2015-11-20

足りない

「足らぬを知る」、

まり自分の可能性の枠の上限を広げることは、成り上がり幸福感を与えてくれる。

ただ、そのコストは莫大であり、枠を拡大する段階で、相当の努力ストレス必要とすることが多い。

反対に、「足るを知る」ということは、人生の上限を決め、

基本的には)その中で幸せを探していくこと。

所与の枠の中での活動は、

その枠を広げることよりもとても楽なこと。

そのうえ、精神的充足を得られるのだから幸せのものだろう。

人生の中で、

「足りない」期間が長いからといって、最終的により高い地位にたどり着き、幸せになれるとは限らない。

ただの傾向として、「足らぬ」ことを知り、努力を積み重ねた人間のほうが何かを成し遂げやすい、

ただそれだけのこと。

必死で「足りない」と思いながら踏ん張っている、僕は幸せになれるのだろうか。

それとも、「足りない」ことを知りつつも、

自分の上限を広げる力を持ってないことに気付かないまま、無駄努力をしているのだろうか。


子供の頃は、ド田舎では、今ほどインターネットが普及しておらず、何も知らなかった。

田舎から必死努力で抜け出せたと思ったら、世間はあまりにも広すぎた。

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