「戦争状態」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 戦争状態とは

2015-11-23

テレビ視聴率が下がったのは

きれいごとばかりだからだ。

ハイソな連中のハイソなおほほ話には

うんざりする。

戦争状態を生きている夢も希望もない

日本社会の者にとっては。

バカ騒ぎは何か虚しい。

明るい話題すら。

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150920041021

つの時代の話だ(頭を抱える)

今の流れを、「中国の脅威」VS「反米」みたいに単純化してんのん

いまさら日本アメリカと離れられるわけないでしょー!これだけ調教されてんのに!

離れられるワケがないからこそ、その付き合い方はよーく考えましょうねってことでしょー!

今は2015年なんだよ。60年代でもなければ明治でもない。

70年つづいた非戦争状態歴史の先端にいる、当事者がそれぞれ考えてるんだよ。老若男女、その歴史観戦争観もそれぞれだろうよ。

過去歴史という権威によりかからずに、もうちょっと今を生きている人間意志尊重したほうがいいと思うぞー。

ホルムズ海峡説明とかあれだけやってたのに、真っ先に出てくるのが中国脅威論ってとこに、逆に今の日本を感じるぜ……。

2015-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20150829175104

戦争ってのは、起こさせないことが最大の勝利なんや

起こさせない最大の手段は、相手より強い戦力を備えることなんやで

中国は今、経済的結びつきを背景に日米同盟があっても米は多少のことじゃ

中国戦争状態にはならないと踏んでるが、日米安保強化で日本ちょっかい出したら

米が動く状況を理解させる必要があるんやで

2015-06-26

戦争法案とか徴兵制とか

徴兵制とか言っているアホがいるけどこの現代国と国が戦争状態になったら超高度なテクノロジ戦になる訳でお前らが何万人徴兵されようが最先端軍事ロボット一匹にすら適わないだろう。

よって素人徴兵は有り得ない。

未だにどこかの高台取り合ってピストルパンパンみたいなの想像しているのだろうか。

あと9条可決と戦争が起こるということに関しては何ら因果関係はない

戦争法案とかどこかの反安倍おじさんが貼ったレッテルに巻き込まれている人は以下の2種類

・全てを分かって安倍憎しで煽動している人

情報を持っておらず煽動された人

サイレントマジョリティは嘘を見抜いている。その証拠安倍政権支持率ほとんど落ちてない

2015-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20150603221641

亀でスマンが、元増田だけどな、

韓国 米国 外交」とか「韓国 中国 外交」とか「米国 北朝鮮」とか「北朝鮮 粛清」とか「北朝鮮 人事」とかで、期間指定でググってみ

ここ1~2年で、急に緊張感が増してるの判るから

特に米国筋が一昨年あたりから警戒レベル上げてたのが、最近さらに上がってる。

やっぱ三男坊が無茶な人事してるの不気味なんだよ。

どうすんのかだけどな、オマエがどうするのか考える必要があるんだよ。

韓国嫌いから韓国は助けたくないなら、それもアリ。他国戦争に首突っ込むこと無いもんな。

その場合は、集団的自衛権とか論外かつ、アメリカにネゴっとく必要があるから自民党安倍細田派には選挙で票を入れちゃならん。

たぶん、今んトコ共産党一択になって、どちらかと言うとアメリカとネゴる為に、中国寄りの外交政策を支持する事になるはず。

その流れで、平和安全法制とかちゃんと見といて、誰が何言うか確認して、選挙で落としたり票入れたりする必要がある。

逆に、アメリカ抜きの安全保障とか無理筋だと思うなら、自民党に票入れて、かつ、暴走しないように危険なヤツは落とす必要がある。

その場合は、国民感情抜きにして、北朝鮮韓国間で戦争状態に入った時に、アメリカから要請で、たぶん自衛隊が出る。

わりと昔からロシア漁夫の利を狙って高みの見物決めてくるから、そっちも見とく必要はある。

さらもっと具体的に言えば、「オマエ自身」はどうすんのか?って話にもなる。

北朝鮮韓国戦争するのは(アメリカですら無理なのに)オマエには止められねえだろ。

で、今んトコ徴兵制は導入されねえだろうし、戦地に行くことはたぶん無いが、戦場になることは十分考えられる。

(具体的に言えば、近所に自衛隊レーダー基地とかあったら、ミサイル飛んでくるかもな。日本海側なら直接的に脅威に晒されてる)

引っ越しするのか、無駄だと思ってなにもしないのか、何なら国外避難できるように英語スペイン語日常会話ぐらいはできるようになっとくのか。

スペイン語なら日本語発音似てるからアンチョコ片手の日常会話はそこまで難易度高くねえよ)

そういう危機感を持っとく必要があるって話だよ。パスポートなきゃ国外脱出も出来ねえぞ。

自分には「どうにもできない」ってのと「できるのに何もしない」のは、違うぞ。

満州とか台湾とかの引き上げでも、準備してたやつから返ってきてるし、出遅れ人達は、やっぱ悲惨だったぞ。

2015-06-03

戦前

自分が生まれた時から存在するものは、過去もずっと同じであったと人間は思いがちだ。

その一つに、「平和」がある。ピンフじゃ無いぞ、ピースだ。

ニュースを見聞きしていれば薄々感じてると思うが、現状は薄氷の上を歩くが如く、危うい状態にある。

戦争ってのは、そう特殊なことじゃないし、わりと簡単に日常生活の延長線上に起こりうる。

そして、現在の緊迫した状況を理解しておくことは、個人にとっても悪いことじゃない。

それを理解した上で、どう行動するかは、それぞれの信念によると思う。

韓国北朝鮮は、今も戦争状態にある

大韓民国韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)」は停戦状態で、まだ終戦していない。

それぞれ「国」の設立に、アメリカ合衆国ソビエト連邦とが強く関与しており、

いわば、この二国間は、未だ第二次世界大戦から直結した冷戦状態にある。

朝鮮半島歴史を簡単に振り返る

まず最後王朝李氏朝鮮から

朝鮮半島を支配していた「李氏朝鮮朝鮮王朝)」から始める。

李氏朝鮮」は、13世紀から19世紀まで中国冊封国家として朝鮮半島統一していた。

16世紀豊臣秀吉が侵攻したのがこの李氏朝鮮で、一時的に国土の大半を征服されている。

(つまり朝鮮征服成功しており、事実上中国(明)との戦争であったと言われている)

まあ、歴史の通り豊臣秀吉は死に明は押し返し、19世紀まで李氏朝鮮は存続している。

甲申政変

李氏朝鮮は、中国冊封国家、つまり中国寄り」の国だ。

しかし、お隣の国である日本は、明治時代を迎え近代国家として発展していた。

李氏朝鮮近代化を目指す一派が、日本に頼りクーデターを企んだ。コレが1884年の甲申政変だ。

時の政権は「中国(清)」に助けを求め、クーデター側は「日本」を頼り、代理戦争が勃発。

結局、双方割にあわないと気が付き、「天津条約」が結ばれ手打ちとなった。

(ちなみに、クーデター首謀者一派はかなり悲惨な結末を迎えている)

東学農民運動東学党の乱)

東学党の乱をおおざっぱにいえば、農民による革命だ。

李氏朝鮮の「政府」と「農民」との内乱だ。

そして「天津条約」に則って、日清両軍が内乱鎮圧を行った。

ここで、内乱が鎮圧された後、中国(清)が「日本けが撤兵せよ」とツッパった。

政府内でクーデターも置きてしまい、朝鮮政府日本に「清を追い出してくれ」と依頼する。

そして、「日清戦争」が勃発。日本中国(清)に勝った。

大韓帝国

日本に清を追い出してくれと頼み、日清戦争日本が勝った。

まり、「李氏朝鮮」は、中国(清)の冊封国から離脱したわけだ。

これが、1897年の「李氏朝鮮から大韓帝国」への国号変更(独立である

まあ頼られたわけだし、と、当然のように日本は「大韓帝国」に干渉し始める。

日露戦争から日韓併合

日露戦争時代に、日本は「大韓帝国」にゴリゴリに干渉する。

これに「大韓帝国」は、危機を感じ、李承晩(イ・スンマン)をアメリカ派遣する。

アメリカに頼って、日本排除しようとしたわけだ。これは失敗する。

そして、1910年日韓併合条約」により統治権を日本に握られる。

朝鮮国家歴史は一旦幕を閉じることになる。

第二次世界大戦で、日本は負けた

朝鮮半島を実質支配していた日本戦争で負けた。

勝った国は、その土地を分け合おうとする。

ここで、戦勝国であるソビエト連邦」と「アメリカ合衆国」が現れる。

北緯38度線の北をソビエトが、南をアメリカ占領した。

そして、両超大国は、それぞれ「代理国家」を立てる。

北のソビエトが「金日成」の「朝鮮民主主義人民共和国」を、

南のアメリカが「李承晩」の「大韓民国」を作った。

1948年の事だ。

ソビエト金日成

金日成(キム・イルソン)は、中国共産党出身だ。

筋金入りの抗日パルチザン活動家で、その流れでソ連軍の一員として行動していた。

そして、ソ連当局支援を受けて、北朝鮮指導者としての地位確立した。

言ってみれば北朝鮮とは、正当なスターリンソ連の落とし子であり、中国共産党シンパである

まり共産主義国家だ。

アメリカ李承晩

李承晩(イ・スンマン)は、「大韓帝国時代アメリカに頼ろうとした調整役だ。

それは失敗したが、そのままアメリカハーバード修士を、プリンストン政治学博士号を取得している。

そして、アメリカ当局支援を受けて、大韓民国の初代大統領となった。

言ってみれば韓国とは、アメリカの援助で復活した「大韓帝国である

まり反共主義国家だ。

朝鮮戦争という全面戦争

イ・スンマンは、韓国大統領で、筋金入りの反日主義者だ。

そして、「連合国であることを望んだ。「戦勝国」の一員でありたかった。

対馬領有の宣言は、1949年に行われている。対馬竹島日本領から除外すべく、アメリカ政府執拗要求していた。

アメリカ政府は、共産主義国家が朝鮮半島占領するのは良しとしなかったが、正直日本で手一杯だった。

1950年アメリカ国務長官が「アメリカは、フィリピン沖縄アリューシャン列島しか責任を持たない」と宣言した。(アチソンライン

ここで、キム・イルソンは、アメリカ朝鮮半島を重視していないと踏んで、朝鮮戦争に踏み切った。(当然ソ連スターリン中国毛沢東に周到に根回してだ)

北朝鮮が、韓国に奇襲を掛ける形で進軍を開始した。

ソ連中国バックアップのある北朝鮮軍は、実に強かった。

大韓民国軍は総崩れとなり、ほぼ北朝鮮は、韓国占領しかかった。

ただ、結局のところアメリカ国連)軍は、一気に押し返し、北朝鮮をほぼ制圧した。

当然ソ連面白く無いので、中国をせっついて、やり返す。

事実上ソ連中国)とアメリカとの代理戦争だった。

もはや第3次世界大戦まで秒読みの段階だ。

ただ、軍を指揮していたマッカーサー暴走(原爆を落とす気だった)した結果として軍から追放されたこと、

ソ連を率いていたスターリンが死去したことで、状況が大きく動いた。3年に及ぶ戦争は、一旦休戦することになる。

(休戦なので、未だ戦争は終わっていない)

北朝鮮という時限爆弾

朝鮮戦争後も、北朝鮮社会主義国から支援を受け、基本的韓国よりも常に優位に立っていた。

キム・イルソンが中国共産党出身であり、ソ連にも大きなコネがあることが全ての力の源泉だった。

しかし、ソビエト連邦崩壊する。大きな後ろ盾を失い、経済的な援助が打ち切られた。

そして、キム・イルソンが死去し、コネクションを失い、世界から孤立する。

その結果が、大規模な経済困窮と、それに伴う飢餓だ。

後を継いだのが、金正日キム・ジョンイル)だ。

ソ連の援助は打ち切られたとはいえ、軍事国家は、軍事物事を解決しようとする。

そして、そのキム・イルソンも死去し、金 正恩(キム・ジョンウン)が国家を継いだ。

売り家と唐様で書く三代目と良く言われるが、親の遺産はその子供まではなんとか保っても、孫の代には残らない事が多い。

北朝鮮は、いままさに三代目だ。いつ崩壊してもおかしくはない。良く保っていると言える。

字通りの意味で、戦争はまだ終わっていない

朝鮮戦争は、未だ終結していない。

第二次世界大戦ソ連アメリカ朝鮮半島の取り分を巡ってそれぞれ国家を建てたことで発生し、

代理戦争としてはまれに見る規模で地上戦が展開され、冷戦時代には相当の緊張を強い、ソ連崩壊バランスが崩れた。

まり、今の緊張は、第二次世界大戦の後始末なのだ

その中で、我々はどうあるべきか

韓国は、有り体に言えば反日イ・スンマンの意思を継ぐ、アメリカ属国だ。

ただ、真の独立をずっと願っているし、南北統一を夢見てもいる。

北朝鮮は、スターリン独裁共産主義国家であり、ゴリゴリ軍事国家だ。

そもそも、国として存在するために、常に周囲を牽制し続ける必要がある。

韓国アメリカ軍事的同盟を結んでいるし、日本アメリカとは事実上軍事同盟を結んでいる。

そして、北朝鮮が発作的に何かを始めた場合、まず間違いなく最初韓国が標的になる。

軍靴の音が聞こえる」等とのんきなことを言えるのは、「平和」があると思い込んでいるからだ。

38度線非武装中立地帯の北にも南にも、軍隊が常に靴を鳴らして警戒している。

軍靴の音が「聞こえなくなった」と感じ始めていることが、真の危機だ。

戦争は、もうすぐそこに見えている、現実的な脅威だ。

目を逸らしても、北朝鮮はまだそこにいる。

(追記:判り難いとのブコメもっともなので、時系列で整理しなおした。

 南沙諸島南シナ海と若干日本から遠く「中国」は政治的にまだ致命的では無いので触れていない)

2015-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20140908234101

みんなが自転車通勤行使すると道路キャパシティが破綻する。バス電車にぶち込んでいるからこそ8:00から9:00のタイト時間でも、どうにかこうにか道路破綻せずにやっていけているわけだ。ところが、スレ主がやりたい放題やるように自転車通学やら自転車通勤をやったらどうなるだろう?バス会社経営困難になり、電車会社は父さんする。ホッブズの言う、自己保存の権利を100%行使された万人は万人による交通戦争状態に陥ってしまうではないか。

したがって少しでも公共善という概念を解するならば、即刻、通勤通学時間帯での自転車の私用はやめるべきなのである

2015-05-13

女性真剣に付き合っていたら3股していた

どうしてこうなった・・・

その3人は元々は仲良しだったのに、今では戦争状態だ。

こんなつもりじゃなかったのに、と別の女友達相談したら、もう1股増えそうになっている。

思うに、僕が意志薄弱なのがよくないのかもしれない。

どんなに純粋に求められても、彼女いるからと言って無下に断るべきだったんだ。

元の仲良しグループに戻って欲しくて、できるだけケアはしているが、

今度はどれだけケアしてもらえるかを競い合っている節がある。

今はわざと風邪をひくとか、わざと財布を無くすぐらいだが、

やがて自傷犯罪に手を染めないかと不安になってくる。

どうすればいいんだ・・・

2015-02-01

イスラム国宣戦布告されたらどうなるんだろう>

今朝のメッセージ宣戦布告と受け取る向きもあるが、日本政府はそう捉えてないようだ。

でも、もし声明に"宣戦布告"の文字がはいっていたら、日本政府戦争状態を宣言するだろうか?

その可能性は低いように思える。

遠い国外国民誘拐、処刑されても先制攻撃とは言いがたいだろう。

国内でのテロでも軍事攻撃とは言いがたい。

テロとの戦争が新しい戦争だとはつねづね言われてきたけど、

日本が標的になったいま、どこから戦争(開戦)なのか。

詳しい人に語ってもらいたい。

2015-01-25

クソコラ

本気で「日本イスラム国戦争状態に叩き落としてテロを誘発させてやる」と思ってやっているならいいんだが、

単に考えが浅いだけなんだったらそれはちょっと不幸だろうと思うのです。

2014-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20141204163349

平和状態では富を持っている者は稀な事故自然死以外ではまず死なない。

戦争状態では富を持っている者も死ぬ確率結構増える。

弱者はどっちの状態でも死ぬ

からどうせ死ぬならあのいけすかない金持ち共を少しでも殺してやろうとなる。

失うものがないってのはそういうことだよね。

2014-10-30

子育ての為のド田舎移住は、10年後・15年後に後悔する

政府実施した「地方への移住志向」に関する世論調査によると、

 「地方移住したい」という人は、20~40代が多く、以降50代・60代と減少していくらしい。

 その結果を見て政府は「若年層・子育て世代地方移住」を地方創生の目玉にしたいらしいが、それについて感じたこと。

自分分譲マンションを販売する会社人間なんだが、

 「託児所付」「チャイルドルーム付き」マンションなんかも、

 子持ち世帯に「これは育児にラクですよ」とセールストークすると、みるみる売れていく。

 自分は内心、「こんな託児系施設なんて、使うのはせいぜいい数年間なのに、それを理由マンション決めるってアホだなあ」

 と思ってるが、そこは大人なので内心を隠して営業笑いする。

 (託児所マンションは、その分割高だし、管理費負担も重い)

★で、「20~40歳代の移住意欲が高く、50代以降の意欲が低い」のニュースを見て思ったのが、

 「子育てのために、自然の多い田舎移住したい」という人って

 「子供が小さいうちの頃しか考えられていない、短絡志向だなあ」と思ってしまう。

 「託児所マンションをホイホイ買う子持ち」と一緒

子供が未就学のうちは、そりゃ徳島県神山町とか、隠岐の島海士町に移り住むのもいいでしょう。

 子供は「伸び伸び」育つでしょう。

 でも、「伸び伸び教育」なんて言っていられるのは、せいぜい小学校まで。

 そういう人って、子供高校とか大学に上がった時を想像して、それでも「神山町海士町がいい」のか?

合理的マンション選びをするなら、託児所マンションは「割高」だから子供が小さい数年間だけガマンして、託児所無しを選ぶ方が合理的

 でもそういう判断する人は少ない。

 乳児や未就学児と一緒の生活は、まさに「戦争状態」で、パパママ合理的思考の余裕を奪ってしまう。

 ・・・神山町海士町移住したいの思考」も同じでは?

★「10年先、15年先を見据えて、それでも託児所マンションを買うべきか?」

 「10年先、15年先の子供の進学を考えて、神山町海士町移住すべきか?」を冷静に考え、

 それでもなお「託児所マンション」「神山町海士町」を選択するのなら文句はないが、

 10年後に「こんな筈じゃなかった」と後悔しないように。

★実際問題神山町なら、頑張れば徳島大学に通えなくもないが、海士町だと事実上下宿しないと大学進学は不可能でしょ?

 というか、高校進学もどうなんだろう?

★だから、20代~40代で、子育てに追われて「心神耗弱状態のパパママ」の、

 「ああ、東京での育児疲れたなあ、神山町海士町に行きたいなあ」という「子育て起因の心神耗弱による気の迷い」に付け込んで、

 若年層のド田舎移住を推進する国の政策は、一種の詐欺だと思う。

★ド田舎移住雑誌とか書籍って、移住した直後については詳報してますが、

 「移住して5年後」とか「移住して10年後」をほとんど取り上げないんですね。

 子供が3歳の時にド田舎移住して、最初の2~3年はよくても、15年後の大学進学時に悲惨なことになってるかもしれない。

 だがそれは載ってない

★それともアレか、ド田舎移住促進で、後先の教育なんて考慮しない「マイルドヤンキー」を量産したいのかな、政府は?

 確かに都内で育った子供より、海士町で育った子供の方が、出生率は高そうだ。

2014-10-09

常岡浩介とは

(1)はてな住民らしい

http://d.hatena.ne.jp/shamilsh/


取材対象との距離感おかしい気がするし、

https://twitter.com/shamilsh/status/520148796907331584

「なぜ止めなかった」という批判にも答えます。極端に思想信条が異なった相手に反対意見を述べても意見を変えるどころか、その意見を強化してしまますシリアへゆく意志脆弱北大生の意志を逆に固めてしまうことになります。寧ろ困難に直面させて、自分意志で断念するよう促す方がいいのです

なぜ取材源の情報事情ペラペラ話すのか。


「見逃した」とRTされたのでdailymotionで見れることを教えた後に

https://twitter.com/shamilsh/status/512096373403971585

こちらにありました。 http://www.dailymotion.com/video/x25y8uv_ mr-サンデー-140914_news @erkin_kawabata: 見逃した..orz @shamilsh: 高世仁の「諸悪莫作」日記 日本人ジャーナリストがみたイスラム国 ゆうべの常岡浩介さんの「イスラム

局長特別賞を片手に得意げな顔で

https://twitter.com/shamilsh/status/512109316396969984

フジテレビからもろた♪

もう訳が分からないよ!




□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

A国とB国が戦争状態になっていました。

常岡浩介はA国の内情を深く取材すべく極秘潜入し、【A国万歳!最高!!】というポスターの前で指令官とともに銃を構えて写真を撮って

SNSで"お前ら事は俺がちゃんと話しを聞いて世界に向けて発信するよ!"と囁いいたらA国の取材スムーズに行えました。



「おっ、やっぱり取材は仲良くなって信用を得るのが大事だよな」と。



そしてB国側の内情を取材する時も【B国万歳!最高!!】というポスターの前で司令官とともにピースサインを決めて写真を撮って

SNSで"お前らの事は俺がちゃんと取材をして世界に向けて発信するよ!"と囁いたら、なぜか拘束されて「この金を使って国に帰れ」と強制的出国させられました。

「あれ、なんでだろう?? とりあえずA国にまた行って、親睦を深めておこう。」



A国に再度入国すると、司令官が「B国に行ってきたらしいな。何か変わった事なかったか?」と聞いてきたので

特に何も取材出来なくて、お金渡らされて追い出されちゃったんだよ。」


おまえ、その金で飼われたか… スパイ乙。

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

https://twitter.com/shamilsh/status/520153294186901504

事件と直接関係ないけど、ついでだし、こういう写真をupしたことへのご批判にも答えます。相当性の問題です。これをupすることでイスラム国の直接取材が可能になりました。これは、その行為非常識であるかい問題点を遥かに越えるメリットです



浩介、それ取材やない プロパガンダ片棒担いでいるだけや。

2014-07-22

Ingressの見た夢

 Ingress。それは緑と青の勢力に別れて覇を競う陣取り電脳ゲームであるモバイルマップから人工物(ポータル)に勢力色でマーキングし、マークされた三点を結ぶことによって陣地(コントロールフィールド)を形成する。自由の青、共存の緑、果て無き争い。

 人々はIngress熱狂し、2014年にはモバイル圏外のポータル申請のために電波塔を設置する者が現れた。そしてその年の後半にはポータル維持のために土地を取得、購入する者まで出現した。

 すべての空きポータルが緑か青に染まり尽くす頃、人々はついにIngressポータルにするためだけに(芸術的な)モニュメント建築し始めた。新しいポータルはできるだけ他のポータルと離れていたほうがコントロールフィールドが大きくなるため、地球上のありとあらゆる白地図ターゲットになった。 ポータル建築は前述のように私有地化してから行うのがセオリーのため、なんでもない砂漠僻地の空き土地が高騰し、空前の土地バブルが訪れる。

 ポータルは一回マーキングしただけでは安心できない。常に敵勢力に塗り替えられるリスクを負っている。そのためポータルを維持するために所有した土地に住み、また管理するため子孫を残す一族が現れ始めた。

 これらの熱狂によって不況大都市の過密化と地方過疎化、そして少子化までもが一挙に発展的解決をみる。

 まだだ、まだ足りぬ。なぜあの土地人間Ingressをやらずに銃で射ち合っているのだ?啓蒙せねばならぬ。政情不安地域ではポータルは皆無、土地資源ばかりがある。啓蒙せねばならぬ。すべての国家人種民族宗教は青か緑に染まり、かの星はついに全地域が無血戦争状態へと突入する。

 この星はまだらの青と緑で染まった虎となった。もはやどこへも行けぬ。まだだ、そうして人々は天を仰いだ。月と太陽と星々が輝く天を。Ingress宇宙戦争元年である。その翌年には火星行きの民間ロケットが飛ぶように売れたという。

 そして年月は流れる。

 いつかの未来地球。毎年そうしているように、満天の星々の下、子供たちと一緒に空を見上げながら、優しい顔で語る一人の女性がいた。

「あれがベガ、Lv53万のポータル。そしてアルタイルデネブ

きらきらと光る星を指でなぞりながら、言う。

「これらを結んでいるあの三角形を、夏の大三角と呼ぶのよ」

2014-07-04

集団的自衛権に賛成寄りの理由

戦争状態になった時の内閣軍事行動への慣れ(長期)

  正直、戦後生まれの内閣自衛隊を動かせるか疑問

   ちな、自衛隊の最高指揮監督権は内閣総理大臣にあり

  同様に、日本人戦争観が第二次世界大戦で止まっていることもやばい

軍需産業との兼ね合いで、日本産の軍製品を使う他国との連携(中長期)

自衛隊の軍に格上げにより、自衛隊員国際法上の軍人として扱われること(中期)

集団的自衛権に反対寄りの理由

・基準があいまい

 密接な関係にある他国とは?(積極的平和主義協調主義と捉えた関連する国?)

  同盟国のアメリカ

  韓国も含まれる?

  オーストラリアは?

  ASEAN諸国は?

  NATOは?

 日本の存立とは?

  国家形態のこと?

  日本国経済

  日本の誇りや印象?

 「国民権利根底から覆される明白な危険」における国民とは?

 =>他国、あるいは公海上にいる自衛官またはそれに準ずる組織体も含まれる?

 必要最低限度とは誰が、どこで、どのような基準で決めるものなのか。

  ニカラグア判決での「均衡」のこと?

  それとも相手を制圧できる能力のこと?

  相手が撤退するまでの能力のこと?

国会承認を経るとあるが、どういった事態を想定しているのか

 サマワのような平和維持活動

 国連軍として参加?

理念先行型の懸念

っていうか日本版NSCってもう組織されてたんだ。

知らんかった。

2014-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20140701180209

これが戦争に向かっているというのは、随分と偏った教育を受けてきたんだろうと思う。

いうなればこれは戦争の方を向いた、という表現が正しいのかもしれない。

世界中普通の国は、当たり前のように「戦争と向かい合って」いる。

国家戦争があるという前提で成り立っている。

これまでは日本のそばで戦争が無い、単に日本戦争状態じゃなかったというだけ。

世界中戦争や紛争はあふれている。

でもそれは、戦争をしたがっている、戦争をする、と言う事とは違う。

これが右翼軍国主義だと言うなら、世界中の国が極右政権だ。

もちろん、これがすなわち戦争をする、と言う事であってはならない。

戦争なんてやらないにこした事は無いし、出来れば身の回りで起きて欲しくない。

そんなことで自分自分の子供も死ぬのはご免だ。

戦争をせずに解決する方法を、キチンと採れる政治家を選ばないといけない。

安易煽動に乗せられないよう、自分たちがしっかりとした意思をを持って

国政に参加しないといけない。

しろこの機会に、これまで以上に話題性一過性流行だけで政治家を選ぶ

なんとなく投票する、あるいは選挙にいかない、なんてことをやめないといけない。

結局、自分達の意思にかかってるんだよ。

2014-05-10

アメリカでの同性愛生命にかかわることなのでかなりデリケートなのだ

かつてアメリカアニメを輸出するとき問題になったのが銃表現であった。

銃社会アメリカでは、銃は日本以上に身近で、生死にかかわる感覚がずっとリアルだった。

よって銃表現を前にした大人たちのいう「子供に悪影響」という言葉の重みは、日本アメリカでかなり違うこととなった。

日本側の理屈としては、銃表現じゃなく銃規制しろよとなるわけだが、アメリカ知識人は銃協会からいくらか貰っているようでなかなか規制に踏み切れず、手っ取り早くアニメ業界規制することになった。

めぐってゲーム業界

ゲームも近年銃表現規制が議論されているが、レーティングという自主規制でどうにか乗り切っているところだが、今後どうなるかはわからない。にしても今のところうまくいっているようだ

しか同性愛盲点だったと思う。

銃社会では銃表現に神経を尖らせているように、同性愛が問題になっている国では同性愛表現も、神経を尖らせているのだ。

しか同性愛が問題になっているといっても、銃の問題と違い、同性愛者が被害者側なので勝手が違う事に注意してほしい。

アメリカをはじめキリスト教文化圏では同性愛教義に反することから、忌み嫌われる存在であり、結果同性愛者が殺される事件まで起こっている。

こういった歴史的経緯から、それらの国の文化人一流企業といわれるところは、先鋭化したり、そこまでいかないまでもカウンターとして戦う姿勢を示すことが文化人、そして企業としての礼儀となったわけだ。

彼らは戦うしかないのである。だからパレード鼓舞し、同性愛差別に対して戦うのである。そして文化人はかれらをめいかくに支持する姿勢を示すのである

そんな戦場任天堂日本ののほほん文化とともに飛び込んでしまったのだ。

日本での同性愛はどうだろうか

修道文化がそうであるように、とくに弾圧されることもなくのほほんと生きてしまっているように思う。

しろ明治になって欧米に合わせるために捨てざるをえなかった経緯すらあるわけだが

そうはいっても今日テレビではおかまキャラを見ない日はなく、ちまたの本屋ではBL百合だとコーナーが設けられるまでになっている。

欧米に足並み合わせて一流国になるんだ的なコンプレックスはもうなくなったのだろう。むしろ何か問題でも?くらいな

(個人的には、BLとか百合って同性愛の人から見たらどうなんだろうと思う。コンテンツとして消費されることに対してとか)

個人レベルで気持ち悪がられることがあるにせよ、欧米に比べるとずいぶんのんびりまったりである

そんな日本の文化をひっさげた平和ボケてき同性愛文化任天堂欧米人生観ゲームを発売してしまったのである

戦場で戦っているところに丸腰の無防備マン登場である

戦士たちから「戦う意思はあるのか?(同性恋愛要素盛り込むことであいつらとたたかうよな?)」と質問され

そして任天堂は「ないよ(マイノリティ要素は最初から想定してないよ)」と答えてしまったのだ。

日本感覚としては、フラット平等意識しないこともアリだとは思うが

欧米はすでに戦争状態なのだ。無関心は罪なのだ。明確に意思表示を示さな企業は足手まといになるのだ。

今回の任天堂欧米戦争に巻き込まれてしまったわけで、気の毒だったとは思うし任天堂差別しているとは思わないが

グローバル企業なんだからこのくらい対応しろよとは思う。

2014-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20140110205730

ええと、今の情勢で日本戦争できるとしたらどんな状況?

可能性として

尖閣竹島北方領土

だろうけどさ、この内ほんとに戦争状態突入するとしたら中国が先制で尖閣ちょっかい出してきた時のみだよね。

そこには反撃の大義名分が与えられうわけ出汁

竹島日本から先制で武力行使に及ぶ可能性は限りなくゼロ、同陣営だし。北方領土も今更武力衝突に進む可能性は殆ど無い。

もちろんこれらの既に紛争が起きている地域以外に領土を拡大!なんてできるわけないんだし。

戦争したがってるって考えが理解できん。

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん