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はてなキーワード: 丁稚とは

2018-06-09

anond:20180607233425

結婚して子供がいる方が標準と思っているようだが、そうではない男"も"歴史上には大量に存在した

日本人の大多数は昭和30年代まで農民だったわけだが、農地相続する長男以外はてんでモテなかった。

次男、三男以下は都市部へ流れて下層労働者丁稚なるのが江戸時代から通例だったわけだが、江戸の男女人口比は男が女の2倍以上だった。

当然、長屋住まいのまま嫁なんぞ貰えず吉原通いで30代40代死ぬ奴が多数。

日本に限らんぞ

イスラム圏を筆頭に近代以前は一夫多妻は通例

有力な貴族武将には多数の妾やら腰元がおるのが当然、人口比を考えたら、上流階級に大量に女を取られれば、必然的結婚できん男はわんさかいただろ

貴兄のみが特別に不幸ではない

生涯独身のまま、立派な仕事を果たした奴も幾らでもいる

2018-06-01

anond:20180601150918

左派快楽要素がないわけではないけど

古参で且つ貢献ポイント多寡でその分配が決定され

そういうふらふらした層にはまず下働き丁稚奉公を求める今どき周回遅れの年功序列様式ではな

2018-03-05

家事にはアファーマティブアクションはないの?

それぞれが家事素養を身に着け一方は数十年のキャリアがあっても嫁姑家事遂行手順で揉めるんだから

夫婦がうまくやれって事前に擦り合わせを密にやるか夫は家事丁稚として妻に完全服従ルールで定めて決め打ちするかぐらしかなくね?

2018-01-09

漫画アシスタントブラック待遇問題で叩かれるべきなのは誰か。

なんか、カクイシ氏の発言って、完全にプロアシスタント目線なのがモヤモヤするところ。

独立した漫画家を目指す夢追い人の目線じゃないのですねと。

良し悪しは置いておいて、「半人前の素人が、丁稚奉公しながら一人前の職人を目指す」システムってどこの業界にも当たり前のようにありますね。

伝統工芸はもちろん、芸能関係養成所とかもそうだろうし、広く捉えればこないだ問題になってた「インターン大歓迎!」とかも根っこは同じでしょ。

当然、こういうシステムが成り立つのは、「無給でもいいか技術を学ばせてほしい!」とか、「苦しい下積みを乗り越えて有名になりたい!」とか、「未経験だけど〇〇業界に入りたい!」って若者が絶えないからなわけで、実際、目指す人のいなくなった伝統工芸はどんどん衰退してるものもありますよね。

で、彼らは、とても狭き門だということをうっすらと認識した上で、それでも極々一握りの人間になろうと躍起になって努力するわけですよ。

一発逆転大成功を収めたいから。

でも当然、全員が成功を収められるはずはなく、幾多の屍の上に、ほんの一握りの目指すべき人が出来上がるんですね。

一人のスーパースターの背後には、蹴落とされていった万人の脱落者がいるんですよね。


カクイシ氏の言い分の微妙な所って、ここら辺の認識がズルい感じがするんです。

プロアシスタントで俺は食っていくんや!」ってモチベーションの人なら、労働組合みたいな言い分が合致するけど、

他者を蹴落としてでも、万人に一人の漫画家先生になりたかったんちゃうかい!」と感じちゃうんです。

anond:20180109093423

これじつは大学院とかも同じ構造

昔は大学院生が希少だったので、丁稚奉公させられても耐えればポストがあった

今は院生を増やした結果、奴隷労働したあげく職すらない

で、まともな人は大学院を避けるようになった

2017-12-31

anond:20171231151006

この制度になる前は強固な家制度長男は親の財産を受け継ぐ代わりに老後を見る義務がある

女は親に売られるか嫁として子供を産み続けながら重労働子供を産めなければ三年で離婚

次男以降は兄の奴隷状態で家で飼い殺し子供の頃から丁稚

子供を持てなかった老人は死ぬか惨めな老後

みたいな世の中だけどいいのか

老人福祉を無くすには家制度に頼るしかないし反出生とか言う余裕は全く無くなるけど今更無理っしょ

2017-12-17

若いうちは安い賃金住み込み丁稚でこき使われて、年取ったら後の世代から搾取する

っていうのは最近に始まった事じゃなくて昔からの流れだと思うんだけど

少子高齢化が進んだせいで特に問題になってんのかな

別にからのやり方でいいって言ってるわけじゃないよ

2017-12-04

今の20代奴隷が国是、キャリアアップ絶望的な国、日本

比較人間として生活ができるホワイト場所仕事転職できるまで、精神身体変調をきたすレベルブラックで3年拷問受け続けないとなれませんとかだから

学生諸君はてなーが思ってるやりたい仕事職種の99%が、最低でも3年くらいブラック丁稚奉公しないと、参加資格すらありませんとかだし

唯一労基法が守られて、キャリアも選び放題なホワイト高時給派遣は、引継ぎなんてあればマシ、初日から結果出せなきゃ1か月で契約打ち切りでクビです、はい荷物纏めて出ていってね、だから

オマケに2回失敗したら、派遣会社ブラックリストに載って同じ待遇で二度と就業できません、お前みたいなゴミはいらんと戦力外通告を受けて何の保証もなしに放り出される、ちなみにこれだけ不安定立場覚悟でようやく定時帰り土日祝日休み残業代支給という待遇で、20代年収400万円代、これでも衰退極まる日本では年齢層別労働者人口年収中央値で、上位20%以内のウルトラアッパーエリート、なお税金取られまくって家賃合わせて必要経費引いたら、これだけ稼いでても手元に残る金10万円ヘタすりゃ切るくらい重税な模様

ちなみにこれ、F欄だろうが東大卒だろうが20代新卒は皆すべからく同じ条件とかな、その犠牲者の最たる存在が電〇自殺事件高橋ま〇りさん

そして仮にそんな地獄の戦場で生き延びられてても、30までにマネジメント経験営業系、企画系にステップアップできないと将来ワープア確定、ITエンジニアなんてガチでそう、web系いけばとか何たら言うが、まあレッドオーシャン日本経済衰退のダブルコンボで今どうなってるか、求人見て確かめてくれ

そして何がタチ悪いって、キャリアの壁であるマネジメントとかちゃんとした営業系を経験させてくれるのは、入った会社胸三寸、上が使えてたら30過ぎても下っ端のままで、市場価値消失して、ビルメンか清掃員、もしくは警備員一直線コース

公務員天国かと思えば、こんなのとたいして変わらん、しいて言えば、まぁキャリアアップ年功序列から考えなくてもいいかな、ってくらいか

それでも椅子は決まってるから出向とかで辞めざるを得なくなるとか多発して、人生詰むの多いけどね

え?なんでこんなことになったのかって?既得権益(老人層)守るためだよ、選挙圧倒的多数から20代は少数派だから死ね!ってことだね

これからどうすればいいか?知らん、先のこと考えても仕方がねーとしか言いようがない

2017-10-27

anond:20171027144735

メンバーシップ雇用って、いつ頃が源流なのかね。

江戸時代後期~明治時代とかかなと思ってんだけど。

近世になって資本が蓄積されてくるのに合わせて、丁稚方向から番頭のれん分けへといういわゆる日本型雇用形態になったのかなぁとか。

江戸時代近世市民社会が長く続きすぎたせいだろうかなどと、妄想

同じように資本が蓄積し市民社会が成立したヨーロッパは、日本ほどは資本メンバーシップが強く結びついてない感じもする。

ヨーロッパはその頃に革命とかで忙しそうにしてたから?とか、貴族血縁メンバーシップの方が強かったから?とかうんぬんと、妄想

2017-09-27

旧宮家を復活しても、男系の維持なんて無理なんですよね〜・・・

単純な算数問題

統計見方にもよるが、一家庭内において男子が産まれ確率というのは、

「子をX人授かる可能性」その中からさらに「男子である確率」となり、

一般的出生率(⇓)など用いて算出すると、どうしても減少傾向(右下下がりの傾き)とならざるをえない。

(参考: http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei15/index.html


これらを鑑みると、純粋に「男系男子」だけで家を維持しようとした場合は、

確率的に「3〜5世代」のどこかで、維持が困難という事になってしまう。

なので、旧くからある商家などは、早い内に丁稚やら、婿養子候補などを招き入れ、家が存続できるような仕組みを担保するようにしていた。

(今となっては考えられないが、それ故、「妾」といった存在が、時と場合に応じては許容されていた時代もあった・・・


もう一寸、分かりやすくまとめると、

旧宮家を復活 → 分母を増やす

再婚OK分子を微増(西欧では重婚が不可なので、この形式をとった王室がある)

側室制度の復活 → 分子の数を増やす(増やしたければ、いくらでも調整可能

分母が増える策は、確かに、一時的な維持確率を引き上げる事が可能だが、減少傾向(傾き)を留められるような策ではない。

(増加傾向に転じさせる事は不可能


いま、皇統継承者4名中、50代未満の男子は `悠仁親王殿下` お一方だけと・・・、なんで、これもっと問題にならないんだろうか。


左翼方は、最早、叩く必要すらなく、天皇制を廃する事ができる所まできていて、御の字なのかもしれないが、

右や保守よりの方々は、もうちょっと騒いでも良さそうな気はする。

2017-08-08

正しい歴史認識」の話

真実はいつも一つ」といったとしても、私は、ジーザスクライストでも、工藤新一でもないから、事実認識のなかからその真実が見極められるというわけではない。

徳川武家慣習が依然とする)封建国家日本では、長幼の序とか、男尊女卑とか(女ですら劣後させられるくらいだからゲイとかトランスジェンダーとか……)、教師聖職絶対権力であったり、先輩が絶対的に偉かったりする。少なくとも戦時中まではそれが当然だった。

同じ日本人であっても、徳川時代以前から和人の方が先輩だから偉いわけで、後から編入させられた沖縄人や、北海道開拓使征服されたアイヌ人とかは、差別されていたわけで。(いわゆる「純粋日本人」とはそういう差別的表現だ。)

ましてや、日韓併合日本国民の端くれになっていた韓国人の扱いなんて、最下層であるわけで。

やっぱり身内である日本人かわいいから危険職種身分の低い人にさせたいと思っていたわけである。同じように、いわゆる穢れ仕事もそうだ。

例えば土木建設工事なんかでも、現場で命がけで肉体労働をする層にはいわゆる外国人労働者を使う。事故なんかで災害死しても、日本人が死んだとなれば立派な慰霊碑かなんかが建ったり、新聞報道実名が載ったりした。それに対して、韓国人労働者だとかが災害死しても、およそまともには扱われなかった。

今のように機械エネルギーを贅沢につかってでも人命最優先ということは、当時は不可能だ。だから、「使い棄て」が要り、死人が出ることもいわば「必要悪」かなにかと思われていたのだろう。例えば北海道開拓には、刑務所受刑者従事して沢山死んだ。少なから土木工事に「タコ部屋」もあった。

同じ日本人であろうが、身分格差がある。

徳川時代丁稚奉公にしても、人身売買に近い「社畜である

かつて「江戸にもない」景気の江差ニシンを獲ったのは、出稼ぎ季節労働者の「ヤン衆」で、(身分が低いし、教養もないし、将来のことなんか考えないので)資産を溜め込めないからパアーっと遣うので活況になったのは当然だ。ヤン衆を雇う網元が最も儲かり、資産を貯蓄しても非難されない。

炭鉱採掘にしても、危険職種死ぬことも多い、死ななくとも身体がやられるのだが、賃金は出る。生命身体と引き換えに稼いでいるというのが実際だ。いわゆる「軍艦島」なんて、当時では物凄く贅沢な暮らしができていたようだけれど、多くの時間を島の中で閉じこもって生活するわけだから自由は少ない。

トリクルダウン」(おこぼれ)で「恵んでやる」ということだ。つまり明らかな社会的格差があって、強者弱者チャリティーで恵んでやる。そういう社会

日本社会では身分の低い層であれば、出稼ぎしてでも稼ごうと思う人は多いわけで、甘言で騙すなどということもそれはあったとは思うけれども、たとえ騙しじゃなくたって、被差別層(社会的弱者)は事実上、穢れ仕事でもせざるをえないことに往々にしてなりがちだ。

たとえ徳川時代から日本人が同じ職種に就いたとしても、日本人の方が優遇されるというのも明らかにあったわけであり。

あとは、言うこともないだろう。

その社会的事実を、どのような価値観に基づいて主観的評価するか、そういう問題が「歴史認識」と呼ばれているようだ。主観的評価なのだから、一つにはなれない。

2017-07-04

どこからパラサイトシングルなのか

大家族、拡大家族三世帯同居が当たり前の時代から核家族時代を経て、パラサイトシングルという集団が見いだされたわけだが…

大家族時代のような独身の子が同居している状態と、パラサイトシングルの線引きはどこになるんだろうなあ。

家にお金を入れているかどうかで言ったら、大家族時代独身の子世代お金入れてなかっただろう。

まあ、その頃は農家が多かっただろうから、家の田んぼを耕したりで家の労働力になるか、

作男として近所の田んぼをやるとか、女性なら女衆として、炊事洗濯とか

そんな時代に家に金を入れるというと、身売りや丁稚奉公とか、なんだかツライ方法しかないぞ。

協力して生活運営することと、依存境界線はどこにあるのだろうか…と考えた場合に、

やはり、自立心があるかどうかなのかなあ。

その上で、できることは自分でやる。

協力するところは協力する。

なんと、山田昌弘氏の「パラサイトシングル時代」は私は未読である

読んでから問題提起しろや、とは自分でも思う。

2017-04-25

役僧侶だけど「空き寺」「後継者不足」などよりもっと深刻な問題

最近新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。

最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。

■3つの問題リンクしている

宗門大学や大きな寺にはアルバイト在家出身僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。

この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています

在家出身僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。

というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。

何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。

「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したとき保険をかけて夢を追えるいい環境です。

から在家出身僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。

バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます

住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります

自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。

しかし、折角掴んだチャンスを在家出身僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります

回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者環境的に出ていかざるを得なくなりますが。

こういう昼ドラ脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。

まり後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います

繰り返しますが、在家出身僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸ダイヤモンドを見るけるレベルの話です。

上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者問題仏事ではなく民事的に解決します。

子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります

兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります

あくまで常駐していないだけで、書類上は住職がいます

さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります

室町時代仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。

どんなに小さなお寺でもいいので、地方過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶存在します。

しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院住職にとっては「固定資産檀家)」なので、そういう若手僧侶住職の話はほぼほぼありません。

おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。

3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。

これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。

個人的日本仏教はもうダメな気がしています

それは何度も言われていることかもしれません。

言葉は悪いですが、団塊世代年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います

権力偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。

真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。

僕のような丁稚の弱小者本山にとっては単なる搾取対象しかありません。

これが仏教なのかと、経典論書を読んでは枕を濡らす毎日です。

感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています

どうか社会的圧力が高まって、改革兆しが訪れんことを。

追記

極論に過ぎている部分があるので補足しておきます

もちろんイレギュラー本来的にはレギュラー)な場合も多くあります

そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員檀家総代等)で構成されます

イレギュラーケースとして、代表役員在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。

法人運営在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。

そもそも代表役員事務総理するのであって、僧侶聖職者である必要はなく、住職という名称代表役員イコールではありません。

思うに、会社法のように株主過半数取締役などを解任するなどの方法宗教法人法にはありません。

代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則法律によって決まっていてもいいように思います

本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。

仮に法改正されれば、葬儀墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能だって出てきます

在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。

仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶住職門跡管長あるいは長老なんじゃないのか…。

知人の僧侶最近こんなことを言っていました。

現代僧侶間の不条理在家出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。

しか日本文化地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかい運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。

2017-04-13

[] お多芽

(おため)

お多芽とは、結納結婚祝いなどの贈り物を頂いた時、

半紙に添えて結納金、お祝の1割の金額を入れてお返しするものです 。

  

「おうつり」とも言います

  

また、結婚祝いの時のお返しは特に夫婦紙(めおとがみ)」とも言います

結婚祝いの時とその他のお祝の時では、お多芽の紙の折り方が違うためです。

結婚祝いの時は抱き合わせと言う折り方にします。

  

昔は、お重箱にお菓子などを入れ、これを贈り物(御祝など)として頂いた際に、

「このお重箱をきれいに洗ってお返しします。」という意味を込めて、

このお重箱に真っ白の紙である半紙などを入れてお返ししていました。

  

この「真っ白な紙」と言うのが、重要ポイントになります

  

このようなところから、贈り物を頂くと、半紙や懐紙などをお多芽紙として

お返しするようになりました。

  

また、昔は、丁稚さんがこの贈り物を持って、ご主人様の御供をしたので、

丁稚さんにお駄賃を渡していました。

  

このようなところから、半紙などのお多芽紙と共に、1割のお金をお返しするようになったのです。

そのため、この1割のお金には交通費的な意味合いもあります

  

京都では、交通費意味から、誰から贈り物を頂いても、1割のお金を入れます

大阪では、丁稚さんのお駄賃と言うことから、目上の方に、お金を入れるのは

失礼にあたるとして入れません。

http://www.yuinoo.net/howto/yui-otame.html

2017-03-18

歴史に学ぶということ

教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。

経営者管理職自己組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。

桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人時代に再び戻された。

今でも、兵士民間人区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しか現実には、民間人普通に兵士として使われる。

大東亜戦争」では、通称赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵軍事工場普通に空爆しても、そこで非戦闘員労働している。学徒動員かいうのは、職業学生軍事産業就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである

国民一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)一般人犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代戦争までさ。

前近代戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道知行するという補填が行われている。そうして大名移住して開拓したり、下級士族屯田兵転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。

絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人ビビったんだが、ビビたからなおさら無差別殺戮してきたさ。そいで、広島長崎原爆実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。

歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公時代から変わっていないしな。丁稚奉公時代から未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑

景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。

2017-03-03

仕事を失った話

さっき失職したようなタイトルだけど数年前の話です。

工業高校を出たけど就職が決まらなかった私は、

知り合いのつてで天ぷら屋へ丁稚奉公することになった。

そのころの私はお金をもらって、天ぷらがたべられるなんて天職だなと甘いことを考えていました。

はじめの1年は、ひたすら皿洗いで皿洗い以外のことはしたことがなかったです。

次の2年目は、さやえんどうのへたを取るなどの下処理と皿洗いを担当しました。

3年目になるとまかないご飯と皿洗いを担当するようになりました。

一人きつい先輩がいて、わたしとは水と油の仲だったのですが、楽しい職場でした。

1年目の秋に、この先輩があたらしく入った女の子にいい格好をするために、

自分右手に衣をつけて揚げだしたのですが、大やけどを負ったのでした。

そして4年目になり、新人の増太郎はいってきたので、私が彼の指導係と皿洗い担当になったのでした。

その増太郎はとにかく言われたことが出来ない、覚えられない男で苦労しました。

たとえば、大根おろしをすりおろしたあと、木綿の布で絞るのですが、

何度言ってもしまっている布の場所が覚えられない、絞ってから大根おろしをボウルに入れることを忘れる。

あげくのはてに、大根おろしをしている最中に、他ごとを頭で考えていたのか、自分の指をすりおろして、

もみじおろしを作ってしまうことがたびたびある……そんな男でした。

なので、増太郎にはとにかく厨房器具だけは絶対に触らないようにきつく言っていました。

そんな時に事件が置きました。

天ぷら油は店によって異なりますが、綿実油ごま油などいつくつかの油をブレンドするのですが、

その日は大将が体調が悪く、熱しながら混ぜている時に、トイレへ行きました。

この時、増太郎には「鍋、見とけよ!」と言ってたそうですが、結局出火するまで見続けていたそうです。

から炎が立ち上がり、あせった増太郎はボウルに水を入れ、ばっしゃーんと鍋にかけたのですが、

これが原因で、鍋の炎はパワーゲイザーのように燃え上がったそうです。

あせった増太郎は地下のお店から逃げ出しましたが、かわいそうな大将トイレで焼け死にました。

2017-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20170227161850

上野職員和歌山丁稚奉公にでも行けよ、とかいつも思ってるんだけど、ホントにそんなこともやってないのかね。

2017-02-01

クリエイティブイニシアティブの欠片もない作業従事者を

いつかクリエイティブ役割につけてやるための下積みの作業丁稚と見るか

限定分野の専門エンジニアと見るか

2017-01-30

転職活動の時の話を書いていく

http://anond.hatelabo.jp/20170130003633

某所の公認会計士ワンマン経営してる「コンサル会社」(という名前事実上会計事務所)

面接に行ったら、丁稚みたいな子分が出てきて、態度がデカい。お前、何様だ。

軽く質疑応答の後、そのワンマン親分に会いに、個室に行った。

その公認会計士のオッサンの態度がさらデカい。だから、お前は何様なんだよ。どうして、態度がデカいんだよ

途中で、帰ってくださいと言われて、強制的に帰らされた。

こういう連中がいるんだから、世の中って、凄いな。

色々な会社面接したけど、大企業のオッサンって、(表向きだけ)物凄い態度が低いよな。泡沫の求職者相手でも、態度が低い。

ワンマンで一人でやってるオッサンほど、態度がデカ

その「コンサル会社」って、その後も常時、求人募集してたよ。どんだけ、人が集まらないんだよ

2016-12-26

クリぼっちって蔵丁稚みたいだね

お蔵で丁稚ぼっちな話だし辻褄も合う。

2016-11-14

うちのじーさまの話とじーさまのいとこの話

昭和の一桁頃

九州の山奥へ駆け落ちした夫婦がいた。

さな山間集落自転車屋を営み、一男三女をもうけ

ささやかながら幸せ暮らしていた。

一番上の長男小学校の高学年になった頃

父親事故あい、帰らぬ人となってしまった。

元々病弱であった妻もその二年後

後を追うように亡くなってしまった。

残された子供達は一番上で中学にあがって間もない長男姉妹達。

若く働き手として期待できる長男養子先として引く手はいくつかあった。

知り合いの子供のない薬局屋さんから養子に来ないかと誘いがあった。

長男は断った。

当時別の集落でそれなりに権力があった家に

嫁いでいた長男の母方の叔母がこう言ったのである

妹たちの養子先をきちんと用意してやる。

お前の親父の名字も残してやる。

その代わり、うちに丁稚に来い。

長男はその取引に応じた。

自分より年下の従兄弟のおもりをし

学校へ行きながら、一人畑仕事をすることにしたのだ。

かけおちした罰があたったの嫌味を言われながら

少年は働いた。妹たちの養子先を教えてももらえず

頑張ればいつか教えてくれると言われながら。

少年は背は小さかったが

バカにされまいと努力したせいか喧嘩も強く

勉学にもまた真面目に励んでいた。

やがてそのバカ真面目な姿勢評価され

学校では級長となった。

その時の副級長と結婚することになるとは

この時は少しも考えつかなかったそうだ。

少年丁稚先、とはいほとんど自分の妹たちと

そう変わらない年の従兄弟達の面倒をみていた。

親戚といえども丁稚とその家の大事子供

多感な頃であり、色々な気持ちが渦巻いていたことは

想像に難くない。

だが少年文句も言わず、よく従兄弟の面倒をみたそうだ。

とくに一番下の子には兄さん、兄さんと呼ばれ実の兄よりも

懐かれていたそうだ。

やがて少年が成人、就職し、先の副級長と結婚し所帯をもったが

仕事先へ叔母が給料を受取りに来て

拾ってやった恩だと言って少年給料ピンハネしていたそうだ。

まだ妹の行方も全ては教えてもらえぬため

文句も言わずそのまま働き続けるその姿に

親方最後には見てられなくなり、地元で働く限り

あの家には逆らえない。

ここをやめて紹介してやるから隣の県に就職しろと言った。

生活も苦しかった夫婦はその提案に乗り

隣の県へ引っ越した。

やがて夫婦は二男一女をもうけ、ついに妹の行方も分かり

やっと幸せ暮らした。

その後、年をとり、少年が老人となり、ついに亡くなったその日

飛行機で一番初めにかけつけたのはその丁稚先の従兄弟の一番下の子だった。

その時、僕らはその従兄弟の人や葬儀に来た人たちから

亡くなった少年、僕らのじーさまの上のような色々な話を聞けた。

そのじーさまのいとこが亡くなったとの知らせを聞いた。

いろんなしがらみの中で、それでも仲の良かった二人。

きっと今頃世話焼き大好きなじーさまが迎えに来てくれてると

そんな予感がする。

2016-10-16

バブル時代広報だった父の受けた接待

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629

80年代に父の会社CI改革プロジェクトがあって父はプロジェクト責任者だった

想像するにCI改革は、ロゴデザイン刷新CMもあったりでかなりの額のプロジェクトであったんだろうなと思う。

代理店はH社

なお、父の会社重厚長大系。父が就職した60年代はイケイ業界だったが、バブル期は、業界構造として低迷で、株もびっくりするほど安かった。母は給料の少なさに嘆いていた。

はいつも、打ち合わせで六本木だが麻布だがで代理店の人とごちそうになっていた。家に帰るといつも家族に食べたものを仔細に話していた。

その後、月イチくらい、接待で行った店に家族で行った。フランス料理の魚のムニエルが全く美味いと思わなかったり、中華風のしゃぶしゃぶで腐乳閉口したりした。そういえば青山フランス料理松濤に引っ越す前のシェ マツオだったりしていた。

代理店営業さんとサントリーホールコンサートを聞きに行った、ということも良く言っていた。たまに私も連れて行ったもらって、休憩の時シャンパンを母に内緒で飲ませてもらった。あと、「スターライトエクスプレス」というミュージカルの券にも一緒に行った。

バブル恐るべし、と思う。

当時品のない接待を求める会社もいっぱいあっただろう。

トイアンナさんの書くような下品なことを求めるクライアントもあるだろうし、それを全く求めないクライアントもいるだろうし、そこは当然営業さんは合わせるんだろうと思う。

今だったら昔より、品のないのは断ることがしやす環境には思う

私は現在仕事関係上、コンサルティング会社と何回か仕事をしたが、ハードワークと、クライアントへの丁稚加減としてコンサルは似たような点があると常々感じていた。

コンサルティングに無理を強いる時には、申し訳ないと感じながらも、下請けにやらすのは当然という思い、そしてコンサルのみなさん僕らよりお給料高いよねという卑屈な思いが入り交じる。その時、たまに父が漏らしていた「士農工商代理店」という言葉を思い出す。

現在も、ましてやバブル当時も、品のない接待要求しているクライアントはたくさんあるだろう。そこにはおれたちは客だろうという思いの奥に、高給へのひがみといった薄ら暗い感情があるんじゃないかなと思う。

2016-10-10

秋山木工では、1年間の「丁稚見習いコース」を終えると丁稚として正式採用される。入社した丁稚を待つの過酷な修業の日々だ。

 全寮制で、朝5時に起床して朝食を作り、近所を1.5km走る。

好き嫌い厳禁の朝食後は工場や近所を掃除し、

8時の朝礼で「職人心得30箇条」を全員で唱和して仕事が始まる。


 丁稚の主な業務荷物運びや工場掃除だ。職人の手助けをしながら、

仕事段取り技術を目で学ぶ。仕事が終わると夕食を作り、

夕食後はレポート作成や自主練習に励み、23時にようやく就寝。

休日はなく、修業から解放されるのは盆と正月10日間のみだ。

秋山社長は、「心が一流になれば、必ず技術も一流になる」と断言する。

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