はてなキーワード: 拘束時間とは
別に仕事内容は辛くないけど、拘束時間の長さ(8:30-17:00,残業ほぼなしだけどそれがそもそも長すぎて無理)と平日の食生活が辛すぎて早く結婚して仕事辞めたい気持ちでいっぱい。私はまあなんとかこの生活を辞められるあてががあるので耐えているが、こんな生活60歳くらいまで続くとしたら気が狂ってしまう。どうしてみんな気が狂わずにいられるんだ。正直あと1,2年持つのだろうかそろそろ気が狂いそう。
(本当は納豆卵かけご飯を食べたいが、朝布団から出るモチベがなく出発10分前まで寝てしまうand朝は食べるのがとても遅いので朝ごはんを食べるとすると30分余分に早起きせねばならず難易度がとても高いので、結局就業中に食べていても怒られないソイジョイが朝ごはんとなっている)
(冷蔵庫も電子レンジもない💩環境の職場なので、冷凍した混ぜおにぎりと凍ったまんまの冷凍野菜と豆腐のパックを持って行ってレンジでチンして食べるという手段が使えない。1社目はこれだったのだが、転職した会社の冷蔵庫も電子レンジもない状況に仕方なくベースブレッドを食べているが一年半くらいつづけて辛くなった。朝まともに食べ物用意する余裕はない。)
夜ごはんは冷凍野菜と唐揚げ用鶏肉とトマト缶を鍋に入れて煮た謎のスープを冷凍したものと冷凍ごはん。これはまあいい。
昼ごはんなんかまともな食べ物ないだろうか。最近毎日昼にベースブレッドを見るたびに気が滅入っている。とはいえ今の職場環境でほかに何かできるかと言われるとうーん。ビルの下のコンビニ行こうにも、エレベーター混みすぎで往復だけで一苦労だし、なかなかメニューとか決められないタイプなので毎日食べるものが決まってなくて悩む労力もストレスだし、ほんと冷蔵庫と電子レンジつけてほしい。
Xで話題になっている読売新聞の記事。それとX上の反応を見て暗澹たる気持ちになったので記す。
「投票所「夜8時まで」は立会人に負担…きょう4割で早じまい、経費節減も」
引用元:読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20241026-OYT1T50085/
なお、これは今年基礎自治体から広域自治体に転職した1人の地方公務員の考え方だし、サンプルもn=1なのでそこは差し引いて読んでくれ。
しかも、選挙管理委員会に配属になったことはないので、ちょっとズレたこと書いてるかもしれん。
・こんなに大急ぎで違憲の解散選挙やって、自分達の旗色が悪いから「投票所早く閉めちまえ」って圧力かけた
→政党が全国の市区町村に直接「投票時間を短くしろ」なんて圧力かけるわけないだろ。
・まっとう感覚なら「急いだ日程で申し訳ありません」と言って投票所増やすとこでしょ。よりによって『経費削減』だよ。庶民に関わることは全部経費削減なんですよね。
→さんざん行政の効率化を、費用対効果を、民間意識を、って言ってきたのに、選挙だけそれの範疇外になる理由は何?投票所は日頃から市区町村選挙管理委員会が選挙人名簿に基づいて偏りが起きないように場所を決めてるんだぞ。選挙人の人数が変わらないのに増やす必要ないだろ。
・民主主義の根幹を揺るがす
→投票時間を1~2時間早めたところで民主主義の根幹は揺るぎません。平成9年頃までは期日前投票もなかったし投票時間も18時までだったけど、民主主義は崩壊なんてしてなかったぞ。
今回のことで話題になっていることに関連しそうな条文をピックアップするぞ。
2 投票管理者は、選挙権を有する者の中から市町村の選挙管理委員会の選任した者をもつて、これに充てる。
(~略~)
6 投票管理者は、選挙権を有しなくなつたときは、その職を失う。
(~略~)
第三十八条 市町村の選挙管理委員会は、各選挙ごとに、選挙権を有する者の中から、本人の承諾を得て、二人以上五人以下の投票立会人を選任し、その選挙の期日前三日までに、本人に通知しなければならない。
2 投票立会人で参会する者が投票所を開くべき時刻になつても二人に達しないとき又はその後二人に達しなくなつたときは、投票管理者は、選挙権を有する者の中から二人に達するまでの投票立会人を選任し、直ちにこれを本人に通知し、投票に立ち会わせなければならない。
(~略~)
4 同一の政党その他の政治団体に属する者は、一の投票区において、二人以上を投票立会人に選任することができない。
(~略~)
(投票所)
第三十九条 投票所は、市役所、町村役場又は市町村の選挙管理委員会の指定した場所に設ける。
第四十条 投票所は、午前七時に開き、午後八時に閉じる。ただし、市町村の選挙管理委員会は、選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合に限り、投票所を開く時刻を二時間以内の範囲内において繰り上げ若しくは繰り下げ、又は投票所を閉じる時刻を四時間以内の範囲内において繰り上げることができる。
2 市町村の選挙管理委員会は、前項ただし書の場合においては、直ちにその旨を告示するとともに、これをその投票所の投票管理者に通知し、かつ、市町村の議会の議員又は長の選挙以外の選挙にあつては、直ちにその旨を都道府県の選挙管理委員会に届け出なければならない。
※ちなみに東京の特別区は第二百六十六条において市の規定を準用することになっている。
公職選挙法に記載のとおり、投票時間は市区町村選挙管理委員会が「選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合」に、法律に規定の範囲内で時間を変更することができる。
例えば、開票時間に間に合わせるためには18時に出発する船に投票箱を乗せなければならない。そのためには16時に投票を締め切らなければならない。
では、今回の経費節減のための投票時間の繰上は「投票に支障を来さない」自由なのか。
個人的な見解だが、この程度も認められないのであれば、選挙制度は近い将来音を立てて崩壊するだろう。
このように法律で「市区町村選挙管理委員会」が投票時間の決定権を持っており、そこには国の役人や政治家が意見を挟む余地はない。
政府の圧力で投票時間が短くなったと声高に意見をする人がいたら、それはただの「陰謀論に騙されやすい人」である。付き合い方を見直すことをおすすめする。
件の記事で取り上げられていた宇都宮市の例を見てみようと思う。
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/shisei/senkyo/1027895/1027904.html
グラフだけなので細かい数字は分からないが、令和3年度の衆議院小選挙区の時間帯別投票数を見ると、ピークの10~11時では20,000を超える投票がある一方、19時~20時は5,000を切っている。4分の1以下である。18~19時と比較しても半分程度の投票数である。
単純に考えて、時間帯によって投票所の運営コストが4倍以上かかっているということである。
自分が従事していた投票所もだいたい同じような状況だった。酷いときは1時間あたりの投票者数がピーク時の10分の1程度のときもあった。
事務の効率化、行財政改革が叫ばれている中、選挙だけが改革から外れる合理的な理由があったら教えてほしい。
ここでは立会人だけでなく事務従事者全体のことを考慮して記載する。
投票所における事務従事者は最低でも次に挙げる程度は必要である。
投票所によるが、だいたいこれらの人員が、準備片付けも込みで午前6時から午後9時まで15時間拘束される。
以前の勤務先では、選挙管理委員会職員と、選管応援の総務系職員を除いて、投票従事者と開票従事者は分けられていたので、これまたXで話題となっている「6時~27時勤務ののち、翌8時半から通常勤務」といったことは経験がない。
ただ、小規模自治体の話を聞いていると、投票事務と開票事務の兼務があるようなので、マンパワーが少ない自治体ほど厳しい状況に置かれてるのかもしれない。
以前の勤務先では15時間の投票所勤務をして、主事級の日当が3万弱~3.5万弱だ。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは自由だが、「この金をもらえなくていいから、許されるのであれば選挙に従事したくない」というのが市区町村職員の主流意見じゃないだろうか。同業者ニ意見ヲ求ム。
※自治体によっては日当じゃなくて時間外対応という神みたいなところもあれば、週休振替という地獄の煮凝りみたいなところもあると聞いた。
選挙事務は、市区町村の職員のほぼすべてが何かしらの形で関わる上に、派遣(アルバイト)も入れている。
このうち投票管理者は、投票事務をよく分かっている人でないといけないため、大抵は市区町村職員が割り当てられる。立会人は職員でもいいし、民生委員、保護司、スポーツ推進委員、自治会役員など、専門知識がない人でも構わない。まあ打診したところで断られるケースも多いんだけどね。
余談になるが、令和元年に専任要件が緩和され上記2つの職の要件が「選挙権を有する者」になった。それまでは選挙区内から投票管理者と立会人を見つけなければならず、勤務先市区町村に居住する者が割を食っていたが、この改正は大きかったなと思う。
令和5年度と、期日前投票が始まった平成15年度と比較すると、全国の地方公共団体の職員数は約30万人減少している。
一方で期日前投票の制度は年々充実してきており、事務負担は増える一方である。
投票所の運営なんてほぼ全てアルバイトだけでいいだろという意見もあるかもしれないが、ただでさえ人不足の中アルバイトだけでどれだけの人が集まるだろうか。
そもそも、投票数と投票用紙の数が1枚でも合わなかっただけで記者発表沙汰になるというのに、アルバイトに票数管理をさせるなど正気の沙汰ではない。
銀行が毎日の帳簿と現金のチェックを日雇いの派遣に任せるか?飲食店でシフトに初めて入るアルバイトにレジの締めを任せるか?
当たり前だけど、市区町村の正規職員が担うべき領域は外注できない。
これまで書いたとおり、現行の選挙制度は、市区町村職員の多大なる負担(犠牲と言ってもいい)によって成り立っている。
期日前投票所は年々充実しており、鉄道が通っている市区町村であれば、主要駅には期日前投票所が設置されているだろう。
期間も2週間設けているところが多いため、調整のしようはいくらでもあるだろう。
単純に投票時間を短くするのではなく、期日前投票所の拡大や移動式投票所の導入、その他さまざまな取組を行った上での投票時間短縮なのだ。
人口減少の局面において、今後市区町村職員は減少することはあっても増えることはないだろう。
市区町村職員の団体交渉権と争議権が制限されているからこその犠牲によって成り立っているだけであって、団体交渉や争議に発展してもおかしくないレベルのことを要求されている。しかも選挙のたびに、だ。
抜本的な改革をしなければ現行の選挙制度は2050年くらいには崩壊しているんじゃないだろうか。知らんけど。
闇バイトって言うと急に生えてきたみたいだけど、戦前から違法な労働としての日雇い労働は存在しているよ。
昭和の時代を生きた人なら、手配師に集められてなんか急に解体業務させられたりとか、グッドウィルに装備費引かれていきなり引っ越し屋の数合わせにぶち込まれたりしたことがあると思う。
このへん、基本的には法律で問題ない作業なんだけど、たまに明らかにアウトだよなあみたいなことがあったりする。
分かりやすいのだと、入場券でホームに入って指定された新幹線の号車網棚に荷物載せてくる、とか。
そういう時、みんな割の良いのにあたったと思って深くは突っ込まない。(なぜ雇わせた奴にやらせるのか、とか)
こういう時代を生き抜いてきたものとして、闇バイトが蔓延した原因は複数あると思ってる。
港湾労働の元締めの弱体化とか、グレーなのに突っ張る企業とか、普通詐欺師の手口なのにバックグラウンドのちゃんとした有名人がやるからビジネススキームになってるやつとか。
#9110 に電話すると、各県警の相談窓口に繋がるようになってる。
平日昼間だけだけど、まあバイトで引っかかったなと思った時にそれ以上優先することは無いのでまず電話しよう。
相手はプロなので「それは普通に面接の無いコンビニのバイトですね」みたいな回答が返ってくるかもしれないけど、その方がマシなので。
基本的に無い。
社会人経験もない学生はもちろん、あまり詳しくない分野では歳いってても判らんことはある。
なので、「ホワイトリスト方式」として、誰もが知っている大手チェーン店もしくは地場のスーパーみたいな創業が長いところに応募するのが良い。
マクドナルドに応募して闇バイトさせられることは無い。IKEAやコストコで突然強盗に行くことになることもない。
もしかしたらそのスーパーでは賞味期限切れのラベルをはがして新品に貼りなおす作業をさせられて、これってヤバイやつでは、みたいになることもあるけど、実刑を食らうことはまずない。
なので、自分で使ったこともない店や企業の、やったこともない業務を、未経験者歓迎とかで行ってはいけない。
そんなん、ほとんどのバイトが応募できなくなるじゃん!と思うかもしれない。そうだよ。
まずは自分の目で見て知っている企業で経験を積んで、「ああ飲食のバイトつってんのにこの時給と拘束時間は変だな」とか判断できるようになってからタイミーとか使うの。
年末年始に年賀状配達のバイトとか募集あったでしょ?ああいう大企業からのお誘いに乗って、こんなクソみたいな労働環境で仕事してこれっぽっちかよ!みたいな経験を積むの。
ブラックバイトに当たるかもしれないけど、闇バイトに当たることは無い。
日本の警察は(世間の評判に比べて)非常に優秀なので、素人の犯罪は必ず露見してつかまります。
当日顔を合わせて押し込み強盗に巻き込まれても、年寄殴って金を盗むとか、しなくていいから。
つうかね、強盗みたいなリスキーな犯罪、やりたくないってヤツ連れて行って無理やり脅して数合わせするとか、絶対にしないから。あり得ないから。
今問題になってるのは「強盗みたいなハイリスクローリターンなことを」「強盗したいやつマッチングして」「指示役の元で実行犯がやる」っていう頭悪くて治安も悪いのが増えてるから。
だから百歩譲って、近所の高級車と監視カメラの位置を撮影して報告して回る窃盗団の下見に使われちゃっても、そのあとヤベエなって思った段階で警察に電話したらそこで止まる。
見せしめに一家惨殺されたらニュースになるでしょ?そんなニュースバリューのあるネタ報道されないとかあり得ないから。
彼らは脅してあなたが怯えるから深みにはまるの。警察に相談して、手を切る。即座に110番に通報する。
あと、身の危険を感じたら躊躇なく110番通報しろ。(110番通報すると必ず警察官が対応してくれる/個人的には交番にかけこむのはおススメしない)
闇バイトの区別なんかつかないの。バール持って他人様に殴りかかる前に、どのタイミングでも引き返せるの。
報復が怖い?んな末端の切り捨て要因いちいち焼き入れに回ってそれで捕まったら単なる阿呆だからそんな馬鹿なことしないよ。
も一回繰り返すけど、チラシでも、リクルートの雑誌でもタウンワークでもタイミーでも職安でも、知らない企業の知らない仕事をするな。今はそういう時代です。
仕事の愚痴とかに、なぜ辞めないのかみたいなコメントくるといつも思うんだけど、「辞める」ってコマンドに割くエネルギーが無くなるんだよな。ほぼ無意識に「頑張る」「出勤」のコマンドに固定されてしまっていて、ある日突然ガタが来る。ネットでもリアルでもなんで辞めないの?辞めればいいのに!辞める以外の選択肢ないでしょ!ってそりゃわかるんだよ。1人の人間として大切にしてもらえないし、拘束時間は長いし、休みの日はずっと寝てばっかりだし、給料も安い。そういうところに数ヶ月もいると、だんだん身体も頭も動かなくなってくる。資格を取って転職を有利に〜とか、とりあえず退職して失業保険を〜とか、記録をとってパワハラセクハラで訴えて〜とか、そんなんまじで何にも頭が回らなくなる。ていうかなった。死ぬか出勤するかの二択になってしまった。ラッキーなことに、最後の理性が「そんなんおかしいやろ」と気付いてくれたから今も生きてる。
自分がいたところはたまたま「うちは来るもの拒まず去るもの追わずだからね」とあっさり解放してもらえたけど、気が狂いそうになる職場なんてまだあるんだろうな。
エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性や障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます。
振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります。
あとODはしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。
生い立ちとか:
母親は高卒後結婚、信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ちは無視、脅す事で言うことを聞かせる
言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ
私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科ないか聞いてこい」と言い放った。
は????
私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校、大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親と父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる
ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる
10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)
深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証
高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。
同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚からは心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。
他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。
母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかいう無理ゲーを押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親の支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。
が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜で実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。
年末が近づくと動悸が強くなる。
抗うつ剤、抗不安剤飲みながら就活、希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職
その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。
給料と環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。
でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to Bの電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントとかいた。
生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社は反省しろ。という気分だった。
相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲームや漫画は面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。
その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。
全然頭働かなかったけど、技術を理解するたびに面白いと思えるようになった。
一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。
一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社は退職し転職でまた事務職に就いた。
新しい会社も微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。
もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味のネット友達と作業しながら会話するのが私の楽しみになった。
ネットで技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来の彼氏(夫)くんだった。
ネットではいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。
やってたゲームが面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。
何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。
ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。
彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。
で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いから婚約とかで普通すぎて)
多分夫くんの結婚の決め手は
・私が好物の料理作ってくれる
とからへんだと思う。
夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように
彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ちで暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良で迷惑かけるからね
極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。
まぁそれでも、迷惑はかけてる。
今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。
ただ、
理解ある夫くんは自分が疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。
辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!
ので、私も休むようになった。
夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。
理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。
メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性が趣味が合うから彼女に選んでるんではないか?
と言う身も蓋もない話になってしまった。
エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性や障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます。
振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります。
あとODはしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。私は生きてる実感なんて欲しくなかった。
生い立ちとか:
母親は高卒後結婚、信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ちは無視、脅す事で言うことを聞かせる
言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ
私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科ないか聞いてこい」と言い放った。
は????
私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校、大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親と父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる
ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる
10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)
深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証
高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。
同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚からは心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。
他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。
母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかいう無理ゲーを押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親の支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。
が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜で実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。
年末が近づくと動悸が強くなる。
抗うつ剤、抗不安剤飲みながら就活、希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職
その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。
給料と環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。
でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to Bの電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントとかいた。
生理休暇を使った結果激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社は反省しろ。という気分だった。
相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲームや漫画は面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ポケモン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。
その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。
全然頭働かなかったけど、技術を理解するたびに面白いと思えるようになった。
一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。
一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社は退職し転職でまた事務職に就いた。
新しい会社も微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。
もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味のネット友達と作業しながら会話するのが私の楽しみになった。
ネットで技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来の彼氏(夫)くんだった。
ネットではいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。
やってたゲームが面白そうと言われたので一緒にやってみませんか?と誘ったら遊んでくれた。
何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。
ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。
彼くんは私より若かったけど話は合った。というか勉強して合わせてくれてたらしい。
で、デート繰り返して告白されて同棲を二年してプロポーズされて結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いから婚約とかで普通すぎて)
多分夫くんの結婚の決め手は
・私が好物の料理作ってくれる
とからへんだと思う。
夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常になるように
彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ちで暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良で迷惑かけるからね
極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。
まぁそれでも、迷惑はかけてる。
今聞いたら同棲したてのころ、体調やメンタルがやばくて泣いてたらしい。
ただ、
理解ある夫くんは自分が疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。
辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!
ので、私も休むようになった。
夫くんは私が休むと褒めてくれるし代わりに家事してくれたりマッサージしてくれる。
理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。
メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性が趣味が合うから彼女に選んでるんではないか?
と言う身も蓋もない話になってしまった。
収入源はFXで窓埋めだけして年20万近く稼いでる以外は一切ない。貯金を食いつぶしてる。
家賃は6万。家賃含め、生活費は毎月13万ぐらい。打つ呑む買うは一切しない。
リュックを背負って歩いて業務スーパーまで行き食材を買い、面倒くさがり屋なので大きめな冷凍庫にミールプレップを作り置きしてる。まとめて3日分作ってる。働いてる時は精神的に余裕がなくて自炊なんて出来なかった。
今は早朝にランニングしたり、懸垂したり、部屋の掃除や包丁を研いだり(友人から貰ったダイヤモンドペーストで鏡面磨きするのがマイブーム)、図書館で借りた本を読んだり、N予備校でWEBプログラミング講座を受講したり、時間だけはあるし高卒なので放送大学で勉強したりしている。
「働くよりニートしてる方が辛い」
みたいな事言ってる奴いるけど、今年でニート三年目になるがマジで何も辛くないし、のんびり過ごせて心の底から生きてて良かったと思える。自分の生活を自分でコントロール出来ている感覚は人間に幸福をもたらす事をじっ感した。本当に、働いてたほうが圧倒的に辛かった。
働いてた時は定時で帰れたが、仕事のためにだるい身体起こして、疲れ切って帰ってきて明日の仕事のために準備して早く寝る、精神的な体力のない俺にとっては、8時間勤務といえども家に帰っても休んだ気がせず平日24時間勤務と遜色なかった。
アフターファイブを楽しめる能力のない俺にとってのアフターファイブは24時間勤務の中の仮眠時間のようなものだった。
働いてる間、ずっと生きた心地がしなくて、とうとう不安障害を発症した。
予約三ヶ月待ちの末、精神科の扉を叩き、ワイパックスを処方されて抗不安薬に依存するようになった。抗不安薬の量だけ増えていき何も改善しなかった。ある日、発狂して有給をまとめて取りそのまま仕事を飛んだ。一般的に拘束時間も少なく、人間関係も穏やかだったので、たぶん職場の人達も困惑したと思う。俺はもう限界だったのだ。横一列でスタートして、すぐに躓いてる、どこにいっても上手くいかない人間は皆誰しも1人ぐらい思い浮かべられるだろう。仕事を全く覚えられないし全くできないからポンコツで、大人しくて、つまらない奴、それが俺だ。仕事が、社会生活が、気が狂う程辛かった。苦しかった。
ニートしてから不安障害も寛解して、精神科のお世話になってない。なんなら病院の世話にもなっていない。年に一度、市の歯科検診で歯医者に行くぐらいだ。
ただ、貯金残高の残りから計算して、ニートをあと2年も出来なそうで、また働かなくちゃ行けないことを考えるだけで具合が悪くなる。社会が怖い。働くの想像するだけで何も手がつかなくなるような不安を感じる。
もう30前半で空白期間三年以上あるため、再就職も絶望的だろう。素直に働きたくないのだ。また働いてた時のあの感覚がトラウマで、一種の学習性無力感を感じる。
たぶん俺は生活保護を受けても貯金出来るので、生活保護を受けながら生活したい。余ったお金は償還しますので。
ま、こんな感じで、働いてない方が幸せを享受できる人間も一定多数いるっていうのが言いたいのと、働かなくても最低限度の生活を享受できるライフハックをお持ちの方がいたら是非とも共有して頂きたい。
https://anond.hatelabo.jp/20240914204854
もうね、めーーちゃくちゃわかる。とにかく情報や社会情勢に対するキャッチアップが全然追いついてない。Teamsが導入されてるのを知らない(Teamsを知らないんじゃなく、Teamsが導入済なのにそのことを知らない)管理職とかザラ。電子決済システムが揃ってるのに回覧は印刷必須とか当たり前。
あと、とにかく本当に責任を取らない。仕事とは責任を負うことだという感覚があった民間出身者からすると驚愕。ほとんどの場合クビにならないのに何をビビってるんだよっていう。はっきり言って民間知らないやつらの感覚アホだよ。
ただ、一応民間で働いてた人間からすると、民間と行政の仕事の性質の違い上、そうなってしまう理由はわからなくもないところがあって、その辺のことを少し書いてみようと思う。
一番はこれ。あんまり知られてないけど、行政って一挙手一投足が法令に縛られてる。だから、決められたルールを破るのは極論「法を破る」ことなんだよ。会社の規則を破るのとはワケが違う。個人的には適度な副業くらい許してくれよと思ってるんだが副業やる時点で懲戒くらうからね。
副業規定(職務専念義務)に関しては自分も実害を被った。前職の関係で講演とかを頼まれたので相談したらNGくらったのよ。「申請すればいいんでしょ?」と思ってたけど、普通に通らなかったのでびっくりした。具体的な話は差し控えるけど、官公庁も一枚岩じゃなくて、ある部署ではOKなことが別の部署ではNGってことが割とある。で、講演とか、あと文筆業とかは一般論としては副業に当たらない扱い(継続性のない依頼は報酬にあたらない)筈だったんだけど、自分の部署では「金銭が発生するなら全部副業」っていうローカルルールがあった(。なので無報酬で受けることにしたよ。死ね。はよ転属したい。
でまあ、民間感覚なら「これくらいOKでは?」というのがマジで通用しない。なぜなら法令で縛られてるから。これは公務員が何を言っても変わらないんだよ。公務員は法を守る側であって、法を変えるために働いてるわけじゃないから。そういうのは政治家の役割……ということになってる。法で規定されている以上、それを破るわけにはいかない。
公務員になってびっくりした事の一つが「決裁の多さ」。たとえば、行政では何かものを買うときに、「最低でも入札or相見積もりをしないと買えない(例外あり)」「ものを買う場合は原則後払い(請求書払いによる銀行振込のみ)=結構な数のネット販売が使えない」「注文時と支払い時の2回決裁をとる必要がある」というゴミみたいなルールがある。びっくりするでしょ。で、しかも購入前に申請した金額と、実際の購入時の金額が1円でも違ってたら決裁とりなおしなのよ。しかもこれ「安くなった場合でも申請を取り消して再申請」しなきゃいけない。申請内容の修正とかでなく、申請の取り消し&再申請。これだけでもゴミだと思う。
が、これはもう、税金を扱ってる以上どうしようもないんだと思ってる。税金を扱う以上、その扱い方には細心の注意を払う必要がある。だからガッチガチに縛る。非効率でも縛る。これはもう、非効率であること=無駄な行動を取らせることが不正の防止のためにあると考えざるをえない。
とはいえ、100万200万とかの金額のズレとかならともかく10円20円とかで決裁取り直すのクソだとは思う。そのために15分くらいかけて決裁とりなおすの、人件費考えると税金無駄遣いしてるじゃんねっていう。
ここで問題です。たとえば9-17時が勤務時間として、打刻の記録上8時45分出社・17時15分退社だとします。公務員は何分残業したことになるでしょうか。こたえは0分です。なぜなら公務員は命令なしに残業をする(=税金を使う)権限がないから!馬鹿みたいでしょ?でも公務員は税金で飯食ってるからそうなるんだよ。
こんな構造だと必然的に発生するのが「工数」の考え方が民間と違うということ。民間だと労働時間を削れるような仕事の効率化は、人件費削減につながるので是とされる。でも公務員はそうならないんですよね。なぜなら残業は原則「存在しない」ものになってるし、仕事の効率化自体はそもそも予算の削減にならないんですよ。「○○を導入して年100万円支払うことで人件費200万円が浮く。100万円の削減!」という考え方がない。これは、「税金である以上、何にいくら使うかを事前に決定しないといけない」という行政の仕組みとしては当たり前に導かれる話なんだよ。
「自縄自縛の保全管理ごっこ」というのは、もうそのとおりなんだけど、これを解決する方法は多分ない。行政における無駄なルールは「無駄を課すことで不正を防止する」という理解をせざるをえない。それをなんとかしたかったら法律を変えるしかないが、多分まああと20年は変わらないでしょう。政治家も興味ないだろうしそんなことには。助けてくれ。
エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性や障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます。
振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります。
あとODはしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。
生い立ちとか:
母親は高卒後結婚、信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ちは無視、脅す事で言うことを聞かせる
言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ
私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科ないか聞いてこい」と言い放った。
は????
私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校、大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親と父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる
ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる
10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)
深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証
高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。
同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚からは心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。
他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。
母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかいう無理ゲーを押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親の支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。
が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜で実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。
年末が近づくと動悸が強くなる。
抗うつ剤、抗不安剤飲みながら就活、希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職
その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。
給料と環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。
でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to Bの電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントとかいた。
激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社は反省しろ。という気分だった。
相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲームや漫画は面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。
その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。
全然頭働かなかったけど、技術を理解するたびに面白いと思えるようになった。
一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。
一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社は退職し転職でまた事務職に就いた。
新しい会社も微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。
もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味のネット友達と作業しながら会話するのが私の楽しみになった。
ネットで技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来の彼氏(夫)くんだった。
ネットではいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。
何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。
ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。
彼くんは私より若かったけど話は合った。合わせてくれてたのかもしれないけど。
で、デート繰り返して告白されて同棲を二年して結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いから婚約とかで普通すぎて)
夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常が積まれただけな気がします。
彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ちで暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良で迷惑かけるからね…
極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。
まぁそれでも、ダメな日はやってくる。体調が悪くてデートをキャンセルしたこともある。それも数回。迷惑はかけてる。
ただ、
理解ある夫くんは自分が疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。
辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!二人とも疲れてる時は二人でダウンしてればいいんだ!?(もし子供が生まれたら…二人ともちょっとずつ頑張りつつ壊れる前に外部サポート頼む?)
ので、私も夫くんが疲れてる時はして欲しいことを同じようにする。
周りの人がダウンしてる姿ってあまり目に入らなかったから、みんなちゃんと休んでるんだと分かって嬉しかった。
理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。
メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性が趣味が合うから彼女に選んでるんではないか?
と言う身も蓋もない話になってしまった。
未だにリモートワークより出社の方が効率がいいとか言ってる人がいる
そんなの人によるだろとしか
暑い/寒い中、外を歩くことになるし、満員電車に乗るのも苦痛だ
労働環境が過酷なところでもなければ仕事中よりも移動時間が疲れる人も多いだろう
リモートワークと比較するなら、実質的に1,2時間拘束時間を増やしてるのにだ
周囲が卒業後に取った進路は主に4つ。
これが一番多い。
とはいえ演者側をやめただけであって、今まで触れてこなかった観劇自体が趣味になった人もちらほらいる。
1年1回とか2年に1回とか地域でやってる町民や市民が参加する類の舞台に参加する人。
あくまで演者やスタッフとしてやればいいだけなので面倒な運営やら何やらにタッチしなくていいので気楽。
既存の劇団や大学の演劇サークルに入るルート。劇団も審査なしで入れるところはアマチュアなのでサークルの延長線みたいな感じ。
アマチュアとはいえ団体なのでパンフのスポンサー探しやらチケットノルマやら面倒なことをやる必要がある。
公演が近づくとジャスラックがセット曲リストを提出しろと郵送してくる。稽古場公演でも送ってくるので催し物チェック係でもいるのか。
レアルート。マジでやる気のある人が何人かいないとやらないやつ。
同世代で奇跡的にそういう人々がいて頑張っていたらしい(友人の友人ぐらいの人だったのでまた聞き)。
私の世代ではプロに進んだ人はいなかった(2時間ドラマのモブやったとか地方局の単発ドラマの主演したとかはいたけど)。
正直、劇団はいつでも若い人が足りないので参加は容易だけど、諸々の事情(主に拘束時間)で続けるのやめとくわーって人は多い。
私は関東郊外の住宅街にて信用金庫勤務の父親とパートの母親の間に次男として生まれた。
兄と姉がいる。
平凡な家庭で幸福に育ち、両親にも兄や姉にも不満はない。それどころか家族には感謝してるし今でも大切な存在である。
それでも昔から家庭に鬱陶しさを感じ根無草な人間に憧れていた。
一仕事を終えた後にバーで時間を過ごし、帰る場所もないのに夜の都会に消えて行く。
未来を案じてくれたり、身体を心配してくれたりする肉親はいない。
そんな人生に憧れていた。
私の家庭は門限だってうるさくなかったし、四六時中勉強しろあれしろと口うるさく言われる家庭でもなかった。彼女や将来についてあれこれと口を出されたり詮索されることもなかった。大学時代から一人暮らしをさせてもらった。
それでも家族、親戚、親しい友人、地元の近所の人たちなど自分にとっての「根のようなもの」に煩わしさを感じる時がある。
社会からのはみ出しものになる度胸もなかった私は大学卒業し警察官となった。
警察学校を卒業し地域課へ配属。休みも惜しまず空いた時間には署の刑事課の手伝いや下働きをして刑事課へ。
しかし、既にわかっていたことだが、優秀な日本の警察における刑事というものは杉下右京や銭形のようなハードボイルドな存在ではなく、先代たちに築き上げられた流れに沿って捜査を進め、情報を集め、書類を作成し、機械的に被疑者を拘束し送検する作業員であった。
バーで過ごす時間などなく、怪しげな路地裏を歩くこともなく、場当たり的な張り込みもなく、ほとんどの時間を署内での書類作成に費やしていた。
給料もよかったし、同期や先輩、後輩との人間関係もよかったが拘束時間に悩み結局退職。
年齢制限ギリギリで地元自治体の公務員試験を受け、現在は地元で彼女と同棲しつつ役所勤め生活を送っている。
幸福で充実した日常を送っているが、ふとした瞬間にやはり自分を囲む人や関係や縁に対して煩わしさを感じる。
だからと言って根無草にはなれない。
彼らのような人間は現代日本にはいないし、彼らのような生き方は現代日本ではできないのだろう。
根無草な人生への憧れや根に対する煩わしさを感じた時、私は繁華街のバーに行って一人でオールドパーをロックで数杯飲んで過ごしたり、首都高までドライブに出かけ「ルパン三世のテーマ’89」、TM NETWORKの「Get Wild」、Vaundyの「トドメの一撃」を流したりしている。
根無草に憧れた凡人の自分語りでした。