はてなキーワード: 説明会とは
でもさあ、学歴フィルターのない説明会に偏差値30の高校を卒業した人たちが大挙して、自分達が応募できなくなったら、それはそれでまた憤るんでしょ
結局、自分が不利益を被ったから文句を言っているわけで、自分が利益を受ける立場になったらだんまりだと思うんだよね
帝京大学とか大東亜帝国みたいな中堅大学は人数も多いし、ネットを利用する人の中では中堅大卒の若者の占める割合は特に多くなるから、学歴フィルターは悪なので滅ぼすべきみたいな雰囲気がネットにはあるけど、ネットの多数派にとっての正しさが、世の中に適用されるべき正しさとは違うと思う
学歴フィルターとか、自分にとって理不尽なことに憤るのはいいんだけど、その理不尽を理由に、世の中から無くすべきって言い出したら、なんか違うと思う。「トリアージは可哀想」論争と似たようなものって言ったら炎上しそうだけど、「学歴フィルターではじかれる俺たち私達は可哀想だから全員救うべき」ってことだと思うんだよなあ
就職活動中の学生は大変だろうなと思いつつ、人事部にいる私は今年もうちの会社はろくに人取れないんだろうなと悲しくなる。
大企業は何もしなくたって山ほど学生がくるし、志望度高い人だって多い。
でも、うちみたいな中小は、名の知れた会社と同じようにやってもダメなんだよ。
なんで上から目線の説明会やるんだよ。しかも会社の説明は10分で終わって、いきなり筆記試験やらせる。
それで、これは採用には関係ないですよと言いつつ、思いきり点数で足きりする。
うちに来てほしいなら、点数も大切だけど、うちの会社のアピールする方が大切じゃない?
地方出身者に住宅補助出したくないから、首都圏からしか採用しないっていうのもありえないと思う。
本当に、来たいならくれば?って考えなんだろう。
何やってるのかよくわからない、社風も給与も休みの取りやすさも不明な会社に行きたいなって思う学生がいるわけないじゃん。
どうも、しくじり先生の18卒女です。
・中堅大文系
そう、就活解禁日の2017年3月から翌年2月末まで内定が貰えませんでした!
という訳でこれから就活をする皆さんへ、私のようなしくじりを犯さないように、アドバイスしていきたいと思います。
大企業を受ける気が無いなら、使わなくて良いです。
特に私のような、希望職種・業界の無い人間には使いこなせません。
得られる情報が膨大なので、情報を精査するのはかなり難しいと思います。
あとタッチ1つで沢山エントリー出来るので、選考にエントリーしている意識が薄くなり、企業研究や志望動機の作成が疎かになりがちです。
適当にフィーリングでエントリーして説明会へ行き、「残業が100時間ある社員もいますが、本人はやりがいがあると言っています」と言われ即帰宅、なんて事もよくありました。
もし、絶対に大企業じゃなきゃ嫌だ、というこだわりが無いなら、就活エージェントをおすすめします。
自分の希望条件(勤務地、残業時間等)に合った求人を紹介してくれるので、多少マシになります。
私はそれを鵜呑みにし過ぎて、事前に教えられた事しか対策せずに爆死しましたが。
でも、自分についた担当がちょっとでも合わないと感じたら、すぐチェンジして下さい。
そして、就活エージェントは最低2社くらい同時に使った方が良いです。
ただ、12月過ぎてから入る求人は希望条件ガン無視の求人(地方転勤、深夜工場勤務等)しか無いので、この時点で内定を貰えていない人は、エージェントと縁を切ってください。
中小企業のみや既卒向けといった、よりニッチなサイトに切り替える事をおすすめします。
■しくじりその2「コミュ力が無い 」
前述した通り私には大学の友人がいません。
アルバイトも接客業ではなく、1人でコツコツやるオフィスワークでした。
無理でしょう。
面接後の就活エージェントからのフィードバックでは「話し方が子供っぽい」「自己主張が強い感じがする」「馴れ馴れしい」と散々でした。
レジ打ちでもファミレスのホールでも、何か「初対面の人と話す機会」のあるアルバイトを短くても良いからやるべきだったな、と今は感じます。
そういった経験の無い人は、とりあえずNHKアナウンサーの話し方を意識してみてください。
多少はマシになります。
雰囲気とか。
就職指導課で面接指導を受けられますが、それを申し出るコミュ力すら無いんですよね。
大学指定の履歴書を貰いに就職指導課に入る事自体、緊張していつも吐きそうでした。
■しくじりその3「面接で話す事が無い」
あと「大学には友達が何人いますか、またその友達からあなたはどんな風に思われていますか」という質問が来たら終わりです。
それを怠った同志達よ、地獄へようこそ。
対策は無いです。
このように、なんだかんだやらかしながらも、今は無事2社から内定を頂き(SE職、事務職)、親もヤケ酒から解放されました。
「売り手市場」なんて言いますが、中堅大やMARCHクラスでも、なかなか内定が取れず、そのまま就活を諦めてしまった人もいます。
とにかく、もし就活が上手くいかなくても悲観するのは良くないです。
自暴自棄になり過ぎない事。
大丈夫、お祈りしてきた企業はあなたのいるべき場所じゃなかっただけ。
それでは、皆さん、頑張ってください。
弊社は売上が1兆円を超える一般的には大企業に分類される企業だけれども、
全体の説明会や工場見学で学歴フィルターはない。皆仲良く早押し大会。
でもそんなのじゃ優秀な学生は取れないからどうするのかというと、
裏でターゲット校(旧帝大〜地方国立大クラス)に個別訪問してる。そこで公開してない工場案内とかの話を進める。
確かに説明会で学歴フィルターは見えないけれども、これで果たして就活生に幸せな形なのかは凄く疑問が残る。
正直、リクルーターも推薦も使わないで入ったという話を聞かないので。
場合によってはフィルターも無駄な時間を使わせないという考え方もあるような気がする。
学歴を理由にこちらを採用するつもりがない企業の説明会やら面接やらは、行くだけ交通費や時間が無駄だからだ。
学歴が選考する要素としてどれくらい有用なのかについてはともかく
会わなくてもわかるような情報からほぼ採用する見込みが無いと判断することになっているなら、なるべく早い段階で結果をだした方がお互い手間が省けて良い。
なぜなら就活サイトに関するこの手の話題を発する人や目にした人は、学歴社会に対しての反感に劣らず、あるいはそれ以上に、表立って学歴で区別すると明言しないその姿勢の不透明さを問題だと思っているからだ。
正直、どの程度の学歴の人を採用するか明言して欲しいとすら個人的には思うが、最初にそういったことをすると反感をかってしまうから
今みたくそのあたりを体外的にはお茶を濁すような現状が続いていくんだろう。
ただそういったことを公に採用基準に掲げることがおかしくない状況になれば、どの企業が学歴を重視しているかかがより明確に分かり、学歴を重視する会社と
しない会社の比較が行いやすくなり、学歴がどの程度有用なのかどうかというのが今以上にはっきりわかって面白いような気がする。
学歴フィルターがまた問題になってるけど、そもそもWebエントリーが導入されたら企業の方で捌き切れない量の応募が来るようになったので門前払いしないといけなくなったという事情もあるんじゃないかな。
採用活動やる方だって応募者全員を面接するほど人数に余裕があるわけでないし、説明会場だってスペースに限りがあるし。
とはいえ、性別フィルターは違法なんで論外として、こっそり学歴フィルターかけるくらいならSPIとかで形式的であれなんであれ見える形の選別をすべきだろうな。こっそりやるのはダメだろう。
でもうちょっと考えるとフィルターを仕込むのもSPIをやるのもリクルートやマイナビなんで、どう転んでもこれらの企業にカネが落ちる仕組みになってて、結局一番evilなのはこいつらなんだろうな。
富○通…AIとか言っておきながら手書きの履歴書を唯一要求してきた。論外。
Accentu○e…募集しておいた業種とはまったく別のところと面談させられた。事前説明も事後フォローもなし。
DENS○…東京近郊勤務を希望していたのに、説明会に行ったら愛知への移住をすすめる冊子がおいてあった。これに関してはR○CRUITの手落ちだろ…と思いつつ、就職後に愛知県飛ばされる不安からNG。
私が大学生活で学んだこと
人はひとりひとり違っていること
そしてひとりひとり正誤などないこと、ひとりひとり認められること
誰かに嫌なところがあったとしても、その人そのものを嫌いにならなくてもいいこと
本当に困った時に助けてくれる人が、思った以上にいないこと
しかし自分のことを分かってくれたり、認めてくれたり、あるいは叱ってくれたり、救ってくれたりする人が、たとえ瞬間的だとしても、確かに存在すること
丁寧な人間関係
世の中で「正しいとされること」が必ずしも正しい訳ではないこと
たくさんの夢と希望と野望を抱えて上京してきたあの春から、4年が経とうとしている。
いま、卒業を前にして、私はいくつの夢を捨て、希望を失い、野望を諦めただろう。
考えると虚しくなるくらいには、だ。
オシャレなレストランやカフェで働きたかったけど軒並み落ちて、ようやく受かったバイト先はブラックだと友人に教えられた。
思えば変な雰囲気が漂っていたけど、初めてのバイトで何も分からない私は普通に頑張った。
別のところで働いている友人の話を聞いて初めて、半畳ほどの狭いロッカーで立ったまま賄いを食べることが当たり前ではないと知ったし、「誠意」を示すために30分前に出勤したり閉店後3時間も残る必要なんてないことを学んだ。
3年目まで頑張って、辞めた。
旅先から思い切って「辞めます」と店長にメールをした後、連れていかれた深夜の喫茶店で、辞める理由を問い詰められて叱責されてる間、とにかく泣きながら黙って耐えた。
計画では片手間にやろうとしていたサークルにしっかりハマって、部長もやった。
いろんなことを後回しにして、蔑ろにした。
中学からの趣味を続けようと思っていたけど、サークルのほうが楽しくなって時間もお金も回らなくなったから、就活を理由にして辞めた。
本当は就活なんてまだまだ始めていなかったのに。
そんなサークルも同期と揉めて、辞めた。
4年になってからはそれこそ就活が始まったけど、一度ビックサイトに行って遠すぎるし交通費もバカにならないので合説に行くのは基本的に止めた。
志望している企業の説明会や講演にはそれなりに通って、だいたいどこの説明会でも同じ内容を繰り返してるんだってことを学んだ。
座席は先着順だったので、2時間前に行って一番前に座るぞと意気込んでいたけど、普通に遅刻した。
最前列ではなかったけれど、ずっと社長に向かって「採用してくれ」ビームを出した。
講演が終わった後、スカウトされてしまうのではないかと思ったけど、当たり前に私に目もくれず退室していった。
力みすぎて背中が痛かった。
社長がランニングで肌を焼いて採用されたと話していたので、それ以降もサークルに打ち込んで、思う存分肌を真っ黒にできた。
締め切り当日の夜9時、私はまだESを書き終わっていなくて、立川のバーミヤンで必死に空欄を埋めていた。
まさかのペンのインク切れ、かつ準備が悪いので予備のペンなど持っていなくて、慌ててバーミヤンを出てローソンでボールペンを調達した。
またバーミヤンに戻るのも面倒だったので、残りは郵便局で書こうと思ったのだが、立川郵便局がまさかの臨時休業。
本来なら宛名などを書くためのカウンターで立ったまま必死に手を動かしながら、隣の男の人が同じ企業へのESを書いているのをチラ見した。
もしあの時インクが切れていなかったら、0:00ギリギリまで立川のバーミヤンにいて郵便局が開いていないなんて気づかないで、間に合っていなかったと思うと、神さまはいるんだろうと思う。
びっくりするぐらい何も話せなかった。
神さまはいるけど、実力が足りなければどうしようもない。
今は、たくさん落としてきた単位を回収するべく、4年間で一番一生懸命、大学に通っている。
4年生は私だけ、という授業がたくさんある。
ちゃんと聞くと面白い授業がたくさんある。
レポートにテスト勉強と、やることもたくさんあるんだけど、ちょっと休憩したくて、初めてますだを書いている。
これまでの4年間を振り返っている。
気づけば何も残っていなくて、私の4年間は何だったんだと思うことがある。
Facebookでバイト先の後輩や社員から花を贈られて笑っている友人の写真を見るとき、Twitterでサークルの仲間たちと旅行先で笑っている友人の写真を見るとき、Instagramでオーストラリアにて念願のスカイダイビングをしたという友人の写真を見るとき、昨日の綺麗な夕陽の写真ぐらいしかアップするものがない私の日々は、何だったんだと思うことが。
すべてに意味がある、全部無駄ではなかった、ということにすることもできると思う。
そしてもちろん、すべてが無駄だった、ということにすることもできる。
本当は、意味があってもなくてもどっちでもいいし、無駄でも無駄じゃなくてもどっちでもいい。
ただ、私は4年間を過ごした。
最高の4年間でも、最悪の4年間でもどっちでもいい。
価値を決めることは楽しいかもしれないけど、というか、そうやって序列を決めることで安心できる人もいるかもしれないけど、そんなことをする必要は全然ない。
大事なことも、矮小なことも、駄目なことも、幸福なことも、楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、悔しかったことも、辛かったことも、全部、ごまかさずに、何かの価値の中にまとめてしまわずに、なるべくそのまま持っておきたい。
分かりづらいと思うけど、それが、私が大学生活で学んだことだと思うし、得たことだと思う。
学ばなくてもいいし、何も得なくてもいいけど、4年も過ごしといて何だったんだって思っちゃう自分を励ますために、強いて言うなら、そうです。
私大トップレベルの工学系修士で就活をした。リーマン直前くらいの比較的売り手市場な頃の話。
周りの流れにのって自分も関東の大手電気メーカ系を中心に就活してた。ソニーとかキャノンとか。
でそんな中で、あーなんかこの会社へんだなーっていうところがいくつかあったのを覚えてるので書いておく。
明らかなクソ対応というわけではなくちょっとした違和感程度で、純朴な学生では見逃しがちな観点について書く。
就活生のへんだなーくらいなので中傷しているつもりはないけど、削除してほしかったら削除するから気になったらトラバしてください。
女性ユーザを意識したかわいいデザインのミラーレス一眼の先駆者みたいな光学に強いメーカー。イメージもよかったし、実際、商品は魅力的だと思うので受けてみた。
説明会だとか、若手社員交流会みたいのがあったのだけど、そこに出てくる担当人事、話をする若手社員がやたら美男美女過ぎてビビった。
ハツラツとしててとても感じのよい人たちでとても魅力的だった。他の会社と比べて明らかに異質だった。まぁそういう人をピックアップして連れてきてるのかなーとは思ったけど、だとしたらすなわち外面を取り繕う体質なのかも、とか思った。
そうでないとしたら顔採用バイアスがかなり強いかかなと思った。面接してるからにはどこでも多少のバイアスはあると思うけど、相場から大きく外れてると感じた。そういえば、面接まえに書いたESぽいものに、かなり抽象的なテーマで論述させる欄があって、そのへんで中身の基準をボカして顔で採るのかなとか。
深読みしなければイメージは悪くないというかむしろ良かったし、キレイな子がいるとテンション上がる方だから俺はどうでもいいけど、ちゃんと中身をみてほしい人は合わないかもなとか思った。
別の会社。こちらは関東ではない大手半導体メーカーくらいにとどめとく。研究室を超美人の女性人事が訪ねて回って是非受けにこいと誘う。東大ではないうちのレベルではこんな会社他にはなかった。そんなんしていいんだっけ。こっちは男ばっかの工学系研究室なんだぞ、刺激つよすぎだろ。じゃっかん露出もあったような気がする。
噂では、空気のきれいな地方企業だから、地元美人女性を一般職で積極採用して、それと結婚させて地元に人材を定着させるという作戦だとか。合理的なだと思う反面、うがった見方をすると、そうでもしないと人が集まらないし定着もしないということなのかな、とか思った。あそこ行ってれば俺程度でも美人妻と結婚できたかもと思うとちょっとうらやましい。
別の国内大手電機メーカー。いまは粉飾決算みたいので大変なとこね。ジョブマッチ形式のため、説明会等でよくよく話をきいて希望を出さなくてはいけないところ。いっかい説明会にいったのだけど、マッチング先候補が代わる代わる自分のところの説明をするんだけど、まじで説明ヘタだしやる気ない覇気もない。代わる代わるのたびにPCをつなぎ替えるし、画面でないでない。無駄な時間長すぎ。事前に接続チェックしてないというのが舐めてるし、資料なんて事前に集約して1台のPCでスムーズにやれよ。
説明会の場で握手されて内々定みたいになってる人とかもいた。本部の人事通さないでそんなことしていいの?各担当がどこまで話していいかとかのラインも中で周知されてなかったんだろうなと推測した。自分はその説明会以来、その会社製品は買ってない。イメージが悪化してしまった。
https://this.kiji.is/329123813377803361
共同通信は森口iPS誤報でやらかしちゃってね、当時の社長も他の事案も含めた
合わせ技で引責辞任していてね、iPSを逆恨みしているわけですよ。
しかも今回iPS研も山中教授も、正面から非を認めて自ら公表している。
悪いことをしてゴメンナサイと自分で先手取って言っちゃった。
これが良くない。全く日本的でない。伝統文化を何もわかっちゃいない。
問題事案が発生したらどうするか、内々で処理して対外的にはなかったことにする。
これが国技を預かる公益法人も実践する日本人のあるべき姿なんですよ。
・共同通信社の総務局次長兼人事部長が企業説明会で知り合った女子学生を
「作文を添削してあげるよ」とホテルに連れ込み関係迫るも、女子学生に猛抗議
され人事部長職を外れたが共同は公表せず、という文春砲炸裂2012年12月。
・社内調査「単なる噂でいちいち調査します?」「休んでいるのは、体調を崩して
いるからだ」人事部長「好きになってしまったものは仕方がない」
・2013年5月に文春に特集を組まれて、事ここに至り人事部長を懲戒解雇。
・特集直前に内部文書で「週刊文春の記事は事実誤認が多く場合によっては法的措置
をとることも検討します」「文春による取材は伝聞の伝聞というレベルのものであり
取材を尽くすべきだ」「人事部長の休職は大規模異動などで体調を崩したためだ」
ちゃんと、隠すしぐさ、ねばるしぐさ、追い打ちされるしぐさ、首級取り、と段取り
だから共同は、山中教授が問題の科学誌創刊に関わったとかイチャモンつけてまで
怒っているんですよ。
おい、文春聞いてるか?
「何かを身につけて卒業できること」「ゼミ生の雰囲気が良いこと」などを条件に絞り込み、50近くあるゼミの中から、今5つのゼミで迷っています。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~fbc-zemi/seminar.html
http://news.fbc.keio.ac.jp/~onosemi/
学生の本分は勉強であることを考えると、しっかりと学問に励めるという印象です。学会での発表や、大会への出場、英語論文など、本当に充実しているゼミだと思います。ゼミ生の方が、自信を持って説明しているのが好きです。
http://www.keio-shimizu-semi.com/
高校生の頃、オープンキャンパスにも参加したことがあるゼミで、やはり教授とゼミの活動内容が面白すぎます。所属しているゼミ生の方も、学生生活を充実させているようで、キラキラ眩しいキャンパスライフにも憧れます。
http://isamuyamamoto.com/wordpress/
ゼミ生の方の振る舞いがゼミの魅力をまさに体現されています。私の話を聞きながら、何を話せばより良いゼミ選びができるかを一緒に考えてくださり、ゼミ生の方とお話しする度にゼミ選びが前へ進む実感があります。経済学はあくまでツールというのも共感しています。
・田邉勝巳研究会
http://news.fbc.keio.ac.jp/~winsnake/professor.html
オンとオフの切り替えができる、スマートで要領のいいゼミ生ばかりでかっこいいです。三田に入るとすぐに就職活動が始まることを考えると、身につく力と、得られる意識の高い仲間がものすごく魅力的です。アットホームな雰囲気も好きです。
学問領域にとらわれず、「社会」を意識して、学生だからこそできること、学生のうちに身につけておくべき力を大事にしているゼミだと感じています。どのゼミ生の方も個性的で行動力があるところが好きです。
これらのゼミの卒業生の方がいらっしゃれば、実際の経験を踏まえたアドバイスがいただきたいです。
その他のアドバイスも大歓迎です。
うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分はチビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。
でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルのスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒の対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛い他の子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。
◇
私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。
勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。
中3の頃、教室で私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。
でも私の答えは「制服がバカっぽいから嫌」担任がものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。
◇
結局、私は高校は地元の底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校からの同級生の子のママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。
入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?
◇
大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。
一人暮らしを始めてから、バイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族を大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。
それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。
自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供の犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。
◇
同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。
泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりのパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。
両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族のタブーになった。
◇
母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業の研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。
でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦がいかに無駄で無能か、そんな選択はバカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。
私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。
私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那の希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。
でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。
産後、初めての育児がしんどいといえば「専業主婦がしんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。
◇
産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子の妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。
そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。
◇
数年前に実家はリフォームをした。私はインテリアや住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当の営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。
自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分を差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。
◇
定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。
母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装、生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。
内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉で否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。
他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。
◇
しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。
私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言と否定。今までの私の人生を否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分は子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言と否定を吐き続けた。
その場に居合わせたうちの娘たちは、自分の母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒の言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。
母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。
◇
この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。
しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。
同じく18卒の子の増田がバズっていたのを見て、自分の就活も振り返りたくなった。共通するのは学年と性別くらいで、先に言っておくとそれほど努力もせずに内定を手に入れたという話なので、不快な思いをさせたくないしリンクは貼らない。
タイトル通り、私は某国公立大学18卒の女子で、業界にとしてはちょっとニッチなところに絞って就活していた。具体的な業界については、明かさないでおく。地域としては、実家からあまり離れたくないというのもあって実家のある地方一体のみに絞り、転勤のあるところは避けて探していた。
私の就活遍歴をざっくりと振り返ってみよう。小学生くらいの頃から大学3年までは公務員を志望していて、実際3箇所の公務員インターンに参加した。そこで自分が求めているものはこれじゃないなと思って、専攻に関連が強い某業界をメインに探すことにした。10社ほどESを送り、うち2社ESで落とされ、8社は面接まで進んだ。内定が出たのは1社で、第一志望でこそ無かったが面接の雰囲気が一番好きだったところだった。ちなみに金融系もこれに加えて1箇所受けたけど、なんか違うなと思って途中で辞退した。
スケジュールとしては、3月からぽつぽつと説明会に行き始めて、4月〜5月上旬まではほぼ就活とバイトでスケジュールが埋まっていた。5月末に内内定連絡をもらったが、6月いっぱいまで就活は続けた。といっても6月については、週1で予定があるかないかくらい。
それほど努力もせずに、と書いた理由は2点ある。①3月まで(インターン以外)殆ど就活に関することをしてこなかったから。②ES・面接について、殆ど対策したり相談したりせずに一朝一夕で拵えたもので挑んだから。
①について、私はインターン以外本当に何もしなかった。ポストに入ってくる大学からの就活案内の封筒を見ては顔を曇らせ、現実逃避をして開封もせずに3月まで過ごしていた。3月、さすがにマイナビリクナビの解禁的なものがあってようやく重い腰を上げた。
②について、自分の文章や面接についてダメ出しされるのがなんか嫌で、他人に全く頼らず、しかしそれ故に尻を叩いてくれる何かも無く、締切に追われながらESを書く日々を過ごしていた。内容について、適当だったかと言われればNOだが、書き方についてはなかなか適当だった。前半に出したESは全部「英検2級」と書いてある。「実用英語技能検定2級」略さず書くべきところだ。あと使い回しについて、業界を絞っているのもあって、内容は殆どコピペだった。ちらとHPや資料を読んでその会社の特色を取り入れることもあったが、軸としては殆ど同じことを書いていた。
こんな感じに適当にやって適当に終わった感じなので、後輩には「適当でも意外と何とかなるよ」と言うしかない。全員についてそうと言えるのか? 一つ言えるのは、学歴は大事ということだ。就職先の内定者は皆MARCH以上だったし、他の会社の選考で会った人も皆それくらい。こんな私も一応国公立大卒になるのでそれが功を奏したところは大きいだろう。これについては高校時代に思い描いていたとおりだ。就活で学歴足切りされるのが嫌だったし、面接は得意じゃないし学歴だけでもと勉強を頑張ってよかったと思う。
話が飛ぶが、つぎに就活中バイトを辞めるべきかについて書く。こんな感じに適当でいっかという気持ちがあったのもあり、それよりもメンタルをやられる危険性を考えて大好きだったバイトは就活中も週3で続けた。一人暮らしだし友達もいないので、バイトがなければ話す相手がいなくなってしまうからだ。結果的にこの考えは的を射ていて、バイトが息抜きになった。就活を主に行っていた地域は、バイト先から電車で1時間ほどと少し遠い場所だったが、多少の遅れなどには寛容なバイト先だったのも有り、就活直後にシフトに入ることもよくあった。理解を示してくれたバイト先の皆には、感謝しかない。ただ、バズっている増田のように真面目に振り返りなどをしながら就活したい人には多分オーバーキャパシティである。そこのところを自分で比較衡量して選択してほしい。親や友人など話せる相手が居て、生活費にも不安がないなら、続ける必要はないと思う。
最後に、私が就活中ずっと意識していたのは、「就活は相性」という言葉で、これを自分にいいように解釈してはサボり……息抜きをしていました。ダメだったら相性が悪かったんだなあと思うとか、ESも面接も自分を偽らないとか。
以上、思ったより長くなってしまった私の就活録でした。参考にはあまりならないかもしれませんが、こんな人もいるので。全員が全員ガチガチに縛られた就活をする必要はないと思っています。そこの具合は結局人によるので、自分なりに私の文章をうまく解釈してうまくいいと思ったところだけ持っていってほしいなあと思います。
がっつり努力する人を否定はしません。むしろ、それを実行できる人はするべきだと思います。なぜなら、そのほうが絶対リスクは少なくなるから。私は多少なりとも運があったから拾ってもらえたと思っているので(時代という運も含めて)。その運というのが怖いと思う人は、堅実に努力したほうがいいんじゃないかなと思います。
同じく育英会の有利子奨学金を借りていま大学4年生、4月から就職する増田です。受験生時代〜大2くらい?までは、よーく元増田さんと同じことを考えては絶望してたなあと思って。何のアドバイスもできないけど、わかるわかるよとだけ言わせてほしい。
ここの気持ち、痛いほどわかります。自分も親はそこそこの年収だけど家のローンがあって学費までは賄えなくて、結局有利子で奨学金を借りている状態。奨学金の説明会って高校でやった?私のときは高校で放課後に別室でやることになって、まずそこに来てない人は家がお金持ちなんだなあと羨んで、次に友人が無利子の奨学金に受かったと聞いて死ぬほど嫉妬した。世の中本当に不公平だよね。あなたが悪いんじゃない。私も悪くない。でも本当に不公平だ。
よく同じことを考えていたなんて言っておきながら、未だに私はその気持ちを消しきれていないところがあったりします。就職先の懇親会に行ったとき、お金持ちの多い私大生ばかりで、仲良くなれるかなあと勝手に思ってしまいました。未だに勝手にひとに嫉妬することは、無くならないままなんですよね笑
でもひとつだけ、きっと実際にそうならないと信じられないかもしれないけど、就職も案外なんとかなる。客観的にも主観的にも(自分も同じくらいのレベルなので)MARCHレベルなら全然大丈夫だろって思うし、そこの法学部に入れるくらいなら公務員を目指してもいい。
今はまだ将来が不透明で不安だらけだと思うけど、後悔しない大学生活を送ってください。
私も就職にあたって不安だらけだけど、今はなんだかんだ楽しみな気持ちも持てるようになってきたので。早くボーナス貰える年になってとっとと借金返すぞ。
お互い頑張ろうね。
会社編
・海外研修旅行にて、会社から「100万円くらいなら使ってOK」とゴールドカードを渡された
・毎年100万ずつ給料が上がっていた
就活編
・内定すると、研修という名目で海外旅行に招待された(全額会社の金で1ヶ月間ハワイという話も)
・交通費で3万円は当たり前。九州や北海道から飛行機で来た場合には10万円もらえた
・1日に2~3社まわって1週間で100万円稼いだ
デート編
・アッシーメッシーはいて当然。電話一本でつかまる男(運転手)が4人はいた。
・男性がおごるのが当たり前。女性は色んな人から高級レストランをおごってもらえて、財布なしで過ごせた
・クリスマスに過ごすホテルの高級スイートは、前年の12月26日から取り合いだった
・「なんか好きなもの買わせて」と言ってくるおじさんが町にはびこっていた
・男性が海外出張に行く際にねだれば、高級化粧品をプレゼントしてもらえた
経済編
・100万円で売れない商品を200万円に値上げすると飛ぶように売れた
・日給4万円のバイトがあった
・未成年でも400万円の車のローンが通った
・5000万円のフェラーリが2億5000万円まで値上がりした
・ゴルフ会員権が数億円(今は数百万円)
・「久しぶりに会えて嬉しい」という理由だけで1万円くれる人がいた
世の中編
・急に札幌ラーメンが食べたくなったので、日帰りで北海道へ行った
・1日1~3万円のホテルディナーに、一週間に二度は行っていた
・1枚6000円のシャツのシリーズ全色(10枚程度)をまとめ買いした
・宝石の展示会は宿泊・宴会つきで、1人2000万円、3000万円は買っていた
・深夜にタクシーがなかなかつかまらず、万札を扇形にして振ってる人がいた
・LAのビバリーヒルズで買い物をしていると、あちこちで友達に遭遇した
・雑誌で見かけたデザイナーのダウンジャケットを50万円で衝動買いした
・海外に別荘を買う人が多数いた
2020年就活、説明会の会場不足…五輪で利用 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
東京ビッグサイトが2020年の東京オリンピックのIBC・MPCに使用されるためイベント会場として使用不可能になり、その影響で就活イベントも開催不可能になってしまう事が記事になった。
前者は文字通りオリンピックの放送を全世界に中継するための放送設備が集まった施設で、1964年の東京五輪ではNHKの渋谷放送センターが使われた。
後者も文字通り大会公式のプレス発表を行うための設備が集まる施設で、1964年の東京五輪では日本青年館が用いられ当時最新のコンピュータが置かれ今で言うリアルタイムな迅速な処理で大会記録がまとめられ世に送り出されていった。
その2つを今回は統合し日本最大の展示会場であるビッグサイトに置こう、というのが東京都の開催計画だ。
ビッグサイトは日本最大の「ハコ」であるため、「そんな事までやってたの?」というくらい日々色々なイベントが行われている。
全国から企業が集まって最新技術や製品、サービスを宣伝する展示会・見本市イベントはもちろんの事、
全国から作者が集まって本やCD、グッズを売るコミックマーケットやジャンルオンリーの同人即売会、
そして記事タイトルにある通り大手就活サービスのイベントもビッグサイトで行われるため、ビッグサイトと一切関係しない人というのはほぼ存在しないのでは?と思わせる程だ。
そんなビッグサイトだが、2020年のオリンピック時にIBC・MPCとして使われるため、全てのイベントがビッグサイトで開催不能になる。
「(イベントを)他の会場でやれば?」と思うかも知れないが、2020年オリンピックでは幕張メッセが競技会場として用いられるため、これも無理な話である。
東京ビッグサイトは日本最大級のハコであり、第2位の幕張メッセも使用不可能なので、実質的に全国規模のイベントは開催の中止か、もしくは関東を脱出しての大幅縮小開催を迫られる二択となる。
これは日本企業が主催のイベントの場合で、海外企業が主催・主体の国際的イベントの場合、韓国や中国の展示場で代替開催が行われてそのまま日本に帰って来ない可能性だって大いに有り得る。(例えば東京コミコンなど)
そうなると日本の経済や文化に大きくブレーキがかかり、ほぼ全ての日本人が被害を蒙る事になる。
そのため、ビッグサイトをIBC・MPCにする事自体が非常に深刻な問題であり、
のような署名運動も以前から行われているが、残念ながらコミケの3日間延べ参加者よりも少ない署名人数しか集まっておらず、具体的な効果のほどは見られない。
この問題の当事者がマスコミ自身であるため、最初の記事のようにそもそも他人事のような書かれ方の記事しか表に出ず、
普段「マス●ミ」と口汚く罵っている人達ですらこの問題には傍観(そもそも問題に気付いていない)というのが現在の状況である。
オリンピックで使用するための準備工事期間もあるため、フルキャパシティのビッグサイトと幕張メッセが使える期間は2020年の東京オリンピック期間よりも遥かに長い(2019年後半から始まる棟もある)
2020年まであと2年と少し。何が出来るだろうか。