はてなキーワード: 肥大化とは
普段良いことばかりが強調されているので、日本で人気の仮想通貨について辛口評価しておきます。
あくまで個人的な評価となりますので、情報に誤りがある場合もありますのでご了承ください。
仮想通貨の中では一番まともだと思われているが、そもそも仮想通貨自体がまだまだ非常に不安定なものである。ビットコインは手数料の高騰や送金の遅延、ハードフォークによる混乱などを経験したものの、実は根本的には解決されておらず潜在的に問題を抱えていることを意識すべき。日本のビットコインコミニティは歴史が比較的長く、他の通貨コミニティに比べてまともな議論が行われているが、評論家のような人が多く開発者があまり目立っていないのが残念なところ。
Bitcoin Cash
ビットコインと比べて、現実的な方法で送金の問題を解決しようという挑戦は価値があるように思う。しかし、ビットコインと同じアルゴリズムを使っている以上は価格の下落による改ざんのリスクが顕在化する恐れがある。(もちろんビットコインも同じリスクがある)。日本のキャッシュコミニティは歴史が浅いこともあり、技術的な話には弱い印象があるが、それに気づかず情報が共有されているのは残念である。
システムとしてはある程度完成されているように見え良いもののように見える。しかしXRPに価値をつけようと言う最近の試みについては、自分の中のあらゆる解釈を用いても理解することはできない。
日本のリップルコミニティはほとんどが投資家であり、その議論にはあまり意味がないように思える。
Ethereum
あらゆる非中央集権的なプログラムを扱うチェーンになるのではないかとかなりの期待を寄せられているが、自分は懐疑的に見ている。現在チェーンは肥大化を続けており、現実的には複数のアプリケーションを扱えるようになるのか疑問だ。サイドチェーンなどいろいろな補助的な提案や開発が行われているが、理論通りに進むと考えるのは楽観的だと考えている。それらの開発が停止したり失敗した場合にはEthereumのチェーンの魅力は失われてしまう恐れがある。
日本のイーサリムコミニティはかなりの強者が集まっているように思えるが、難しすぎて自分が理解できていないので実際のところはよくわかっていない。
独自のシステムを持っており仮想通貨の多様性という観点でそこは評価できる。しかし、財団、開発者、初期に大量のプレマインを受け取った人の関係性が不透明な状況でXEMを売り出しているのは不健全である。また重要な部分のソースコードが非公開のため、NEMのあらゆる機能が正当なものなのか確かめるすべがない。ソースコードが公開されて初めて他の仮想通貨と同じ土俵に立つことができる。
日本のネムコミニティはクリエイティブな雰囲気があるが、客観視できる人が少なくて怖い。
チェーン自体には優位性を感じない。しかし周辺サービスは意外にも比較的発展していて小規模ながらも仮想通貨らしい経済圏を作っているのは評価できる。先日チェーンに対する攻撃が実際に成功し、ある程度対策がとられた現在であっても上記の仮想通貨に比べ攻撃のリスクがある。
日本のコミニティは意外にもビットコインと同程度の歴史を持っており技術などはよく知っているみたいだが、普段は関係ないことばかり話してるのであまり参考にならない。
ネガティブなことばかり書きましたが、これらは発展の途上なので今後解消されることもあるかと思います。また、デメリットがあったとしてもメリットの部分をうまく活用することは可能だと思います。
ファンアート見た感じ(https://megido72-portal.com/gallery/fun-art1807)
ゼパル
https://megido72-portal.com/megido/%E3%82%BC%E3%83%91%E3%83%AB
プロフィール:兵士のような姿をしたメギド(※1)。好奇心が強く活動的で物怖じしない性格をしている。
追放されてヴィータ(※2)の女の子となってからは、その性格もお転婆で落ち着きがなくガサツであると評されるようになってしまった。
ハルマ(※3)と戦うだけのメギドよりも、ヴィータとしての生き方に魅力を感じており、特に結婚というものに強い憧れを持つ。
※1…メギド:悪魔の事。このプロフィールで「兵士のような姿」というのはこの子の悪魔形態の話。
※2…ヴィータ:人間の事。仲間になるメギドは基本的に悪魔世界から追放されて人間として生活している。主人公はそのメギドの力を引き出す事ができる。
※3…ハルマ:天使の事。メギドの敵だけど、主人公はヴィータ側なので手をかしてくれたり、貸してくれなかったしする。ヒロインがこのハルマを使役する人。
マルバス
https://megido72-portal.com/megido/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B9
プロフィール:強い自己愛の持ち主で、美しい自分は実はハルマなのではないか、とイカレたことを主張して追放されたメギド。
ヴィータとなったのちは、金持ち一家の末っ子として大事に育てられた。
その恵まれた環境、恵まれた容姿は自己愛をさらに肥大化させることになった。
今でもハルマに憧れ、いつか自分もハルマニア(※)に行くのだと根拠なく信じている。
https://megido72-portal.com/megido/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%B9
プロフィール:清く正しく直情的。彼女は正義の塊のようなメギドだった。
ゆえに自身の追放が信じられなかった。他の追放メギドという悪を退治し続ければメギドラル(※)が誤りを認め、自身の追放処分を見直すに違いない。
追放メギドを狩ろうと決めたが、すぐに間違いに気づく。彼らは邪悪ではなかった。
つまりメギドラルこそが悪! 悪ならば討たなければならない!
が人気なのかな。
ゼパル、マルバスはゲーム内の最初に引き直し可能なガチャで手に入る中でも初心者が扱いやすいと評価されていて推奨されてるから、
ブラックジャックにおけるベッティングストラテジー(コインの掛け方)には幾つか条件がある
ギャンブルは幾ら勝っても良いが負けが連続すると資金が無くなる可能性があるため、ある程度負けが込んでも続けられる賭金、戦略が必要になる。
一説によるとブラックジャックを最適解でプレイした場合勝率は47%。
勝率47%での連敗確率は以下の通りである。(最後一桁は四捨五入)
連敗数 | 確率 |
---|---|
1 | 53% |
2 | 28% |
3 | 15% |
4 | 8% |
5 | 4% |
6 | 2% |
7 | 1% |
8 | 0,6% |
9 | 0,3% |
10 | 0,2% |
ちなみにパチンコで置き換えると
せめて1%である七連敗位は常に起こるものと想定して戦術を組むべきだろう。(そして連続十敗以上も起こり得る)
いわゆる「負け(勝っ)たら倍賭けにしていく手法。
100,200,400,800,1600,3200,6400,12800円となる。
128倍賭けを行うリスクを抱えるならそれまでに対処したほうがよほど精神的にも楽である。
毎回同じ金額を賭けた場合、カジノの控除率(取り分)の確率に収束していくので長く続ければ続けるほど負けていく。
上記二つはそもそもほとんどのギャンブルに適さない賭け方なので儲け目的なら行わない方が良い。
最初の金額を1単位とし、負けた場合は金額を据え置き、勝った場合は1単位上げる方法。
賭金を上げすぎて負けると大敗するため、勝利した場合の儲けを1単位程度に留めることが重要。
なので負け分を取り返したら1単位で賭ける、といったやり方になる。
例
回戦 | 賭金 | 勝敗 | 収支 |
---|---|---|---|
1 | 1 | 勝 | 1 |
2 | 1 | 勝 | 2 |
3 | 1 | 負 | 1 |
4 | 1 | 負 | 0 |
5 | 1 | 負 | -1 |
6 | 1 | 負 | -2 |
7 | 1 | 勝 | -1 |
8 | 2 | 勝 | 1 |
9 | 1 | 勝 | 2 |
連敗→勝ちと負けを交互に繰り返す→賭金の肥大化を防ぐためにプラスマイナスゼロになるポイントへ賭金を調節する必要がある。
計算が面倒くさいなのでメモを取りながらプレイしたほうが良いかもしれない。
5ドルを1単位とした場合、負ければ+1、勝てば-1して賭けていく手法。
連敗しても連勝しても資金の移動が緩やかなので長く遊べる。
負けたら右の単位で賭け、勝ったら賭金を「1→2,2→4,4→8」のように移動する。
2連勝した場合最初の1へ戻って掛け直し、8単位まで負けた場合も同様に1へ戻る。
全て負けたとしても31単位分の負けで収めることが出来、どのタイミングでも2連勝すれば収支がプラスになる。
ラ・プーシェル、キャンセレーションなど様々な名前がある方法。
最初にいくら勝ちたいかを想定し、その数を分割した数字を書く。
2,3,1,2,2
と書く。
そして両端(2,2)を足した数(4)を賭け、負けたら右端に書き足す。
2,3,1,2,2,4
そして勝つまで繰り返す。
勝った場合両端を消す。
3,1,2
そして繰り返し、最後に残った数(1)で賭ける。
最後まで勝てば目標金額を達成することが出来るようになっていて、賭金を細かくしたり多目に張ったりと自分で好きなように設定できる。
(1,1,1,1,2,4で10単位分の勝ちを狙っても同様の効果がある)
勝ち額を決めて行うことが出来る(可視化)出来るというメリットがある反面、負けが続いてもコントロールできないというデメリットがある。
なので損切が大事。
今のコミケをオリンピックに例えれば「すべての競技をメインスタジアムでやってる」状態だよね。
昔ならそれでも何とかなったのかもしれないけど、もう今となっては無理だと思う。
だから、オリンピックが競技ごとに会場を押さえるように、ジャンル毎なり開催日毎なり、細切れにして分散開催するべきだと思う。
切り分け方は上記のようには行かないかもしれないし、準備に必要な人的、物的、資金的なコストは会場の数に比例して増えるだろう。
けど、これからもコミケというイベントが成長を続けるとしたら、どうやったって一つの会場には収まりきらなくなる訳だし、むしろ今現在でもイベント規模の肥大化による弊害がいろいろあるわけだから、できる限り早く細切れに分割するべき。
お祭り感が感じづらくなることや、携帯電話のキャリアがテスターへの支払いゼロで負荷テスト出来る環境が失われることなど、反対意見も多数出るとは思うが、決断する時期に来ていると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20180609124213
不具合修正だけでアップデートするの嫌だったのでなにかないかと思っていたところ
自分がスターつけたブコメが一目でわかるよう色や印がつくと、自分が支持した意見や参考になった意見が一覧にできて、考えや参照情報が整理しやすくなると思う。あと、自己を客観視しやすい。賛同してくれる人いる?
それをそのまま実装した形です。
どこにマークするかはいろいろ試した結果、AddStarボタンの枠線に落ち着きました。目に付きやすいし同じブコメに意図せず複数回★付けるのを防ぐ意味で。色は黄色や青だと馴染んでしまうので赤です。
★自体にもマークするのはちょっとやりすぎかなぁと。うっかりデマにつられてしまって★消したいけど100個も200個も★付いてて探すの大変!ということはあるかもしれませんが。レアケースでしょう。
ちなみにinner_starというのは「★17★」みたいなやつです。HatenaStar.jsでそのように命名されてます。
使っているうちにこまごま見つかった不具合をちまちまと潰し、潰してはエンバグして、また潰し、とやってなんとか一段落しました。
不具合5は特に酷く、★フィルタ作成時に「色情報が入っていてそのままでは使えない」からこそaltでなくhrefから取得することにしたにもかかわらず、それをすっかり忘れてエンバグしてしまうのだから情けないこと頻り。忘れるのはわかりきっているので通常は当たり前でない処理にはコメントを入れて未来の自分に注意を促すわけです。今回は忘れることを忘れてしまってコメントを入れなかったのが敗因ですね。
mobile版含め落ち着いたので次は環境固有の不具合…と言いたいところですが報告のあったアドオンの組み合わせバグはどうしようもないかもしれないなと正直思ってます。まだ何も調べてませんが。うまく直れば「同一ユーザーの★をまとめる機能」と合わせて1.1.0をリリースしたい気持ち。お気持ちの表明。
政治的に影響を及ぼしたいから投票行く、って人見たことない。政治的に影響及ぼしたければ選挙に出ろ。
いったい何様だよ。ぼくちんの一票が無駄になって気分わるーい、ってか。アホか。そのうちこじらせてテロリストになるやつか。
投票という行為で莫大な人間が政治に関わっている、その数が一人でも多いことが、政治家への有形無形のプレッシャーになるんだよ。それが民主主義だ。政治家に政治を私物化させない、政治はおまえの私物ではないという恐れを持たせるために。そして、今の日本の政治家に一番欠けているものがそれだ。なぜか? こいつみたいに自意識ばかり肥大して社会的責任を考えないアホが多いからだ。わがまま坊やが多いからだ。
政治家が政治を私物化できない仕組みを作るため、先達が文字通り命がけで選挙という仕組みを作り上げたんだ。一票を投じる権利があるということがどれほど歴史的に見て貴重な権利か、ものを知らないおまえはそれを取り上げられない限りわからんのだろう。おまえが言ってることは詰まるところ「俺の意見をもっと聞け」というただそれだけの戯言だ。自分が一億分の一であることに耐えられない、と。それが「肥大化した自我」でなくてなんなんだ? それで批判だけはされたくアリマセン、と。真正の馬鹿だな。
投票が「権利」である限り、行使はお前の自由に委ねられている。だが投票に行かないことを正当化できるいかなる理由も存在しない。お前は自分勝手で不当な理由によりただただ「投票をさぼっている」だけの屑、それが事実だ。社会のお荷物、フリーライダーの一員、世間に対して何を訴える正当性も持たない人間、に過ぎない。どんな真っ当な意見であっても、それを述べる正当性のない人間の口から出れば説得力を失う。たとえば平気で車の窓からゴミをポイ捨てする人間が「環境問題」についてどんな真っ当なことを言おうと説得力をもたないように、お前が社会に対して何を言おうと、俺は「所詮選挙に行かない人間が何を言う」という目で見るだろう。お前は自ら選んでそうなった。そのことを忘れるべきではない。
昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識も素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。
来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。
それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。
チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。
昨年1月、松居大悟監督の映画「アズミ・ハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様を暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。
この映画の主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw
”不安を言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”
チャットモンチーというのが、かように豊饒な言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督のオファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。
それからYouTubeでチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。
それまでの俺の中でのチャットのイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年だから俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。
”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”
俺にはほぼ縁がなかったピュアピュアな恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラスが運動会の応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……
ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行ものに必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいたものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。
ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。
それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である。
“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”
スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラを放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我の肥大化に慢心もできる。しかし歌詞はこう続く。
“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”
そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱や栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。
この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。
さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか?
ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフトを惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己史認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉子作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A)
中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーそのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。
後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。
読書という荒野 (NewsPicks Book) 単行本 – 2018/6/6 見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9D1QVM/
今をときめく幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏による自社の社長アゲの一冊である。
元々、箕輪氏は双葉社で勤務していたが、その頃に見城氏にアプローチをかけ、『たった一人の熱狂』という書籍を編集した。
その際に見城氏に見初められて幻冬舎に転職し、その後、数々のヒット作をつくる。
つまり、元々この見城徹という男は箕輪氏にとって恩人のような存在であり、本書はいわばその「黄金タッグ」とでも言うべき二人による共同制作本なのだが、悲しいかな、文章は読みにくく、何とも昭和臭の漂う精神論やモーレツ主義が垣間見られる何とも言えない言葉が羅列され、かつ見城氏の既刊とも内容の被りが多く新味に乏しい。
つまり、純粋な編集能力や書籍の質という観点から言えば、高く評価することが難しい一冊であり、手に取った多くの方が後悔することになるであろうと予想される。
それでは、なぜこれだけ話題になり、勢いよくベストセラーへの道を突き進もうとしているのか。
そして、どうして箕輪氏の手がけた本は次々と売れていくのか。
そこには、彼がホリエモンから学んだ一種の戦略(スキーム)が存在する。
箕輪氏は「箕輪編集室」(通称”みのへん”)という名前で、自身のコミュニティを持っている。
そのコミュニティでは、箕輪氏を慕う約1000名の会員が月額でそれなりの会費を集い、イベント等に参加し、そして箕輪氏が手掛けた書籍をいちはやく贈られている。
メンバーたちは、書籍が発売される前に予め本をもらい、読み込み(あるいは読まないでいる方もいるかもしれない)、そしてAmazonに一気に星5個のレビューを書きまくる。TwitterなどのSNSでも盛大に感想を発信し、あたかも「大波が来ている」かのような演出に貢献する。
他のレビューで、この本を「News Picksメンバーにだけ向けた内輪本」と表現されていた方がいるが、非常に的確な指摘である。そもそもとして、この書籍は第一義的には自前のコミュニティメンバーに読ませることを意識してつくられているのだから。
さらに、箕輪氏の周辺にいるファンなども早い段階でAmazonの予約を入れ、人気ランキングを一気に押し上げる。
かくして、箕輪氏の担当した本は世に出た瞬間に、恰も「超話題作」であるかのような堂々たる風評を追い風に、勢い良く売れていく。
書店も利益を最大化したいもの。初速が良く「売れている」本は目立つように置き、堂々と展開する。
そして幻冬舎お得意、特大新聞広告などの宣伝と一気呵成の大増刷である。数万部を世に送り出して、「大ヒット!!」という流れをつくっていってしまう。このあたりの既成事実の作り方というか、本の勢いの出し方と売り伸ばす力は幻冬舎という版元が誇る最強の武器であり、出版不況の中で確実に結果を出しているのだから凄いとは思う。
かくして、クオリティとは無関係に、書籍のイメージと評判は肥大化し続ける。
そして、「どうやらこの本、人気らしいぞ」という噂に釣られた方々までもが買い求め、そして多くは失望していくわけである。
こうした「売り方」最優先のテクニックに走った商売をいつまで続けていくのだろうか。
根本的な編集能力を磨かず、ひたすらに勢いと話題性だけに頼った本づくりは、どこまで寿命が保つのだろうか。
これから箕輪氏のつくった本を手に取りたいという方は、冷静に立ち読みなどを通して内容と、そのクオリティを冷静に見極めた上で購入されることを勧めたい。さもなくば、期待した分だけ失望も大きいかもしれないから。
(1).正式版を発行する前に、作者や家族や子どもに下読みさせない。これらの人は、説明書の欠陥を見抜いてしまうからだ。中学生が読んでも分からない程度の難解な説明書なら、威厳が出てよい。
(2).ルールブック風に書き、レシピ風には書かない。「何が許容され、何が禁止されるか」だけを書き、「次に誰が何をどうすべきか」は読者に考えさせるべきである。道路交通法さえ読めば、自動車の運転は完璧にできるはずだ、と同じである。
(3).読者に「注意」させよう。「なお、〇〇に注意すること」と書くべきであり、「○○なら機械を止めよ」などと具体的な指示は書かないことだ。
(4).否定を使おう。「猫ではない場合」と書くべきであって、「犬か馬の場合と具体的なイメージが生まれる書き方はしない。
(5).堅苦しく書くこと。漢字を6個以上並べて熟語を作ろう。動詞は名詞化しよう。「歩く」ではなく、「歩行を行う」がよく、「歩行作業開始を行う」はさらによい。
(6).既存の説明書を参照させよう。読者が今読んでいるページで説明するのではなく、「詳しくは○○文書の○○ページを参照のこと」と、ページをめくる手間をかけさせるのだ。
(7).1ページあたり、10カ所ほどは下線や太字、傍点などの文字修飾を使って重要部分を目立たせよう。新聞記事では文字修飾は使わずに、小気味よい体言止めの大見出し・小見出しを使って、要点を目立たせているが、面倒だ。文字修飾は安直で、使い勝手がよい。
(8).絵や写真を絶対に使ってはならない。特に、部品の組み立て方などの幾何学的な指示や、良品と不良品の判別など実物写真があれば分かりやすい題材に対して、ビジュアルを使うのは厳禁である。何でも、言葉で表現しよう。
(9).説明書は、分厚く、長い方がよい。何でもちゃんと書いてあったというアリバイができるので、事故が起こっても説明書の作者は責任が問われない。どこに書けばよいか分からないが、書かないとアリバイにならないという情報は、「その他」や「注意事項」という章を作って、書き連ねておけ。「その他」が肥大化した説明書は素晴らしい。
(10).最後の1文で、どんでん返しをしよう。説明書の末尾に、「なお、○○の場合は上記の限りではない」と付けておけば、読者は最後まで気が抜けない。
(11).索引はつけない。PDFの説明書なら、キーワード検索ができないようにしておくこと。
(12).説明書の作成や改訂の理由や執筆者は書かないでおこう。そうすれば、数年もすれば、なぜこのようなルールができたのは誰も分からなくなる。
レベルが低いとか高いとかの話はしたいわけじゃない。レベルは相対的なものだし、別にどんなレベルの人が何をしていようがそれ自体は別にいい。
俺は何でもできるみたいな主張をしている奴が、実際に会って議論してみると学部生程度の理解しかしてなかったりコードが全然書けなかったりする。ビジネス理解?そんなクソみたいな奴に備わってるわけないだろ。偉そうに「自分の主張をしてくことが大事で〜」とか言ってるが、結局自分のことばっかりで周りのステークホルダーを含めてうまく物事を進めていけない局所解にいる奴らだ。所詮機械学習をやらせてもヘボい局所解しか見つけられない奴らだからお似合いだが。
そしてなぜかキャリア論みたいなのを語りたがる。何なのあれ?自分が時流に乗って比較的高待遇の職に就いただけなんだから語ることなんか無いだろ。世の中にお礼を言って感謝の正拳突きでもしとけや。
Twitterは文字数制限が厳しいから賢い人間に擬態できるというのが増長を促してるんだよな。中身はなくてもそれっぽい言葉を並べているだけで何か凄そうな感じがしてしまう。「線形代数は重要だから勉強しといた方がいいです」って、何を指してるんだよその線形代数ってのは。お前の言う線形代数は単なる単語としての線形代数でしかなくてその具体的な中身なんて皆無なんだろうな、いつまで経っても中身の話が出てこないから見てれば分かるよ。こういう奴らに限って「◯◯を勉強した」とか「◯◯を理解した」とか言ってるんだよな。でも考えてみたら別に間違ってるわけじゃない、こいつらは中身の話をしてるんじゃなくて単に言葉を知ってるかどうかだけの話をしてるんだから。そういう意味ではGoogle検索を使いこなしているのかもしれない、えらいえらい。
やたらとExcelとか人とのコミュニケーションとかを馬鹿にする層も被ってる気がするんだよな。圧倒的にそういうことをしてる人の方が社会を回してるんだけどな。市井のITリテラシーを考慮した代替案を出すわけでもなく、自分たちのやりたいことが通じる井戸の中でゲコゲコ言ってるだけ。無限井戸に落ちてシュレディンガー方程式でも解いとけ。
プログラミングに関してもやれクソコードとかこの言語のここがダメとかそんな話ばかり。所詮与えられたものの中でしか物を考えられず、しかもそれが大して深いわけでもなく、自分の薄っぺらさをただただ喧伝していることに気づいているのか?笑えるのがそういう奴らが国の施策とかでイノベーションを起こすみたいな話にダメ出ししてたりする。そんなに自信があるならお前らが行って企画立案実行してこいよ。オリジナリティの欠片もないお前らには税金使ってほしくないけどな。結局お前らは他人様に与えてもらった状況の中でマスタベーション代わりのリファクタリングでもし続けてるのがお似合いだ。
それとkaggleとか競プロが偉いのは分かったから、そこで学んだことが具体的にどうやって活かされてるのかもっと教えてくれよ。傍から見てると会社の金を使ってゲームしてしかもなぜか自信満々で偉そうにしてるようにしか見えないわ。お前らは事業の何に貢献してんの?
学生もヤバい。なぜかは分からないが自信満々に社会や会社がどうのこうの言ってる。若さゆえのイキリもあるんだろうが、あまりにも社会がどんな仕組みで出来ているかに考えが及んでない奴らが多すぎる。「みんなたくさんお金もらえた方がいいよね」みたいなただただ自明な話をさも俺いい指摘をしてるぞみたいな感じで書いている。その後にある現実の課題とその解決策に関してはまるで空虚。学校で何を学んでいるのだろうか?アカウントの中身は中学生が運営してるんだなという理解に落ち着いた。
そして自分の能力を客観的に理解できてない点もヤバい。社会人が世の中の売り手市場で戦っていくためにする「最近の学生は優秀」みたいな根拠ゼロの話とか高待遇でオファー出したりするせいで、完全に勘違いしている。お前らにそんな価値はないんだよ、大体教科書とかネットの知識を薄く身にまとってるだけなのに物事を深く理解してると勘違いしてる奴らにできることなんてたかが知れてんだよ。バイトの待遇を上げろ?社会が態度だけは一丁前で大したことができないバイトの奴らの面倒見るのにどんだけコスト掛けてるか分かってるのか?何もできないから金払って大学に行って学ばせてもらってるんだろうが。
言うに及ばずだがちゃんとした人ももちろんいる。Twitterだと声がデカい奴が目立つのであまり観測されないが。
虚ろで肥大化した自己像を他者に認識させるのが戦略的にはいいんだししょうがないよな。デカい声でTwitterという肥溜めにクソを撒き散らしていくのがこの界隈での生存戦略なんだ。何で実際の自己との不一致に悩んで精神を病まないのか?感心するくらいだよ全く。
彼女は”一目惚れ”と”運命”を理由に、すべてを投げ出して俺達の元へ来た。
そう、そんな理由で俺達を愛してくれるのだ
俺達は何も考えられなくなって、瞬く間に彼女に惹かれてしまう。
底なしの泥濘だ。足を取られたら急激に沈む。
もがく気すら起きずに沈み続ける。恐らくは恍惚に。
さて、俺達はどうしてこんなにも彼女に惹かれてしまうのだろう?
だから俺達がどんな外道だろうと、歪んだ性癖の持ち主だろうと、
精神疾患を患って無職のヒモになろうと…とにかくなんであろうと、
例え彼女にとってどれだけ悲しいことを俺達がしようと、
最後には許し、愛してくれる。
極端に狂った愛とも言える(愛は肥大化すると狂う傾向にある)。
だが、なぜこれほどまでに彼女は俺達を愛してくれるのだろうか。
価値観の一致、一定期間の付き合い、魅力がある、信頼関係、出産した我が子…etc.
しかし、「佐久間まゆ」が俺達を愛する理由は”一目惚れ”と”運命”だ。
いや、仮にそれを理由に人を好きになったり愛したりしたとしても、
ここが重要点だ。
俺達が現実世界でどんな人間であろうと、決して蔑んだりせず、必ず愛してくれる。
お気づきだろうか。
社会、学校、家庭、あらゆるところで虐げられ、愛に渇望した人間達が生み出した存在だ。
決して否定しない、そのままを肯定し、受容し、無条件に甘美な愛を捧げてくれる…
そう、それが愛の具現化「佐久間まゆ」の正体だ。
愛を愛してしまうと、一生、抜け出すことはできない。
何でかっていうとツイッターのフォロワー数がやたら多いからなんだよね。
アホかこいつって思うかもしれないけど、俺の態度はフォロワー数が増えるたびに傲慢になっていくのよ。ひしひしと感じてるのよ。
バズってる呟き見て、こいつ俺のことフォローしてるんじゃないか?っていちいちチェックすんの。
フォロワー数が100とかだと「雑魚が」って思っちゃうの。何が雑魚なのかは俺も分からんけど。
ほんで最近、俺と仲良くしてくれてる人が明らかに距離取ってるのね。
俺は傲慢だけど嫌われたくはないのよ。どうしたらいいの?
自分で「謙虚になれ、優しくなれ」って言い聞かせても効果ない。
誰か助けてくれ。このままじゃ俺はフォロワー数はやたら多いのに1人ぼっちになってしまう。
俺を正してくれ。誰か。
天井の梁に打ち込んだ金具に通したロープが輪を作ってる。踏み台に登った人物が輪に首を通している。首からぶら下がろうとするが踏み台を蹴る最後の勇気が出ない。
何か辛いことがあったわけではない。ただただ憂鬱で何もかもから逃避したくて死ぬことにしたが、それだけでは死ぬ理由として弱いのか踏み台を蹴るところまで踏ん切りがつかない。
かと言って生き続けるにはいろいろ細かいことだが辛いと思う気持ちは変わらない。どうしたらこの辛さと付き合っていけるのか、できることなら誰か今すぐ殺してくれとも思う。
何が辛いのかと聞かれて思うところを吐露しても他の人からすれば「そんなことでいちいち悩むなよ」と言われそうなことばかり。でもひとつひとつのことに対する感じ方は人それぞれでわたしの場合小さなことでも気にして、解決策を大げさに考えて色々思い悩みどんどんドツボにはまっていく。
小さなことにこだわるのは自分が状況に絡んでいると思い、自分の行動に影響が出るからという意識のしかたで、これはかなり肥大した自慰意識の産物として自分が物事の中心にいるという思い上がりから来ているのだと思う。
こうした自分を中心に考える肥大した自意識は根拠もないのに無駄に高いプライドのせいでもある。
子供の頃は比較的知識量が多く「ものしり博士」との異名があったし、経済的にそれなりに豊かな家庭で大事に育てられた結果としての自意識が肥大化したのだろう。
つまり肥大化した自意識が自らを軽んじられることに強い否定的感情を持ち、そうした扱いを受けることにショックを受けているのだろう。それが憂鬱を招き自殺念慮を誘発する。
健康な心の動き方ではない。傷を受けた心に脳のセロトニンシステムの不具合が影響してか堂々巡りの考えは気づかないうちに心の傷を広げてしまっているのだろう。
今までも辛いことがあれば逃避のための自殺を何度も考えてきた。何度も死ぬことを考えては「いや、この用件だけは済ませてからにしたいから」とその用件がある日までは生きようとしてなんとか切り抜けてきた。
だけど今年に入ってから寒い時期に調子が落ちていたせいもあるにせよ、死ぬことを思う頻度がかなり上がっている。仕事が悪影響を与えているのは明白なんだが、いろいろあってようやくありついた転職なのでなんとかしがみつきたいとも思う。