昭和の一桁頃
元々病弱であった妻もその二年後
後を追うように亡くなってしまった。
残された子供達は一番上で中学にあがって間もない長男と姉妹達。
若く働き手として期待できる長男は養子先として引く手はいくつかあった。
知り合いの子供のない薬局屋さんから養子に来ないかと誘いがあった。
長男は断った。
妹たちの養子先をきちんと用意してやる。
お前の親父の名字も残してやる。
その代わり、うちに丁稚に来い。
かけおちした罰があたったの嫌味を言われながら
頑張ればいつか教えてくれると言われながら。
少年は背は小さかったが
勉学にもまた真面目に励んでいた。
学校では級長となった。
その時の副級長と結婚することになるとは
この時は少しも考えつかなかったそうだ。
そう変わらない年の従兄弟達の面倒をみていた。
想像に難くない。
とくに一番下の子には兄さん、兄さんと呼ばれ実の兄よりも
懐かれていたそうだ。
拾ってやった恩だと言って少年の給料をピンハネしていたそうだ。
まだ妹の行方も全ては教えてもらえぬため
あの家には逆らえない。
隣の県へ引っ越した。
その後、年をとり、少年が老人となり、ついに亡くなったその日
飛行機で一番初めにかけつけたのはその丁稚先の従兄弟の一番下の子だった。
亡くなった少年、僕らのじーさまの上のような色々な話を聞けた。
そのじーさまのいとこが亡くなったとの知らせを聞いた。
いろんなしがらみの中で、それでも仲の良かった二人。
きっと今頃世話焼き大好きなじーさまが迎えに来てくれてると
そんな予感がする。