はてなキーワード: お焼きとは
蒲鉾は竹に巻いて蒲の穂を模したものだったから「かまぼこ」と呼ばれていたのに、いつの間にか亜流の「板蒲鉾」の方が「蒲鉾」を名乗っていて本来の蒲鉾が区別のために「竹輪蒲鉾」→「竹輪」と変遷してるの、完全に母屋を乗っ取られた感あるよね。もはや何が「蒲の穂」なのか分からん
同じことがいま京都銘菓の呼び名でも起きていて、八ツ橋はもともと琴の形状を模した堅焼き菓子に箏曲の八橋検校にあやかった名前を付けたのが始まりだったのに亜流の「生八ツ橋」に言葉を乗っ取られ、もはや「八ツ橋」でウェブ検索すると9割がた生八ツ橋で、本来の八ツ橋は区別のため「焼き八ツ橋」とか呼ばれる始末。検校さんも蒲の葉の陰で泣いているに違いない
竹輪蒲鉾が「竹輪」になったのをふまえると、焼き八ツ橋は何十年後かには「お焼き」と呼ばれるようになるだろう。すると、今の「お焼き」は区別のために(以下略
通勤通学のお供に
増田に浸っていると、時たま、ものすごくオモシロい文章に突き当たる。
そんで、ブログとかなら追いかけられるンだろうけど、増田の特性上、追いかけられない。
しかも、ネットから三日も離れてたらその間に傑作も流れちゃう。
知らない文章があったら悔しいのでおもしろい文章を教えてください。
ブクマ数は問いません。
http://anond.hatelabo.jp/20160622120714
http://anond.hatelabo.jp/20160520221713
北海道の田舎、農協、お焼き屋という木訥なフレーズを並べて作られたまさかのSF。大傑作。
http://anond.hatelabo.jp/20160317133556
切れがいい、シンプルに笑える。
http://anond.hatelabo.jp/20151214143834
なぜ、いまさら北斗の拳、それも五車星に関する考察を書こうと思ったのか。
http://anond.hatelabo.jp/20170205202957
ここ最近で一番笑った。力が入ってるのか力が抜けてるのか、絶妙。
http://anond.hatelabo.jp/20160520221713
http://anond.hatelabo.jp/20161013184229
http://anond.hatelabo.jp/20160908231225
http://anond.hatelabo.jp/20160104222245
http://anond.hatelabo.jp/20160212235259
http://anond.hatelabo.jp/20161203220850
http://anond.hatelabo.jp/20160115003658
http://anond.hatelabo.jp/20160115000640
今年もたくさんのブクマ、意を汲んだ当意即妙のブコメありがとうございました。また来年、増田で。
ちなみに去年は
http://anond.hatelabo.jp/20151125184644
ID:Re-KAmさん、URLの間違いのご指摘ありがとうございました(というかいつもブクマありがとうございます)。一年もかかってしまいましたが修正しておきました。
私は初回の艦これ秋刀魚祭りが開催される前にこの話を聞いてさっさと別スケジュール用意したので実際には経験をしていませんが、艦これ秋刀魚祭りには中の人が強制的に動員され、艦娘音頭や焼きさんまなどに従事させられました。正直に言って声優として雇用した人間に焼きさんまを焼かせるのは雇用契約違反なのではないかと思います。立て付けとしては鎮守府の文化に触れる、本気で楽しんでくださっている提督の姿をじかに見られる他にない機会であるという言い分です。
ですが、私は別の機会で各鎮守府泊地の提督方が集まる場を経験しており、既に実感として我々の扱うもの、インターネットの先、電子データひとつひとつにお客様の思いがあるということは理解しておりました。これに関しては稀有な経験ができたことを感謝しているし、この経験ができるインターネット関連の会社は日本にはカドカワドワンゴかDMMしかないのではないかと考えています。
しかしながらその上でなお焼きさんまを焼かなければならない必然性がわからず、さんまを焼かないならば大根おろせという理不尽を受け入れることができませんでした。
私が住んでいる場所は北海道の士別市という場所で、そこにはくら寿司はおろかマクドナルドさえない。
だから「隣りの女子高生」の会話メソッド作文をなすには、学生がよくいくお焼き屋に舞台を遷さねばならない。
お焼き屋に行くと、富川という私より25歳ほど上の男が店番をしている。
元来、私の学生時代は富川の母が店主であった。私たちは富川のばばあだとか、富川のばあさんと呼んでいた。
富川の息子、今店番をしている男は、若いころから数年前まである政党の党員として、近隣の名寄市や旭川市で活動していた。
富川のばばあが高齢になったから、今は店を手伝ってよくいる。それまでは市議や道議なんかと活動を共にして走り回っていた。
富川のお焼き屋は、お焼きはもちろんそれなりだが白玉善哉が美味いことで知られている。
私もそれを頼む。それとアイスコーヒー。
私は旭川東高校から北海道大学経済学部に進み、沼田町役場に奉職した。
今から3年前、仕事を辞めた。仕事は嫌いではなかったし熱意もあったのだが、書いていた小説がかなり売れるようになって、家族とともに故郷の士別に引っ越した。
妻の実家はこれまた近くの秩父別町にあるから、まぁ親孝行なもんだ。
富川の店に2人のJKがやってきた。そしていよいよ、彼女たちの会話が始まる。
「やんぬるかな」
「それときらら8087xの取引価格がまた小樽の相場師によって引き下げられとるわ」
「え、とーさん大丈夫だべか?」
「やんぬるかな」
「旭川の方では軍が言って組合作って自分らで検査しとるそうだ」
「うっちじゃそれ無理っぺよ! まとめんの出来る人居るの?」
「折角景気も天気もいいのにこれじゃいつまでも銭こはいらんやね」
「わややわ! やんぬるかね!」
「すったこ~」
2089年に勃発したモンゴルと神聖ローマソヴィエト第三二重帝国民主主義人民共和国との抗争は、この北海道の小さな町にも好景気をもたらした。
内地の敦賀や鳥取・長崎に代表される人体機械化製品・生体兵器(CBM)生産による圧倒的な戦時景気ではない。
戦争の際は、北海道のこの土地の生産物はユーラシアの兵士の食料になる。今も昔もそうだ。
どちらの陣営にも食料は必要だから、豆やコメの値段はだいたい五倍くらいになる。
CBMの景気の良さには到底及ばないが、片田舎にも相応の贅沢をもたらした。
ただし、一つ問題点があった。
士別市は田舎すぎて、自前の公定検査組織を持たず、経済都市小樽の相場師がやってきて買い付けて行く。
憎き小樽の相場師は、それを時にため込み、時に吐き出し、戦争に支えられる好景気とはまた別の次元で儲けを生み出していた。
どこにどういう価値の変動があるのか巧妙に隠されている。
しかしどうやら、士別の人々が幾ばくかの損をしていることは間違いないようだ。
北海道の農協制度は2050年代に崩壊し、ほとんどの自治体は後継機関を持たなかった。
「それならば君らが組合を作ればいい」
「ふぇえ、無理無理無理ぺよ」
無理なことはない、かもしれない。彼女たちの世代は全く新しい教育体系を得た世代で、理論を建てる訓練や説得力のある思考に関する訓練をを相当積んでいる。
かつて明治という時代に近代的な学制が施行された際、子どもたちの多くは親よりも文字が読め、文字が書けた。かつてそういう世代があった。
いま彼女たちはそれと同じような時代を生きている。閉鎖的な親たちの社会、見識、学識をネット社会の成熟が打破したわけだ。
糞みたいな田舎でも、都会の清廉な学生が受けるような学習の「効果」が期待できるようになった。
それを一身に受けた世代が彼女たちだ。先ほどの経済の話もかつての世代が高校生のときにやる話ではない。
私の役割は多分ここまでだろう。あとは記録し100年先にこの出来事を記そうと思う。
富川の店は若い世代の地域政治・地域経済を議論する場になるだろう。
富川は母の様子を気にしながらも、この士別で政治を考え、次世代に伝えることが出来るだろう。
外国のカッフェのようだ。