はてなキーワード: 徳川時代とは
「『国家の品格』を著した藤原正彦先生の『今こそ武士道を』ていう御意見への反論やけど……まず現実の武士を云々する前に、先生の論説のあり方が理屈としておかしい」
「文藝春秋2019年10月号『日本と韓国「国家の品格」』で、先生はこうおっしゃってます」
朱子学の教えでは、序列が上の人間に対して「礼を尽くす」のが最大の美徳となります。朝鮮はこの教えに徹底的に倣って、中国に対して礼を尽くしていました。〔……〕こうして朝鮮は「主体的国家」であることを放棄していたため〔法や秩序の意識が育たず〕その延長線上で、今でも簡単に国家間の約束事を破ってしまうのです。
「て言うと?」
「上野の学寮、湯島の聖堂、昌平坂学問所……時代は移れど、武士の中の武士であろう旗本御家人の頭に注入されてたんは、その朱子学。徳川時代中期、松平定信以降は朱子学以外の儒学が実質禁じられてさえいた」
「徳川期の武士道の中心には朱子学がある。そして武士道を推す藤原先生の念頭にあるのは、徳川期の武士」
「『国家の品格』が2005年に出版されベストセラーになってから今まで、藤原先生が徳川幕府における朱子学の地位について知ることがなかったなど、考えにくいんやけど」
「真実はいつも一つ」といったとしても、私は、ジーザス・クライストでも、工藤新一でもないから、事実認識のなかからその真実が見極められるというわけではない。
(徳川武家慣習が依然とする)封建国家の日本では、長幼の序とか、男尊女卑とか(女ですら劣後させられるくらいだから、ゲイとかトランスジェンダーとか……)、教師は聖職で絶対権力であったり、先輩が絶対的に偉かったりする。少なくとも戦時中まではそれが当然だった。
同じ日本人であっても、徳川時代以前からの和人の方が先輩だから偉いわけで、後から編入させられた沖縄人や、北海道開拓使で征服されたアイヌ人とかは、差別されていたわけで。(いわゆる「純粋の日本人」とはそういう差別的表現だ。)
ましてや、日韓併合で日本国民の端くれになっていた韓国人の扱いなんて、最下層であるわけで。
やっぱり身内である日本人がかわいいから、危険職種は身分の低い人にさせたいと思っていたわけである。同じように、いわゆる穢れ仕事もそうだ。
例えば土木建設工事なんかでも、現場で命がけで肉体労働をする層にはいわゆる外国人労働者を使う。事故なんかで災害死しても、日本人が死んだとなれば立派な慰霊碑かなんかが建ったり、新聞報道で実名が載ったりした。それに対して、韓国人労働者だとかが災害死しても、およそまともには扱われなかった。
今のように機械やエネルギーを贅沢につかってでも人命最優先ということは、当時は不可能だ。だから、「使い棄て」が要り、死人が出ることもいわば「必要悪」かなにかと思われていたのだろう。例えば北海道の開拓には、刑務所の受刑者が従事して沢山死んだ。少なからぬ土木工事に「タコ部屋」もあった。
かつて「江戸にもない」景気の江差でニシンを獲ったのは、出稼ぎの季節労働者の「ヤン衆」で、(身分が低いし、教養もないし、将来のことなんか考えないので)資産を溜め込めないからパアーっと遣うので活況になったのは当然だ。ヤン衆を雇う網元が最も儲かり、資産を貯蓄しても非難されない。
炭鉱の採掘にしても、危険職種で死ぬことも多い、死ななくとも身体がやられるのだが、賃金は出る。生命と身体と引き換えに稼いでいるというのが実際だ。いわゆる「軍艦島」なんて、当時では物凄く贅沢な暮らしができていたようだけれど、多くの時間を島の中で閉じこもって生活するわけだから、自由は少ない。
「トリクルダウン」(おこぼれ)で「恵んでやる」ということだ。つまり明らかな社会的格差があって、強者が弱者にチャリティーで恵んでやる。そういう社会。
日本社会では身分の低い層であれば、出稼ぎしてでも稼ごうと思う人は多いわけで、甘言で騙すなどということもそれはあったとは思うけれども、たとえ騙しじゃなくたって、被差別層(社会的弱者)は事実上、穢れ仕事でもせざるをえないことに往々にしてなりがちだ。
たとえ徳川時代からの日本人が同じ職種に就いたとしても、日本人の方が優遇されるというのも明らかにあったわけであり。
あとは、言うこともないだろう。
その社会的事実を、どのような価値観に基づいて主観的に評価するか、そういう問題が「歴史認識」と呼ばれているようだ。主観的評価なのだから、一つにはなれない。
そこで富国を守るための強兵というより、強兵を創設、活動せしめるための富国という傾向を生じ、侵略主義に落ち込んだのである。しかし、そのため平和憲法の今日の意識から、日本の軍隊は一般的には優秀であったという事実まで否定しては歴史的ではない。後進国では軍は国民のもっとも進歩的な部分をなすが、日本でもメートル法や薬局法をおしすすめ、また寺田寅彦の賛美してやまぬ参謀本部の地形図を作成せしめたのは軍であった。海軍の開発した優秀な造船技術が、今日の造船世界一を支えるもととなっていることは言うまでもない。
同時に知らねばらならぬことは、日本の生産力が上がり、近代化が成功したのは、徳川時代の二百数十年におよぶ平和のうちに用意された国民の高い知的水準と技術のおかげなのであって、ここで私たちはふたたび平和の価値を認識するのである。一八六八年に大日本帝国は崩壊したが、一人一人の国民はその達成を体内に蓄積しつつ新しい時代を生きてゆく。そこに民族の歴史が実感される。