真田丸はほんとにいい。
まず主人公まわりがやたら現代的な価値観をゴリ押ししてこないのがいい。
天下とったわけでもない分際で反戦平和みたいなのを口に出す連中にはうんざりしてたんだ。
ポリティカリー・コレクトネスなんかいらん。そんなものはティッシュで丸めて捨ててしまえ。
メッセージ性のために精通するかしないかみたいな子供がやおら天下国家を語り出すようなのは脚本とも言えぬわ。
ティッシュ以下である。
その点真田丸はお茶の間共感ポイントが「家族」に絞られてて、自然に見ていられる。
まぁ戦国では「家族だいじ」みたいなのだって通じないご家中もあるにはあるんだけど……。
かといってシリアス一辺倒ではない、現代っぽいノリのホームコメディ感もまた良いのだ。
大河でコメディタッチはなにかと軽侮されるので扱いが難しいんだけど、
たとえば真田昌幸の老獪な食えない男っぷりを演出する描写とかと一石二鳥になっていて、
史実の読み込みから抽出してきた笑いどころを混ぜてるから妙な嫌味が出ないという気がする。
真田家の男たちがみんな演技一発でコメディとシリアスの切替えを伝えられる巧者なのも効いている。
コメディとシリアスの相乗効果が出てると言ってもいいくらいである。
たぶん真田丸も表面的なコメディ性の高さで一部には侮られる運命にあると思うんだけど、
時代劇のリアリティって究極的には言葉遣いとか時代考証とかじゃないんだよ。
話としての面白さと納得性があれば、リアリティなんか後からついてくるのだ。
現代人に通じる言葉遣い、当時の自然な言葉遣い、いかにもな時代劇語、
豪華絢爛なビジュアル、当時の自然な生活感、過去の作品のオマージュ、
あらゆるものを時宜に応じて適切に織り交ぜて、「面白い」と思わせれば勝ちなのだ。
そうなれば多少の嘘は勝手に補完して見てもらえるし、
気づかれても演出上必要だったと視聴者の内心に擁護する気持ちが芽生えるのだ。
言い換えるなら、内なる「重箱の隅つつきマウンティングマン」が死ぬのだ。
戦国や幕末なんかを題材に取ると、得てして重隅つつきマンとの激しい戦いになりがちで、
定説に配慮するあまり「後世完成した人物像」に寄せすぎた雰囲気のキャラ作りになることもあるんだけど、
家康なんていかにもまだぴちぴちの若だぬき感が残ってる感じで良い。
信長が生きてるうちからもう天下とってますが何か?みたいなオーラ全開の家康にも辟易していたのだ俺は。
明日とも知れぬ身の上の人間たちが織りなす群像劇だから面白いんじゃないのか、戦国は。
せっかく一年やるのだから、役の成長を考慮に入れた演出も見たいのだ。
もちろん重隅つつきマンにも役立つ面はあるのだけど、そのへん話しだすとキリがないのでやめる。
とにかく真田丸は良い。良いだけじゃなく新しさも出る気がする。
でもそのへんを判断できるのはまだまだ先になりそうである。楽しみだ。