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はてなキーワード: 外科とは

2021-03-24

ダメプログラマと一緒に働くのは、泥酔状態医師外科手術に立ち会うようなものである

奴らは平然と危険なことをするし、それが危険だと認識していない。

そして、何より問題なのは日本プログラマのほぼ全員はダメプログラマだと言うことだ。

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2021-03-11

anond:20210310220035

酒飲んでたから、思い込みで胃について書いてた

外科先生適当なのは感覚でわかる

真面目に書くと

UCとかクローン病とかだったら下痢の症状がないときでも名残として炎症あるから内視鏡で見つけられる

炎症の評価でrandom biopsyつって内視鏡で見ながらつまみまくるのは大学病院とかでは普通なんだがクリニックでは見るだけかもしれん。

結局検査ってのは人がやるから実施する人次第なのは否めない。

症状がずっと続いてるのにやってくれないのであればやってくれるとこを探すのも手かもしれない、そういう状況はどうかとは思うが。

ただし下痢の症状で画像CTってのはかなり後手に回るというか、優先度が低い。

下痢一時的なら胃腸炎とか、結構続いていても過敏性腸症候群だろうなってきめつけられる可能性が高い

体重の変化

下痢の頻度

下痢の性状

この辺をマメに記録して診断基準を見つつ(本当は医者仕事だが)、やってくれそうなクリニックを探すのが良いかもしれない。

本当に心配だったら自費でやるしかないが。。

2021-03-10

anond:20210310215456

まず胃と腸の話分けようぜ・・胃がんはおめでとさん

腸の病気の診断って「お腹が痛い(胃じゃないとこ)」が主訴になるわけだけど

そこからしこりとか反跳痛とかさわってでなければほぼほぼなにもしないじゃん、検便さえしない

相手プロレスラーとして腹筋つけてて痛みにものすごく耐久性あげててもそれで診断できるの?おかしくない?)

毎回下痢便がとかいってもどの程度か検便もせず病院トイレ下痢してても流すまえに見に来ることもしないで「診断」するじゃん

しろヤブになると女性で痩せ型だからお腹いたいなら便秘だろ~!とかい固定観念ゴリゴリ

「とりあえず」(よくある抗生物質じゃないけど)下痢に下剤だすようなこと平気でするじゃん

外科として手術の手技をみがいてても診断は(一部の名医以外は)放射線科医だの血液科の腫瘍マーカーかに実質まかせっきりなんじゃないの?ってオレはおもってるよ

ならそれでいいからとりあえずその日に、症状が出てるその日に!とれる写真くらいとってよ

「いまから絶食しなくても下痢絶対空っぽだ」っつっても絶対内視鏡してくれないじゃん

「万が一突き破ったらお腹がうんちだらけになりますので」っつってさー

こっちは体調悪い下痢の合間みていっしょうけんめい医者にたどりついてるの

水も飲むな?脱水で先に死ぬわ!死にかけないと診断できないんか!

下痢してない体調のいいとき絶食していったところで保険検査できないし病気発見できんやろが!

って近所のヤブに(大意を)いったら引退して院長交代したっぽいけど

あれはヤブがヤブだっただけのことなのかね

anond:20210310135133

医院による。

内科 外科 耳鼻科 とかあるように

精神科医にも得意分野がある

まぁ

病院

町医者

風俗街の隣の地区

おおきくわけるとこの3つぐらいを覚えておけばなんとかなるはず。

2021-03-04

anond:20210304154849

キャラクター設定

名前増田糖質

特徴 神に男と認められ、国家にも男と認められている。本人も自分を男と思っている。性同一の男

 だだし、自分をかっこよすぎる男と主張

 名前糖質のため

 100gあたり、切り上げると46Kcal と主張

 

 現在 短小包茎で悩む

    自然治癒可能性がほぼない、外科的手術が必要で、非常に重要機関で、繊細な機関。血流の影響も受けやすいため、全身麻酔心臓ごととめとくか・・・ 手術中に血流が流れ込むと大変。

 

真実のみを語る男。

2021-02-20

anond:20210220233806

内科医外科ってこうですからーとか語っていれば、そりゃ第2波

外科医が内科ってこうですからーとか語っていれば、そりゃ第3波

よしいまだ!外科医と内科医が協力して!・・・なんか、感染者数の減少がとまりましたね・・・

anond:20210220233656

内科外科がちがうように

個人向け医療と、大衆向け広域医療も違う

だまって見てたけどいいかげんにしろというのが多すぎる。

2021-02-19

anond:20210219082452

同意してもノーペナつまり精神科医は他を許す人格者が多いってことだろ

外科内科職員医師に同じ言葉を言ったら次の日から段ボールハウス生活する羽目になる

anond:20210219084946

救急外科でもない限り医者は暇だよ

たいして過労死もないし

2021-02-06

anond:20210206232101

じゃあ外科になれよ。足りてないんだから

医者居住転移自由は、医療地域格差を無くすためにも剥奪すべき。男性医師はそれができるからちんちんボーナス加点されている。にもかかわらず、「都会で暮らしたいんだもん」などと女のような我儘で地方病院に勤めないのは国家に対する反逆。

anond:20210206193757

風呂入らないオタクは入浴と洗濯ワキガ外科手術で、それぞれ体臭対策ができますよね

臭いオタクを許容したいようだったので、臭いオタクが集結するでお馴染みのカードゲーム大会を自宅で開催していただければ、ご自身他人臭いに寛大であるとともに、それらの根拠を示していただけるのではないかと考えました

anond:20210206191001

外科手術で軽減もしくは根絶できんじゃん

元増田も読めない文盲はお呼びじゃねえよ

ワキガ身体障害者

他人迷惑をかける前提の存在を生かしておきたいなら、税金を投入してケアできる部分はケアするのが社会福祉だろ

電車ならまだしも飯食ってる時にワキガ嗅がされて気分悪くなる義理ないわ

それが現実的じゃないなら、学歴のない無職が自費で資格取らないと就職できないのと同じように、ワキガなんだったら臭いが無くなるまで自費で外科手術するのも道理なんじゃないの?

さっきの店で周りに不快感をぶち撒けてたオッサンは、チビデブのクセして店員モラハラパワハラは当然、ワキガで箸の持ち方すら汚かったんだけど、こんな奴が生きてる意味ってどの程度あんの?

優生思想が悪だと言いたいのなら、まずデカい顔したガイジを淘汰するのが先だろ

誰の温情で生かしてもらえてると思ってんだカス

2021-02-03

研究者の手技や実験技術について(社会学場合

学者研究者が明確にどう違うのかはよく分からんが、たとえば外科医なんてもの学問的な論文評価とは別に外科手術の腕前で評価されることはあるだろう。もちろん、自分のやった難しい手術について論文を書いたりもするのだろうが、やはり難しい手術をしたということ自体評価されるのではないか

そして、どうも理系でも手技というもの評価されるようで、今では自動的実験をする装置も多いが、やはり最先端の分野では機械がすべて自動的にやってくれるというわけにはいかないだろう。そうすると、例えば遺伝子工学にしても難しい遺伝子操作をうまくやれる研究者というもの評価されるはずである。難しいことをやるから、他の人に出せない結果を出せて、それが論文になるという見方もできるが、手技自体評価されるのではないか

そうすると社会実装かいものについても、どんなやり方であれ、社会を変えるという結果を出す能力学問とは別に評価されるだろう。そして、その能力評価されるということは、そのやり方が肯定されるということである

こういう優れた手技をゴッドハンドというらしい。しかし、どんな実験手法も許されるという訳でもない。動物実験動物倫理適用されるならば、人間社会に対する実験には人間倫理適用されるべきであろう。という考え方をする社会学者も一部には存在するかも知れない。

すると今問題となっているのは、社会学という分野の社会実装という方法についての方法論であろう。

仮説A:社会学においてはいかなる社会実装方法も許され、結果的社会を変えることが出来れば、その手段は問わない。

仮説B:社会学に追いても社会実装方法には制限がされるべきであり、社会実装方法が適切でなければ、その社会実装を試みたものだけでなく、社会自体が滅亡してしまう。

この二つの仮説に基づいて、仮説Aを実証するための社会実験と、仮説Bを実証するための社会実験が同時に進行中なのである

これは純粋社会学的な研究であって、感情的批判を避けて、どちらがの仮説が正しいのか、この実験の結果を見守るべきだろう。

仮説Aが正しいとすると、社会学の分野においては今後もこの社会実装手法が広く採用されることになるだろうし、仮説Bが正しいとすると社会学は消滅するだろう。

もちろん、どちらの仮説も間違っているという可能性もある。しかし、両方の仮説が正しいということはないはずである

我々はこの純粋学問的な実験の結果を客観的に見守ろうではないか

2021-01-30

心室中隔欠損症をもって生まれた。の続き。

https://anond.hatelabo.jp/20210130055110

中学生時代

高校生時代

大学生時代

2021-01-24

anond:20210124160736

親知らずを人工的な外科手術で抜かないといけない点を思い出すたびちょっと生物としてどうなんかな~と思ってしま

ワクチンの台頭

1970年代精神外科の断絶と同じ流れじゃないだろうか?

似非科学が入り混じりよく分かってない一般人が騒ぎ立てて医学の発展を止める。

メディアネット上に多数ある自分が信じたいノベルを探しては信じ込み、同様に多数ある自分が信じたくない情報は決して見ない。

一次ソースや両方の立場から信頼度の高い情報確認して精査するなんて疲れることはしないしできないからより刺激的な流れにのってみる。

承認欲求ママ自分真実を知っていると騒ぎ立てて害悪を撒き散らす。

HPVワクチンの失敗が続き、ワクチンといった重要医学が断絶されないことを望む。

2021-01-23

anond:20210123181059

向き不向きで外科にならないのは甘え

向いてないなら努力カバーすべき

日本医療を背負う医者が苦手だからしないだなんて我儘言うのは許されない

anond:20210123180552

外科とか切るのが楽しいタイプじゃないと向いてないやろしなあ。

2021-01-17

anond:20210117204642

寒いちんこが縮んで被っちゃうときあるけど

あと、あんまり気にしすぎて美容整形外科宣伝に乗せられるととんでもないことになるらしい

まんしゅうきつこの弟だったかが手術して術後に家で血だらけになったらしい

2021-01-14

コロナ対応病院・非コロナ病棟看護師愚痴

私は首都圏三次救急病院に勤務する若手看護師です。私の所属は、ICUでも救急でもコロナ専用病棟でもなく、内科外科が混在する一般病棟ニュースTwitterを見ているとコロナ対応医師看護師ばかりに焦点が当てられるので、コロナ対応病院・非コロナ病棟看護師の私もちょっと愚痴を吐き出したくて筆を執ってみました。


まず、知っての通り新型コロナウイルス感染症というのは肺炎を来たし息苦しさや咳・痰など呼吸器症状が現れる場合が多く、そのため呼吸器内科医師治療に当たることが多いですよね。ということは、院内コロナ病棟を作るとなった時に、呼吸器疾患への対応に慣れている看護師のいる呼吸器病棟が選ばれるケースが多いのではないかと思います(※調べたわけじゃないので間違っていたらごめんなさい)。

少なくとも私の病院に関しては、呼吸器病棟の数十床全てをコロナ用の病床として確保し、かつ重症コロナ患者用にICU救急病棟の数床を使用しています

じゃあ元々呼吸器病棟にいた患者やそこで受け入れるはずの呼吸器疾患の患者はどこに行ったのか?当然他の病棟に回されるわけですよね。呼吸器疾患の患者というのは多いんです。日本の死亡原因のうち第一位悪性新生物、中でも肺癌で亡くなる人が男女ともに最も多い。その他にも様々な原因による肺炎COPD喘息、、、など多くの疾患があります

見慣れないそれらの呼吸器疾患の患者も、元々の専門である診療科患者を看ながら看ていくわけです。

人工呼吸器、あれはICUでのみ使われていると思われがちですが、一般病棟使用されることだって少なくないんですよ。流石に一般イメージするような口から挿管して….というのはないですが、神経の病気や癌などにより呼吸補助が必要になって喉を切開し呼吸器を装着する人もいますし、挿管や気管切開せずにマスクを装着して補助換気を行うタイプのもの、、、など人工呼吸器もいくつか種類があります。また、人工呼吸器ではありませんが、鼻から1分間に数十リットルという大量の酸素を流すというようなデバイスもあります。そういった手厚い看護必要でかつ急変リスクの高い患者を、管理に不慣れな看護師が(もちろん勉強しますが)、臨床工学技士も医師もいないマンパワーもない一般病棟で、看るんですよ。これって想像しただけでやばくないですか。

マンパワーに関してですが、看護師人員配置基準というのがありまして、当院の一般病棟では患者:看護師=7人:1人、救急病棟は4:1、ICUは2:1という人員配置をして診療報酬を得ているんですね。ちなみに夜勤12:1です(一般病棟)。

例えば担当患者7人のうち人工呼吸器装着中の患者が1人いたとして、この患者はこまめな観察や痰の吸引、食事・排泄の介助、体位の調整、清潔援助、点滴、検査の介助など、手厚い看護必要になりますよね。他の6人はどうでしょうか。1人は認知症があり点滴などを自分で抜いてしまったりフラフラ歩いて転んでしまう、排泄に失敗して便や尿まみれになる人、1人は自身で動くこともご飯を食べることもできないため、抱えながら車椅子に乗せてトイレに連れて行ったりご飯一口ずつ口元に持っていって食べさせる必要がある人、1人は全身麻酔で手術を受けるため術前の準備や術後の管理必要な人、1人は糖尿病腎臓病の教育を受けている人で疾患の理解や様々な生活上の制限について毎日時間をかけて説明必要かつ入院中も飲食物などの制限があるが守ることができず病状が悪化する人、1人は癌の終末期で、医療麻薬を持続投与しながら苦しみを抑えているが、つらさや身の置き所のなさによりナースコールを連打しては何とも言えない訴えを繰り返す人、1人は自宅で倒れて動けなくなっているところを発見され緊急入院してきた患者で多分コロナではないだろうけど完全に否定もできない人。

こんな毎日ですよ。夜勤では1人の看護師10人以上の患者を看るわけです。疲弊しないわけなくないですか。コロナがなくても大変でしたが、コロナがあることで不慣れな疾患の管理業務が増え、防護服や衛生材料使用制限され、ボーナスカットされる。

これまでだって定時に帰れることはなかったし、マンパワーに見合ってない量の仕事はやらされてたけど。でも忙しさには波があって、休日年末年始比較的落ち着いて仕事ができることもあった。けどコロナ対応を始めてから毎日がこんな感じ。こんなんじゃ患者を守ることなんてできないよ。何かあったときにすぐに対応できないよ。私が対応できない間に受け持ち患者状態が悪くなってるんじゃないか、痰を詰まらせて苦しんでるじゃないかってヒヤヒヤしながら毎日働いてる。他疾患で入院していた患者PCR検査陽性になることもあるし、もし自分感染して大切な人や職場の人にうつしたら?つらすぎて今すぐ看護師を辞めたい。生活していかなきゃいけないからまだ頑張るけど。



実は「医療に協力したら何が返ってくるの?」という記事を読みました。そしたら今まで溜め込んでたつらい気持ちが溢れて悔しくて涙が出てきちゃったので、ここに思いを綴ってちょっと楽になりたかったのです。

コロナ病棟の悲痛な現状とかを知りたかった人は期待外れでごめんなさい。特にオチメッセージもないしがない3年目看護師愚痴でした。

大好きなバンドライブに行きたかったし実家に帰って愛犬やおじいちゃんおばあちゃん会いたかったな〜。

早くコロナ収束して看護師給料が爆上がりし会いたい人に会えるようになりますように〜。

2021-01-10

大木隆生氏の「大木提言(ver3)」に誰も反論してない問題

私は新型コロナについての情報を見るにあたっては、

のどれかでなければ話半分未満で聞くようにしている。

数日前に見つけた大木隆生氏の「大木提言(ver3)」は、その基準からすれば傾聴に値しそうだ。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3859177164173859&id=100002448400114

https://jikeisurgery.jp/wp-content/uploads/2021/01/COVID-19ver.3.pdf

(どちらのリンクも同内容)

大木隆生氏は、慈恵医大外科統括責任者・対コロナ院長特別補佐。ベストドクター in NYhttps://nymag.com/bestdoctors/ これ?)に4年連続で選出されているらしい。専門は感染症ではないけど、十分な実績と信任を持つ現場の人と言っていいだろう。

大木提言Facebookでは現時点で2000件以上シェアされており、Twitterでも検索すると多くの人が反応している。反応は「私の実感と一致します!勇気が出ました!」「コロナ脳に読ませたい」と異口同音に絶賛だ。医療関係者も「理路整然とした重要意見。さすが大木先生」といった口調で褒めそやしている。

でも僭越ながら、私はこの提言には論拠の弱さ・論理の飛躍を多く感じた。なのにそういう反対意見SNS上には見当たらなかったので不安になっている。誰もやらないなら私がツッコみます。というわけで慣れない増田を書いてますよろしく

大木提言かいつまめば「1. 感染者数が増えても実害はない」「2. 医療崩壊は起こらない」よって緊急事態宣言意味がないので基本的感染対策のみを行いながら経済を回せ、と言っている。この1,2について私の違和感を述べます

1. 感染者数が増えても実害はない

何故そういえるのかというと、要は欧米と違って日本人にとってはコロナは死亡に繋がらず怖くないからだそうだ。ファクターXってやつですね。それがあるので、欧米経験政策WHO見解日本の参考にはならないとのこと。

新型コロナ欧米においては恐ろしい感染症であるが、様々な理由から日本人にとっては季節性インフルエンザ程度の病気位置づけられる。

それは日本での人口当たりの感染者数も死者数も欧米の約50~100分の一である事やオーバーシュートが一度も起こらなかった事など、過去1年間の経験データをみれば明白。

明白…? そのファクターXが何なのか、そもそもそんなもの存在するのかすら、結論って得られてたんでしたっけ?

大木氏が曖昧に言っている「様々な理由」つまりファクターXの内訳とは具体的には何なのか。調べてみると、2020/5版の提言記述が見つかった。

http://www.japanendovascular.com/covid-19_proposal_Ohki.pdf (P10-11)

この時点では大木氏は、日本人コロナに強い理由の仮説として

BCG接種

②2020/1-2にステルスオーバーシュートが起こり集団免疫が獲得された

を挙げている。

しかし①はこれまでの研究から棄却されているし(と思ってるけど違ったらごめん)、②は第2波・第3波の到来の事実を踏まえると非常に疑わしい。8ヶ月経って情報は大きく増えたが、他に「明白」といえるような根拠が見つかったのだろうか? 私はそういう根拠を知らないし、少なくとも「明白」の一言で済まされるような簡単ものじゃないと思う。そして、日本人特別だという根拠が薄弱なのであれば、世界各国の現状・対策からの学びをあえて捨て去るのはリスキーすぎだと思うんだけど、ベストドクター的には違うんだろうか?

ちなみに大木氏、

上記裏付け事実として日本における2020年の死因別ランキング示唆である2019年の死因ランキング2020年の新型コロナによる死亡者数を挿入すると、新型コロナは第36位(11月末時点)。一方、季節性インフルエンザ2019年31位(図2)。さらに、同様の手法世界米国の死亡原因ランキング作成するといずれも新型コロナは死因第3位にランクインしており、日本人いかに新型コロナ抵抗性を有しているか如実に物語っている(文献4,5)

と言ってるんだけど、

の死者数比較根拠にするのはガバすぎでは…!? さすがにこれは読んだ人の半分くらいはツッコめる部分だと思うんだけど、この感覚おかし!?

2. 医療崩壊は起こらない

要は「欧米英国米国)でも医療崩壊は起きていない。それより数十分の一の規模の日本医療崩壊なんてありえない」という話をしている。

でも「欧米医療崩壊が起こっていない」というのは事実として正しいのか?

医療崩壊の定義は当該診療科医師疲弊しているか否か、すべての患者タイムリー病院受診できるか否かではなく、救える命が救えなくなったか否か

大木氏は書いているので、その定義では少なくとも欧米については医療崩壊は「起きている」という結論になりそうなものだけど。

たとえば各国の状況を検証しているTwitterのツリーこちら。

https://twitter.com/mph_for_doctors/status/1347047822034685952

まあ欧米の状況は置いといて、日本医療崩壊が起きているか?を問われたら、これは正直なところ私にはわからない。毎日医療崩壊のニュースが飛び込んできてるので感覚的にはヤバいと思ってるけど、実際は声の大きい現場の声ばかり聞いてて認識が狂ってるのかもしれないね数字で語れるのは先の話なので保留したい。

大木氏によると、医療リソースを余計に食い潰している原因は第二類感染症指定であり、それを五類に変えると改善するそうだ。これについてもそうかもしれないし、そうでないかもしれない。対立意見としては、高山義浩氏の「自治体によって柔軟に対応カスタマイズできるので2類相当でも問題ない」という話がある。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3509866199066862&id=100001305489071

どちらにせよ門外漢なので、慈恵医大の対コロナ院長特別補佐に「医療崩壊は起こってない」と言われたら「ああそうなんですね」と黙るしかないんだけど…でもそもそも論点が違うと思うんだよな。コロナ対策における医療崩壊の危険性について論じるべき点は「現状リソースが足りているか」じゃなく「いずれ感染が広がったときリソースを維持できるか」ではないんでしょうか?

新型コロナ感染者数は指数関数的に増大する。しか医療リソースはそうではない。だから実効再生産数を1未満に抑えないかぎりいずれリソース破綻する。そして重症者・死亡者は3週間の遅行指標であり、その数字が出た時点ではもう手遅れになっている。

新型コロナとの戦いはそういう戦いだというのがすべての前提だと思ってるので、その観点に触れずに大丈夫と言われても全然納得できない。3週間後に何がきっかけで爆発してるかわからない以上、予兆が見えた時点で厳しい対策必要だと思ってるし、大木提言はそこには何も答えられてないと私は思う。

(なお緊急事態宣言が「厳しい対策」として機能するかは別の問題です)

最後

私が一番問題だと思ってるのは、こういう非賛同者の反論ネットじゅう探しても全然見当たらないということ。

「ヤバすぎ派」「騒ぎすぎ派」の対立みたいな記事が先日話題になったけど、もしかしてこの大木提言も「騒ぎすぎ派」が支持して内々で話題にしてるだけで、「ヤバすぎ派」にはガン無視されており視野にも入っていないんじゃないか。実際ブクマ全然ついてないし。

「ヤバすぎ派」「騒ぎすぎ派」の分断の問題は、それぞれの議論の前提自体が異なっていることだ。お互いの前提を共有して「この点は共有できるよね」「ここが意見の分かれ目だね」と止揚できればいいんだけど、お互いに殻にこもってしまうから議論が深まらない。結果、「コロナ脳」「正常性バイアス」とお互いを揶揄することしかできない。それは健全じゃないと思う。私はみんなが共通認識を持てる議論の土台をなるべく増やしたいし、そのためにはオピニオンリーダーには闊達議論してほしい。

宮沢孝幸とか中野貴志みたいな明らかに専門外の連中ならただ単純に無視すればいいんだけど、大木提言はそれとは質が違う。何も情報がない状態で「この増田大木先生をどっちを信用するか」と言われたら、私だったら実績ある大木先生を信用しちゃうよ。だからもっとちゃんとした専門家大木提言への反応をしてほしいと強く思う。

2020-12-23

anond:20201222222410

私は去年の8月エコーで15cmの腫瘍って言われて大きな病院を紹介されたけど、初診では悪性の可能性が高いって言われました(まあ、片側7cmと6.5cmと小さい病院より小さい数字も言ってもらえましたが)。

酷なことを言うようだけど、エコー細胞の中身が見えるから13cmもあったら陽性か悪性かの判断は、お腹の中で動く赤ちゃんチンコがついているかの判定より楽。希望を持つなら、抗がん剤はよく効くってことくらいです。とにかく病院を探しまくって今通っている病院大丈夫だと思えなければ、今のうちに「小さい病院で紹介されたところでは検査してない」と初診で診てもらうことです。CTなんか何度撮ったって大丈夫から。どうぞ後悔しない医師を選んでください。実家の近くなんて安心だと思うけど。

私はCMTと知らずに抗がん剤を受けたバカ増田です。

運動神経ですが、走り方が個性的と言われるとか100m走で他の子の倍の時間かかるんでなければ心配いりません。

それでも運動神経が悪い事を気になさるなら、抗がん剤を受けながら脳神経内科または脳神経外科、無いなら外科でいいので「抗がん剤治療中だがCMTの疑いはないか」と聞いてください。2〜3回の治療で影響が出たりしないです。落ち着いてから大丈夫

仕事は復帰できますよ。若いから有給だけでなんとかなっちゃうよ、知らんけど。

がんなんかで壊れちゃう縁談なんか、いずれ破綻する縁です。パートナーさんを信じて!

そんなに悪い未来が待ってると思わなくて大丈夫

どうか治療成功しますように。

2020-12-21

威圧

嫁さんがいろいろ体が悪いので、病院に一緒に行って

診断受ける時も一緒に聞く必要があるんだけど

これまでの経験上、婦人科男性のお医者さんって

感じが悪いことが多い。

こっちは病気でうまく話せないんですよって事前に説明してるのに

やたらと威圧的質問してくるし、説明論理的ではない。

こちらはなるべく本人に回答させようと思うけど

だいたいイラッとして自分が答えることになる。

一度行った病院では隣にいた看護師さんが

「この先生、そんな悪気があって言ってるわけじゃないんですよー」って

こちらに言ってくれたぐらい。

内科とか外科とか歯医者とか他の科では、そんな感じの悪いお医者さんは

いないけど、産婦人科での感じ悪さは4戦4敗ぐらい感じ悪い。

なんであんなにえらそうなんだろう。

男女差別とか騒ぐ前に、ああ言うところに突っ込んだ方がいいと思うぞ。

フェミニストは。

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