天井の梁に打ち込んだ金具に通したロープが輪を作ってる。踏み台に登った人物が輪に首を通している。首からぶら下がろうとするが踏み台を蹴る最後の勇気が出ない。
何か辛いことがあったわけではない。ただただ憂鬱で何もかもから逃避したくて死ぬことにしたが、それだけでは死ぬ理由として弱いのか踏み台を蹴るところまで踏ん切りがつかない。
かと言って生き続けるにはいろいろ細かいことだが辛いと思う気持ちは変わらない。どうしたらこの辛さと付き合っていけるのか、できることなら誰か今すぐ殺してくれとも思う。
何が辛いのかと聞かれて思うところを吐露しても他の人からすれば「そんなことでいちいち悩むなよ」と言われそうなことばかり。でもひとつひとつのことに対する感じ方は人それぞれでわたしの場合小さなことでも気にして、解決策を大げさに考えて色々思い悩みどんどんドツボにはまっていく。
小さなことにこだわるのは自分が状況に絡んでいると思い、自分の行動に影響が出るからという意識のしかたで、これはかなり肥大した自慰意識の産物として自分が物事の中心にいるという思い上がりから来ているのだと思う。
こうした自分を中心に考える肥大した自意識は根拠もないのに無駄に高いプライドのせいでもある。
子供の頃は比較的知識量が多く「ものしり博士」との異名があったし、経済的にそれなりに豊かな家庭で大事に育てられた結果としての自意識が肥大化したのだろう。
つまり肥大化した自意識が自らを軽んじられることに強い否定的感情を持ち、そうした扱いを受けることにショックを受けているのだろう。それが憂鬱を招き自殺念慮を誘発する。
健康な心の動き方ではない。傷を受けた心に脳のセロトニンシステムの不具合が影響してか堂々巡りの考えは気づかないうちに心の傷を広げてしまっているのだろう。
今までも辛いことがあれば逃避のための自殺を何度も考えてきた。何度も死ぬことを考えては「いや、この用件だけは済ませてからにしたいから」とその用件がある日までは生きようとしてなんとか切り抜けてきた。
だけど今年に入ってから寒い時期に調子が落ちていたせいもあるにせよ、死ぬことを思う頻度がかなり上がっている。仕事が悪影響を与えているのは明白なんだが、いろいろあってようやくありついた転職なのでなんとかしがみつきたいとも思う。