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2016-05-30

大坂城落ちた日本死ね!!!

何なんだよ日本

真田日本一の兵じゃねーのかよ。

日見事に大坂城落ちたわ。

どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。

金バラまいて浪人集めて全国に激飛ばして豊臣の世を復活させてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?

何が元和偃武だよクソ。

子供産んだはいいけど希望通りに天下継がせるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。

内通してもいいし兄弟で別の陣営付くのもどうでもいいか軍勢増やせよ。

大仏で何百億両無駄に使ってんだよ。

梵鐘とかどうでもいいか城砦作れよ。

有名な坊さんに払う金あるなら城砦作れよ。

どうすんだよ自害しなくちゃならねーだろ。

ふざけんな日本

軍勢増やせないなら石高200万石にしろよ。

軍勢も増やせないし石高も65万石しかないけど徳川なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ

大名軍勢集めないでどうすんだよ。

金があれば戦うってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか出陣にかかる費用全てを無償しろよ。

内通したり徳川手紙送ってるやつ見繕って家臣団を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。

まじいい加減にしろ日本

2016-03-23

真田幸村手紙

はてなでは楽しく視聴されている方が多そうですね。

ちょっと記憶あいまいではあるのですが、真田高野山の話をします。

2年ほど前に高野山にお参りに行きましたが、そこで真田幸村手紙を見たんですよ。

高野山霊宝館という、見ごたえのある展示物が数多いのに、人はわりと少なく静かでいいところでした。

高野山といえば、九度山真田の隠れ里。

仏像曼荼羅とともに、彼の手紙も展示されていたんですよ。

内容がまたしゃれている。

「どこそこの坊さんに呼ばれているが、腹もくだっているし、あまり行きたくない

知略や武勇とは程遠い隠遁生活や、本音をもらすチャーミングな人柄がしのばれました。

坊さんのところに行かずに済ませるための言い訳かもしれませんが、なんと「腹がくだっている」と。

増田向きな内容でありますし、ふと思い出し書き記したしだいです。

それではまた。

2016-01-17

真田丸が良い

真田丸はほんとにいい。

 

まず主人公まわりがやたら現代的な価値観ゴリ押ししてこないのがいい。

天下とったわけでもない分際で反戦平和みたいなのを口に出す連中にはうんざりしてたんだ。

お仕着せのメッセージ性なんかいらん。ドラマが見たいのだ。

ポリティカリー・コレクトネスなんかいらん。そんなものはティッシュで丸めて捨ててしまえ。

メッセージ性のために精通するかしないかみたいな子供がやおら天下国家を語り出すようなのは脚本とも言えぬわ。

ティッシュ以下である

その点真田丸お茶の間共感ポイント「家族」に絞られてて、自然に見ていられる。

まぁ戦国では「家族だいじ」みたいなのだって通じないご家中もあるにはあるんだけど……。

真田家でやるぶんにはリアルと言っていいんじゃないかと思う。

 

かといってシリアス一辺倒ではない、現代っぽいノリのホームコメディ感もまた良いのだ。

大河コメディタッチはなにかと軽侮されるので扱いが難しいんだけど、

たとえば真田昌幸の老獪な食えない男っぷりを演出する描写とかと一石二鳥になっていて、

戦国ガチ大河ニュアンスとうまく共存してござると思う。

史実の読み込みから抽出してきた笑いどころを混ぜてるから妙な嫌味が出ないという気がする。

真田家の男たちがみんな演技一発でコメディシリアスの切替えを伝えられる巧者なのも効いている。

コメディシリアスの相乗効果が出てると言ってもいいくらいである。

 

たぶん真田丸も表面的なコメディ性の高さで一部には侮られる運命にあると思うんだけど、

時代劇リアリティって究極的には言葉遣いとか時代考証とかじゃないんだよ。

話としての面白さと納得性があれば、リアリティなんか後からついてくるのだ。

現代人に通じる言葉遣い、当時の自然言葉遣い、いかにもな時代劇語、

豪華絢爛なビジュアル、当時の自然生活感、過去作品オマージュ

あらゆるものを時宜に応じて適切に織り交ぜて、「面白い」と思わせれば勝ちなのだ

そうなれば多少の嘘は勝手に補完して見てもらえるし、

気づかれても演出必要だったと視聴者の内心に擁護する気持ちが芽生えるのだ。

言い換えるなら、内なる「重箱の隅つつきマウンティングマン」が死ぬのだ。

 

戦国幕末なんかを題材に取ると、得てして重隅つつきマンとの激しい戦いになりがちで、

定説配慮するあまり「後世完成した人物像」に寄せすぎた雰囲気キャラ作りになることもあるんだけど、

真田丸に限ってはそこに陥る心配もなさそうである

あくま脚本で描かれる人物像に沿ったキャスティングで、

家康なんていかにもまだぴちぴちの若だぬき感が残ってる感じで良い。

信長が生きてるうちからもう天下とってますが何か?みたいなオーラ全開の家康にも辟易していたのだ俺は。

明日とも知れぬ身の上の人間たちが織りなす群像劇から面白いんじゃないのか、戦国は。

せっかく一年やるのだから、役の成長を考慮に入れた演出も見たいのだ。

 

もちろん重隅つつきマンにも役立つ面はあるのだけど、そのへん話しだすとキリがないのでやめる。

とにかく真田丸は良い。良いだけじゃなく新しさも出る気がする。

でもそのへんを判断できるのはまだまだ先になりそうである。楽しみだ。

 

殺陣について言えば、もっと血が出たり腕や脚や首が転がるようなやつのほうが好みなんだけど、

今のところ妥協してます

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107132115

わざわざ相手に伝わらない「信繁」呼びをして悦に入ってる歴オタのうざさよ。

まあ大河で「真田信繁」が人口膾炙すればいいがね。

赤備えはそもそも武田イメージ真田は元武田家臣で、井伊は武田遺臣を引き継いだという繋がり。

赤備え - Wikipedia

2015-12-13

NHK放送されてもいいんじゃないか?って深夜アニメ10

アニメEテレ再放送されるってんで話題ですが、まあ他にもこれいけるんじゃね?ってのはありますよね。

まああの局昔からいろいろアニメ放映してるんで、そもそもNHK向きってのが何なんだよって話ではありますけど。

んでまあ子供が見てもよさそう、健全そう、っていう作品をいくつかピックアップしてみました。(健全ってなんだ)

ちはやふる

これはもう有名すぎるほど有名な競技かるた漫画ですね。NHK的にはCCさくらで有名な浅香守生監督作品でもあります

いわゆる「スポ根ものであり、老若男女に自信を持って薦められる傑作です。

マンガアニメ化としては文句なしといえる出来で、素晴らしいです。

ていうかなんで日テレはこれを全日帯で再放送しないんですかね。金田一の枠にちはやふる放送してくださいよって前から思ってます

君に届け

これまた有名すぎるほど有名な少女漫画。そしてこの作品ものすごいピュアというか、めちゃくちゃ「健全なお付き合い」してる恋愛漫画です。

最近子供が見れる時間帯での少女漫画アニメが減りましたね。少女向けアニメ自体は元気なんですけどね。基本的玩具販促モノがメインです。

たぶん商売にならないんでしょうね。そういうときNHKには頑張ってほしいものです。

他にも「神様はじめました」「暁のヨナ」などの花とゆめ作品とか、少女漫画アニメ化最近深夜が多くて、なんだかもったいないなあと思うところ。

たまこまーけっと

一言で表しづらいなんとも難しい作品なんですけど、まあ「心温まる」系の作品といっていいんでしょうかね。

映画の「たまこラブストーリー」はわかりやすお話なんですけど、こちらはちょっと面白さを説明しづらいですね。

こういう独特の雰囲気を楽しむ感じの作品ってどうにも魅力を伝えづらいところがあるんですが、NHKにも「おじゃる丸」「カスミン」のような独特な雰囲気を持った作品というのがあって、

京アニ作品だったら「日常」よりもこっちの方がNHK向きかなあと思ったりはします。

よみがえる空 -RESCUE WINGS-

NHKというか学校の教材として使っても良いレベル作品です。ただ、重たい話なので、中高生以上向きですかね。

航空自衛隊小松基地舞台に、航空救難団小松救難隊の活躍を描いた作品で、航空自衛隊制作協力をしています

最近アニメやらなんやらでいろいろと言われがちな題材ではあるんですが、綿密な取材によるリアリティを追求した描写は本当に素晴らしいの一言

自衛隊アピールするんならこっちをもっと推した方がいいんじゃないかとも思うんですが、まあそれは置いておきまして。

月姫」「神様のメモ帳」などで悪評が目立つ桜美かつし監督作品なんですが、これを見ているか見ていないかで評価はかなり変わってくるのではないかと思っています

放課後のプレアデス

魔法少女もののようであり、ジュブナイルのようであり、SFのようであり、ガールミーツボーイな作品です。

視聴者の予想を裏切る展開が予測されがちになってしまった「魔法少女モノ」の中で、少女の成長をメインに最後まで真っ直ぐ綺麗に突っ切った作品です。

子供向けというか、子供に見てほしいって思えるような作品ですね。SF的な要素が少々小難しいですが感覚でなんとなく見れるようになっていますし。

ただまあ、大人が子供に見せたいって思うものほど、子供は見たがらないんですよね。

つり球

コミュニケーションが苦手な主人公真田ユキが宇宙人ハル釣りに誘われたのをきっかけに成長していく作品です。ボーイミーツボーイですね。

主人公のユキ君の成長の描写がとても良いです。釣りに楽しみを見出し、少しずつ仲間を見つけていく過程がとても丁寧。

夏休みとかに放送されたらとてもいいなあ、と思う次第であります

TARI TARI

P.A.WORKSが手掛ける、青春オリジナルものの第3作。少年少女青春を描いた気持ちの良い群像劇

まあ、同じく廃校阻止系青春ものですしね。いけるでしょう。

true tears」「花咲くいろは」と比べると爽やかさでは頭ひとつ抜けてます合唱が題材というのもNHK向きなところ。

有頂天家族

京都舞台に、下鴨家という狸の一家とそれを取り巻く人間やら天狗やらを描いた森見登美彦原作アニメ

なんとなくスタジオジブリを思い浮かべる人もいるかもしれませんけど、まあ当たらずも遠からずって感じではあります

家族もの」なのでアニメオタクというよりファミリー向けの作品なんですよね。

すごい面白いんですけど、深夜アニメビジネスには向かないよなあって作品こそNHKが取り上げるべきものなんじゃないのかとも思うところであります

大正野球娘。

これまたニッチなところのチョイスではあるんですが、面白いんですよ。

大正時代末期を舞台に、女生徒たちが野球に挑む作品

女性社会進出」という観点から見ても面白いんじゃないかと。NHKって朝ドラとかでそういうの好きですしね。

この作品、けっこう時代考証がしっかりしておりまして、大正時代描写が非常に丁寧です、NHK的にそれ重要

涼宮ハルヒの憂鬱

NHK向きとかそういうんじゃなくて、普通にいずれ放送しそうっていう話。Eテレとかは無理としてもBSとかでね。

とらドラ!とかもあり得そうな感じです。現在セーラームーンとかベルばらとか放送してるんでいつかは深夜アニメもそうなるんだろうなという希望的観測

2015-08-26

殺戮天使」をやってみたが、おそろしくつまらなくて困った

まだ誰も主人公以外の登場人物が出てこない進行状態だが、意味不明でつまらない。

霧雨が降る森」もつまらなかったが、霧雨の時以上にやらされてる感が強く、前作からの後退っぷりがひどい。

一応脱出ゲームの体だが、仕組みが雑すぎる。何故通せんぼされてるのか、何故通れるようになったのか、全くつながらない。

作者の真田まこと氏は作文能力も乏しく、以下のテキストを読むと小学生レベルと言わざるをえない。

非常口のマークがあり、その横に

EVエレベーター)通路』と書かれている。

しかし、扉にはカギがかかっている。

しかし、カギ穴などは見当たらない。




本作の添付ファイルにはクレジットに「■Editor」として2名(稲葉ほたて、斉藤大地)記されているが

彼らは何故こんな出来で通してしまったのか理解に苦しむ。

おそらく商業展開の前段階としてフリーゲームの公開を行っているのだろうが

それに見合うだけかと考えると、どうしても疑問が浮かんでしまう。

2015-08-10

今更、キミキスアニメについて

今更だが、キミキスアニメを語る。

キミキス ~Pure Rouge~」は酷評されている。


曰く、キャラ改変。

曰く、ストーリー改変。

曰く、オリキャラ


それらをやり玉に挙げ、黒歴史とし、ヤシガニキャベツエンドレスエイトなどと一緒に語るのをよく見かける。

判る、どれも言ってることは理解できる。

でも、あの作品が一番に傷つけたのは、そういう物ではない。

あの作品が傷つけたのは、TLS系譜を組む、あのシリーズ本来持っていた、ファンに愛された、存在理由のものだ。


真田光一は酷い主人公とされ、「全部嘘だった」が有名だ。

ヒロイン星乃結美」は、なんだかわからないシナリオの都合で、最後に振られる。

転校を前に・・・


そう・・・・転校を前に・・・





ありえるか?

TLSシリーズ作品がだ。

【それまで付き合っていた】転校するヒロインを一瞬で振って、「摩央姉が良い」とノタマウのだ。

もちろん、TLSでは転校するのは自分であって、ヒロインではない。

でも、キミキスゲームで転校設定が出たときシリーズファンは誰もがTLSを思ったはず。


この作品がやったのは、原作レイプなんてレベルじゃぁないんだよ。

キミキスまで連なるTLSから系譜

そういうものの、否定なんだ。

シリーズの完全否定なんだよ。


途中からシナリオが摩央姉に傾いているのはわかってた。

でもまさか、転校ヒロインの結美と二股にして、結美を振るとかやらんだろと、どこかで思ってた。

でも、やりやがった。


当時の怨嗟渦巻く罵詈雑言の中でも、この点言及する人は少なかった。

シリーズファンの人は少ないのかなと思って黙っていた。

でも、また最近黒歴史の流れで名前を見かけたので、吐露したくなった。

あの流れなら、結美は友達ルートにすべきだった、決して、決して恋愛ルートにすべきじゃなかった。

2014-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20140927113327

たまたま記事が目に入ってきたのですが、思うところがあったので書かせて頂きます

当方関東のどこかに住んでいる二十代後半男で、歴史ウェブサイトを立ち上げる為に頑張っているところです。

仕事柄いろんな場所に行き、地域の裏山なんかに眠っている中世の城跡の歴史などを調査する為に茂みの中に入って行く事が多いのですが、

中世の城跡、つまりかつて戦国時代軍事拠点であった場所地権者って、代々農業を営んでいる方が大変多いのです。

それはなぜか。

私自身の話が分かりやすいかと思うのですが、私の実家のお墓は地域小高い山の上にあります

地域に数件ある増田家の墓のみがその小高い山の上にあり、増田家以外の墓の多くが同じ地域の低地にあるお寺の敷地内にあります

てっきり増田家は地域の爪弾きもので、いじめられっこだったのかと勝手に思っていましたが、

どうやらその墓地周辺が中世戦国末期の城跡の主郭付近であり、増田家はその城主だった、とのこと。

そして現在増田家は、やはり農家江戸時代は庄屋さんで地域でも裕福だったが、やはり農家

なぜ農家になったのか?

調査してみると、豊臣による小田原征伐が原因らしい。

まず増田家は、地域の駅名に名が残るぐらいの地域の小領主

仮に小寺家しますが、小寺家の重臣として召し抱えられて、現在実家近辺の統治を任されていたとの事。

その小寺家は隣の隣の隣ぐらいの町拠点とする赤松家(当然仮の名)によって追放され、

増田家は赤松下り(前述の低地のお寺は赤松菩提寺末寺)、その赤松

当時関東平野制覇を目論む小田原の後北条家にやがて下ることになる。

北条家は赤松家を頭としその地方一帯を統治する◯◯衆を組織し、

増田家もその◯◯衆のメンバーとして、引き続き実家付近拠点統治を続けたとのこと。

そして問題小田原征伐。豊臣とその取り巻きにて小田原を包囲し、関東地方一帯の小田原方の城郭が同時に攻撃を受ける。

上杉前田真田に攻められた八王子城惨状や、忍城成田家の奮闘はこの時の事で、うちの実家付近拠点は簡単に落城

増田家の筆頭は小田原城に籠もり、◯◯衆として勇敢に立て篭った、のかもしれない。

そして小田原北条家は滅亡し、関東統治ネットワークはそのまま徳川家に与えられ、関東には徳川の家臣が流入してくる。

元々関東のそれぞれの地方統治してきた◯◯衆の大半はその際に潔く農業を取り仕切る庄屋層に転身し、

残りの一部は徳川への仕官を申し出てたりして引き続き武家である事にこだわり続けたとさ。

かくして、関東の大半の武士農家になり、少数の徳川家臣による統治を受け入れた。

この話を土地の古老に話したりすると、忘れ去られていた「イエ」の記憶を取り戻したようで、いたく感動される方が多い。

また逆に、「当家は代々武士家系・・・。」といった方に話をすると、複雑な顔をされる方が少なくない。

身分は固定されたもので、名前とともに受け継がれるようなイメージ漠然と抱いている方に多いのですが、

「単に先祖徳川方に付いて頑張っただけ」というストーリーに聞こえ、どうも「武士家系イメージに合わないらしい。

・・まあ元々が漠然としたイメージなので仕方の無い事ですが。

(ちなみにこれらは関東の話ですが、土佐長宗我部と一領具足の結びつきが幕末坂本龍馬時代まで尾を引いた事を考えると、全国各地である事なのでしょう。)

この話を踏まえて、血筋とは何なのか。

「イエ」の物語やその教訓は代々守り伝える限り残るが、

遺伝的な意味での「血筋」がはっきりと出るのは数代の限りなのではないかと考えている。

まり大事なのは家庭内での教育

農家さんの多くが確かに自分たち自身を「ただの百姓」と呼び、学も無く品格も無い、と自虐的に語るが、

失われた歴史ストーリーとしてお教えすると、生き生きと誇りを取り戻す。

しかしながらそれまで受けてきた教育は変わらないし、次世代に何を教え残すかも教育者としての自分次第。

ちなみに「農民」で一括りにされる事が多いですが、庄屋層は江戸時代からかなり恵まれ教育環境にあったとのこと。

うちのばあちゃんも地域で唯一女学校に行かせてもらえたらしく、単に士農工商かいファンタジーではくくる事が出来ない場合が多い。

家庭環境の違いは生まれによって確かにあり、教育の質は当然大きく変わってくる。

また、「武士家系」という代々受け継がれる「イエ」の物語が作り出す誇りと自信も大きいのかもしれない。

千葉県の某所にやはり「武士家系・・・。」という誇り高き地主タイプの方がいらっしゃいました。

その方の家はやはり小田原北条家に仕えていたとの事でしたが、なぜか江戸時代を通して武家として、徳川から本領を安堵されていたとの事。

何だろうな・・・。と思い調べてみると、何の事は無い、北条家に仕えながらも徳川家と内通をし、小田原征伐では豊臣側に付く代わりに、本領安堵約束をしていたという(うろ覚え)。

武士家系物語が作り出す誇りというものも、割と中身の無いものである

(ただし、これも一つの歴史であり、武家としての「イエ」の歴史を守る、という意味では尊い決断なのかもしれない。)

教育の質に関しては、言わずもがなであるが、近代的な教育人材登用システムが構築されてからはそのシステムをよく理解している事が肝心なのは当たり前で、

教育水準の高い家には、良い教育方針と良い物語が備わっているのかもしれない。

物語」によって得られた誇りを胸に、立身出世を志す感覚が備わっているかどうかは大きい。

教育の機会も家庭の経済状況などに左右されてきたが、時代とともに様々な仕組みが生まれてきた。

貧困理由とした教育機会格差問題は、薄められてきた。「志」の教育を出来ているかが大きいと思う。

最後大事になるのが、攻略法教育。つまり受験」というペーパーテスト人材登用システム攻略法を伝授できるか否か。

現代引きこもりの人々は、高い志を母親、あるいはテレビ漫画から植え付けられてきたのに、

攻略法を持たないのでその理想現実ギャップ屈辱感にまみれて腐っていく。(かなりもったいないと思う。)

そして、教育とは代々受け継がれるもの。早く気づいた方が有利なのは、間違いない。

明治時代から気づいている家庭もあれば、最近気づき始めた家庭もあるだろう。

伝統的な教育方針物語血筋の内と考えるならば、血筋ってのははある所にはあるのかもね。

ウェブサイト来年ぐらいには公開できたらいいなあ。)

2014-09-27

最強の戦国武将は誰?

最強の戦国武将は誰?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース

戦略的にではなく戦術的な最強であることを念頭に置く。

真田幸村

上杉謙信武田信玄はその実力を証明する大舞台にとうとう立てなかった。歴史に「たられば」はない。「もし謙信関ヶ原の戦いに参加していたら」「信玄大坂の陣で戦っていれば」そういった仮定は無意味だ。最強の力を持っていたのだとしても、発揮する機会がなければ、それは無いのと同じなのだ

それでは誰がその機会に恵まれたのか。やはり真田幸村をおいて他にないだろう。長きに渡る戦国時代の、最後にして最大の晴れ舞台において、最も活躍したのが幸村なのである。その一事はそれだけで彼を「最強」せしめるものであると考える。

大坂の陣においては毛利勝永を推す声もある。端的に言って幸村を疎むオタク逆張りしかないと思う。勝永の奮闘を否定するわけではないが活躍の度合いではやはり幸村が上だ。有名な「真田を云いて毛利を云わず」も幸村が一、勝永が二である前提での言であるし。

大坂の陣と並ぶ大舞台である関ヶ原の合戦において名声を高めたのは島津義弘であるが、こちらは敵中突破と言っても本陣を突くとみせかけて脇へ逃げたようなものであるし、大勢が決したあとで東軍も本気では追わなかったということもあるので、いくらか劣るように思われる。

真田信繁」という呼称に妙にこだわる連中がいるが、通りの良い「幸村」で何ら問題ないだろう。

以上により「最強の戦国武将」には真田幸村を推す。

以下、二位と三位を挙げる。

島津家久

先に島津義弘名前を出したが、島津ではやはり家久が群を抜いている。耳川・沖田畷・戸次川の三戦での活躍(耳川では総大将ではなかったが)は、河越・厳島桶狭間の三大合戦を一人でこなしたに等しい、と言っても過言ではない。結果的九州内に留まる活躍に終わったため次点とするが、一部隊を率いての戦いでは最強であったのだろう。

毛利元就

大内尼子といった大大名との戦いに明け暮れながらも自らが兵を率いれば不敗という戦勝率、小領主から身を興して中国地方を丸ごと次代に遺した領土拡張率は凄まじい。総合力での評価で言えば秀吉と並んで間違いなく最強の一角である。ただ、元就の強さはやはり戦術面にとどまらぬ謀略や政治的な部分が大きいわけであり、「戦術的な最強」という趣旨にはそぐわないために三位とする。

2014-09-20

[]一世一元の伝統

山中郁子君 だから一世一元というのは千三百年の伝統じゃないんですね、これを御確認なさいますかということを伺っているわけです。

政府委員清水汪君) 私からただいまの大臣の御答弁をもう少し補足して申し上げたいと思いますが……

山中郁子君 そうか、そうでないかだけでいいんですよ。エンドレステープはいいです。

政府委員清水汪君) 一世一元ということは、つまり天皇の代がかわることを一つの契機として元号が改められるということを意味するわけでございますが、そのような元号の改まり方というものは先ほどもお話にありましたように、すでに千三百年来の伝統の中にいわば含まれていたということが言えるわけでございまして 元号歴史と申しますのは、一世一元あるいは変わり方としてはそのほかの変わり方、御在位中の変わり方ということも含めまして、元号というもので存続をしてきたと、このように理解をしておるわけでございます

山中郁子君 だから、私最初に申し上げましたように、私たち質問することにちゃんとまともに答えてくださればいいんです。いまお話伺ったのは、私もももうたくさん伺いました。そして衆議院議事録も読みました。要するに一世一元というのは千三百年の伝統ではなかったんですね。そのことを確認してくださいということを申し上げているんです。

政府委員清水汪君) 一言でという御要求でございますが、やはり元号の長い歴史というようなものでございますので、なかなか簡単には言い切れない面があろうと思いますけれども、ただいま申し上げましたように、代がわりによる改元ということも含めて元号は千三百年の伝統を持っているというふうに申し上げることができると思います

山中郁子君 委員長から御注意いただきたいんです。私は一世一元が千三百年の伝統ではないんだな、そのことはそうでないならそうでないと言ってくださいと質問しているんです。御注意してください。

政府委員真田秀夫君) 御質問者のさっきからの……

山中郁子君 法制局関係ないじゃない。

政府委員真田秀夫君) 御要求がございましたので、一言で申し上げますと、一世一元が制度として確立したのは明治以来でございます。その前には天皇御一代の間に、もう何回も改元が行われ、最も多いんでは元号が八回も九回もあったことはございます一世一元が制度として確立したのは明治以来でございます

山中郁子君 制度として確立したのは明治以降だと、だから少なくとも制度としての一世一元は千三百年の伝統ではないと、こういうことですね。

政府委員真田秀夫君) 元号制度日本でずっと行われておったのは大宝以来なんです。それが千三百年近くなります

山中郁子君 そんなこと聞いてない。質問に答えてくださいよ。そんな答弁されたら質問できませんよ。

政府委員真田秀夫君) そこで、御質問者一言でお答えしますと、一世一元が制度として確立したのは明治元年以来でございます

第087回国会 内閣委員会 第12号

昭和五十四年五月二十九日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html


国務大臣三原朝雄君) いま審議室長が申し上げましたように二十数代の天皇の際にはそういうこと、一世一元の制をおとりになったということは史実の上に明らかになっておるわけでございますが、しかし、いま申されましたように、それが一代の中に数回の改元がなされたりするようなこともありましたので、それを合理的に適正な方法でということで、明治以後におきましては、それを一世一元でいくぞという方針がとられたということは御指摘のとおりだと思うのでございます

山中郁子君 行政官布告詔書にそういうふうに書いてあるということの確認をいま求めたわけで、そういうふうに書いてあるということですね。

国務大臣三原朝雄君) はい

山中郁子君 確認なさったわけですね。ちゃんとそういうふうにわかるように言ってくださいね

 そうしますと、いままでの、皆さんが千三百年の伝統とおっしゃる元号はだれが決めてきたのか。

国務大臣三原朝雄君) 当時は側近の輔弼の任に当たる者が原案策定をして、天皇にこれを申し上げてまいったのでございまするけれども、最終的には天皇がお決めになると、そういうことでまいったと受けとめておるわけでございます

山中郁子君 天皇が決めたということについての例外はないわけですね。その決め方の中身に多少の違いはあるということは何回もおっしゃっていましたけれども、例外はないわけですか。

政府委員清水汪君) 私どもが理解をしております範囲では格別の例外はなかったように思います。もちろんいまお言葉のように実質的には、たとえば将軍家による影響というようなことはもちろん間々見られたところだというふうに学者などの解説があるところでございます

山中郁子君 そうしますと、一世一元は伝統ではなかった。天皇が決める、つまり勅定ということは千三百年の伝統であると、こういうことになるわけですけれども、伝統を重んじてということから言うと、どうして天皇が決める、そうすると当然天皇が決めると、こういうことになるのが伝統を重んじることになるんじゃないですか。どうして天皇が決めるということにならないんですか。今回の元号法案、伝統を重んじて出したという元号法案。

政府委員真田秀夫君) どうも山中先生一世一元が伝統だというふうに私たちは言っているわけじゃないんでございまして、元号という制度、これはもう千三百年に近い伝統があるということを言っているわけでございまして、天皇が決めるとかだれが決めるというんじゃなくて、元号制度を存続させるというのが実は今度の法案のねらいでございまして、だれが決めるということにそうわれわれはこだわっているわけじゃなくて、いまの憲法のもとにおいて、これは民主的な制度のもとでございますから国会で法案をおつくり願って、その御委任を受けてそして政令で決めるということでありまして、元号から天皇が決める、それが伝統であって、そうでなければ元号という制度になじまないとか、そういう気持ちは毛頭ありません。そういう気持ちで法案をつくったんじゃございませんので、もう国民の大多数の人が元号制度を残したいと、将来にわたって。そういう国民の御希望にこたえて元号制度を残すと。で、だれが決めるかどうかというのは、それは日本の歴史を見ますと、先ほど審議室一長が申しましたように、最終的には天皇がお決めになったという歴史はあります。ありますが、しかし、それはいまの憲法制度のもとでは天皇がお決めになるというわけにはまいりませんので、それで法案をお出しして国会でお決め願うと、最終的な決定権を国会にゆだねて、そしてその御委任を受けてその都度政令で決めるという手続をこの際はっきり認めておらうというのが現在国民要望にも合い、かつ現在憲法精神にも適合するという気持ちで法案を起案したわけでございまして、決して天皇が決めなければ元号とは言わないなんというような気持ちは毛頭ございません。

山中郁子君 だれも天皇が決めなきゃ元号と言えないじゃないかなんて言ってないんだから、よけいなことは答えていただかなくていいんだけれども、要するに、そうすると天皇が決めると憲法問題があると、憲法違反だと、こういうことですね。

政府委員真田秀夫君) いまの憲法のもとにおける天皇国家機関としての天皇の御行為につきましては、これはもう御承知のとおり憲法に列挙してある、天皇憲法に定める国事に関する行為のみを行うと、そういうふうに書いてございますから元号を決める権能を天皇に与えるというような法律をつくることは、これはいまの憲法のもとではもうとても考えられない事項でございます

山中郁子君 だから天皇が決めるということは憲法違反なんですね。

政府委員真田秀夫君) 天皇元号の決定権を与えるような法律をつくることは憲法違反でございます

第087回国会 内閣委員会 第12号

昭和五十四年五月二十九日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705291020012c.html

2014-01-28

豊臣秀次が継いでいた場合徳川家は詰んでいる

最上伊達は完全に秀次シンパになっていて、上杉も豊臣方安定だから東北方面から家康へのプレッシャー半端ない

越後は堀、信州は天敵・真田甲斐秀次とも縁が深い浅野で、東海道秀次付の宿老達の構えときていて中部方面の対徳川対策も申し分なし。

徳川から攻めるのはほぼ無理な状況で、自然石川数正的な離脱だったり、お家騒動だったり(徳川家徳川家で子沢山かつ仲悪くて大変)、

北条の遺児の復権運動も間違いなくありそうだったりで、徳川領土維持するのも大変つか、わりと詰んでいる。


ま、逆に秀次を殺したことで、連座して最愛の娘を殺された最上義光は命を懸けて徳川応援することになり、伊達も豊臣家の秩序に見切りをつけるようになった上、

甲斐浅野幸長は徳川のとりなしで流罪の身から釈放されたことで恩義を感じるようになり、東海道が一気に豊臣家内での位置を大きく下げた元宿老達

秀次事件ではなだめるためかむしろ加増してもらってるケースが多いにしても)のたまり場になって、その状態で秀吉が死んじゃうものから

ほんと豊臣家にとっては自殺行為徳川家にとっては天佑だったとしか言いようがない

2013-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20131219010746

いくら2chチビハイドだ真田だと妄想しても

現実の160台男のビジュアルは猪瀬、アキバひき逃げ加藤小谷野敦だもんな。

そりゃ背丈だけでも人並みにあった方がいいよな。

2013-12-19

なんJのチビ男が真田広之を持ち出して「チビでもイケメンなら余裕」と傷を舐めあってるが、かえって男のチビコスパの悪さを証明している件

126: 風吹けば名無し 2013/02/11(月) 02:23:29.69 ID:IwUk1x8y

平均身長171の日本

キムタク 171 ±0

真田広之 165 -6

岡田准一 165 -6

平均身長176(日系除く)のアメリカ

トム・クルーズ 165 -11

アルパチーノ 164 -12

こう見るともっと小さくても余裕で売れるくらいや


143: 風吹けば名無し 2013/02/11(月) 02:29:02.04 ID:zyJqhx3r

>>126

トムクルーズ日本で言うと160くらいなんや

もっと小さいであろうチビノリダーとか浜田岳も最近ドラマ出まくってるし小さかったら小さいで個性として生きるんちゃうか?



真田広之って三十年以上前デビューしたんじゃなかったか

他にチビ二枚目オッサン俳優って見た事ないし、身長170未満は日本人の成人男性のうち4割もいるのに

170㎝未満で息の長い有名二枚目俳優が出現するのは、数十年に一度以上の長期スパンじゃねーか、

現実は170未満のチビ人口の99%以上が脚光を浴びずに誰にも相手にされず

チビの勤め人やチビ派遣工やチビフリーターチビニートとして人生を終えるわけだ。

半面、日本の成人男性の一割程度しかいない180以上は、俳優だのモデルだのまあまあおいしい位置にいる奴が多い。

芸能人だけじゃなく野球などのメジャースポーツ選手とかもそうだろ。

体がデカいだけで、才能も素質も凡庸なのにプロになったりそこそこいい位置だったり長いキャリアだったり。

そもそも身長わずほとんどの人間が一般社会就職して生きていくわけだから

チビリーマンとかチビフリーターチビ工場派遣とか何一つ得しないわな。

しかおっさん芸能人だってほとんどが平均以上の身長

チビ日本人成人男性の四割もいるのに居場所だけは限りなく狭い。

あとトムクルーズが他者との身長比較で165㎝だと判明してる画像ってどれなんだ?

自分身長をどう捏造しようが、周囲との比較で実寸や鯖読みが簡単にばれるのは

芸能人の実寸や鯖読みを認定したがるチビ男が一番分かってるはずなのに

それでも自分身長はサバを読んでしまう(170未満でさばを読まない男は皆無)所に

チビコンプレックスとそれに付随する不安定な精神を見たね。

有名人特にイケメン系)に対し「実はかなりサバ読んでる!実寸はこんなに低い!」認定

日本人の成人の平均身長を171に固定(実際はここ二十年以上、171と172を左右している)

2chなど匿名ネットにおけるチビ男の特徴がいくつも出現。

チビ仲間を少しでも増やしたいんだろうな。


最後に。

真田広之レベル顔面(あと演技力英語力とアクション力)じゃないと

イケメンだと認めてもらえないって、チビ人生ってすごくハードモードだよな。

ちなみにアクションに関しては十代~二十代と

千葉ちゃん直々の訓練や危険撮影天守閣から飛び降りなど無理難題をこなし

常時怪我が絶えず、毎日死を覚悟していたとのちに述懐している。

高身長だと小栗や豊悦レベルでの顔でもイケメン扱いされていい思いしてるのに。

岸部一徳とか棒読みで目の細いフツメンなのに明らかに身長で得してる。

チビだと真田ハイド(化粧&フォトショがないと通用しない)レベルの顔じゃないとイケメン扱いされない。

岡田准一なんて顔面、声質、演技力、まじめで温厚で勉強熱心な性格

どれも今の同世代の中ではずば抜けてるのに、いまだに代表作を生み出せないのは明らかに身長のせいだろ。

歌手業のついでに、たま~に俳優活動して大ヒット作をいくつも生み出した

全てにおいて可もなく不可もない凡庸な才能の福山と比べると、ますますチビコスパの悪さが浮き彫りにされる。

やっぱ男のチビが一番悲惨

整形とか植毛でもどうにもならんしな。

2013-11-15

戦後最高の二刀流野球選手真田重蔵(重男)

小鶴誠の161打点を抜けるかというスレhttp://blog.livedoor.jp/rock1963roll/archives/3936491.html)で、


>とはいえ、水爆打線の9番こと真田重蔵の甲子園優勝投手かつリーグ優勝投手かつ甲子園優勝監督かつ通算178勝の方がぐうレジェンドな気がしてならない。

ちなみに小鶴が161打点とった時、真田は3割打って39勝してるので、こっちがMVPオーナーが早とちりして揉め事になってる


というコメントを見て、驚愕したので少し調べてみた。

まず、1950年の成績は、真田重蔵 39勝12敗 防御率3.05 : 打率.314(172-54)  2本 36打点 2盗塁  OPS.839。

ちなみに、シリーズ39勝は現在にも残るセリーグ最多記録である異論はないであろう戦前最高の二刀流選手・景浦将が

1937年春に11勝5敗 防御率0.93 :打率.289(190-55) 2本 47打点 7盗塁 OPS.887

なことから、草創期の基地外じみた成績に匹敵できるレベルの成績を残していたことが分かる。

これに加えて、ノーヒットノーラン2回、甲子園優勝投手で最多の通算178勝(次点桑田真澄)というのもとんでもなさをあらわしている。


ま、投手の通算打率ネット上に落っこちていても、単年度はあまりなく、もしかしたら、金田正一とか藤本英雄とかがもっとすごい成績を残しているのかもしれないけど、

投手をしながらこれだけの打数で、打率3割を超えているというのはやはりあり得ないケースなんじゃないだろうか?(桑田24-8で、2003年打率.333を達成してるけど)

ということで、大谷君は真田重蔵を目標にするべき。そして、引退後は花巻東で優勝旗を取ってもらいたい

※と思ったら、別所というレジェンド1948年に26勝10敗 防御率2.46 : 打率.340(150-51) 4本 27打点 0盗塁 OPS.852、

1950年に22勝11敗 防御率2.55 : 打率.344(151-52) 4本 28打点 0盗塁 OPS.915をしてた模様。とはいえ、それでも匹敵する辺りが怖い。

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2012-12-04

魔法科高校の劣等生テニスの王子様について

http://anond.hatelabo.jp/20121204195754

魔法科厨が釣り記事を書く。

作者はテニプリをしっているのかどうか。

101に柳と真田がいるのは置いておくとして。

なんていうか

まゆみ=幸村、まりさん=真田リンちゃん=柳という。

十文字手塚

良く考えたら似てないな。むしろ会長まりさんリンちゃんはキャラデザがそれっぽいだけなのか。

じゃあむしろ石田可奈さんが……

2010-11-25

彼女が死んだ話

 僕が雪村に出会ったのは、大学研究室新入生歓迎会ときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。

 彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。

 僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。

真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」

 先輩なりのジョークである

 それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプ女性だった。

 でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女趣味読書で、好きな作家恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸講談社ノベルスあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督スタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサージブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間カウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。

 僕はといえば、好きな作家星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画ジャンプチャンピオンヤングジャンプヤングマガジンスピリッツモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。

 雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説漫画も。

 その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。

 次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったか講義を無視してペーパーバックを読んでいた。

 勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。

 それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城デートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。

 そして初めて彼女から漫画を借りた。『夢幻紳士』だ。

 これはおもしろかった。本当に。

 それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山ゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。

 でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りしまう。

 東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。

 彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。

 病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾン小説漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸道尾秀介舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者感謝しながら、ヴォネガットカポーティフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆき藤田和日郎増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス時計じかけのオレンジタクシードライバー

 そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。

いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。

 でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。

「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。

 そんな口調じゃねーよ。

2010-08-05

歴女と呼ばれたくない女たち

mixiコミュニティに「歴女という言葉に抵抗を感じる」「歴女と呼ばれたくない」と主張するような所が現在2箇所存在する。

【参考】アンチ歴女http://mixi.jp/view_community.pl?id=4125741

    「歴女」と呼ばないで!http://mixi.jp/view_community.pl?id=4252795

コミュ内の書き込みを見ると、いくつか共通するものがあるので挙げてみる。

 

・「歴女」という言葉に敏感に反応する

 (例えて言うなら、ゴキブリを見たら瞬時に嫌悪感を示すような感じ)

戦国無双もしくは戦国BASARAが好き

(どちらかと言うと、無双ファンが多いような気がする。切欠はゲームだけど”今は”史実が好きです、という感じの誰得なアピール)

・「ずっと昔から戦国時代に興味があった」と”長年好きだった”事を強調する

 (歴女扱いされたくないが為に、ここ最近ゲームを切欠にハマった事を揉み消すかのようにも思えてくる)

・「真田幸村じゃなくて真田信繁です!」…等、いちいち細かい所を偉そうに主張する

 (あとは、「ゲームでは●●だけど”史実では”○○ですから!」…のようにゲーム世界マジレスして史実の知識をひけらかす)

大河ドラマ観光客招致を狙ったイベントに苦言を呈したくなる

 (「”明らかに”あのドラマ腐女子向け」「あのイベントは”どうせ”歴女狙い」…等、何かと決めつけたくなる)

・「史跡巡りでのマナーがなっていない!」等、マナールール啓蒙する

 (「●●は止めてほしい!」「こういう人が居ると(真面目に史実を愛してる)私達も一緒の扱いをされるので困る」…等、被害者妄想垂れ流し)

 

一言で纏めると、「同族嫌悪は見苦しい」と言った所だろうか。

男性歴女嫌悪感を示すのは致し方無いと割り切れるが、

女性がこうも嫌悪感丸出しにされると「女子特有のネチネチとした感情」が丸出しになってるせいか物凄い不愉快さが滲み出ているような印象。

 

現在は割と控え目に主張活動を行っているそうだが、

以前、真田氏を敬愛する史学科専攻の女性が、歴女ゲーム歴女、果てには歴ドルタレントを木っ端微塵に叩きまくっていた。

ちょっと嫌味を言うレベルではなく、気に入らない存在を片っ端から罵倒するような見苦しいものだった。

歴史ファンが多く在籍するコミュニティイベントトピックにて、歴ドルさんご本人が自ら出演するイベント宣伝しに来た所、

その歴ドルを非難するかのような文言を垂れ流すという、空気の読めない発言を長文で垂れ流していた。

イベント宣伝行為に興味が無ければスルーすればいいものの、何故か叩かずにはいられず、人目を憚る事無く自己主張。

その毒丸出しのコメントアンチに嫌気を差し人達が苦言を呈したようで、現在は一応大人しくしているようだが…、

「気に入らない物事を徹底的に叩き上げ姿勢」を見ると、こういう人が将来、歴史研究家を名乗って活動するのかと思うと………。

 

余談だが、アンチ歴女コミュメンバー参加者コミュニティ一覧を見ると、

ほかのアンチコミュや「戦国時代が好きなオタク女子。」…等、オタクコミュに参加している人達が多いせいか、

言っている事に説得力が無いというか、主張に矛盾が生じているように思えてくる。

「同じ穴の狢」とはこういう事を言うのだろうか。

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