理解力がないフリをして軽薄な煽り言葉でマウントを取り続ける人を増田ではしばしば見かける。
それは相手を諦めさせて言い負かしたように見せるには最善手かもしれない。
だがそのような表面上の格闘パフォーマンスより、「相手の心にどれだけ楔を打ち込めたか」のような見えないパラメータこそ重要だと俺は思っている。
その時に打ち込まれた楔が、ふとしたきっかけで気づきに繋がることもあるだろう。
人は言葉だけで直ちに物事を理解することはできない。だから人生経験が重要で、あとになってから「あの言葉には魂がこもっていた」と理解することが多々ある。
そういう場面で役立つのが、強く真っ直ぐな言葉の力で打ち込まれた楔だ。
楔は一見モノを2つに分かつもののように見えて、その実、打ち込まれたモノを強固に保持し繋ぎ止める役割も果たす。
いつ、どのような役立ち方をするか、あるいはしないのかは、器次第だ。俺はそれを読み手に委ねる。
だから、今理解力がないような露悪的振る舞いをしていても、本当はそうではない、最終的には理性的な判断ができる人が大多数であると俺は信じている。
そしてインターネットを見続ける限り、最終の段に至っていない人ばかりが目につくことになる事実も承知している。
だから得てしてインターネット上に溢れる言葉というのは、無知蒙昧に見える。それは仕方がない。
けれども何かを勘違いして、そこに安住し続ける者が出ないように、俺は楔を打ち込み続ける。