「足らぬを知る」、
つまり、自分の可能性の枠の上限を広げることは、成り上がり的幸福感を与えてくれる。
ただ、そのコストは莫大であり、枠を拡大する段階で、相当の努力、ストレスを必要とすることが多い。
反対に、「足るを知る」ということは、人生の上限を決め、
その枠を広げることよりもとても楽なこと。
そのうえ、精神的充足を得られるのだから、幸せそのものだろう。
人生の中で、
「足りない」期間が長いからといって、最終的により高い地位にたどり着き、幸せになれるとは限らない。
ただの傾向として、「足らぬ」ことを知り、努力を積み重ねた人間のほうが何かを成し遂げやすい、
ただそれだけのこと。
必死で「足りない」と思いながら踏ん張っている、僕は幸せになれるのだろうか。
それとも、「足りない」ことを知りつつも、
自分の上限を広げる力を持ってないことに気付かないまま、無駄な努力をしているのだろうか。
「幸せ」ってなに?「無駄」ってなに?
幸せは空の上にある。と、かつてのミュージシャン、ナイン・スロープルートさんは言っていた。 無駄はどこにあるか分からん。無い言うくらいだから目に見えないのかもしれない。
アナル開発みたいなものか