はてなキーワード: 学費とは
オレが大学1年の時に知り合った、医学部一年生のA。Aの家は貧乏で、親に迷惑をかけないために大学の学費・生活費全てを奨学金でまかなってた。
口を開けば「医学部は金持ちのボンボンばっかり」「親の金で車買いやがって」「これだから金持ちは」っていう典型的な「金持ちアレルギー」。
彼女からもらったプレゼントを見て「こんな高いものをくれるなんて、アイツの家は金持ちに違いない!」とかいうやつだった(それは彼女が一年バイトしてコツコツ貯めて買った物だったが)。
話を聞くと、どうやらAの親もそう言っていたらしい。Aの親戚皆貧乏で、医者になるというAはほとんど突然変異な存在だった。
オレはふと思った。「貧乏な家で育ったコイツが、医者になって金持ちになったどうなるんだろう?」
興味があったので、自分が4年生大学を卒業して就職してからもちょくちょく連絡をとってAが医者になるのを待っていた。
医者になって2ヶ月目のAに久々に再開した時は笑ってしまった。
大学時代、共に何度も訪れた居酒屋に現れたAは開口一番こう言った。「なんでこんなクソみたいな安居酒屋なの?」
「貧乏人が来るような店とか腹立つよなー。全部潰れりゃいいのに」
「あ、そういや先々週借りたDVD返してなかったわ。まーいいかw」
「俺らも大学生じゃないんだし、量より質で食うもの選ばないとw」
人ってここまで変わるんだなぁと思いながらAの話を聞いていた。
お金持ちになるにつれ少しずつ変わるんじゃない。「お金持ちになった瞬間」、お金持ちに変わるのだ。
話を聞きながらAの見下す「貧乏人」にオレやAの親が入ることについてどう思っているんだろう?と思った。まあ、オレはいつの日か縁を切られるんだろう。
しかし、「お金持ちの金の使い方」に関して偏見を持っているAの親は、「お金持ちの金の使い方」をするようになったAに対してどういう反応をするんだろうか?
「親とはかかわりの無い自分の人生を生きるにはどうすればいいか」
って考えりゃいいだけのお話。
ちょっと知識をつければ、「親の問題は所詮親の問題」ってとこまでは到達する。
そこからは簡単だろ。各所に問い合わせして調べるだけの作業なんだから。
つーか、周囲に必ず知識を持った人間がいたはずで
「大学行きたいんですうわああああああ!」って泣き叫ぶのがぶっちゃけ一番はええよ。
成績さえ一定水準以上なら、誰かしらが力貸してくれるもんだ。
一回生保に落ちる覚悟すりゃ、奨学金でなんとでもなってんだよ。
大体、高卒資格なんて簡単で高認とりゃ大学入試資格はあるわけで。
ドデカイ声で恫喝しようが何しようが、おまえの母親は大人なんだから
つーか、おまえ本当に無知だな。
おまえが今そこにいるのは、おまえが無知だったからとしか言いようがねえ。
父親を切り離さないって選択をした時点で失うものが多々あんのはわかりきった話だっただろうが。
つーか、人的保証のハンコさえつかなきゃおまえの母親も兄もおまえも
なんとでもなってた話だろ。バカとバカの多重連鎖だが、全部お前の責任だろ。
おまえにもうちょい知識があれば全員まとめて何とか出来た話だ。
今からでも遅くないから、家族まとめて切り捨てろよ。自分の人生を生きろって。
悪い表現をすれば、おまえの母親と兄は自分の決断におまえを巻き込んだだけだ。
恩人でもなんでもねえよ。
高卒から2年働いて、二種奨学金+国金の教育ローン+給付で行ったけど
プライベートが奴隷レベルで束縛される新聞奨学生は選択肢に入らんかったわ。
どうして二種も取れず国金で金も引けないような事態になったの?
国公立なら学費と入学金等等合わせても3~400万あれば足りるはず。
これを国金でひけばあとは生活費のみだろ?
どーしてそうなる?自分の経験に照らしても、どう考えても何とかなる話だろ。
俺は給付取って私大出たから国公立の事情はわからんが、どうしてそうなるよ?
俺の親父はドケチだった.
とにかくドケチだった.
口を開けば「カネがない」とグチった.
貧乏だった.
食う物と言えばパンの耳,着るものと言えばボロ雑巾みたいな古着だった.
ガキだった俺は友達が持っているスーファミが羨ましくて親父にせがんだ.
帰ってきたのはゲンコツだった.
そんなカネねえ,と.
ドケチなクソ親父め.
でも俺はあきらめなかった.
キャラクターをテレビの中で自由に動かせるのに,熱中していた.
根負けしたのか,なんとかしてやると言い出した.
俺は興奮で眠れぬ夜を過ごした.
どうやら友人から譲ってもらったらしい.
なんだか嫌な予感がしながら電源を入れたら,文字しか出てこねぇし,なにすりゃいいのか分からないし,
まさに「コレジャナイ~」と泣きながら手足をバタバタさせてダダをコネたい気持ちになった.
やっぱりクソ親父はクソ親父だった.
曰く,
「これさえあればゲームを作れるらしい.そんなに欲しいなら自分で作れ」
始めはとっつきにくかったが,やってみると面白かった.
「ゲームを自分で作れる」という魅力的な言葉に酔っていたのかもしれない.
これでいつか俺も,F-ZEROを作ってやるぞと,本気で思っていた.
ゴミ捨て場から拾ってきた古いベーマガを読みながら,小さなゲームを作っては楽しんでいた.
始めてジャンケンができるプログラムを作った時の感動は忘れられない.
グラフィカルなゲームは作れなかったが,友達も一緒になって楽しんでくれた.
だが中学2年に上がるころ,長年連れ添った俺の愛機が突然動かなくなった.
ついに寿命が尽きたのだ.
俺はこの世の終わりのように感じた.
まるで愛犬に死なれたような気持ちだった.
しばらく学校も休んだ.
今思えば前の持ち主から数えて10年近く,よく動き続けたものだと感心する.
ドケチな親父は,当然だが新しいPCを買ってくれるわけはなかった.
帰ってきた言葉は
「そんなに欲しいなら自分で作れ」
新聞配達で稼いだ金で少しずつパーツを買い集めた.
始めて自作PCが立ち上がった時は感動した.
親父に本を買ってくれと言ったら,始めは渋っていたが,ボロボロの技術書を何冊か古本屋から調達してくれた.
ヴォルトのアルゴリズムとデータ構造と,クヌースのThe Art of Computer Programmingもあった.
難しすぎたし技術的なところが足りないから,遠くの図書館までわざわざ出かけて技術書を借りてきては読みふけった.
学校の授業中にも読んでいた.
プログラミングの技術はもちろん,画像処理のための数学の道具についても勉強した.
同級生が2次方程式や因数分解をやっている横で,三角関数や行列計算をしていた.
特にアフィン変換には感動させられた.
こんな風に言うと,さぞ数学の成績がよかったのだろうと思うのかもしれないが,テストの点はそこそこだった.
コードを書くのに必要な概念として知っているだけで,証明問題は苦手だった.
それと,古典や社会の時間は全部すっぽかしてノートにコード書いてたから散々だった.
高校に入ったあたりでX windowシステムを使ったグラフィカルなゲームを作れるようになった.
出てきた敵を撃つだけの簡単なインベーダーゲームに始まり,オセロ,ブロック崩し,ウィザードリィみたいな迷宮探索ゲーム,思いつく物何でも作った.
友達の家にもPCがあるところが多くて,Windowsに移植して簡単なネットワーク型対戦ゲームなんかを作ったりもした.
ここまで本格的にゲームプログラミングをやっていると,さすがにジャンクパーツを集めただけのPCでは性能に不満が出ることが多くなってきた.
ビルドの待ち時間が長くていらいらしたり,友達の家で動くゲームが自分のPCで動かなかったりした.
「自分で稼いで買え」
親父はどこから取ってきたのか,俺でもこなせる程度の仕事を持ってきた.
始めはパソコン教室のバイトだったり,ゲームのデバッグだったり,まともなバイトだったのが,
ある日学校から帰ってくると,何に使うのかは知らないが,明日までにこういうコードを書けと言われて徹夜でプログラミングしたりするようになった.
プロの書いたらしいコードを読んで書き直す作業は,かなりの勉強になった.
給料は親父から手渡しで貰ったが,今まで見た事もないような額になった.
その金で新しいマザーボードとPentium IIと32MBメモリを何枚かと,自分の開発環境用にWindowsPCを作った.
こんな感じで高校には通っていたものの,勉強らしい勉強はほとんどしないで過ごした.
それでも,手に職はあるわけだし,しばらくは同人ゲームでも作って過ごそうと思っていた.
だけど親父は反対で,大学ぐらい入れと言い出した.
それでもやる気のなかった俺に,
一体何が起こった,このクソ親父,脳の病気にでもかかったかと本気で疑った.
どうやら正気で言っているらしいと分かると,俺も必死に勉強を始めた.
そうは言っても,中学時代から受験を意識した勉強なんてさっぱりしてこなかった俺には,何をどうしていいのか分からない.
しかも,やっぱり親父はドケチで,塾や予備校なんていく金は無い.
しかたがないから高校時代の友達で,頭のいい大学に行ったやつにお世話になることになった.
厚かましくも,キャンパスにまでついていったりしていたから,新入生として入って行くと顔見知りに驚かれた.
親父は約束通りPower Macintosh G3を買ってくれた.
だが,俺の親父はドケチだった.
「せっかくいいパソコン買ってやったんだから,そいつで学費ぐらい稼げ」
さすがにそいつは無いだろうと思った.
自分で遊ぶ分くらいは当然稼ぐつもりだったが,学費丸ごととは.
いくら国立大学とは言え4年分の学費となると200万ほどになる.
しかも教科書代やもろもろを考えると300万円は無いと厳しい.
300万円稼ぐために俺ができることと言えば,やはりゲームを作るぐらいだった.
志望動機を聞かれて,
「ゲームを作って300万円ほど稼ぐためです」
と言ったら爆笑された.
金が必要な理由を言ったら,一瞬でお通夜みたいな空気になったけれど.
先輩が相談に乗ってくれて,成績優秀なら学費は免除になったり半額になったりすることを教えてくれた.
それならなんとかできそうな金額だった.
プログラミングをしているだけなのに,「お勉強」として扱われるなんて.
今まで何気なく使ってきた道具に,こんなに深い基礎理論があるなんて,知らなかった.
講義が終わったらサークル棟に入り浸って,入学祝いのMacintoshで朝までゲームを作ったりしていた.
学費を稼ぐためのゲームだが,やはりエロゲを作ろうということになった.
ただし,そのためには絵師が必要だということで,先輩が漫画研究会から絵師をスカウトしてきた.
一目惚れした.
こんなちっこくてクリクリして可愛い女の子が,こんなドエロい絵を描くなんて!
俺の頭はすっかり茹だって,も~だめだ~という感じになった.
それから,なんやかんやあって,結果的に彼女は俺の嫁になった.
詳細は伏せるが,なかなかにこっ恥ずかしい青春を送った.
今まで○とか■とか,ちょっとしたドット絵でしかなかったキャラクターに命が吹き込まれるようだった.
先輩たちが,売上金を快く俺にカンパしてくれたおかげでもある.
満ち足りた大学生活だった.
スーファミはもう時代遅れになったが,自分の作ったゲームが本当に発売されて,ゲーム機の中で動いているのを見た時は嬉しくて泣いた.
娘が生まれた時と,どっちがと思うくらい泣いた.
さて,俺のドケチな親父だが,娘が生まれてほどなくして死んだ.
あんなにドケチに金を惜しんでいたのに,財産も何も残さず死んだ.
遺書を読んだら,葬儀は簡素に親族だけで行うように,とあった.
親戚付き合いらしい親戚も居ないし,どうせ誰も来ないだろうと思っていたが,
葬式当日には呼んでもないのに大勢の参列があって,なんだこれは,人違いかなにかかと思った.
なんでも,親父の運営するNPO法人の従業員だとか,親父の寄付金で建てた養護施設の代表さんだとか,
親父とは無縁の世界の住人だとばかり思っていた,立派な善人ばかりだった.
家に居ないことの多い親父が外で何をしているかなんて興味なかったし,どうせ競馬かなんかで稼いでるんだろうと思っていた.
葬儀が終わって,ちょっとした額になった香典の山を眺めていると,
「さあ自由に使っていいカネだぞ.お前はそれで何をするんだ?」
そんな声が聞こえてくるようだった.
なんだかむかついたので,その金は今まで通った学校にプログラミング関係の本を寄付するのに使うことにした.
一銭も残さずに,全部.
それでもなんだか負けた気分だったから,ボーナスをつぎ込んで,倍額にして寄付してやった.
ドケチなクソ親父を,見返してやった.
最高の気分だった.
それが6年ほど前の話だ.
ところで最近,小学校に上がった娘が,アニメに出てくるようなフリフリなドレスを着て学校に行きたいと言い出した.
もうそんなお年ごろになったのか.
子供には不自由させたくないと思っていたが,調べてみると我が子の眼鏡にかなう服は,日常的に着る服にしては,ちょっと高い.
悩ましい問題だ.
さて,どうやって安上がりにすませようか.
大学院出て研究職に就いた時点で田舎の人間じゃない。田舎にそんな職場無いだろ。
娘を大学院に行かせようと考えた時点で親も「適齢期になったら結婚して会社を辞めて専業主婦に」なんて望んでなかっただろうし。
それを望む親なら院の学費なんて出さずに実家に呼び戻して見合いでもさせるでしょ。
その時代に女が親に逆らって都会の生活費&学費を自力で稼いで院に進学ってのは無理だ。
そして「結婚可能な年齢の娘を持つ母親」の世代でも、定年まで仕事続けた女は(勿論今ほど多くは無いが)それ程珍しくないんだよ。
うちの団塊世代の母親の友人にも数人いるくらいだ。母親は田舎出身で大したことない大学卒
(と言ってもその世代の女性で大卒というだけで上位数%に入る高学歴)だけどね。
そりゃ全体からしたらろくな教育も与えられなかった女が大多数の時代だったけど、そこそこ金や学歴のある世界であればそれなりにいるんだよ。
ぼくは小さいころお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。
小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである。
小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は本当の意味でお金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。
最初のぼくのビジネスは、自販機の小銭と落ちている空き瓶をあつめることだった。今はどうかしらないがその頃、一本あたり10円で特定のビンを買い取ってくれる駄菓子屋があった。たとえば、コカコーラ。スプライト。
二週間後には町内の自販機地図をつくり、近所の子どもたち数名を組織化してビジネスを拡大した。上がりは折半だ。軌道に乗った矢先、浮浪者のボスに一喝されてそのビジネスはご破産となった。
次は自販機ビジネスの資本をもって、今でいう「せどり」に挑戦した。カメレオンクラブ、キャンプ、わんぱくこぞう、遊コン。情報化前夜の昭和末期。ゲームカセットの買取価格と販売価格が逆転している商品をしらみつぶしに探しては、他の店に売りとばした。これも仲のよい同級生を組織化した。仕入れの費用がない場合はぼくが肩代わりした。が、ただ、店舗が密集しているわけではなかったので、仕入れの問題であまりうまく行かなかった。そのうち同種のカセットの買取に制限つきはじめた。息の短い商売だった。
中学生になってやったのがパソコン通信のログ取得代行する、というサービスだった。今思うととこれは犯罪だったかもしれない。Nifty-serveやPC-BANの規約はもう見れないので許してほしい。日夜マニアックな議論が繰り広げられる大手パソコン通信サイトのログをダウンロードしては草の根BBSで知り合ったおにーさん達に高値で売りつけた。ただのテキストが垂涎の情報となる時代があったのだ。
小さな商売としては、ビックリマンシールの仲買。発売日前に週刊少年ジャンプが並ぶ店を見つけて手に入れ時間貸し。CDのダビングを手伝ったりした。もちろん牛乳配達や新聞配達もやった。
最後にやったのはパチンコだった。本当はアルバイトをしたかった。が、中学生を雇ってくれる福祉的なビジネスマンを当時のぼくにみつけることはできなかった。ぼくの世代には一時期これで食べていた人が多いと思う。といってもぼくが中学生の頃なので、羽根物・権利物・フィーバー機など釘の甘い台をみつけては打ち止めにする。という同世代のパチスロプロより1つ前の世代だった。あからさまな中坊がパチンコ屋に来ても見て見ぬふりをしてくれる、牧歌的な時代だった。LUNA SEAが有線放送でよく流れていた。軍艦マーチももちろん流れていた。
そうしてぼくは晴れて16歳になり、まっとうに労働を金銭と交換し、またそれの再生産を繰りかえす立場となった。
ぼくはなるべくして中卒になった。1つも願書を出していない。
義務教育、学校に行く理由がまったくわからなかった。お金を稼ぐ事以外世界に意味がないと思っていた。だれも勉強をする理由を教えてくれなかった。貧乏な家の親、多くの市井の公立小学校の先生にはそれを子どもに説明する能力が、ない。ぼくも30をすぎてようやく勉強をする理由を先人の言葉を使って説明できるようになったくらいだから、無理もない。
高校へ通うには学費が多くかかると知った。これも進学しなかった理由の一つだ。さすがに15歳の僕にもわかる。母親の稼ぎだけで四人の年子が高校に行くのは不可能なことを。ぼくが行けても下の弟二人はきっと中卒だろう。
中学三年の担任は、進路相談でぼくが進学しないというと、とりあえずその場をなあなあで済ませた。その後、考えをあらためさせるべくぼく親友、山根を狩り出した。ぼくの説得を試みたのだ。まったく進学しない中卒は珍しかったらしい。無論、とりつくシマもなく断った。二人の目には、ぼくの事が、世界中を敵だと考え怯える、野生児のように見えたと思う。そんな目をぼくはしていた。
その後、労働でお金を稼ぐことより、お金を作る仕組みのほうに興味を捨てられなくて、自分で商売を始めるんだけど、それはまた別の話。
無を取得。
大学の4年間で何も得なかった。
クソだろ?大学で何も得ないってクソ過ぎる。
例えば、勉強。別に成績は悪か無いけど、何も身についてない。生かせるものは何も無い。情報系の資格は取ったが、こんなものは社会人が1ヶ月実務経験すれば覚えられる事だ。わざわざ取る必要もない。
次に遊び。大学生だっていうのに飲み会、カラオケ、スキー・スノボー、野営、なにもやってない。じゃあオタ趣味でオタ充なのかといえば、そうでもない。アニメ、漫画の知識なんて一般人以下だ。なんでリア充ってアウトドア趣味も充実してるのに漫画とかも結構知ってるんだろう。いつ読んでるの?
次は恋愛。まぁこれは言わずもがなだけど。大学入ってからのほうがめっきり女の子と話す機会が減った。だって大学って自由だからわざわざ女の子が非リアに近寄る理由が無い。
まぁー、そういうことで、リアな人間とかなりの差ができてしまった。
でもリア充は努力してその経験を積んできたんだろうな。女の子に気に入ってもらえるように、服にお金かけて、美容院でカッコいい髪型にしてもらって、ワックスで髪を立たせて、トークを磨いて、話題を溜めて、女の子に気まずい思いをさせないように、ちゃーーーんと努力してるんだろう。俺はクソだから、何もしてない。そのくせ、グチを書いてるんだぜ。クソ過ぎるだろ。なぁ、こういうクソ野郎ってのはリア充から見てどうなの?死ねばいいのにって感じ?それとも、早く大人になりなよ、とかそういう事言っちゃう?クソ、むかつくな。
でもお前らリア充は実際、そんなこと言わないんだろうな。リア充って性格良いやつが多いから、そんなことは言わないんだ。性格がいいからこそのリア充なんだ。性格の悪いリア充は得てしてDQNだ。
あー、お前らほんとカッコいいよ。顔の話じゃないんだ。リア充って輝いてるもんな。目がキラキラ輝いてて実に楽しそうだ。その楽しそうなオーラは伝染して周りの人まで楽しくさせるんだ。そういう正のスパイラルがあるんだよな。そういうところに人は集まってくるんだ。素晴らしいよ、ほんと。
断っておくが、このエントリーはメイロマさんを誹謗中傷するものではない。
僕はむしろ氏のファンで、Twitterはフォローしてるし、本も全て買ったし、有料メルマガは初回からずっと購読している。
僕はメイロマさんの持っている稀有な経験と豊富な知識に裏付けされた言論に、いつもたくさんの気づきをもらっている。
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僕は社会人経験を経てから、とあるきっかけでアメリカのある場所に自費で留学した。
そこはあらゆる人種の人がいる非常に多様化した街で、日本人もたくさんいた。
僕はある有名大学の短期MBA的なところで、1年くらいビジネスを学んだ。
3ヶ月ごとにクラスが入れ替わるのだが、はじめのクラスは半分くらいが日本人。
他のクラスでも多かれ少なかれ日本人はいて、横のつながりも含めれば40人以上の日本人と出会い、うち30人は社会人経験者だ。
30人の日本人は女性のほうが多く、年齢は20代後半から30代中盤くらいまでの独身がほとんど。
割と良い日本の大学を卒業して、数年間会社に務めた後、辞めてアメリカに留学に来たってパターンが多かった。
これだけ聞くと割とエリートっぽい、意識の高い(笑)人が多そうな気がするかもしれない。
「会社がブラック企業で、給料が全然上がらない。公平に査定されない。不平等」
「社会に閉塞感が漂っている」
「アメリカはこんなに優れてるのに、それに比べて日本は・・・」
適当に聞き流してそのうち数ヶ月すると、日本の悪口をやめ、今度はアメリカの悪口を言うようになった。
「こんなに高い学費を払ってるのに、この学校のサービスは・・・」
僕は気づいた。
彼女らは高い志と目的があってアメリカに留学しに来たのではない。
勉強一筋で日本の大学を出るまではうまく行っていたが、自身の不器用さゆえ会社で活躍できない。
はじめは自分を責めていたのが、いつの間にかそれが社会への憎悪に変わってゆく。
「自分は頑張っている。しかし日本社会が自分を認めてくれない」と。
そして、海外にいけば何かが変わる、と。
しかしアメリカに行っても何も変わらない自分に気づくも、それを認めたくないゆえ今度は標的を変える。
「隣の芝は青く見える」現象が常に起こっている。
理想を求めてアメリカにまで来たけど、根本的なマインドセットがそのままだから、何も変わらない。
日本をdisる時は「日本はダメでアメリカは進んでいる」とはじめから結論が決まっているから、アメリカの良い所と日本の悪いところを比較する。
次にアメリカをdisる時は、同じく「アメリカはダメ」から入るから、自分に都合の良いデータしか見ない。
メイロマさんのtweetは、今まさに留学中の僕にとって刺激に溢れるものだった。
氏の豊富な海外経験と独特な視点はたくさんのファンを虜にしたようだ。
僕はメイロマさんのtweetと本を読んで、僕がアメリカで出会ってきた憎しみの塊のような女性たちに似てるなと、何故か直感的に思った。
Twitterでは、下ネタを除けば終始日本の悪い点ばかりtweetしている。
日本の悪口を言う、なんだか病んでそうな人のリツイートを良くしているのを見かける。
自身の「英国では〜」とイギリスの優れた例と、日本の悪いところを一緒に比較して、だから日本はダメなんだという得意の論理展開は、まさに先の例そのままである。
例えば『日本が世界一「貧しい」国である件について』という本は、終始日本の悪口に徹し、具体的提言はおまけ程度に最終章にまとめれれているだけだ。
あぁ、きっとメイロマさんも日本から脱出してきた人のひとりなんだなぁと。
『日本に殺されず幸せに生きる方法』ではだいぶマシになっていたけれど、それでもまだ日本への憎悪は消えていないように見える。
なんでわざわざ日本の悪口を言ってるtweetを探し当てては、リツイートしてるんだろうと。
僕は氏にフォローされてないけど、試しに日本の英語教育の悪口をtweetしてみたら、見事に拾われてRTされた。
メイロマさんの言ってることは、決して嘘ではないし間違ってもいないと思う。
でも、共感はできないのはなぜだろう。
ニートの父親の話だ。もうすぐ60歳になる。
もう20年近くニートをしているので時代を先取りしたニートだ。すごい。いや、すごくない。働け。頼むから。
もともと父親はちゃんとした企業に勤めるサラリーマンだった。だが、どこかで糸が切れたらしく、勤めていた会社を早期退職し、それを元手に生活の術を探り出した。
起業、株式投資、コンサル紛い、あらゆることを始め、うまく行かなくて数ヶ月で放り出す。退職金はあっという間になくなったらしい。
そして、ある日を境に、リビングに置いたパソコンで延々とソリティアをするだけになった。
母親はパートタイムで生活費を稼いでいたが、当時の私と弟はまだ中学生。学費だなんだと金が掛かる一方で、後で聞いたが母方の祖母に相当出してもらっていた。
私も弟も、母方の祖母に高校まで行かせてもらっていた。
大学は奨学金(育英会のあれ)を最高額で受給して私学に通った。自分で返済している。
私が就職し社会人になり弟が大人になっても、父親は延々とソリティアをし続けた。
母親はパートタイムで働きながら、祖母に金を無心しながら、父親に働くように言ってきた。でも、父親はすべてをソリティアをやりながら聞き流した。
やがて母親は説得を諦め、父親は何も考えずにソリティアに集中できるようになった。いや、働けよ。ソリティアで飯は食えねぇよ。
父親にも色々と試練はあったのかもしれない。父親の母親(父方の祖母)は新興宗教にはまり、妙なことを言い周囲を混乱させ、家族の金を勝手に持ち出してお布施する人だった。
今でも存命だが、平気で自分を正当化する嘘をつく。そして嫌いにならないでと泣きついてくる。
そうだね。大変だ。自分の母親がそんなクズだとしたら切ないし悲しい。
父親は何かに負けて考えることをやめたのだ。母親の奇行、早期退職して自立しようとした賭けにも負けた。
俺が働かなくても、なんか知らんが子どもは学校に行けているし、ご飯は毎日出てくる。きっと妻がうまく回しているのだ。ああ、なんか考えるのとか向き合うの、めんどくさい。ソリティアやろ。
ソリティアだけで20年過ごせると、あの人は実証してみせた。なにそれ、すごーい!
完全に依存型ソリティア起動機になった父親は一人で生きていけるのか。きっと生きてはいけないだろう。母親のように依存できる人を探すだろう。そして、その人の横で何も考えずにソリティアをしたいと願うだろう。
はっきり言って母親に苦労をかけ続けてきた父親を私も弟も見限っている。
それももうあんま続かないっしょ……
もうニート養える親もどんどん高齢化して来ちゃって、今の若者の親世代は居食い飼ってやるどころか子供の学費すら出せないで奨学金なんか借りさせてる有様だし。
「国費で生活保護受けてるニートも経済活動に貢献してるからいいんです!」という蛸に自分の足喰わすみたいな論理もいつまで続くかなあ。
福祉費は常にパンク寸前、目の前にはこれからも絶賛増加予定の大量の老人(票田)と、若くて働ける体があるくせに働かないし投票にも行かないニート、この状況でどっちが福祉切られるかって火を見るより明らかだよね。親の財布や寿命と同じように、国家の財政と体力にも限界があるわけで。
経済学科というところに所属しながら、恋人がいて、その恋人と結婚して、子供を産みたいと願っている。
これだけなら、普通かもしれない。
最近では誤診ではないかと思っている。
親は両親ともに生存中。
鬱というか、双極というか、そんな感じで精神神経科を受診している。
私も、統合失調の診断を受けてから心療内科というところへ通っている。
その昔、東南アジアの国へ、当時10代前半の女子と性的なことをするために、旅行した。
その中で、顔立ちが整ったある女性を身請けした。
その女性のあるSNSアカウントでは、幼児の写真が少し前からたくさんアップロードされていた。
私はその幼児は彼女の子供で、現地に別の彼氏がいるのだと思った。
そのころの、3人目の客。
それが今の彼氏だ。
値段交渉の場で、私は彼と話をしていて、惹かれた。
彼はお金はあまりない、一般的な援助交際の報酬は払えないと言った。
ラブホテルへ行き、甘えた。
施設への利用料は彼が支払い、私は彼に払ってもいいといったお金は受け取ってもらえず、結果私からは渡さなかった。
メールアドレスなどを交換し、交際した。
2010年に知り合ったのだから、もう4年付き合っているのだな。
その間に、私は売春から身を引き、今度はコンシューマゲーム機のRPGにはまって、そのゲームを共通の趣味とする女子の友達もできた。
そのつてで知り合った仲間と小説といスタイルで同人誌を発行したりもした。
冬コミというやつに参加したりした。
シアリスという男性の性的機能を補助する薬を月に一度利用し、ラブホテルでコンドームを使わずにしている。
それは4年間変わらない。
妊娠する気配はない。
それどころか、彼はゴムなしで私の女性器へのインサートをして、動かしていても、射精に至ったことは一度としてない。
彼が射精する様子を見たのは、彼が自分自身で手で刺激を与えて至る場合だけだ。
女性と実際にできない期間が長すぎたのと、マスターベーションで手による強い刺激に慣れすぎたのだろう。
40代でこれは、男性として、おそらくはショックなことだろう。
彼は、子供が欲しいとは思うらしい。
今年になって、彼は、私と結婚してもいいと言い始めた。
嬉しくて、私も経済学部を卒業したら結婚しようという話しで、親などにも話を始めている。
また、私の眼の前で殆ど射精に至らないため、知らなかったが、彼がマスターベーションで射精に至ると、怖いことになる。
体液を受け止めたティッシュなどのものは、真っ赤に染まり、血みどろになるのだ。
それだけを聞いて、インターネットなどで私が調べても、該当する病気は、前立腺がんだろうか。
今まで4年以上、コンドームもピルも利用ず交わっても、妊娠しなかったが、それには彼の前立腺の病気や抗鬱薬などの副作用のEDが強く疑われる。
それなりに生理痛はあるものの、およそ30日周期で生理がきて、5日ほど経血がでる。
婦人体温計で毎朝体温をはかり、ケータイサイトにメールやウェブ入力をして管理しているが、体温のグラフはきれいな形で線を結ぶ。
栄養状態も良く、偏食もあまりなく、BMIは21から22前後と、痩せすぎず、太りすぎず、健康的だ。
もし、二年して、入籍したら、すぐに生殖医療を行う婦人科、泌尿器科へ旦那となった彼を連れていきたい。
生殖医療、不妊治療のクリニックなどでは、男性にはトイレで自分で精液をコップに取りだしてもらうと聞く。
血が混じるのに、それは使えるのだろうか。
私は、彼氏のことが大好きだ。
私は出産し、育てるとする。
30歳くらいになるだろうか。
子供を幼稚園か子ども園(現在施行が進みつつある)にいれられる年齢になってから、仕事を探したい。
大学をでてすぐに就職を目指さないのは、先に不妊治療をしたいからであり、その間は彼の収入で生活する。
しかし、子供が成人する前に、彼は通常なら定年退職する年齢となる。
そして、彼は太ってもいて、血糖値も高く、腰痛もあり、血中コレステロールなども再三注意をされている。
命さえも危ないし、男性機能もいつリミットが来るかわからない。
だが、子供が産まれたら育てるためにお金はいるし、私も将来は働くつもりである。
目指す仕事は、広告業界で、広告プランナーやクリエイト職というものだ。
はじめはどこかの広告代理店などで、アシスタントや事務などを経たい。
個人と社会の関係をお金と商品、そしてどんな商品を買いたくなるか、どのような広告が効果的か、考えて媒体をクリエイトする。
それが私の夢である。
私の感覚は、変わっている。
創作が好きだ。
石田サナという、統合失調の平成生まれの女性の名を聞いたものも、ここには来ているだろう。
もちろんエイリアスだが。
子供が小さいうちはいいけど、手のかからない小学生になったら、妻は専業主婦としてやることがなくなる。
もちろん、旦那の年収が800万とか1000万とかなら別だろうけれど、、そうでないのならば。
マイホームでも車でも学費でも、何かしらお金が必要になったら、妻は働かなきゃいけない。
けど仕事辞めてるから、高校生でも出来る仕事を、高校生と並んで、年収百万でするしかなくなる。
会社で部下を持ち家庭と両立しながら、誇りをもって働いてる同僚の女性と、
あなたの年収が400万だとして、パートの妻がいれば世帯年収は500万になります。
もし妻が正社員だったら、、、世帯年収は800万になってたはずです。10年間で3000万円の差が出ます。
そうなることを分かってて、就労への低い意識や、古臭い母性イデオロギーに従って、寿退社する人を、愛せますか。
子供が親の手を離れたあと、上述した状況にある妻を、あなたは尊敬できますか。
できるなら、いいと思う。
でもそうじゃないなら、二十代前半から、
http://blogos.com/article/91029/
http://b.hatena.ne.jp/entry/blogos.com/article/91029/
を読んだ。
ブクマじゃ「0→1より2→3の方が効果対費用が大きいのは当たり前」なんて言われてるけど
実際自分の周囲の半径10mくらいの範囲を観察するに、そこそこ金がある界隈だと3人子持ちってのは今でもそんなに珍しくない。
「2人産んで下が小学校に入った時、とても寂しくなったからもう1人作った」と言う話を聞いた時には
歳離れた3人目持ち=避妊失敗で嫌々産んだんだろ、と思い込んでいた自分にはカルチャーショックだった。
この世知辛い世の中でも「子育てが楽しい、沢山子供が欲しい」と考える奇特な人は、はてなで言われているよりはいる模様。
ただ現状では「そこそこ金がある」夫婦でなければ3人目は難しいわけで、
それを「そこそこ金があるわけでもない」夫婦でも3人目産めるようにする、ってのは効果は高いだろうと思う。
しかし
これって男の感覚だよなあ。「金がない→モテない→結婚出来ない」という。
でも女だと、結婚しない人・しても一人目すら産まない人って、不妊を除けば最初から子供欲しがってない人が大多数だと思うけど。
んー、理系だったら普通に実験するのに国立の学費なら全然お得だと思うけど。
だよね~
ただ、大学は提供してくれる教育に対してあまりにも学費が高すぎないかとは思ってしまう…
スッカスカすぎるっていうか一年の半分が休みって何事だっていうか
http://anond.hatelabo.jp/20140723104113
元神童の元増田です。ご返事ありがとうございます。結論については穏当で受容され易いものを目指したつもりでしたが、もう一段掘り下げるべきとのご指摘であればよく理解できます。
現段階での試論をごく簡単に述べると、大学入学直前に1学年飛び級できるのみで、かつ対象に上位の大学が含まれていない(失礼)という現在の制度は、優秀層にとって応募のインセンティブが薄く、結果としてその効果も薄くなっていると考えます。よって、インセンティブの向上を図るべく、これらの点について要件を緩め、対象範囲を拡大することが選択肢として考えられます。
具体的には、まず複数学年の飛び級を認める方法としては、最も手軽な方法として、大検(高認)の受験資格及び合格後の大学受験資格について年齢制限を撤廃することが考えられます。そうすれば、一部の優秀層は、自分の準備ができたと判断した時点でこれを受験し、早期に上位大学へ合格してゆくでしょう。年齢に関係なく試験に通った者が合格するという方針はフェアだとも整理でき、社会的にも受け入れやすいように思います。追加コストもほとんどかからずに済むでしょう。
次に、上記の実現が難しい場合は、次善の策として、例えば防衛大や自治医大へ対象範囲を拡大することが考えられます。これらの大学については、学費免除が認められているという元々の位置づけから、仮に1年のみの飛び級であっても、家計が裕福でない優秀層にとって更に強烈なインセンティブとなるでしょうし、防衛省・自治省管轄下という性格から、政治主導であれば試験的に制度改編を進めるのも相対的に容易だろうと思います。他方で、早熟児達の知的好奇心を満足させる効果も社会的影響の程度も上記案より小さくはなりますが、漸進的なアプローチという点ではひとつの方策だろうとは思います。
元記事へのブコメで頂いたコメントには、短文でも考えさせてくれるものが多く、有難く思っています。これらに加えて、上記の試論についてもご指摘・ご意見・ご批判等あれば、ぜひコメントいただけると嬉しいかぎりです。勿論、上記へのコメントに限らず、思いついたことなど広くコメントいただければ嬉しいです。
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追記:
なお、そもそもの前提として、必要な知識は自分で学び身につけることができる優秀層を対象層として想定しています。上の学年のクラスで学ぶ機会を与え学習を支援してあげた方がよいという観点からは、段階的に飛び級をしてゆくアプローチの方が望ましいという考え方もあるでしょうが、そこは割り切っています。早熟児(神童と繰り返すのが気恥ずかしくなってきたのでこちらにしました)の相当数は、勉強の目標を与えてあげれば自分で学習を進めます。そんな彼らにとって、最大の問題はモチベーションをどう維持するかです。少なくとも僕は、小4で習った科目がクラスで出るまで5年以上待たないといけないという状況に当時飽き飽きしていました。自分に能力さえつけばいつ大学に行ってもいいよと当時言って貰えていたら、それだけでも、勉学へのモチベーションは劇的に強化されたろうと思います。
うんそうだね。
それ以下の収入だと子供が大学行ったあたりで収入の大半が学費と仕送りに消えたり、子供2人以上だと完全に破綻したりするよね。
運が良ければ奨学金とバイト漬けで回せるかもしれないが…。老後資金とか考える余裕あんのかな。爪に火を灯すくらいの生活は最低限必要そう。
現在だと僻地在住の子より、近くの学校のレベルが低かったり荒れているから子供を行かせたくないけど
レベル高い学校には(学費や距離の面で)通わせられない親がやってる方が多いみたいだけどね。
実技系の科目は学校でやるので、そこで集団コミュニケーションは学べるらしい。
学費を子供が高校生になってから用意する予定じゃ駄目過ぎでしょ。
中学の1クラスの男子を20名とすると、20✕0.12✕0.7=1.68人
クラスの上位2名をゲットすれば
共働き500万円ずつとか
出産後も500万稼げる女子の周りには1000万くらい稼げる男子がいると思うよ。
扶養内パートの収入なんて誤差みたいなもんでしょ。その収入が無ければ子供の学費足りないってのは
1000万必要な教育する家庭の奥さんが扶養内パートしていたとしたら、それは金の為じゃなくて専業主婦が嫌だからやってるだけだよ。
契約した翌朝にこんなことを言われた。
子供もできて今の家が手狭になったこともあり、
週末を利用して、物件探しに出かけた。
初めて見た物件だが、思いの外条件が合致したので、即日契約した。
全て思い通りというわけではないが、客観的に見ても悪くない物件だと思う。
こんな風に書くと、その場のテンションで購入したように見えるが違う。
3か月ほど前から、5件くらい回り、当日はさらに5件ほどまわり、
そのうえで、最終数件まで絞り込み、
確認のために、再度、内見を行った。
将来的に払っていけるのかどうか、子供の学費、老後の生活費も不足しないか
十分に検証した。
かつ、「今回の時期は見送る。」という選択肢も十分に話し合った。
そして、お互い結論を出した。
で、契約に至る。
契約後は、一方的な契約破棄は無理ということもお互い知っている。
何回も確認した。
「あれだけ話し合ったのに、後から文句言うこと」については腹立たしいけど、
前文でもあるように、「全て思い通りというわけではない」なので。
確かに俺の給料でローンを払っていくけど、
俺が働けるのはあなたが家事やって、子供の面倒も見て、財布の管理もしているからですよ。
表題の言葉には、「でも、あなたのお金だから私は文句言えないわ。。。」が隠れている。
実際に「あなたの城だね。」とも言われた。
いいえ、「あなた」と「私」の城です。
今後、あなたとやっていく自信がなくなってしまわないかと危惧しています。
会社でいい歳して主体性のかけらも無い万年平社員の面倒を嫌というほど見ています。
それを家でもやるのかと。。。ウンザリ