はてなキーワード: 好景気とは
須田慎一郎氏の講演会があって聞いてきたんだけど、いやあすごかったわ。プロはやっぱりすごい。
ツイートはするな言われたけど(もちろん冗談だと思うが)増田ならいいよね?国会にも出てるし。そこでプロはすごいと思った2点を話す。
自分も政治経済にはそれなりに興味をもって接しているから、いろいろな経済の動向を知っているつもりでキーワードは抑えていたんだけど、ぼんやり認識していた部分をここまで分かりやすく端的に表すのは流石プロだわ。年間100本こなすらしいから、当然といえば当然だが。
納得したところ
と言うことであった。
正直、アベノミクスが第二弾になって、そういえば失敗失敗と言われている「トリクルダウン」が確かになくなった。その後、経済対策はばらまき系になった、と認識していたのだが、須田氏の見立てでは、新しいアベノミクスの本質は、一般に、と言うか、少なくとも自分がは福祉政策だと考えていた一億総活躍社会の方にあると言う。
一人当たりの給与は伸びない。トリクルダウンが起きないのなら、そういった「質」の向上よりも「量」として、世帯収入を伸ばそうとしていると言う。
なるほどな、と思った。これは安倍首相が再三唱えてきた「イエ」を重視する姿勢にも沿っているし、なるほど分かりやすく腑に落ちる分析に思う。
今までぼんやりと考えていたことが、ひとまとめに繋がって腑に落ちた感じで、流石政経の専門家だと思った。
これが政策として良いかというと色々と議論は有り、突っ込みどころとしては
などがあるが、これはこの日記の本質じゃないのでとりあえず置いておきます。
ヤクザの専門家じゃないんですね(途中でご本人もネタにしてたので)
年間100件以上の後援会をこなすという須田氏なのだが、一番最初に掴みからはいって、枕の「やわらかい」話から始まる。
そこで、楽屋裏のような話や、親友と言う他のジャーナリストの方、さらにはこの金がなさそうな講演会のギャラまでネタにして、上手いこと話を混ぜていく。さらに受講者の年齢層や、反応などを見ながら話を組み立てて言っているらしい。
落語のつかみみたいな。
一応原稿っぽい話が入ったクリアファイルを持っているのだが、それを広げた形跡がない。パワーポイントなども使わない。ただ、前に立って喋るだけ。これは講談師や落語家に通じるモノがある。トリクルダウンの説明をするときにちょっとだけ水を飲んで見せた以外、途中で水分の補給もせず、90分喋りっぱなし。
眠くなって眠っちゃうひとがでる、と言う講演会あるあるや、会場の人たちをちょっとずついじる姿なども、漫談家というか私はちょっと綾小路きみまろ氏みたいなプロ司会を思い浮かべた。
もちろん、内容は先ほど書き出してみて気づいたのだが、結構堅い話なのだ。きちんとガチの経済の話。それを引き込ませて、満足度の高い内容をやるというのは流石プロという感じである。
また立ち振る舞いもなれたもの。100件もやってりゃそりゃもう、と言えばその通りなのだが、実った稲穂ほど頭を垂れるとはよくいったっもので、きちんと周りに配慮をしており、いすを引いてくれた係の一にちょっと挨拶をしたり、公演の最後には深々と頭を下げて回る様子なども、印象に残る。
そして講演が終わったら、のこって妙なことにならないようにさっと退くなども見事だった。
また、正直それほど大きな影響力のある寄り合いでは無かったし、おそらくギャラなどはネタになるぐらい安い(と言うか、半公的機関みたいな団体なのでめっちゃ安いはず。はてなで話題になったら総叩きになるぐらい安いはず)のに、きちんと最後の交流会まで出席していくのである。
いやあ、そもそも顔が怖いひとだから、ひとよりきちんと丁寧に礼節を尽くしてこないと誤解される感じだったのかなとか余計な事まで思った。俺もそう言う感じなので見習いたいと思う。
プロってしゅごい。
実は予習で須田氏の本を買って読んだのだが、おそらく客層で変えてきたのでずいぶん印象が違い、「需要に応える講演」って自称されていたけど流石だと思った。
惜しむべくは、自分はすでに電子書籍派であったため、買った本は裁断して自炊してリサイクルしてしまっており、サインをもらい損ねたことだ。つうか交流会出るとか思わなかった。こういうひとさっさと帰るイメージがあったのに。こんなことなら2冊買ってサインもらえばよかった。
書いてみてわかったのは、はてなブックマークで月間1位を取ろうが年間ランキングに入ろうが世の中には何の影響もないということです。あきらめましょう(挨拶)
とは言え、ひさしぶりに参議院選挙前に何か書こうかなーと思いつつモチベーションが上がらずにいたら世界同時株安が起きたので、これにからめつつあれこれ書いてみようかなーと思います。ただ、国内の政治状況は変わってないですし、結論はたいして変わらないと思います。
リンク先のタイトルに書いてある政党がなくなったとか言われても知りません。
というわけで、まずは上記のエントリー冒頭部分を引用します。とても大事な前提なので。
ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。
単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレが問題なんでしょうか。
そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます。
物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります。企業は利益を出すためには費用も減らさなければいけません。
今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。
物価が下落したのと同じ割合で社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。
正社員の給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金の下方硬直性」と言います。
リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。
結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります。
企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。
これがデフレを問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます。
物価上昇率と失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります。
==========ここまで引用==========
引用部分から続く2014年のエントリーで私は、現政権の金融政策(世の中に出回るお金の量を調整)を肯定して財政政策(どこから取ってどこに配るのか)と成長戦略(規制政策とか産業政策とか)を批判しました。
当たり前ですが、その内容は今回も変わりません。
まずは、最近よく聞く「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」という話についての議論から始めてみようかなと思います。
引用部分で、「リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をします」と書きました。
収入が変わらずに物価が下がるのでお得です。この状況が、実質賃金が上昇しているということです。
物価より先に賃金が動くことはありません。商品の値段を変えたからといって、会社の給与水準はいちいち変動しないですよね。
ほとんどの企業では多くても年に1回、春闘の時期に給与水準が変わるだけです。
だからデフレ下では短期的には実質賃金が上昇し、失業しなければお得ですが、失業者がその分の割を食います。
長期的には、デフレのせいで給料が上がらないので失業しなくても損するのは皆さんご存知の通りです。デフレスパイラルというやつです。
そして、デフレ下で金融緩和をして世の中に出回るお金の量が増えて利益が上がっても、企業はすぐに給料を上げるわけではないので、物価が上がった分、実質賃金は下がります。
利益が出る前に給与水準を高くする企業なんてあるわけないんだから当然なんですが、でもこれがむちゃくちゃ大事です。物価が上がるのが給与水準よりも先なので、まずは実質賃金が下がります。
下がった分だれが得をしているのかというと、それまで失業していて新しく雇用された人たちです。
失業率が高いうちは、給料を上げなくても新しく雇えるので賃金はなかなか上がりません。失業率が下がり人手不足になり労働市場が売り手市場になってはじめて給料が上がっていきます。
だから「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」とか主張するのは本当にやめたほうがいいです。
マクロ経済をきちんと学んだことがある人間には「デフレに戻せ」と言ってるのと同じに聞こえるんですよ。
じゃあ、どういうふうに現政権の経済政策を批判してどんな主張をすればいいのかについて書いていこうと思います。
クルーグマン、スティグリッツ、ピケティといった名前を聞いたことがある人はそれなりにいるかもしれません。別に知らなくても何の問題もないです。
クルーグマン、スティグリッツはどちらもノーベル賞を受賞した経済学者で、日本では今年3月に安倍首相が相次いで会談を行ったことがニュースになりました。
ピケティは2014年12月に日本語版が出版された「21世紀の資本」の大ブームで日本でも有名になりました。
ちなみに、上記リンク先のエントリーは2014年11月、ピケティブームの直前に書かれたものです。(エッヘン)
そんなことはどうでもいいんですが、この三人のマクロ経済政策に関する主張はかなりの部分でとても似ています。
三人とも主流派経済学の左派に属する人たちなので、まー当たり前っちゃ当たり前です。
どういうものかというと、失業率が高い状況においては、金融緩和と大規模な財政出動をすべきというものです。
金融緩和についてはもう問題ないと思います。世の中に出回るお金の量を増やさないといけません。
その上で、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)については、財政出動(たくさん配ること)を主張しています。
金融緩和によって実質賃金はいったん必ず下がります。この実質賃金低下の影響が大きい層、つまり給与所得者層(中でも特に低所得者層)に配るんです。
必要な段階とはいえ、物価が上がったのに給料が変わってない人は消費を抑えようとしますよね。
せっかく出回るお金の量を増やしたのにうまく循環しないと困るので、実質賃金の低下の影響を財政出動によって和らげるんです。
当然、このタイミングでの消費税増税は、愚策中の愚策です。消費を増やすために財政出動しなければいけないのに、逆にその層からたくさん取ってどうすんだって話です。
現政権の経済政策について批判しなければいけないのはこの財政政策の部分です。
雇用は増やしたけど再分配がまったくできていない、むしろ逆行しているから、低所得者向けの積極的な財政政策をもっとやれという批判の仕方をすべきです。
金融緩和や実質賃金低下を批判しても、雇用を増やしてほしい人たちからの支持を失うだけです。
別にすべての人が経済政策について全体像を理解してなきゃいけないなんて私はまったく思っていません。
ただ、マスコミ、知識人、ジャーナリストなどの、情報や知性のハブになるべき人たちが、必要に応じてその時々できちんと説明できればいいだけです。
そして、経済の話については、ここがものすごく弱いところです。
マスコミに期待するのは無駄だとしても、他の分野の話については専門的・学問的な知見の積み重ねに対して謙虚な人でも、経済の話だとまったくそれを無視するのってなんでなんでしょう(泣)
クルーグマンでもスティグリッツでもいいから入門書を一冊でも読んで全体像を理解して、その全体像の中で個別の論点をそれぞれ掘り下げればいいのにと思うんですが、権威のある経済学者の言葉から、自分の思いつきにあてはまる部分だけでパッチワークを作ってばかりで、知識人とかジャーナリストって勉強嫌いなんですか?
いちおう私について言っておくと、学者でもエコノミストでもなんでもなく、ただの経済学部出身者です。むかしひととおり学部で全体像を学んだことがあるだけです。
知識のハブになる人たちは、「経済学者にはわからないだろうが」みたいなマクラのポエムを書く暇があったら現代の主流派の通説ぐらいは知っといてほしいです。(偏見まみれ)
さて、イギリスが国民投票の結果、EU離脱派が勝利しました。イギリス人が移民に雇用を奪われたことが原因だと言われたり、でも実際に移民が多い地域では残留派のほうが多かったりといった状況で、いろんな人が理由を分析しています。
私も、私なりに思い当たる理由を書いてみようと思います。というか小見出しにもう書いています。
財政赤字削減を公約に掲げて2010年に首相になった英保守党キャメロン首相の「改革」が、間違いなく理由のひとつになっていると考えています。
名誉白人様ことめいろまさんがEU離脱を解説した一連のツイートを読むとわかりやすいんですが、都市部のインテリ(気取り?)は、失業率増加や公共サービスの低下を移民増加と直接的に結びつけて理解していることがよくわかります。
移民が多い地域でむしろEU残留支持が多かったことからもわかるように、緊縮財政政策(政府がなるべくお金をつかわない政策)による不景気、公共サービスの低下が、なんとなくのイメージとしての排外主義を加速させるという意味で、経済学の視点からも学ぶことの多い出来事だったと思います。
クルーグマンの言葉を借りれば「欧米が日本の失策から学ばずに、日本よりひどい失策をしたことに対する反省と皮肉」というやつです。今度は日本が失策からきちんと学べるといいですね。
ここはちょっと箸休めです。あんまり関係ないから読まなくてもいいです。
よくニュースなんかでも使われる「財政再建派」という言葉があります。財政再建派という言葉は、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)において、増税(特に消費増税)による税収増と緊縮財政を主張する人たちに使われる言葉ですが、すごく誤解を招きやすい言葉だなーと思っています。
消費税を増税すれば、増税した年の財政赤字を減らすことはできますが、消費を落ち込ませることにより不況の原因になります。
15年以上にわたるデフレ不況によって増え続けた国の借金を、単年だけの税収増でどうにかできると考えるなんて無理があって、好景気による税収増を続けていくことでしか財政再建は成功しないと私は考えているので、せめて「増税優先派」とかにしてくれないかなと思ってしまいます。
財政再建すべきという目的は変わらないのに、片方を「バラマキ派」、もう片方を「財政再建派」と呼ぶのはいくらなんでもなぁとよく思います。
さて、リベラルが主張すべき経済政策です。ここまで読んでくれた方はもうわかりきってるとは思いますが、「金融緩和と低所得者層や子育て世帯への財政出動の組み合わせ」です。
現政権の経済政策のアキレス腱は財政政策です。2014年のエントリーにも書きましたが、
雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人や低所得者層への再分配だったり世代間格差の是正には興味がないのが現政権で、
再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策を最後まで採らなかったのが前政権です。
金融緩和を継続するということを大声で主張しましょう。投票先のない経済左派が泣いて喜びます。
そーですね!(やけくそ)
私はリベラリズムが好きなので、候補者や政党が何をどう言おうが、候補者や政党が争点を決めることはできないと思っています。
それぞれの有権者が勝手に優先順位の高い争点を決めて、それぞれの優先順位にしたがって投票してしまいます。それでいいと思います。
その結果、全体としては、これまで有権者にとっての優先順位が高い政策は、雇用や福祉、経済でした。これからも変わらないでしょう。
このことは、本来ならリベラル政党にとってはありがたいことのはずなんです!だって雇用を増やして失業率を下げる政策を主張すれば勝てるんですから!!
なんで勝てないんだろう!?雇用を増やす政策を主張してないからですね!!!
雇用が争点になったら困るリベラルって斬新ですね!!!!新しい!!!!!
本当に情けない、悲しいです。経済左派が雇用を最優先に投票先を選んだら、自民党に投票するのがもっとも合理的になってしまうんです。
相対的に一番ロジカルな経済政策を主張してるのが自民党だからです。
しかも、ここまでに書いたように、よりロジカルな主張が存在するのに、私はそれを主張してほしくてしょうがないのに、リベラルなはずの政党たちは逆方向に全力疾走してます。
自民党一強の状況を、右傾化とかそういう言葉に回収して馬鹿にすることに意味があるとはまったく思いません。
自民党も安倍首相以外の執行部は緊縮財政派がずらりと並んでますし、次の総理が経済で失政したら政権交代のチャンスも生まれるかもしれませんね。
それまで寝て待ちましょうか。そのときにはどんな党名になってるんでしょうね、すごく楽しみですね(棒)
1,分配や生み出す政策について
的なことを言って道路を走ってるんだけど、
『回収』もしくは収奪する事しか考えてないようで、どうなのかなって思う。
お金を生み出すことの政策についてはどう考えているんだろうか?
国民の4割が確か大企業の従業員だし、大企業がつくる製品のお世話にもなっているわけだ。
それを一方的に被害者加害者と国民を分断させるようなことを言うのはいかがなのだろうか。
実際、格差が存在するので、分断は起こっているといえるかも知れないが、
企業経営という形で日本に対して大きな社会貢献をしているのも事実だと思う。
一方で、内部留保が多いのは確かなので、
民進党の言うように税金とって多少の分配(高所得者にとっては回収)はあっても良いと思うが、
この景気後退局面(リーマンになりそうなんですか?)でするのは間違いではないだろうか?
分配(回収)もいいけど、生み出すことについてはどう考え散るのだろうか?
ということ。
庶民に対する分配政策でもあるし、企業も多分消費が増えていい景気刺激策になると思う。
(ちなみに、自民党の分配政策である地方創生についても自分は懐疑的で、配るのもいいけど、経済の土台を何とかするほうがいいのではないかと思う。自発的な成長を促せるという点で)
2,非正規社員➝正社員化だけでなく、無職の人➝働く(社員化)や働く➝無職について
非正規社員の正社員化はもちろんだけど、無職の人の社員化についてはどう思っているのか知りたい。
非正規➝正社員と叫べるし、それを進めることにそこまで異論はないのだが(企業の自由)、
果たして数年後、不景気の波が来た時に(景気には波があるって高校で習ったよね)、
この好景気時に正社員になった人が、どれだけ無職になり、非正規社員に落ち込むか、
ということを考えることはないのだろうか?(これは自民党も)
子育てできるセーフティネットづくり(歳入庁設置及び負の所得税など)のデザインを
これからはLBGTの人や女性教祖が中心となって、政治に影響を与えるような政党が出てくるのかな。
時代の曲がり角にいることは、なんとなく分かる。
明治から昭和初期までは、それまでの江戸幕府中心から、薩長が天皇陛下の名前の元で中央集権国家を目指した。
(平民というのか、下流にいる人間が、労働を美徳する流れは、基本的に江戸幕府の時代から変わらないのではないか。)
バブル崩壊までは、トヨタやソニーに代表される企業にしても、製品を作れば売れるような時代だった。
零戦や戦艦大和の開発の頃と、大きな流れとしては変わっていないのではないか。
欧米に追いつけ、追い越せが主流だったと思う。
(学問の世界も、何人かのノーベル賞受賞者やフィールズ賞受賞者の超・超一流人はスゴいと思うけど、基本はドメスティックな感じがする。)
コンピューター、ITの分野では自動車産業(やカメラなどの光学機器)のような活躍は見いだせないのではないか。
日本だけであっても、独自の文化であると言われても、ストーカー問題とか怒るのだから。
私が住んでいる場所は北海道の士別市という場所で、そこにはくら寿司はおろかマクドナルドさえない。
だから「隣りの女子高生」の会話メソッド作文をなすには、学生がよくいくお焼き屋に舞台を遷さねばならない。
お焼き屋に行くと、富川という私より25歳ほど上の男が店番をしている。
元来、私の学生時代は富川の母が店主であった。私たちは富川のばばあだとか、富川のばあさんと呼んでいた。
富川の息子、今店番をしている男は、若いころから数年前まである政党の党員として、近隣の名寄市や旭川市で活動していた。
富川のばばあが高齢になったから、今は店を手伝ってよくいる。それまでは市議や道議なんかと活動を共にして走り回っていた。
富川のお焼き屋は、お焼きはもちろんそれなりだが白玉善哉が美味いことで知られている。
私もそれを頼む。それとアイスコーヒー。
私は旭川東高校から北海道大学経済学部に進み、沼田町役場に奉職した。
今から3年前、仕事を辞めた。仕事は嫌いではなかったし熱意もあったのだが、書いていた小説がかなり売れるようになって、家族とともに故郷の士別に引っ越した。
妻の実家はこれまた近くの秩父別町にあるから、まぁ親孝行なもんだ。
富川の店に2人のJKがやってきた。そしていよいよ、彼女たちの会話が始まる。
「やんぬるかな」
「それときらら8087xの取引価格がまた小樽の相場師によって引き下げられとるわ」
「え、とーさん大丈夫だべか?」
「やんぬるかな」
「旭川の方では軍が言って組合作って自分らで検査しとるそうだ」
「うっちじゃそれ無理っぺよ! まとめんの出来る人居るの?」
「折角景気も天気もいいのにこれじゃいつまでも銭こはいらんやね」
「わややわ! やんぬるかね!」
「すったこ~」
2089年に勃発したモンゴルと神聖ローマソヴィエト第三二重帝国民主主義人民共和国との抗争は、この北海道の小さな町にも好景気をもたらした。
内地の敦賀や鳥取・長崎に代表される人体機械化製品・生体兵器(CBM)生産による圧倒的な戦時景気ではない。
戦争の際は、北海道のこの土地の生産物はユーラシアの兵士の食料になる。今も昔もそうだ。
どちらの陣営にも食料は必要だから、豆やコメの値段はだいたい五倍くらいになる。
CBMの景気の良さには到底及ばないが、片田舎にも相応の贅沢をもたらした。
ただし、一つ問題点があった。
士別市は田舎すぎて、自前の公定検査組織を持たず、経済都市小樽の相場師がやってきて買い付けて行く。
憎き小樽の相場師は、それを時にため込み、時に吐き出し、戦争に支えられる好景気とはまた別の次元で儲けを生み出していた。
どこにどういう価値の変動があるのか巧妙に隠されている。
しかしどうやら、士別の人々が幾ばくかの損をしていることは間違いないようだ。
北海道の農協制度は2050年代に崩壊し、ほとんどの自治体は後継機関を持たなかった。
「それならば君らが組合を作ればいい」
「ふぇえ、無理無理無理ぺよ」
無理なことはない、かもしれない。彼女たちの世代は全く新しい教育体系を得た世代で、理論を建てる訓練や説得力のある思考に関する訓練をを相当積んでいる。
かつて明治という時代に近代的な学制が施行された際、子どもたちの多くは親よりも文字が読め、文字が書けた。かつてそういう世代があった。
いま彼女たちはそれと同じような時代を生きている。閉鎖的な親たちの社会、見識、学識をネット社会の成熟が打破したわけだ。
糞みたいな田舎でも、都会の清廉な学生が受けるような学習の「効果」が期待できるようになった。
それを一身に受けた世代が彼女たちだ。先ほどの経済の話もかつての世代が高校生のときにやる話ではない。
私の役割は多分ここまでだろう。あとは記録し100年先にこの出来事を記そうと思う。
富川の店は若い世代の地域政治・地域経済を議論する場になるだろう。
富川は母の様子を気にしながらも、この士別で政治を考え、次世代に伝えることが出来るだろう。
外国のカッフェのようだ。
50代以下の中高年女性のあのプライドの高さは一体なんなんでしょう
バブル以降のオバサンも同様にクズでゲスで無能なんだけど、それを指摘すると発狂するんだよな
それに気付きだした男が女に幻滅して草食化して
今の40代30代の売れ残り婆に結果が出てるんだけど、それはスルーw
>時代によって下駄をはかせられていただけなのに、自分たちの能力がすごく高くて実力があったからいい時代を築けたんだって本気で思ってる。
>この年代の人はそもそも若い世代とかを見下してるよ。能力がないやつらだって思ってる。
>一方で自分の成功法則にしがみついて、好景気の時代と同じ行動をやってしまう。
>日本のボーナスステージはもう終わったんだって、早く気づきなよ。
その後、結局、専業寄生虫やって世間知らずなままVERY妻とかやってる婆にも同じように当てはまるよ
増田です。
このところジャーナリストカエルさんのまとめが立て続けにホッテントリに入ってたりして、
そこで私は「この人は困窮してるんではないか」と直感的に思いました。
というのも、題名の通りですが、今まさに知人が困窮の一途を辿っていく道すがらにおり、
もちろんカエルさん=知人ではありません。
それを目の当たりにしたので、すごいスピードでピンと来たのです。
いや、ピンと来ただけでそれが当たっているとはみじんも思いません。
最初の1年くらいはノリノリですごく頑張っていたのですが、じょじょに雲行きがおかしくなってきました。
家はあるが生活費が厳しくなっていきました。
SNSを見ていると、この知人の変化がつぶさにわかるのがなんとも言えず…。
初期
中期
どうしてこんな貧乏になってる。嫁さんすまない。嫁さんに財産残してやるつもりだったのに
末期
お前らみんなふざけんなよ、俺がどんだけ頑張ってるかも知らないで!嫁さんを苦しめてしまった、お前らのせいだ!
みんな敵だ!
実はこの知人が始めたのは××なんですね。××は天候に左右されることが多いですし、
使っている機具もそれなりに高いものがポコンと壊れたりもする。
頑張っても取れない時期もある。
受けていない××もあると思いますが、補助金が廃止されたら、日本の多くの××は食い詰めるくらい、補助金で食べている人も、実は多いのです。
中期には、やはり周りの人に助けて欲しいという気持ちが表れてきます。同情を誘うような投稿が多くなり、それでもけなげに頑張ってるよ感を出してくる。
チラチラっていう感じなんですが、まわりはどうしようもないんですよね…
実はこの時期に「××の多くは補助金で食べているのが実情だけど、そういうのは考えない?」と訊ねたことがあるんですよ
でもプライドがあるんでしょうね。そんなものは無意味だと突っぱねられました。
(しかしながら多くの企業が補助金や助成金をもらっているのは事実なんですけどね。ちなみにこの知人はもともとは社長でした)
カエルさんもそうですよね。
朝日の記者だったんだ、俺はすごいんだというプライドから離れられない。
朝日の看板でそこまでのプライドがあるのであれば朝日をやめてフリーになる事なんてなかったのに、
俺はすごいんだ、やっていけるんだという欲目が出てきてフリーになって、それでもやっぱり今は媒体の変化によって物書きの値段は恐ろしく落ちていますから
俺は元朝日の記者だぞと仕事を選んでいたら当然ですが仕事が減っていくでしょう。
それどころか、文そのものの値段が落ちていて、もうどうしようもなく下がっている。
私も専業の物書きの人は知っていますが、投げ銭を要求してそれを浄財と呼んでいる人は初めてみました。
ファンらしき人が「明日のお昼代を振り込んでおきますね」というリプライを送ったりしている。
これは、もう相当逼迫しているのではないか、そう感じました。
カエルさんは末期にあたる状態だと思います。もうまわりがみんな敵になっています。
どうしてお前らは俺を理解してくれないんだ、お前らみんなクズだ!死ね!
50代〜60代の中高年男性のあのプライドの高さは一体なんなんでしょう。
そしてプライドのために困窮している。
とくにカエルさんなんて、あの年代で京大卒&コロンビア大卒ってすさまじいですよ。
同級生なんかは銀行の頭取とか大企業の幹部になっていてもおかしくない。年収も数千万クラスがゴロゴロいるでしょう。
そんな中で自分は朝日のジャーナリストとして肩で風切って歩いてきたのに。
こうなったらすごい記事を書いて一旗あげるしかない、となるわけですよね。
だいたい50代〜60代の人っていうのは時代が良くて好景気で、バブル前夜→バブルキター!みたいなのと、
若くて脂が乗ってバリバリ働けた時期がまるかぶりしてるんですよ。
時代によって下駄をはかせられていただけなのに、自分たちの能力がすごく高くて実力があったからいい時代を築けたんだって本気で思ってる。
この年代の人はそもそも若い世代とかを見下してるよ。能力がないやつらだって思ってる。
一方で自分の成功法則にしがみついて、好景気の時代と同じ行動をやってしまう。
日本のボーナスステージはもう終わったんだって、早く気づきなよ。
ああ、胸が痛い。
追記
増田です。
トラバ、ぶコメいただきましてありがとうございます。
自分の中ではジャーナリストとして独立したあたりを初期、しんどくなってきた時期を中期と適当にイメージしていました。
twitterはあまり関係なく、独立した時期から現在までのスパンと思っていただければ。
成人式で暴れているヤンキーには、地元の仲間がいる。馬鹿だけど、若くて可愛いギャルな彼女もいる。だが、あいつらには仕事がない、将来がないじゃないかとの批判がある。だが、彼らの多くは建設関係の仕事をして、手に職を持っている。そして、建設業界は今空前の好景気だ。さて、はてな村のマーチ卒の中途半端な高学歴諸君はどうだろうか。成人式は家でネットをして孤独に過ごす、年齢=彼女なしの真正童貞、卒業後の仕事は良くて大企業の事務、営業系の社畜、悪ければブラック企業の使い捨て要因。どちらが勝ち組かは一目瞭然だ。
断定はよくないが、ちゃんとしたデータがある。
その「いつか好景気になったら・・」の理屈は、いつ何時でも使いまわせんのよ。そんな好景気はもうバブル以降二度と来なかった。
前世紀に増税しなかったから現在があるわけで。前世紀の選択肢でサイコロを振るギャンブルをしたから、勝負に負けて現在に辿り着いてるのに。人類、あまり進歩していない。
今ではそのギャンブルがグレードアップして、「無条件に100万奪われるか、賽を振って500万円かチャラか」になってる。
金持ち側は、社会保障はあってもなくても生きられるから、ゲームを続行しても降りても、どっちの選択肢を取ってもいいのだけど。でも貧乏人ほど、何故か賽を振ろうとする。
バブル景気(バブルけいき)は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月[1]までの51か月間
ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのはブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり[4]、政府見解では、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97
日本において、1971年から1974年までのベビーブームに生まれた世代[1][2][3]。第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる[4]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2
→現在の41~44歳
バブル景気を1988年からと定義すると、当時は14~17才。学生。
1951年~1960年に生まれた世代が断層の世代とされており、人口は約1660万人
団塊の世代の次に現れた世代であり、高度経済成長の時代に育った。バブル景気も経験しており元祖オタク世代でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E5%B1%A4%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
→現在の55~64歳
もううんざりだよ!
北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。
その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌の創成川沿いに設置された。
当時は札幌農学校の講師が教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名の文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書を回覧し、開拓使に勤める吏員が印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的なブックマークを行ない、出身の薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。
ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞に掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの、政治や社会に関するものがあり、それに対する道吏員のコメントは新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章やブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。
明治44年の後の大正天皇の行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである。現在の雨竜町に大農場を経営した蜂須賀茂韶(しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道に土地を所有したり工場を経営する政府要人のブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓の傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。
大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事にブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦の好景気を経験した道民のデモクラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民の記憶に遺されるものであった。
戦時中は統制政策のもと増田の文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しかし増田家やブクマ家は当局に面従腹背、うまいことごまかした文章やブクマを行ない、ネタや時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。
戦後の民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体。野幌の現在地に民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田のさらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情や資金面での苦慮により昭和29年に増田執筆者公選制度は頓挫。北海道は重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業や鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道に労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官の高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士のスキャンダラスなネタや増田小説(えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20年から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界をリードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。