2020-05-09

「密になっちゃって申し訳ないんですけど」

挨拶やクッション言葉をなくそうとする考えには賛同しかねる。

連休明け、職場PCを開くと200件を超えるメールが届いている。その殆どの文中に、「お疲れ様です。」「大変恐縮ですが、」と、決まりきった文言が決まりきった個所に現れる。確かにうんざりする気持ち理解できる。こんなものを是としている文化があるなら残念な話だが、おそらくこれは根付いた文化よりも言葉を扱う人間問題であろう。

人間言葉を操り、言葉人間に操られる。そんな一方的関係人間言葉は成り立っているわけではないはずだ。例えば人は、誰に頼まれたわけでもないのに自身目標を書き起こして張り出したりする。書き起こす最中には目標へ至るまでの苦しい道のりや達成した自分イメージしながら決意を新たにし文字として形を持った言葉は以降も自身をことあるごとに奮わせるだろう。また、言葉を用いて他者の態度や思考、延いては行動を変化させることは、自身言葉相手を操っているとことと同義だ。他者を操りたいと考えるなら当然言葉が持つ意味と、そこに内在する想いが肝要になってくる。この世で初めてメールの文頭に「お疲れ様です。」と挨拶を加えた上司は強い好感を抱かれたのではないか業務の指示がわんさと飛び交うなか、部下の心身を慮る上司言葉には想いと力が宿っていたはずだ。「想い」というのは殊更にアピールしないと伝わりづらい。こうした文字だけの文章ではなおさらのことである。「お疲れ様です。」が当たり前の現代であるなら、「コロナ対応、連日お疲れ様です。」これだけでも良い。変化を加えて殊更さを出すことで、もしかすると相手自分が頼んだ業務を優先的に、あるいは精密に取り組んでくれるかもしれない。何も難しいことはでなく、人間言葉というのは互いに作用するのだ。言葉が変われば人間が変わり、人間が変われば言葉が変わる。こうした簡単関係性もわからない人たちが、挨拶やクッション言葉をなくそうなどと的外れムーブを起こすのだろう。

少々前置きが長くなった。

私は女性ペニスを舐めてもらいたい。

なぜなら女性ペニスを舐めてもらうと気持ちいからだ。しか女性ペニスを舐めてもらうには大き過ぎるハードルがある。そう、「密」であるペニス舐めるには「密」にならないといけないのは誰でもわかる。新型コロナウィルス感染が拡大する今日日本において、当然看過できる話ではない。こうなるともう私は言葉に頼るしかない。「ペニスを舐めてもらえませんか?」無論不可であるコロナの脅威は皆が知るところであり、それを打破するほどの力はこの文言にはない。今回私がお願いした人はとびきりの美人というわけではないが、愛嬌があり可愛らしい女性だ。仮に名前松本さんとしておこう。年齢は1つ下だが、当然私は大学ストレート卒業していないので、彼女のほうが職歴は1年長い。普段から仕事ではお世話になっている間柄だ。挨拶やクッション言葉を交えつつ、親しみも込めて丁寧にお願いをしていく。

「連日状況が変化する中で松本さんの業務は一際しんどいですよね。こんな時に密になっちゃって申し訳ないんですけど、ペニスを舐めていただけませんか?」

最初試行は失敗に終わった。仕方ない側面はある。誰でも健康は害したくないし、何も言葉の力は万能というわけではない。言葉コロナウィルスが根絶されるなら苦労はない。「密」であることの抵抗感はその先にあるコロナウィルス罹患からくるものなのだから感染リスクを軽減する言葉がなければ成功しないのも自明である。再試行

「こう来るたびに本部意向が二転三転してるとやってらんないですよね。加えて密になっちゃって申し訳ないんですけど、ペニスを舐めていただけませんか?もちろん消毒済みですので」

失敗。他の課員がいるオフィスで頼んでいることが原因だと再度気付く。どこかの県ではコロナウィルス感染者の家に石が投げられたりもしているらしい。感染に繋がる行為を見られるという事態のものが、今日日本ではタブーなのだ彼女バックヤードに足を運ぶのを追いかけ、2人きりになったところでロックダウン

「さっきは無配慮なお願いしちゃってすみませんでした。ちょっとだけ密なので重ねて心苦しいんですが、消毒済みのペニスを舐めていただけませんか?」

拒絶。コロナ言葉の力が奪われていることが証明された瞬間であるコロナは命だけなく人々の夢や娯楽、自由経済力に加えて言葉の力までも奪おうというのか。

一人になったバックヤードで私ははたと涙を落とした。

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