はてなキーワード: 兼好法師とは
1Kに二人暮らし。
ユニットバスって湯船に浸かるプロセスを踏むにはどうやって入るのが正解なんだろうとか、そういうことを考えながら暮らしていた。
朝は起きることが出来たら学校に行って、行かなかったら昼までダラダラと過ごして、お風呂に入って、夜になったら飲みにいく。
ある時は夕方ごろ「そろそろ買い物に行くかな」なんてひとりごちて。
身だしなみも整えずスーパーに行ったら先輩がバイトしていて狭い店内を逃げ回りながら買い物してでもバレたり。
「何時に帰ってくる?」と聞きながら帰って、鼻歌交じりに晩御飯づくり。
食べ終わったら0時ごろから夜の散歩。途中のコンビニでアイスを買い食いしたり、タバコを吸ったり。
帰ってきてベッドに倒れこんで、暑い狭いと文句を言いながら眠りにつく。
またある時は夕方から眠ってしまって、気づいたら19時とかで。
「晩御飯どうするー?」なんて言ってる間にまた15分くらい眠ってしまって。
重い腰をあげてご飯を食べに出て、帰り道時々無意味に立ち止まりながら自販機でお茶を買って帰る。
ひとりでいる間は妙に時間が長く感じたりした。
徒歩10秒の行きつけの焼き鳥屋に飽きずに通って、酔っ払って。
すっからかんになった部屋を見て、「寂しいなあ」と感じるより先に「片付けの時に虫が出てこなくて良かったな」と思った。
家主より好きになった街を後にする最後の日に少しだけ、寂しくなった。
焼き鳥屋も焼き芋屋さんもパン屋さんも(あれ、食べ物屋ばっかりだ。)、タバコ屋さんもあの道もあの夜の匂いもスタジオも忘れられない、色濃い思い出。
あー兼好法師。
ブログ名に「徒然なる・・」をつけてるブログ、内容ろくでもない説卜部左兵衛佐兼好「同感だ。俺様の経験から考えても、たいていは碌でもないことしか書いてない」2016/06/13 01:13
誰それ?
風巻景次郎は、尊卑分脈の系図の記載によって、吉田家傍流の兼顕の子で、後二条天皇の六位蔵人となり、ついで五位に叙され、左兵衛佐に任じたと推定し(『西行と兼好』角川選書 角川書店 昭44。初出昭27)、これが通説となってきた。しかし、拙稿「卜部兼好伝批判―「兼好法師」から「吉田兼好」へ」(国語国文学研究〔熊本大学文学部〕49、平26・3)で考証した如く、この系譜と経歴は、戦国時代の吉田家の当主、兼倶(一四三五~一五一一)が捏造したものである。兄弟とされてきた大僧正慈遍とも血縁はない。兼倶はなんらかの方法で兼好が一時卜部氏を称したことを知り、自らの家系に取りこんだらしい。吉田の家号は室町期に入って用いられたので「吉田兼好」の称が不適当であることは既に指摘されているが、兼倶以前に兼好が卜部氏であることに言及した者はいない。「兼好法師」の称を用いるべきであろう。