はてなキーワード: メソッドとは
最近、自己肯定感を高めるメソッドなどを読んで自分の中で意識改革があったのだけれど人間は「ダメでもいい」のだ。
「ダメでもいい」のだけれど「ダメでもいい」と思えるようになるのがわたしには難しかった。
そんな考え方になってしまったのは高校生のとき国語の教科書に載っていた、夏目漱石の『こころ』の登場人物Kの影響が大きい。
Kの生家は寺で、修行僧のようなストイックさを持ち勉学に励む青年だ。恋愛にうつつを抜かして真面目な話に取り合わない「私」に対して「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と一刀両断する。
わたしはこの「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」に非常に感銘を受けてしまった。
精神的に向上心を持たなければいけない。自分に至らぬところがあれば努力しなければならない。決して現状に満足してはいけない。そして努力の見られない他人を見下すようになってしまった。
(余談だが他人をdisることで自分より下がいると思い込みたいのか、自己肯定感の低い人ほど他人に対して攻撃的になってしまうらしい)
自己肯定感の低い人間がそれらの行動をとるとどうなるのかというと、結果としてわたしは自己否定のループに陥ってしまった。
こうあらねばならないという理想だけが高く努力を続けるが、結果を残せず「もっと頑張らねば」という感情だけが残る。次第に「こんなに頑張っているのに結果を残せない自分とは……」「いつまで頑張らなければならないのか」「頑張っても結果を残せない自分は精神的に向上心のない馬鹿だ」と思うようになった。自己を肯定できない負のループだ。
自己肯定感を高めるメソッドに「小さな目標を立ててそれを達成し続けている」というものがある。だがそれは間違いだと思う。
間違いというより、成功体験を積み重ねることで自信がつくというのは理にかなっているが、高い自己肯定感というものは「ありのままのどんな自分でも肯定できる」ことだ。自信がある=自己肯定感が高いというのも間違いではないのだが、どんなに失敗しても、結果を残せなくても「それも自分だ。それも良い」と思えることこそが自己肯定感の高さなのだと思う。
最終的に「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の大ブーメランを受けて自死してしまうKの末路には目を伏せて、この言葉を信仰していたわたしにはどうしてもダメな自分を肯定することが難しかった。ダメな自分を受け入れているのは「精神的に向上心がない」。完全にKに呪われていた。
だが人間は「ダメでもいい」らしい。自分のこころを守るために、失敗を重ねた自分を罰して傷つけないように「ダメでもいい」ことを受け入れられるよう考えてみた。「このままでもいい」と言い換えてもいいのかもしれない。今まで向上心をなくさないよう気を張りすぎていたのか、現状を肯定するよう努力してみたら、すとんと心が軽くなった。自己肯定感が低い人間は少しくらい図太く生きてみるのもいいことなのだろう。
身の丈にあった幸せや、すぐそばにある大切なものを慈しむことも自己肯定感を高めるために必要なのかもしれない。「ダメでもいい」とこころで唱えながら今日もKの呪いと戦っていく。
「 ①IFでAかBを選択させてどっちかの設定を実行
②Whileで決められた回数分繰り返す
これでやりたいことは分かる。分かるけれどこれでどうやって動画や音楽のエンコードをしたり
画像処理をしたりするソフトウェアになるのかというのがよく分からない。」
プログラミングでやることは、その2つだけじゃなくて、もうひとつある。
③関数を呼び出すこと
Javascriptなら、console.log("Hello world")。
これは、テキストを出力するという関数を呼び出していて、関数の内部を理解しなくても使える。
オブジェクト指向も、結局はこれと同じこと。あらかじめ用意されている関数・メソッドを呼び出せばいい。
お前それ自分でやれよってのとかくだらない質問とかいろいろあってちょっと楽しい
本流プログラミング質問サイトよりも回答がついてないのでわびさび楽しい
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11234975486 (2日前)
ないっすね
たとえばExcelにはPRODUCT()という範囲全部掛け算するもんにょい関数があるんだけど、Rubyにはないっす
一般的なプログラミング言語で全部かけたり全部わったりする関数/メソッドがあるのってそうそうないんじゃないかな
あまりに頻繁なので、「合計する」という機能を持つsumだけがあちこちのプログラミング言語で特別扱いされてると思ってくだされ
添付zipに後でパスワード送りますメソッドは案外意味がある。メール盗んでるような連中はひとつひとつメールを見てるわけやなくて取れた添付ファイルを片っ端から辞書解析してくような奴が大半だから。盗める添付ファイルは膨大な量なんである程度簡単なパスワードで破れないならすぐ諦める、でないと計算機資源が足らんし、そもそもその程度でも手に入る攻撃対象は十分あるから。だからある程度長くて複雑なパスワードつけときゃメールで後でパスワード送るやでってやっても大半の犯罪者からは守れる。メールのスレッド追ってパスワード部分だけ抜き出すようなスクリプト使ってる犯罪者はそんなおらんからな。犯罪者の奴らが量子コンピュータで暗号解くとかめっちゃ賢いAI使うとかし始めるまでは今のままで安心しててええやで。
男は長年、「男だけなのはけしからん」という批判を受けてきた。
男しか会員になれないゴルフ場が国際的に顰蹙を買ったこともあった。国技で女を排除していたことが批判されたのは記憶に新しい。
だから男の考える男女平等や女の地位向上とは、「自分たちの場所に、なるべく異性を迎え入れる」という形になる。
女をもっと採用しよう、男しか入れない施設はけしからん、というのが男の考える男女平等であり女の地位向上だ。
だからゴルフ場や土俵についての問題では、女だけじゃなく、多くの男がそれを批判した。女を排除するのは性差別だと。
ところがなぜか、女で女の地位向上を訴える連中は、世にあふれる「女しか入れない施設」には何も文句を言わない。
文句を言わないばかりか、積極的に擁護していたりする。これは差別じゃない、とか何とか屁理屈をつけて。よっぽど「女だけの場所」に価値を見出しているらしい。
でも、男だらけの場所はけしからんから女も入れろ、という男女平等の理念を聞いて、なるほどもっともだ、そういう差別はけしからん、と積極的に同性だらけの場所を異性にも開かれた場所にしようとしてきた男からすると、はっきり言ってただの差別としか思えない。
池袋とか渋谷とか新宿とか、そういう繁華街を歩いていて、「男性専用」なんて看板はまったく見かけた記憶がないけど、「女性専用」の看板はあちこちに見かける。
夜の街とかに行けばひょっとしたらあるのかもしれないけど、少なくとも、若者がキャッキャウフフしながら歩いてる昼の街で「男性専用」なんて差別的な看板があったらかなりギョッとすると思う。幸いにしてそんな性差別的な看板は見かけたことがないけど、でも「女性専用」って看板はカジュアルにそこら中に存在していて、それを見る度に内心ではウゲッと思っている。
旅行しようとして、良い時間帯の深夜バスを見つけたと思ったら女性専用だった、ということはあるけど(おっ! これめっちゃいい時間じゃん! ってウキウキしながら詳細見てかなりがっかりした)、男性専用バスなんて見かけたことはない。そもそも、そんな差別的なバスがあったら何よりも男の自分がドン引きする。
それなら男性専用のバスとかがあっても彼女らはドン引きしないってことなんだろうか。男女平等って何なんだろうか。
性別によって公共交通機関に乗れない車輌があるのも、めちゃくちゃ理不尽に感じる。男からすると仮に公的な空間でトイレや風呂でもないのに「男性専用」なんてあったら「これって差別じゃね……?」って思うと思うんだけど、なんで女が平気な顔で女性専用の公的空間に出入りできるのかがわからない。
仮に男が平気な顔で男性専用の公的空間に出入りしてたら「恥を知れ」って言われて当然だと思うよ。
たかだか一両に乗れないくらい実害がないだろとかいうテンプレ反論はマジで意味わかんないよね。みんなそんなに土俵に乗る機会があるの? 女が土俵に乗れなくても99.99%の女には不利益ないでしょ? なんでみんなあんなに怒ってたの? 実害なんてほぼないのに!
今日も便利な場所にネカフェがあるな~と思ったら女性専用だった。なんなんだこれ。
やっぱりわけがわかんない。実は俺の思い描く男女平等と世間様の男女平等とは違うものだったのか。そういう施設を見かける度にモヤモヤが心の奥に溜まっていく。
マジか、知らなかったわ情報感謝。まだそういう人権意識皆無な差別的営業をしてる店ってあるんだな。ワイからするとドン引きなのでそういう店はなくしていかないとな。
女性専用は安心感の提供、女性優遇はビジネス上女性客の割合を引き上げたいって理由はあるかな。優遇はともかく、男性は男性専用は特に求めないからな
安心感を理由にした排除、教科書に載るくらい典型的な差別だよね……
男性被害者もいるし、性別関係なく誰もが「安心して」使用できる場所が理想なんだけど、犯罪者だけを拒絶するの難しい。現状は女性隔離の一時措置で男性被害者は救えてない。性教育で激減するといいんだけど。
安心を重視して差別します、っていう人権感覚の欠如っぷりが本当にすごい。つきまといや盗撮やレイプをする人がいたらその人を排除すればいいだろ。事前に属性でくくって排除しようとするのは差別そのもの。
女性専用のサービスは過去そこで痴漢やセクハラストーカー等のトラブルが発生した経緯があるか発生することが想像できるから。例えばジムだと他が空いてるのに女性の隣のマシンを使い移動するとついてくる男とかいる
職員や警備員がつきまといセクハラしてくる男を個別につまみ出して出禁にする分にはなにも反対することはないけど、一律に性別で区切って出禁にしたらただの差別やんけ。イスラム教徒はつまみ出せとか黒人を見かけたら通報とか言ってる連中と同程度の倫理観しか持ち合わせてないって告白して恥ずかしくないんだろうか……こういう連中、アメリカならきっと嬉々としてトランプを応援してるんだろうなー。
差別されたくなければムスリムはイスラム過激派を非難しろメソッド! 差別されたくなければムスリムはイスラム過激派を非難しろメソッドじゃないか!
やっぱ女性専用○○を積極的に擁護するようなやつって差別主義者ばっかりなんだね……
ほらよ、実害なんてないのに怒ってた市長さんの例な>女性理由に土俵下であいさつ「悔しい」 兵庫・宝塚市長:朝日新聞デジタル
この場合、この人が土俵に上がれなかろうが何も実害はないよな? 土俵際でスピーチはできてるわけだし、土俵に上がったからといってスピーチのパフォーマンスが良くなったりはしない。たかだか数十センチの土盛りに上がれないのなんてもう感情の問題でしかない。
でも、それこそが重要なわけじゃん。俺はこういう差別は認めるべきではないし、こういう差別を「何も実害はないじゃん」と切り捨てる気にはなれないし、それと同じく「たかだか一両に乗れないだけじゃん」なんてロジックを振りかざすべきじゃないと思うけどね。
男性専用施設やサービス、どんどんやったらいいと思う。やってほしい人が声を上げたら?女性専用車両は声を上げた人がいたから実現したのだと思うし、レディースデーは儲けのための施策でしょ。差別目的ではない。
文章読解力/Zeroかよ。俺は「男性専用施設も作れ」と言ってるんじゃなくて「○性専用施設は差別的だから基本的に存在すべきじゃない」って言ってるんだよ。
いまのなろうトレンドを見てると、音楽界にあった音圧競争的なものを感じられてならないね、というお話です。あ、そう感じただけで結論はねーです。
ウェブ小説サイト「小説家になろう!」は、日本でも有数のページビューを抱える化け物サイト。そこでは雨のあとでもないのにタケノコがニョキニョキニョキニョキ生えてくるような状況。なのでそこを勝ち登るためのメソッドがどんどん研ぎ澄まされてってます。
これについて雑に現象を収斂すると「長文タイトル(タイトルでどんな内容かを明示する)」「テンプレ化(人々が楽しみたい物語類型に従ったストーリーテリング)」の二つになるでしょうか。特に後者がやばい。ものすごい勢いで物語たちが生まれるってのは、新陳代謝、練磨の速度もそいつに伴ってきます。更に、ガンガン系やエース系、後は各紙のウェブ連載漫画などには、かなりその影響が波及している印象もあります。
が、この流れって、どこまで続くんでしょうね?
と言うのも、音楽業界に似た流れがありました。それが上で書いた、音圧競争です。
音圧ってえのは、簡単に言うと「同じボリュームで、どれだけ音が大きく聞こえるか」の指標です。音楽製作ってな、容量の決められた箱の中にどんなものを入れるか、みたいなところがあって、その箱の中により多く物を詰め込めると、それだけ音圧がでかくなります。
人間、好ましい刺激があると、もっと強い刺激を欲するもんです。音楽の場合、まさにこの「音圧」こそがそれ。でかいは正義。分かりやすい。そして、途中はすっ飛ばしますが、デジタル化で、めっちゃ詰め込みやすくなりました。スコップで穴掘ってた人間に、突然ショベルカーが与えられたぐらいのアレです。
ただね。結局、限界があるんですよね。
どんどんと曲の音圧が上がっていく。すると入れ物にギチギチになっていきます。そこに遊びがなく、息が詰まってくる。
もともと、音の大小ってのは静かなところがあってこそのハデハデしいところです。音圧競争の激化によって生み出された曲たちは、「ぱっつんぱっつんで、メリハリがない」と一部で嫌われるようになりました。その流れの末、 YouTube では「音圧でかけりゃいいってもんじゃねえぞオラ」てきな方策を打ち出します。一定以上の「音圧」がある曲が、強制的に音量を落とされるようになったんですね。このへんの具体的な内容はこちらに。
G.C.M. RECORDS
YouTubeの自分や他人の曲が何dB音量を強制的に下げられているか調べる方法
https://www.gcmstyle.com/youtube-gain-check/
これによって、一定以上の音圧を稼ぐことに意味がなくなりました。リンク先によれば、他の音楽再生サイトもこの流れにしたがっていきます。かくして音圧競争には終止符が打たれ、 「適切な音圧」の枠内で音楽たちは戦いを繰り広げるようになったわけですが。
これがね。いまのなろうトレンドの進み方にかぶる感じがして仕方ねーのです。
この辺の与太話を書こうとした動機。それは、めっちゃなろうトレンドを研究してらっしゃる方、「うっぴー/ライトノベル作法研究所」さんのこのツイートを拝見し、んん? と思ったことでした。
>> You Tubeで昔のエロゲのプレイ動画を見たら。 ・展開がダラダラと劇的に遅い ・主人公下げ。ヒロイン下げなどのストレスがちょこちょこ挟まり、すぐにこれが解消されない ・無駄と思われるシーンが多い。 エロゲは人生のバイブルですが、現代のなろう小説がいかに進化しているか、わかりました <<
https://twitter.com/ranokenn/status/1328484670778920961
うっぴーさんは別のツイートで、なろう作品では「共感させ、大活躍させて、すげぇと言われて、ざまぁすることが超重要」と説かれています。つまり、感情移入できる主人公が強くて、活躍して、ムカつくやつをやっつけて、称賛される。ついでに言えばモテる。それをいかに物語の骨子とできるか、が「なろうで勝ち上がるために」重要だ、と仰るのです。
主人公アゲが作中でなされればなされるほど、読者は高揚する。なので、それをより端的に、継続的に提供し続ける。そういう作品が、勝つ。更に言えば、「長文タイトルで」どのような方向性の主人公アゲがもたらされる物語なのかを、余すところなく語る。
ここで、主人公アゲを「アゲ圧」と呼びましょう。
月刊少年漫画誌の作品などは、「エピソードボスを倒す」というアゲ圧マックスポイントを作るために、途中ではアゲ圧を下げます。主人公のピンチ、初戦の敗北、回想シーン、などですね。これらを積み上げ、エピソードボス撃破、及び後日談というアゲ圧マックスポイント、いわゆるカタルシスを演出する。
っが、なろうではこの悠長なやり方が通用しません。一定以下のアゲ圧となると、読者の離脱が発生するそうなのです。ゆえに、常にアゲ圧の高さをキープ、なんならほぼ全編クライマックスくらいの状態を作るようにせねばならない……のだ、とか。
その精華が、うっぴーさんのツイートに現れているように思うのです。よりスピーディーに、より劇的に、物語を組み上げる。なるほど。けど、それってどこまで行っちゃうの?
「なろう系」を提供する総本山、小説家になろうは、レギュレーション違反以外のことで作品には介入しないのを旨としています。となれば、YouTube が見せたような「いい加減音圧競争やめーや」的介入はありえない。なろうトレンドバブルの崩壊は、自然発生的な形になるんでしょう。
ただ、ならそれがどんな形で発生するのか? また、バブル崩壊後の作品分布はどのようになるのか? こいつについては、自分みたいな半端者ではまったく想像もつかんのです。
以上の話、あえて結論を申し上げれば「おいおい、そのうちなんかおもしれーこと起こりそうだぞ、どーなのよ」となりますでしょうか。いやー、人類たのちい!
あら反応いただけて嬉しい。文通させてね。
一番多いのはこれよね。
信じてないですよ。どちらかと言うとこちらも批判的な立場です。ただし全否定もしません。「なろうという戦場の最先端近くにいる人たちを見ている」ことはすごくて、でも「それを語る氏のメガネ」は曇ってる。そう言う立場でいる中で、無双モテすげぇざまぁという感情を揺さぶるのが「なろうトレンド」という氏の発言には説得力を感じてます。油断するとすぐ否定的言説になるから、敢えてアゲ基調で書いてるけど。
ついでに言っとくと「真に受ける」じゃなくて「分析通りの状況になってる」から言及してるわけであって。今のなろうのランキング眺めてみ? うっぴー氏の分析どおりだし、あとキモいから。
「お前の作品はロミオとジュリエットのパクリだ」とか言われても「はいその通りです」としか答えようないものねー。読んで「パクり元に対してシリアスか」になってくるのかなって思うけど、正直わからん。
すげーいっぱいあるよね。ランキングにずらずら並んでるのを見て正直引いてる。
然り、然り。
このテーマね。申し訳ないけど、他ならないうっぴーさんが回答してるよ。「なろうは時間つぶし、暇つぶしに見る人が多い。こういう人たちは、たとえどれだけ頭がよくても、あまりものを考えずに読めるものが欲しい」ってね。
もと発言者を信用するかどうかはさておき、このテーマそのものは興味深いと思ってるよ。
これ、俺も正直よくわかんない。けど「書きたいものを書いてウケないよりも、書きたくないものを書いてウケたほうが嬉しい」って言ってる人もいるし、そうなんじゃないかな?
せやな。だからその辺の話してないやろ? 「目立つとかってだけ」の話しかしてない。
というかそもそも「ガチで読みたい」人ははじめっからランキングなんぞ頼んねえだろうよってゆうね。そしてガチで読みたい人なんてさらっと読みたい人に較べりゃ圧倒的にパイが少ない。そんな人が求める作品なんざどだいランキングになんぞ上がってこねーでしょう。
奇遇だね、俺もあなたの「珠玉金剛」って表現気持ち悪い。まぁ合わない人同士、ここは距離を置いときましょうや。
ありがとう。技術論云々以前の、こういう感覚的な部分って決して見過ごしちゃならないものだって思うんだよね。
人間、よりわかりやすく、より刺激の強いものを、ってどうしてもなるよねー。
ぐんぐん圧縮され過ぎて、そのうち新規参入の人が見たらただの奇形物にしか見えなくなるんじゃないかなって思ってる。ていうか正直俺には今のなろうトレンドって奇形物の集まりにしか見えない。
わかる。転スラ読んでギブアップしたのもそれ。
謎の圧力にさらされて疲弊するんですね、わかります。確かにそういう作品多い。
「限られた範囲で、いい塩梅で」ってのは、まぁ確かに簡単に実現できるもんでもないしねぇ……。
わかるー。オールオアナッシングのほうが楽だよねー。余計なこと考えなくてすむし。じゃあその方向で、ご自由にどうぞ。
こっちの書きたかったことが一切伝わってないのはわかりました。
もうありそう(こなみ)
配信者達の努力にコロナブーストが加わって今ネット配信は史上最高峰の伸びを見せている。もはやその盛り上がりと経済効果は動画勢も無視できないレベルになってきた。
ただ海外に比べると日本の配信界は独特の進化をし、混沌を極めている。まさに配信戦国時代だがそれを3つにグループ分けしつつ解説する。
①二次元
主にvtuberが中心の枠組みだ。代表格はにじさんじやホロライブで、主にyoutubeを媒体としている。億単位で稼いでいるであろうvtuberも複数存在したり、コンビニとコラボしていたりする、とんでもなくばブリーな集団だ。今の配信界の異常な盛り上がりを作った功労者ともいえ、日本どころか海外からの人気も高く、海外版としてデビューしたvtuber(Gawr Gura)は二か月で登録者130万と、その世界的注目度は計り知れない。ここまでの躍進の理由は二つ考えられる。配信とvtuberのコンテンツの相性が良かった事(コメント読みやスパチャなど)と、【企業】というものの強さだ。
今のvtuber達の特徴は奇抜なキャラ付けと大人数であり、アイドル的な売り方をされている。これた非常に似た盛り上がりを見せたコンテンツを覚えていないだろうか。そう、秋元康大尊師引きいるAKB、〇〇坂である。リアルのアイドルの成功例を企業の力で配信に実現したといっていいだろう。オタクは女の子が集まってキャッキャ言ってるのが大好きなのだ。しかもvtuber達は異性の影も薄いし、オタクの大好きな話をしてくれるし、なんならスパチャを飛ばせば下ネタまで反応してくれる。日常系のアニメが毎年流行るオタク界隈で流行らない訳が無いと言えよう。このまま勢力を伸ばし続けて日本の配信=vtuberとしてしまうかどうかは見ものだ。尚、この枠にはすとぷりや歌い手等顔を出さずに1枚絵で活動している配信者も入っている。(vtuberは男性人気だが、こっちは圧倒的に女性人気)まぁ、右下にちょっと動く絵がついてるかついてないかの差であってほぼ変わらないので説明は割愛する。
②ストリーマー
配信者とストリーマーって同じじゃね?というのは正しい疑問であるが、ここでは今海外でスタンダードなスタイルで配信を行っているという意味でこの名称にさせてもらった。代表各はDeToNatorやcrazy racconなどのプロゲーミングチームで、twichやOPENRECを媒体としてる場合が多い。元プロ、現役プロの華麗なプレイを配信し、その切り抜きをyoutubeに上げるという二段構えのスタイル。海外での「配信」はほぼこのスタイルであり、世界一の配信者として名高いshroudやninja、Tfueも同様だ。彼らのような海外ストリーマーが大富豪になり、大注目されていたにも関わらず、日本のストリーマーは長年あまり日の目を見なかったと言ってもいい。これは日本がesports後進国であり、ゲームが上手い奴が尊敬される文化が薄かったのが原因かもしれない。しかし日本にも徐々にesportsが浸透し、オンラインゲーム(フォートナイトやAPEX)の人口も増えたことに加え、従来はコアなゲーマーが視聴者の中心だったがvtuberや動画勢のyoutuberとも積極的に絡むことで一般層にも存在が浸透したことで徐々に追い上げを見せてきた。しかしまだまだ①と③には及ばないのが現状だ。ただ、youtube以外のサイトでの配信は専属契約であることが殆どなので収入でいったらそこそこ貰ってそうだが。
①と②の配信者がランキング上位の殆どを占めるのが今の日本であるが、日本の配信文化は10年ほどはニコニコ生放送が中心だった。(それでも日陰だったが。)しかしvtuberバブルによって日本古来の配信者は地の底に落とされた。配信を見る人口は何十倍にもなっているにも関わらず彼らへの恩恵は無かったのだ。女性配信者に至っては少しでも人気があった生主はほとんどvtuberになってしまったのでもはや残っているのはエロASMRぐらいである。なんならそれすら持ってかれた。しかし例外は2人いる。というかこの枠組みはほぼこの2人専用である。加藤純一(うんこちゃん)とコレコレだ。①と②で代表格を合わせて4つの企業(チーム)を出したが、この二人はその企業が総力を尽くして集める人数を個人で出すことが出来る、規格外の人気を持っている。日本一の配信者は誰?という質問の答えはこの二人のどちらかを出すことが正解だろう。この二人の配信は「人を集めるメソッド」が詰まっているともいえるので、明らかに彼らを意識している配信者は多数いる。(①でいうと兎田ぺこら、鳴神裁など。)他の配信者が①と②の勢力に押しつぶされた中でこの二人だけが圧倒的な人気を誇った理由は、立ち回りのうまさと替えの効かないコンテンツだったからと推測される。①②にはない個人だからこそできる強みもあるだろう。逆に言えばこの2人の配信者がvtuberに押しつぶされたその時は、日本では配信者=vtuberになる時である。この二人がバブルによる視聴者数のインフレにどこまで乗り切れるかは見どころだ。
我社ではコロナになってからとにかく毎日洗濯できる服を着用してくるようにとの指示がでた。
そこで要望を募ったところ、一番に不要認定されたのがネクタイだった。
その後の匿名アンケートの結果でも、ネクタイを洗う頻度は8割以上で半年に1度未満という回答が出た。
安いネクタイしかつかわないので、どちらかといえば汚れれば洗わずに買い替えていた。
ポロシャツであればジョブスメソッドよろしく同じものを大量に買い込んでいつも同じ格好ということもできるのだが、なぜかネクタイはそれを許さない空気がある。
確かになんの変哲もない白シャツにワンポイントのファッション性をプラスしてくれるものでもあるが、むしろそんなものは毎日の生活にストレスでしかなかった。
こんなことを思っているのは自分だけかと思っていたが、晴れて着用NGになってから3ヶ月後のアンケートでは、9割の社員から大絶賛の回答。
残り1割もどちらともないという回答で反対は0だということがわかった。
ジャケット、スラックスは流石に毎日の洗濯は難しいので、必ず天日干しをして2日以上の着用はNGということで決着がついた。
緊急手段として、天気の都合で天日干しができない日、大雨などで汚れることが確実な日に限ってはポロシャツとジーンズ、スニーカー着用もゆるされた。
業種は割とお硬いほうなのだが、営業先での評判も良く、どちらかというと新しいライフスタイルにいち早く対応した企業として評価されているという話も聞こえてくる。
そこでふと疑問になったのは、今までネクタイに費やされてきたコストとストレスは何だったのかということだ。
ネクタイがおしゃれだったとしてもおしゃれさんになれるわけでもない。
つけなれてきたとはいえ毎日着用に時間を取られ、曲がっていれば馬鹿にされ、同じものをつけ続ければ陰口を言われる。
こんなに誰も得をしないものをなぜ今日までつけ続けてきたのか、今になれば疑問でしかない。
冠婚葬祭以外のネクタイは、むしろ気取りすぎるくらいの空気になってくれ世の中。
それが新しい生活様式ってやつだと思うのだけどどうだろう。
プログラミングできる気になった自称中級者は、ソースコードに共通のパターンが現れると決まって、その処理を関数などに共通化したがる。
たしかに、そうすることでソースコードは短くなるし、一見して保守性が上がったような気になるのだが、それは間違った作法だから止めろ。
細かいこと言っても伝わらない自称プログラマが読んでることを想定して、先に結論を簡単に書いておく。
なぜコードを共通化するのがいけないのか。理由は簡単だ。要するに、コードが似ているのは単なる偶然であって、それらは別の処理だからだ。
別の処理だから共通化するのはおかしいし、もし共通化した処理の一方のみ仕様が変わった場合、その修正は他方にも影響してしまう。つまり、保守性が下がっている。
たとえば、同じプロジェクトの中に、10%の消費税を加える処理と、10%の金利を加える処理があったとする。この2つの処理はともに元の金額を1.1倍する処理であり、全く同じ処理であるが、共通化してはいけない。
これらを共通化してしまうと、たとえば金利が8%に変更になったとき、金利計算の処理だけではなく、消費税を計算している箇所すべてを変更しなければならなくなる。
実際のアプリケーションでやりがちなのは、複数の処理の「事前処理」「事後処理」などを1つの関数にして、呼び出し毎に細かい挙動を引数で制御するようなパターンだ。
これは結局、改修を重ねる度に「事前処理」「事後処理」の内容が使用箇所によって全く異なるものとなり、それに対応するために
他にも、GUIアプリでユーザーの応答を待つDialogクラスなんてものを作って、使用箇所ごとにメッセージやボタンに割り当てる処理などを切り替えることがある。
これも間違いなく、プログラムが成長するにつれて破綻する。たとえば、ある場所のダイアログは、表示するメッセージがテキスト形式のみではなくなり、脇に画像を表示するかどうかのフラグをコンストラクタに渡したり、Dialogを継承させて表組みを表示するTableDialogサブクラスを作ったりすることになる。ボタンが「OK」と「キャンセル」の2種類の場合じゃなくなって、表示するボタンの数をコンストラクタに渡したり、ボタンに割り当てる処理をリスト形式で渡したりし出す。
こうして、最初は良い設計に見えたDialogクラスはどんどん複雑になる。こうなった原因は明らかで、本来は異なるものを共通化したからだ。おかしな色気を出さずに、素直に別々に実装しておけばよかったのである。
プログラミングをする上で「コードを共通化する」なんてことは意識しなくていい。それよりもプログラマがすべきことは、処理に適切な名前をつけることだ。そのプログラムにおいて「単なる変数の操作」を超えた意味のある処理には名前をつけろ。そして、同じ意味の処理なら同じ関数を使うし、違う処理なら違う関数を使う。それだけだ。コードが共通化できるかどうかなんて全く関係ない。
変数、関数、クラス、名前空間等が再利用のための機構だという先入観は一旦捨てろ。それらの真の意義は、「関心の分離」にある。つまり、実装を隠蔽し、その意図を抽象するために存在する。たまに勘違いしてる奴がいるが、別に1回しか使われない関数とか、1行しかない関数はあってもいい。というか、この原則にしたがって設計すると、ほとんどの関数(or メソッド)は数行になる。
上の消費税の例で言えば、「消費税を加える」「金利を加える」処理は、明らかに単なる算術演算以上の意味のある操作だから、関数化する。そして、それぞれの実装は当初の仕様では奇しくも全く同じになる。消費税を加える箇所では前者の関数を呼ぶし、金利を加える箇所では後者の関数を呼ぶ。
これはこう言い換えることもできる。消費税を加える関数を変更するのは、消費税の計算処理が変わったときのみであり、金利を加える関数を変更するのは、金利の計算処理が変わったときのみである。つまり、すべての関数は、それを変更する理由がただ1つになるように設計しろということだ。
こういうアプローチでプログラムを書くと、ソースコードはあたかもそのアプリケーションのドメイン特化言語で書かれたかのような見た目になる。
また、一つ一つの関数は小さく、理解しやすく、テストやデバッグも容易になる。そして、結果として再利用もしやすくなるし、プログラムの変更も容易になる。
思った以上に反響があって戸惑ってます。一部に法務がなんだ心配されていますが、それどころじゃないだろうから大丈夫でしょう。ファミマ最高!
思った以上にセブンが好きな人多いのね。同様にファミマ嫌いな人多い。ローソンはズッ友だよ?
店舗が汚い、店が暗い、喫煙所無くせ、帝京魂ウザい、イートインの三角ポップの教習所邪魔、変な家庭教師の広告嫌い。分かります。SVだってなんかな~って思います。店内放送の質は3大チェーンでは最下位だと自負してます。良くならないでしょうね。あとセブンよりファミマとローソンはオーナーの裁量に自由があるので、よくも悪くもオーナーの色が店に出ます。セブンはそんなもん出させません。指示待ち人間はセブンおすすめ。分厚いメソッドが貴方を物言わぬ奴隷にしてくれます。
飯が不味い。そこら辺はファミマの歴史見てください。西友の弁当美味しい?ローソンも同じ。ダイエーの弁当美味しい?もちろん過去の話で今じゃ伊藤忠と三菱の代理戦争だけど、昔からの付き合いや考え方ってのは変わらないもので、もちろんファミマもお母さん食堂とか言って中食頑張ってるよ。今のコンビニの主力は中食。弁当より儲かるし!オススメはおにぎりと味噌汁と中食でデスクで定食だ!おにぎりが不味い?諦めろ!あれやこれやで開拓や改善は時間がかかる!まぁ、正直なんで香取慎吾に女装させたのか分からないです。あれでおふくろの味とか訴えられる訳無いと思うけどね。
コーヒーの話題もあったので一つ。なんかセブンイレブンがコンビニコーヒーの元祖みたいな面してファミマとローソンが後追いみたいな感じだけど、セブンイレブンが最後だからね。最後尾からやってきて一気に抜き去ったよ。俺ら当て馬?セブンイレブンの凄さはあんなに使いづらいと言われた佐藤可士和のセブンカフェをゴリ押しできる強さだね。味も良いけど。同業他社もあれ見て思ったよ「RとLって右と左か?」「コーヒーとカフェオレしか無いでやんのw」ってね。カップ自動判別機能型が出た時は勝利すら感じたけど結果はご覧の有様。コンビニ店員にクソ面倒な客対応任せて、とにかく使わせて慣らせば良いんです。使いやすさとかどうでも良い。あと考えさせない。ミルク要る?暑いの?冷たいの?これだけ。押せば出る。ラージは2回押してねとか敗北よ。機械が埋まってたら後続の客は買わないから。何故か弊社は種類が豊富になり、ローソンは種類に加え手渡しになった。確かに減らすとサービス改悪に思われるから仕方ないけど、たぶんコーヒーとカフェオレ以上を求める客はスタバ行くよね…手渡しに至ってはクルーの呪詛しか聞こえてこない。
セルフレジがあるからローソン、ファミマ行くって人。ありがとう。王者はいつもの様子見だから、世論がセルフレジ渇望したらきっと対応するよ。アレ現金使えないけど、バイトが適当に性別と年齢押してるデータがSuicaや電子マネーで確実なデータで取れるから王者もやりたいだろうけど、正直人件費減らせないし透明なカーテンで良いよねって考えてそう。セルフレジって大半はスムーズに使うけどやべぇーのが使うとマジで友人の数倍時間とマンパワー取られてぶっちゃけ迷惑。あと万引にも影響出る。アレのおかげで見分けつきにくい。有人レジ最高。
あれやこれや書いたけど、ファミマは今後純度100%の伊藤忠になるので、まぁそのなんだ、期待はあんましないで。もう抵抗は出来ない。無印良品とかほんと何だったんだろうね。無印あれば女子来ると思ってたのかね?そのくせガツ盛とか作るし。ローソンも最近ソッチ方向だし商社内でのブームなのかな?お互い中小のコンビニチェーン吸収したけど、そこの強みを全く活かせずクルーの手間だけ増やして、吸収されたチェーンのファンを怒らせるばかり。他社ながらスリーエフの焼き鳥を死なせたローソンはマジで凄い。結局焼き鳥じゃなくて鶏が欲しかったんだろうな。アレくらいの冷酷さを弊社も持ちたいね。
ちなみにみんなが思っている事はオーナーも思ってて、研修での新商品試食会とかでも意見出るけど何も変わらんわ。SVはなだめつつ這いずり回ってたまにはキャバクラ連れてってオーナーや店長を諦めさせる為に日夜頑張るのです。ぶっちゃけエクレアの成功を今だに懐かしがってるフジテレビってイメージで良いよ。ファミマは。
セブンイレブンだけじゃなくローソンもファミマも今後はより味はそのままに量は減っていく。これは断言できる。それだけ裏はいっぱいいっぱいだ。無理させたらコンビニオーナーのてるてる坊主が全国で発生するからそれは貸付している各社的にも困る。なのでお客様に負担していただく。今の味と量で満足出来ている方もその内もう一品買う事になる。そして文句言いつつコンビニで買うのです。コンビニに来るのは『余裕のない』人です。時間にも、お金にも、心にも。だから我々コンビニは極力考えずに思ったままに簡単にお買い物や生活サービスを出来るように進化していくのです。これからは付加価値だと各社頑張ってます。弊社ですとジムやコインランドリーと併設とかもはじめてます。他社はオフィスに機械置いたりオフィスグリコみたいなのも始めたりしてます。駅ナカは最もたるものです。改札無いは逃げ道が無い。10年以上前から頭打ちだった業界が見つけた最後の楽園。東武はファミマ、東京メトロはローソン。JR西日本はセブンイレブン。目指すは胡座かいてふんぞり返っているNEWDAYS!アイツ倒した時に業界的に一段落つきそう。
ほらほら、どんどん貴方の生活に溶け込もうとしていますよ?嫌でも買うしか無いんです。歩けて選択出来る今は良いけど老いたらどうする?思考力は低下し足腰も弱る。宅配サービス?コンビニもやってます。セブンイレブンもファミマもローソンも、年老いた貴方をお待ちしております。