はてなキーワード: 習い事とは
経験則ではあるが、目の前にある、自分に与えられた仕事に不満を持ってしまう人は、たいてい何をやらせても仕事ができない
増田の自己満足や承認欲求を満たすために、会社は仕事を増田に与えているわけじゃない。そんなのに付き合ってるほど暇じゃないし、
「承認欲求を満たす仕事を与えろ」というならむしろ増田が対価を支払うぐらいの話だろう。仕事って、習い事じゃないんだからさw
会社によって違うとは思うが、昨今、データ入力のような「誰でもできる」タイプの仕事は、
正職員がわざわざやる仕事ではなくアウトソーシングすることの方が多いというのに。
たとえば、個人情報や機密上の問題で「アウトソースできない、正規職じゃないとあてがえない」仕事
要するに「誰でもやれるような仕事」をあてがわれていた自分を、きちんと振り返ったことがある?
まだ20代で大学生という身分ではあるが、正直自分としてはそう感じていない。
「大学」自体に憧れなんてなかったし、結局は高校の教師や家族から口酸っぱく言われてやってきただけだった。
小学校5年生まで勉強は普通にやれていた。だが、学校に行くことが当たり前としていた自分の中では、学校そのものが苦痛に感じていた。
生徒であっても担任から人格を否定され、同級生達が馬鹿にしてくる理由が分からない。
その頃から生きる意味さえも見失い、毎晩コンクリートの壁に何度も頭突きをし、5メートル程の高さのあるベランダで真下を見るようになった。
親に勝手に入らされた習い事も相当のストレスだったが、それ以上に平日の朝を迎えることが自分にとっては絶望に感じていた。
その日記帳には指定された字数を書かなければならなかったが、当時の自分は家族と一緒じゃないと出掛けられなかったし、ゴールデンウィークの休日はずっと家にいてもおかしくない生活だった。
そんな自分はだんだん書かなくなり、当然怒られるのと同時に頭部を殴られる。あの時は苦痛でしかなかった。毎朝出るにも吐き気が増し、何の理由もなく夜更かしすることが多かった。
そんなことがあったが無事に小学校は卒業し、中学に入ってリセットはされる筈だった。
馬鹿にされることは変わらない。「そんなことの何がおかしいんだ!」と言っても結局はあいつらの暇な玩具みたいな存在でしか見られてなかった。
救いとしては今でも飲み交わしている文系部活の友人達だ。もし彼らに会っていなければ、自分は本当の孤独になっていたのかもしれない。
それは「受験」というものを理解していなかった自分のツケが回ってきたのと当時の学校教育のシステムに疑問を持たなかったことだ。
私立の高校だったが最終的に思い出すのは「まるで監獄のような所」という印象でしかない。
教員の中には授業の途中で変更された人もいたので名前すら覚えることがなかったからだ。
部活は運動部に所属してみたが、大して記憶には残らなかった。それよりかは自分が好きでやり通していた趣味の方に力を入れていたのかもしれない。
結局自らのねじ曲がってしまった人格を変えることはできなかったが、中学時代に戻りたいという後悔が残っている。
後悔の一つとして親友ではないが、ある女子生徒が自分を褒めてくれたことを今でも時々思い出す。
ただの思い違いではあるが、別の意味で緊張して頭の中でおかしいと思うくらいのレベルだった。
恋煩いとは認めたくないが、その頃見ていた夢にはある女性が映り続けていた。
少々ぼやけてはいたが、話しかけてくれた彼女の容姿に似ていたのだ。
ある時は連絡先を交換、またある時はマラソン大会の応援席から見える姿、同級生からアプローチを掛けられている彼女をずっと凝視、田舎の駅で二人揃って話し合っていたりしていた。
それまではB級スプラッター映画のワンシーンみたくグロテスクな夢しか見ていなかった自分としては何故か寒気がした。
もし彼女に会えるとしたらあの時できなかった「普通の会話」をしたい。叶わないただの願望ではあるが、ただそれだけである。
そして、現在は派遣のバイトで多少の小銭を稼ぎ、好きなことに投資している。
強制ではないので休めるし、少し金銭的に余裕が持てるようになれたと実感している。
ただ、問題視されるのは就職先の事だろう。大学生としてなったからにはモラトリアムを金で買ったも当然である。
自分は不器用な人間だからそれ以上に他人に認めてもらう力がないといけない。日本社会は学歴や新卒制度によって決定することは変わりない。
世の中には高卒でもある程度の地位や幸福を持っている人がいることを知ったし、共依存までとはいかないが、協調社会の中で生きる為には自分を営業として売る術がないといけないと思う。
若い人達は学校に行くことが当たり前であるかどうかまでは分からないが、これだけは譲れないというプライドの持てるモノを一つでも身につけてほしいと願っている。
俺の子供時代はまだ詰め込み学習が幅を利かせていた時代で、全国展開している塾が満員御礼の時代だった。
御多分にもれず教育ママだった母のもとに生まれた俺は、ある程度の金銭的余裕もあり、勉強以外にも多種多様な習い事を受けた。
週二日の塾が2つ、毎日の家庭学習教材が一つ、習字、そろばん、スイミングスクール、英会話、野球
小学校までは季節毎に活動部活が変わるため(期間制だった)、サッカー、バスケ、水泳、陸上と、受けられるだけの部活動を行い
中学からはバスケ部に所属し、上記習い事と家庭学習に加えて学校一練習量の多い部活を両立した。
今、俺は学歴も必要ない、上記の様々な分野とは全く関係ない生活を送っている。
基本的に能力が平均的以下な俺は、これだけ勉強しても偏差値63が限界だった。県内一の進学校に落ち、滑り止めの私学に入った時には、
間もなく母は死に、解放された私は全ての柵を捨て、勉学を一切放棄し、成績不振で留年が決定したと同時に高校をやめた。
皮肉なことに、高校をやめてから進んだ道が今の職業に繋がっている。
中学卒業までの生活は、基本的に苦痛だった。毎日毎日勉強のノルマがあり、母にチェックを得てから眠る日々だった。
習い事もノルマでしかなかったので、いかに効率的に終わらせるかという一点にしか興味がなかった。
(例外として、学友の多く所属していた野球をしている時、塾の休憩時間にお喋りをしている時は楽しかった。)
興味の無い習い事は、一定のレベルまでしか身につかなかった。具体例を上げると、夏休みの習字の宿題評点で銀賞をたまに貰うくらい。水泳部でマイナーな種目の三番手くらい。
時間を費やしても全く成長の意欲が無かったうえに、(あとから気づいた事だが)才能も劣っていたために、ただの器用貧乏が生まれた。
逆に、何もしなくてもいい点数がもらえるものが幾つかあった。教科で言えば国語、現国は、何も勉強しなくても90点は取れた。漢字の書き取り以外は間違える気がしなかったし、実際ほぼそうだった。
音楽も同じ様に、リコーダーの演奏も平均よりはるかにできたし、小学生時分のイベントで特別な楽器を演奏できるとあらば名乗りを上げた。文化祭や学芸会の劇ではサックスやアコーディオンを誰に習わずとも独学で勉強し、演奏した。歌は基本的に手本となる生徒だった。
夏休みの昆虫スケッチは習字よりも良い賞をもらえることが多かった。
今になって子供時代を振り返ると、なぜあの時に今の道に触れることができなかったのかと後悔する。なぜ専門家の道を最初に考慮しなかったのか。
その道は、後になって発見しても遅いのだ。高校入学時に洞窟を発見しても、辺りはもう夕暮れなのだ。
母に対して思う事はそんなに無い。死んでから時間が経っているのもあるが、上記生活の辛さと、その他少しのいい思い出、それに同情と申し訳無さが合わさってある程度フラットになっている。
4年以上浪人してたって奴から話聞くとだいたい他の学校に通っていたり働いていた期間がある。
まず藝大に進もうなんて考える奴は幼い頃から身近に一級の芸術がある生活をしていて、
中学高校から予備校でデッサン描いてる。進学対策でもあり習い事でもあるような感覚でな。
なおかつその年頃で自発的に作品作って公募に出したり有志とギャラリー借りて展示したりする奴もいる。
愚直に数撃ちゃ当たるという考えで作家(文士だけを指してるわけじゃないぞ)になれると思い、
権威にすがればなんとかなるだろうと大学進学を目指すような奴じゃやっていけない。
作家としての充実と生活のための労働の両立のため、冷静に分別をつけられるだけの知性と、
じゃあなんで通おうと思うのかといえば、毎日こつこつ描いたり制作しているうちに、
レベルの高い連中が集まる学校に進学してもおかしくないだけのポテンシャルが自分にはあると考え出すから。
例えばAppleやgoogleから入社試験への参加の誘いがあったら受ける奴は出てくるだろ?そんな感覚で受験するの。
で、何回も落ちるようならあっさりタマムサや他の国公立大に進んだり就職したりする。
最近ではなくてだいぶ前、おそらく幼い頃から自分は価値のない人間なのではないかと思ってきた。
両親が厳しい人で、あまり褒めてもらうという体験をしたことがなかった。習い事や勉強をたくさんやらせてもらったが、(半ば強制だったが)頑張っていたが認めてもらえたことは少なかった。いつもここが出来ていない、もっとこうしろと注意ばかりされ、時に叩かれることもあった。それに対して兄は私と比べて出来が良く、いつも「お兄ちゃんは良い子ね」と親が兄を褒めている光景を横で見ながら育っていた。
父は私のことを甘やかしてくれることもあった。が、私が小学校高学年ほどのとき、父が不倫をしていることを偶然知ってしまった。父と母はあまり仲が良くなくて、私の記憶の中では二人が笑顔で話している光景は数少なかった。なので父の不倫はある意味必然だったのかもしれない。しかし、それまで家庭内では父が心理的に一番近い距離にいたため、そんな存在の父に裏切られたという思いでいっぱいになったことを覚えている。それ以来父に嫌悪感を抱くようになり、だんだんと父との距離も離れていった。
そんな不安定な家庭状況のせいなのか分からないが、成長した今でも、私は「他人に認められたい、褒められたい」という欲求で胸が押しつぶされそうになることがよくある。その気持ちの強さのあまり、夜一人で過ごしていると涙が込み上げてくる日も少なくはない。
そしてまた、私には自分は価値のない人間だと決めつけてしまう癖がある。本当は自分で自分に価値を見出してあげなくてはならないのだろうが、それができずに他人にその役割を求めてしまうのだ。つまり、私の価値を図るバロメーターは他人の自分に対する行動であり、私はそのために、他人の行動の端々に敏感になり、ときに敏感になりすぎて必要以上に心をすり減らすことがままあった。
このままではいけない。何とかして自分を好きになり、自分で自分を認めてあげるようになりたい。そう思いながら、少しずつ私は自分を好きになろうとあがいている最中だ。
お母さんを捨てて、自分のことを考えたいのにお母さんに好かれたい選択肢を選んで苦しくなるんです。
私の中から消えてほしいんです。
物心がついてからの一番古い記憶は「お母さんかまって」「遊んでほしい」だった。
けれど、かまってもらえず、カラーボックスに入っている絵本を繰り返し読んだ。
お母さんはつまらなそうに、みのもんたが出ているテレビをつまらなそうに眺めてたね。
ときおり、移動図書館がきて、いつもと違う本を読んだ時だけ空虚な気持ちが消えた。
お母さんに触れたくて、でも触れるのを嫌がられた。
一緒に布団の中に入って、髪の毛を触らせてもらえたのが唯一のふれあいだった。
ある日「うざったい」と髪の毛を触るのを拒否された。
かなしくて、母親のいないタンス側の隙間をのぞいて、じっと泣くのをこらえた。
タンスの隙間から湿ったようなかび臭いにおいを今でも覚えている。
鏡でもよく遊んだ。好きな設定は鏡の中に、将来の自分が映るというもの。
女の子というものは年頃になれば、みんなきれいになるんだと思って妄想していた。
お母さんは、クラスのかわいい子に「○○ちゃんは華奢でかわいい」とか「笑顔がかわいい」と言っていた。
私のこと可愛いって言ってくれたことあったっけ。
おばあちゃんが服を買ってくれると言ってくれたから、淡いピンク色に二足歩行のうさぎと花畑が刺繍されていたワンピースを買ってもらった。
かわいい洋服を買ってもらい満足して、お母さんに見せたら「なんでこんなもの買ってもらったの」と責められた。
私にはセンスないよね、お母さんのいないところでお洋服買ってもらってごめんなさい。
小学生のころは週5で習い事があり、放課後に同級生と遊ぶのは稀だった。
ピンクと答えようとしたけど、それはかわいい子しか使っちゃいけない色なんだって思い出して「水色」と答えた。
それから、水色のものをもらうことが増えていったけど、本当はピンクを持てる子がうらやましかった。
気に入る内容のものはなくて、一番印象に残っていたのは種子島銃の本。
小学校1年生になっても補助なし自転車に乗れないのは恥ずかしいといわれて練習したね。
言い出しっぺはお母さんだったけど、練習は1人か、週末だけいるお父さん。
補助輪つき自転車に乗るより、誰もいないで1人練習するほうが恥ずかしくて心細かった。
乗れるようになってもほめてもらえず、できて当たり前で終わっちゃったね。
お母さんに悲しいことがあって泣きついたときに慰めてもらえることはなかったね。
「泣くのは甘え」といわれて育られたね。
だから、人前で泣かない子になったよ。
クラスで泣いている子がいても、慰めず「あいつは甘いヤツだ」って見下してたよ。
でも、高校生のころに人前で泣くのに怒られないで、慰められているところを見て、私の中の何かがぐらついてしまったんだ。
それから人の目がないところだと、今まで泣いてなかった分を取り戻すように声を押し殺して泣いたよ。
気づいたら、声が出ないで涙がツーっと落ちるようになったよ。
お母さんとの思い出、たくさんあって書ききれない。
でも思い出すと苦しいことばかり。
仲の良い親子がうらやましい。
なんで嫁と喧嘩になって謝罪しているのに何度も何度も同じことを言い続けるのかわからない
なんで全く同じことを何回も何回もいって同じ謝罪を何回もして意味あるのかこれ
というかなんで10年も前や5年も前のことをもう一度怒られて謝罪しなければならないのかも意味がわからない。
自分で過去は水に流そうっていっておいて、なんでそんなに前の話を出すのか、しかも謝罪もしていれば、その罰も受けていることを
だいたい小さいことを気にしすぎって、お前が間違ったことや脚色したことを言っているからそこを指摘しているだけだよね
脚色したことを指摘なければ全部それがそのままの意味になるんだよね
俺が悪いことも多々あるよ それは謝る。
ただ謝罪してさっさと終わりにして、次に進めないのは何なんだよ
一日に何時間も切れられてればこっちだって切れたくなるんだよ 脚色されていることも我慢してるし、
何年も前のことを何百回も謝罪させられることも我慢してる
人並みに稼いで、それで小遣いは人より少ない(月数千)。申請すれば買ってあげてる? ふざけんなよ
それでいて人に本当に稼いでるの? 嘘付いているんじゃないの?っていうって何だよ
こっちは鍵も持たせてもらえず、
苛々を抑えられないお前が悪い部分も認めろよ というかそこは直せよ
ネチネチネチネチ 気持ち悪い
で自分は無理無理いってるからじゃあ離婚するしか無いんじゃねっていったら離婚て言うなって
じゃあ無理って言うなアホが
というか大体離婚て言ってたのはお前なんだよ
なんで好きなことも全部我慢して、嫁の習い事のために早く帰って、朝晩子供の世話して文句言われなきゃいけないんだよ
朝俺が起きる時間に起きなくてもいいけど、少なくとも子供が起きてるのだから俺が会社行く時間には起きろよ
なんでお前のシャワーや、起きるのを待ってるんだよ
アホらしい。
糞すぎる
これには弁解の余地はないのだが、
別の子がうるさく言うのに、口で注意したがきかずつい手が出てしまったという。
相手の言質をとらなかったのが痛いのだが、
3日後に頭がいたいのが治らず、後頭部を棒です突かれたというので病院で検査した、結果はなにもなかったが
こんどなにかあったら的なことを習い事を通して言われた。
この時点でこの親はやばいと感じ、いろいろ考えた結果、やめさせることにした。
理由は、これからもこの子とうちの子は一緒のワゴンに乗り、習い事をする。
スポーツ系なのでふいに手があたって転んだり、押したような形になって倒れるかもしれない
そうすると、この親はこっちが悪いと決めつけてくる親だと考えたから。
もちろん腑に落ちないことは多い。
3日たっても痛みが引かないようなたたき方をしたのであれば、
車の中で騒ぎになるはずである。
降りるまではなんともなく、降りたときに頭を抱えていたので聞いたら叩かれたと言ったというのが発端なので、
習い事側も直接親同士を合わせないようにしたのは
ありがたかったが、叩かれた側の言い分のみで動いてるようで
辞めるときにすこし引き止めたくらい。
ただ、そういう親は自分の子どもに悪い部分があるとは一ミリも考えず
相手を叩くのみに集中する。
子ども同士のトラブルはお互い様と考えてきたうちとは相容れないので
実際被害者ぶる子どもと親にひどい目にあった事例がごく身近にあり
学校がえらいことにもなった。
それにしても後味が悪すぎる
http://anond.hatelabo.jp/20160427035646
年齢■3~18歳
幼稚園■友人が少なかった
1年生■男子にいじめというより暴力を受ける、洋服を切断される等
2年生■転校、クラスに馴染めては居ないが会話が少ない程度、好きな子がバレからかいの対象に
3年生■クラスの中心人物女子Aと馴染めず女子に無視されるもそもそも女子と会話していない。更に小説にハマり困らず
4年生■男子に飛び火し暴力を受け始める、いじめの中心はIという男子、しかし一番いじめを受けていたのはTという男子で登校拒否に
5年生■わりと楽しく過ごすも終盤好きな子がバレからかいから暴言に、裏切りの連続。しかし習い事が楽しい毎日
6年生■隣のクラスのIと習い事が同じに、思い出したかの様に暴力を受けるが俺は身長が伸びIより長身でやり返したため、ただの喧嘩状態に
1年生■Iが同じクラスに正直Iを喧嘩するのは楽しい気がして来たが、当然クラスメイトへ飛び火し男子複数人から暴力を受け始める。教員に冤罪を告げ口され暴力を受け始める。
2年生■Iとはクラスが分かれたが、まだたまに喧嘩。今度はIの兄の彼女である黒ギャルに謎の嫌がらせを受け始める。周囲に避けられる程度。
3年生■黒ギャルの友人不良女子Mに暴力を受けたがやはり長身のため問題は無いが、教員に警察に行ったら学校に居られなくしてやると言われる。
1年生■友人が少ない程度
2年生■不良女子Eに暴言を吐かれ続けるも教員に言いふらし事無きを得る、援交隠蔽をしたが生活指導にはまともだった高校教員。Eは転科後退学。
3年生■友人が少ない程度
結論■俺がいじめを受けたのは全体的にあまり会話が上手く無く友人が少なくコミュ障な特徴、そして恋愛沙汰、Iとの喧嘩が原因で有ると予測される。
子供は恋愛沙汰に敏感で騒ぎ立てたくなる特徴が有り、好意を上手く隠せなかい場合からかいの対象となる。
そして集団の暴力は飛び火しやすく、Iとの喧嘩が飛び火した結果暴力沙汰に発展してしまった。
大学以降はいじめを受けては居らず、おそらく恋愛に寛容になり、暴力行為は通報され許されない環境になったからであろう。
性格が悪いと言われればそれまでだが、自身のコミュニケーション能力不全や過剰な感情表現が問題である。
今後も気をつけて行こう。
まぁそうだけど、月額15万あればベビーシッターにも預けられるじゃん?
年収1000万越えなら習い事もさせるだろうから、プラス5万ぐらいでシッターに預けるのは無理じゃないと思う。
嫁さんの収入が300万だとして、現状だと月5万×12=60万払って保育園預けて、送り迎えで夕方6時上がりの時短勤務だろ。結局、妻の働いた分300-60=240万しか残ってない。
それを、15万×12=180万渡すから家庭で自分でみてねってやればどう?って話なわけよ。
働かずに180万貰えて子供と一緒にいるか、ヒィヒィ言いながら働いて240万残って子供との時間もないのか。
この差額60万のために後者を選ぶかって話で。
認可外を未認可と書く時点で増田もあまり分かってないと思われるけどそこは置いといて
金持ちパワーカップルが優先的に認可保育園に入れて大量の税金つぎ込まれているのに
貧乏夫婦は認可保育園に入れず高い認可外保育園代を払うか専業主婦で極貧生活するかしかない
と言う現状は間違っているのではないか?ってって意見なら
保守速報なんかは何も知らない子無し独身者が多いだろうが、育児系なら当然上記の事情を分かってる人も多いし。
私立幼稚園のように園が園児を選びたいから敢えて認可を取らないとか(認可保育園の入園児は園ではなく自治体が選ぶ為)
園庭が無いけど英語オンリーですとかお受験対策教育しますとかそういうのを売りにしてるとか。
認可外保育園としての許可すら取ってない(ただの「習い事教室」扱いの)所もある。
そういう認可外を選ぶ親は、「認可に入れないから仕方なく」だけではなく
積極的に「DQNもモンペもいて教育もろくにしてくれない認可保育園なんて入れたくない」って親も多いだろう。
何も考えていない、わけではない。でも、考えたことはだいたいその場にそぐわない気がして、話せない。
「その日の昼に何を食べたいか」「旅先で半日空いた時間をどう過ごすか」などはできる。そういう話ではなく、「将来どんな仕事に就きたいか」「研究室でこの先どのような研究を行いたいか」など、自分の将来に関わることにはっきりと答えを出せない。
思い起こせば元々そういう生き方をしてきたのではないか、と思う。昔から、自分で何かを考えたことがない。
決断こそ自分でしている(させられている)ものの、基本的に親の敷いたレールの上を走っていた気がする。
例えば、「あの習い事格好いいよね」と親に言われ、その気になって習い事を行っていたり。
「お前は理系の方が合ってるんじゃないか」と言われ、調べてみて自分でも向いていると思ったり。
自分で、やりたいと思ったことはなんだろう。自分の意志で決めたことはなんだろう。
そんなものはなかった。結局は、なにも自分で決めていない。誰かが推したものを好きになったり、その気になったりしてやっているだけだった。
私はいったい何をしたいんだ。何を思って生きているんだ。
答えが欲しい。でも、答えがないことは分かっている。
だからこそ、終わりのない地獄が、いつまでも頭の中でぐるぐると渦巻いている。
【2017 7/5 追記】
何が好きなのか、何が嫌いなのか、何をやりたかったのか。
少しずつでも、頭の中の自分と向き合おうと思った。
我が家でこども2人産んだら。
老後が破綻する。
年金ネットで老後の年金を調べたら、旦那も私もとても生きていけない額だった!
これから1歳半の息子に、習い事、幼稚園(保育園)、大学までの学費、将来受給できる年金額では生きていけないので個人年金に加入して、貯蓄して、いつまでも賃貸マンションも家賃が勿体ないので住宅購入して、プラス社会保険料も上がるし、とにかくお金がかかってしかたない!
もはやこどもは贅沢品だと思う。(品って言い方はおかしいかもしれないけれど)
じゃないと子供2人なんてとても無理!!
出生率1.8なんて何十年経とうと訪れないと思う!
盛り上がっている公立保育園問題。なぜ公立保育園は増えないのか。
色々報道される中で、予算の問題や近隣住民の問題だけではなく、「適地がない」という問題を聞いた方も多いと思う。
子どもを安全安心に育てるには、適した土地が必要なのは間違いない。
昭和の時代、専業主婦の時代に大量設置された公立幼稚園は、いまも大抵の土地で生き残っている。
駅から近い、小学校に隣接、治安がよい、等の素晴らしい土地で……
そう感じる方も多いと思う。
でも、話はそう簡単ではない。
公立幼稚園だって少なくなりながらも、現に通っているユーザーがいる。
一部では公立幼稚園廃止に踏みきった地域もあるが、まだまだ少数派だ。
役所が公立幼稚園廃止を仄めかすたびに、署名活動が展開される。
意味はあるらしい。定員の過半数に満たないような幼稚園はいまも元気に存続している。
よく知られている話だが、私立幼稚園に比べれば公立幼稚園はのどかで、牧歌的で、ぬくもりがある。
他の施設同様、公立幼稚園に通っているちびっ子達もまたいい笑顔をしており、元気にすくすく育っている。
少数派になったとは言え専業主婦はまだまだ多い。
自由に習い事をさせたいから、拘束時間の短い公立幼稚園を選ぶ保護者も意外と多い。
外国籍の子どもの受け皿になっている等、意外と知られていない役割もある。
私は保活をしている親に、公立幼稚園を憎んでもらいたいのではない。
いずれ誰かが気づくことだから、先に書いただけだ。
要は社会全体として、若い世代へのサポートを増やしていく方向に進んでもらいたいだけだ。
そのうちひどいバッシングを受けることになるだろう。
その時、先生方が傷つくのは容易に想像がつく。彼たち彼女たちは懸命に働いている。
ある。いっぱいある。
先生方はあくまで幼児教育のプロであり、マーケティングのプロ、保護者あしらいのプロではない。
分析をしないから、対策を打つこともない。打つとすれば思いつきのアイディアで、二年目には忘れらている。
いざとなれば署名頼りだ。保活ユーザーに幼稚園ぶっ潰せ署名を逆に浴びせられたら死ぬ。
園児=保護者が減っているのに、保護者の仕事は減らさない。むしろ増えている。
「昔からこうだから」の一点張りで、いまだによくわからない行事への動員を強制したりする。
よく言われるように、全員一律で何かの係を負わせられたり、それが決まるまで帰れなかったりもする。
何かを変えようとすると、これまで我慢を強いられてきた上級学年やOB・OGから袋叩きに遭う。
この辺りは、町内会やマンション自治会、小中学校のPTA等と構図が似ている。
「能力ややる気ではなく、持ち回りや強制で決まるリーダー(課題解決力ゼロ)」
「サイレントマジョリティよりもノイジーマイノリティを優先(迷走とモチベーション低下)」
公立幼稚園を本気で守りたいなら、当事者がまず意識を変えねばならない。
そうでなければ、少なくない税金を払っている人は納得しないだろう。
繰り返すが、私は保育園派と幼稚園派の争いを煽っているのではない。
そして、(詳しくは書かないが)保護者同士の保育園派・幼稚園派の不毛な反目がなくなってほしい。
バックグラウンドが違っててもいいじゃねーか、お互い色々あるんだよ。
そんなことを、インフルエンザにやられた頭でふと考えた。
子ども産ませてください。
一馬力の年収一千万弱家庭です。おかげさまで多少余裕のある生活ができています。
ニッポンの偉い人へ。
もう1人子どもが欲しいです。
1人でも2人でも欲しいです。
子ども産ませてください。
でも、教育費のことを考えたら、尻込みしてしまいます。全部公立で大学まで、親が学校以外の教育費を一切かけずに行く人は一握りです。
公立の学校だってそれなりのお金を払いながら通って、それにプラスして習い事や塾代をかけてやっと、公立の大学に入って。
できれば親と同じくらいの生活ができるだけ稼げるような大人にさせるのにはどんなに安く見積もってもやっぱりとてもお金がかかります。
そのことを考えたらまず3人目を悩みます。
私も働こう、と思っても、これから働き始める人なんて保育園は門前払です。育休中の人すら、入れずに待っている状態ですから。
産みたいのに、産めません。
私の周りのママたちも同じ理由で3人目を悩んでいる人がたくさんいます。みんな、産みたいのに産めません。
けれど、愛でるだけでなく、私たち親は1人で食える大人に育てていかないといけないんです。
言い方を変えれば、1人で食っていけて、税金も納める働き手を私は産みたいんです。