はてなキーワード: 成り上がりとは
前に株で一山設けた成り上がりが友人にいて、そいつがキャバ嬢を誘って食事に行ったら現金を財布にしまうときに向きがバラバラだったことを指摘されたとか言ってめちゃくちゃ怒ってたの思い出した
「Aさん(友人)はお金を大事にしないって思われちゃうよ、とか何様のつもりだよな!キャバ嬢ごときにに金の何がわかるんだ」とか言って。
別に怒り狂うことではないけど
それは作法じゃなくて逆だぞ。
前に株で一山設けた成り上がりが友人にいて、そいつがキャバ嬢を誘って食事に行ったら現金を財布にしまうときに向きがバラバラだったことを指摘されたとか言ってめちゃくちゃ怒ってたの思い出した
「Aさん(友人)はお金を大事にしないって思われちゃうよ、とか何様のつもりだよな!キャバ嬢ごときにに金の何がわかるんだ」とか言って。
箸が問題じゃなくて要するに自分よりも下だと思ってたやつに説教食らったと思って腹立ってるんだろ。せっまーちっちゃー
あと
箸がうまく持てない=食べ方が汚い
箸がうまく持てない=親からきちんと作法を習っていない=社会常識がない可能性が高い
学校のお勉強はそこそこできたけど、根っこは社会不適合者でドロップアウトせざるをえなかったわけでしょ。
そういう落伍者が、なんとか自分の経験を切り売りしながら、信者に囲まれてゆるく暮らせるっていうのは、社会として幸せなことだと思うんだよなー。
だいたいそういうレールから外れた人間が社会的に一応成功するのって、元ヤンの成り上がり的な文脈しかなかったわけだし。
それにはてなってブラック企業とか蛇蝎のごとく嫌ってるけど、もし彼らがドロップアウトしてなかったら確実に使い捨てされてる若者側でしょ。
なんでこんなに嫌われるんだろ。ほっとけば?と思う。
週末、法事があって親戚が一同に会したのだが、大学中退ニート現39歳のいとこが顔を出していなかった。
大して筋の近い親戚の法事でもなく、参加してないこと自体には何の問題もない。親戚が集まる会なんてのは、子供や孫自慢大会になったり、もう何度もリピート放送済の昔の恥ずかしい話を聞かされたりで、うっとおしいものでもあるし。
自分は自慢大会はどうも気が乗らないから、昔の恥ずかしい話のリピート放送の方に参加してたのだが、その流れでニートのいとこの話になった。
まずいなと思って話を変えようとしたが無理で、そういえばあの子(ニート37歳)は今どうしてるの?と誰かがニート両親に聞いた。
母親は「先週まで1か月間、派遣の仕事してたんだけど、今はまた家にいるのよ。私の家事も手伝ってくれてありがたいわ」と答えた。私は、39歳ニートはむしろ家事をもっぱらに請け負うぐらいでちょうどいいのではとも思いながら聞いていたが、母親にとっては部屋にこもってネット三昧よりはずっと良いと考えているらしかった。
いとこはかれこれもう10年ぐらい、そうやって派遣をたまにやったり、紹介予定派遣で予定外だったり、資格の勉強をすると言っては学費を入れた学校に数回しか通わなかったりして、日々を暮らしている。いとこの家には家業があるが、両親はもう70を超える年齢で、いとこが継ぐ気配もないので店を畳んだ。
母親が「大阪とか博多とかってどうなのかしら」と私に聞いてきた。なぜ?と聞いたら、ニート39歳を行かせてみたいと言う。
生まれて育った街(首都圏)の自宅にずっといるよりも良いのではないか。空気も良いだろうしと。いや、大阪も博多も環境的にはこの辺と変わらない都会だよ、博多はちょっと前に仕事で行ったが黄砂が大変らしいし。それにそもそも伝手も知り合いもなく、その場所でやりたいことがあるわけでもないのに、突然ひとりで別の街にいったところでせいぜい物見遊山にしかならないだろう。どうせ空気のいいところで、と言うのなら、いっそのこと東北の被災地でまだ募集してるボランティアでもしてくればいいのに、と答えた。
すると母親は、「あの子、東北には行かないと思うわ。インターネットで色々調べていて、危ないからって…」「私はこの間、被災地を見てこなくてはと思って青森に行ったんだけどね…」と言う。
もちろん、青森の被害も深刻ではあったが、正直、震災から5年経つ時期に「被災地を見たい」という目的で行くにはそれほど相応しくはないのではと思った。青森は食べ物も酒も旨いし、今だとまだ寒いだろうが、私も一昨年の夏、念願の種差海岸の馬を見にいって、観光で訪れるには本当に良い場所だ。温泉共同浴場がいくつかあってそれを回ったのも楽しかった。単純に観光で行ったんなら、そうですか、楽しかったでしょう、良かったね、と言って終わる話だ。
自分は、先週は、ボランティアの関係で知り合った福島県のある町に住む友人のところに、仙台への出張の帰りに、会社にお願いして顔を出してきた。
3月11日には色んな行事があったりして落ち着かないからと、その前においでとご招待をいただいたのだ。ちょっとの時間しかなかったのだが、お邪魔して、地物の野菜で漬けたという旨い漬物山盛りでお茶っ子に混じらせてもらって、懐かしい話をして旧交を温めてきたところだった。
いとこは定職にはついていないが、たまに派遣の仕事をしたり時には定職につく努力を始めたりするが、何をやってもとにかく長続きがしない。大学も、資格試験の勉強もそうだったが、辞めてきてしまった仕事もいくつもある。
いとこは、父親が独善的な成り上がりで母親は過保護という、ある種典型的な両親の元で育っている。実家に金がないわけでもないので更に完全にスポイルされている状態のように、外から見た限りでは見える。
一方で、いとこの家庭には、ただ耐えるにはあまりにも辛い家庭内の事情もあり、外から見ただけで判断はできない、とも思うので、今までもこれからも特に、直接に話をしたり助言をしたりすることもないだろうと思っている。そもそも望まれてもいない大きなお世話のおせっかいだろう。
ただ、いとこは、いかにもニートらしいインターネット・ライフを送っているようなので、ひょっとしたらこの増田を見ることが、場合によってはあるかもしれない。
だから、ひょっとしたら目にすることもあるかもしれないという希望をもって記すが、とりあえずいったん実家を出ろ。別に飛行機の距離の街に行く必要なんてないし、どこか別の街で働きたいならそれだっていい。
残念ながら、お前の親は、父親も母親も、お前を一人前にするための能力を持たない。お前は豊かな才能と愛嬌のある如才なさがあり賢い頭脳も持っている。世間で十分通用する力も本当は持っている。それは私が請け負うし、私の家族もみな同意見だ。ずっと前から私たちはお前のことを気にかけて心配しているんだよ。
あの二人は、お前にとっては大切な親だが、他人から見たら、ただお前をスポイルするだけのモンスターだ。お前と兄を比べて配慮のない態度をとったり言ったかと思えば、成長したい子供を抑圧するような、モ世間知らずのモンスターになってしまっている。
彼らがお前のことを愛しているのは間違いないが、その愛情の示し方には問題がある。人はいつだって正しいことをするとは限らない。親であったとしても間違ってしまうことはある。
お前の親が、お前を一人前にするための方法を間違ってしまっていることはアンラッキーではあるが、今からでも取り返しのつかないことでもないし、そのぐらいのアンラッキーなんて誰だって持っている。現に私の家だってお前から見ればかなりアンラッキーに見えるだろう。何しろ両親ともに早死にした。
だから、一度自分の力と自分だけの責任と自由を持って、家を出て生活してみないか。1、2年やってみて、あまりに辛くてとか貧乏で生きていけそうもなくても大丈夫。その時は実家に戻ったっていいんだから。特にお前に甘い母親が両手をあげて歓迎してくれるはずだ。逆に言えば、親はもう年なんだから、うまくいかなかったら戻ればいいとカジュアルに独立するのはタイミング的にはラストチャンスだ。
ひょっとしたらお前は、気弱な暴君である父親と二人きりにされる母親を気にかけているのかもしれない。お前は優しい子だからありうる話だ。でも、お前の母親は、他人からみれば随分図太いところもある人だから、大丈夫だよ。心配なら、週に一度ぐらい電話してやるとか、月に一度ぐらいは実家に顔を見せればいい。母親の話を聞いてやる、母親に自分の近況を報告するだけでも、ずいぶん親孝行になるんだよ。
亡くなった私の父は、意識が薄れてきて息を引き取る2、3日前にも、お前のことを本当に気にかけていたんだよ。あの子は本当に可哀想な子や、よく気の付くいい子やし頭も良い、押し出しもある。なのに、がんばれない。兄のこともあの子が全て背負わされている。
無関心に分かったふりをしてただ甘やかすだけの母親が、あの子から色々な人と交わり闇や光や泥を見ることの楽しさをスポイルしている。知識が実体験に結びつき血肉となり成果が上げられた時の喜び、働くということの金以外の本当の実りを教えてあげられない父親が、あの子の未来に絶望を見せる。そう言っていたんだよ。
一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!の批判記事があった。
それは、おりあそ氏による
「アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html
である。
自分はTVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品にうんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。
そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。
批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論の意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブと表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。
彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判と問題提起が始まる。
しかし、アニメ『ラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである。
問題点を明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭り ~アイドル臨時総会~」といって、普段はライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベントが話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版のクライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。
実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドルの人生物語を象徴するイベントだったからである。もともと指原は故郷の大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループのライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京、自分自身がAKBのメンバーとなり、ブレイクを果たしてこのようなイベントを企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタクの成り上がりストーリーを体現したからこそ、感動的なイベントだったのである。
この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元のアイドルアニメというジャンルの批評に実在アイドルのAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。
実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソードや写真が残っているようである。
そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分がリスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭りを主催したことは確かに快挙である。
そして、この「ゆび祭り」というイベントのチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在のアイドル達やアイドルオタクに還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。
それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭りが比較されながら述べられているのが以下である。
では、アニメ『ラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドルの未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルのことなんかちっとも考えてこなかったのである。最後の最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。
指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭りを主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。
廃校を阻止しようという目標が最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題が有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。
また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベントと比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現で揶揄されても仕方がないものといえる。
一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りをしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものである。しかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルやファンへの還元の面でも現実のアイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。
したがって、あのスクールアイドルのお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブの劇場版というお祭りの観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。
今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである。映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係なストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題が提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人と交流したりするだけである。また、ニューヨークで迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガーと出会い、ホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーにはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガーは帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画のキーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画のストーリーに全然そぐわないなど、とにかくこの映画の脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版『ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである。
と、ここも個人的に意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。
そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。
たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来はコンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性や事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味にもつながってくることになる。
しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標がプロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。
アニメラブライブに肯定的なファンの間では「アイドル活動で廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。
また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロのアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京や関東地区では。
脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東の空港である日本の空港に帰ってきたところでファンに出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版やアニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係なストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである。
続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。
さて、劇場版『ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画の価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的な問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである。
『ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本の二次元コンテンツを代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバーに共感したり、あるいは彼女らから何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品そのものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本の崩壊だと考えられるのである。
そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。
何故かというと、このアニメラブライブの脚本家である花田十輝氏や監督の京極尚彦氏は自分たちが志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)
いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画し原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案は公野櫻子氏であるため、彼らは作品の物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務や責任を負わなければ話にならない。
本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである。
意識高い系が嫌いなので、私は意識低い系について考えてみたい。
高知の某氏は意識低い系とは、頑張っていることが嫌いな、ヤンキー的、で足を引っ張る人というのを想定していたが、私の言う意識低い系とは少し違う。
意識低い系を考える前に意識高い系の傾向について少し言っておきたい。
意識高い系(時にfacebookにいる)の何が嫌いかといえば、あいつらやること為すことが、「作為的」なのである。
この投稿をすることで人からよく見られたいだとか、頭良く見られたいだとか、頑張っていると思われたい、そういった作為が透けて見えて反吐が出るのだ。
糞喰らえ!
そこから考えて意識低い系というのは、作為を廃したいわゆる「無為自然」な人の事を指すのではないだろうか?
「うんこなう」とか「おうろん食べたい」とか投稿しているそこの君だ!!!!
いいぞ!もっとそういう無為自然なまるで意味のない投稿をもっとしたまえ!僕はそういう投稿をもっと読みたいのだ!!
人からこう思われたいだとか、この投稿で成り上がりたいみたいなギトギトした投稿を見るよりは、もっと素敵だ。
人間は発言からつくられるのではなく習慣からつくられると思っている私は、大言壮語な人でなくてボソッっと呟く人にも素晴らしい人はいると思っているので意識の低い人の中にも素晴らしい人はいると考えている。
でかいことは言わなくても黙々とやればいいのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/borges.blog118.fc2.com/blog-entry-1667.html
育児や介護に追われる必要もパートする必要もなく、周囲にハイカルチャーしか興味ない人しかいない環境で生きてる専業主婦って
相当上流階級だろうし、そんな主婦の夫はサラリーマンじゃなくて資本家階級だろ。
中流程度だったらサラリーマンと同じく、主婦も色々な階層の人と付き合わなきゃいけないはずで。
上記の専業主婦と対比するのがサラリーマン、という時点で前提がおかしくね?これ。
あと「文化資本を持つ女はより社会的地位の高い男と結婚出来る」のではなく
「幼い頃から文化資本を身につけられるような環境で育つ上流階級のお嬢様は同類の男と結婚する」ってだけでは。
「足らぬを知る」、
つまり、自分の可能性の枠の上限を広げることは、成り上がり的幸福感を与えてくれる。
ただ、そのコストは莫大であり、枠を拡大する段階で、相当の努力、ストレスを必要とすることが多い。
反対に、「足るを知る」ということは、人生の上限を決め、
その枠を広げることよりもとても楽なこと。
そのうえ、精神的充足を得られるのだから、幸せそのものだろう。
人生の中で、
「足りない」期間が長いからといって、最終的により高い地位にたどり着き、幸せになれるとは限らない。
ただの傾向として、「足らぬ」ことを知り、努力を積み重ねた人間のほうが何かを成し遂げやすい、
ただそれだけのこと。
必死で「足りない」と思いながら踏ん張っている、僕は幸せになれるのだろうか。
それとも、「足りない」ことを知りつつも、
自分の上限を広げる力を持ってないことに気付かないまま、無駄な努力をしているのだろうか。
パリにおけるテロの一報を聞いた時、シリアやイラクの『まっすぐな国境線』を私は思った。
『ISを空爆しているからテロに遭った』という単純な話ではないのだ。
その『国民国家』が軍事力で相互に牽制し合う秩序、『ウェストファリア体制』ができたのは1648年。西欧という、極小の地域で生まれた。
18世紀以降、西欧諸国はこの『国』という真新しい概念を世界中に押し付けていく。
日本も例外ではなく、武力による恫喝でウェストファリア体制に組み込まれた。
明治維新と言えば聞こえは良いが、列強の外交圧力に屈服したにほかならない。
ウェストファリア体制の押し付けで、最も割を食ったのは中近東とアフリカだろう。
かの地域に『国』などなく、あるのは氏族社会(日本では部族(tribe)社会と呼ばれるが、国際的には氏族(clan)を用いる)だけであったし、今もそうだ。
氏族社会にとって『国』は不要どころか、不自然な国境線と独立・民族戦争を生んだ悪魔と言って良い。
うまく想像できない人は『明治維新に失敗した日本』を想像すれば良い。
成り上がりの強国に植民地支配され、解放後もモノカルチャー経済で貧困に喘ぎ、近代化できずにいる日本を想像すれば良い。
恨みを持たない方が不思議だろう。
英仏露が中近東を引っ掻き回した、100年前の一次大戦も『国』の押し売りであった。
同情しなくもないが、被害諸国から見れば悪の統領である。9.11は必然だった。
時に米国と対立するフランスだが、両国の同盟関係は100年以上も続いている。
サルコジ以降はNATOにも復帰したから、軍事同盟国でもある。
パリにおけるテロは、9.11をスケールダウンさせただけで、構造は同じだ。起こるべくして起きた。
日本は?
考えるだに恐ろしい。
フランスと同じではないか。違うのは『ISを空爆していないこと』だけだ。
日露戦争の時は『列強に一矢報いた第三世界の星』だったかもしれない。
しかし、その栄誉はすっかり摩滅し、今は跡形も無い。
イラク戦争を支持・派兵し、米国の同盟国で、米軍海外基地(規模では世界第二位)を有している。
湾岸戦争の時のように、大金をバラ撒くのか? 口だけの『平和外交』を続けるのか?
馬鹿にされるだけだろう。
履歴書が手書きかデータかは「何を求めてるか」から議論しないと不毛
会社員だからいいのではなく、収入と集金モデルがあるかどうかでは?
アイタタタタタwww 記事内容は読まなくてもいいのだが記事タイトルと記事についてるタグ。
オピニオン
ギャー!!!!!
しかもイケダハヤトは完全にネタで釣りにいってるのに対してマジっぽいのがさらに痛々しい!!!!
でもダメだわーこの子イケハヤと違って稼げない子だわーPVは稼げても金稼げない一番残念なパターンだわ。
お待たせしました。イケダハヤトと劣化クローンの根本的な違いを発表します。
目的。
イケダハヤトは、オピニオンを目的としているのではなくて金を目的としてる。劣化クローンは共感やPVを目的としてしまう。
イケダハヤトは会社勤めをバカにして自分だけはいっちょ成り上がりたいしそのためなら金払うぜと考えるバカを釣り上げることを目的としてる。
劣化クローンはは金にならない人間ばかりを釣り上げてしまう。ああ、俺ってダメな人間だな。でもそれって会社のせいなのってなふうに会社に負けちゃってる負け犬根性が強い人間ばかりを釣り上げる。承認欲求満たしたいだけならいいけど、共感してる奴金落としてくれない。この違いがわからない奴はプロブロガーの夢を見続けるも一生地をはう。
寝付けなかったので勝手にレビューしていたら夜が明けていた。飽きるまで続けようと思う。
http://yomou.syosetu.com/rank/list/type/total_total/
ランキング | タイトル | オススメ度 | タイプ | 短評 |
---|---|---|---|---|
1 | 無職転生 | ★ | 人生やり直し | 累計一位を見に来た人が1話2話でドン引きしている図が見える!見えるぞ!前フリにしたってちょっと普通にキモイので章構成なんとかしたほうがいいのではないか。 「最後まで読んだら面白いから!!」とオススメされる系の作品だけれども、総じて序盤のキャラにぜんぜん魅力ないのがきついので合わなかったら無理せず速やかに離脱推奨。 どうしても読みたいならたぶん7章冒険者編から読んでもなんとかなる。ワンピの序盤飛ばすようなものだ。気に入ったら過去編を読もう。 |
2 | 謙虚、堅実をモットーに生きております! | (女性向けのため評なし) | ||
3 | 八男って、それはないでしょう! | ★☆ | チーレム | ドラゴンは倒すし戦争は圧勝するし嫁はどんどん増える。割と序盤で登場する正妻エリーゼちゃんペロペロ(聖女・巨乳)。 チートレベルに強くなって貴族になって結婚してからなぜかまだ冒険者をやりたがったりする(要するに嫁を増やす以外特にやることがなくなる)ループに入るまでは面白い。 50話くらいまでかな。そこから先はお好みで。 |
4 | 異世界迷宮で奴隷ハーレムを | ★★☆ | ゲーム世界 | ダンジョンゲーで自分の好きな女の子キャラだけでPT組んで攻略してますムフフもあるよ日記 以上でも以下でもないが、 小出しに明かされるどこか馴染みのあるゲーム的設定や育成要素はある種の人にとっては「この設定のゲームすごくやってみたい」と思わせる魔力を持っているし、ヒロインのドット絵クラスの描写の薄さは逆に奴隷だの従順だの巨乳だのエルフだの自由に妄想できる。なんだこれ昔のゲームか。 人の実況プレイ見たり艦これプレイ日記とか読んじゃうタイプの人にはたぶんとてもオススメ。 実は300作品あっても類型がほとんど見られない珍しさなので、この作品が好きでなろうに入り浸ると逆につらそう。 |
5 | ありふれた職業で世界最強 | ★ | クラス転生 | 主人公のステータスどんどん上がってく!比較対象がないから強そうぐらいしかわかんないけど! 同じクラスだった嫌な奴らをチート能力で懲らしめるしヒロインのピンチに登場するし実に正しく俺TUEEEEしている。スゴイ。 ステータス表記を除けば上位の中では一番ラノベっぽいかな。ドゴォォォン!とか聞こえるし。畳むに畳めなくなってきてそうなのもとてもラノベっぽい。 |
6 | デスマーチからはじまる異世界狂想曲 | ★★☆ | チーレム | チートで戦闘も料理も家事もNAISEIっぽいこともするけど特筆すべきは主人公以外のキャラ同士の会話が生き生きしていること。 どす黒かったりクズっぽかったりなんかやたら政治っぽい話ばっかりしていたりそういうことがない。 聖女枠の姫巫女セーラちゃんは中盤からの登場です。絶対金髪だと信じている。 |
7 | 異世界食堂 | ★★ | UMEEEE | 飯テロ |
8 | 転生したらスライムだった件 | ★★★ | 人外転生 | どちらかというと能力バトルものっぽいし、ボスっぽい強キャラが出てくるし、仲間が奴隷でも部下でもPT要員でもなく正に仲間って感じである。 人外転生なのにまさかの王道。武術大会やって若干グダるところまでまるでジャンプ漫画のようである。 ハーレムしてないけど面白いビクビクンってなる人多そう。私もである。 |
9 | 盾の勇者の成り上がり | ★★ | ゲーム世界 | 初期の世界設定で「あーこんなシステムのゲームあったらやってみたいねえ」と思わされてしまったのでチーレムではなくゲーム世界ものに分類。 しかし内容は奴隷ハーレムとは真逆なのであった。敵も味方もキャラの味付けがクドすぎる。常識人はどこにいるんだ。 成り上がりものとしてどん底から始まるパターンは面白い。NAISEIとか仲間要素もある。でもキャラ同士の会話パートは読み飛ばしてもOKだと思う。 |
10 | フェアリーテイル・クロニクル | ★☆ | 異世界トリップ | 異世界日常系。悪い人はほぼ出てこないし主人公たちの置かれた状況の核心に迫る話は全然進まないしギャグは適度に面白くない。 空気読まないってダメ押しのように繰り返されるギャグのことなんだろうか。 とはいえ、生産系をずっとコツコツやる話は案外ないので楽しめる人は多いと思う。 |
お笑いコンビ『千原兄弟』の千原せいじさん。「悩みがない」ことで有名なせいじさんが、恋に悩める女子たちのお悩みに答えるイベントを開催するようなのですが…
果たしてせいじさんに、本当に恋愛に悩める女子たちの悩みを解決することができるのか、失礼ながら疑わしく思ってしまった我々Spotlight編集部は、直接せいじさんの恋愛アドバイス力を確かめるべく、特別インタビューを敢行してきました!
せいじ:はい、何でも聞いてくださいっ!
編集部:せいじさんは「悩むことがない」と伺っているのですが、例えば、弟のジュニアさんにTVで散々「うちの残念な兄がぁ~」とバカにされていることについて悩んだことなどは…(恐縮)
せいじ:いや、全然それで金になってるからえぇわ別に。それでスベってたらあれやけど。ウケてるからね~。
せいじ:そらスベってたらそらもう…
編集部:悲しくなる…?
せいじ:いや、悲しくなるどころちゃうで、そんなもん!!なにスベってくれてんねんちゅう話や!ほんなもん、悲しくなる程度なわけないやん、出るとこ出て訴えたるわ!!
編集部:失礼しました、そうですよね(苦笑)では、例えば…例えばですよ?その…お顔のことで悩まれたりしたことは…
せいじ:いや~金になるからね~
編集部:なるほど。例えば一重の人が二重にしたり、メイクをスゴイがんばったりして、顔のことで悩んでる女性って多いと思いと思うんですけど、何かアドバイスってありますか?
せいじ:女性がメイクしたりとかするのえぇなぁと思いますけどね。それでテンションもあがるやろし、自分に自信が持てるようになるんやろし。メイクはガンガンするべきでしょ。
編集部:では、“スッピンが好きな人”と、“お化粧した顔が好きな人”っているじゃないですか。せいじさんはどちらですか?
せいじ:そんなもん、化粧した方に決まってるやろ!そんなこと(「すっぴんの方が好き」)いう男に騙されたらアカンで!ウソついとんねんそんなもん。
編集部:「君のスッピンかわいいね~化粧しないほうがかわいいよ~」とか言われたら…
せいじ:そんなんご機嫌とってるだけや、後ろめたいことがあんねん、絶対!!そんなわけないやん!だって年間ナンボ程使うねん、金を、化粧に。な?日本経済のことも考えて。すっぴんの方がかわいいとか言う男クソやろっ。
な?スゴイで、何兆円産業やろ化粧品なんて。そんなもん「ノーメイクの方がえぇ、ノーメイクの方がえぇ」言い出して、みんなメイクせぇよんなってみぃ?日本、もう、アカンようなるで。
編集部:そ、そうですね…。
(す、すごい…いともたやすく固定概念を打ち破り、我々の想像の遥かななめ上を行ってしまった…。使い古されたありきたりな回答など、千原せいじの脳内には皆無…)
こ、この男、できるっ!!!!!
編集部:ここ最近、恋愛相談系の掲示板で一番聞かれているのが「セフレから本命になるにはどうしたらいですか?」という質問なんですけど。
せいじ:なんなんそれ!今、そんなんなってんの?ちょっと待ってぇ~(笑・前のめり)
編集部:くいつきましたね(笑)セフレから本命になるにはどうしたらいいですか?というお悩みが多いようなんですよ。
せいじ:ほぉ~っ、まぁまぁ、俺らで言うところのカキタレって言うやつやな。
編集部:(苦笑)
せいじ:それはな…正直…ホンマ、ホンマ悪いけど…昇格はナイのよね、申し訳ないが(笑)それは、ジャンルが違うんよね。それね、男性みんなに聞いてもそうやと思うねんけど…あのぉ~…ちゃうのよね(笑)
せいじ:もう、会うたときから決まってんねん。最初に決まってんねん。こっちのアプローチの仕方が違うから。“この人とちゃんと付き合いたい!”と思った時と、“こいつカキタレにしよっ”って思った時と、もう全然違うねん。
編集部:例えばせいじさんは…
せいじ:俺はそんなんナイ。俺はそんなことしたことないからナイわ。俺は嫁さんしか知らんからあれやけど、みんながそう言うてるから(笑)楽屋、楽屋やったかな?でなんか…みんな言うとったわ。
編集部:あ、聞いただけ…なんですよね?せいじさんはそんなことしたことないと。
せいじ:なんか~あれや、オリ、オリエンタルラジオが言うてたわ(笑)
編集部:(苦笑)じゃあ、セフレから本命に昇格しようというのはもうムリだということですかね…?
せいじ:けっこう難しいと思うわ。それこそミランの10番付けるより可能性低いと思うわ。
せいじ:もう、だって根本から違ってるんやもん。まぁ、来来来来世くらいでは結婚できるんちゃう?
編集部:私の知り合いにも毎回毎回セカンドになってしまう女性っているんですけど
せいじ:そういう人や、もうはなからそういう人(セカンド)やねん。そういう星のもとに生まれてんの。両親の育て方でそうなったのかどうなのかわからんけど、そういう運命やねん。
編集部:じゃあちなみに“本命にしたい”と思われる女子になるにはどうしたらいいと思いますか?
せいじ:あ、それはね、ほんまにあの~俺、スゴイな~思ったんやけど、道端ジェシカさんおるやん?F1レーサーと結婚した。F1レーサーってあれ国賓扱いやからさ。パーティとか呼ばれたらさそのマナーとかさ、どんなもん着て行くのとかさ、立ち振る舞いとかさそういうのがあるのよね。そこに対応できる教育を受けてたのがスゴイとやっぱ思って。
普通にその辺の、マナーとか知らない子に惚れて一緒になるって言ったって、パーティなんか連れて行かれへんやんか。だからな俺、多分そういうところでも(本命にしたい女になれるかどうかの)差が出ると思うねん。
逆に、俺の知り合いにもおるけど、成り上がりのやつって、そういうマナーとか全然知らんから、逆に嫁さんの方がコントロールしてるってことも多々あんのよね。一代目のやつって。だから、そういうマナーとかしっかりしてる人っていうのがやっぱ、本命になるんちゃう?少なくとも俺の周りはそうやけどな。
編集部:なるほど~
せいじ:だからもし、奇跡的に稀にカキタレから本命に昇格できるとしたら、チャンスはそっからやろな。例えば、圧倒的にその男性の苦手なものを補える能力を持っているとか。例えばマナーなのか、語学なのか、お金なのか、なんなのかそれはわからへんねんけど、なんか圧倒的に。そういうことちゃう。
編集部:それが何なのかも見極められないようじゃ一生カキタレだと(笑)
せいじ:そうそう、だから結婚式ではナンボ包むとかマナーで迷ったことは、大体俺はキム兄に聞いてんねんな。だから俺にとってのキム兄みたいな人が本命になるんちゃう?(笑)
ーーー第二弾に続く…
思ったより(←失礼)きちんとお悩みに答えてくれたせいじさん。今回初めてお話させていただいて、せいじさんになら「恋愛相談してみたいな」と心底思えました。
そんな千原せいじさんに悩みを解消してもらえるチャンス!!みなさんからの質問に答えてくれるうれしいイベントがあるというのです。
全ての悩める恋愛女子に捧ぐ!「千原せいじのお前らみんなまとめて幸せにしたるわ!」
現在『755』内でせいじさんに答えて欲しい恋愛アンケートを募集しているので、悩みを抱えている女性は是非是非ご投稿をおねがいします!!
いただいたお悩みは、4月17日(金)に新宿モリエールにて開催されるイベント『千原せいじのお前らみんなまとめて幸せにしたるわ!』にて千原せいじさんご本人が直接答えてくれますので、イベントにも是非足をお運びください。
全国のトルシエ信者同志よ、今こそ声を上げるべきではないのか。オフト?あの当時のレベルをちゃんと教育できたってだけでしょ?岡ちゃん?二回とも想定外の代役でしょ?
いや別にトルシエもっぺん呼んで来いと言ってんじゃないの。あの時の真剣さ、ベンゲルに何度断られてもすがりついて、
そのベンゲルが推薦した人物を一に二もなく採用、どれだけマスコミにバッシングされても(一応)(ふらふらしながらも)守り通した、あの泥臭い精神を日本サッカー協会は思い出すべきなんじゃないのかってこと。
だってクライフとかにもオファーしてたんだよ昔は。バカだね。でも成り上がり新興中堅国がお利口さんでどうするの。我々は辺境の島国なんだよ。身の丈に合った手堅いチョイス、なんて上手く出来るほどの蓄積はないんだよ。
韓国みたいにせっかく神奇監督で金字塔打ち立てたのにまた自国人監督にこだわって、なけなしの自国英雄の名に泥を塗るのを繰り返してるよりはましだが、結果的にやってることはそう変わらない。(それにこっちには古英雄がそんなにいない)
2002年からこのかた日本サッカーの「地位」は一歩も進んでいない。そりゃ世界も進歩しているが、日本は遅れながらのたのた付いてきているだけだ。これが目指していた場所だったの?W杯自国開催(共催)できればもう終わった話なの?
中堅どころの監督なんて性格に問題なければたいていただの世渡り上手だ。メディアとは上手くやっていけても肝心の腕はそれなり。なら見どころのある問題児の方がいい。むしろ正確に難のある方が日本代表監督には向いている。
以前本田圭佑が「日本のストロングポイントはチームワーク」なんてことを言っていたが、もはやはっきりした。日本のウィークポイントはチームワーク。ザックやジーコのように「選手の自主性を尊重する」監督の下では日本代表は同じ症状に落ちいる。それは「エースの顔色を伺うサッカー」だ。ボールを持ったらまず本田を探す。「本田くんこれでいいかな?」というサッカー。ミスすれば「本田くんごめん!」というサッカー。今なら本田、昔は中田。
それを打開し秩序を打ち立てられるのがトルシエや岡ちゃんのような戦術主導の監督だ。エースと言えども戦術のためにはためらわず外す。(トルシエは中田を外すことまではできなかったが)
できればトルシエのように「俺が首領だ!」と主張するタイプがいい。そうすればサッカー選手に必要なお互いの対等意識が生まれる。
日本サッカー協会はトルシエで懲りたのかもしれないが、「日本の文化に理解のある外人」など選ぶべきではない。我々は厳しい勝負の世界で「和」を尊ぶことのできる民族ではない。気遣いと嫉妬と常識と僻みと気おくれと尊大と仲間意識と階級意識にがんじがらめになる民族である。
私の長い付き合いの女友達のなかに、二人ほど、oh、ビッチだね、と感動する子がいる。
一人は成り上がり戦国武将タイプ。エリートと結婚するという目的のために生きていて、眉目秀麗頭脳明晰で、かつビッチ。
「エリート妻は英語ペラペラでなければ」とその辺を歩いてるアメリカ人を逆ナンパして実戦英会話。
○○学部は芽がないから、△△学部の×ゼミの子たちと合コンセットしたから!大丈夫だよね!というライフスタイル。
学校では、かわいいし頭も良いし清楚だしと一番人気で、アナウンサースクールに通ってるんじゃ、とか噂されていたが
私には「女子アナになっても馬鹿な野球選手とかタレントじゃエスタブリッシュにはなれないもん」とか、鼻っ面をひっぱたいてやりたいようなことを言っていた
結局、某民間企業の一般職を「あえて」選んだ彼女は、合コン三昧→社内のぼんぼんを捕まえて結婚・退社→海外駐在妻
今は帰国して、海外駐在マダムのなんたら教室を、某高級住宅地で開いている
もう一人は、ファム・ファタルタイプ。と言えばおしゃれっぽいが、ザ・メンヘラ。で、ビッチ。
磨けば光るダイヤの原石、と噂された美貌なのだが、本人は磨く気なし。それでもそりゃもうモテていた。
とはいえメンヘラの本領が発揮されていくうち、周囲は「あれ、この子ちょっと危ない子だね…」となって引いていったが、
メンヘラに引っかかってしまった男がいた。同じコミュニティ内なので、すわサークラか、と一瞬周囲はざわついたが、
二人はそれから、そりゃもうすったもんだの大恋愛のようなものを繰り広げる。
彼女はメンヘラビッチなだけあって、あっちこっちで浮気をしてくる。男の家に半同棲で住みついていたのだが、
深夜、男の家から浮気相手の家に行くためのタクシー代を、ぬっ、と手を男に向かって突き出して要求するような、手の上に乗ったのが1000円札だとキレるような(1000円で足りる距離)
男が素直に万札を彼女の手に乗せると、それはそれでキレて「私のことを愛してないの!?」と言って暴れ出す。そんなメンヘラ。
私はどちらとも仲が良く、たまたま男の家に届けなきゃいけないものがあってその場に居たのだが、思わず笑ってしまったが、次の日、夜中手首を切って大騒ぎになってた。
男が先に就職して引っ越しする時に「私の気に入る家にしろ」と命令し、通勤不便じゃね?ってところに引っ越したのに、その後すぐ喧嘩してお別れ。
あいつもこれで憑き物が落ちたか…と周囲が胸をなでおろす暇もなく復縁、くっついたり離れたりを半年おきに、サーモスタットのように繰り返すこと7年。
十何度目かの浮気で、とうとう男の方がもうだめだ!とキレて別れて、その後、他の女性とお付き合いをしていたのだが、まさかの略奪復縁。
そんなこんなで、二人が出会ってから20年近く経つというのに、相変わらずサーモスタット状態が続いている。
私の友達である彼女たちは、どちらもとても危険でそして魅力的。酷く厄介な二人ではあるが、私の男に手を出さないのでまぁ問題なく友情は続いている。
偏差値65以上の高校卒なら、ポテンシャル的に可能性は少しある。
簿記が日商2級レベルとあるが、2週間くらいで合格するガッツがあるのなら、起業でもいいかもね。
よく中卒とか高卒社長の成り上がりの話があるが、あれはひとむかし前の話。
当時は経済的な事情もあり頭はいいがすぐに働かざるを得なかった人間が多かったので、
学歴=能力 という結びつきが今よりも少なかった。頭のいい中卒や高卒が多かった時代なんだよな。
翻って今はそんな事はなくなっているので、能力がそのままに学歴に反映されやすい。
飲食ならまだ高卒でもいけるんじゃないかな。ITだと厳しそうだが。
事業主になって1000万いくようになるかもね。
チャオ。