はてなキーワード: 微粒子レベルとは
明確なエビデンスに基づいているわけではないので、見当違いのこともあるかもしれませんが、優しく指摘もらえたら嬉しいです。
前提知識の不足による間違いは優しめに、前提に対するロジックの誤りについては厳しめに言ってもらえればと思います。
これは不倫しないよりも不倫した方が合理的だからだと思います。
読んでいる方のほとんどが、不倫が合理的なわけない、とお考えでしょう。
私もそう思います。
だけどここでいう合理性は不倫している当事者にとっての合理性です。
当事者にとっての合理性は当事者にしかわからないので、これは不倫をしたことがない私による浅はかな推測ですが、以下のような状況は考えられるのではないでしょうか。
これはフィクションです。
私の容姿は下の中ぐらいですし、現在無職なので、自分へ好意を寄せてくれる職場の異性が実在する可能性は微粒子レベルにも存在しないでしょう。
それとも、モラルに欠けていて、不倫は悪であるという規範意識が薄いからでしょうか。
愛情や規範意識が強ければ不倫せずに済んだ可能性はあったでしょう。
ですが、完全な愛情や完全な規範意識というものは存在するでしょうか。
一方で、この時のこの状況において、不倫を避けられるほどには愛情や規範意識がなかった、ということは確かに言えそうです。
つまり、不倫をしないようにするにはパートナーへの愛情を強く持ったり、不倫は良く無いという規範意識をしっかり持てば良いということがわかりましたね。
これで、この記事をお読みの方は不倫せずに、幸せに暮らせそうですね。
いいアドバイスをしてあげたので、褒めてくれてもいいんですよ。
先ほどは人類全体というクソデカ主語で語ったので、今度は芸能人全体という、人類全体に比べたらかなり小さい主語を設定しようと思います。
ここに関してはエビデンスに基づいていない適当な数値なので、ご指摘は優しくお願いします。
芸能人という主語を設定した以上は、全人類における芸能人の特殊性に着目するのが良いでしょう。
容姿が下の中である私が芸能界に全く縁が無いことを考えると、これは間違いなさそうです。
先ほどのストーリーを芸能人に当てはめると以下のようなものが出来上がります。
しかし、自分は容姿が上の上で、撮影現場には自分への好意が見え見えな異性が5人ほどいたので、そのうち一番タイプだった1人とセックスした。
この芸能人は全くパートナーへの愛情も、規範意識にも欠けているようです。
おまけに容姿が上の上だなんて許せません。
容姿という圧倒的アドバンテージを持っているわけですから、せめて規範意識ぐらいは強く持って、自分に厳しく生きていくべきだと思います。
そう思いませんか?
以上は、芸能人ではない私個人の狭い了見によるものなので、見落としている要素もたくさんあるとは思います。
そういったものについては、より多くの方からの意見が集まることで、正解に近づいていくことだと思います。
記事が長くなってしまうので今回は省きましたが、既にあげたものと似たようなものとしては以下のような要素もあると思います。
転職活動でストレスが溜まっているので備忘録、愚痴吐きとして。
* 言うまでもなくクソなので行く価値なし。
* 見分け方はみんな知ってるだろうし割愛する。まあ勤務地は東京23区内とか書いてあったら香ばしいですよね?鼻腔に入ってこないで欲しいよな。
* 「多彩な案件を経験」したければ派遣免許取ってちゃんとやってる会社に行きます。違法スレスレの人材屋を選ぶメリットあるか?
* こういうクソを紹介してくる無能な転職エージェントは生まれてきたことを後悔するほど苦しんでから死んで欲しいものである。SESには興味ないって言っただろうクソが。
* ただ連中は節操なく人を採りまくるので、万が一の滑り止めとして一応受けておく選択肢はある。もちろんその際は次の次の転職先を探す必要があるので本当に最終手段である。
* 判断に迷うのは受託や自社開発とSES両方やってるパターン。SESという後ろ暗い商売で儲けていることに罪悪感を感じていて、真っ当な道に進みたいと思っているのかもしれない。人売り人材屋にしては比較的良心的な可能性はある。少なくとも首までどっぷり商流に漬かってるクズよりはマシである可能性が微粒子レベルで存在している。黒いSESか灰色のSESかを面接などで見極めるのも場合によってはアリ。
* でもやっぱ関わりたくないよな。SES企業の営業は前世でどんな罪を犯したんだろう。あんな仕事をして生き恥を晒しってるってことはよっぽどの大罪だと思うんだけど。
* これマジ?2019年にもなってそんなWebサイトで大丈夫?客来るの?という企業はたまにいる。社長の頭にウジでも湧いてんのかな。
* 感性が10年くらい前で止まってる。まだ人生半ばなのにもう死体みたいな顔してるジジイしかいないか、自分のところのWebサイトすらメンテできないほど余裕がないか、それか経営陣が自社サイトの重要性を理解していないアホなのか。なんにせよ地雷。
* 「今風にしようとしてるけどダサい」というパターンもある。Web系の企業じゃなければまあ仕方ない面もあるが、もしWeb系の企業ならデザインセンスがないというのはわりと痛い。デザインセンス無いくせにWebデザインの受託とかやってるならもう本物のアホだ。人に売る前にまず自前のクソみたいなWebサイトをどうにかしろ。私たちは楽天市場をデザインした間抜け野郎の親戚です、なんてアピールしてどうすんだよ客来ねえぞ。
* そもそも企業のイメージや信頼に直結するWebサイトがちゃんとしてない時点で色々アレな企業なのでは、という疑念が湧く。
* また、ちゃんと今風で問題のないデザインだけどダサいと感じる場合もある。これはこれでその企業の文化とあなたの感性が合わない可能性が高い。どっちにしても避けたほうが良い。
* 一度しか見たことないけど、その昔モバイルで表示が崩れるWeb制作会社がおったのじゃ…。
* デザインの方は「感性が合わないだけ」という逃げ道があったがはっきり言ってこっちは救いがない。技術屋が技術力のなさを晒したらもうおしまいでしょう。
* バカを見てると頭が痛くなるんだよ勘弁してくれ。
* みなし残業自体の是非は判断が分かれるところだが、とりあえずここでは少なければOKとしたい。そうしないと選択肢が大きく減ることになるからだ。
* といってもみなし残業なんてやってないに越したことはない。こんなのは給与を額面だけ高く見せつつ人件費を抑えたいセコいやつらのやることだ。その企業が儲かっていないか、あるいは社員から1円でも搾り取ろうとしている証拠である。
* 個人的には20時間とか30時間ならまあ仕方なし、40時間を越えると黄色信号、と判断している。この辺の基準は人によって変わるだろう。
* 過去に「60時間分の固定残業費を含む」とか書いてる間抜け野郎がいた。新卒の初任給22万は残業代を引くとほぼ最低賃金である。スタバでバイトでもしていたほうが時間あたりの給与は上なのだ。アホか、と思い僕はそっとタブを閉じた。
* こういうクソの山を紹介してくる転職エージェントはぜひ生まれてきたことを後悔するほど苦しんでから死んで欲しいものである。
* 起業なんて所詮は金儲けの手段。やってることはただの技術屋。だとしても、なんやかんやで思想というのは重要だ。企業は生き物なのだから。
* 果たして思想もセンスも持ち合わせていない経営者に人が付いていくだろうか?教養のない実務家が求心力を持ち得るか?答えはノーだ。
* この辺は人によって考え方は変わるかもしれない。少なくとも筆者は避けます。人はパンのみで生きるにあらず、というあの古い言葉を信じているからです。
* 意識高く見せようとしているけど薄っぺらさを隠せてない企業は多い。学のない経営者ってのは悲惨なもんですね。労働法も経営者は守ってくれないしな。
* こういう間抜け野郎に騙されないためにも人には教養というやつが必要なのだ。
* Webサイトに代表挨拶とかありますよね、そこに経営者の顔写真が載ってるやつ、よくありますよね。そいつの顔をよく見てみましょう。うわぁこいつキモいなとか、うわぁこいつ悪そうだなとか思ったらやめといた方が良い。人を顔で判断してはならない、なんてのは綺麗事である。
* 人柄は顔に出るんだ。だからおまえに備わった直感という名の経験知を信じろ。
* 魅力のない人間には魅力のない人間しか集まって来ない。だから経営者に魅力のない企業は社員にも魅力がない可能性が高い。高いエロティック・キャピタルを持った人間は相応の場所に行くものである。
* ああいう経営者ってアホづら晒して恥ずかしくないのかな。自分だったらもう街歩けなくなると思うんだけど。まあ経営者って人種は恥知らずだからな。
* もちろんこれは顔が良いか悪いかというような話ではない。顔に滲み出る人柄の話である。
* 体は食べたもので出来ている。しかし顔を形作るのはその人間の魂の総体なのだ。
* 顧客が第一ということはつまりそう、分かりますよね。従業員は二の次なのです。
* まあ、ありがちな売り文句ではあるのでこの文言があったら即黒、というほどのもんではないと思う。見極めよう。
* ただ、こんなことを書いてしまう企業にセンスがないことに変わりはない。この言葉が優秀な求職者を遠ざけるマジックワードであることに気付いていないのだから。まあ採用担当が間抜け野郎なだけかもしれないし多少はね?
* 顧客第一と言うのなら、では貴社にとって株主は何番目なんですか?などという質問をして採用担当を困らせるのはやめよう。
* でも気になるよな。こういうこと言ってる企業にとって株主って何番目なんだろう。株主を差し置いて顧客第一とはけしからん!とか怒られたりしないのかな。
* 正直これ重要だと思うんだけどなんでこんな下の方に来たんだ。
* 上で書いた兆候からある程度探れるもんだとは思う。Webサイトのデザインがあからさまに古かったりしたら使ってる技術も古い可能性が高いよな。URLが「〜〜〜top.php」だったりしたらヤバそうだよな。
* その企業が自社でWebサービス展開してるなら一度は見ておこう。デザインやUI、URLパラーメタなどから読み取れる情報は多い。
* まあどの程度これが問題になるかは人によるか。個人的にはこういうのは大嫌いです。
* 人売りSESじゃなかったとしてSIerと関わってるならやめた方がいい。SIerなんてろくなもんじゃない。奴らと仕事をするくらいならいま話題のマナー講師にでもなった方がまだマシだね。
* まあ本当に大手企業と直で取引してるなら良いと思う。見極めるべきか。取引先以外にアピールポイントがない感じだとアレだけど。
* エンジニアにとっては取引先なんかよりも、自社内にどんな開発環境があるか、どんな仕事ができるか、技術力を磨けるか、ってところの方が重要じゃないですかね?人によるかな?どうなんだろう。
* 即アウト、というほどのもんではないけど、まあセンスないよね
* アイコンはともかく、画像があからさまにフリー素材ってのは期待値を下げる要因になりはしても上げる要因にはなり得ない。
* でかでかと貼られたぱくたその写真素材は、「弊社は自前で素材を用意することもできなければ有料の素材を買う金銭的余裕もございません」と高らかに宣言している。
* ぱくたそ自体は良いサービスです。こんなクソ記事で名前出しちゃってゴメンな。
* なんの罪もない労働者に生き恥を晒させるクズだと思うんだけど、どうなんでしょうね。人によるのかな?
* そこそこのブランドがある企業ならともかく、無名の零細企業に自分の顔写真が晒されるとかCIAが開発した新手の拷問手法か何かか?
* この新しい拷問は、クソみたいなサイトデザインと合わさることでより強い効力を発揮することが知られている。
* 明確な地雷の兆候が見えない会社なのにこう感じるのだとしたら、それは「合わない」ということだ
* こういう嗅覚は案外バカにならない。あなたは識閾下で何かしら良からぬものがあると感じているのに、ただそれを言語化できていないのだ。
* 仮にこれが勘違いだとしても働きたいと思えない会社に面接行くのしんどいしね。
以上。
あーすっきりした。
ここおかしいだろとか、なんでこれがないの?とかあったら突っ込んでください。今後の転職活動の参考にします。後半雑になったのは自覚してる。
タイトルの通りである。うんこ漏らした時に増田に助けてもらったので恩返しという名の懺悔をする。
誰かに言わないとやってられない。増田なのでこの際包み隠さず書く。うんこは漏れたけど。
一回目。あれは七月の終わりごろ。
自宅から自転車で駅に向かい電車に乗り、電車を降りたらまた自転車に乗るという通学をしていたのだが、
何をどうやっても一限の始まりに間に合わず、間に合わない以上は出来るだけ急ぐのだが、腹の調子が悪い時はそれは地獄であった。
毎回うんこ漏れそうだなとか思いながら駅のホームの端にあるトイレに駆け込んだりしていたり一回民家に駆け込んだこともあったのだが、
七月のそのときは少し事情が違った。いやよく覚えていないのだが…
確か駅を出た時にはそんなに腹の調子は悪くなかったのだが駐輪場に移動してしばらくチャリを漕いでいたらヤバくなったような気がする。
駐輪場から大学まで微妙に遠く、大体十五分くらいかかるのだがうんこ漏れそうなときにそんな時間耐えられるわけがない。
悲しい。今思い出しても情けない。路上でうんこ漏らす大学生に自分がなろうとは。
うんこをどうやって処理したか微妙に覚えていないが、多分大学まで行ってトイレで処理したのだと思う。
何せ初めてうんこ漏らしたわけなのだから内心パニックである。もう本当にどうしたのやら。とりあえず「うんこ漏らした」とかでググったのはしばらく後だった。
うんこ漏らしたのはもう事後だからどうしようもないが問題は講義である。
さっさと帰れよウンコマンと自分で思ったがそうはいかない。テストの予想問題の解答をやるとか何だとかで一限は出ないといけなかった。
おまけに二限は配られたプリントを回収しなければならなく、三限も何かあった。
だから一限には出た。うんこ漏らしたけど普通に座席に座った。匂わないかハラハラしていたが今考えるとハラハラする以前に人間として大切何かを失っていたように思える。
何やら汁っぽいものがズボンに染みていたはずだが念入りに拭いた(はずだ)し、ズボンの色は深い紺色でカモフラージュされたので結果的に妙な悪運を発揮したことになる。
パッと見ではわからないのだ。
ただうんこの処理やら何やらで入るのは遅くなったし板書の文字は見えないしで一限の講義はひたすら辛かった。
一限が終わって教室移動。一限は専門だったが二限以降は全学共通科目、つまり一般教養であり、比較的出席などは緩い。三限も同様。
二限の科目がまさにそうで、プリントは毎回配るが大部屋で出席確認はなし、テスト一発という今この状況ではとてもありがたい科目であった。
パンツを買うのだ。
まずはパンツを替えたい。
猛烈にそう思っていた。
この時コンビニのトイレが閉まっていたというのが妙に記憶に残っているがそこでパンツを替えたかったのだろうか…今となっては良く分からない
とりあえずコンビニのトイレが閉まっていたので大学のトイレに向かいパンツを替えた。
しかし事態は深刻である。パンツを貫通して汁がズボンにまで到達しているのである。一限は仕方なく、本当に仕方なく席に座ったがこれ以上のうのうと講義を受けていられる気分ではない。
だから帰った。三限は出なくても問題なさそうな感じだったので躊躇いはなかった。電車では立つと見られるかもしれなかったので座席に座った。もうマジで汚い。
私は実家から通っていたので、家事もそれなりに請け負う。テストが近いので早めに帰って風呂を洗うのは良くやっていた。
おまけに日中は家族はほとんど出払っていて、居ても風呂場からは遠い。
それらの事情を利用して、風呂場を洗うついでに、パンツとズボンを洗った。ものすごく念入りにシャワーで流し石鹸で洗った。
パンツは捨てようにどこに捨ててもバイオテロなので洗うことにした。ズボンは直接うんこが付いたわけではなかったから捨てるわけにはいかなかった。
一応パンツとズボンは洗濯機に放り込んだ。うんこはきれいさっぱり流されて微粒子レベルでしかないことは確認済みだったから大丈夫ということにした。
選択されたものを見ても綺麗になっていたので一応の解決はされた。
以上が一回目である。このときはもう二度とやらねえと思っていた。
二回目は年が明けた三月の初旬。浪人時代の友達に焼肉を誘われてそれを食いに行った帰りである。
長期休暇で碌なものを食っていなかったからであろう、久々の肉は私の腸内環境を大幅に活発化させた。
私はあの日以来うんこ漏らしてもパンツとビニール袋は持ち歩いておこうと思ってリュックに入れていたのだが、
この時は別のカバンで外出していた。
私はそれが悲劇に繋がるとは肉を焼いているときには予想だにしなかったであろう。
家の近くの駅から出た時であった。これはヤバイと確信する何かがあった。
とりあえずトイレを求めて駅近くの交番に行ってみたら警官はいなくて代わりに知らないおっさんに「ここトイレないよ!」と言われた。誰だったんだ。
そして急いで駐輪場に向かう途中で…
ケツを浮かせながら家に帰る。幸いにもまた家族は出払っているらしく、風呂も洗ってなかった。おかしい帰ったのは十一時くらいだったが。
ともかくうんこを流してパンツとズボンも洗って洗濯機へ放り込む。
二回目なので手慣れたものである。こんな汚い作業手慣れたくなかった。
うんこの処理をしているときうんこのかおりで小学生時代の最悪な思い出が蘇った。そう過去にもうんこの処理をやったことがあるなと。
あれは小学三年だか四年だかのころである。掃除をしていたら学校のトイレが詰まっていたのだ。
私は運悪くトイレ掃除の係だったのだが他にもう一人A君という男子が居た。
おぼろげな記憶ではA君は確かトイレが詰まっていた時にカッポンがないから和式便器に手を突っ込んで詰まりを取り除いていたような…
いや、よそう。こういうのは思い出してはいけない。最悪な思い出をこれ以上共有するべきではない。
初めての増田でこういう最悪な記事を書いた私が言うのもなんだが、今初めてうんこ漏らしてこれを見つけたあなた、少なくとも私よりはマシですよ。
本当に文章力落ちてきてる。
ネットに転がってるようなくだらない文章ばかりよんでここ20年ぐらい過ごしてきたのがボディーブローみたいに効いてきた。
ワロスだの(核爆)だの草生えるンゴギザヤバスだの言ってりゃコミュニケーション取れてしまう世界に長くのは不味かったらしい。
定期的にちゃんとした文章が書かれてる物を読んで、どういう文章がまともなのかを認識し直さないとあかんね。
ラノベやエッセイレベルでもいいから、一応は校閲通過済みの文章をもうちょい読むべきだった。
あの頃は週1冊は本読んでたから、どういう文章を書けば少しはマシに見えるかがすぐにイメージ出来てた。
頭の引き出し開ければ少し前にインプットしたまともな文章のパターンがいくつも出てきたからなあ。
最近は句読点省略してるような文章やビックリマーク多用してるような文章ばかりインプットしてるから引き出しの汚染が進みすぎて使い物にならない。
ガベージインガベージアウトの法則だね。
いやいや人間やっぱ本は読んどけですよ本当。
本読んだ所で一見何の役に立たないように見えても、最低限度まともな文章はどう書けばいいのかが無意識レベルで修正されるから。
まともな文章を一行読むたびに、微粒子レベルで自分の文章構成における微妙なズレが矯正されていくんだよ。
その重要さが改めて実感できた。
知ってるかこの口くさ野郎ども。
口はもともと閉まっていたものだ。
開きはじめたのは人類の祖先がようやく海から陸へと生活圏を移していったころ。
それは始まりではあったが永久とも思える速度で徐々に開いていった。
ユカタン半島に落ちたとされる大質量隕石によって恐竜をはじめとする多くの生物が死滅したのは知っているだろう。
あの時も口はまだ息も出来ないほどにしか開いていなかった。
ホモサピエンスが現れ文明を築き上げたが、その間口は微粒子レベルでしか開かなかった。
逆にまた閉じる気配まであった。
それがここ数十年で激変した。
口は何もしてなくても開くようになった。
開くだけじゃない。ガバガバだ。
うかれたような口だ。
ドナルドダックのような口だ。
ついさっき、こんなエントリーを見かけた。
私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー
これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。
その持論とはパンクロックと淫夢が根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツそのものについて考えなければならない。
ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢と呼称)”とは、2001年にコートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手の多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダルが2002年の夏頃に週刊誌やインターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるのユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。
一方で、淫夢が日本に於けるインターネット文化のメインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画で流行を発生される端緒となったMAD動画である「霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画で淫夢要素として登場したのが通称「野獣先輩(役名:田所浩二)」である。最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初はアニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画で淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。
そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢のコンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別の迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツを占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つである。しかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別の破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである。
パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアなロックを想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズを連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップを想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である。結論を言えばハードでメタルなロックは特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧に進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たちが楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクとセックスピストルズはパンクの代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢のムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである。
パンクロックの特徴の一つとして、演奏が適当で、歌も酷く、歌詞は過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組の賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。
淫夢の流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢がアングラの文化である事に変わりは無かった。淫夢が一般的にも受け入れられるようになったのは2013年か2014年ごろの事である。2014年の冬には女子中高生の流行語として「微レ存」(“微粒子レベルで存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場に淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。
参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン」
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba
さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島の問題が表面化し、更にGDPでは日中の順位が逆転、対中関係は政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク、政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本は英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)
当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである。淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのものが淫夢の価値として利用されるようになった。
ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画の運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画で占領するなどといった行為にそれは顕著である。ニコニコ動画では卑猥な動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画の運営はある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間を抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造はロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズも契約を中途破棄した大手レコードレーベルのEMIに対して中傷を加えるような楽曲『EMI』を制作し発売している。
かつては純粋に同性愛者に対する侮蔑の意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。
ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズはアメリカツアー中に解散し、それからロンドンのパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバーの喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズが時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。
淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画で淫夢が流行りだしたとき、流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対に理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツはニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的な人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。
近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメのコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的に弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)
淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢は大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画のコメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体も攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激な作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値感から生まれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在の淫夢では、無意味な誹謗中傷を繰り返すタイプのコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層の流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。
セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである。自分自身がメインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンクや現在の淫夢というコンテンツが終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである。
攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者は特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。
そしていずれも淫夢のコンテンツに集っていた人間とユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり、淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的なムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツを占領する」という重要な特性を発現し、それが日本のアングラなインターネット文化に与えた影響は大きい。
パンクロックが「タブーを無視した過激な表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツが日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本を一種の意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢はニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツの拡散はこのコンテンツに特有の事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。
では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢の風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロックを演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。
ていうか、子供を持った時点で(男も女も)子供以外の全てを犠牲にする覚悟が必要ってことなんじゃないの?って思うが。
そりゃ犠牲にせずに済むケースもあるけど、それは単に運が良かっただけであって、必要になれば即座に犠牲にできるように価値観を変更する必要があるだろう。
それができないなら子供を持つべきではないわけで、実際に子供作る前にそのくらいは考えないの?って思うんだけど。
子どもを第一に考える、という点は同意だけど、子育て世代というのは会社にとっても戦力の中核であることが多いから、現実的には難しい問題かなと思う。
子供を持って実際に使えなくなった奴は既に中核でもなんでもないでしょ。
「子供以外の全てを犠牲にする覚悟」とは「必要になったら(本人が)会社を辞める覚悟」であり「犠牲にしなくても大丈夫なのに(会社が)本人を辞めさせる」ことに何の正当性もない。単に子供を人質にした会社の言い訳。
実際仕事が回っていなかったのでは?元増田には「社員さん」に関するポジティブな内容しか書いてないからわからないことだけど。
会社に入ったら仕事以外のすべてを犠牲にすることを要求される日本ならではの発想だな。なぜこの手の人達は先ず日本の生産性の低さの改善について考えようとしないのか、謎である
すぐ「生産性が」とか言い出す奴ほんと信用できない。生産性が低い原因は需要キャップじゃないの?日本人が少しはマシな英語できるようになって国外でモノ売れるようにならないとどうしようもないんじゃないの?あるいはアメリカみたいにクッソいい加減なサービスでクッソ高額の料金を要求するってことじゃないの?マズい定食食べただけで2000円とられる社会を目指せって本気で思ってるの?
ひと昔の人はそんなこと考えて子供作ってたの? そんなわけないでしょ
単に何も考えずに産んだ結果、事後的に全てを犠牲にするしか無くなってそのまま人生を終えてただけでしょ。
つーかその程度のこと言われるまでもなく考察済みに決まってんじゃん。
増田は、自分がそこまでの覚悟のある異性と知り合って子作りできる可能性が、微粒子レベルでも存在していると思っているのだろうか。
勘違いしてるようだけど、俺は子供のために全てを犠牲になんてしたくないので子無しだよ。既婚でいつでも作ろうと思えば作れるけど。
自己犠牲の考えは素晴らしいけど…『自分達の子供は自分達だけで』とギスギスしなくても。もう少し社会もネットも柔らかくなるといいですよね。
こういう「自己犠牲が素晴らしい」とか言い出す野郎がクソほど嫌いなので。
もはや「子どもを持つ奴のが例外的」な時代にあってはそれらは当然の要求ではなく自己責任で処理すべき問題となるという認識なのか
子供を持つのが例外的だとは思わないが、全体の生活水準は大幅に上昇して子育てとの両立が不可能になっているとは思っている。
庶民が子供を持ちながらこれだけの社会インフラを安価に利用し清潔で快適な生活を送り娯楽も楽しむ、なんていう事自体が不可能なんだろう。
こんなことちょっと考えれば分かるはずなのに、子供を持つまで(持ってからも)一切気付かず、よくわかんないけど子供作ったら生活レベル維持できないふざけんな!とキレてる馬鹿が多すぎる。
まあ、馬鹿がいっぱいいないと社会は回らないというのはそうなんだけど(俺みたいに子供持とうとしない奴らばかりになっても困る)、馬鹿が馬鹿のまま生活レベルを向上させられる時代は終わったのでこれからは臭いものに蓋をしていた地獄が徐々に溢れてくるだろう。
昔は子供がある程度育ったら労働力として使えたので産んでたのでは。年金やなんかもないし、子供がいないとどうにもならんだろう。そもそも犠牲にするほどのもん持ってなかったんじゃないか?
それはそう(そもそも持ってなかったという点)。上記の生活レベルの話参照。
日本人はとかくファッションの一貫性に欠けると叫ばれる。確かに日本文化は和洋折衷、何でもありの文化であるな。例えば、仏教国の1つでありながら、年末になると突然「ジングルベ~ル」などとバカ騒ぎしだすwそしてどういうわけか年明けには神社で初詣。おめでてーな正月。
で、世界的に見れば一貫性がない、主義主張の曖昧なことは「ダサい」「気持ち悪い」とみなされることは知っておいて損はない。これは単なる主観ではなく明確な根拠がある。日本のような画一社会(個人単位では一貫性に欠けるくせに社会単位ではある意味一貫性がある)では想像つきにくいだろうが、欧米は基本的に多民族社会であって、国内の民族間対立や隣国との民族間対立が深刻な問題であるから、こと人間関係においても相手がどんな人間か知ることが差し迫った課題になるわけよ。だから、「はじめまして」の次には「あなたの宗教は何ですか?」などといった話題がポンポン出てくるのが常なわけ。日本じゃ「ご趣味は?」などと言えば「お見合いかよ」と思われる始末で、相手のことはある程度「お察し」するのがお約束になってゐるが、海外のほとんどの国ではまず初対面の人には最初に相手の思想区分を分類する作業がお約束なわけだね。そんなわけだから、日本人のようなスタイルのよく分からない謎タイプのキャラというのは、文字通り「えたいのしれない」人間として扱われるのよ。だから、もし貴方が日本人でこれから国際社会で活躍したいなら、まずスタイルを一貫させること、そこから始まると言って良い。ビジネスで信頼を勝ち得るには、もちろん人間性やコミュ力も大切だが、実はそれと同じくらい明確なスタイルを持っていることが大事なんだ。そもそも日本文化とは何なのか?自分はどんな人間なのか?そこから考えてみたらどうだろう?
それとは別に、一貫性を持つことは実を言えばとても気持ちの良い生き方だということも知っておきたい。一貫性がないとは裏を返せば裏表があるということで、表の時に裏が気になり裏の時に表が気になるという状態だ。遊んでる時に仕事が気になり、仕事の時に遊びが気になる。そんなんではダメだろう?いくら仕事ができてもダメ。遊びがいくら楽しくてもダメ。仕事も遊び、遊びも仕事と思えて初めて一貫し、そこで初めて心の平安が訪れる。断っておくが、ここまで来ると日本人だけの問題ではなく、全人類の存亡がかかった問題とさえ言えるものだ。この先人類が生き残るには、スタイルの一貫性いかんにかかっていると言っても過言ではない。というのも、今の情報社会において「気になる」ことが大きな文明衰退の原動力になっているからだ。最近スマホでソシャゲをやっている人をよく見かける。ソシャゲも一貫したスタイルの一部に組み込まれているなら良いが、多くの人はそうではない。「気になる」から続けてるのだ。古くは「mixi中毒」と言われた社会現象に始まる。本人は「遊び」「気分転換」でやってると主張するがその内実は全くことなる。「気になって仕方ない」のだ。GMailのinboxも気になって仕方ない。ケータイメールも気になって仕方ない。神経症は現代人共通の病と言っても過言ではなかろう。心の整理が我々人類の急務なのである。1つのことに落ち着いて集中できず絶えず気になることに囲まれた生活が本当に健全と言えるのか。それを今こそ問い直すべき時期に来ている。
問題を叫び立てるだけではあまり意味がない。ここに解決策を提案しよう。その前に一貫性の定義を確認しておこう。勘違いされがちなのだが、一貫性とは無駄なものを削って1つに絞ることではない。一貫性一貫性と繰り返していると、近視眼的なイメージを持つ人もいるようだから、このことは強調しておく。例えば、目標を1つ決めてそれに自分の全てを費やす人生はいかにもアメリカ的成功哲学で受け入れられないと拒絶反応を示す人がいるが、そういう話ではないんだな。それはむしろ最初から一貫性を諦めて、一貫性から外れた「気になる」ことがあっても気にすまいと頑張る行為だから、一貫性とはある意味真逆とさえいえる。「仕事一筋」「柔道一直線」と言えば聞えはいいが、それは微粒子レベルのシビアな見方をすれば一貫性とは言えない。なぜなら簡単なことで、厳密には仕事のことだけ、柔道のことだけ考えていては、生きていけないから。もう分かっただろう。そんなまがいものの一貫性を目指してはならない。一貫性というのは、既にあるものに「統合性」をもたせることでなくてはならない。
であるから、解決策もおのずと見えてくる。統合的な目的を持てばよいのだ。目標ではなく目的。低いレベルでは相容れないものどうしを高いレベルで統合させるにはそれしかない。ウメハラが著書において「目標はもたない」と書いている。目標をもたないのに何故彼のスタイルは一貫しているのか?それは高いレベルの目的があるからである。彼の場合、日々の成長がそれにあたる。とても簡単なことにみえる。だが、考えれば考えるほどやればやるほどこれが簡単ではないのが分かってくる。先ほど一貫性の定義を確認したのはそのためだ。ただ単に、成長のために全ての人生をなげうつ、持てるエネルギーの全てを投入するだけではダメ。それだけでも難しいじゃないかと思うかもしれないが、それだけ出来ても1%も出来たことにはならないという話である。無駄な努力乙というやつで、まるで方向性が違う。早い話、今日から成長という統合的な目的のために生きてウメハラになるぞと思った時点で、君は自分の多くの「無駄」を捨てるだろう。それは自分を削って見せかけの一貫性を作っているだけで、実際一貫性でもなんでもない。ハリボテのエレジーである。ハリボテだから必ずしわ寄せがくる。今日からソシャゲをやらないと決めた所で気になるものは気になるのである。ソシャゲ自体は気にならなくても形を変えて繰り返し噴出してくる。だから我々は「捨てずに」統合する必要がある。捨てて統合出来ましたと言ったってそんなの出来て当たり前であって統合でもなんでもない。
さらにもう一点、オレの目的は毎日の成長だといくら声高に主張したところで、中身が伴ってないと意味がない。我々のしないといけないのは広い目的のもとに自分という人間を「再整理」することであって、大風呂敷を広げることではない。何を整理するか?自分の全ての行動と状態である。それをパソコンのファイルを整理するように整理していく。ルートディレクトリにあたるのが先ほどの統合的な目的だ。そこに全部入れてそれでおしまいというわけにはいかない。それでは整理にならない。なぜ整理しないといけないかというと、殆どの人は自分の行動と状態を支離滅裂な判断でしか決めていないからである。人間完全に合理的な生き物ではないが、少しは整合性を持たせないとダメである。それが出来て初めてスタイルが一貫してくるのであって、単に「オレの人生は全てカネのためだHAHAHA」といったところでまるで一貫性は保証されないわけよ。だから、自分の(行動と状態の背後にある)考えを統合的な目的のもとに整理しなきゃ。そうして初めて、1つのことだけを考えれば良くて、他に何も気にしなくて良いタノシイ状態になれるのである。また、「君のこの行動はどんな意味あるんですか?」と聞かれた時につねに論理的に説明ができるので、「ああなんてスタイルの一貫した美しい生き方をした人なんだろう」という感動を呼ぶのである。これを少しゆる~く解釈すると、人生の限定的な場面において一部の価値観しか扱わずに済む時があって、そのときは一時的に1つのことだけを考えれば済むこともある。そういうときは、柔道一直線が真の意味で実現して、一見美しい生き方に見えることもある。ただしそれは一時的であって、まやかしの一貫性だということだな。これを永続化させるのが我々日本人の責務いや人類の責務と言えよう。
感想を一言で言うと「お金を払って見る価値はあるけど糞映画」でした(意味不明)。
1,200円(レイトショー扱いだったので少し安め)返せとは言わないし内容もそれなりに良かったけど・・・って感じ。あと最近の映画に共通してるけど観客を驚かせることに注力してる感が強すぎる。話題さらってドヤ顔したいだけだろと。
以下感想(ネタバレはあんまり含まないと思うけどこれから見る予定って人はスルー推奨、それと全体的に馬鹿にしてるんでそういうのが苦手な人も同じくスルー推奨。)
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そんなこんなで感想。異空間含め前作よりもぶっ飛んでる箇所が多かったように思うw。スタッフ薬決めてるだろwwwってレベルだった。
まどか…言わずと知れた神様。前回予告の結末から予想してたよりかは出演回数多かったけどやっぱり影薄いっすね。
ほむら…ゴミ。産業廃棄物。今までも嫌いだったけど今作でより嫌いになりました^^
マミ…評判に違わぬ通り俺TUEEEしてて良かった。お姉さんお姉さんしてて良かったし強かったんだけど、中盤以降割と無能なんだよなぁ・・・。
さやか…やっぱりさやかちゃんが一番可愛くて強い!。というか精神状態もかなり良くなってるし戦闘力もインフレしてるし普通に強いと思った(小並感)。
杏子…今作一の無能。さやかとの掛け合い(意味深)が良かった。割と何もしてない。
動いてるマミさん&さやかを見れただけでもう十分だ…(観客の鑑)。
□上映前
・ワーナーが配給してて草。東宝とかで良かったんじゃないんですかね。
・何故か物語シリーズから八九寺真宵が登場。登場冒頭観客に挨拶を求めるシーンで「せーのっ」の掛け声から照井君を連想して吹き出してしまったwww
□開幕~ケーキ登場
・そもそもまどマギを見たのが久しぶりだったこともあって、開始後は今まで読んできた同人だったり「こんなの絶対かしこまり!」を思い出して頭が混乱してた。もう許せるぞオイ!
・ケーキのシーンはマジでキチガイじみてると思った。犬カレー空間とか抜きで薬でもキメながら作ってたんじゃないんですかね…?
・ナイトメア封印後マミさんがケーキたかられてて泣いた…(´;ω;`)ウッ…
・杏子 無能 アルツハイマー 記憶違い 仕方なかった ラーメン屋 仕方なかった(さり気なくラーメン屋で淫夢営業してる可能性が微粒子レベルで存在する…?)
・マミさんTUEEEE!そもそも弾数は無限だろうし銃で撃ってるだけじゃ限界が来るんじゃないんですかね?ほむら()
・というかそもそもベベを疑う前に色々インキュベーターとか調べあげるべきじゃなかったんですかね…?
・まどかだって誰かを失うことゎとっても辛いんだよ←当たり前だよなあ?
・正直この辺は???って感じ。インキュベーターVS魔法少女、魔女化した理由etcについてはイメージとしては何となく分かる。
・悪魔になった理由は本当に意味が分からない。「あなたには分からないわ」って単にキチガイレズってこと何じゃないんですかね?
□~エンディング
・ほむらの顔つきが明らかに変わってて草不可避。成長したのかな?
・あ・・・やっと、平和な世界がもとに戻ってきたんやな・・・(適当)
・アスミスのやってた魔法少女って小学生やったんやな(GP)。というか出番少なすぎィ!
・(次回予告は)ないです←は?(威圧)。あんなラストだったから心の中で「うっそだろお前www全然ゆる映画じゃんwww」って思ってた。
天の邪鬼だからこういう王道を征かない展開も嫌いじゃない。けど好きじゃないよ(どっちつかず)。
浅い考えだけど「神VS悪魔」みたいな展開でまた映画だったり何かが作られそうな気がしなくもない。というかそうじゃなかったら今まで作り上げてきたまどか☆マギカってコンテンツはこんなキチガイレズのラストのためにあったんですかね?(疑問)
望むと望まないとにかかわらず、あなたは「商品」の棚から下ろされる。
また女を商品とか言って! なんて怒るかもだけど、男の方だって60過ぎたらまぁ大体は対象外だからそうイキるな。
で、そうやってめでたくあなたはあなたの忌み嫌う「性的な視線」の対象から外されてホッと一安心するわけだが(いや実際の所は今現在でも元増田がその対象の内なのかどうかは増田の身近にいる男性にしか分からないことだが)、実は増田の本当の不幸はその時から始まる。
だって、ねぇ。
その歳になったら、いやその歳で、「誰かにドキドキしてみたい」だの「話しているだけで幸せ、その人のことを考えるだけで胸が苦しい」なんてドリームの発症に成功したとしてですよ、それに付き合ってくれるような男性はもうそれこそ微粒子レベルでしか存在しないでしょ。