はてなキーワード: 学費とは
横だけど、リンク先の記事は妬み全開かもしれねえけど、一般的にはそうは言えないよな。
「あいつら勉強しないで楽して遊んでるだけなのに、学費のために国から出てる補助の金額同じなの納得いかない。
あいつらに使ってる税金を俺達に回して、俺達の学費を無料にしろ」
って批判したとして
大学受験が全国対戦ゲームのように思えて楽しかったため流れで入ったが、
それ故大学生活の展望も、勉学に対する意欲も全く持ち合わせていなかった。
結果、文系学部にも関わらず1回生前期で3割ほど単位を落とした。
その後更に低調となり、遂にある辺りから大学に出ず引き篭もりがちになった。
「ああこれで地元市役所の高卒区分を受けることができなくなったのか・・・」
ということを考えていた気がする。
----------
ところで、かつて在籍した学部には
「前期は4月中に、後期は10月中に休学届を提出し、受理されれば学費は月割り」
という規定があった。
半期28万ぐらいが4万8000ぐらいで済む。
学生生活における1年の違いが生涯年収における何百万の差にうんたらという言説もあるが、
目先の20万も大きい。
半期開始早々にドロップアウトのセンサーが反応し、「あ、これはヤバイな。」と思うところがある以上、
----------
このようなクズ人間故に、休学届の提出は4月30日(または10月31日)の夕方以降であった。
ギリギリまで迷っていたということもあるが、現実に学費を無駄にするという実感が迫ってくるのが大きい。
休学の申請の手順であるが、教務で申し出ただけでは申請したことにならず
大学財務部で1月分の学費を支払い、その領収書を休学届に添付することで初めて受理される。
学部教務の受付時間が17時までのところ、着いて休学すると申し出たのが16時45分頃。
残り15分で財務部との間を往復しなければならない。
ここで問題になるは、在籍していた大学が山の上にあったということだ。
20万の懸かった山道全力ダッシュというのもなかなか経験できるものではなく、
----------
余談だが、当時は上記のような休学時学費免除制度は一般的ではなかった。
就職留年が問題になった頃、それ故に休学する場合は学費免除という制度が導入された大学がいくつかあった。
つまり普通に休学する分には学費も通常通り発生するということだ。
中退先延ばし・休学におけるテクニックの一つとして覚えておきたい。
http://www.etic.jp/kyugaku/university.html
これも余談だが、別学部にいた友人から担任の教員とのやり取りで休学手続きをしたという話を聞いた。
そういう点も含めて休学一つとっても学部が違うだけでも随分変わってくるものだと妙な感心をした記憶がある。
----------
こうして休学~復学を繰り返した結果、最終的には5年在籍して退学するに至った。
実働2年半で取得単位が70丁度、卒業要件の約半数。まあこんなものかもしれない。
決め手となったのは第二外国語の再履修のクラスがなかなか決まらず、
ベンチで一人座って途方に暮れていた時に不意に涙が溢れ、この場にもう居たくない、と思ったことだった。
思えば語学とは極めて相性が悪かった。
暗記をするということが恐ろしく苦手である時点で仕方がないのかもしれない。
ある時、第二外国語のドイツ語の課題で「ベートーヴェン第九の歌詞を覚えて書き取り」というものがあった。
他の学生にとっては並の課題かもしれないが、これが恐ろしく苦痛で仕方がなかった。
そしてその課題が出された直後から、ある車のCMで第九が頻繁に流れるようになった。
正直これは堪えた。今でも第九は苦手だ。
所謂ゼミを履修するための要件の一つに第二外国語の単位を一定以上取得するというものがあった。
当然履修することなど出来るはずがなく、一瞬たりとも研究室に所属したことがなかった。
文系なのでどの程度の密度で事が行われるのか今でもさっぱり予想がつかないが、
学生たるもの少しぐらいは研究というものに触れておきたかったかもしれない。
----------
教務の説明によれば
「退学した場合支払った学費は戻ってこない。従って期末まで休学ということにして、改めて判断して欲しい。」
とのことだった。
まさか前述の休学のテクニックに応用編が存在するとは思ってもみなかったし、
たまたま申請に行ったのが10月で助かった。
最後に、と思って掲示板を見てみると、あらゆる掲示物に記された学籍番号が1から始まっていた。
学籍番号の頭二桁は入学年度を示している。私は2006年入学だったので06始まりだった。
入学してすぐの頃、一人二人ほど99で始まる学籍番号が掲示されることがあった。
01辺りを見かけることすらなかなか無い。そんな中、十の位から違っているのは奇異に見えた。
ところが気付けば自身もそちら側に移っていたことをはっきり認識した時、
変な話ではあるが「やはり退学は止むを得ないか」とも何故か思ったものだった。
----------
際どく耐えた者2名、最終的に退学した者1名。ただその者も私のようなクズではなかった。
ある時在学中お世話になった部活の会合に出てみると、退学するか悩んでいる現役生がいた。
類は友を呼ぶではないのだろうが、やはり似たような者が自然と集まるように出来ているのかと妙に納得した。
極々たまに話の流れで自身が退学したことについて触れることがある。
勿論その受け止められ方は様々だが、ありがたいことに嫌な顔をされたことはない。
退学という話題に触れた際、明るく笑って流してくれる人は大事にすべきだ。
----------
退学について書き殴ってもよいという場を見つけたので、吐き出させて頂いた。
普段滅多に文章を書いたり打ったりしないので何かと散らかっているが、ご容赦願いたい。
退学 Advent Calendar 2014
高卒で教養もなく田舎しゅっしんしゃのくせに、大阪弁を話す借金だらけの母子家庭で育った。
教養や常識、おはようの挨拶すらしつけられたことのない自分には世界が辛くてたまらなかった。
家には光熱費滞納の領収書、勝手に子供の名義で作ったクレカを濫用してキャッシングやローンをしまくっているその催促請求書書類、中にはつぶしてしまったカードもある。
父親は賭博で借金を抱え、家を担保に離婚した母親にそれを肩代わりしてのうのうと養育費も一切払わず生きている。
どこにいるのかもわからないだめな男だった。
生きにくい。
いつもご飯を食べるときに文句を言われ続けて、借金取りの中、車に乗り込まされて逃げ回った辛い日々しかわからない。
次第に、毒親になって、肥満になった母は太ったのはおまえらのせいとか言う。
子供は高校生になった頃、完全に進路について考える術を持てなくなっていた。
毎日、食事することに罪悪感を覚え、食べる事が出来なくなり、やせ細って精神疾患になっていった。
当時は、もちろん、青少年の心の病気など教養もない母は関心すらなくむしろ弱音ばっかり吐いてとか逆に攻め立ててて行く。
生きる方法がわからなくなった子供は、だんだんと自分を点数化する学校の試験しか己をまともにみてくれないのだと思い始めた。
生き方を肯定してくれるもの=定期テストで良い点数をとること=教養のない母親のしらない知識を増やす事
だが、子供の頃から成長期に必要な栄養や体力を十分受けることなく育っていた体で受験勉強は過酷なものだった。
学校の教科書だけで受験勉強には向かうことができず、子供は必死でおこずかいやバイトをしてお金を自分の大学受験通信講座の費用に注ぎ込んだ。
と。
煽られた子供はその幻想を信じて時間を惜しんで必死で勉強したが、度重なる体調不良や社会性の欠如、不安障害から孤立した状態と孤独な性格からだんだんと学校に通わなくなる。
当時、教師によるいじめにも遭遇していた。
昼夜逆転生活が続き、一人勉強のために机に向かったが何も頭に入らなかった。
センター試験の当日、午後の会場では居眠りしていたほど勉強ができなくなっていた。
予備校にも通い、パニック障害を発症しながらも病気への偏見として親から「キチガイ」と言われても勉強を頑張った。
子供にとって、大学受験に成功することが人生の目標になってしまったのだ。
結局、子供はいろんなチャレンジを試みても医者にはなれなかった。
借金を背負ってまで行った大学で歯科医師の免許はとったものの借金まみれの状態なのはあいかわらずだった。
大学院に行ってさらなる上をめざそうといきごんだものの、社会性の欠如からうつ病になり療養を必要とする時まで来ている。
親は、未だに言う。
はやく金を稼いでくれたらいいのにって。
無職でひきこもりで犯罪まがいのことまで手をのばした一番下の子供が早く金をくれたらいいのにって言う。
もう楽になりたいって。
自分で借金をつくったのが根源で、その子供も借金をまたつくっていく。
貯金も0.
金がくればいいのにと夢ばかりみている。
子供は間違った方向に努力ばかりして身を持ち崩して、母親はスーパーの惣菜ばかりを過食して肥満と脂肪肝になった。
知恵のない我々はおそらく共同墓地に行く。
祖母が認知症で他界したが、借金生活から逃げてはやく田舎で暮らしたいと言う母親は祖母のように早く認知症になりたいと言う。
祖母も毒親だったんだろうなって思う。
Q1. 博士課程ってなんですか
A1. 博士後期課程の略。学部4年、修士課程2年過ごしたあとに、さらに(通常)3年間大学に在籍して研究を行う。
Q2. なんで博士課程に進学するんですか
私の場合、M1の初めはD進も考慮しつつ、夏頃には就職する気マンマンだったが、12月下旬にふとD進しようと思い立ったのでD進した。
Q3. 普段どんな生活してんのさ
A3. 朝7時前後起床、眠かったら二度寝。早ければ9時ごろ大学に行き、勉強 or 研究 or 事務作業。
混むのが嫌なので11時半すぎに昼食(半分くらいはぼっち飯)、18時〜19時ころ大学を出る、という生活の繰り返し。
気が向かなかったら平日休んだり、気が向いたら休日も大学に行ったりとフレキシブルな生活がおくれる!
多くは一人飯なので、好きな時間に好きなものを食べられる!!!
A4. 学費はだいたい国立の場合年60万円くらいかかります。
学振という制度を使うと、額面月20万円がお給料として貰える+最大年100万円研究費が貰える。
基本的には博士課程学生は年収240万円が上限なのだが、お給料貰えるインターンシップに参加すると学振の給料を止めてインターンシップ先から給料を貰うことができるので、さらなる高みを目指すことが可能。
学振を取れなかった場合でも、先生によっては毎月RA代(学振と同額支給する先生も!)を出してくれるので、そういう先生を選ぶことで金銭問題はあまり問題とならない。
Q5. 学振について
A5. 日本学術振興会特別研究員。DC1とDC2の二つがある。
DC1は修士2年生の時に申請して、通れば博士1年から三年間上記の給料+研究費が貰える制度、
DC2は博士1年 or 2年の時に申請して、通れば博士1年から二年間上記の給料+研究費が貰える制度。
給料がもらえるのはありがたいし、何より先生から自立できるのが一番大きい。先生に気を使わずに色々買えるし色々旅できる。
おおまかに言って、研究計画、業績、研究者としての資質の三軸で評価されるらしい。
しばしば、DC1は業績あれば通ると言われるがそれはおそらく嘘で、一つでも大きく欠けてしまうと通らないっぽい(有利なのは確かだが)。
また、研究計画は盛ればいい、というのもおそらく嘘で、所定の年数で博士課程学生が一人でできそうな研究計画(×(1+ε))くらいでいいっぽい。
Q6. インターンについて
A6. 博士課程では数ヶ月研究関係のインターンシップに参加する人がぼちぼちいます。特にD2の夏休みくらいがベストシーズンのようです。
どのようにインターンを探すのかについて、3通りくらいある。
1つめは、メンターになって欲しい研究者に直接コンタクトを取る方法。やったことないけど、効果は一応あるっぽい?
2つめは、会社や研究所のインターン募集サイトから自分で申し込む方法。このパスはあまり有効でなかったりするらしいので、中に知り合い/メンターになってほしい研究者がいればその人に頼む方が確実だとかそうでないとか。
3つめは、先生経由で紹介してもらう方法。誰かいい人いませんかメールが他の研究者や採用人間からくることがあるらしいので、それに紹介してもらう。
インターンで何をやるのかは場合によって大きく異なるらしいので、打ち合わせが必須。特に研究をやりにいったのに論文にできない/ならないような仕事をやって帰ってくるとか、準備不足で行って時間が足りずに終了となる場合もあると思うので、打ち合わせは念入りにしておくと後々楽だと思います。
また海外インターン、準備とか後片付けとかとても面倒くさいのですが、年取ると多分もっとめんどくさくなるので、博士課程にいるうちに一発覚悟をキメてやってみると後々の就職活動の幅が広がっていいのかなと思いました。もう少し歳を取ってから初海外生活となると多分キツイ。
Q7. 楽しいこと3つ
A7.
(1) 平日の昼間に遊ぶことができる
(2) かなり多くの時間をやりたいことに費やせる
(3) 学会で色々なところに行ける
Q8. つらいこと3つ
A8.
(1) 論文通らない
(4) 学部・修士で卒業した人たちと違う世界にいる気がする(みんな働いてて偉い!)
(5) 「今何やってるの〜?」「学生」の気まずい瞬間
Q9. 現時点で後悔していること
A9.
研究業界で名の知れた研究室や、研究業界の主導権を握っているような研究室の人と仲良くなるのは大事なような気がしますが、やっぱり学生の頃からそういう環境に身をおいてみたかった。
D2の頃に三ヶ月の海外インターンに参加してとても楽しかったので、D1の時も参加できたらよかったなぁと。一つ応募していたのは落ちてしまったのですが、複数応募しておけばと思います。
・じっくり勉強をすること
業績を稼ぐのに焦っていて、じっくり勉強する時間が少なかったような気がします。じっくり考えましょう。
A10.
自発的に動ける、かつ、困ったら人に助けを求められる人。
なんか書いてほしいことあったらコメントにお願いします。もう一回くらいアドベントカレンダーで書くかも。
http://anond.hatelabo.jp/20141116162643
「教育ローン」、「学費ローン」は、「奨学金」とは呼ばないんだぜ。
http://ejje.weblio.jp/content/%E5%A5%A8%E5%AD%A6%E9%87%91
用例
He is studying in the United States on a scholarship.
この「奨学金」、つまり英語でscholarshipってヤツはだな、「返済を要しない」んだぜ。
〈返済を要する〉 a student loan
http://anond.hatelabo.jp/20141116162643
http://ejje.weblio.jp/content/%E5%A5%A8%E5%AD%A6%E9%87%91
用例
He is studying in the United States on a scholarship.
この「奨学金」、英語のscholarshipは、「返済を要しない」んだぜ。
「返済を要する」のは、a student loanと呼ぶんだぜ。
わがニッポンには、「国の教育ローン」というものが、あるんだぜ。
75 ソーゾー君 2014/11/07(金) 22:23:21 pkN2YUr2
公明党は説明不要で創価学会と言う在日朝鮮人まみれのカルトが支持母胎なよは知ってるよな?
自民党の支持母胎はあの有名な日本人を拉致しまくりの極悪半島系カルトの統一協会。
この売国政党の固定票は約1000万票ほどある。
この固定票を最大限生かす方法がこの売国政党の選挙戦略である。
1「投票率の低下」
2「票の分散化」
この二つw滅茶苦茶単純だろ?w
これを延々やって「誰がやっても同じだしな・・」と誘導して諦めさせる。
2は山本太郎や橋元や石原のような偽者をヒーローに仕立て上げて民主党に流れる票を分散化する。
要するに新しい怪しい新党を作るわけwでもコイツ等は例外無く自民別動隊です。
固定票がある自公はこれで勝てるだろ?w
例えば選挙権がある人が一億人居たとしよう。
これでは1000万票だけでは勝ち目は薄い。
しかし、泡沫政党を乱立させて票の分散化をしたらどうなるかな?
消費税増税派で原発再稼働派の自民党はどう頑張っても支持率を上げることが出来ないよね?
一党で過半数にも成れない泡沫政党が「消費税反対!」「原発再稼働反対!」と言うだろ?
共産党、みんなの党、橋元党、石原党、社民党等々は相手にする必要は有りません。
「絶対になにもしないから・・」
何度も言うが郵政民営化を阻止したのも原発を全基停止させたのも民主党だぜ?
小泉安倍構造改革を批判して富の再分配の仕組みを再構築しようとしているのも民主党だぜ?
政治主導を掲げ税と社会保障の一体改革や学費無料や子育て手当をマニュフェストに掲げてるのは民主党だけだぜ?
「財政?財源?十二項目を見ろアホ。」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1414594539/
日本には残業という制度があり、仕事が終わらなければ好きなだけ労働者が働いていいという法律があるらしい。時間効率が騒がれて久しいフランスから見ると天国のように思えるが、なぜかうちの会社には、そんな日本からわざわざフランスまで来た日本人が3人も働いている。
うちの会社は、ブラックではないが給与が高いわけでもないし、忙しい時期は結構な仕事量が発生するなど、法令違反があるわけではないが、決して良い労働環境とはいえない。まあ、一般的なフランスの中小企業だな。
そんな会社に、なぜわざわざ国境を超えてまで働きに来たのか? 疑問に思って、一緒に食事をした時、「祖国で働かねーの? 日本だと仕事の時間効率が求められないじゃん?」みたいに聞いてみたんだけど、帰ってきた答えは意外なものだった。
・残業はできるが、仕事量が決まっているわけではない。仕事を効率化して、時間内に終わっちゃうと次の仕事を振られる。出来る人ほど多くの仕事を振られる。
・会社は社員を社蓄と思ってるので、会社は従業員にとにかく従順を求める。モチベーションが半端じゃなくそがれる。
・注意力散漫で動作もトロい人なら天国だけど、集中力があって仕事が早い人には地獄。
・振られた仕事を効率よく仕事した場合でも、「会社の業績悪化」とされて、給与を減らされ部下無し管理職に昇格されて、終いには首を切られる。結果、給料の安い仕事につかざるを得ない。
・首になりたくない人は、社内政治や転職活動に全力を注ぐ人も少なくない。
・そんな状態なので、「無能な人」や「要領が悪い人」がそれなりの生活をしようと思ったら、コミニュケーション能力の向上に全力を注ぐしかない。
・結果的に、フランスでも過労とされるレベルで働いている日本人も、たくさん存在する。杓子定規な年功序列は、最近は崩壊してる。
・フランスみたいに陸続きなわけでもなく、日本語はその国でしか通用しない言語なので、フランス人には想像できないレベルで、外国に仕事を求めるという発想はハードルが高く、割と誰も考えない事らしい。
・仕事上のストレスで、自殺する人も、フランスよりはかなり多い。毎日のように電車に飛び込むけど最早誰も動揺しない。
・ただし、学費などは自分で稼ぐ必要があるので、子供を育てるなどの点では、貴族にしか無理らしい。
ヨーロッパで、たまに日本で働いていて「日本の労働環境は素晴らしい。ヨーロッパも見習わないと」というブログを見かけることが有る。もちろん、ヨーロッパの労働環境は改善点は山ほどあり、日本に見習うべき点は山ほどあるだろうが、そのブログを書いてる人も、日本の労働事情をすべて知ってるわけではない。日本で働けるようなヨーロッパ人が無能なはずはないので、おそらく「無能な日本人」と付き合いがいないので、どういう環境で働いてるのかを知らないのだろう。
今回、話した日本人も、フランス語を使って仕事をしている以上、有能なのだけど、それでも一見して素晴らしい自国の労働環境に思うところがあるらしい。話を聞いて、自分は単純で一律な残業制度も問題があるのかなと漠然と思った。
その日本人が言ったことじゃないが、日本は世界の中で、ロシアについで自殺率が高い国とのこと。ヨーロッパの効率重視は直さないといけないが、単純に労働時間を無理やり増やしても、歪みが出るので、きちんとした制度設計が求められそうだなと思った。まあ、どういう制度が良いのかは分からないのだけど(我ながら、しまらねー落ちだな)。
パロってみたがどう考えてもフランスの方がいい。
フランスは週35時間労働制という制度があり、週に35時間以上、労働者を働かせてはいけないという法律があるらしい。過労が騒がれて久しい日本から見ると天国のように思えるが、なぜかうちの会社には、そんなフランスからわざわざ日本まで来たフランス人が3人も働いている。
うちの会社は、ブラックではないが給与が高いわけでもないし、忙しい時期は結構な残業が発生するなど、法令違反があるわけではないが、決して良い労働環境とはいえない。まあ、一般的な日本の中小企業だな。
そんな会社に、なぜわざわざ国境を超えてまで働きに来たのか? 疑問に思って、一緒に食事をした時、「祖国で働かねーの? フランスだと労働時間が凄い短いみたいじゃん」みたいに聞いてみたんだけど、帰ってきた答えは意外なものだった。
実際、日本のような過労自殺の話はなくても、仕事上でのストレスで自殺するというニュースはフランスでもかなり多いそうで、労働者の天国とは決して言えない状態らしい。
日本で、たまにヨーロッパで働いていて「ヨーロッパの労働環境は素晴らしい。日本も見習わないと」というブログを見かけることが有る。もちろん、日本の労働環境は改善点は山ほどあり、ヨーロッパの国々に見習うべき点は山ほどあるだろうが、そのブログを書いてる人も、ヨーロッパの労働事情をすべて知ってるわけではない。ヨーロッパで働けるような日本人が無能なはずはないので、おそらく「無能なヨーロッパ人」と付き合いがいないので、どういう環境で働いてるのかを知らないのだろう。
今回、話したフランス人も、日本で日本語を使って仕事をしている以上、決して無能なはずはないのだけど、それでも一見して素晴らしい自国の労働環境をに思うところがあるらしい。話を聞いて、自分は単純で一律な労働時間削減も問題があるのかなと漠然と思った。
そのフランス人が言ったことじゃないが、フランスはG7の中で、ロシア、日本についで自殺率が高い国とのこと。日本の過労は直さないといけないが、単純に労働時間を無理やり下げても、歪みが出るので、きちんとした制度設計が求められそうだなと思った。まあ、どういう制度が良いのかは分からないのだけど(我ながら、しまらねー落ちだな)。
追記:週35時間労働制は「全員が賛成してるわけじゃない」と書いたけど、大半のフランス人は長時間働きたいわけではなく「労働時間を下げる方針」そのものは賛成してる。ただ、この制度はかなり窮屈過ぎると感じてるのも事実らしい。
追記その2:凄いブクマとか付いてるみたいだけど、あくまで日本で長年働いているだけの、労働の専門家でも何でもないフランス人3人から、食事の時に聞いた話なだけであって、フランス人全体の意見ではないことに注意。
続きを書いてみた。 http://anond.hatelabo.jp/20141109162942
今すぐ死んでくれたらまだ悲しめる気がするからできたらなるべく早く死んで欲しい
週末に家に引きこもってると急に昔のことを思い出す
私が学校でいじめられたときに何の話も聞かずに無理に学校に行かせようとしたり、そのことで母を責めたり、寝ている私に暴言吐いたり(起きてたんだけど)、義母と母が言い争いしてるときだって一緒になってお母さんを責めて、急にキレて缶ビール投げたりして、私が真面目な話をしようとしても下らない冗談を言って流すし、いつも不満言うばかりで謝罪の言葉なんか聞いたことないし、謝りもしないし反省もしないなら私だって許せない
でもお父さんだってがんばってお金稼いで学校行ってない間の無意味な学費だって払ってくれてたし、年収よかったから生活に不満はなかったし、昔は毎年家族でディズニーランドとかつれてってくれたし、楽しくないだろうにファストパスとるのに並んでくれたりしてたし、
それにわかってるんだよ元々私のせいなんだよ、私が周りの人からいじめられるような人間じゃなければ不登校だってならなかったし、私がもっとまともな人間だったらお父さんだって暴言はくようなことはなかっただろうし、お父さんだってがんばって仕事してて大変で精神的に余裕無かったのかもしれない、私が思い通りに育ってくれなくてイライラしちゃってしょうがなかったのかもしれない、しょうがないんだよ、わかってるんだよ、でも無理。ふと思い出すたびに、昔のことってわかってるし、今の父親がやったわけじゃないってわかってるけど、なんかだんだん憎しみが募って行ってる気がする。
父親が死んで嬉しがるような酷い娘にしないで。そうなる前に早く死んで。
昔から父親に虐げられて生きてきた。
食事の時に、マナーがなってないと言われてよく殴られた。食べるのが遅いと殴られて、箸の持ち方がおかしいと殴られて、茶碗の持ち方がおかしいと殴られた。
配膳の仕方がなっていない、ご飯茶碗は左で味噌汁が右、焼き魚は頭が左で海魚は腹が前・川魚は背中が前、かちゃかちゃ音を立てて食べるな、
箸は先っぽ2センチ以上濡らすな、言われたことができないと殴られた。
だから食事の時間が楽しくなかった。食事の時間=殴られる、という方程式が自分の中で確立していたし、給食の時間は友達の食べ方を見ながら、
あの子がうちの子だったら5回は殴られてるな、みたいなことを考えてしまう。
母は殴る父を止めてくれた。でもそれで一時的に殴るのを辞めても、またしばらくしたら父は手が出てしまうので全然意味がなかった。
口答えをすると殴られた。怒られて、なぜそうなったのか経緯を説明したりすると父からは詭弁だとよく言われた。何かを父から聞かれて、
すぐに答えられないとまた殴られるから、頭でよく考えずに思いついたことをすぐにいう癖がついてしまっていて、その内容が父の思った通りのものじゃなかったりするとやっぱり殴られた。
脊髄反射的に返答する癖は今も抜けない。
中学生くらいになって、うちのお父さんはほかの家のお父さんと様子が違う、と思うようになった。
私の父は私が家に友達を呼ぶのを極端に嫌がった。友達が家に来ているときはすごく人当たりのいい父親で、ケーキを買ってきたりちょくちょく話しかけてきたり、
友達からはいいお父さんだねなんて言われることもあったが、友達が帰ると正座させられ、なんで連れてきた、配慮が足りない、部屋が汚れた、掃除をしろと怒鳴られた。
気に入らないことをすると、死ね、ととにかく言われた。死ねと言われたのが悲しくて泣くと、俺は金を稼いでいるから偉い、金を稼いでいない奴は稼いでいる奴の言うことを
聞くしかないんだから何を言われてもあきらめろと言われた。何で生まれてきたんだ、とか、お前は俺の子供じゃない、とか、生まれてきたのは失敗だったんじゃないか? とか、
お前は人間のクズだな、とか、お前みたいなクズは社会にとってゴミでしかないからせいぜい人の迷惑にならないように生きろ、とか、そういう類の言葉は何回言われたかわからない。
食費光熱費学費はすべて母が払っていた。母も働いていたので払えないことはない。が、焼酎と日本酒とワインとウイスキーとビールが常備されていないと父は怒り出す人だったので、
酒をほとんど飲まない母が自分の給料でそこまで賄わなければならないのは多分相当きつかったと思う。父ももちろん働いていたが、おそらく家のローンを毎月払っていただけで、
我が家は、父以外は貧乏な暮らしをしていた。誰も好きな服や靴は買えなかったし、私はお小遣いももらっていなかったので友達と買い物に行くとか
どこかへ遊びに行くこともほとんどできなかった。
母に負担をかけてはならないと思ったのと、高校中退の父をどうしても見返したくて、高校受験は死に物狂いで頑張って、都立のそこそこ良い高校に受かった。
でもどこの高校に受かったかは父には言わなかった。父がうちの子供がこんな高校に入れたんですよ、なんて近所の人に自慢したりしたら嫌だと思ったからだ。
もうその頃には、私は父の子ではないという意識がかなり強く根付いていた。
でもどこから聞きつけたのか、父は私の高校をつきとめて、近所の人とか親戚とか、いろんな人に自慢し始めた。あんなに私を人間のクズ呼ばわりして蔑んできたくせに
何で自慢なんかしてるんだ。お前の評価を上げるための材料に私を使うな。そんな感じのことを、父に言った。やっぱり父は怒って、そんなふざけた口のきき方をするやつは
俺の子供なんかじゃない、と言った。
私は、望むところだと思った。
しばらくして、父が仕事を辞めた。経営者が変わって、衝突が絶えなかったらしい。父の収入は激減した。父はもともと家にそんなにお金を入れていなかったから
私たちの生活にはさほど影響がなかったけれど、父にとっては大打撃だったと思う。
途端に父はすり寄ってくるようになった。今まで私達が食べていたものは「豚の餌」と称して一切口にせず、食事は別にしていたのに、急に一緒のものを食べようとしだした。
たまらず、豚の餌なんだから食べないほうがいいんじゃないですか、と言うと、そんな嫌味言われるんなら食わねえよ! と言って自分の部屋に戻って行ってしまった。
そのうち、絡まれるようになった。急に「お前は人に対する口のきき方がなっていない、社会に出てもやっていけない、人間のクズだ」と言われて、咄嗟に
「俺はお前を育てた覚えはない」
「まあ、学費も出していないし、食費も出していませんもんね」
「そうだ、だってお前は生まれてきたことが失敗なんだから養う義務もない」
「でもあなたがいたから生まれてきたんですよ。人間のクズを生み出したことについて責任とか感じないんですか?」
「なんでお前の責任を俺がとるんだ。俺は俺の子供のことなんかどうでもいい」
「無責任ですね。自分の子供の責任も負えないような人だから、仕事で責任なんか負えるわけないですよね」
ここまで言ったところで、私に皿が飛んできた。すごい音がして、私の座っていた木の椅子にいくつか破片が深く刺さった。
そのあとのことはあまりよく覚えていない。
父親に人間のクズだと言われて、私は長いこと私自身を人間のクズだと思っていた。死ねと言われて、本当に死んでやろうかと何度も思った。本当に死ねば後悔するだろうか、
それともあーせいせいしたとか言われるんだろうか。せいせいされたら困る、自責の念に駆られてほしい。あんなこと言うんじゃなかったと思ってほしい。
ずっとそんなことばかり考えていた。
「24時間以内に首でもつって死んでくれ」と言われて本当に死んでしまった子のニュースを見て、他人事とは思えなくて思わず書いてしまった。長すぎて申しわけない。
でもどうしても吐き出したかった。
借りたら返さないといけません。
当たり前のことです。
親は大学、専門学校のお金は「全額」奨学金などを使って進学しろと提案する親は少なくない。
それはおかしいだろ!と思う人もいると思います。でも、現実は親を恨むケースが意外と多い。
「なんで奨学金借りたん?」
子供の教育費(学費)の為に仕事を掛け持ちして1日12時間以上働く人も見かけます。
そういう親と比べて奨学金を借りさせた親は・・
老後の面倒を見てくれない?
「奨学金」と検索すると「奨学金 親 恨む」と表示されていた時期もあったとか。
それだけ奨学金が原因で親が恨む人が多いという事なのか・・
僕は自分のことをいわゆる準ひきこもりってやつだと思っていて、学生時代は学校に行くこと以外で外に出かけることはありませんでした。
学生時代(2年前くらい)、就活に対して本当にやる気が起きなくて、周りがやっているからとりあえずよさそうな会社を調べてみるものの、
実際に説明会にいったり、面接を受けたりはほとんどしませんでした。
最近の就活事情はすぐに変化しているので、今はどうだか知りませんが、当時(2、3年前くらい)の就活は大学3年の12月に一斉に募集が始まるルールで、
一般的な意識の持ち主は大学4年の4月には内々定・内定を持っているのが普通で、このときまでに決まってないと焦るくらいの雰囲気でした。
もちろん中には決まらない人もいて、そういう人は内定式までに決めようと夏休み返上でいろいろ頑張ってましたが。
僕は大学3年のときに一生懸命会社をネットで検索して会社概要や面接要項を眺めたりはしたのですが、いざ面接となると気後れしてしまって、
説明会も面接も受けず、ネットや求人票を眺めるばかりで、実際に行動に移すことはしませんでした。
僕は人と話の苦手だし、極度の恥ずかしがり屋(チキンハート)なので、とにかく知らないことをやりたくないし、
一度も入ったことないローカルのお店とか1人で行けないし、銀行・郵便局・市役所みたいな受付のあるところも苦手です。
何かを振り込むときに(学費だったかな…?)銀行に行ったことはあって、そのときは使命があったので行きましたが、
そういう理由がない限りできるだけ未知なるものは避けたいと思ってしまうのです。
そんな僕ですが、大学4年の4月に、みんなが内定をもらっているころに、ようやく教授にとにかく一社は受けてみろと言われて、一社受けました(まぢ褒めて欲しい)。
見事に一次面接で落ちましたが。
割りと高望みだったのと、技術試験がボロボロで自分でもあきれるところがあったので、落ちたことに対してショックは少なかったです。
むしろ、また面接しないと行けないのか、また東京行かないといけないのかというので、だいぶ憂鬱でした。
教授に落ちたことを伝えたら、だいぶ励まされました。
次に受けたのが内定式の過ぎた大学4年の10月ごろでした(半年後…)。
この時点でまわりはみんな内定を持っていました。
教室での友達の内定・会社の話には入れないし、逆に話をしないようにと気を使わせてしまっているのがありありとわかって、
で、この会社は筆記試験、面接4回(最終面接含む)受けて、採用担当から口頭で内々定もらったけど、やっぱゴメンって言われて、また就職活動することに。
並行して面接を受けていなかったのと、この時点で大学生活残り3ヶ月なのに受けた会社はたった2つという、就職に対して低すぎる意識で自業自得ですが、
内々定もらったと両親・教授・親戚に伝えてしまったのが痛かったです。
もうこの頃になるともう卒研やらなんやらで就活から逃げて、来年はプーしたいなと思っていたのですが、
そうは問屋や親が許さず、なんでもいいから来年やることを見つけろと言われました。
(ここでようやく両親登場。まあ僕は春休みに春休みをこじらせて卒業が危ぶまれていたのを持ち直したので、いろいろ多めに見てくれていたのですが…)
で、卒研終わったあとにまた教授に促されて就活を始めたのですが、とある御仁に就職エージェントなるものを教えてもらって、これに登録しました。
就職エージェントは学生の希望する業種の会社を紹介してくれて、学生を採用する会社からの紹介料でお金儲けするビジネスです。
で、この就職エージェントへの登録が功を奏して、大学4年の2月末に登録して、3月中旬には内定をもらえました。
自分の場合の簡単な流れを説明すると、就職エージェントに登録した次の日に「貴様のスペックとどんな会社がいいかを今すぐ教えろ」という電話がかかってきて、
次の日には希望に近い会社を20社くらい紹介してもらい、その中から希望に近い会社を2社選んで、面接をすることに。
紹介された会社は玉石混交で、保守・運用だったり、開発だったり、一部営業だったりとバラバラで、2社しか選べなかったともいえる…。
面接日程等の段取りはほとんどエージェントがやってくれました。
希望したうちの1社に受かって、無事に入社して、今に至っています。
ええと長くなりましたが、何が言いたいかというと、僕のようなものぐさ・恥ずかしがり屋で就活したくないという人は、
お尻をひっぱたかれでもしないと動かない人だと思うので、そういう人はエージェントサイトを使ってみたらいいのではということです。
会社を探して、エントリーシートを送って、面接日程を決めて…。
しかし、エージェントサイトの中の人は、内定による紹介料(結構高額)で自分の給料をもらっています。
金がかかっていて必死ですので、恥ずかしがり屋でメンドーなことが嫌いな僕のお尻をひっぱたいてくれます(電話もかかってきます)。
幸いにも僕は今の会社に満足していますが、自分の希望しない会社を紹介される人もいるでしょう。
せっかくの新卒という切り札をエージェントの金儲けに使わせていいものだろうかと考える人もいるでしょう。
でも僕は何もせずに就職できないよりも、エージェント使ってでも就職してよかったと思っています。
(というかたぶん本当に電話かけてもらって催促でもされない限り気後れして何もできなかったと思う…)
親戚同士の集まりであいつはいま無職なんだみたいな目で見られることもないので、使ってよかったと思っています。
ちなみに自慢ですが、内定をもらったときにエージェントの人に聞いたのですが、3月はじめの時点で登録者が90人くらいいて、
僕が内定をもらった3月中旬までに(つまり2週間で)内定をもらったのが僕を含めて2名のみということで、つまり門はそれほど広くないようです。
(こんなことバラしてよかったのだろうか、エージェントさん…)。
さて、推己してないし、書きっぱなしのまとまりのない文章ですが、最後に。
norton3rd氏はあまり若くなさそうだという印象は持っていた。
俺が大学に入ったとき授業料は12,000円/年で、近所の工場のバイト時給が150円/hだった。同学年には親に仕送りをしているフトドキ者さえいた。いま学費が535,800円/年でバイト時給はなかなか1,000円/hいかないだろ 2014/10/16
http://b.hatena.ne.jp/norton3rd/20141016#bookmark-232661785
国立大学の学費(年)が12,000円だったのは昭和40年代のことらしいので60代なのだろうか。歳のことはどうでもいいか。
工場のバイト時給が150円なら80時間で当時の学費が賄えるのか。
ひとり酒しながら考えて最終的に諦めたことを書いてみる
ゆるい就職は、週3日勤務で月収15万円(派遣で手取り12~13万)なライフスタイルだそうだ。
そうすると、今の日本で、比較的昭和な小市民的な幸せを築いている家庭ほど、批判しづらい。
なぜなら、住宅ローンだ子供の養育費だ、学費だ保険だ老後資金だと言って着実に生活すると、
お父さん小遣い月1万です、とか良く聞くね。
ゆるい就職の方が、2万(= 手取り13 - (家賃6+光熱費1+食費3+携帯1) )と多いかも知れない。
親が死んだら手取り13万でどうやって生きてく気?
こんな強い口調で言われると、言葉に詰まる。
「オマエ、今の会社クビになって、家族が守れると思ってんの?」
と詰め寄られているような気になるからだ。
このご時世、正社員もいつどうなるか判らない。
まあ、オッサンの頃の独身貴族の定義は、今だとパラサイト・シングルとか言うのだろうか。
夫婦共働きで子供が居ないので、自由な時間や使えるお金が多い。
彼ら彼女らは、結局のところ、配偶者を食わせなくて良いから、子供を育てなくて良いから、
自由な時間やお金が多い、というところが良い、とされてきたワケだ。
この、「自由な時間」を増やして「お金が多い」を減らします、と言うライフスタイルは
結局のところ、諦めることで余裕を生んでるということに気がついた。
独身OLまずりんの提案した「ギブアップ制度」にすごく似てる。
もう、結婚も子供を持つことも、老後の暮らしも諦めるから、ギブアップで!という。
さっきも言ったけど、家庭を持つお父さんの小遣いは少ない。
独身貴族(パラサイト・シングル)は自由になる時間もお金も多い。
家庭を諦めて、貴族であることを諦めて、独身よりも多い時間と、お父さんより多い小遣いを貰う。
ちょっとだけ羨ましい。
老人が医療を食いつぶしていると言われながら、
誰もがアイドルにはなれないし、これといった夢もない。
無職でモラトリアムを続けられるニートほどには堕ちてもいない。
何かを極めたいという焦燥に身を焦がすこと無く、アスリートでもなく。
だから、諦めた。
少なくとも、諦めた人にとっては理想的なライフスタイルに見える。
ティムは2007年に『「週4時間」だけ働く(The 4-Hour Workweek)』という本を書いて、一躍有名になった。
はてブにも読んだ人がいるはずだ。忘れてるかもしれないけど。
航空券の値段を調べ、貯金をみて、上司を説得して一ヶ月まるまる休んで旅に出てしまう。
老人になる前に、若者や壮年の間に、やりたい事をやらないでいる理由はなんだ?と言う。
なぜ触れなかったかというと、これは「希望」の先取りだからだ。
「輝けるリタイア後の生活」を先取りしない理由はないよ、という提案だった。
でも、「ゆるい就職」は違う。彼ら彼女らには先取りしたいリタイア後が無い。
老後の資金を溜める気力もわかないし、
頑張って会社にしがみついたところで、いつリストラされるかも知れない。
叶えたい夢も無ければ、やり遂げたい志も無い。
じゃあ、フリーターよりもカッチリと契約で区切って、週3回働けば良いんじゃね?
というのは、多分すごく魅力的に見えると思う。水は低きに流る。
そしてきっと、そういった人が実際にどん詰まるのは、
老々介護が問題になるような、青春を終え、壮年を終え、老年に差し掛かった頃なんだと思う。
冷静に考えて、20歳の若者の父親が45歳だったとして、平均余命から見れば親父は80までは死なない。
平均的な親父が死ぬのは、平均的な息子が55歳の時だ。
50歳時の平均未婚率を、生涯未婚率と言う。つまり、もうタイムアップだと社会的に宣告される。
夢も希望もなく消費するだけの「ゆるい生活」なら、充分な時間じゃないだろうか。
そして「平均じゃなく親父が死んだら?」は「平均じゃなくリストラされたら?」と置き換え可能なのだ。
(もしかしたら現代の『漁師とコンサルタント』なのかも知れない)
「ゆるい就職」の話題は、賃貸と持ち家の話と、なんとなく既視感を感じる。
だって、正社員だからと言ってその会社内のノウハウが蓄積されるだけの人だっているのだ。
子供が出来て家庭を持って、給料が低いとなじられながら、家に居場所がない父親もいる。
「ゆるい就職(週3)」は、「キツ目の就職(週5)」に簡単になれるだろうけど、
正社員は、緩めの正社員には簡単になれない。(短時間勤務が無理だとは言わないけど)
家庭を持ったところで、幸せにはなれないと諦めて、
ただソコに「なう」だけがある消化試合をこなしていくのには、少し憧れる。
「なう」は古いか。
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――