、未だにその言葉の意味が分からない。
自分は親が大事だし、今まで育ててきてくれた感謝の気持ちだってあるし、負担をかけたくないから家を出たのに、家を出たから親不孝なんだろうか。
自分が産まれてこなけりゃ、上のきょうだいと下のきょうだいだけだったら、親の負担が減ったかな、なんて思ってるから親不孝なんだろうか。
もっとわがままを言って、親にいっぱい甘えて、頼ってって言うのなら、最初からそう言ってくれよ。家にお金がないだなんて言うなよ。それ聞いた上で気を使うなっていうのは無理があるだろ。
あーあ、なんか気を使いすぎて疲れちゃったな。でも書いて幾分すっきりした。
自分は高給取りじゃないからそもそも結婚できないと思うけど、結婚して子供ができたら、どんなに苦しくても子供に「家にはお金がない」なんか言わないよ。
あんまり関係ないかもしれないけど、会社員が仕事を辞める決断をする理由ランキングみたいなネット記事があったな。
確か1位は「仕事の成果を正当に評価してもらえないから」だった。
給料安いとか人間関係トラブルとかもランク入りしてたけど1位ではなかった。
逆に言えば、多少薄給でも仕事がキツくても仕事ぶりを上司なり会社が認めてくれさえすれば、とりあえず頑張れるってことなんだろう。
何が苦になるかは人それぞれでも、
苦しいときに精神的な支えになるものがあれば大抵のことはやっていけるんじゃないか(無限に無理が効く訳ではないけど)
人によっては仕事終わりのビールかもしれないし、帰ったら出迎えてくれる家族かもしれないし、深夜アニメやゲームのキャラクターかもしれないし、スポーツや習い事かもしれない。
その中でも大抵の社会人にとって効くのが、上司・会社が自分を正当に評価してくれることなんだろう。
適職については、何年かやってるとどういう仕事が自分の力を発揮出来るか分かってくるものなんじゃなかろうか。
1年目なんかで適職がどうとか考えなくてもいいと思う。
二児の母。人との会話が本当に苦手。
世間話をするのも話題を探すのにまず疲れる。相手にあった会話をパッと思いつかない。そして話が続けられないことに疲れる。
会話をしていても、自分がパッと思いつく返答はどうもズレているらしく、おかしな顔をされることもよくあるので、自分の返答がちゃんとしているか、ズレてないかが気になって気が気でない。
会話しながら食事なんていうと、会話で精一杯で、食事の味がわからない。
そして、相手と別れたあとは、自分の対応を思い出してひとり反省会。ダメなところばかりが思い出されて自己嫌悪ばかり。
最終的にどっと疲れる。
特に保育園ママとのお付き合いに神経がすり減ってしょうがない。
これまでは仕事に忙しくしていて朝早く夜も残業で遅いので、ママたちとは顔をあわせることが少なく、挨拶程度しか交わしてこなかった。
でも最近二人目を産んで育休に入り、いろんなママたちと園や習い事で顔をあわせるようになった。
保育園ではそんなに情報交換しなくてもいいけど、小学校になると持ち物や学校行事の対応など何かと情報交換が必要と聞くし、母親同士の付き合いが子供に影響してはいけないので、子供のことを思うとママ付き合いをあまり無碍にもできない。
赤ちゃんを育てる大変さより、今はこのことがかなり自分のストレスの多くを占めている気がする…
人付き合いがうまくなりたい。
せめてズレておかしなことを言うのをなんとかしたい。
やれ親孝行は生きているうちにしかできないだとか、両親にみんなでプレゼントをしようなどという話を突然押し付けてくるようになった。
挙句の果てにどこから拾ってきたかもわからない”母を亡くして初めてわかること”みたいなメッセージを送りつけてきた。
そこにはおせっかいが愛情だと気づく内容や、喪失感、母親が死んでしまう現実を直視できないといった内容が並んでいる。
だけど一つ言いたい。
あなたはさっさと親をわたしに押し付けて一人家を出て遠くで暮らしていたではないか。
そこで家庭を作って一生懸命に生活していたことは知っている。それなりに沢山の苦労もしたことだろう。
だけどそのせいでわたしは未だに親元をつかず離れずでずっと親の面倒を見続けてきたのだ。
あなたがいなくなってから少なくと10年以上親と暮らしていたのはあなたがろくに連絡もよこさなくなったからだ。
「親の面倒を見るのは子供の仕事」そう言い聞かせては、仕事でどれだけ疲れようとも親との生活に耐え続けたんだ。
たまの休みも親の相手をしてろくに外出もせず、恋愛なんてする暇もなく仕事と親とに挟まれて生活し続けてきたのだ。
それが子供の正しい姿だと信じて。
それなのに、その間あなたは何をしていたのだ。
そんな生活に耐えかねて、わたしが家を出ようとした時にもっともらしいことを言って反対していたことをわたしは絶対に忘れない。
わたしだってそのことに罪悪感がなかったわけではないんだ。欲しかったのは後押しの一言だったのに。
だけどある日、母親からの電話でわたしは決断した。あの時、わたしの中ではもう母親は死んだのだ。
そう思って、激務と両親の世話との中で少しでも体を休めることにしか使っていなかった休日に、できるだけ友人と外出するようにした。
わたしはわたしの人生の中でわたしの楽しみや幸せを探さなくてはいけないと思ったからだ。
わたしが留守なのを知ってか、携帯には母親からのメールや留守電が頻繁に入ってきた。
どれもが些細な内容なのだが、必ず母親は「困っている」「助けて欲しい」という言葉を入れてきた。
後になって分かったことだが、それは親が子供をコントロールするための呪詛だったのだ。
なぜなら、困っている人を蔑ろにすればそれは悪い行いになる。わたしがそれを断れば、母親は叱ることと許すことの権利を得られるのだ。
母親はそうして、断っても受け入れても自分が優位に立てる方法を経験から学んでいたのだ。
その都度友達を待たせては対応していたが、いい加減嫌気がさしたわたしはちょっとしたことならすぐに返答することをやめて、家に帰ってからまとめて対応するようにした。
しかし、母親にしてみればその内容自体が目的ではなく、わたしの行動をコントロールすることが目的なのだ。
わたしが何とか時間をつくって外出をすれば、その度に母親から送られてくる内容は段々とエスカレートしていった。
そしてある時、わたしの中で何かが壊れた。それは、母親からの留守電がきっかけだった。
その時期は本当に仕事が忙しく、文字通り1ヶ月ぶりの休みだった。
直前まで取れるかわからない休みだったにも関わらず、友人はわたしとのティータイムに快く応じてくれた。
そんな友人の無償の愛に感謝しながら足取り軽く一人で買い物をしていたときのことだ。
待ち合わせの時間を確認しようと携帯を見ると母親からの不在着信と留守電が入っていた。
聞くのを一瞬ためらったが、面倒なことでなければ先に済ませてお茶を楽しむことに専念したかったのだ。
しかし、そこに入れられていた留守電は、わたしを絶望の淵に突き落とすものだった。
ただ一言、とても弱り切ったような声で「わたし破産しちゃう」とだけ入っていた。
今になってみれば他愛のない幼稚な脅し文句だったと思うかもしれない。
だけど、その瞬間にわたしのなかで今まで耐えてきたものが全て、まさに音を立てんばかりの勢いで壊れてしまった。
お金だけではなく、一緒に外出したり頼まれごとも全て引き受けてきた。
何より、自分の時間を犠牲にしてもいつも心配して面倒を見続けてきたではないか。
おかげで30を過ぎても結婚もできず、職場と家庭でばかり頼りにされる存在になってしまった。
それなのに、それなのにそんな言葉をなぜわたしに投げかけてくるのか。
まるでわたしが原因であなたを破産させてしまうかのような言葉ではないか。
わたしはこみ上げてくる感情をこらえながら急いでトイレに駆け込み、一人泣き崩れてしまった。
もう友人に会える顔ではない。メールでキャンセルの謝罪を送ると、途端に虚しさが怒りに変わっていくのが分かった。
怒りに身を委ねたまま家の玄関を開けると、兄の靴があった。
一瞬躊躇したがここで止まる訳にはいかない。
わたしは勢い良くドアを開けると無言で財布からありったけのお札をテーブルに叩きつけた。
何事かと目を丸くする二人を前に、できるだけ冷めた声で「後いくら足りない」と母親に向かって言った。
母親が唇を一文字に噛みしめて下を向いたと同時に、真っ赤な顔をした兄が怒鳴った。
「何してんだお前!!」
わたしも負けずに怒鳴り返す。
そう叫んでから、全身から何かが吹き出していくような感覚に襲われ、わたしは床を激しく転げた。
叫びながら、床を叩き、蹴飛ばし、制御の聞かなくなったおもちゃのようにその場をぐるぐると回って、そしてまた泣いた。
兄はどうすることもできずに立ち尽くし、母親の嗚咽が聞こえてきた。
それからまもなくわたしは実家から駅に数百メートル近いところに引っ越しをした。
その後、知人の紹介を経て結婚をして、今では二人の子供がいる。
それまでは母親の願いを聞き続けることが親孝行だと思っていた。
でもそれは間違いだった。
母親にしてみれば、自分の幸せは子供からの愛情を受け取ることだったのだろう。
ずっと一緒に暮らしていたのだから、母親はそれしか幸せを知らなかったのだ。
ならば手放したくないのは当然だ。
でも、それよりも子供がもたらすことができる幸せはもっと沢山ある。
親の幸せのために犠牲になっていく子供を見せるより、独り立ちして沢山の幸せを得ていく姿を見せるほうが、本当は親も幸せなはずなのだ。
本当に幸せそうに孫を抱いている母の顔を見ると、それが間違いではないことを確信できた。
あの留守電が入っていた日、わたしの中で母親の望むわたしが死んだ。
同時に、わたしの中でわたしの愛情で幸せになる母親も死んだのだ。
それから母は、幾つかの習い事を始めた。自分の中で自分が幸せになる方法を探し始めたのだろう。
そう考えると、母もまた、子供に愛情をもって接しなくてはいけないという呪いにかかっていたのかもしれない。
ある一定の年齢において、親と子とが離れて暮らすことはそれだけで大切なことなのだろう。
しかし、まもなく50になろうとする兄を見ていると、一概にそれが正解だとは思えないところもある。
距離的な自立があっても、精神的な自立が成り立つかどうかは別なのかもしれない。
だけどこればかりはわたしがいくら兄に話しをしたところで無駄なことだろう。
そんなこともわからずに今更親の愛などと送りつけられれば、うるさいと思うのは当然だ。
母が死んだら当然悲しむだろう。
でも、そこにわたしがどれだけ愛されていたかを探すことはないし、きっと後悔もしない。
私の幸せに親からの愛情はもう含まれていないし、本当の親孝行は、わたしとわたしの家族が正しく幸せなっていく姿を見せ続けることなのだから。
豚肉を食べたら元気の出る気がして、どうしても豚肉が食べたかったのだ。
今日は習い事があるため料理をする精神的な余裕がないので、お惣菜のカツにする。
家に着くと父親はまだ帰ってきていない。
母親のお見舞いに行くと言っていたためおそらく出掛ける前に会うことはないだろうと思う。
台所の窓から家の裏をのぞくと、コーヒーのかすを撒いたところに猫がぬしのような顔をして座っていた。
効果はないだろうと思っていたものの、一日すら夢を見させてもらえないのかとがっかりする。
窓を少し開けてこら、と怒ると特に急いだり驚いたりする様子なくしっぽを揺らして敷地内から出て行った。
猫は好きだがあの猫はにくたらしい。
新たなる猫避け対策を考えなければならない。
ご飯を食べ、茶碗を洗う時間がなかったためそのままにして習い事へ向かう。
道中貸す予定だった漫画を忘れたことに気づく。
私の習い事を始めるきっかけとなった漫画を最近入ったひとに貸す予定だったのだ。
今日は審査日のため事前に練習する。少し動いただけで視界の端にチカチカと蛍が飛ぶのでだいぶ体力の削れていることを知る。
審査は初めてだったが、順番が早く緊張する間もなく終わった。
テーブルの上がきれいだったためまさか洗ってくれたのか、と思い台所へ行くと、やはりまさか、だったようで洗い物はそのままにされていた。
早く風呂に入り寝なければと思うものの動く気分になれなかった。
しばらくそうした後、明日を乗り切ればお休みだと自分を励まし風呂に入る。
風呂を出て茶碗を洗う。
眠る前に水を飲むと、味覚のおかしくなってからはおいしくなくて仕方がなかったのに、だいぶ飲みやすくなっているなと思う。
少しは改善しているのだろうか。
水が一番好きだから、はやく前のようにおいしく飲めるようになりたい。
豚肉を食べたら元気の出る気がして!どうしても豚肉が食べたかったのだ!!
今日は習い事があるため料理をする精神的な余裕がないので!お惣菜のカツにする!
家に着くと父親はまだ帰ってきていない!
母親のお見舞いに行くと言っていたためおそらく出掛ける前に会うことはないだろうと思う!
台所の窓から家の裏をのぞくと!コーヒーのかすを撒いたところに猫がぬしのような顔をして座っていた!!
効果はないだろうと思っていたものの!一日すら夢を見させてもらえないのかとがっかりする!!
窓を少し開けてこら!!!!と怒ると特に急いだり驚いたりする様子なくしっぽを揺らして敷地内から出て行った!!
猫は好きだがあの猫はにくたらしい!!
新たなる猫避け対策を考えなければならない!!
ご飯を食べ!茶碗を洗う時間がなかったためそのままにして習い事へ向かう!
道中貸す予定だった漫画を忘れたことに気づく!
私の習い事を始めるきっかけとなった漫画を最近入ったひとに貸す予定だったのだ!!
今日は審査日のため事前に練習する!少し動いただけで視界の端にチカチカと蛍が飛ぶのでだいぶ体力の削れていることを知る!!
審査は初めてだったが!順番が早く緊張する間もなく終わった!!
テーブルの上がきれいだったためまさか洗ってくれたのか!と思い台所へ行くと!やはりまさか!!だったようで洗い物はそのままにされていた!
早く風呂に入り寝なければと思うものの動く気分になれなかった!
しばらくそうした後!明日を乗り切ればお休みだと自分を励まし風呂に入る!!
風呂を出て茶碗を洗う!
眠る前に水を飲むと!味覚のおかしくなってからはおいしくなくて仕方がなかったのに!だいぶ飲みやすくなっているなと思う!!
少しは改善しているのだろうか!
水が一番好きだから!はやく前のようにおいしく飲めるようになりたい!!
母親が入院したんで父親とふたりきりかと思いきやほぼ一人だった四日目!
仕事を終えて家に着くと父親はまだ帰ってきていない!今日も母親の病院に寄っているのだろう!
本日のタスクは!習い事!週末の旅行のための買い物!洗濯!夕飯づくり!
洗濯は風呂の残り湯を使用することを思うと最低でも二回はまわしたいが!習い事が約二時間あるため時間がない!!
仕事中どうすればいいか考えていて解決法がわからないまま帰路についたところ車中で思いつく!
思いついたことに従い帰宅後すぐ洗濯をまわし!その間に夕飯を作る!!
大抵の人は順序を入れ替えるなどし時間を有効に活用することくらい朝飯前なのだろう!!
自分がいかに家事をやり慣れていないか!ここ数日ひしひしと感じる!!
一日を経るごとにやるべきことは増えていくが増加量が少しずつのおかげで坂道を上るように徐々に力がついているように思う!!
夕飯を作り終え調理道具を洗ったところで洗濯機が止まったので干してからご飯を食べる!
味のしないピーマンはプラスチックのようだ!今度からは刻もう!!
父親に遅くなるため先に寝ていていい旨書き置きし習い事に行く!
相対する人間の動きを追うことに必死になる武道系の習い事は余計なことを考えずに済む!!
と思ったら窓から飛び跳ねる虫が大量に入ってきており悲鳴を上げかける!
おそろしい!!!!
虫は人間と似たところがひとつもないのに生きているというのだから理解できない!!
震えながらも武道する!
流れる汗から亜鉛が抜けているのだろうかと少し不安になりつつ!
夜遅くまでやっている店舗へ向かい週末の旅行のための買い物をする!!
22時過ぎに家に着くとまだ明かりはついており父親は起きていた!
二度目の洗濯をまわそうとしていると父親はまだ洗濯するんだぁおやすみ~と言い眠った!
洗濯を終えたあと母親から頼まれた録画予約をしているとテレビの後ろにある壁にゲジゲジがくっついている!
虫デーだ!!!!
ゲジゲジなどというかわいらしい響きではない!筆舌に尽くし難きアーーーー!!!!無理!!
しばらく見つめ合うが微動だにしてくれないため一時休戦としトイレへ行く!
戻るといなくなっていた!!
風俗に入った。
アラサーというか、今年30歳のストライクバッターアウトな風俗嬢にあたった。
嬢 「え~?そうなのー?ふーん。」(特段気分乗ってない風
俺 「全然かわいい娘いないんだよねー職場とかも。やっぱプロって違うよねー腰もめっちゃ細いよねー」
~~~~~~プレイ後~~~~~~~
俺 「そういえば君、職場の丸井さん(仮名)に似てるわ、丸井さんだと思ってセックスすりゃーよかった」
嬢 「はぁ?さっき、職場にはブスばっかっていってたよね。かわいいとかいったり、くっそイライラするわ」
俺 「え?そういう意味では、、、(似てるからってかわいいかわいくないと関係ないよな?)」
嬢 「いや言ったでしょさっき。はあ、ムカつく」
俺 「あ~あ~。普段他人と付き合いできなくてキツイから風俗には夢見に来てるのに、お前もそういう態度かよ、媚びろよ」
嬢 「あんた、ちょいちょいイライラしてたんだよねえ。どーもさあ。なんなの?なんかチョイチョイおかしいよ」
俺 「クラスに一人くらいいたんじゃねーのー?二人組作ってで絶対作れないやつとか、ずーっと一人で寝たふりしてるやつとか。俺それだから。他人と人付き合いできないから来てるんだよ風俗に。夢見せろよ。友達営業してんじゃねーよ」
嬢 「いや別に、普通に会話できるのに、ちょいちょい変だから、なんでだろうとは思ってただけだけど?」
俺 「は~やる気うせた。だから人付き合い嫌いなんだよ、引きこもって一日10時間ネットゲームだけしてたいわ。なんでお前らみたいなコミュ力充なんかに合わせないといけないのか。俺無理だわ」
嬢 「まぁ、勝手にすればいいんじゃないの。でも、人付き合いの経験足りないだけじゃないの?」
俺 「あっそ。そうやって女に気を使える男を持ち上げるんだよなあ。そういう時代だからなあ。俺の時代は仕事できりゃーよかったのにさあ。時代は変わったよなあ」
その後、嬢に多少の慰めなど入れられる。
曰く、嬢も昔は我が強い性格だったが付き合う中で人付き合いを学んだうんぬん。
でも、そもそも俺みたいな発達障害が出るようなやつと付き合う女がそもそもいなかった。ってことは経験を積むステップすら無理なわけじゃん。ここ数年で10人は告白したし、ナンパもしたし、出会い求めて習い事やクラブやと行ったが、無理だった。
普段の仕事では、仕事用の人格でちゃんとしてるが、素の俺はそこらのニートやらと変わらない。人生にやる気なんてない。家族がいるから、死んだら悲しむだろうと死んでないだけで、しがらみなかったらその日に自殺できる自信ある。社会にも自分にもすでに全く興味ない。精神病でもなんでもなく、たかが自分一人の命とか宇宙から見たらごみだしどうでもいい。
どうでもいいから、ゲームだと思って利益率高そうな生き方してるだけであって。仕事にも人生にも志もくそもない。
明らかに見た目キモメンチビの低スぺで生まれて、発達丸出しを隠すように人格作り上げて、色盲同然に他人の感情なんてまったく知覚すらできないけど国語の問題を解くかのように推察して人付き合いしている。
そういう人間だから、風俗で夢を見に来ている。自分のくっそみじめな見た目や会話できないのを棚に置いて人付き合いできるのは風俗しかないじゃん。あるいは二次元ゲーム。
それなのに、普通に人間的な付き合いやられたら、そらやる気うせるやろ。
できないキャラに当たり前にできるようにしてんじゃねーよ。プロだろプロ。キモイおっさんに対して媚び売るのが仕事だろ。
普段どんだけ働いてると思ってるんだよ。なーにが海外旅行で日焼けしたーだよ。命削って働いてるんだよ。
なんていうかな。
遊びたいならネトゲ。
風俗ですら、人間を否定されるとナイーブに傷ついてしまう。頭では単に損しただけだとわかるが、一応心はあるからそういう感じ方はする。感情に引きずられない程度には理性的だからだから変わるわけではないが、ストレスに感じていやだ。
見下した言い方になるが、俺だって風俗嬢と話ししてて、頭の悪さをアリアリと感じていやになるけど。
こういう女に金払ってでしか相手されないんだからしょうがないと我慢して風俗に行ってるんだよ。
それなのに、この仕打ち。
君とセックスした1時間で俺は何人人を救えるんだよ、金もらえるんだよって思った。
むなしいっていうか。なんていうか。
エロゲーもいいんだけど、エロゲーをやる時間も体力もなくて、エロゲーの実況動画ばかり見てるんだけど。
もう本当にいろいろむなしかった。
もう一度書こう。
長文許して下さい。吐き出したい。
部屋数も多い家なので自室のほかにも実質自室のように使っている部屋ばかり。
洋服や本、趣味のもの。習い事で使うもの。学校からのプリント類。積み上がる荷物。
家族も物が捨てられないタイプ。勿体ない、まだ使えると何でも取っておく。
家業で使うもの、貰うもの、無駄に広いスペースがあるので捨てずにしまう。庭に物置もあるのでそこにも詰め込む。
一度捨てたものを別の家族が勿体ないとごみ箱から拾ってくる。使いもしないのになぜか棚に並べる。
そうしているうちに私がオタクに目覚めた。結果、物の量が悪化した。
小中高、そして大人になってからも集めに集めたオタグッズ、CD、DVD。
その他にハマったバンドの関連物、雑誌、中高生女子が好きそうなファンシーグッズ、メモ帳・シール等の紙物類。
トレーディング系の物が特に厄介だった。欲しいものが出るまで買い続ける。今度はコンプ欲が湧いてくる。
収集癖は本当に恐ろしい。ジュースのおまけやら卵型のチョコやらどれだけ買ったことか…。
集めることが目的に変わり、CD、DVDは未開封のまま置きっぱなしの物が増えた。
数年前に多少は片づけたけど、まだまだ物が多すぎて棚に入らず床に置いてあるものがたくさんある。
未だに小学生の頃に買ったものが部屋の片隅から出てくるなんて本当に情けない…。
それでも物に対する執着心が凄くて、もったいないとか可愛いからとか何とか理由を付けては捨てることが出来ない。
興味が移った作品のものは処分すれば良いとは思っているのだけど、買い集めた時の値段を考えると捨てる気がおきない。
都会のようにオタグッズ買取出来るお店も無いし、ブームが去った作品は値も付かないだろうし。
何だかんだで好きな気持ちも残っているので手元に残したい欲が勝ってしまい、結果部屋の片隅で埃をかぶったままになっている。
自分の性格、考え方がネガティブで、それで日常生活が上手くいかない。毎日くよくよして泣いたりしている。
周りは10年も前に大人になって自立して、自分自身の未来を切り開いている。私は甘えて引きこもっている。
ちょっとばかり裕福な環境と、共依存気味な家族関係。周りと関わらず避け続けてきたせいで人との関わり方がとっても下手だ。
それから逃避するために物を積み上げて満足しているのかもしれない。好きなものに囲まれていれば少しは気が楽になるから。
でも急に寂しくなって辛くなって、そういった時にどれだけの金額、時間を無駄にしたのだろうと考える。
そういう時に集めた物が一気にいらないものに見えたり、自分自身の駄目なところを象徴するものに見えてきて、また落ち込むの繰り返し。
1週間ぐらい前からまた少しずつ片づけなくてはと紙袋3個分ぐらいのものは捨てた。
勿体ないという気持ちは出来るだけ忘れてごみ袋に詰めた。でも最初だけ。勿体ない、まだ使えるんじゃないかという考えが邪魔して
全然はかどらない。自分の計画では週末には部屋のものを半分以下に出来たら良いなと思っていたのに
半分どころか十分の一ぐらいにも満たないんじゃないかなといった状況。片づけの意識がすぐ違うものに飛んでしまって
気付いたら中途半端にしていたマンガを拾って読んだり今必要のないファイルの中身入れ替えをしてみたり。
体験談で良く断捨離したら何かと運が開けた、といった記事を良く見るので自分ももっと片付けしたい。
もちろん断捨離しただけで何でも上手くいくわけではないと分かってはいるけれど。
それでも少しだけでも執着心を消して、部屋をもっときれいにしたい。せめて誰かが入ってきても大丈夫なくらいに…。
執着心、収集癖、共依存…。自分自身が変わらないと何も好転しないと分かっていると言い訳しながら今日もだらだらと日々を過ごす。
週末には物を減らせているだろうか。勿体ないなんて言わず、オタグッズ捨てられるだろうか。
欲しい人に譲れたらいいのにな。日本に1人ぐらいは欲しい人居るんじゃないか。未使用だよ。
片づけ、頑張ります。