今、さまざまな場所で多様性が叫ばれている。東京都は「2020年に向けた実行プラン」において、多様性を意味するダイバーシティの推進を掲げている。
男性と女性、障がい者と健常者、日本人と外国人、お金持ちと貧乏人。
社会に存在する様々な差異を強調するこの多様性が、現在の民主主義を破壊している。
「民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもありうるし、進歩的でも反動的でも、絶対主義的でも自由主義的でも、集権主義的でも分権主義的でもありうる。~それなら民主主義について何がのこるのか?民主主義にとって一連の同一性ということが残る(カールシュミット著『現代議会主義の精神史的状況』)」
決定するものと決定されるもの、支配するものと支配されるもの、命令するものと命令されるものとの同一性。
その同一性において、自ら従うことを自らで決める自由が民主主義の本質だ。
つまり、民主主義が妥当する社会において差異は存在してはならない。
差異が存在すれば、決定するものとされるものの間の同一性が失われる。
従う理由のない決定に従わずに済むために、自らが決定する側にいられるように、闘争が始まる。
政治は闘争へ姿を変え、そこには戦争状態が出現し、民主主義は崩壊する。
かつて存在していた日本人という連帯感は、多様性の推進という言葉によって失われた。
その結果、政治の場は協調と連帯によるものでなくなり、自己利益の最大化のための闘争へと姿を変えてしまった。
この傾向は今後も続く。
小グループが自己利益の最大化を巡ってゴニョゴニョしてるうちに、ゲーム理論的な拮抗点に落ち着きそうなので、永遠に崩壊し続けることはないだろう その拮抗点が民主主義の範囲内...
じゃあとりあえず多様性を無くすためにお前が死ね