はてなキーワード: 費用対効果とは
ほんとハテナってこういう高学歴っぽい頭のいいバカが多くてウンザリするわ。
少子化対策で明石市のケースが取り上げられてから「子育て世代を周りの町から掻き集めてるだけ」とか「国全体でそんな政策やっても大した効果ないよ」とかしたり顔で書き込んでる奴ばっか。
だったらお前らそれこそ批判ばっかじゃないで代案を用意しろよ。いつも野党が叩かれる時のお得意の決め台詞「反対するだけじゃなくて代案を出せ」だよ。
お前らみたいに賢くみられたいだけのバカにも分かりやすい教えてやるよ。どうせお前らは世の中の政策や方針は「データ検証を重ねて一番正解に近くて正しいものを政策として選ぶべき」だと思ってるだろ?違うんだよ。正解は「どれだけ多くの意思決定者の同意を集められた政策」が選ばれるんだよ。具体的には「データ的には一番正解に近く国全体の利益になるけど賛同者が数パーセントでむしろ反対意見の方が多い」方法より「費用対効果悪すぎてほとんど効果ないかもだけど反対も小数で全体の4、5割は賛成してくれた」方法だったら絶対に後者が選ばれるんだよ。
明石市のケースのなにが素晴らしいって「子育て世代に的確な政策と予算を投じれば子供が増える」というシンプルな事実を突きつけてくれたことだよ。それが周りの市町村から奪っただけなら他所も真似すればいいだろ?国全体でやっても0.1くらいしか改善しないって、今まで国の講じてきた少子化対策で0.01でも改善が見込めた事例なんてあったか?ないだろ???現状では明石市のケース以上に日本全体で合意が取れそうな少子化対策なんて存在しないだろ。それでも文句あるならさっさと代案を出せ代案を!!!
それに真面目な話、「確実に効果が見込めて財政負担も低い少子化対策」なんてこの世に存在しないの。フランスのケースだって元々は少子化対策で作った制度じゃないのが結果的に効果的に働いただけだろ?「日本の少子化対策に確実に効果ある対策が見つかるまで貴重な財政を無駄使いするな」ってのは「少子化対策諦めてこのまま衰退を受け入れよう」と同じ意味なんだよ。
なんでこうお金を出したくない財務省が喜びそうなことばっかいうバカばっかなんだろね。お前らの賢さを証明するための戯言に俺ら子育て世代は付き合ってられねーの。
読んでみたけど、MMTの基本の「現代においての通貨は政府の負債。自国通貨建て国債では財政破綻しない」という点は揺らいでないよね。
外貨借金からは財政破綻するし、「実物に由来するインフレなんてのは、貨幣をどういじろうとどうにもならない。」と言うのはそうだとも言える。しかし、実物に由来するインフレは生産を増強していれば防げる。
ケインズ主義が否定されたのも、1970年のスタグフレーション。オイルショックとアメリカの経常赤字。1970年時点では石油に変わるエネルギはー殆どなかったのと、アメリカの経常赤字はベトナム戦争の反動。
だから政府が自由にすれば良いという新自由主義が生まれたのだけど、一度財政危機を迎えると緊縮財政思考も相まって二度と経済は回復しないし、近視眼的費用対効果を求めて基礎研究、応用研究を破壊するし、その一方で空虚にイノベーションだ起業だと叫ぶだけ。
事実上餌にできる鴨よ来たれと言うようにしか見えない。今の日本は新自由主義30年の結末。
まずインフレにして設備研究投資が起きる状態にすること。次に政府が長期的視野に立って基礎研究、応用研究に金を出すことでしか供給を作れないし、実物に由来するインフレの防止や、外貨借金からの財政破綻を回避できないよ。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
犯罪に合われた方には同情を禁じ得ない。
同じグループで2件被害とのことだが、同一犯の可能性はあるのだろう。下記で検討したように犯人にも難易度の高い犯罪と思われる。今回の犯人が捕まればしばらく安心して新幹線改札を使えるのではないか。
前提として、「在来線」「出口」での自動改札突破はかなりの件数が発生しているのではと思う。
1.入口
自動改札犯罪で多いのは出口だ。突破して駅から出れば闇の中。物理的確保は不可能に近い。監視カメラから追うしかないが顔を隠されたら?入口は違う。先は閉鎖地域。在来線巨大駅の改札入口はラビリンスの招待状、群衆に紛れ、ホーム多数、発着も頻繁。新幹線は違う。東京駅は最大だが東海道とそれ以外の新幹線改札は分かれおり規模は知れている。駅員の密度は高く、客の密度は相対的に低い。警察もいる。泥棒と叫ばれ追跡されれば逃げ場はない。ホーム上の捕り物はダイヤを荒らし危険も招くのでできれば階段下で抑えたいところだ。換金目的なら乗車予定はないし可能だろう。
2.新幹線
そもそも不正乗車目的か、換金か。まず不正乗車を考えよう。犯人は目的地までの切符を見定めて強奪するのが困難だ。ツイート主も書いているように今回は東京駅。一方向のみ。新大阪など両側来るところは反対方向を強奪したら目も当てられないので相対的に起きにくいだろう。また新幹線は匿名性が低い。検札がくる。指定席券を奪っても指定席に座れば犯人ですと名乗っている状況、ほかのシートに座っても怪しまれる。自由席を見極めて強奪?それでも在来線と違い車掌が往来するし鉄道警察も頻繁に乗っている。駅間も長い。袋のネズミである。在来線の改札犯罪は費用対効果で一定見逃されている可能性はある。新幹線のチケットは高価で、かつ既に犯罪中の者が乗っている状況は危険である。次の犯罪に進む可能性もある。安全管理上注意される状況なので是非連絡して、監視して、下車を待って逮捕して欲しいところである。実際に駅から車内に連絡が行く可能性はあるだろう。特に警察乗車便なら。
換金はどうか。この可能性のほうが高かろう。だが払い戻しは御用一直線だろう。また指定券の払い戻しは出発時刻までで困難だ。もし払い戻すならカード購入ではカードを出せと言われるので現金購入を狙うのだろう。乗車券をなんとか改札の外に出て乗車券を金券ショップに持ち込む。有効期限は距離に応じて当日から数日。函館か博多の自由席が狙われるリスクが高い。金券ショップでも足がついて御用の可能性があるし、買取金額を考えると骨の折れる犯罪だ。
3.駅員の対応
事情を言っても証明できないからと再購入。本当なら駅員の対応に問題はないか。新幹線の切符は領収書出ない?希望するボタンを押した場合のみだったか。在来線改札では繰り返し襲来する酔っぱらいや詐欺対応でつっけんどんな対応もあると理解しているが、新幹線改札で犯罪被害者に門前払いがもしあったなら良くない。東京駅新幹線改札内には警戒中の警察がいるはず。駅員側も犯人が他の犯罪を起こす危険からすぐに警察を呼んで対処すべきである。被害状況の聴取や協力の時間が発生する、予定上許容できない場合自腹再購入で乗らざるを得ないことはあるだろう。被害者も犯人も同じ電車に乗るならお互いに気が気ではないが。
4.あえて手を出さない?
新幹線の運行上の安全や運行への集中を考えてあえて走行中の列車と連絡を取ってまで犯人を追い詰めない考え方もあるだろう。もしそのような方針で、かつ対応が見破られているとすると、不正乗車目的で一定件数発生している可能性はある。その場合でも泥棒と一言叫ばれれば改札内に逃げ場はないので犯人にとってお縄のリスクが非常に高い犯罪であることに変わりはない。NYは知らないがパリやローマの地下鉄の自動改札では不良集団が悠々と突破していく。駅員はいても手を出さない(私の観察範囲では)。他の乗客は言うまでもなく。危険だからだ。治安が一定以上悪化すると係員も一般人も見て見ぬふりになる(長距離列車では改札自体なく社内検札ですべてカバーするのでチケット強奪は起きない)。日本がこうなるとは今のところ思えないが、念を入れて割れたそばから窓の修理を続けてほしいものである。
見落としや仕組みの理解誤りがあったら教えてください。
正確には、全部自分でやるネット掲載求人が20万ぐらいで、仲介選別を依頼するとプラス20~30万、合計で50万かかる理屈。
エントリーが数十件あったとして、アポイントのメールで連絡来るの5割、面接を連絡なしですっぽかすの5割以上。
50件エントリーのうち、まともに面接できるのが5件として、20件ぐらい面接予定時間をずっと待ち続ける羽目になる。
何もしてないのに疲れる。
これが40~50万の求人だったらもう少しレスポンスがいいと思うが出せないものは出せない。
これが1回の求人で10人一気に採用するのなら経費として妥当と思うが、実際には1~2人だけ欲しいので費用対効果に疑問がつく。
じゃあ少しは反応が欲しいとプラス2万程度額面を上げても、反応はそこまで変わらないし来る人材もそこまで向上しない。
ハロワは仲介に人を介するおかげかハロワまで足を運ぶくらい切羽詰まってるせいか、エントリー率は低くても無断すっぽかし率は少ない。
そうして待ってるあいだ、ネットの求人に金を使える会社ってどんなかいしゃなんだろうと想像する。
儲かってる会社は経費をかけて100人、1000人から使える1人を選ぶだろう。
大量に採用する会社も求人経費50万ぐらいは別にどうとも思わないだろう。
うちはそこまで出来ない。貧しい。
イノベーションって言葉は、それを振りかざせば何でも自分の都合の良いものをゴリ押しできる言葉だよ。まあ良いイメージを持たれた言葉なんざ全てそうだけど。
しかしイノベーションの前には長い長い下積みの期間がある。近視眼的な費用対効果にはそぐわない。そこでふわふわしたがすぐ効果がありそうなネタにイノベーションの言葉を飾って利用しようとしているだけのこと。
auショップ店員に限らず、接客業は大変な仕事のため、優秀な人材の確保が難しく、敷居を低くして誰でもウェルカムにしているため、
とんでもないバカが入ってきて、バカがSNSで暴れていると思っていたが、
よく考えたら、auショップ店員や接客業に限らず、日本の一般的なサラリーマンはみんなこんなもんや
まぁ接客を含まない純粋なデスクワークの方がほんのお気持ち程度お利口な振る舞い(NDAやブランドイメージを考える)はするけど、
その程度や
接客業ですごい人もたくさんいて尊敬するけど、そういう人が必ずしも働きやすそうにしているかといえばそうでもない
それは単価とか費用対効果とか売上の話ではなくて、
『自分が客の立場だったらこうして欲しい』『客として満足のいくサービスを受けたので、自分もプロのサービスを客に提供する』
そう考えて行動を取れるのはマイノリティーなんだよ
こういう性質を持つ人は経理とか法務やった方が幸せになれるって最近気付いたわ
https://anond.hatelabo.jp/20220627202642
の実況後感想です。
・メンタル組で話すシーンとかハイジョ5人の友情を感じるシーンとかのオリジナル要素が良かったです
・前半36分15分飛ばしていい
・↑サイスタのメインストーリーを早口で低クオリティで再現するだけのシーン
・ない方がマシレベル
・プロデューサー、いる?
ストーリー、つまんなくないですか?
ポジティブな感想で「アイドルのこういう面や交流を見たかった」とか言ってますが、これはSideMを好きな人間なのでアイドルの新規カード来た~くらいの感情です。
アイドルマスターSideMで舞台やりたいです!ってオファーしてくださったそうですが
ああこの作り手はSideMのこういうところが好きなんだな、というのがわかりませんでした。
かろうじて「他のユニットメンバーと一緒に進んでいくことが大切」なのかなというのが夏来と旬やメンタル組のやりとりでうっっっっすら感じましたが…。
SideMって当然サイスタで語られている以外にもアイドルたちのバックボーンや葛藤ってたくさんあるはずなんですが、
サイスタすらもまともにやってないんじゃないか?という印象でした。
SideMでやる必要あった?アイドルマスターっていう看板が欲しかっただけじゃないの?という印象です。
元アイドルの方が脚本、2.5で有名な方が演出、と聞いて正直期待していたのですがまさかサイスタのメインストーリーよりも薄い作品が出来上がると思いませんでした。
死んで空に浮かんでいるプロデューサー、
意味不明なプロジェクションマッピング、
早口、
これを無視して「良かった~!」って言ってる人たち本当に怖い
前半の早口とかただ丸暗記したセリフを読むだけのシーンとか普通に不愉快でした。
サイスタのメインストーリーを知っているのでなんとかついていけましたが、
メインストーリー知らない人は知らないキャラが沢山出てきて早口でまくし立ててるようにうつりませんか?
私が普段見ている舞台が、チケットとるのがそこそこ難しい2.5や宝塚や劇団四季くらいなので、この箱の規模だったらこんなもんだよ、みたいな感じだったらすみません。
ツイッターですごく評判がよかったので、では見るかと思って買いましたが正直高い買い物だったな、という気持ちが大きいです。
こうしてはてぶを書くことで費用対効果を得てます。(得てるか?)
配信組だったのものあり、現地で見たらまた没入感は違うのかもしれませんがこのテンションで現地行かせられたら普通にキレてしまうと思う。
もし二回目三回目とかあるなら値段に見合う舞台にしてほしいです。
今回、担当がいないので気楽に見れましたが、それでもン?って思ってしまう部分は多々ありました。
まず、ターゲットがどこに向いてるのかよくわからなくて、SIdeMをすごく好きな人に見てもらうのであれば、もっと工夫のしようはあったと思うし、
逆にSideMをあまり知らない人に見てもらうにしても、最悪の前半36分はない方がマシでした。
何を伝えたいのかわからなかった。
もちろん7年もの歴史を持つ積み重ねの化身であるモバを舞台でやれとは言いませんが、
アイドルとしての魅力を伝えたいのであれば変ないざこざは描かないでよかったし、駄菓子屋でスタンドを出す必要もないと思う。
本人の葛藤を描きたいなら翼のようにもっと桜庭のバックボーンに注目してもよかった。
あと輝が怖かった。
私はSideMが好きですが、仮にSideMを布教するとしたら、これをSideM知らない友達に勧めるかというとNOです。
普通にサイスタのメインストーリー読んだほうがマシなので。(サイスタのメインストーリーが良いかどうかは別としてマシではある)
あとアニメ。私の担当はアニメにアイドルとして出ていないモブ扱いですが、それでもこの舞台よりは見やすいと思います。
後半の満足感、ユニットを越えたアピールチャンスとかを見る限りは、舞台である必要もあるような気はしています。
なにせ現状SideMのゲーム以外の展開が声優のライブで、声優のライブでは声優が来ないとアイドルそのものの出演もできないという都合があります。
私は「声優や俳優がみたい」のではなく「担当アイドルが見たい」のでこのように一応公式としてアイドルがゲーム以外の部分で描かれるのには好意的に見ています。
今回担当は出演しませんでしたが、担当が出たら見たいか?と聞かれたら見たいです。
なにせアニメにも出ていないので、なんでもいいから公式からお出しいただく担当はなんでも見たいという気持ちもあります。
もう少しどうにかできたであろう部分も多いので、それはアンケートで送ろうかなって感じです。
余命投票制度を反射的に否定する人は、莫大な費用のかかる手術をしないと死亡する幼児と老人がいる場合、どちらも対等に扱うべきだと考えているのだろうか?
費用の制約により救える命が限られている場合、原則としては余命の年数をベースに優先順位をつけるのは自然な発想であり、実際に根拠に基づく医療(EBM)の考えではQOLを考慮した期待余命の年数(質調整生存年)をもとにした費用対効果に基づき判断するのが一般的である。
日本でも質調整生存年に基づく費用対効果を考慮した薬価基準制度は2019年にに導入されており、余命をもとに物事を考えることはそれほど反倫理的ではないといえる。
『メタボ健診、必要か? 費用対効果が立て続けに否定された政策にもの申す』
https://news.yahoo.co.jp/articles/5015da26607a03ab2fd804f94bd39019607c12f9
ーー米国の約1万2000人 の患者を対象にした調査で、1型糖尿病の患者の70%が、2型糖尿病患者の52%がスティグマ(負のレッテル)を感じているという研究を紹介されています。責任や自制力が欠けていると見られ、医療保険制度の負担になっていると非難され、排除や差別を恐れる余り受診を控える問題があることも指摘されています。
これって重要な指摘だと思う
特定健康診断をやっても、健診で悪い数値が出て指摘されるとそれにストレスを感じ
却ってセルフネグレクト的に悪い生活習慣に走ってしまうというか。それが人間の自然な心理状態ってものだよ
そんな事よりも、何もしなくとも自然と健康に良い生活が出来るように労働環境を変えた方がいいと思う
具体的には仕事の負荷を減らしてストレスを軽減し、給与を上げる事
なんでそういう当たり前の事が理解できないのか
健診のシステムを考えた人達は人間の心理を理解できずに、まるで常に決められたパターン通りに動くロボットであるかのように思っているんだろうな