二人以上の異性に対する愛は成立しない。
まず異性の友情は成立しないという前提に基づけば、上記の関係は友情で結びついたものではないことになる。
だからこれは必然的に愛寄りのものであって、でもこれは愛ではなく両者に対する不貞行為に過ぎないものになる。
でもたとえば同性の友達がそいつの同性の友達と遊ぶことがあったとして嫉妬等を抱くだろうか。
またこれは性別の条件がなくても言えることだと思うのだが、兄弟が別の兄弟の家で寝泊まりとかしたとして嫉妬等を抱くだろうか。
つまり友情という名前で語られる愛や家族愛は多対多で成立する。
なのに恋愛の方の愛は1対1じゃないと多くの人が不貞行為とみなすのがよくわからない。
しかもこの愛は両者が子をなせば家族愛でもあるものになるから余計にややこしい。
言い換えれば友情や家族愛はオープンリレーションシップであるが、恋愛はオープンリレーションシップを認めがたいものとされているとかいうことになる。なぜだ。
これ、たとえば恋人が、その親の再婚相手の異性の義兄弟とセックスしてたらそれは単に近親相姦の範疇として嫉妬の対象から除外されるものなのかという疑問に発展する。これには血縁の異性の兄弟と近親相姦してる分には恋人も「性癖の範疇」と認容するだろうという前提がある。
アドラーも恋人が他の人に浮気することに対して干渉するのは課題の分離が出来てないことだと言っている。
アドラー先生に言わせれば恋人が何人いようがそれぞれに安息を感じていればそれらの愛は背反してないのであってどれか一つしか肯定するようなものではないだろう。