2021-12-12

いかにして動けない私が安心して宅配を受け取れるようになったのか

動けなくなって4ヶ月が経つ。

立ち上がって10分も経つと失神しそうになる。そのうえ息切れも激しい。

そうすると外に出られない。買い物に行けない。仕事にいけない。

私の身体社会という輪の中からポンとはじき出されて、魂だけが自宅に軟禁されているかのようだ。

そんな中では些細なことなのだが、私には「宅配の受け取り」という問題があった。

逆説的な話から始めるが、宅配というものは素晴らしい。

食料、医療器具、薬とすべての物が宅配で届く。健康な人にとっては便利なものかもしれないが、病人にとってはライフラインである

現代のように宅配システムが発展していなければ、渋谷スクランブル交差点で寝っ転がり、決死隊同然のデモを起こすしかなかったのかもしれない。デモ当日が晴れであることを祈るばかりだ。

とにもかくにも、宅配のおかげで何とか生きていけている(しかし、これも貯金が尽きるまでという期限付きの安息であるが)。

だが、宅配にもまた壁があった。

まず突然のドアベルが怖い。当然のことながら、配達人は私の事情を把握していない。食後の調子が悪い時間帯でもお構いなしだ。

しかも、驚かせるというのがよくない。私の心臓は壊れているので、驚くと心拍数が上がる。これまた尋常ではない上がり方なのだ

最悪の場合、悪い調子さらに悪い状態対応する必要があるということだ。

次に、マスクを探す。直接玄関には行けない。

マスク必須であるワクチン副反応によってこの窮地にある以上、コロナ罹患した場合さらに命の保障がない。

そして、とぼとぼと玄関に向かう。

息切れも強くなるし、胸も痛い。

なんとか玄関に着く。そしてドアを開ける。

そして、自分の背でよいしょとドアを支える。

それから頑張って応対する。首もうまく動かせないのでにらみつけるような形になるが許してほしいと願う。商品を手渡される。重い重い重い。

毎回がこのありさである

しかし、こんな苦労もほんのわずかの工夫で解消された。

まず、ドアストッパーを購入した。

玄関ドアに磁石でくっつけるタイプストッパーだ。磁力が弱かったらどうしようと考えていたが、それは杞憂だった。

ドアの下部にストッパーを近づけると、金属本体部にパシッとくっつく。ストッパーを下ろすと小さい部品で大きな玄関ドアを力強く支えてくれる。

素晴らしい。

このドアストッパーのように小さくとも力強い人間になりたいものだ。

さらに、このストッパー想像以上の効果を発揮した。

配達人が勝手にドアストッパーを使ってくれるのだ。

これなら、わざわざ自分ストッパーを下ろさずに済む。本当にありがたい。

次に玄関前に椅子を用意した。立って対応するのを避けるためだ。

配達人が来ても落ちついて座る。私は座位でも心拍数が高いが、立位より全然良い。

最後にドアの内側に張り紙を貼った。

商品玄関に置いて下さい」という旨を丁寧に書いたものだ。

今のところ、全員が書いたとおりに対応してくれる。

重ね重ね、本当にありがたい。

これで対策は終わりである

あとはわずかに生じた余裕でもって、心ばかりの笑顔を作ればよい。

対策をしようと思ったきっかけがある。

ギャル風のお姉さんが配達に来た時の事だ。

何も対策をしてなかった頃の私は、まさに必死の形相で対応をしていたのだが、お姉さんは何の気もなく。

「あ、いいっすよ」と荷物を床においてくれた。

そして、最後に「大変ですね」とニコッと笑って、颯爽と去っていった。

ありがたい。ありがたいが、なるほど。

これはもしかしてこちらが「そうして下さい」と言ったほうが、向こうとしても楽なのではないか

そう思ってこの対策を準備した。

今のところ配達人の方にイラっとされた事はない。

玄関ドアを背中で抑えて、にらみつけながら対応されるよりよっぽど良いのではないだろうか。

ギャル風のお姉さんには頭が上がらない。二十代前半だろうか。年齢など、人の器の大きさには関係ないものだなと心底実感する。

ちなみに、ここまで読んだ人は、「置き配」という手があるじゃないかと思うかもしれない。

私も「置き配」が可能であれば利用しているのだが、二つだけ例外がある。

まずは、置き配に対応していない業者があること。二つ目に、ネットスーパーだ。

ネットスーパーに置き配を頼むとコンテナに入れてくれるのだが、そのコンテナが固い。労作性の頻脈でもある私は、ほどくだけでえらく疲れてしまう。

なので、ネットスーパーに「置き配」は存在するが、必ず対面で受け取るようにしている。

そんなこんなで私の宅配ライフは順調なものとなった。

タイトルの「いかにして動けない私が安心して宅配を受け取れるようになったのか」という問いに対しては、小さな工夫を積み重ねた結果という答えになるのだろうか。

この不器用で不自然身体で、これからも小さな工夫を積み重ねて生きていくしかないのだろう。

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