はてなキーワード: 原付とは
20年ペーパードライバーなのだが運転の練習をするモチベーションが湧かず困っている。運転歴の長い友人を助手席に乗せて練習に付き合ってもらったところ、壊滅的ではないがあとは慣れろとのこと。(アクセル踏み込みとかを躊躇してて全体的にもっさり遅いんだと)
でもとにかく公道怖い。車体に馴染めない。乗ってて楽しくない気持ちが強くて次のモチベーションが湧かない。
楽しい!が勝って自発的にちょくちょく走るうちに慣れたんだけど.. 今のところ車に乗る事は義務感の方を強く感じてしまう。
みんなの感じる車の楽しさ、良いところを教えて欲しい。
来年郊外(といっても交通量はそれなりに多い)に引っ越すから運転は必須になりそうで今のうちに慣れておきたい。
関係無いけど二輪のほうが事故ったら危ない事は承知しているが、「自分の身体ごと走ってる感」があって自転車や原付は好きです。
似たような経験がある。
持病関連で出来た友達がいて、入退院を繰り返していつも体力がなかった。
なので歩いてゲームができるIngressはリハビリに最適だった。
ゼイリブが大好きな俺はもちろん緑だったんだけど友達は青でやってた。
彼はまあ家業みたいなのがあって、時間はほぼ自由になる職業だったのでそのうち原付きを買って
夜な夜な都内を荒らし回る地獄のレジスタンスプレイヤーみたいになっていった。
さすがに和歌山とかまで遠征にいくような人じゃないけど、都内の緑からしたら
かなりのヘイトを買うプレイスタイルだったんだろう。アンチみたいなのが増えた。
そして個人(見た目)を特定されたけどそれでもプレイスタイルはかわらない。
いつでもどこでも、壊せるものは全部ぶっ壊しに行った。
ほぼ24時間やってたから無職だと思われてたろうけどまあ似たようなもんだけど大家だからね。
そのうち位置情報を偽装して破壊してると濡れ衣をかけられて、リアルでストーカーされたプレイヤーに
因縁をつけられたあげくにスマホを取られて眼の前でヘシおられたそうな。
いちおう警察行こうかっていうと大人しくついてきたらしいんだけど
「壊しちゃったなら弁償してね」みたいなことをいわれたらしい。
でも相手からしたら無職チート野郎を成敗してやった気持ちなのか、弁償はされず。
面白かったので当然ネット掲示板と陣営チャットに書き込みをした。もちろん全体(両陣営が見られる)にも。
都内は複数で回るレイド?とかが多かったので、通報多数で俺のアカウントはロックされた。
その後の相手のことは知らないけど友達はさすがにウンザリしたのか今は変なマイナーソシャゲをやってるみたい。
まあ刺されなくてよかったよねと今では笑い話ではある。
上司「駄目。雨の時とかどうするの」
ぼく「ちょっとお高いレインコートで全身覆えばいいでしょ。それ入れる用の防水カバンとかも用意すれば訪問先汚したりもしないっす」
上司「あれは巡回定番ルートとおえらいさん優先だからまず空いてない」
ぼく「自家用車買うほどのお金はないんですけど、補填とかはあるんですか?」
ぼく「買い物はネットスーパーでいいし、趣味もゲームなんで外出ることがないっす」
上司「不健康だね。旅行とか釣りとかしないと取引先と話題がないよ」
ぼく「最近は取引先の人も趣味はYoutube見ることだったりするんで大丈夫っす」
上司「とにかく車買え。いいな」
ぼく「今の給料で車買うと貯金できないっす。せめて駐車場・ガス代・保険料ぐらい出ません?」
上司「そんなのなくてもみんな車買ってるんだよ。貯金とか何に使うの?」
ぼく「病気になったりして仕事出来なくなったら貯金ないと困るじゃないですか」
上司「知らないよ。そんな君の都合」
ぼく「業務命令として車必要ならちゃんと最低限のお金は貰わないと耐えられないっす。車、私生活には不要なんで」
どうしたらいい?
つうかチャリンコって保険料格安+室内保管で駐車料金0+ガソリン不要+運動にもなるで最強過ぎない?
でも原付をアパートの室内保管は無理だし駐車場必要になるよな多分。
つうか職場の駐車場自体が申請待ちで並んでるって噂だから、下手すると「会社近所の月極に停めとけ。お前の金で」とか言われそうだ。
俺は小学校の頃親の都合で転校したことがあって、言葉の訛りが発端になって転向後しばらくいじめられていた
悪口言われるとか無視されるとかなら別にどうということはなかったのだが、隣のクラスの多動系クズの行為がエスカレートして、そいつが休み時間のたびに物差しで頭を殴りにくるという状況になっていた
最初は怒鳴り返すくらいだったが、あまりに頭にきて一度そいつの腕をカッターで切りつけてしまった
ちょっと血が出たくらいで大怪我させたわけでもないのだが、校内で問題になって「友だちと刃物でふざけていて怪我をさせた」ということで親も呼び出され、治療費も払わされた
俺は納得がいかず「相手は友だちでもないし、遊んでいたのではなくて自分の身を守るためにやったことだ」と何度も訴えたが、聞く耳は持ってもらえなかった
まあ学年が変わると担任も話のわかる人に変わって学校生活は安定したのだが、俺はその多動クソ野郎のことは許してなかったしいつか絶対に償いをさせてやると思っていた
それが30年前の話だ
小学校粗卒業してから、そのクソ野郎とは大学生の頃一度だけ顔を合わせた
すると二人はクズ男の両親と合流して、女は彼女じゃなくて妹だということがわかった
ほっとしただけじゃなく、あの妹をめちゃくちゃに犯されたらあいつはどう感じるかなとか考えてしまった
次の日から俺は卒業アルバムからそいつの住所を調べて周辺をうろつくようになった
そいつの家は低所得者向けの市営住宅で、便所も汲取式のみすぼらしいものだった
庭では年老いた犬がいつも寝ていた
別になにかしようと思っていたわけじゃない
実際、そいつら一家と鉢合わせたことはなかったし、正月休みが終わると俺はそのまま東京へ戻ってきた
それからも実家に帰ると俺はなんだかんだと理由をつけて家を抜け出し、自転車でそいつの家の周りをぶらついた
俺は先日40歳になった
ちょうどその誕生日とかぶる日程で父親が海外に出かけることになり、見送りにいった
時が流れたんだなと思った
いい歳してあんなことはもうやめようと思った
そう固く決意して実家へ戻ったが、いつも使ってたママチャリが目に入った瞬間に決意が溶けて消えた
ただ、本当にこれで最後にしようという気はあった
いつものように何事もなく、周囲をふらついて、あいつが出てきたら殺してやるのに、妹が出てきたら犯してやるのにという呪詛を内心で唱えて、ただ帰ってくる
鉢合わせと言うか、すれ違っただけだ
妹は小さい男の子の手を引いて自宅に向かって歩いていた
喪服姿だった
俺は数十メートル走ってから自転車を停め、徒歩で背後から妹を追った
それを取り出して右手に持った
不思議なことに興奮も緊張もなかった
俺は歩調を速めながら、幼児の速度でのんびり歩く妹との距離を少しずつ詰めた
息を潜め、チェーンを握り直す
しかし俺は妹に追いつくことはなく、彼女はあのみすぼらしい長屋に入っていった
薄そうな木製の玄関ドアを俺はしばらく見つめていた
妹が残したものか、それとも家の中からなのか、線香のにおいが漂っていた
犬はまだ生きていた
薄汚れて毛並みも悪く目も濁っており、どこからどう見ても老犬だ
あまり散歩に連れて行ってもらえていないのか庭の済に放尿した跡があった
俺はチェーンを振り上げ、その一端を汚い犬の頭に振り下ろした
「あふっ」とかなんとか声を出したので、やばいと思ってもう一度、思いきり殴りつけた
急に怖くなって周囲を見回した
俺は早足で現場を離れ自転車に飛び乗り、投げるように実家に自転車を乗り捨ててタクシーで駅に向かった
新幹線で東京に向かう間、ついにやってやったぞと思うとにやけ顔が抑えられなかった
遅れて来た興奮で震えるほどだった
それが良くなると同時に犬に申し訳ないことをしたという罪の意識が俺を支配した
最初は通勤用のママチャリを手頃なクロスバイクに買い換えようと思っていた
ところがたまたま入った近所の自転車屋が輸入物のクロモリフレームを多く取り扱っているおしゃれ系の店で、
色々見ていると確かにジャイアントとかメリダのクロスバイクと比べて圧倒的に格好良い
車なら古いランクルとかジムニー、原付ならカブがいけてるな〜と感じる自分には鉄フレームのレトロ感がバッチリハマってしまった
クロモリはアルミより重いけど長く使えるとか自転車旅行の最中でも修理しやすいとか荷物もたくさん積めるとか色々営業トークを受けているうちにその気になってしまって、じゃあこういうやつを一台買おうということになった
店頭に気に入った色とサイズのやつがあったからじゃあこれをというと、およそ7万円だと
うん、まあまあまあ…
ちゃんとしたクロスバイクならそれくらいはするからな、と覚悟を決めた
しかし俺はわかっていなかった
7万はフレーム(自転車本体)の価格で、それだとハンドルもクランクもブレーキもサドルもタイヤも何もついてないまっさらな状態だという
そこに、自分が気に入ったパーツを選んで組み合わせることで理想の自転車を作ることが出来るのだと
確かにそれは楽しそうだ
MacBook Proも仕様選んでるときが一番楽しいからな
ホイールに至ってはリムとスポークとハブを選んで手組したりもできるらしい
正直俺には違いが良くわからないので何でもいいよと思ったのだが
色々見せられているうちにリムのデザインも色々あることがわかってきた
ハブ、BB、ヘッドパーツなど、普通に生きていたら存在を意識しないようなパーツも存在した
これらのパーツにはベアリングが使用されており、自転車に於いて重要な回転性能に影響するからアップグレードするに越したことはないと猛プッシュされた
さらにハブというのは車輪の軸にあたるパーツだが、これがメーカーによって結構違う
何が違うかというと見た目もそうだが、音が違う
うるさいのも静かなのも高いのも低いのもあり、通はこれにもこだわるらしい
そしてその店員は全体的にアメリカ製のパーツに対して信仰を持っているようで、輸入ブランドの高級パーツをどんどん持ってきてプレゼンしていく
俺が買った自転車のフレームがアメリカメーカーだから相性がいいって話にその時は納得してしまったが、後で調べたら製造は台湾だった
とにかくよくわからんのでありとあらゆるパーツを「いいやつ」にして、変速コンポだけはシマノの「まあまあのやつ」で見積もってもらうと、約50万になった
流石におかしい
しかし一度良いパーツを組みつけたイメージをしてしまっているせいで、
なかなかダウングレードする気分にならない
とは言えさすがに買えるわけもないのアメリカ製の高級パーツは排除して現実的な価格のパーツに変えた
(ただホイールは重要だからと熱弁されて、リムとタイヤはいいやつにした)
ほかは低価格帯のものにしたつもりだったが、たぶん感覚が狂っていたんだろう
ハンドルに8000円、サドルに1万円、ペダルに6000円…と積み重なって
最終的には25万になっていた
このくらいならいいだろう、とその時の俺は思った
代金はすでに支払い済みで、来週組み上がるらしいので取りにいく
ぼったくられたような気分も正直、ちょっとある
しかし不思議なことに、今仕様書を見てもこれ以上金額を削れないという気がする
ここ数日で興味が出て各メーカーの自転車やパーツを調べてみたが、
その店の販売価格は適正で、むしろだいぶおまけしてくれたようだ
それはどのジャンルでも同じことだ
服でも腕時計でもボールペンでもメガネでも既製品は安いのがいくらでもあるが、こだわればやはり高い
冷静に考えるとメーカー製の完成車は何なら半額以下で同程度の性能のを買える
もっともそこから自分好みにカスタマイズしていくとまた何万もかかるんだろうが、
いじらずとも乗れるんだからそのまま乗ればいいと思う
今回俺は自転車屋の口車に乗せられて自転車オタクが喜ぶ趣味の領域の製品を買ってしまったということなんだろう
後悔しているか?
わからない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2301/19/news117.html
hir_o 歩道モードみたいなボタンつけて速度規制しないと難しいのでは。原付の30キロ制限も見直してもいいんじゃないかと思わなくもない
歩道走行可能なのは特定小型原付の中でも特例特定小型原付と定義されるもので、緑ランプ点灯かつ6km制限の状態がこれにあたる。まさに歩道モード。
この状態に切り替えるための機能が搭載されていく予定だし、そうじゃないと歩道走行できない。
Yutorigen 自転車保険や自賠責みたいに保険必須にしてほしいがどうなんだろ。
tettekete37564 自賠責はつけた方が良いと思うけどな。
すでに突っ込まれてるが原付のように保安基準があるのでそんなわけがない。
特定小型原付は原付の中でサイズと出力の制限を満たしているものなので、別に椅子があってもよい。
サイズ制限は自転車と同じなので、フル電動自転車も出てくると思う。売れるかは知らん。
aburi_engawa 自転車のヘルメット着用義務と足並み揃えていって欲しいよね。
fishma 自転車にヘルメットが義務化されるのに、こっちはヘルメット不要ってバランス調整間違ってませんか?
smbd チャリのヘルメットは義務化されるのに、こっちは "ヘルメットの着用は任意。" (現状維持)って馬鹿なのか?
yoh596 自転車のヘルメット着用義務化と相反しているのは何故?本当に現政府には不信感しかない
hatomugicha 自転車はヘルメット必須にしようとしているのに遥かに不安定で動力も必ず付いてくる電動キックボードの方が規制が緩いのはマジで理解できない。
kzm1760 自転車はヘルメット必須になりそうなのに、電動キックボードをヘルメット必須にしておかないのは謎。
kazoo_keeper2 一方、自転車は 4 月 1 日からヘルメットが義務化(努力義務だけど)されるのでした。電動キックボードが「任意」なら自転車も任意でいいのでは?とくにママチャリ(ただし同乗の幼児は義務化が望ましい)
自転車も特定小型原付もヘルメット着用はどちらも努力義務で違いはない。
現在実証実験で走ってるLUUPとかの特例電動キックボードはガチの任意なので、規制としては強くなっている。
behuckleberry02 なぜ交通ルールを学ぶ機会すら与えずに公道に解き放ってしまうのか理解できない。時速20kmで逆走とか怖すぎる。転んだら投げ出されるぶん自転車より危ないぞ。講習義務化必須だしせめて自賠責を付けろ。
既出の合せ技。
まず16歳で原付免許を取れるようになるまで交通法規をまともに学べないってのは問題だよな。
A.単に利用者が少ないだけです。今回の緩和で増えれば事故も増えます。
A.利用者を増やすためです。免許の要らないレンタル自転車と免許の要るカーシェアの間でとてつもなく中途半端でした。
A.実用に耐え得る機種のお値段を見たら自転車か原付欲しくなると思います。単純な本体価格だけでなく電気代やメンテナンス代も含めて。近所にメンテする場所ある?
A.普及への第二ステップ。個人所有はシェアリングが普及し、速度制限や道交法が整備され、多くのメーカーが参入した後にやっと出来ると思います。
A.電動キックボード業界は本体よりシェアリングメーカーの方が元気です。そしてシェアリングメーカーは今回の改正でほぼ達成しているのでこれからは回収フェーズです。メーカーの更なる法改正への働き掛けにはたいして興味ありません。
A.ユーザーが悪いんです。自転車でもバイクでも使い方間違えば死にます。
A.今のルールでは使いません。個人的にも車道と歩道の邪魔者だと思うので。せめて車道の流れに乗れるくらいの速度とそれなりのサスが欲しいですが、その前に歩道走る馬鹿が出るので未来は暗いです。
法改正であれこれ言ってるが政府はちゃんと説明しようぜ。現状国内でまともに説明している企業居ないんだから。(シェアリング企業すら議員にだけ説明)
ちなみに種類多すぎるから今回のルールに適応する個人で買えるので説明するな。シェアリングで置いてある奴は高級車のイメージで居てくれ。あれは20km以上出るのをリミッターかけてるようなもんなので。
となっている。
時速20kmは分速330mだ。ディズニーランドでエントランスからシンデレラ城前まで1分で行けるイメージだ。
時速6kmは分速100mだ。ディズニーランドでエントランスからワールドバザールの真ん中まで1分で行けるイメージだ。
これらが早いか遅いかは個人で異なるが時速6kmはシニアカーや電動車椅子の最高速度でもあるから決して早くはない。というか常人には遅すぎるくらいだ。
電動キックボードにはスロットルやアクセルでの直度調整は無い。20kmまで加速、停まる、速度切り替えるの3つだけだ。
多くのメーカーで速度切り替えで6kmにする機能は搭載されている。今回の歩道の速度もその辺が絡んでいるだろう。
なのでユーザーが歩道走る為に速度落とすのは非常に簡単だ。ただ律儀に落とす奴はたぶん居ないと思うので警察はボーナスタイムだろう。
意識高い系が褒めちぎってるけどぶっちゃけ悪い。セグウェイの方がマシ。価格くらいしかメリット無い。
安定もしない。小回り効かない。段差弱い。整備しにくい。正直個人所有するのは罰ゲーム。田舎で見回りに使うとかでちょうど良いけど軽トラ乗るよね?
カタログスペックは嘘ですw 7割で見ておくと良いよ。移動先で置物になったら地獄。電気自動車みたいに充電できればいいけど。個人所有だとこれも問題
無免OKのレベルは期待するだけ無駄。そもそもお前らあれがぐんぐん昇ると思ってるのか?メーカーの動画?あんな短い坂お前らの近所にあるの?
東京だとお台場とか丸の内くらいがちょうど良い。たぶん銀座は馬鹿が歩行者天国に突っ込んでニュースになるね。
デブが乗ると壊れます。重い物積むと壊れます。バッテリーはアシスト以上に消耗します。モーターとかもメーカーによっては寿命早いです。充電は比較的カタログ通り。
黙ってシェアリングの乗っとけ。あれは3輪だしデメリット部分も個人で負わなくて済むのでマシ。個人なら自転車か原付にしよう。
身体的に問題があって使う分には良いけど五体満足ならおススメしない。というか五体満足でこれ乗る奴新しい物好きで順法精神の無い承認欲求オバケだから黙ってても事故って死ぬかニュースになるだけ。順法精神無いのは製造メーカーもだけど。
もしかしたらロビー活動うるさい業界に良い顔しつつ一定数の問題起きたらそれ見たことかと規制しようとした自転車&バイク業界の陰謀かもしれないけど、一般市民はとりあえず歩道も7月から気を付けてくれ。自転車以上にサイレントキラーだよ。一時期の電気自動車レベル。
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。
俺はFANZAで二年ほどオリジナルのエロ同人漫画を描いてきた。
漫画で食えるほどのレベルではなく、休みの日や仕事の後に少しずつ描いてきた。完全に趣味の同人だ。
最初は全然売れなかった。それでも描き続けて、二年かけて、ようやく1000ダウンロードを超えた。少ないながら感想やレビューも貰って、本当に嬉しかった。今思えば本当におこがましいが、自分も漫画家の端くれになれたような気さえしていた。有頂天になっていたと思う。
それなのに今、全く絵を描く気力を失っている。
原因はAIだ。
最初はAIイラストに驚いたものの、「漫画を描いている自分には関係ない」と割り切れた。AIの絵は確かに上手いがどれも同じ顔に見えるし、すぐみんな飽きるだろうと思った。FANZAでAIイラストの同人CG集が出てきても、関係ない、自分の漫画描くだけだと見ないようにしていた。
「青チェの姪と」という作品で、たった一作で、あっという間に俺の漫画を売り上げで抜き去って行った。調べたら、たった20日で作ったらしい。
悔しくて混乱して、頭痛くなってその日は絵が描けなかった。自分のやってることが否定されている気がしてならなかった。
二年間かけて少しずつ絵を練習して少しずつ売り上げ伸ばして…それがAIイラスト漫画に20日で抜かれた。必死にマラソンを走っていたら原付で追い抜かれたような気分になる。足で走るのがルールだろと叫びたくなる。
増田に聞きたい。
買う側は絵が上手かったらAIでもいいのか?
人が描いたかどうかって気にならないのか?
俺の二年間は無駄じゃなかったと信じたい。でも今は自信がない。信じる力が出ない。
ちょっと聞いてくれ。
数年前のことだ。うちは日中~夜まで飲食店をやってるんだが、とあるお客さんがいた。今でも記憶にこびり付いている。話させてほしい。気持ちの整理をつけるためにも。お客さんの立場である増田民のあなたも感じることがあるかもしれない。
当時、とある田舎の一級河川沿いのエリアで食事メインのお店をやっていた。おでんに、蕎麦に、刺身に、唐揚げとかポテトサラダとか、野菜のお浸しとか、居酒屋に近い。コの字型のカウンターと、座敷がふたつだけある。
いつもは俺と、アルバイト(男2、女2)のうち最低1人が一緒に働いている。平日は暇なんだが、週末になると忙しい。北にある政令指定都市の方から、会社や学校帰りの人が流れてくる。
それで、店内が八割方埋まって、スーツ姿のリーマンとか、会社名入りの作業服を着てる人とか、数人連れの大学生とか専門学生でわいわいとした雰囲気になる。
うちの料金は安い。はっきりいって安い。鳥貴族に毛が生えた程度だ。元実家の土地でやってるからな。
そんな中で、ひときわ目立つお客さんがいた。最初に会ったのは平日の夜だった。その時間帯は、アルバイトの女子大生に接客を任せて追加分のおでんを仕込んでいた。
格子枠の扉をガラガラと開けて、その人が入ってきた。外身は白っぽい作業服だったかな。時期は初秋で、作業服の下にはシャツとネクタイが覗いていた。銀色のネクタイピンも。
「ん!?」と思って顔を見ると、アァと納得がいった。あなたも人生で何度か見たことがあるのではないか。圧倒的なオーラの持ち主を。その人の目を見ただけでわかった。
ぎらぎらとしているようで、どこかあどけない感じもして、しかし落ち着いている。只者じゃない。修羅の目だ。多くの物事と戦ってきたに違いない。人生の重みは表情に出る。
見た目は30過ぎかなと思ったが、こういうのに年齢は関係ない。繰り返すが、苦難の日々は顔に刻まれる。
アルバイトの女子大生(Nさん)が彼のところに向かっていた。見たことのない笑顔で「いらっしゃいませ」と言っている。屈託のない様子で「初めてですか?」とも。
当時、コロナは流行っていない。その人(S氏)は「どこに座ったらいいですか」と言ってたっけ。Nさんに「お好きな席にどうぞ」と言われて、俺がおでんの仕込みをしているカウンターの前に座った。ほかの客はほぼいなかったと記憶している。
唐突に会話が始まった。
「涼しくなってきましたね」からスタートして、好きなお酒から、好きなアテに、この周辺でおススメの居酒屋に、S氏の仕事の話など。盛り上がった記憶がある。暇な日だったのでNさんも会話に入っていた。ルンルン(死語)な気分でS氏と話をしていた。
やがて、S氏は自分とNさんにそれぞれ1杯おごって、約一時間ほどいて帰って行った。その時はいい人だなぁと思っていたけど、Nさんがいつまでも嬉しがっている様子を眺めていて、ちょっと思うところがあった。
その日の営業が終わって現金を数えている時も、Nさんは心なしか嬉しそうだった。気のせいかとも思ったけど、やはりそんな気がした。
「なあ、今日はうちに寄っていくか」とNさんに聞いたら、「朝から講義がある。ごめん」とだけ返ってきた。
Nさんとは付き合ってまだ半年で、気持ちが通いきっていないのもあった。何かに負けたような気がして悔しい思いがした。
実際、いいお客さんだった。小一時間もしないうちに帰るのだが、その間に最低でも三~四千円は落としてくれる。自分の酒肴以外にも、店員がいたらみんなにジュースやお酒をおごってくれる。
短い時間ではあったが、いろいろ話をして盛り上がったのを覚えている。店の十周年記念の時はシャンパンを空けてくれたっけな。
金持ってるだけじゃなくて、人柄もよかった。今でも思い出す。懐かしい記憶だ。
ある時だった。S氏が初めて来店して三ヶ月くらいか。夜九時頃の店内で、残業帰りのS氏と俺とNさんで話が盛り上がって、S氏のグラスが空いたところだった。「じゃあもう帰ります」ということで、クレジットカードを受け取った。それで、コの字のカウンター卓の奥でクレカを機械に読み込ませていた。
ふと声がして、お客さんの注文かなと思ってホールを見ると、S氏がNさんと携帯電話の番号を交換しているところだった。
「今度、ご飯行こうな」「はい!」という声が調理スペースの方まで響いてきた。そのタイミングで俺は、決済処理を終わらせてふたりのところに向かった。何事もなかったようにしてS氏は、Nさんからコートを着せてもらって入り口に向かった。
普段はスタッフに見送らせているのだが、俺も一緒に入り口へと向かった。S氏を見送ると、彼は歩いて自宅の方に向かった。姿が消えたのを確認した。
「電話番号、交換したんか」とNさんに聞くと、「うん。何度もしつこくって」という返答があった。ご飯、行くのか」と聞くと、「多分いかない」と返ってきた。
訝しい感じがして、でも問い詰めることもできずに、そのまま調理スペースに入ろうとしたところで、ほかのお客さんから注文の呼び出しがあった。
ここまで言ったらわかるだろ。ある程度は。
核心的なところを言うと、それから二ヶ月後だった。S氏とNさんが、お店からおよそ10km離れた政令市にある百貨店の休憩所で一緒にメシを食っているのを見た。ちょうど食べ終わるところだった。
ハンバーガーか、クレープか、たこ焼きか。よく見えなかったが、百貨店内のどこかでテイクアウトしたものだろう。Nさんは綺麗な恰好をしていた。華美ではないけど、暖かそうな秋冬用のワンピース風……あれはなんというのだろうか、女のファッションはわからない。
清潔感のある装いだった。茶色の小さい鞄を肩から下げている。どちらも、俺とのデートで付けているのを観たことはない。いや、鞄の方は多分ある。
それで、ふたりが立ち上がって、時計や宝石を売ってるエリアへと階段を降りて行ったところで、俺はそのまま地下街に向かった。当初の予定どおり、常連さんにサービスする用の特別な食材を買って帰った。
俺がNさんとデートする頻度は、2~3週間に一度だった。あの子は看護の大学に通っていたから忙しかったのもあるし、俺自身がお金を貯めている最中で金欠だったのもある。
セックスはしたりしなかったりだ。割合までは覚えていないが。あの光景を見てから、次にNさんと会ったのは二日後だった。あのワンピースみたいなのは着てなかった。簡素な恰好だ。部屋着というわけではないが。
あの百貨店の近くの河原町通りやアーケードを一緒に歩いて、食事をして、猫カフェに行って、映画を見て、近くにあるホテルに入った。
あの時の俺は必至だったと思う。いや、必死だった。「愛してる」とベッドの中で何度も言った。伝えた。本当は、叫んでいたかもしれない。Nさんもベッドの上でいろんな動きをしたり、いろんなことを言っていた。
でも、Nさんは行為の最中に特別な何かをするでもなく、普通の調子だった。普通のセックスだった。30分で終わった。いや、なんかもうわかっていた。そんな気がしていた。
「別れよう」と言われてはいなかったが、Nさんと会う頻度が落ちていった。次にデートするまでに一ヵ月以上かかることもあった。
S氏がお店に来る頻度も落ちていった。さすがに計測はしてないが。S氏は素直に凄い奴だと思っていた。いい大学を出てるし、いい会社で働いてるし、偉ぶったところもないし、自己中に感じることは稀にあったが、よくいえば決してブレない。
俺は高校を出てない。子どもの頃から勉強が嫌で嫌でしょうがなくて、それで進学から逃げて、17才の頃までは完全なるプー太郎で、親に叱咤激励されて伏見の小料理屋でアルバイトを始めて、滅茶苦茶に厳しい毎日で、それでも料理作るのが楽しくなっていって、中年に差し掛かった頃に両親が死んで、相続した土地と家屋を改装して今の店にした。長かった。
でも、やっぱり真の人格ってものがあるよな。S氏は、スタッフに飲み物をおごってくれなかった日は一度としてない。店員が男だろうが女だろうが、必ず一杯は出してくれた。俺はほかの店に飲みに行っても、可愛げのある女の子の店員にしかお酒は出さない。
S氏は、はっきりいって『上』の人だと思う。Nさんの件さえなければ。これで俺より五つ以上も年下なんだから笑えてくる。
そんなこんなで、半年も経つ頃には諦めがついた。ある日、お店でS氏と話していた。それで、ふいに聞かされてしまった。
「先日、Nさんのお父さんに会ったんですよ」
だってさ。キツイ。当時の俺にはキツかった。Nさんへのデートの打診を3回続けて断られていた。そういうことだったんだな。
俺の中で何かが切れた音がした。少年時代に読んでいた漫画(ジョジョだったと思う)で、「切れた。僕の中の大事なものが……」といった台詞があった。当時は、そんなわけねーだろと苦笑していたが、ジョナサンの気持ちがわかったかもしれなかった。本当に、心や体の『糸』が切れると、抵抗する気すら起きなくなる。ただ、沈んでいくだけ。
Nさんのことは諦めた。
それから二ヵ月くらいか。鬱々とした気持ちで過ごした。どうしようか。悔しい。畜生。どうすることもできない。でも、やっぱり悔しい。畜生だな、本当に。いや、くっそ。悔しいんだよ。でも、感じない。心がマヒしているみたいだ。本当は悔しいって思いたい。
俺の大事な女を取りやがって。くそ、くそ、くそ!! あいつさえ、あいつさえいなければ。畜生!! ○してやりたい。
暗い気分にさせてごめんよ。もうちょっとで終わる。あれは四年と少し前のことだ。初夏の頃だった。大きい台風が迫っていて、すごい雨だったな。うちの店はそれでも営業していた。開店当初から決まっているのだ。どんな雨風が来ても絶対に店を開けてやると。
そういう時にうちに来るのは、決まって大雨対応で疲れ切った近所の人か、ほかの店が閉まっているために流れてきた飲み客だったりする。
土曜日の深夜だった。S氏が疲れ切った様子で店に来た。スタッフはみんな上がらせていて、俺しか店に残っていない。彼は「いや、疲れましたよ。何時間か寝たら、また職場まで出発です~」といったことを告げて、メニューを手に取ろうとしていた。
「増田さん。外の雨、すごいですよ」
「ええ、すごいですね」
「二十年前もこんなんがあったんですよ」
「本当に? 自分、このへんの生まれじゃないんで詳しくなくて」
「大雨の対応って。樋門(※排水ゲートのようなもの)の面倒でもされてはるの?」
「そんなものです。そうだ、せっかくですから一緒に外に出てみませんか。ある意味記念です」
「ほな行ってみましょ」
そんな具合で、店から歩いて一分ほどのところにある鴨川(のさらに南の支流)のほとりまで来た。家屋と家屋の間に雑草だらけの小道が通っていて、そこから川の方を向いた崖地に辿り着いた。
真下を見ると、葦やら雑木やら上流からの堆積土やら、いろんなものが流れ着いている。見た目の悪い場所だった。今は河川の底を拡げる工事が進んで、もっと綺麗になっている。
俺は傘を差していて、S氏は簡易なヤッケを装備している。真っ暗な世界の中で、唯一の明かりが頭上の頼りない水銀ランプひとつだけだった。今は、2人で濁流を真上から見ている。ここから飛び降りたとしたら、数秒もかからないうちにドボンだろう。それほど水嵩が増している。水の色は見えない。
「下流はとんでもないですね」
「ここよりはマシですね。護岸が整備されてるんで」
「こないな時期に大雨の対応はしたくないでしょ」
「はははは。まあそうですね。でもね、しっかりしないといけないんでね。結婚もするんで」
俺は何も言わずに、彼の方に寄った。
「危ないよSさん。下がって」
その時、殴りつけるような雨が降ってきた。風も強い。S氏は、身を屈めるようにして風雨から身を守っていた。すると、ふいに彼が鴨川の方を向いたっけ。しみじみとした寂しい背中だった。
「Sさん」と声をかけると、いまだに彼は増水した河川を見下ろしていた。風がまた吹いてきた。強い風だった。
……数分が経って、俺は雑草だらけの小道の途中にいた。後ろをサッと振り返った。誰もいなかった。雨の音がうるさい。
そのまま、雑草だらけの小道をザクザクと踏み分けて行って、店の方まで戻った。お客さんが来ていないことを確認して、ラジオで大雨情報を聞いて、誰も来ないだろうという個人的な確信が強まっていった。
特にオチがなくて申し訳ない。誰かが悲しい思いをしてるとか、嬉しい思いをしてるとか、そういうことでもない。
お店は今も普通に営業している。あれからすぐにNさんは店をやめてしまったが、そこは腐っても京都府内だ。別のアルバイトに「いい子いない?」と聞いたら、新しい子が面接に来た。幸いにも、Nさんと同じくらい朗らかで明るい雰囲気の子だった。今でもお店で働いていて、辞められたら困る人材に成長している。
ずっと思っていた。苦しかった時期のことを話したいと。あの日を境に肩の荷が下りて、心と体が軽くなって、ゆっくり眠れるようになった。すっきりした気分だった。今ではのびのびと働くことができている。
今まで「自転車が歩道を走ってくれていた」という状況に甘えていたのはお前も同じだって自覚ないだろ?
なーんか全くもって緊張感がないんだよね。
「よくわからないけど、逆走してる自転車が捕まるようになるだけでしょ?」ぐらいに皆思ってそう。
そしてソイツらの多くが「歩道を逆走してる自転車」という存在しない概念が罰せられると本気で信じてると思う。
あの、マジでいないですからね「歩道を逆走している自転車」なんてものは。
歩行者が歩道通る時に「どっち向きで歩かなければいけないか」を意識してますか?
してないですよね?
「歩道を走っている限り、自転車は歩行者扱いなので、逆走は存在しない」が正解なんです。
ただし、「周囲の歩行者を危険に晒す速度(周囲の状況に対して安全な距離で止まれない速度)では走ってはいけない」が適用されるだけなんです。
つまり目一杯の上限においては「周りに歩行者がいなくて、飛び出す可能性もないなら、自転車は次の飛び出しポイントまでに停車出来る範囲の速度でどっち向きに歩道を走ってもいい」がルールなんです。
下限においては「周囲を歩行者に囲まれている状態の自転車は歩行者と同じぐらいの速度以上を出してはいけない。走行によって歩行者の移動経路が変わるなら車輪を1ミリも回すな。諦めて押して歩け」となるのでこっちのイメージが強いかもですが。
そもそもこの「歩道に逆走はない」を理解している自動車乗りってどれぐらいいますか?
自転車のルールを知らないで自動車で自転車跳ねた場合に10:0食らって「しらねーよ!俺は自転車乗らね―からよー」は通用しないですよ?
嘘だと思うなら運転免許の教本捲ってみてください。