はてなキーワード: 安息とは
嗚呼、神よ。私をお許し下さい。
◇◇
訃報が、多くの人々を悲しませた。分け隔てなく接していた彼女が慕われていたのも当然の事と言える。葬儀はしめやかに行われた。
屋根上で一度天へ旅立ったばかりの彼女は自分がまだ幽霊として存在している事に気付いていた。自分が既にこの世に存在しない事を漠然と理解した。神はまだ安息を下さらないようだ。手を伸ばしてみても、骨も筋もない透けた体は空を掴むばかり。
ぱた、と雲の合間から雫が滴り落ちる。魂が抜けた身体は、近日中に埋葬されるだろう。空からそれを見るのは何とも複雑な気がした。
◇◇
一つだけ灯の点った部屋がある。部屋を覗くと、少年が机に突っ伏して眠っていた。
「う…あれ」
◇◇
改めて試して見ても霊魂は、誰かに取り付いたり憑依する事は出来ないようだった。誰も彼もすり抜けてしまって、自分に気付く様子も見えない。そうなると益々失った肉体が惜しかった。どうにかして取り戻す術はないのだろうか。
生者と亡者の間には茫漠とした距離が広がっている。このまま離れてしまったら、いずれ私の事を過去の物として忘れるのだろうか。ぽつり、とコーヒーの中に落とされた一滴のミルクのように不安が広がっていく。人々の心が別の物で埋まっていくのはどこか苦しいように思えてならない。こんなにも深い思いに何故もっと早い段階で気付かなかったのだろう。
市井の民の時間は進んでいるように見えて止まっていたのだ。過去に縛られて歩みだす事が出来ない。在り来りな筈の終焉は人々には重過ぎた。
誰でも良いから人々の心に立ち込めた霧を晴らして欲しい。どうにか手を打ちたくても自分の身体は何の痕跡も残す事が出来なかった。思いが募る毎に心が痛み、これ以上見てみぬ振りは出来ないと確信が強くなっていく。
天にまします偉大なる神よ、聖なるマリアよ。どうか民を救う力を、恩寵を賜り下さい。もし奇跡という物が存在するならば、この行き場の無い苦しみを哀れみ給え。月に向かって跪き何度も祈りを繰り返した。
真摯な嘆願を神は受け入れた。天啓が下る。次の朔の日、魂に体がもたらされるだろう。
消え入りそうな下弦の月が中空に浮いている。新月はもう間近だった。人知れず神に深い感謝を捧げた。
風も無いのにカーテンがふわりと浮き、細やかな月光が人影を形作る。
懐かしい心地で掌を開閉する。確かに先日まで自分がコントロールしていた体だ。
私は出来る事なら、国の発展を傍で見届けたかった。変わりゆく世界を、未来を歩みたかった。
古きは去り、新しい者が世を作っていく。慣例を理解していない訳では無い。美しい魂を持つ者達が未来の礎となるだろう。
唇がゆるやかに弧を描く。今度こそ今生の別れが近づいていた。青い双眸が眇められる。その体は花弁が散るかの如く霧散していた。
少年は身を起こし茫然と部屋の入口辺りを眺めた。そしていつもと変わらぬ静寂な寝室で自らに起きた事を把握しようと努める。今懐かしいあの人に会って、もう一度触れた。それは夢の中での出来事だと思われる程頼りない実感だった。
「漫画版フェアトレード認証」、面白いアイデアだとは思うが、部分的にイビルな場合はどうする。
拾ってきた外国人の少女を男手一つで育てる、近所の家庭との緩やかな交流がある、ほのぼのとした雰囲気で全体的な安息感が特A級の、具現化した安らぎとでも言うべき傑作子育てマンガ。
しかし、あるとき、全体として善の象徴として描かれてる男親が、近所の女子高生らにセクハラする描写が出てきた。ヨガを始めるという彼女たちに、どれだけ体重が増えたかと聞いたのだ。2人はポカーンとするばかり。発言者は特に咎められたりはされずにスルーされた。彼ら3人以外に聞いてくれてた誰かもいない。天罰表現も特になし。作品世界から容認された、ようだ。
…以来オレは、「嫌なら読まなければいい」を実践する羽目になりましたとさ(ヽ´ω`)
ポイントは、地雷シーンが一点か二点のようなケースの厄介さにある。
親の立場では当該シーンを黒塗りとかすればいいかもしれんが、レビューサイトにはどう振る舞わせるつもりだ? 話数ごとに異なる ☆☆☆☆★ 表記を付けるのか。ツリー状に。親の手間を省くのが目的のサイトなのに、複雑すぎてついてけないだろう。
母親や妻についての反応が先述のエントリ(anond:20220908185524)に幾つかあったので、そこについても書きました。
賛否が分かれやすい「女をあてがえ論」に触れるので、先のエントリに比べて説得力が弱いかもしれません。
過去、男性が弱さを晒していいとされてきたのは、母親や妻(この文章の妻は恋人なども含む)に対してだけだったと思います。
「男は家の外に出れば七人の敵がいる」という慣用句は、逆説的に家の中にいる母や妻だけは味方のはずだということを示しています。
歴史に残る権力者や金持ちであっても、愛してくれる女性を求めて身を滅ぼしがちなことに疑問を持った人は多いと思いますが、それは、自分含めて誰からも気遣ってもらえない男性人生の唯一の安息の場所としての妻を求めずにはいられなかったからではないでしょうか。
そのような状況について、母や妻に男の世話という役割を押し付けてきたという指摘は正しいと思います。
ただし、そのジェンダーロールの押しつけを行っているのは男性ではなく、女性も含めた社会全体であることには注意が必要です。
男を気遣ってあげるべきは母や妻だけということは、一般女性にとっても、自分の息子や夫以外の男性の弱さや繊細さを想像する必要はないということですから。
社会のいたるところで監督と保護を受ける女性と、監督されづらいが保護もされずただ母と妻にだけは保護を期待してよい男性、という構造があったわけです。
母親が息子に対して過保護になりがちなのも、女性がダメ男に「この人は私が面倒見てあげなくちゃ」と考えるのも、社会も男性も女性も男性の味方をしたがらないことを察知しているので、母や妻である自分だけが助けてあげられると感じているからでしょう。
それが昨今では、母と妻に負担を押し付けすぎだという気づきや、家族の解体や非婚の増加により、女性は社会から監督と保護を受けて、男性は監督も保護も少ないという構造に近づいてきています。
しかしこの状況が心身を傷つけられることが少ない強者男性に有利で、弱者男性にとっては厳しさが増していることはわかると思います。
そして、フェミニズム的な潮流によって、女性に対する監督は今後減っていくことが期待できるため、「女性は社会から保護だけを得られるようになるが、男性は監督も保護もない」というバランスの崩壊した未来を予想する人もいます(さらに悲観的なら、男性は保護されないのに危険存在として監督だけされるようになると考える人もいます)。
そこで弱者男性論からは、男性への保護(と、明言していないが一定の監督)を求める声が上がるのですが、それはいわゆる「女をあてがえ論」だという批判を受けやすいです。
私は、男性保護が「女をあてがえ論」に近くなりがちだという点にはある程度頷きます。
しかし、「女をあてがえ論」だからナンセンスだし黙れ、という扱いをするのは良くないと思います。
「女をあてがえ論」が出ざるをえないのは、男性のせいではなく、社会全体のせいです。
男性ではなく、我々皆が、男性の弱さ辛さを気遣い保護と監督を与える存在として、母と妻以外を準備できていないのです。
個人的好悪ではなく、立法と政治的駆け引きと職員の職務意識が上手く回せれば、改善は着実に訪れるでしょう。
児童支援や女性支援や貧困支援や障害者支援を見ればわかる通り、現実の問題に対して福祉が焼け石に水的であることは否めません。(それでも水をかけ続けることは大事ですが)
意識面について。
母と妻に負担を押し付けすぎだと現代人は気づいたと書きましたが、しかしその一方で、男の弱さを保護するのは母か妻だという意識は、実は大して変わっていません。
現代の「ジェンダーロールからの解放」を表現する物語であっても、大抵は、男性が辛さを吐露して受け入れてくれる相手は妻や疑似配偶者であることに、端的に表れています。
「母や妻に男の気遣いを押し付けるのは良くないよね。でも男なんかを気遣ってあげられるとしたら母や妻だろうね」という歪な感覚が現代の意識なのでしょう。
そしてじゃあ母や妻以外に誰が? となった時、誰も適切な答えを返せません。まるでNIMBY問題のようです。
ここに「男性同士でやればいい」と答えようとすると、次で説明する能力面の問題に突き当たります。
能力面について。
母と妻以外に男性の弱さを気遣う存在として、男性があげられることはあります。
先述のエントリで書いたように、男性は様々な場面で粗末に扱われる人生を生きていくためには、自分に対しても他人に対しても気遣う能力を退化させざるをえません。
多くの男性のケア能力は既に鈍麻し退化させられているのですから、男性同士が集まったからといって気遣いあえるわけがないのです。
だから男性の集まりは、競い合うライバル関係、お互いの得意分野を見せ合う趣味の会、外部に発見した敵と戦うことで一体感を得る集まりなどになりがちで、弱さへの気遣いをしあうことができません。
ならばケア能力を退化させずに生きてきた人たちが手を貸すことが望ましいですし、男性が能力を失っている以上その中心は女性になるでしょうが、それは「女をあてがえ論」だと言われてしまうわけです。
男性にも社会からの監督・保護・ケアを与えようとするのであれば、女性が、自他を気遣う能力の師匠をやる時期がしばらく必要だと思います。
女師匠の存在は、「ずっと女に押しつけておけ」というものではなく過渡期として必要な施策であり、悪しき「女をあてがえ論」だと否定するべきではないでしょう。
100年後くらいに、気遣う能力を潰されずに中高年になれる男性も増えたら、男性同士での気遣いも、気遣い能力の教育も可能になり、女性ばかりが師匠をやらなくて済むようになるはずです。
(私個人は、先述のエントリで書いたように基本的には男女ともに監督も保護も少ない男女平等の方が実現可能性が高いと思っていますが、男女ともに監督と保護が増した世界を目指すならこのような考え方がいるだろうという思考です)
このエントリは、前のエントリに比べて同意を得られないでしょう。
特に、一番同意されないのが、男性に自分たちを気遣う能力を喪失しているから能力のある他者が助けなければいけないという部分だと思います。
しかし、そこがもっとも男性の能力のなさ、即ち男性の弱さと助力の懇願を赤裸々に書いたパラグラフのはずです。
「男性の多くは、この分野(自他を気遣うこと)においては自分達の面倒を見る能力を喪失させられている」までは前のエントリで書いたことと同じであり、一定の同意を得られたはずです。
ですがそこから「なので、能力が鈍磨させられづらい人々が助ける必要がある」というSOSになると、一転して反発され、助けなくていい理由や、他者集団を頼らず自分たちの中で何とかすべき理由が沢山考えられる。
プライドなんか捨てた方がいいというアドバイスは世間に沢山あるけれど、いざプライドを捨てて金の無心を始めた人間に対してはみんな冷たくしはじめる、という状況を連想させます。
男性の弱さが世の中に認められづらいという傾向は、このような抽象論のうちは同情されても具体論として実際に助力を求めだすと拒絶されるという現実にも強く表れており、それが男性たちの「結局弱い男なんて誰も許さないんだよ」などの捨て鉢な言葉に繋がってしまうのではないでしょうか。
それは、世の中や社会から粗末に扱われる男性を、母親や妻だけが気にかけてくれているということです。
「男は家の外に出れば七人の敵がいる」という慣用句は、逆説的に家の中にいる母や妻だけは味方のはずだということを示しています。
だからこそ、物凄い権力者や金持ちであってもその辺の庶民であっても、男性は自分含めて誰からも気遣ってもらえない人生の唯一の安息の場所として妻を求めるのです。
女性が「この人は私が面倒見てあげなくちゃ」などと言いがちだったのも、男性の味方をして気遣ってあげるのは自分だけだという認識や満足感があるからです。
社会からケアしてもらえる女性と、社会からケアされないが母と妻からだけはケアしてもらえる男性、というバランスがありましたが、家族主義の解体や非婚の増加、母や妻を求めることがあてがえ論だと責められるようになり、女性は社会からケアされるが男性は誰からもケアされないだけという構造になってきています。
二人以上の異性に対する愛は成立しない。
まず異性の友情は成立しないという前提に基づけば、上記の関係は友情で結びついたものではないことになる。
だからこれは必然的に愛寄りのものであって、でもこれは愛ではなく両者に対する不貞行為に過ぎないものになる。
でもたとえば同性の友達がそいつの同性の友達と遊ぶことがあったとして嫉妬等を抱くだろうか。
またこれは性別の条件がなくても言えることだと思うのだが、兄弟が別の兄弟の家で寝泊まりとかしたとして嫉妬等を抱くだろうか。
つまり友情という名前で語られる愛や家族愛は多対多で成立する。
なのに恋愛の方の愛は1対1じゃないと多くの人が不貞行為とみなすのがよくわからない。
しかもこの愛は両者が子をなせば家族愛でもあるものになるから余計にややこしい。
言い換えれば友情や家族愛はオープンリレーションシップであるが、恋愛はオープンリレーションシップを認めがたいものとされているとかいうことになる。なぜだ。
これ、たとえば恋人が、その親の再婚相手の異性の義兄弟とセックスしてたらそれは単に近親相姦の範疇として嫉妬の対象から除外されるものなのかという疑問に発展する。これには血縁の異性の兄弟と近親相姦してる分には恋人も「性癖の範疇」と認容するだろうという前提がある。
アドラーも恋人が他の人に浮気することに対して干渉するのは課題の分離が出来てないことだと言っている。
アドラー先生に言わせれば恋人が何人いようがそれぞれに安息を感じていればそれらの愛は背反してないのであってどれか一つしか肯定するようなものではないだろう。
「永遠の都ノクステラ」の祝福「ノクステラ滝壺」から先に進んで「災いの影」を撃破したら、「腐れ湖」というとんでもない場所に出てしまった。
文字通りの腐った赤い湖でビジュアル面からしてヤバいし、移動するだけで腐敗が溜まってHPがゴリゴリ減っていく。
ドラクエのダメージ床がリアルになると、こんな感じになるのだろうか。
片手に聖印「爪痕の聖印」を握りしめ、いつでも「火の癒しよ」を使えるようにして、どこで拾ったか忘れたキノコ装備を全身セット、「帰りたいなぁ…」と思いつつ赤い水に突入してみた(キノコ装備が効果あるかは甚だ怪しい)。
湖の真ん中あたりまで行くと、こんな場所でもボス「竜人兵」が出現。フロムゲー、ほんとろくでもない。
何度かやられたけど、キノコ装備のままグレートソードの獅子斬りで撃破。
「竜人兵」倒したら橋でも出てくるかと期待してたけど、そんな甘い設定は存在せず、引き続き「火の癒しよ」と「聖杯瓶」を連打しながらアイテム拾いつつ出口らしい方向に移動。
ようやく祝福「大回廊」に着くも、またもやボス「腐敗した樹霊」が出てきて、さすがにウンザリし始める。
攻略サイトで調べるとゲットできるアイテムは「黄金の種子」だけのようなので「腐敗した樹霊」は後回しに。
さらに先に進むと「石棺」があって、近くのメッセージ読もうとしたら「石棺に入る」を選択してしまい、いきなり「石棺」に乗り込み始めて滝から落下。なんだこれは、引田天功か。石棺ワープ初めてなので驚いた。
ワープしてきた先は腐敗は無いものの怪しい場所で、少し進むとボス「暗黒の落し子アステール」が出現。
超長距離攻撃と魔法がウザいものの、誉よりも勝利重視でレギューラー出場の「首なし騎士ルーテル」さんを呼び出し特大剣獅子斬りで撃破。
他のエリアを探索し過ぎて想定よりレベル高すぎるのか、ラニイベントで遭遇するボスは、わりと苦労せずに撃破できた。
ここまで来たらもうネタバレでもいいだろうと攻略サイトを見て、ここでようやく「災いの影」撃破時の「捨てられた王家の鍵」の使い道を知る。
こんな場所で「レアルカリア大書庫」に移動してみようとは思わんかったけど、察しのいい人は気づくんだろうか。
「レアルカリア大書庫」で無事「暗月の指輪」をゲットして先に進み「ラニ」イベントを終了。
報酬の大剣でキングスフィールドの「ムーンライトソード」を思い出したけど、だいぶ違う見た目だった。
イベント最後に出てきたエリアはリエーニエ「しろがね村」の上にあるずっと気になってた高台で、「ようやくここに来れたか…」など思いつつ、色々感慨深いイベントだった。
「ラニ」イベントも終了したし「ノクローン」や「ノクステラ」で取りこぼしないか攻略サイトで調べたら、「ノクローン」にも石棺があることを知り、さっそく行ってみることに。
ワープした先「深き根の底」は黄金樹の根っこ部分にある地下街のようで、落下死が頻発する苦手な地形のマップだったので、少し探索して早々に退却。
敵からゲットできるルーンもけっこうな量だし、どうやら「巨人たちの山嶺」と同じくらいの敵レベル設定の模様。
ここは、もう少し後でも良さそうだ。
最後に、あくまで様子見で「安息教会」から先に進んで祝福「火の釜の麓」を発見。
篝火のある怪しげな石の橋を渡ったところ「火の巨人」に遭遇。
巨人なら動作遅いし行けるか?と思いきや、近接でもかなり広い範囲攻撃で一撃が重い。大楯で防いでもスタミナがごっそり削られる。
付近にいる鳥ザウルスみたいな雑魚敵や巨人も強く、余裕を持って勝つにはまだ早そうなので、もう少しレベル上げてから再挑戦することにした。
こうして進めば進むほど、放置するボスや場所、NPCイベントなど増えてきて、とても全部は覚えてられない。
ここに書いてある目標以外にも放置している要素はかなりの数あるけど、その辺はもう割り切ってやった方が良さそうな気がしてきた。
自分の曖昧な記憶力を頼りに適当に進めて、エリアをコンプしたなと思ったら攻略サイトで取りこぼしを確認するくらいがちょうど良いのかもしれない。
とはいえ、あまり記憶が曖昧だと、適当に進んだ先のボスが強過ぎて「次、どこ行けばいいんだ?」的に進行が詰みそうな予感もあるので、適当に進んで適当に放置、壁に当たったら前に戻るため、放置エリアを記録しておくのは王になるまで続けようかと思う。
というわけで、以下、今後の目標。
先週末の土日もいろいろ捗った。
アルター高原の「夜の騎兵」や「死の鳥」などフィールドボスを撃破しつつ、「ウィンダムの地下墓」をクリア。
「ウィンダムの地下墓」を探している途中に「ゲルミアの英雄墓」も見つけたけど、「英雄墓」と名のつく場所は面倒そうなんで、ここはいったん放置。
面倒そうな「日陰城」は、「堕落調香師」や地中から出てくる蜘蛛人間みたいな「王族の幽鬼」がネックだったけど、近接やめて遠距離攻撃できる戦技「氷槍」ランスの装備でだいぶ楽になった。
ボス部屋の「鉄茨のエレメール」はグレートソードの「獅子斬り」連発で撃破。
部屋の前では瀕死の「パッチ」に遭遇して「踊り子の打楽器」をもらったので「タニス」に渡すも、その後、とくにイベント進展無し。
「ライカード」の遺体を食べる「タニス」ヤバい。気になって首だけのライカードをペシペシ叩くも、とくに変更無し。そりゃそうか。
これ、いつかは食べ終わってイベント進行するんだろうか。
次は、これまた面倒そうな「ソールの城砦」の「宿将ニアール」に挑戦。
前回、近接戦を挑んで惨敗だったので、近接用のグレートソードに加えて「氷槍」ランスも装備、防具は「大楯」持ちの「中量」に変更。
まず雑魚騎士2体を「獅子斬り」で潰してから、後はローリングで「宿将ニアール」の攻撃を回避しつつ「氷槍」で遠距離攻撃に徹したところ、なんとか撃破。
先に進んで「聖樹の秘割符(左)」をゲット。
調子に乗って「ソールの城砦」近くにいる「死儀礼の鳥」「ティビアの呼び舟」、祝福「氷結湖」近くにいる「凍てつく霧ボレアリス」を騎乗戦で撃破。
「聖樹の秘割符」も揃って、あとは「安息教会」から先に行けばメイン・シナリオも進みそうなので、その前に取り返しのできない要素をなるべく潰すため、放置エリアやイベントを回ってみた。
「忌み捨ての底」は2体もいる巨大エビや頻発する落下死に苦労したものの、なんとか「ローデイルの地下墓」に到達して「もう二度と来たくない」の一心で「血の司祭エスガー」までクリア。
「ローデイルの地下墓」は「帰りたい」のメッセージに共感しかなかった。
「忌み捨ての底」自体にはまだ続きがあるらしいけど、シナリオ進行後も再訪できるみたいだし、面倒エリアが続くと心折れそうなので、またしばらく放置することにした。
その他、「王都ローデイル」で時限アイテムらしい「グランサクスの雷」を拾ったり、すっかり放置していたNPCのイベントを進行。
「セレン」イベントで放置していた「サリアの隠し洞窟」をクリア、同じく魔女の「ラニ」イベントでは、まったく眼中になかった地下都市の「ノクローン」や「ノクステラ」へ行ってみた。
ここに来るまで地道に取りこぼしないよう進めてたつもりだけど、一度訪れたエリアでも、行けてない場所やゲットしてないアイテムがどんどん出てきて驚く。
プレイする人によって、ここまでエンディングまでの過程が異なりそうなゲームはそうはない。
面倒そうなエリアは連休中にやるとして、平日はなるべく取りこぼし要素を潰しておきたいと思う。
というわけで、以下、今週の目標。
以前に放置していたリエーニエの「死の鳥」「死儀礼の鳥」とケイリッドの「夜の騎士」2体を撃破。
「死儀礼の鳥」は冷凍ブレスがけっこうウザく、レベル差あるはずなのに近接だとけっこうYOU DIEDする。
面倒なので武器を「グレートソード」から「番犬の錫杖」に変更、少し距離とって遠距離攻撃で撃破するも、やっぱりエルデンリングのバトルは近接の方が面白い。
ただ、これから状態異常の範囲攻撃とか増えそうだし(止めてほしい)、脳筋キャラ的に「番犬の錫杖」にはお世話になりそうな予感もするので貴重な「喪色の鍛石」を使ってレベルアップしてみた。役に立つといいのだけど。
ケイリッドでは「夜の騎士」を探す途中で未開放だった祝福や「牢獄洞窟」を発見、ついでに探索して「狂った闘士」を撃破。
「狂った闘士」とはずいぶんレベル差ありそうだったけど、「牢獄洞窟」ってそんなに初期の訪問を想定した場所なんだろか。
エルデンリングの敵レベル設定、同一エリア内でも高低差が激しいのは放置推奨で意図的なんだろうけど、レベル低い時に攻略サイトとか見ないで「牢獄洞窟」に辿り着くだけでも相当な猛者なのでは?と思う。
「牢獄洞窟」のボス部屋を抜けた先(こんな所に出るのかと驚いた)で遠距離攻撃できる剣「エオヒドの宝剣」などゲット。
「エオヒドの宝剣」の戦技は多段ヒットで出血も狙えて良さそうだけど、ボス戦ではあまり役立たなそうな予感。
これ以外にも使ってない武器が大量にあるけど、これら全部を使い物になるレベルにしようと思うと、ルーン稼ぎでとんでもない時間が必要になってしまう。
「鍛石」についてはもう少しランダムドロップ増やしてもいい気もするのだけど、ゲームバランスに直結する要素でもあるし、ソウルゲー的にはこの仕様で仕方ないのかな。
あとは「壺の村」に行って癒しキャラっぽい「小壺」との会話を進めたり、使ってない戦技の中で「番犬の錫杖」以外に有効そうな遠距離攻撃あるか試したり、ぬるま湯的な感じ終了。
今週は目標たいして更新できなかったので、土日でもう少し先に進めたいところ。
以下、今後の目標。
昨日は面倒そうなエリアへ行こうかと思ったものの、「日陰城」「忌み捨ての底」「宿将ニアール」とか、平日夜に行くにはどこも嫌な予感しかない。
YOU DIEDし過ぎてテンション低く1日が終わるのも寝つき悪くなるので、比較的楽そうな「リエーニエ」の見逃しボスを回ってみた。
まずは、遭遇もしておらず完全スルーしてた「狂い火村」近くの「黄金樹の化身」から撃破。
ついでに、扉の開け方がわからず放置してた「改宗された辺境塔」や「壺の村」に行ったり、レアルカリア東門近くの「夜の騎兵」や「ティビアの呼び舟」など撃破して地味に見逃し要素を消化。
にしても、「夜の騎兵」や「死の鳥」はけっこうスルーしてたんで、どこが撃破済みなのか、よく分からなくなってきた。
このゲーム、取りこぼしなく進めるには、わりと記憶力が要求されるけど、全て覚えておくには俺の脳内メモリが足りなすぎる。この日記を続けてる理由の一つでもある。
ボスに遭遇すると登録されて撃破したかどうか分かるメガテンの悪魔全書みたいのあるといいのだけど、きっとそんなのはフロムゲーでは甘えなんだろう。
以前訪問したエリアで取りこぼしを探すのは面倒ではあるけれど、すでに自分の方が敵よりレベル高い場所も多いので、時間のない平日夜に回るには、ちょうど良い。
とはいえ、YOU DIEDせずに余裕な敵ばかり相手してるのも、このゲームの本道から外れて心に虚無が訪れるので、その辺のバランスが難しい。
祝福の導きに従って難所を攻略する(土日タスク)、導きから外れてエリアを放浪する(平日夜タスク)、それぞれ交互に進めるのが理想的プレイスタイルなんだろうけど、このゲームボリュームで「取りこぼし無し」を目標にやってると、現実社会でも褪せ人になってしまうので、コンプは程々に、どうでもいい見逃し要素は都合よく忘れながら進めたいと思う。
以下、とりあえず覚えてる見逃し要素と今後の目標。
後半3つはたぶん土日。
「火山館」の「地の底の責問所」に行ってみた。
心配してた「人さらいの乙女人形」戦は、すでにレベル差がかなり開いているようで、まったく攻撃が痛くなかった。
いろいろアイテムもゲットしたし、これで「火山館」はコンプリートできた気がする。たぶん。
次は、「ストームヴィル城」攻略中にうっかり遭遇して逃げ帰ってきた「爛れた樹霊」を撃破(こっちも楽勝)、どうしても分からなかった祝福「城壁の塔」近くの昇降機下への行き方を調べてみることに。
この辺は初回の攻略中もいろいろ調べたけど、今回もまったく分からず、結局Google先生に聞いてみることにした。
検索結果によれば「高台から下に降りろ」だったので、素直に従ったら無事「坩堝の騎士」に遭遇。
フロムゲーの隠し部屋、この「高所から飛び降りパターン」多いよなぁ。
落下死が続くとすごく心折れてくるので、あまり無理な飛び降りしたくないのだけど、これからはもっと調べるようにしてみるか。
「ストームヴィル城」もコンプできたっぽいので、次は「ケイリッド」のファロス砦の祝福近くにいる「黄金樹の化身」討伐へ。
こいつにも何回もYOU DIED食らったけど、装備を「重量」から「中量」に変更して、とにかく腐敗ブレスを避けることに専念したら、わりとあっさり撃破。
最近回ってるエリアの雑魚敵が強いので重量装備にしてたけど、ボス戦は「大楯」以外は薄着の「中量」にして連続ローリングの速度を上げるのがいいのかも。
あとは時間のかかりそうな場所ばかりなので、適当にルーン稼ぎと武器強化して終了。
なんとなくランスを強化してみたけど、大楯+ランスは、まるでモンハンだな。雑魚敵相手なら使えそう。
一昨日は夜更かしが過ぎたので(深夜3時)、昨日は早くに寝た(それでも12時くらい)。
今日は体調も良いので、少し面倒そうなエリアにも行ってみようと思う。
以下、今後の目標
ぼちぼち続けます。
「火山館」で「牢街教会」の中にある見落としてた昇降機から先に行ってみた。
いったん場所が分かってしまえば何で見逃してたのか自分の認知能力を疑いたくなるほど分かりやすい場所にあった。
一見するとただの柱に見えるのが昇降機だったのだけど、横にあるレバーにまったく気づかなかった。
さらに先で行方不明だった「ラーヤ」にも会って、少し迷ってから「忘却の秘薬」を渡すことにした。
渡さない場合は「手紙」が貰えるそうだけど、深刻な絶望の淵にあって「もう殺してください」とか言ってる相手に「それでも現実に向き合うんだ」とか、なかなか言えるもんじゃない。
週初めの月曜ということもあって「人生、知らないで済むなら、そのままの方がいいこともあるよな…」とか、なんだか鬱になるイベントだった。
「火山館」の「石剣の鍵」使う場所とか残りエリアを踏破するのにわりと時間かかってしまい、あとはルーン稼ぎと武器強化をすることに。
やる気がないのも影響してか、ルーン稼ぎなのはずが度々雑魚敵にボコられて無一文になり、だんだん心が虚無になってくる(夜11時頃)。
いくつか武器を強化するも、どの武器を伸ばして、どうゆうビルドにするかとか画面を前に悩みつつ、圧倒的に低レベルの雑魚相手に試し切りとかしてたら、虚無が深まって、いつの間にか深夜3時になってしまった。
今現在、寝不足で頭はっきりしないし、なんだかテンションも低いし、もちろん仕事なんてやる気でない。
エルデンリング、ボスを撃破するくらいのまとまった(何度でもYOU DIEDする)時間が取れない日には手を出しちゃいかんのかもしれん。
とか言いつつ、やっちゃんだろうけどな。
これ書きながら「火山館」についてさらに調べてると、まだ解放してない祝福「地の底の責問所」があることが判明(まだあるのかよ!)。
そういや、パッチが「鉄製の乙女人形」がどうとか言ってたけど、「学び舎の一室」に近い水車で降った先の話だったのか…。
もし「魔術学院」途中で「火山館」とか転送されたら絶望しかないし、無視で正解だったような気もするが、どうなんだ。
「乙女人形」すごい苦手なんで気が進まないけど、後で行ってみるか…。
以下、今週の残目標
[注意]
全ての人々の命が戦禍によって、人の手によって奪われることのないよう心から願っています。
既に**沖には**の**、推定**に登る被害が報告されています。
これを受けて日本国政府は非常事態宣言を発令し、全ての日本国民に避難命令を発令いたします。
直ちに**の攻撃を受けている地域から可能な限り離れてください。
繰り返します
ただ今避難命令を発令しました。少しでも安全な場所に逃げてください。隠れてください。ご自分の命を守る行動をとってください。
団体、あるいは個人の判断で抗戦することを政府は推奨致しません。
日本という資源に溢れる、価値ある島と資産が侵略者の手に落ちることが何を意味するのか。
今後の世界を考慮すれば、無抵抗で全ての所有物を差し出す行為は到底看過されるものではないでしょう。
私は最も臆病で無責任な人間として歴史に名を残すかもしれません。
それでも今、自国民の命を、それぞれの愛する人の命を何よりも優先させるという判断を下しました。
日本国という社会通念上の国家は間も無く解体され、一つの歴史が終わることになるでしょう。
この結果は第二次世界大戦を経た日本が平和主義に則り、自衛のための軍事力しか持たないという方針をとり**に頼ったことに起因するというのも一つの事実です。
しかし日本国民が情勢の安定を甘受し永遠の平和を夢見たこの数十年間を「平和ボケ」という言葉のもとに否定することは果たして正しいのでしょうか。
それは反省すべき間違いだったというのでしょうか。
私たちがその実現を切望する平和とは、断じて緊張によって維持された張り詰めた平和などではなく、全ての人が「平和ボケ」できるような真の安息を手に入れることであると信じます。
私たちは他でもない、その真の平和が訪れる日のために武器を捨てて命を守ります。
祖国が踏み躙られ、破壊されることは、あなたを武力による反撃に駆り立てるかもしれません。
しかし最も絶え難い苦しみ悲しみは、国民の命が失われることです。
どうか落ち着いて、日本を見捨てるためではなく日本を守るために今逃げてください。
愛する人と全員で生き残ることを諦めないでください。
生まれ育った風景が跡形もなく焼き尽くされるのは死ぬより辛いことのように感じられるかもしれません。
何よりも、私たち国民こそが日本であり、一人一人決して失われることを容認できませんし、するべきだとも思いません。
国土を失った民族となっても私たちはこの美しい島で過ごした日々を忘れない限り、日本国民として、日本国民であることを誇りに生きていけるはずです。
日本国が地球上の勢力図から無くなったとしても、どんな強大な国家もとい連合といえども日本列島を海中に沈め去ることはできません。
そして日本人は、どこにいようとも日本人であるという帰属意識を打ち砕かれることはないでしょう。
21世紀の今、国は国土だけにあるわけではありません。生きて新しい土地で、他でもない自らのより良く美しい人生を探求してください。
逃げてください。隠れてください。これは避難命令です。
[あとがき]
今一度言っておきます。以上の文は私の思想以外の論拠を持たない創作であり、参考として挙げるべきものもありません。
百歩譲って現実的・国際的な問題について傍に置いておくとしても、実際に「日本列島」と引き剥がされた日本民族が何年、何世代民族の同一性を保っていられるのか。
それは「肉体を失った魂」か、あるいは「魂を失った肉体」に例えることができるかもしれません。
上の文で描かれたものは「お国のために自らを擲つ殉国」の美徳を全時代的な全体主義の思想として批判した上で、「世界平和のために一国を殉ずる」という美徳に基づき最高権力者が国防を放棄する一種の無理心中と言えます。
私たちは前者の美徳を経験した上で反省点としてその恐ろしさを認識しています。
後者の美徳の実現に関しては有史以降前人未到の夢物語でしかありません。
それでも、それぞれ好悪善悪を超えてある種の「美しさ」を感じさせるレトリックではないでしょうか。
私個人は上述の内閣総理大臣のような「命あっての物種」思想を持っていますが、前者の美徳にも共感する者です。
「国を守るために死ぬ」ことを厭わない国家単位の「究極の共感」は社会的生物である我々にかつて経験したことのない高揚をもたらすでしょう。
そのエクスタシーの頂点で敵の兵器によって鮮血とともに命を散らせるのは、一生分の生きがいにも相当する劇的経験かもしれません。
あくまで前時代的であると感じ懐疑的ではあるにせよ、私は殉国を志す人のことを止める術を持ち得ませんし、やりたいようにやったらいいと思います。
何者かの操作によって無意識のうちに行動させられているのではなく、熟慮の果てに可能な限り内発的に選んだ道であれば、ですが。
文学者・文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。
そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き・映像監督と政治家で違うけども、根本は文学者だと思う。
文学や新聞がメディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。
石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実
「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影)
DSC_3468『わが人生の時の時』
政界を引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーにヨットにダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派”作家の身体と感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)
この本は不思議なきっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議なウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底は全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。
思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。
《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難や自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優・裕次郎さんとの別れや霊の存在を示唆するような不思議な出来事、戦時の日常も描かれる》
僕は肉体派だからね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷をヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときはコンパスがクルクル回るのが気持ち悪かったね。
ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。
戦時の体験も書きました。横須賀から出航する前、家族と最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争の不条理や残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー元会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうものが潜在意識にあって書いたんです。
《26年、衆議院議員を最後に政界を引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在も文芸誌に小説を連載する》
随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。
ライフワークが一つあってね。仏教徒だから法華経を現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在や時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。
やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。
◇
『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮社から単行本が刊行され、後に文庫化された。『石原愼太郎の文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。
◇
〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市生まれ。一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員に当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任。平成11年から24年まで東京都知事を務めた。
それもあるけど、肌と髪は整えたほうがいいよ。
目的は二つ、
(ような気がする、自分は好意的な待遇が当たり前の人間ですよ?という自信を持てるようになる、を含む)
一つ目、肌と髪は絶対に手入れすべき。
ただ、毎晩風呂上りにぱしゃぱしゃオールインワンジェルを叩き込んでおく、
髪はドライヤーで乾かし、その際分け目を考えて乾かすとか、その程度から始めるといいと思う。
二つ目、精神的な病気になると、この「自分を手入れ」というのが重荷になることもある。
不安からスキンケアをするような場合、不健全な依存に突入することもある。(ex.アンチエイジングに取りつかれて明らかに不要なスキンケアを毎晩呪いの儀式のように繰り返すようになるとか)
しかしそうでない場合、「自分に手をかける」「自分の手入れをする」というのは、ある種の安息効果がある。
多くの場合、スキンケアをしない男性はその効果を軽んじすぎだし、何らかの自己愛の発露みたいなおぼこい誤解が多すぎである。
軽くでいい、
「自分を手入れする」
感覚を覚えてほしい。
あと、めんどくさいこともやりたいのなら毎朝爪やすりで爪を削れ。
今、指を見て。ささくれはないな?爪は丸くきれいにラウンドしているか?
どちらかが当てはまらないのなら、爪きりはやめて爪やすりで毎朝少しずつ削る習慣をつけろ。
これをやると指先の清潔度が段違いに上がる。
女性は指先を意外と見ている。女の子の指を見てきれいだな、と思ったとする、
訳あって今高速バスで手持ち無沙汰になってる。
具体的には、イヤホンを家に忘れてしまったので、大好きな音楽を聴いたり動画を見ることができなくて困ってる。
作文は死ぬほど苦手だが、思ったことを書くだけの文学作品に倣って、クリエイティブな暇つぶしでもしようかなと思う。
お金は節約したいし、体力的にも長時間の移動に耐えられるし、使わない手はなかった。
何度も利用すると、高速バス移動にも当たり外れがあることがわかってくる。
バスの設備(USB充電とかWi-Fiとか)であったり、横の席に誰が来るかであったり…ガチャを引いてるみたいで結構楽しい。
ちなみに今日のガチャはそこそこいい感じ。手元にコンセントあるし、横の家族連れのお父さんはすごい静かだし。SR席引けてる。いい年末なりそう。
いい席取れた時の高速バスってかなり得した気分になれるから好き。
逆にハズレ席の時は正直この世の終わりかと思ってしまう。
ハズレの原因って主に横の席に座る人なんだけど、こればっかりは受け入れるしかないからものすごく困る。まさに「ハズレ」って感じ。
イヤホンの音漏れすごい人とか、挙動不審な人とか、そういうのはまだかわいげあるな〜で済ませられる。
けど、どうしても耐えられないのが、苦手な匂いがする人。
香水きつい人とか、体臭がキツい人とか、バスの揺れとかと相まってシンプルに体調が悪くなっちゃう。
ほんとに相性だと思うから、相手に対しては何も思わないんだけど、高速バスの席取り担当神は恨む。おるんか知らんけど。
ちなみに今日の横のお父さんはわかめうどんみたいな匂いがして、好きでも嫌いでもない感じがものすごくよい。さすがSR席。
こういう匂い問題とかも、イヤホンして自分の世界に没入していると気にならなくなったりするもんなんだけど、今日に限っては周りのお客さんを観察してしまうくらいには集中できていない。
あんまりいい趣味とは思わないんだけど、人間観察もぼちぼち楽しいなとは思う。
ウマ娘ずっとやってるお兄さんとか、車内で寝たいんだけど頭のポジが定まらなくて安息の体勢を求め続けてるお兄さんとか、静かな車内に気を遣ってかハンドサインで後ろのお母さんにコンビニで買った商品の受け渡しをお願いするわかめうどんスメルお父さんとか…
それぞれの性格とか普段何してるんだろとか想像してしまって楽しくなっちゃう。
たったこれだけの文章書くだけでも1時間以上かかってるから、意外と暇つぶしには適しているのかも。やるじゃん徒然草。全部は読んだことないけど。
今日これを書いて思ったことは2つ。ものを書く仕事や趣味を持ってる人はすごい。考えたことを形に残すのってすごい労力使うなと思った。未来の兼好法師で賞とか貰わないとやってられない。
S͓̽i͓̽N͓̽(シン)(@XXXG_01H2_hevia) - 3分前
まあエチケットではあるがな。
藤原徳光(@ivehan) - 7分前
Kaji-M(@carticeyaDD) - 23分前
何とか持ち堪えて欲しい
ここから第6波だけは避けたい
びわ雄@鍋の冬(@69wat_bee) - 08:53
オミクロン流入、症状有で外出なんて想定内だし今まで通り感染対策するだけ
オルカ乗り@神奈川+東京(@aqua_drive_bike) - 08:16
猿2匹のせいでこうなるんだからやってられんわ。
ガチャピン@線路がない暴走機関車(@user_4869) - 07:57
「はい」
読売丸(@giants_boy) - 07:47
やってんなぁ
ネコさま(@kuro_nekosama) - 07:43
結局こういう無駄にアクティブな馬鹿供がバラ撒くんだよな。もう実名報道してやれよ。
桃(@mo2nobu) - 07:30
こういうバカが居るから今までのみんなの努力が意味を無くすんだよ
ばっからこ~ん(@3059dbz) - 07:14
皆んなの努力が水の泡
肉、肉、肉(@2clam_bomb9) - 07:03
dirG(@Dirg_rocketdyne) - 06:58
/
折角収まって来てたのにこれやばいんでは。
geek@akibablog(@akibablog) - 06:35
今後パンデミックを扱った作品は何か知らんが凄い感染力で感染拡大が止まらないじゃなくてバカが隔離無視して感染を広げていくになるんやろな
富士ゐ@放射性廃棄物(@toshiyuki_fujii) - 06:05
大馬鹿野郎 :
Rocjoh(@Rocjoh) - 05:41
あべっち。(@abyosan9) - 05:35
また逆戻り。
こいつ死ねよ
ぼっこぼこで草
米国から帰国オミクロン感染の20代女性、自宅待機中に20代男性と濃厚接触 男性は発熱症状でサッカー観戦
S͓̽i͓̽N͓̽(シン)(@XXXG_01H2_hevia) - 3分前
まあエチケットではあるがな。
藤原徳光(@ivehan) - 7分前
Kaji-M(@carticeyaDD) - 23分前
何とか持ち堪えて欲しい
ここから第6波だけは避けたい
びわ雄@鍋の冬(@69wat_bee) - 08:53
オミクロン流入、症状有で外出なんて想定内だし今まで通り感染対策するだけ
オルカ乗り@神奈川+東京(@aqua_drive_bike) - 08:16
猿2匹のせいでこうなるんだからやってられんわ。
ガチャピン@線路がない暴走機関車(@user_4869) - 07:57
「はい」
読売丸(@giants_boy) - 07:47
やってんなぁ
ネコさま(@kuro_nekosama) - 07:43
結局こういう無駄にアクティブな馬鹿供がバラ撒くんだよな。もう実名報道してやれよ。
桃(@mo2nobu) - 07:30
こういうバカが居るから今までのみんなの努力が意味を無くすんだよ
ばっからこ~ん(@3059dbz) - 07:14
皆んなの努力が水の泡
肉、肉、肉(@2clam_bomb9) - 07:03
dirG(@Dirg_rocketdyne) - 06:58
/
折角収まって来てたのにこれやばいんでは。
geek@akibablog(@akibablog) - 06:35
今後パンデミックを扱った作品は何か知らんが凄い感染力で感染拡大が止まらないじゃなくてバカが隔離無視して感染を広げていくになるんやろな
富士ゐ@放射性廃棄物(@toshiyuki_fujii) - 06:05
大馬鹿野郎 :
Rocjoh(@Rocjoh) - 05:41
あべっち。(@abyosan9) - 05:35
また逆戻り。
こいつ死ねよ
動けなくなって4ヶ月が経つ。
立ち上がって10分も経つと失神しそうになる。そのうえ息切れも激しい。
そうすると外に出られない。買い物に行けない。仕事にいけない。
私の身体は社会という輪の中からポンとはじき出されて、魂だけが自宅に軟禁されているかのようだ。
そんな中では些細なことなのだが、私には「宅配の受け取り」という問題があった。
食料、医療器具、薬とすべての物が宅配で届く。健康な人にとっては便利なものかもしれないが、病人にとってはライフラインである。
現代のように宅配システムが発展していなければ、渋谷のスクランブル交差点で寝っ転がり、決死隊同然のデモを起こすしかなかったのかもしれない。デモ当日が晴れであることを祈るばかりだ。
とにもかくにも、宅配のおかげで何とか生きていけている(しかし、これも貯金が尽きるまでという期限付きの安息であるが)。
だが、宅配にもまた壁があった。
まず突然のドアベルが怖い。当然のことながら、配達人は私の事情を把握していない。食後の調子が悪い時間帯でもお構いなしだ。
しかも、驚かせるというのがよくない。私の心臓は壊れているので、驚くと心拍数が上がる。これまた尋常ではない上がり方なのだ。
最悪の場合、悪い調子のさらに悪い状態で対応する必要があるということだ。
マスクは必須である。ワクチンの副反応によってこの窮地にある以上、コロナに罹患した場合はさらに命の保障がない。
そして、とぼとぼと玄関に向かう。
息切れも強くなるし、胸も痛い。
なんとか玄関に着く。そしてドアを開ける。
そして、自分の背でよいしょとドアを支える。
それから頑張って応対する。首もうまく動かせないのでにらみつけるような形になるが許してほしいと願う。商品を手渡される。重い重い重い。
まず、ドアストッパーを購入した。
玄関ドアに磁石でくっつけるタイプのストッパーだ。磁力が弱かったらどうしようと考えていたが、それは杞憂だった。
ドアの下部にストッパーを近づけると、金属の本体部にパシッとくっつく。ストッパーを下ろすと小さい部品で大きな玄関ドアを力強く支えてくれる。
素晴らしい。
このドアストッパーのように小さくとも力強い人間になりたいものだ。
これなら、わざわざ自分でストッパーを下ろさずに済む。本当にありがたい。
次に玄関前に椅子を用意した。立って対応するのを避けるためだ。
配達人が来ても落ちついて座る。私は座位でも心拍数が高いが、立位より全然良い。
今のところ、全員が書いたとおりに対応してくれる。
重ね重ね、本当にありがたい。
あとはわずかに生じた余裕でもって、心ばかりの笑顔を作ればよい。
何も対策をしてなかった頃の私は、まさに必死の形相で対応をしていたのだが、お姉さんは何の気もなく。
「あ、いいっすよ」と荷物を床においてくれた。
そして、最後に「大変ですね」とニコッと笑って、颯爽と去っていった。
ありがたい。ありがたいが、なるほど。
これはもしかして、こちらが「そうして下さい」と言ったほうが、向こうとしても楽なのではないか。
そう思ってこの対策を準備した。
玄関ドアを背中で抑えて、にらみつけながら対応されるよりよっぽど良いのではないだろうか。
ギャル風のお姉さんには頭が上がらない。二十代前半だろうか。年齢など、人の器の大きさには関係ないものだなと心底実感する。
ちなみに、ここまで読んだ人は、「置き配」という手があるじゃないかと思うかもしれない。
私も「置き配」が可能であれば利用しているのだが、二つだけ例外がある。
まずは、置き配に対応していない業者があること。二つ目に、ネットスーパーだ。
ネットスーパーに置き配を頼むとコンテナに入れてくれるのだが、そのコンテナが固い。労作性の頻脈でもある私は、ほどくだけでえらく疲れてしまう。
なので、ネットスーパーに「置き配」は存在するが、必ず対面で受け取るようにしている。
タイトルの「いかにして動けない私が安心して宅配を受け取れるようになったのか」という問いに対しては、小さな工夫を積み重ねた結果という答えになるのだろうか。